日本海軍では明治初年以来、機雷は軍港や要港などの局地防御用兵器と考えられていた。しかし明治30年頃に機雷の自動係維装置が発案された結果、洋上使用が可能になり、日露戦争時は.旅順攻防戦で防御、攻撃の両面で大きな効果を発挿した。戦後、この戦訓に基づき二等巡洋艦高千穂と浪速を機雷敷設用に改造することになったが、浪速は改造前に事故で沈没し、高千穂も実用開始後間もない1914年(大正3年)に戦没したため、その代艦として日露戦争時の戦利巡洋艦「阿蘇」と「津軽」に敷設設備を施し敷設艦とした。
これと並行して1917年(大正6年)の臨時軍事費により、従来のマイン・ボートを拡大した機雷敷設専用の航洋型敷設船が呉海軍工廠で建造され、同年1月に竣工した。 竣工当初は敷設船であったが1920年(大正9年)4月1日に敷設艦に類別された。 敷設艦としては小型で速力も低く、昭和に入ってからはもっぱら測量艦として用いられた。 1942年(昭和17年)7月には特務艦(測量艦)に類別変更され、大戦中も測量業務に従事していたが、1944年(昭和19年)に戦没した。(1)(2)
艦名は岬角名。 神奈川県横須賀半島北東角の勝力埼より。(3)
新造時 | |
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艦種 | 特務船 |
基準排水量 ※1 | 1,540トン |
常備排水量 ※1 | 2,000トン |
水線長 | 73.15m |
最大幅 | 11.91m |
喫水 | 4.27m |
主機 | 直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸 |
主缶 | 艦本式水管缶(石炭専焼)2基 |
出力 | 1,800馬力 |
速力 | 13.0ノット |
燃料 | 石炭:449トン |
航続力 | ? |
兵装 | 40口径安式12cm単装砲2基 5号機雷100個 |
乗員 | 138人 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1915年(大正4年)12月10日 | 特務船「勝力」と命名。 |
1916年(大正5年)5月5日 | 起工。 |
1916年(大正5年)10月5日 | 進水。 |
1916年(大正5年)10月5日 | 敷設船に類別。 本籍を横須賀鎮守府と定める。 |
1917年(大正6年)1月15日 | 竣工。 横須賀防備隊附属。 |
1917年(大正6年)12月5日 | 臨時南洋群島防備隊司令官の指揮下に属せしめらる。 |
1918年(大正7年)5月20日 | 横須賀防備隊附属。 第一予備船。 |
1918年(大正7年)12月1日 | 臨時南洋群島防備隊司令官の指揮下に属せしめらる。 在役船。 |
1919年(大正8年)7月12日 | 横須賀防備隊附属。 第一予備船。 |
1920年(大正9年)4月1日 | 軍艦籍に編入。 敷設艦に類別。 警備艦となる。 |
1920年(大正9年)4月16日 | 呉発。 南洋方面に向かう。 調査と測量。 |
1921年(大正10年)4月16日 | 父島二見着。 のち呉に回航。 |
1921年(大正10年)4月27日 | 第二予備艦となる。 |
1921年(大正10年)6月10日 | 第一予備艦となる。 |
1921年(大正10年)7月15日 | 連合艦隊に編入。 |
1921年(大正10年)7月15日 | 第一艦隊に編入。 |
1921年(大正10年)10月31日 | 第一艦隊附属を解く。 |
1921年(大正10年)10月31日 | 本籍を舞鶴鎮守府に変更。 |
1921年(大正10年)10月31日 | 第二予備艦となる。 |
1921年(大正10年)10月31日 | 第一艦隊から除かれる。 呉鎮守府に所属。 |
1922年(大正11年)3月1日 | 第一予備艦となる。 |
1922年(大正11年)4月1日 | 警備艦となる。 |
1922年(大正11年)4月19日 | 呉発。 南洋方面に向かう。 測量と調査。 |
1922年(大正11年)12月1日 | 本籍を呉鎮守府に変更。 |
1922年(大正11年)12月1日 | 警備艦となる。 |
1923年(大正12年)4月23日 | 横須賀に帰着。 のち呉に回航。 |
1923年(大正12年)6月1日 | 第三予備艦となる。 |
1923年(大正12年)9月1日 | 第一予備艦となる。 |
1923年(大正12年)9月13日〜23日 | 関東大震災の救援に当たる。 |
1923年(大正12年)10月1日 | 第三予備艦となる。 |
1923年(大正12年)11月1日 | 第一予備艦となる。 |
1923年(大正12年)12月1日 | 警備艦となる。 呉防備隊附属。 |
1927年(昭和2年)12月1日 | 第一予備艦となる。 予備艦のまま、呉防備隊附属。 |
1928年(昭和3年)11月1日 | 大礼特別観艦式参列艦となる。 |
1930年(昭和5年)1月22日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1930年(昭和5年)1月24日 | 宮島発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)1月28日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1930年(昭和5年)1月29日 | 呉着。 |
1930年(昭和5年)2月12日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1930年(昭和5年)2月13日 | 呉着。 |
1930年(昭和5年)3月6日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1930年(昭和5年)3月7日 | 呉着。 |
1930年(昭和5年)3月14日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1930年(昭和5年)3月18日 | 呉発。 豊後水道へ。 |
1930年(昭和5年)3月20日 | 豊後水道発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)3月28日 | 呉発。 臼杵着。 |
1930年(昭和5年)3月29日 | 臼杵発。 別府着。 |
1930年(昭和5年)3月30日 | 別府発。 安下庄着。 |
1930年(昭和5年)3月31日 | 安下庄発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)4月17日 | 呉発。 長浜沖着。 |
1930年(昭和5年)4月18日 | 長浜沖発。 臼杵湾着。 |
1930年(昭和5年)4月19日 | 臼杵湾発。 佐伯湾着。 |
