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第二回対談へ|
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 □話し手 後藤 隆一先生 『人間主義経済学序説』著者
 □聞き手 山本 克郎 「小島志ネットワーク」代表幹事



 
 小島志塾は、小島慶三先生のお人柄と思想に惹かれて、全国30余の塾と千余名の塾生を擁して、その歴史は38年に及ぶものでした。小島先生が提起されてきた問題が益々深刻さを増す中でピリオドを打つことになりました。甚だ残念ですが、先生のお身体がご不自由になり「閉塾」は止むなしとしても、何らかの形でその志を継続すべきとの声が挙がり、「小島志ネットワークの会」(小島志ネット)が設立されました。
 この会のメンバーは、様々な職業人の集りですから、その課題は農業問題であったり、砂漠の緑化など環境問題や資源エネルギー問題の人もいます。社会保障、福祉、教育、人づくりなどに携わっている人、地域振興に惹かれている人など色々ですから、その関心も異なります。そこには、哲学やそれなりの考え方が根本にあって、それを中心に共通の問題意識があり、自己啓発、相互啓発を深めていくことが必要です。その哲学や考え方が何なのかと自問する時、小島先生が提唱し探求してこられた「ヒューマノミックス」だと考えています。
 小島先生は、「人類の未来は、ヒューマノミックスでなければ救われない」と語っておられますが、先生が求めておられた「ヒューマノミックス」は一つの哲学であり、社会科学の方法論でありますから、その視点から色々な問題を包摂して、理論化し、体系化して行くことができます。そういう意味で、改めて、ヒューマノミックスとは何かを問い、そこで何がどう問題にされねばならないのかを問い、私たちの思索と研究を高めて行きたいと思うのです。
 「ヒューマノミックス」はこのネットが探求する普遍性で、それぞれの関心事や課題はこのネットの多様性と捉えられます。そう考える時、後藤先生は、真正面からこの問題に取組み、『ヒューマノミックス宣言』、『ヒューマノミックスの世紀』、『蘇生の哲学』の三部作を書かれ、今『人間主義経済学序説』を公刊された後藤先生に教えを頂こうと考えた次第です。そこで、先ずは、率直に「ヒューマノミックスとは何か」ということから始めて頂きたいと思います。



 「ヒューマノミックスとは何か」ということですが、一言で言えば、「人類が直面しているいわゆる文明論的危機に対する問題解決学」です。それは、人類が直面している課題が、近代ヨーロッパ文明の行き詰まりに対する批判とその克服であると捉えているからです。
 したがって、東西の思想や哲学を含み、ヨーロッパ文明とは異なった東洋思想等の視点や学際的な見地から、シューマッハー、ロエブル、小島慶三という三人の先駆者が提起した問題に応える方法論であると言うことが出来ます。



 「ヒューマノミックス」という言葉そのものは、Humanism(ヒューマ二ズム)とEconomics(エコノミックス)の合成語ですが、チェコスロバキアで生まれの、東西冷戦時代の亡命アメリカ人オイケン・ロエブルによって、「ヒューマノミックス」という本がアメリカで出版されて、日本でも翻訳出版されましたが、日本では小島先生がこれを提唱されたものです。



