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No.9Mr.武石のウルトラマラソン記

私の友人というよりもむしろ、ウルトラマラソン及びマラニックの師匠の一人にジャーニーランナー武石雄二さんがいます。彼はこれまでアメリカ横断レースやヨーロッパ横断レースにも出場し、いずれも好成績を残しています。私はその時々に感激して、その一部をこのサイトでも紹介させていただきました。(アメリカ合衆国の横断レース(Runxusa 2002 、トランスヨーロッパフットレース2003) また、武石さんは絵心もあり、ウルトラマラソンがある毎に、素敵な絵のあるウルトラマラソンのレース記を私に送ってくれました。最近またそれを読み返しています。素晴らしいもので、臨場感もありますので、ウルトラマラソンに出ていない方もその感じを体験して頂けるのではないかと思い、私が一人で読むだけでは勿体ない気がしましたもので、ここで紹介することにします。今後、下記のレースに出てみようとお思いの方にも、きっと参考になるのではないかと思いますよ。武石さん、紹介してもいいですよね。

@北海道縦断走り旅(‘99 トランス・エゾ555km)

A東海道五十三次走り旅(‘99〜’00 )

                 

あの強い日差しで焼かれた皮膚が、ボロボロとむけてきて、今年のトランズ・エゾの猛暑を、又、思い起こさせます。私にとって走り初めてから約10年。初めてのリタイアしたレースでした。以下30年ぶりの北海道の暑さの中での走り旅です。

 8月8日えりも岬〜忠類村 82.1km

前日、PM6時すぎ、やっとえりも岬に到着。夜になっても半そでで充分なほど、暖かい。なつかしい顔が見える。久しぶりの再開を楽しんで、次の日からの長いレースにそなえて、早々と横になる。88日、AM500全員、合唱でのカウント・ダウンで、えりも岬をあとにする。霧が出ているが、これは、きっと晴れて暑くなるぞ、・・・と思ったとおり、9時を過ぎると30℃を超える。

フンベの滝では、頭から滝の水をかぶるが、2kmも走るともう暑い。汗が常時、Tシャツからしたたり落ちる。シューズの中には汗で雨の中を走った様にビッショリ。自販機や、水のあるごとに水分を補給するが、足りない。

海岸線を離れ、内陸に向かって直線道路を走る。アスファルトの照り返しで、足もとが暑い。大きなトラックが巻き起こす風も熱風に近い。そんな中を赤松さんと2位争いのデッドヒート。わずかの差でナウマン温泉に3位でゴール。1日目は、まだ体がなれていないのと、猛暑のために非常につかれる。すぐに温泉に飛び込みたいが、背中が、しみて、痛くて温泉を楽しむどころではない。ちょうど、バックが背中にあたる部分が赤く、焼けただれたようになっている。足の皮膚も、汗で、白くふやけた状態。ともかくこの暑さ、先が思いやられる。

 

 

 89忠類村新得町 87.1km

ナウマン温泉をAM500に出発。朝から、もう暑い。おそらく30℃近い。直線道路が続く。

暑さのため道路にかげろうが見える。とらえどころがない地平線めざして、ひたすらに、ただ走る。頭の中は、大盛りのカキ氷。冷え冷えのスイカ。フロあがりの冷たいビール等々。そんな事ばかりを考えている。途中、民家にあった水道をかりて頭から水をかぶるが、体がジューと音をたてているだけで、一向に冷えない。

地図上のドリンクと書いてある場所を指でおさえつつ、まだか、まだかと走る。

道をまちがえやすい、成田不動尊を左に折れると真っすぐな道が6kmも続く。6時、序々に日が傾きはじめる。

つかれた体にムチ打って、最後の力をふりしぼって一歩一歩と足を前に出す。新得温泉を横目に見て、ゴールの新得公民館にPM7時過ぎ2位でゴール。

背中の皮膚が手のひら大に水ぶくれ状態。

明日はもうだましきれないかもしれない。

810新得町〜富良野 75.6km

新得の公民館で寝袋にくるまるが、暑くて寝られない。夜トイレにおきていると廊下に寝ている人もたくさんいる。うとうとしているうちに起床時間のAM4時。食欲のわかない胃に無理やり、前日、買っておいたオニギリをつめ込む。やっと明るくなった5時、3日目の出発。