1930年(昭和5年)4月23日 | 佐伯湾発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)5月20日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1930年(昭和5年)5月22日 | 呉着。 |
1930年(昭和5年)6月30日 | 呉発。 広島湾へ。 情島着。 |
1930年(昭和5年)7月1日 | 情島発。 引田着。 |
1930年(昭和5年)7月2日 | 引田発。 小松島着。 |
1930年(昭和5年)7月3日 | 小松島発。 椿泊着。 |
1930年(昭和5年)7月4日 | 椿泊発。 和歌浦着。 |
1930年(昭和5年)7月5日 | 和歌浦発。 大阪着。 |
1930年(昭和5年)7月7日 | 大阪発。 高松着。 |
1930年(昭和5年)7月8日 | 高松発。 多度津着。 |
1930年(昭和5年)7月10日 | 多度津発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)8月26日 | 呉発。 本浦着。 |
1930年(昭和5年)8月28日 | 本浦発。 宮島着。 |
1930年(昭和5年)8月30日 | 宮島発。 呉着。 |
1930年(昭和5年)9月10日 | 呉発。 三津浜着。 |
1930年(昭和5年)9月13日 | 三津浜発。 郡中沖着。 |
1930年(昭和5年)9月14日 | 郡中沖発。 小松島へ。 呉鎮守府第二回基本演習開始。 |
1930年(昭和5年)9月16日 | 小松島着。 |
1930年(昭和5年)9月18日 | 小松島発。 |
1930年(昭和5年)9月19日 | 呉着。 |
1930年(昭和5年)9月26日 | 呉発。 同日、呉着。 |
1930年(昭和5年)9月27日 | 呉発。 |
1930年(昭和5年)9月29日 | 鳥羽着。 |
1930年(昭和5年)10月1日 | 鳥羽発。 |
1930年(昭和5年)10月2日 | 横須賀着。 |
1930年(昭和5年)10月11日 | 横須賀発。 |
1930年(昭和5年)10月14日 | 父島着。 |
1930年(昭和5年)10月17日 | 父島発。 第二期演習開始。 |
1930年(昭和5年)10月20日 | 父島着。 |
1930年(昭和5年)10月21日 | 演習中止。 父島発。 神戸へ。 |
1930年(昭和5年)10月24日 | 大阪着。 |
1930年(昭和5年)10月25日 | 大阪発。 神戸着。 |
1930年(昭和5年)10月28日 | 神戸発。 |
1930年(昭和5年)10月29日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)1月26日 | 呉発。 安下庄着。 |
1931年(昭和6年)1月27日 | 安下庄発。 臼杵着。 |
1931年(昭和6年)1月30日 | 臼杵発。 安下庄着。 |
1931年(昭和6年)1月31日 | 安下庄発。 呉着。 |
1931年(昭和6年)2月17日 | 第一船渠に入渠。 |
1931年(昭和6年)2月23日 | 出渠。 |
1931年(昭和6年)3月5日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1931年(昭和6年)3月6日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)3月19日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1931年(昭和6年)3月21日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)3月24日 | 呉発。 臼杵湾着。 |
1931年(昭和6年)3月27日 | 臼杵湾発。 広島湾へ。 |
1931年(昭和6年)3月28日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)4月7日 | 呉発。 広島湾南部へ。 |
1931年(昭和6年)4月8日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)4月20日 | 呉発。 杵築着。 |
1931年(昭和6年)4月23日 | 臼杵着。 |
1931年(昭和6年)4月26日 | 臼杵発。 呉着。 |
1931年(昭和6年)6月24日 | 呉発。 江田内着。 |
1931年(昭和6年)6月25日 | 江田内発。 大黒神島着。 |
1931年(昭和6年)6月26日 | 大黒神島発。 呉着。 |
1931年(昭和6年)9月24日 | 呉発。 臼杵着。 |
1931年(昭和6年)9月27日 | 臼杵発。 亀川沖着。 |
1931年(昭和6年)9月29日 | 亀川沖発。 呉着。 |
1931年(昭和6年)10月5日 | 呉発。 三津浜着。 |
1931年(昭和6年)10月6日 | 三津浜発。 |
1931年(昭和6年)10月7日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)10月17日 | 呉発。 佐伯着。 |
1931年(昭和6年)10月20日 | 佐伯発。 米水津着。 |
1931年(昭和6年)10月21日 | 米水津発。 |
1931年(昭和6年)10月22日 | 呉着。 |
1931年(昭和6年)12月17日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1932年(昭和7年)1月22日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1932年(昭和7年)1月23日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)2月10日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)2月11日 | 佐世保着。 |
1932年(昭和7年)2月12日 | 佐世保発。 |
1932年(昭和7年)2月13日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)2月15日 | 呉発。 郡中沖着。 |
1932年(昭和7年)2月16日 | 郡中沖発。 小泊着。 |
1932年(昭和7年)2月17日 | 小泊発。 神ノ浦着。 |
1932年(昭和7年)2月18日 | 神ノ浦発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)3月16日 | 呉発。 大迫沖着。 |
1932年(昭和7年)3月17日 | 大迫沖発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)3月22日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)3月23日 | 岩松着。 |
