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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

日本海軍では明治初年以来、機雷は軍港や要港などの局地防御用兵器と考えられていた。しかし明治30年頃に機雷の自動係維装置が発案された結果、洋上使用が可能になり、日露戦争時は.旅順攻防戦で防御、攻撃の両面で大きな効果を発挿した。戦後、この戦訓に基づき二等巡洋艦高千穂と浪速を機雷敷設用に改造することになったが、浪速は改造前に事故で沈没し、高千穂も実用開始後間もない1914年(大正3年)に戦没したため、その代艦として日露戦争時の戦利巡洋艦「阿蘇」と「津軽」に敷設設備を施し敷設艦とした。

これと並行して1917年(大正6年)の臨時軍事費により、従来のマイン・ボートを拡大した機雷敷設専用の航洋型敷設船が呉海軍工廠で建造され、同年1月に竣工した。 竣工当初は敷設船であったが1920年(大正9年)4月1日に敷設艦に類別された。 敷設艦としては小型で速力も低く、昭和に入ってからはもっぱら測量艦として用いられた。 1942年(昭和17年)7月には特務艦(測量艦)に類別変更され、大戦中も測量業務に従事していたが、1944年(昭和19年)に戦没した。(1)(2)

艦名

艦名は岬角名。 神奈川県横須賀半島北東角の勝力埼より。(3)

要目(1)(4)

新造時
艦種特務船
基準排水量 ※11,540トン
常備排水量 ※12,000トン
水線長73.15m
最大幅11.91m
喫水4.27m
主機直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸
主缶艦本式水管缶(石炭専焼)2基
出力1,800馬力
速力13.0ノット
燃料石炭:449トン
航続力
兵装40口径安式12cm単装砲2基
5号機雷100個
乗員138人
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

履歴(5)(6)(7)

年月日履歴
1915年(大正4年)12月10日特務船「勝力」と命名。
1916年(大正5年)5月5日起工。
1916年(大正5年)10月5日進水。
1916年(大正5年)10月5日敷設船に類別。 本籍を横須賀鎮守府と定める。
1917年(大正6年)1月15日竣工。 横須賀防備隊附属。
1917年(大正6年)12月5日臨時南洋群島防備隊司令官の指揮下に属せしめらる。
1918年(大正7年)5月20日横須賀防備隊附属。 第一予備船。
1918年(大正7年)12月1日臨時南洋群島防備隊司令官の指揮下に属せしめらる。 在役船。
1919年(大正8年)7月12日横須賀防備隊附属。 第一予備船。
1920年(大正9年)4月1日軍艦籍に編入。 敷設艦に類別。 警備艦となる。
1920年(大正9年)4月16日呉発。 南洋方面に向かう。 調査と測量。
1921年(大正10年)4月16日父島二見着。 のち呉に回航。
1921年(大正10年)4月27日第二予備艦となる。
1921年(大正10年)6月10日第一予備艦となる。
1921年(大正10年)7月15日連合艦隊に編入。
1921年(大正10年)7月15日第一艦隊に編入。
1921年(大正10年)10月31日第一艦隊附属を解く。
1921年(大正10年)10月31日本籍を舞鶴鎮守府に変更。
1921年(大正10年)10月31日第二予備艦となる。
1921年(大正10年)10月31日第一艦隊から除かれる。 呉鎮守府に所属。
1922年(大正11年)3月1日第一予備艦となる。
1922年(大正11年)4月1日警備艦となる。
1922年(大正11年)4月19日呉発。 南洋方面に向かう。 測量と調査。 