重い足をひきずりながら、高度、約700メートルの狩勝峠をめざして、登りが続く。歩きを入れてやっと峠にたどりつく。少しは涼しいかなと期待していたが、やはり峠の上も暑い。自販機で3缶も水分を補給。あとは、だらだらの下りが続く。景色がきれいだが、見て感激する余裕はない。

背中の皮膚がいよいよ、はがれザックでその部分をこすっている。おまけに足がはれてきて、シューズに指があたり、その部分の皮膚もむけてきた。暑さと、痛さとつかれで、精神的にもダメージを受ける。

あまりの痛さに鎮痛剤を飲むが、これがあとで、たいへんな事になるとは思わず、約10m薬のおかげで、快調に走る。約40km過ぎ突然、痛みがはげしく出てくる。薬が切れて、以前よりも数倍の痛みとなって帰ってくる。しらないうちにキズ口がどんどん拡がり、悪化していた。もう、歩くのもやっとの状態になってしまった。痛みで肩に力が入る。後続のランナーに次々とぬかれていく。

50km手前。あと25kmをのこす。制限時間までまだ6時間弱、残っている。1km、14分半、子どもの足でゆっくり歩いても充分間に合う。一瞬、9月末のギリシアで行われるスパルタスロンのレースのことが頭をよぎる。今、ここでキズが深くなって、充分な練習もできず、又、レースまで、キズが治らないかもしれない。いろいろ悩んだすえに、リタイアを決める。それを決定づけたのが、ちょうどいいタイミングできたサポートカー。渡りに船で、リタイア宣言して、12km手前のいくとら駅まで送ってもらい、電車で富良野にたどり着く。

ホッとした気持ちとくやしい気持ちが複雑に入り乱れる。明日、旭川の病院で治療してもらう事にする。富良野の宿では暑くて、せまくて、痛くて、くやしくて、全然、ねられなかった。

811日富良野〜旭川大学 68.1km

AM500みんなといっしょにスタート地点に立って、そのままコースアウトして富良野駅に向かう。ちょうど来た旭川行きのバスにのる。一番前の席で、地図を見ながら走っている人がいないか確かめる。23回ランナーを見かける。降りて、いっしょに走りたい気持ちになる。約2時間、バスにゆられて、旭川厚生年金病院前で降りる。1時間近く待って、やっと診察してもらう。背中と足のキズを見て「こりゃ、ひどい。」と一言。若い男の先生だったので、トランス・エゾの事を話して、明日から又、走りたいので、そのような治療をお願いします、と頼み込む。あっけにとられた顔をしているので、いっしょうけんめいに、お願いしますと、頭をさげる。先生はこちらの熱意に圧倒されたのか、看護婦と何やら相談して、背中にガーゼとネットをかぶせテープで胴体をぐるぐる巻きにしてくれた。「これでとりあえずやってみてください。でも痛くなったら、すぐ、やめて下さい。」との一言。又、そこで、ハサミを借りて、シューズの足の指があたる部分を切る。丁重にお礼を言って病院をあとにする。病院を出ると、なんとなく直った様なかんじがするから不思議だ。

ゴールの旭川大学まで走ってみる。少しぎこちないが、何とか走れそうな感触をつかむ。旭川大学に昼過ぎに到着。

御園生さん(管理人注:主催者だと思います)ご推薦のラーメン屋(トランス・エゾ歓迎の看板がかけてある)で腹ごしらえをして、トップランナーをむかえる。夕方、やっと入江、ジャスティン、中浜の3名が同時にとびこんできた。アップダウンの連続でとてもきつかったとの事。すぐ、3人のために向かいのコンビニで氷アイスを買ってきてあげる。おいしそうに食べている顔をみていると、走っていない自分が情けなくなってくる。次々とゴールしてくるランナーを横目に見ながら宿泊所の旭川大学体育館にそっと消える。

つらい一日だった……………。

812日旭川大学〜美深温泉 101.4km

今日は全ステージ中、一番長い、美深までの101.4km。ここからは、去年、札幌を出発して1人で走っているので、だいたいのコースと距離感は、つかめている。比布を過ぎると線路沿いに5km直線が続く。その先、今年は塩狩峠を通らず、下の塩狩峠駅前を走る。7時、コンビニで腹ごしらえ、地平線が「かげろうで、ゆれて見える直線道路を一歩、一歩距離を消化していく。背中のキズもなんとか、がまんできそうである。これをのりこえる事により、いい経験を積んだ事になる。体調の悪い時も、その時々のベストを尽くす事が大事だと思う。(下線部管理人同感!)