1932年(昭和7年)3月24日 | 岩松発。 宇和島着。 |
1932年(昭和7年)3月25日 | 宇和島発。 ?島着。 |
1932年(昭和7年)3月26日 | ?島発。 豊田沖着。 同日、豊田沖発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)4月4日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)4月5日 | 岩松着。 |
1932年(昭和7年)4月8日 | 岩松発。 臼杵着。 |
1932年(昭和7年)4月9日 | 臼杵発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)4月18日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)4月19日 | 佐伯着。 |
1932年(昭和7年)4月20日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1932年(昭和7年)4月22日 | 佐伯発。 亀川着。 |
1932年(昭和7年)4月23日 | 亀川発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)5月12日 | 呉発。 宇品着。 |
1932年(昭和7年)5月13日 | 宇品発。 江田内着。 |
1932年(昭和7年)5月14日 | 江田内発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)6月3日 | 呉発。 広島湾へ。 同日、呉着。 |
1932年(昭和7年)6月15日 | 呉発。 亀ヶ首着。 |
1932年(昭和7年)6月16日 | 亀ヶ首発。 本浦着。 |
1932年(昭和7年)6月18日 | 本浦発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)7月5日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1932年(昭和7年)7月7日 | 新港沖着。 |
1932年(昭和7年)7月8日 | 新港沖発。 宮島着。 |
1932年(昭和7年)7月9日 | 宮島発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)7月12日 | 呉発。 小泊着。 |
1932年(昭和7年)7月13日 | 小泊発。 徳山着。 |
1932年(昭和7年)7月15日 | 徳山発。 呉着。 |
1932年(昭和7年)9月18日 | 呉発。 佐伯着。 |
1932年(昭和7年)9月21日 | 佐伯発。 |
1932年(昭和7年)9月23日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)9月26日 | 呉発。 引田湾着。 |
1932年(昭和7年)9月27日 | 引田湾発。 串本着。 |
1932年(昭和7年)9月28日 | 串本発。 和歌浦着。 |
1932年(昭和7年)9月30日 | 和歌浦発。 |
1932年(昭和7年)10月1日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)10月12日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)10月13日 | 串本着。 同日、串本発。 |
1932年(昭和7年)10月14日 | 紀伊水道御坊錨地着。 |
1932年(昭和7年)10月15日 | 紀伊水道御坊錨地発。 |
1932年(昭和7年)10月16日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)10月19日 | 呉発。 |
1932年(昭和7年)10月20日 | 由良沖を経て和歌浦着。 |
1932年(昭和7年)10月23日 | 和歌浦発。 |
1932年(昭和7年)10月24日 | 和歌浦着。 |
1932年(昭和7年)10月25日 | 和歌浦発。 小松島着。 |
1932年(昭和7年)10月26日 | 小松島発。 由良着。 |
1932年(昭和7年)10月27日 | 由良発。 |
1932年(昭和7年)10月28日 | 楠本着。 |
1932年(昭和7年)10月29日 | 紀伊水道着。 |
1932年(昭和7年)10月30日 | 和歌浦着。 |
1932年(昭和7年)11月1日 | 紀伊水道着。 |
1932年(昭和7年)11月2日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)11月24日 | 呉発。 佐伯着。 |
1932年(昭和7年)11月25日 | 佐伯発。 別府着。 |
1932年(昭和7年)11月26日 | 別府発。 |
1932年(昭和7年)11月27日 | 呉着。 |
1932年(昭和7年)12月14日 | 呉発。 江田内入口着。 |
1932年(昭和7年)12月15日 | 江田内入口発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)1月30日 | 呉発。 笠戸島着。 |
1933年(昭和8年)1月31日 | 笠戸島発。 笠戸浦着。 |
1933年(昭和8年)2月1日 | 笠戸浦発。 徳山着。 |
1933年(昭和8年)2月2日 | 徳山発。 |
1933年(昭和8年)2月3日 | 呉着。 |
1933年(昭和8年)2月13日 | 呉発。 |
1933年(昭和8年)2月14日 | 吉田湾着。 |
1933年(昭和8年)2月18日 | 吉田湾発。 宇和島着。 |
1933年(昭和8年)2月20日 | 宇和島発。 臼杵着。 |
1933年(昭和8年)2月23日 | 臼杵発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)3月6日 | 呉発。 臼杵着。 |
1933年(昭和8年)3月7日 | 臼杵発。 佐伯着。 |
1933年(昭和8年)3月9日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1933年(昭和8年)3月10日 | 佐伯発。 小泊着。 |
1933年(昭和8年)3月11日 | 小泊発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)3月22日 | 呉発。 神ノ浦着。 |
1933年(昭和8年)3月23日 | 神ノ浦発。 三津浜着。 |
1933年(昭和8年)3月24日 | 三津浜発。 本浦着。 |
1933年(昭和8年)3月25日 | 本浦発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)4月4日 | 呉発。 同日、呉着。 |