 小島先生は、後藤先生の『ヒューマノミックスの世紀』に次のような「序文」を寄せておられます。
「20世紀は、西欧に生まれた近代文明が最盛期に達した時代ではなかったかと思う。それは、またこの文明に行き詰まりと破綻の現われた時代でもあった。
石油の酒に酔い、原子力の麻薬に手をだした人類は、巨大技術の歯車を回しながら、戦争と自然破壊の悪循環におちて行ったからである。
 ボールディングの『宇宙船地球号』とか、シュマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』という言葉は、このことの実感を示す言葉として、70年代の初めに、私たちの心を打ったのである。しかし、近代社会の解明の学であった経済学は、この状況に対して無力であることも痛感されたのである。
 私が“ヒュ−マノミックス”という旗を立て、新しい問題群に挑戦しようと決意し、同志と共に、研究会をスタートさせたのはこの時代であった。そして、チェコからの亡命アメリカ人経済学者、ロエブルによる『ヒューマノミックス』という本に出合い、一層意を強くしたのであった。近代の危機の原因は、人間の自己喪失にあるという共通の自覚がそこにあった。
 しかし、この仕事は、人間とは何かという根本的な形而上学を含み、経済学の狭い専門課題を超えた思想史的研究と洞察を不可避とすることが分かって来た。また、学際的な問題をどういう枠組みで体系化するかという構想力も必要であったのである。それ故、色々の分野からのアプローチから始まったのであった。しかし、その大成は、いずれ私のなさなければならない責任であると考えて来た。しかし、その後、全国32の小島塾の決起があり、晩年には、参議院議員としての政界への進出があり、引退後は、急速な視力の低下に直面し、この責任を果たすことが不可能になった。
 しかし、天は、私達の初志を見捨てなかったのか、後藤さんという得難い人材によって、この難事業は大成へと向い、新しい世紀へと繋がったのである。私は、喜びと共に、感謝に耐えない気持ちである。
 今は、一昨年(平成11年)の『ヒューマノミクス宣言』に始まり、この『ヒューマノミックスの世紀』において大成したこの世紀の力作に、世の理解と共感が集まり、歴史の創造に繋がってゆくことを祈りたい。
 それが、人間の主体性と全体性の回復への道となり、21世紀の文明をつくる人材群を生み出してゆくものと信じるからである。」
といわれています。


 小島先生の場合、戦争中は日本の経済統制の中心であった企画院からスタートされ、大蔵省へ出向、戦後は通産官僚の最重要ポストを歴任され、経済再建の政策の中心者であったが、70年代のオイルショック以来直面した日本と世界の資源エネルギー危機、環境危機、経済危機、道徳危機にいかに反応すべきかの根本問題として、ヒューマノミックスの旗を揚げられたのでした。戦争に敗れた祖国や、アジア・アフリカ諸国の現実から、シューマッハーのスモールの思想に共鳴され、それが相乗効果となってヒューマノミックスを発想されたように思われます。


 「ヒューマノミックス」への関心は、小島先生に10年遅れて生まれた私の場合、戦争と敗戦の体験の中から生まれたと思います。昭和一桁の私は軍国主義の中に育ち、敗戦の前年に陸軍士官学校に入りましたが、敗戦で解散となりました。戦後旧制七高(現鹿児島大)に学び、北大法文学部法律学科を卒業し、公務員や教育の仕事で人生を過しました。
 太平洋戦争は日本国民を始め、関係する諸国に人々に償うことの出来ない犠牲を強い悲惨な結果をもたらしました。このような戦争を何故、誰がはじめたのか、惨憺たる結果を招来した責任は誰がどう償うのか。この国の在り方に対する疑問や不信が青春時代の鮮烈な体験でした。
戦後60余年経過した今日の世界、日本の状況をみる時、わが国の現代史が何だったのか、何故こうした状況に陥っているのか。探求せずにはおられません。また、私自身この国の教育事業に35年も携わって来て、現状に深い憂慮の念を抱いています。
 そこで問われるのは、国民の基本となる価値観だと思います。それは、人々の、感じ方、ものの見方であり、考え方であり、生き方です。その根底には「人間とは何か」という基本認識があり、これを基として、人間社会の在り方、社会システム、モラルの基本が確立するのではないでしょうか。この認識が揺らいでいるところに現代の混迷・混乱・退廃の源があるように考えます。
人生観・世界観・価値観の基本に立ち返ってみることが不可欠だと思います。それは、人々の自己実現、人々の幸せの実現をめざし、それを価値実現の評価基準とし、尺度とする論理体系が求められています。その思想と論理は、これまで、人類が解き明かしてきた哲学・諸科学などの学問、芸術・文化、思想、宗教等などを可能な限り包含し、真実に基づき、道理に適った真理を基礎にしてすべての人々の理解と共感を得る必要があると思います。
 小島先生が「ヒューマノミックスこそ人類の未来と地球生命共同体を救うものだ」と言われた意味は、「ヒューマノミックスとは、人々の真の幸せと平和を築く社会システムの論理体系の探求」だと考えていますが、如何でしょう。