1922年(大正11年)12月1日本籍を呉鎮守府に変更。
1922年(大正11年)12月1日警備艦となる。
1923年(大正12年)4月23日横須賀に帰着。 のち呉に回航。 
1923年(大正12年)6月1日第三予備艦となる。
1923年(大正12年)9月1日第一予備艦となる。
1923年(大正12年)9月13日〜23日関東大震災の救援に当たる。 
1923年(大正12年)10月1日第三予備艦となる。
1923年(大正12年)11月1日第一予備艦となる。
1923年(大正12年)12月1日警備艦となる。 呉防備隊附属。
1927年(昭和2年)12月1日第一予備艦となる。 予備艦のまま、呉防備隊附属。
1928年(昭和3年)11月1日大礼特別観艦式参列艦となる。
1930年(昭和5年)1月22日呉発。 広島湾へ。
1930年(昭和5年)1月24日宮島発。 呉着。 
1930年(昭和5年)1月28日呉発。 広島湾へ。
1930年(昭和5年)1月29日呉着。 
1930年(昭和5年)2月12日呉発。 広島湾へ。
1930年(昭和5年)2月13日呉着。 
1930年(昭和5年)3月6日呉発。 広島湾へ。
1930年(昭和5年)3月7日呉着。 
1930年(昭和5年)3月14日呉発。 広島湾へ。 呉着。 
1930年(昭和5年)3月18日呉発。 豊後水道へ。
1930年(昭和5年)3月20日豊後水道発。 呉着。 
1930年(昭和5年)3月28日呉発。 臼杵着。
1930年(昭和5年)3月29日臼杵発。 別府着。
1930年(昭和5年)3月30日別府発。 安下庄着。
1930年(昭和5年)3月31日安下庄発。 呉着。
1930年(昭和5年)4月17日呉発。 長浜沖着。
1930年(昭和5年)4月18日長浜沖発。 臼杵湾着。
1930年(昭和5年)4月19日臼杵湾発。 佐伯湾着。
1930年(昭和5年)4月23日佐伯湾発。 呉着。
1930年(昭和5年)5月20日呉発。 広島湾へ。
1930年(昭和5年)5月22日呉着。 
1930年(昭和5年)6月30日呉発。 広島湾へ。 情島着。
1930年(昭和5年)7月1日情島発。 引田着。
1930年(昭和5年)7月2日引田発。 小松島着。
1930年(昭和5年)7月3日小松島発。 椿泊着。
1930年(昭和5年)7月4日椿泊発。 和歌浦着。
1930年(昭和5年)7月5日和歌浦発。 大阪着。
1930年(昭和5年)7月7日大阪発。 高松着。
1930年(昭和5年)7月8日高松発。 多度津着。
1930年(昭和5年)7月10日多度津発。 呉着。
1930年(昭和5年)8月26日呉発。 本浦着。
1930年(昭和5年)8月28日本浦発。 宮島着。
1930年(昭和5年)8月30日宮島発。 呉着。 
1930年(昭和5年)9月10日呉発。 三津浜着。
1930年(昭和5年)9月13日三津浜発。 郡中沖着。
1930年(昭和5年)9月14日郡中沖発。 小松島へ。 呉鎮守府第二回基本演習開始。
1930年(昭和5年)9月16日小松島着。
1930年(昭和5年)9月18日小松島発。 
1930年(昭和5年)9月19日呉着。 
1930年(昭和5年)9月26日呉発。 同日、呉着。 
1930年(昭和5年)9月27日呉発。 
1930年(昭和5年)9月29日鳥羽着。
1930年(昭和5年)10月1日鳥羽発。
1930年(昭和5年)10月2日横須賀着。
1930年(昭和5年)10月11日横須賀発。 
1930年(昭和5年)10月14日父島着。
1930年(昭和5年)10月17日父島発。 第二期演習開始。
1930年(昭和5年)10月20日父島着。
1930年(昭和5年)10月21日演習中止。 父島発。 神戸へ。
1930年(昭和5年)10月24日大阪着。
1930年(昭和5年)10月25日大阪発。 神戸着。