1933年(昭和8年)4月15日 | 呉発。 臼杵着。 |
1933年(昭和8年)4月16日 | 臼杵発。 佐伯着。 |
1933年(昭和8年)4月18日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1933年(昭和8年)4月19日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1933年(昭和8年)4月20日 | 佐伯発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)5月3日 | 呉発。 同日、呉着。 |
1933年(昭和8年)5月6日 | 呉発。 佐伯着。 |
1933年(昭和8年)5月8日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1933年(昭和8年)5月9日 | 佐伯発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)5月18日 | 呉発。 |
1933年(昭和8年)5月19日 | 佐伯着。 同日、佐伯発。 日出着。 |
1933年(昭和8年)5月21日 | 日出発。 |
1933年(昭和8年)5月22日 | 呉着。 |
1933年(昭和8年)6月11日 | 呉発。 |
1933年(昭和8年)6月12日 | 大阪着。 |
1933年(昭和8年)6月14日 | 大阪発。 小豆島着。 |
1933年(昭和8年)6月15日 | 小豆島発。 多度津着。 |
1933年(昭和8年)6月16日 | 多度津発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)6月25日 | 呉発。 野島着。 |
1933年(昭和8年)6月30日 | 野島発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)7月22日 | 呉発。 久賀(屋代島)着。 |
1933年(昭和8年)7月23日 | 久賀(屋代島)発。 伊保田(屋代島)着。 |
1933年(昭和8年)7月24日 | 伊保田(屋代島)発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)7月30日 | 呉発。 佐伯着。 |
1933年(昭和8年)8月5日 | 佐伯発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)8月9日 | 呉発。 徳山着。 |
1933年(昭和8年)8月10日 | 徳山発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)10月2日 | 呉発。 安下庄着。 |
1933年(昭和8年)10月4日 | 安下庄発。 小泊着。 |
1933年(昭和8年)10月5日 | 小泊発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)10月21日 | 呉発。 広島湾へ。 早瀬瀬戸付近着。 |
1933年(昭和8年)10月22日 | 早瀬瀬戸付近発。 呉着。 |
1933年(昭和8年)11月27日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1933年(昭和8年)12月15日 | 呉発。 宮島着。 |
1933年(昭和8年)12月16日 | 宮島発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)1月18日 | 呉発。 安芸灘へ。 |
1934年(昭和9年)1月19日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)1月24日 | 第一船渠に入渠。 |
1934年(昭和9年)1月30日 | 出渠。 |
1934年(昭和9年)2月14日 | 呉発。 吉田港着。 |
1934年(昭和9年)2月15日 | 宇和島着。 |
1934年(昭和9年)2月16日 | 宇和島発。 佐伯湾着。 |
1934年(昭和9年)2月19日 | 佐伯湾発。 日出着。 |
1934年(昭和9年)2月21日 | 日出発。 |
1934年(昭和9年)2月22日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)3月8日 | 呉発。 江田内着。 |
1934年(昭和9年)3月9日 | 江田内発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)3月16日 | 呉発。 臼杵湾着。 |
1934年(昭和9年)3月17日 | 臼杵湾発。 佐伯湾着。 |
1934年(昭和9年)3月19日 | 佐伯湾発。 米水津着。 |
1934年(昭和9年)3月20日 | 米水津発。 別府着。 |
1934年(昭和9年)3月22日 | 亀川発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)4月19日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1934年(昭和9年)4月25日 | 呉発。 安芸灘へ。 |
1934年(昭和9年)4月26日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)5月1日 | 呉発。 岩松着。 |
1934年(昭和9年)5月2日 | 豊後水道発。 |
1934年(昭和9年)5月3日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)5月7日 | 呉発。 豊後水道へ。 |
1934年(昭和9年)5月10日 | 平城湾着。 |
1934年(昭和9年)5月12日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)6月7日 | 呉発。 宮島を経て鹿島着。 |
1934年(昭和9年)6月8日 | 鹿島発。 八幡浜着。 |
1934年(昭和9年)6月9日 | 八幡浜発。 臼杵湾着。 |
1934年(昭和9年)6月11日 | 臼杵湾発。 佐伯湾日向泊着。 |
1934年(昭和9年)6月12日 | 佐伯湾日向泊発。 亀川着。 |
1934年(昭和9年)6月13日 | 亀川発。 佐賀関着。 |
1934年(昭和9年)6月14日 | 佐賀関発。 三津浜着。 |
1934年(昭和9年)6月16日 | 三津浜発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)6月24日 | 呉発。 大三島沖着。 |
1934年(昭和9年)6月25日 | 大三島沖発。 大崎上島、弓削島を経て鞆着。 |