士別、名寄の街を次々とぬける。あいかわらず暑い。塩分の濃い汗が背中のキズにしみる。ちょっと先を走っていた渡辺君が手塩川の手前で消えた。後できくと、道をまちがえたらしい。でも、東海道を走った人なら、北海道の道はまず、まちがうところはないはず。暑さつかれで通常の判断がきかなくなっている。峠をのぼると一面のひまわり畑。ここはすべてのつらさを忘れさせてくれる、すばらしい景色だった。

子供に戻ったように、足がひとりでに走ってくれる。遠くの駐車場にサポートカーのエイドが豆つぶの様に見える。エイドに吸い込まれるように走る。そこで初めて、2位だと知る。あと20km。夕暮れせまる一本道を右側に長い影をみながら、タン、タンとゴールをめざす。前後にまったくランナーが見えない。もう少し、と自分を元気づけながら暗くなる手前702ゴールの美深温泉にとびこむ。今日は15時間も走り続けた。

長かった……………。

813日美深温泉〜浜頓別 80.5km

オホーツク海をめざす。今日、終われば、あと1日はなんとかのりきれる。今日はガンバロウとスタートラインに着く。しかし今日も朝から暑い。もう暑い事が普通になってしまっている。道は左を見ても右を見ても緑一色。牧場の牛が横目で一勢にガンをつける。ここは彼らの領地の中を走らせてもらっているのだ。背中のキズも、どうにかがまんできる様になってきた。

途中、何人かとすれ違うが、基本的には一人旅。私は、1人で走る方が好きだ。大自然をひとりじめしているという感じと、一人の方がなぜか、旅を情緒的にしてくれる。

70km地点で見えかくれしていた入江、中浜コンビを追いかける。最後の5kmはキロ5分ペースで追いあげるが見えない。そのまま、ゴール。あとで聞くと途中で、アイスクリームを食べて寄り道をしていたとの事。力がぬけてしまった。

昨日、同様2位。去年お世話になった民宿の社長と一年ぶりの再会。社長に腕によりをかけてつくってもらったホタテ丼とイクラ丼、そしてデザートにソフトクリーム2コをたいらげる。明日のエネルギー補給である。さあ、明日は最終ステージ、最北端の宗谷岬だ!!

813日浜頓別〜宗谷岬 60.7km

最終ステージなので今日は、みんな最初から飛び出す。走り出すとすぐ、ジャリ道になる。足裏の豆に石があたり、痛い。56kmのジャリ道がやっと終わると、10km近く真っすぐな道が続く。車も走らない道路なので、気持ちよく、センターラインを走る。上空をNHKの取材のヘリコプターが何度も旋回する。最終日まで走ってきたランナー達を祝福してくれているように感じる。何か、胸がドキドキする。

一本道の先に前を走るランナーが米粒のように見える。ゴールするときは、どういうポーズをとろうか等と、つまらない事を考えている。海岸線の5km先の道が見えるのでうんざりする。とにかく、あの街まで、あのまがり角までと目標をきめて、足を動かす。一番、北に来たはずなのに最後まで暑さは、変わらない。宗谷の大岬から左の山に入るとあと1km。急な登り。最後の力をつかって走って登る。体中の水分が全て汗となって、したたり落ちる。

登りきると、眼下に日本最北端の宗谷岬が目に入る。とうとう来た。一気に駆け下る。最北端の碑のうしろをまわって、ゴール。両手をあげてお世話になった御園生さんとだき合う。

暑い体と熱い気持ちをオホーツクの海につけて冷やす。暑かった毎日がフラッシュバックする。30分間、じっと海につかる。しばらくは走る事を忘れよう。今までが異常な事をやっていたせいか、普通の事がとても豊かに感じる。朝、ゆっくりと7時頃まで寝ていられる事。ミソ汁とゴハンの朝食を時間をかけて、ゆっくりと食べる事。

新聞をスミからスミまで、のんびりと見る事、等々。普通の幸せ感をもう一度、再認識する事ができた。もっと、もっと、と豊かになるよりも、もう一つ生活レベルを下げる事によって、それはみんな豊かに見えるのじゃないかと思う。

1999年、北海道の暑い夏が終わった。   93 

   

 

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