1930年(昭和5年)10月28日神戸発。
1930年(昭和5年)10月29日呉着。 
1931年(昭和6年)1月26日呉発。 安下庄着。
1931年(昭和6年)1月27日安下庄発。 臼杵着。
1931年(昭和6年)1月30日臼杵発。 安下庄着。
1931年(昭和6年)1月31日安下庄発。 呉着。
1931年(昭和6年)2月17日第一船渠に入渠。
1931年(昭和6年)2月23日出渠。
1931年(昭和6年)3月5日呉発。 広島湾へ。
1931年(昭和6年)3月6日呉着。 
1931年(昭和6年)3月19日呉発。 広島湾へ。
1931年(昭和6年)3月21日呉着。 
1931年(昭和6年)3月24日呉発。 臼杵湾着。
1931年(昭和6年)3月27日臼杵湾発。 広島湾へ。
1931年(昭和6年)3月28日呉着。 
1931年(昭和6年)4月7日呉発。 広島湾南部へ。
1931年(昭和6年)4月8日呉着。 
1931年(昭和6年)4月20日呉発。 杵築着。
1931年(昭和6年)4月23日臼杵着。
1931年(昭和6年)4月26日臼杵発。 呉着。
1931年(昭和6年)6月24日呉発。 江田内着。
1931年(昭和6年)6月25日江田内発。 大黒神島着。
1931年(昭和6年)6月26日大黒神島発。 呉着。
1931年(昭和6年)9月24日呉発。 臼杵着。
1931年(昭和6年)9月27日臼杵発。 亀川沖着。
1931年(昭和6年)9月29日亀川沖発。 呉着。
1931年(昭和6年)10月5日呉発。 三津浜着。
1931年(昭和6年)10月6日三津浜発。
1931年(昭和6年)10月7日呉着。 
1931年(昭和6年)10月17日呉発。 佐伯着。
1931年(昭和6年)10月20日佐伯発。 米水津着。
1931年(昭和6年)10月21日米水津発。
1931年(昭和6年)10月22日呉着。 
1931年(昭和6年)12月17日呉発。 広島湾へ。 呉着。 
1932年(昭和7年)1月22日呉発。 広島湾へ。 
1932年(昭和7年)1月23日呉着。 
1932年(昭和7年)2月10日呉発。
1932年(昭和7年)2月11日佐世保着。
1932年(昭和7年)2月12日佐世保発。
1932年(昭和7年)2月13日呉着。 
1932年(昭和7年)2月15日呉発。 郡中沖着。
1932年(昭和7年)2月16日郡中沖発。 小泊着。
1932年(昭和7年)2月17日小泊発。 神ノ浦着。
1932年(昭和7年)2月18日神ノ浦発。 呉着。
1932年(昭和7年)3月16日呉発。 大迫沖着。
1932年(昭和7年)3月17日大迫沖発。 呉着。
1932年(昭和7年)3月22日呉発。
1932年(昭和7年)3月23日岩松着。
1932年(昭和7年)3月24日岩松発。 宇和島着。
1932年(昭和7年)3月25日宇和島発。 ?島着。
1932年(昭和7年)3月26日?島発。 豊田沖着。 同日、豊田沖発。 呉着。
1932年(昭和7年)4月4日呉発。
1932年(昭和7年)4月5日岩松着。
1932年(昭和7年)4月8日岩松発。 臼杵着。
1932年(昭和7年)4月9日臼杵発。 呉着。
1932年(昭和7年)4月18日呉発。
1932年(昭和7年)4月19日佐伯着。
1932年(昭和7年)4月20日佐伯発。 同日、佐伯着。
1932年(昭和7年)4月22日佐伯発。 亀川着。
1932年(昭和7年)4月23日亀川発。 呉着。
1932年(昭和7年)5月12日呉発。 宇品着。
1932年(昭和7年)5月13日宇品発。 江田内着。
1932年(昭和7年)5月14日江田内発。 呉着。
1932年(昭和7年)6月3日呉発。 広島湾へ。 同日、呉着。
1932年(昭和7年)6月15日呉発。 亀ヶ首着。
1932年(昭和7年)6月16日亀ヶ首発。 本浦着。