1934年(昭和9年)6月26日 | 鞆発。 粟島を経て多度津着。 |
1934年(昭和9年)6月27日 | 多度津発。 下津井を経て呉着。 |
1934年(昭和9年)6月30日 | 呉発。 佐伯着。 |
1934年(昭和9年)7月1日 | 佐伯発。 小松島着。 |
1934年(昭和9年)7月2日 | 小松島発。 田辺湾着。 |
1934年(昭和9年)7月3日 | 田辺湾発。 |
1934年(昭和9年)7月4日 | 小松島着。 同日、小松島発。 |
1934年(昭和9年)7月5日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)7月7日 | 呉発。 安芸灘へ。 本浦着。 |
1934年(昭和9年)7月10日 | 斉島発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)7月23日 | 呉発。 |
1934年(昭和9年)7月24日 | 大阪着。 |
1934年(昭和9年)7月31日 | 大阪発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)8月25日 | 呉発。 宇品着。 |
1934年(昭和9年)8月26日 | 宇品発。 |
1934年(昭和9年)8月28日 | 別府着。 |
1934年(昭和9年)8月29日 | 別府発。 呉着。 |
1934年(昭和9年)9月22日 | 呉発。 |
1934年(昭和9年)9月24日 | 大阪着。 |
1934年(昭和9年)9月27日 | 大阪発。 |
1934年(昭和9年)9月28日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)10月3日 | 呉発。 伊予灘へ。 呉着。 |
1934年(昭和9年)10月13日 | 呉発。 小豆島着。 |
1934年(昭和9年)10月14日 | 小豆島発。 小松島着。 |
1934年(昭和9年)10月15日 | 小松島発。 由良着。 |
1934年(昭和9年)10月16日 | 由良発。 和歌ノ浦着。 |
1934年(昭和9年)10月17日 | 和歌ノ浦発。 洲本着。 |
1934年(昭和9年)10月18日 | 洲本発。 神戸着。 |
1934年(昭和9年)10月20日 | 神戸発。 |
1934年(昭和9年)10月21日 | 須崎着。 |
1934年(昭和9年)10月24日 | 須崎発。 |
1934年(昭和9年)10月25日 | 呉着。 |
1934年(昭和9年)12月15日 | 呉防備隊附属から除かれる。 呉防備戦隊に編入。 |
1934年(昭和9年)12月17日 | 呉発。 宮島着。 |
1934年(昭和9年)12月18日 | 宮島発。 呉着。 |
1935年(昭和10年)1月11日 | 第二船渠に入渠。 |
1935年(昭和10年)1月18日 | 出渠。 |
1935年(昭和10年)1月21日 | 呉発。 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)1月22日 | 佐伯発。 米水津着。 |
1935年(昭和10年)1月23日 | 米水津発。 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)1月24日 | 佐伯発。 臼杵着。 |
1935年(昭和10年)1月25日 | 臼杵発。 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)1月27日 | 佐伯発。 豊後水道へ。 |
1935年(昭和10年)1月29日 | 佐伯発。 呉着。 |
1935年(昭和10年)2月7日 | 呉発。 下関海峡東口着。 |
1935年(昭和10年)2月8日 | 下関海峡東口発。 油谷湾着。 |
1935年(昭和10年)2月9日 | 油谷湾発。 演習地へ。 |
1935年(昭和10年)2月10日 | 油谷湾発。 演習地へ。 |
1935年(昭和10年)2月11日 | 油谷湾発。 博多を経て呉へ。 |
1935年(昭和10年)2月12日 | 呉着。 |
1935年(昭和10年)2月19日 | 呉発。 |
1935年(昭和10年)2月20日 | 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)2月25日 | 佐伯発。 |
1935年(昭和10年)2月26日 | 呉着。 |
1935年(昭和10年)3月10日 | 呉発。 臼杵着。 |
1935年(昭和10年)3月11日 | 臼杵発。 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)3月13日 | 佐伯発。 演習地へ。 |
1935年(昭和10年)3月15日 | 佐伯発。 呉着。 |
1935年(昭和10年)3月25日 | 呉発。 佐伯着。 |
1935年(昭和10年)3月29日 | 臼杵発。 呉着。 |
1935年(昭和10年)6月24日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1935年(昭和10年)6月26日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1935年(昭和10年)7月1日 | 呉防備戦隊から除かれる。 測量兼警備艦となる。 |
1935年(昭和10年)7月10日 | 呉発。 広島湾へ。 呉着。 |
1935年(昭和10年)7月16日 | 呉発。 中城湾へ。 |
1935年(昭和10年)7月19日 | 馬天港着。 |
1935年(昭和10年)7月23日 | 馬天港発。 久高島着。 |
1935年(昭和10年)7月24日 | 測量任務。 |
1935年(昭和10年)7月25日 | 久高島発。 那覇着。 |
1935年(昭和10年)7月28日 | 那覇発。 名護湾着。 |
1935年(昭和10年)7月30日 | 名護湾発。 慶良間水道着。 |
1935年(昭和10年)8月2日 | 慶良間列島発。 座喜味城着。 |
1935年(昭和10年)8月3日 | 座喜味城発。 作業地へ。 |
1935年(昭和10年)8月4日 | 座喜味城発。 測量地へ。 嘉手納着。 |
1935年(昭和10年)8月5日 | 嘉手納発。 測量地へ。 読谷村沖着。 |
1935年(昭和10年)8月6日 | 読谷村沖発。 測量地へ。 那覇着。 |
1935年(昭和10年)8月7日 | 那覇発。 中城湾馬天港着。 |
1935年(昭和10年)8月11日 | 馬天港発。 佐世保へ。 |
1935年(昭和10年)8月14日 | 佐世保着。 |
1935年(昭和10年)8月20日 | 佐世保発。 仁川へ。 |
1935年(昭和10年)8月22日 | 仁川着。 |
1935年(昭和10年)8月25日 | 仁川発。 作業地へ。 木徳島西方作業地着。 |