 同感です。「ヒューマノミックス」という学問は、「人間とは何か」という哲学的、社会学的な問いから始まって、現代社会の問題解決学という非常に興味深い学問なのですが、大変幅が広く、且つ奥行きが深い問題を対象にしています。
 先ずは、小島先生の原点において、「ヒューマノミックスとは何であったか」を考えてみましょう。先生の「ヒューマノミックス」の発想は、シュマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』との出会いによって、急速に形成されていったものと思います。
 先日退院なさったばかりの小島先生から、電話でお聞きしたのですが、先生が監訳された講談社学術文庫の『スモール・イズ・ビューティフル』は32年間のロング・セラーで新聞記事になったそうで、大変喜んでおられました。


 そこで、「ヒューマノミックス」の特徴ですが、
その一つは、三百年以上も普遍的真理と価値として世界を支配して来た近代ヨーロッパの文明に対する批判です。その矛盾と行き詰まりを指摘し、批判するものでした。シュマッハーの視点は、東洋思想でした。ミャンマーでの仏教との接触、インドのガンジーの思想との出会いが、転換の契機となったようです。彼は、「仏教経済学」という章を設けて、伝統的経済学との価値観の違いを論じています。例えば、この両者の労働観、機械観、幸福観などは正反対です。
有名な「中間技術論」などは、ガンジーの手押しの紡ぎ車からヒントを得たように思われます。中間技術とは、伝統技術と近代技術の合体したもので、大量生産の技術ではなく大衆による技術で、輸出のための技術ではなく、消費するための技術であると言っています。


 二つ目は、人口の70%以上を占める第三世界を無視した経済学でよいのかという「南北問題の視点」です。工業中心の大都市文明の合理主義は農村文明を犠牲にした論理なのです。これまでの経済学の合理性、効率性は、先進国の中でも、本当に数%の人々の利益に奉仕するだけで、多数の雇用者の増加に役立たない。むしろ、巨大技術による巨大利潤を追求する巨大生産は、人類と文明の存在基盤を崩壊させて行く。こうした状況下では小さいことが美しいのです。
 小島先生は、三〇年前からエコシステム(生態系)の共存と循環システムに注目され、そこに焦点を当てて未来の文化を考えておられました。先生はまた、日本の伝統産業における稲作水田と炭焼き林業に注目され、戦後の日本の農林業政策が、こうした流れに、全く逆行していることを批判しておられました。
 シューマッハーは、工業の論理を農業や林業に用いることは誤りであると言い、工業がなくとも人間は生きていけるが、農業がなくては、生きて行けないと言いました。
小島先生は、「日本政府の戦後政策は、まさにその逆をやってきた」と言われ、経済同友会の農業部長として健筆を振るわれ、晩年は参議院で孤軍奮闘されていました。名著、農業三部作(ダイヤモンド社『文明としての農業』等)はその成果です。
日本にも、「循環型社会基本法」が成立し、廃棄物をゼロにする運動が始まっていますが、これは、小島先生が、ヒューマノミックスの初期の時代から取組んできた問題で、これと並んで砂漠の緑化、森林の再生の問題があります。


 三つ目は、不況や失業に対する政策的介入の問題で、これらと並んで社会保障等の問題があります。これは貨幣の問題になりますが、ケインズ的システムの限界によって、行き詰まっています。ここに、ロエブルの理論が出てくるのですが、これが、この理論の山です。私は、ロエブルの理論を理解し応用出来るか、どうかが、問題解決学としてヒューマノミックスの成否を分ける点だと考えています。
これが、私の人間主義経済学の生命でもあり、具体的、現実的には800兆円を超える財政債務に縛られている日本国民の問題なのです。ここには、政治家と学者の無知と欺瞞が隠されています。



 第一回目は「ヒューマノミックスとは何か」と、その三つの特徴について伺いました。次回以降、更に、具体的にお伺いし、解明して参りたいと思います。


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