1932年(昭和7年)6月18日本浦発。 呉着。
1932年(昭和7年)7月5日呉発。 広島湾へ。
1932年(昭和7年)7月7日新港沖着。
1932年(昭和7年)7月8日新港沖発。 宮島着。
1932年(昭和7年)7月9日宮島発。 呉着。
1932年(昭和7年)7月12日呉発。 小泊着。
1932年(昭和7年)7月13日小泊発。 徳山着。
1932年(昭和7年)7月15日徳山発。 呉着。
1932年(昭和7年)9月18日呉発。 佐伯着。
1932年(昭和7年)9月21日佐伯発。
1932年(昭和7年)9月23日呉着。 
1932年(昭和7年)9月26日呉発。 引田湾着。
1932年(昭和7年)9月27日引田湾発。 串本着。
1932年(昭和7年)9月28日串本発。 和歌浦着。
1932年(昭和7年)9月30日和歌浦発。
1932年(昭和7年)10月1日呉着。 
1932年(昭和7年)10月12日呉発。 
1932年(昭和7年)10月13日串本着。 同日、串本発。
1932年(昭和7年)10月14日紀伊水道御坊錨地着。
1932年(昭和7年)10月15日紀伊水道御坊錨地発。
1932年(昭和7年)10月16日呉着。 
1932年(昭和7年)10月19日呉発。
1932年(昭和7年)10月20日由良沖を経て和歌浦着。
1932年(昭和7年)10月23日和歌浦発。
1932年(昭和7年)10月24日和歌浦着。
1932年(昭和7年)10月25日和歌浦発。 小松島着。
1932年(昭和7年)10月26日小松島発。 由良着。
1932年(昭和7年)10月27日由良発。 
1932年(昭和7年)10月28日楠本着。
1932年(昭和7年)10月29日紀伊水道着。
1932年(昭和7年)10月30日和歌浦着。
1932年(昭和7年)11月1日紀伊水道着。
1932年(昭和7年)11月2日呉着。 
1932年(昭和7年)11月24日呉発。 佐伯着。
1932年(昭和7年)11月25日佐伯発。 別府着。
1932年(昭和7年)11月26日別府発。
1932年(昭和7年)11月27日呉着。 
1932年(昭和7年)12月14日呉発。 江田内入口着。
1932年(昭和7年)12月15日江田内入口発。 呉着。
1933年(昭和8年)1月30日呉発。 笠戸島着。
1933年(昭和8年)1月31日笠戸島発。 笠戸浦着。
1933年(昭和8年)2月1日笠戸浦発。 徳山着。
1933年(昭和8年)2月2日徳山発。
1933年(昭和8年)2月3日呉着。 
1933年(昭和8年)2月13日呉発。
1933年(昭和8年)2月14日吉田湾着。
1933年(昭和8年)2月18日吉田湾発。 宇和島着。
1933年(昭和8年)2月20日宇和島発。 臼杵着。
1933年(昭和8年)2月23日臼杵発。 呉着。
1933年(昭和8年)3月6日呉発。 臼杵着。
1933年(昭和8年)3月7日臼杵発。 佐伯着。
1933年(昭和8年)3月9日佐伯発。 同日、佐伯着。
1933年(昭和8年)3月10日佐伯発。 小泊着。
1933年(昭和8年)3月11日小泊発。 呉着。
1933年(昭和8年)3月22日呉発。 神ノ浦着。
1933年(昭和8年)3月23日神ノ浦発。 三津浜着。
1933年(昭和8年)3月24日三津浜発。 本浦着。
1933年(昭和8年)3月25日本浦発。 呉着。
1933年(昭和8年)4月4日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)4月15日呉発。 臼杵着。 
1933年(昭和8年)4月16日臼杵発。 佐伯着。 
1933年(昭和8年)4月18日佐伯発。 同日、佐伯着。 
1933年(昭和8年)4月19日佐伯発。 同日、佐伯着。 
1933年(昭和8年)4月20日佐伯発。 呉着。 