1935年(昭和10年)8月26日〜9月1日 | 測量任務。 |
1935年(昭和10年)9月2日 | 木徳島西方作業地発。 仁川着。 |
1935年(昭和10年)9月10日 | 仁川発。 木徳島北方作業地着。 |
1935年(昭和10年)9月11日 | 測量任務。 |
1935年(昭和10年)9月12日 | 木徳島北方作業地発。 |
1935年(昭和10年)9月13日 | 於青島着。 |
1935年(昭和10年)9月14日〜16日 | 測量任務。 |
1935年(昭和10年)9月16日 | 北格列飛列島着。 |
1935年(昭和10年)9月17日〜18日 | 測量任務。 |
1935年(昭和10年)9月19日 | 徳積島着。 |
1935年(昭和10年)9月20日 | 徳積島発。 仁川着。 |
1935年(昭和10年)9月21日 | 仁川港船渠に入渠。 |
1935年(昭和10年)9月30日 | 出渠。 仁川発。 呉へ。 |
1935年(昭和10年)10月3日 | 呉着。 |
1935年(昭和10年)11月18日 | 呉発。 |
1935年(昭和10年)11月18日 | 呉発。 南洋方面に向かう。 測量と調査。 |
1935年(昭和10年)12月5日 | パラオ着。 |
1935年(昭和10年)12月12日 | パラオ発。 測量任務。 |
1935年(昭和10年)12月27日 | パラオ着。 |
1936年(昭和11年)3月3日 | 呉着。 整備休養。 |
1936年(昭和11年)4月18日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)5月10日 | 馬公着。 待機。 |
1936年(昭和11年)5月15日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)6月8日 | 馬公着。 待機。 |
1936年(昭和11年)6月13日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)7月9日 | 馬公着。 待機。 |
1936年(昭和11年)7月15日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)8月9日 | 馬公着。 待機。 |
1936年(昭和11年)8月18日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)9月8日 | 馬公着。 待機。 |
1936年(昭和11年)9月15日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1936年(昭和11年)10月1日 | 馬公着。 待機。 馬公要港部司令官の指揮を解かれ、呉に回航。 |
1936年(昭和11年)10月3日 | 馬公発。 |
1936年(昭和11年)10月9日 | 安下庄着。 |
1936年(昭和11年)10月10日 | 安下庄発。 呉着。 |
1936年(昭和11年)10月13日 | 第一船渠に入渠。 |
1936年(昭和11年)10月21日 | 出渠。 |
1936年(昭和11年)10月24日 | 呉発。 大三島着。 |
1936年(昭和11年)10月25日 | 大三島発。 |
1936年(昭和11年)10月26日 | 大阪(大桟橋北側A)着。 |
1936年(昭和11年)10月27日 | 大阪発。 昭和十一年特別大演習観艦式予行。 大阪着。 |
1936年(昭和11年)10月29日 | 大阪発。 昭和十一年特別大演習観艦式。 大阪着。 |
1936年(昭和11年)10月30日 | 大阪発。 小豆島着。 |
1936年(昭和11年)11月1日 | 小豆島発。 多度津着。 |
1936年(昭和11年)11月2日 | 多度津発。 呉着。 |
1936年(昭和11年)12月9日 | 呉発。 音測を行いながら須崎へ。 |
1936年(昭和11年)12月16日 | 須崎着。 |
1936年(昭和11年)12月21日 | 須崎発。 音測を行いながら鳥羽へ。 |
1936年(昭和11年)12月27日 | 鳥羽着。 |
1937年(昭和12年)1月7日 | 鳥羽発。 音測を行いながら下田へ。 |
1937年(昭和12年)1月9日 | 下田着。 同日、下田発。 音測を行いながら清水へ。 |
1937年(昭和12年)1月16日 | 清水着。 |
1937年(昭和12年)1月20日 | 清水発。 音測を行いながら横須賀へ。 |
1937年(昭和12年)1月26日 | 横須賀着。 |
1937年(昭和12年)2月4日 | 横須賀発。 音測を行いながら呉へ。 |
1937年(昭和12年)2月10日 | 呉着。 |
1937年(昭和12年)3月20日 | 呉発。 馬公へ。 |
1937年(昭和12年)3月25日 | 馬公着。 |
1937年(昭和12年)3月27日 | 馬公発。 イツアバ島へ。 測量任務。 |
1937年(昭和12年)3月31日 | イツアバ島着。 |
1937年(昭和12年)4月1日〜22日 | 測量任務。 |
1937年(昭和12年)4月23日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)4月27日 | 高雄発。 支那沿海に向かう。 |
1937年(昭和12年)5月17日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)5月21日 | 高雄発。 支那沿海に向かう。 |
1937年(昭和12年)6月14日 | 基隆着。 待機。 |
1937年(昭和12年)6月29日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1937年(昭和12年)7月17日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)7月28日 | 支那事変勃発。 基隆発。 支那沿海を航海。 |
1937年(昭和12年)8月17日 | 高雄着。 待機。 |
1937年(昭和12年)8月25日 | 馬公廃、支那沿海を航海。 |
1937年(昭和12年)9月8日 | 南支沿岸の警備任務につく。 |
1937年(昭和12年)9月10日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)9月10日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1937年(昭和12年)9月19日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)9月24日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1937年(昭和12年)10月19日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)10月25日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1937年(昭和12年)10月29日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)11月4日 | 高雄発。 南支方面に向かう。 |
1937年(昭和12年)12月1日 | 支那方面艦隊に附属。 |
1937年(昭和12年)12月25日 | 馬公着。 待機。 |
1937年(昭和12年)12月31日 | 高雄発。 馬公を経て呉へ。 |
1938年(昭和13年)3月 | 支那方面艦隊第一特務隊に部署され、測量任務を下令される。 |
1938年(昭和13年)3月24日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1938年(昭和13年)6月1日 | 馬公着。 待機。 |
1938年(昭和13年)6月7日 | 高雄発。 南支方面に向かう。 |
1938年(昭和13年)6月24日 | 馬公着。 待機。 |
1938年(昭和13年)6月28日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1938年(昭和13年)7月14日 | 馬公着。 待機。 |
1938年(昭和13年)7月18日 | 高雄発。 南支方面に向かう。 |
1938年(昭和13年)7月27日 | 馬公着。 待機。 以後、呉に帰投。 整備、休養。 |
1938年(昭和13年)10月12日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1938年(昭和13年)11月30日 | 馬公着。 待機。 |
1938年(昭和13年)12月6日 | 高雄発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)2月20日 | 馬公着。 補給。 |
1939年(昭和14年)2月27日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)5月9日 | 馬公着。 待機。 |
1939年(昭和14年)5月16日 | 高雄発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)5月29日 | 馬公着。 待機。 |
1939年(昭和14年)5月30日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)7月26日 | 馬公着。 待機。 |
1939年(昭和14年)8月6日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)10月16日 | 馬公着。 待機。 |
1939年(昭和14年)10月22日 | 馬公発。 南支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 連合艦隊に附属。 |
1940年(昭和15年)1月4日 | 呉着。 整備休養。 |
1940年(昭和15年)2月24日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1940年(昭和15年)3月20日 | 高雄着。 待機。 |
1940年(昭和15年)3月28日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1940年(昭和15年)4月21日 | 高雄着。 待機。 |
1940年(昭和15年)5月3日 | 馬公発。 支那沿海に向かう。 |
1940年(昭和15年)5月22日 | 馬公着。 待機。 |
1940年(昭和15年)6月1日 | 連合艦隊附属から除かれる。 呉鎮守府に所属。 測量兼警備艦と定められる。 支那方面艦隊司令長官の作戦指揮を解かれる。 |
1940年(昭和15年)6月24日 | 横須賀発。 南洋方面に向かう。 測量任務。 |
1940年(昭和15年)10月8日 | 横須賀着。 補給休養。 第四艦隊司令長官の作戦指揮下に入る。 |
1940年(昭和15年)10月31日 | 横須賀発。 南洋方面に向かう。 測量任務。 |
1940年(昭和15年)12月14日 | 横須賀着。 待機。 第四艦隊司令長官の作戦指揮を解かれる。 |
1941年(昭和16年)2月15日 | 高雄発。 支那沿海に向かう。 |
1941年(昭和16年)3月21日 | 高雄着。 待機。 |
1941年(昭和16年)3月23日 | 高雄発。 支那沿海に向かう。 |
1941年(昭和16年)4月16日 | 馬公着。 待機。 |
1941年(昭和16年)4月23日 | 高雄発。 支那沿海に向かう。 |
1941年(昭和16年)6月16日 | 馬公着。 待機。 |
1941年(昭和16年)6月30日 | 横須賀発。 南洋方面に向かう。 |
1941年(昭和16年)9月1日 | 呉鎮守府部隊所属となる。 |
1941年(昭和16年)11月17日 | ヤルート発。 横須賀に向かう。 |
1941年(昭和16年)12月6日 | 呉鏡守府部隊主隊に部署され、呉鎮守府司令長官の指押下に入り、見張り替戒、攻撃を下令される。 |
1941年(昭和16年)12月11日 | 横須賀着。 待機。 |
1941年(昭和16年)12月18日 | 横須賀発。 呉に回航。 整備休養。 |
1942年(昭和17年)1月12日 | 呉工廠に入渠、整備修理。 |
1942年(昭和17年)1月19日 | 出渠。 |
1942年(昭和17年)3月1日 | 呉発。 横須賀に向かう。 |
1942年(昭和17年)3月3日 | 第三測量隊の人員、器材を収容搭載、待機。 |
1942年(昭和17年)3月10日 | 連合艦隊第一南遣艦隊に附属。 南方部隊席来部隊附属部隊に部署され、測量任務を下令される。 |
1942年(昭和17年)3月16日 | 横須賀発。 サイゴンに向かう。 |
1942年(昭和17年)3月28日 | サイゴン着。 待機。 |
1942年(昭和17年)3月31日 | サイゴン発。 シンガポールに向かう。 |
1942年(昭和17年)4月3日 | シンガポール着。 待機。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | 戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第一南遣艦隊附属。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | 第一南遣艦隊は南西方面艦隊に部署される。 |
1942年(昭和17年)4月14日 | シンガポール発。 ペナンに向かう。 |
1942年(昭和17年)4月16日 | ペナン着。 待機。 |
1942年(昭和17年)4月19日 | ペナン発。 マラッカ海峡ほかの測量に当たる。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | 南方部隊は南西方面部隊と改称。 |
1942年(昭和17年)6月11日 | マレー半島西岸メルギー着。 待機。 |
1942年(昭和17年)6月19日 | メルギー発。 沿岸の測量に当たる。 |
1942年(昭和17年)7月20日 | 軍艦籍より除かれ、特務艦となり測量艦に類別される。 南西方面部隊馬来部隊附属部隊に部署され、南西方面艦隊司令長官、第一南遣艦隊司令長官の指揮下に入り、測量任務に従事を下令される。 |
1943年(昭和18年)6月25日 | 連合艦隊南西方面艦隊附属となる。 |
1943年(昭和18年)6月25日 | 連合艦隊南西方面艦隊に附属。 第三測量隊は解隊。 艦の根拠地はスラバヤとなる。 |
1943年(昭和18年)7月8日 | スラバヤ発。 西部ニューギニア、ハルマヘラ方面の測量任務に向かう。 |
1944年(昭和19年)3月25日 | スラバヤ着。 補給待機。 |
1944年(昭和19年)6月1日 | マカッサル着。 |
1944年(昭和19年)6月2日 | 8:21 石炭桟橋に横付け、石炭搭載123t。 15:23 石炭搭載終了、離岸。 |
1944年(昭和19年)6月4日 | マカッサル発。 |
1944年(昭和19年)6月6日 | ベスビオス湾着。 |
1944年(昭和19年)6月7日 | ベスビオス湾発。 |
1944年(昭和19年)6月8日 | ソロン着。 託送品揚荷。 |
1944年(昭和19年)6月9日 | 便乗者(第一〇七防空隊員)91名退艦、測量艇3隻、人員揚収。 |
1944年(昭和19年)6月9日 | ソロン発。 ミゾール島沖着。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | ゾール島沖発。 |
1944年(昭和19年)6月14日 | マカッサル着。 |
1944年(昭和19年)6月15日 | 8:22 石炭桟橋に横付け、石炭搭載230t。 15:39 石炭搭載終了、離岸。 |
1944年(昭和19年)6月17日 | マカッサル発。 |
1944年(昭和19年)6月19日 | スラバヤ着。 |
1944年(昭和19年)6月23日 | 清水搭載。 |
1944年(昭和19年)6月27日 | 12:10 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 17:05 離岸。 |
1944年(昭和19年)6月29日 | 8:20 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 17:05 離岸。 |
1944年(昭和19年)6月30日 | 8:46 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 14:00 測量器材揚収。 17:20 離岸。 |
1944年(昭和19年)7月4日 | 5:55 測量器材、生糧品託送品搭載。 10:07 海軍桟橋一区に横付け。 14:52 離岸。 16:00 測量艇揚収。 |
1944年(昭和19年)7月5日 | スラバヤ発。 |
1944年(昭和19年)7月6日 | ラウト海峡着。 |
1944年(昭和19年)7月7日 | ラウト海峡発。 バリクパパン着。 |
1944年(昭和19年)7月8日 | 石炭搭載155t、第三測量班先発隊及び測量艇1隻を卸す。 |
1944年(昭和19年)7月9日 | 石炭搭載。 |
1944年(昭和19年)7月10日 | バリクパパン発。 |
1944年(昭和19年)7月11日 | デラワン着。 |
1944年(昭和19年)7月12日 | デラワン発。 タラカン着。 第一測量班人員、器材、測量艇を卸す。 |
1944年(昭和19年)7月13日 | 託送品揚陸。 |
1944年(昭和19年)7月15日 | タラカン発。 |
1944年(昭和19年)7月16日 | マニンボラ着。 同日、マニンボラ発。 サンクラング湾着。 同日、サンクラング湾発。 |
1944年(昭和19年)7月17日 | バリクパパン着。 |
1944年(昭和19年)7月19日 | 8:20 石炭桟橋二区に横付け、石炭搭載195t。 16:45 石炭搭載終了、離岸。 |
1944年(昭和19年)7月21日 | バリクパパン発。 |
1944年(昭和19年)7月22日 | ラウト海峡南口着。 |
1944年(昭和19年)7月23日 | ラウト海峡南口発。 |
1944年(昭和19年)7月24日 | 浮流機雷銃撃処分。 スラバヤ着。 |
1944年(昭和19年)7月25日 | 真水搭載90t。 |
1944年(昭和19年)8月7日 | 器材揚収。 |
1944年(昭和19年)8月8日 | スラバヤ発。 |
1944年(昭和19年)8月11日 | ロバム島西方着。 |
1944年(昭和19年)8月12日 | ロバム島西方発。 シンガポール(軍港二号岸壁)着。 |
1944年(昭和19年)8月13日 | 測量器材揚収、燃料生糧品搭載(8:16まで)。 |
1944年(昭和19年)8月17日 | 託送品揚収、便乗者乗艦。 |
1944年(昭和19年)8月18日 | シンガポール発。 |
1944年(昭和19年)8月19日 | ベラニ岬沖着。 |
1944年(昭和19年)8月20日 | ベラニ岬沖発。 漂流中の民間船より現地人1名救助 |
1944年(昭和19年)8月22日 | スラバヤ着。 |
1944年(昭和19年)8月23日 | 便乗者退艦、託送品揚陸。 |
1944年(昭和19年)8月27日 | 9:30 海軍桟橋に横付け託送品搭載。 16:30 離岸、漂泊。 |
1944年(昭和19年)8月28日 | スラバヤ発。 |
1944年(昭和19年)8月29日 | ラウト海峡北口着。 |
1944年(昭和19年)8月30日 | ラウト海峡北口発。 バリクパパン着。 |
1944年(昭和19年)8月31日 | 燃料搭載。 |
1944年(昭和19年)9月17日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)9月21日 | 早朝マニラ発。 アメリカ機動部隊艦上機群約60機と交戦、3機撃墜と報告。 重傷者を付近航行中の病院船高砂丸に移す。 10:30マニラ湾南西約80狸ルバング島北西沖において、アメリカ潜水艦「ハッド (Haddo) 」の雷撃を受け沈没。 |
1944年(昭和19年)11月10日 | 除籍。 |
勝力の履歴データの一部は戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。
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