1933年(昭和8年)5月3日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)5月6日呉発。 佐伯着。 
1933年(昭和8年)5月8日佐伯発。 同日、佐伯着。 
1933年(昭和8年)5月9日佐伯発。 呉着。 
1933年(昭和8年)5月18日呉発。 
1933年(昭和8年)5月19日佐伯着。 同日、佐伯発。 日出着。 
1933年(昭和8年)5月21日日出発。
1933年(昭和8年)5月22日呉着。 
1933年(昭和8年)6月11日呉発。 
1933年(昭和8年)6月12日大阪着。
1933年(昭和8年)6月14日大阪発。 小豆島着。
1933年(昭和8年)6月15日小豆島発。 多度津着。
1933年(昭和8年)6月16日多度津発。 呉着。
1933年(昭和8年)6月25日呉発。 野島着。
1933年(昭和8年)6月30日野島発。 呉着。 
1933年(昭和8年)7月22日呉発。 久賀(屋代島)着。
1933年(昭和8年)7月23日久賀(屋代島)発。 伊保田(屋代島)着。
1933年(昭和8年)7月24日伊保田(屋代島)発。 呉着。
1933年(昭和8年)7月30日呉発。 佐伯着。 
1933年(昭和8年)8月5日佐伯発。 呉着。 
1933年(昭和8年)8月9日呉発。 徳山着。
1933年(昭和8年)8月10日徳山発。 呉着。
1933年(昭和8年)10月2日呉発。 安下庄着。
1933年(昭和8年)10月4日安下庄発。 小泊着。
1933年(昭和8年)10月5日小泊発。 呉着。
1933年(昭和8年)10月21日呉発。 広島湾へ。 早瀬瀬戸付近着。
1933年(昭和8年)10月22日早瀬瀬戸付近発。 呉着。
1933年(昭和8年)11月27日呉発。 広島湾へ。 呉着。
1933年(昭和8年)12月15日呉発。 宮島着。
1933年(昭和8年)12月16日宮島発。 呉着。
1934年(昭和9年)1月18日呉発。 安芸灘へ。
1934年(昭和9年)1月19日呉着。 
1934年(昭和9年)1月24日第一船渠に入渠。
1934年(昭和9年)1月30日出渠。
1934年(昭和9年)2月14日呉発。 吉田港着。
1934年(昭和9年)2月15日宇和島着。
1934年(昭和9年)2月16日宇和島発。 佐伯湾着。
1934年(昭和9年)2月19日佐伯湾発。 日出着。
1934年(昭和9年)2月21日日出発。
1934年(昭和9年)2月22日呉着。 
1934年(昭和9年)3月8日呉発。 江田内着。
1934年(昭和9年)3月9日江田内発。 呉着。
1934年(昭和9年)3月16日呉発。 臼杵湾着。
1934年(昭和9年)3月17日臼杵湾発。 佐伯湾着。
1934年(昭和9年)3月19日佐伯湾発。 米水津着。
1934年(昭和9年)3月20日米水津発。 別府着。
1934年(昭和9年)3月22日亀川発。 呉着。
1934年(昭和9年)4月19日呉発。 広島湾へ。 呉着。 
1934年(昭和9年)4月25日呉発。 安芸灘へ。 
1934年(昭和9年)4月26日呉着。 
1934年(昭和9年)5月1日呉発。 岩松着。 
1934年(昭和9年)5月2日豊後水道発。
1934年(昭和9年)5月3日呉着。 
1934年(昭和9年)5月7日呉発。 豊後水道へ。 
1934年(昭和9年)5月10日平城湾着。
1934年(昭和9年)5月12日呉着。 
1934年(昭和9年)6月7日呉発。 宮島を経て鹿島着。
1934年(昭和9年)6月8日鹿島発。 八幡浜着。
1934年(昭和9年)6月9日八幡浜発。 臼杵湾着。
1934年(昭和9年)6月11日臼杵湾発。 佐伯湾日向泊着。
1934年(昭和9年)6月12日佐伯湾日向泊発。 亀川着。
1934年(昭和9年)6月13日亀川発。 佐賀関着。
1934年(昭和9年)6月14日佐賀関発。 三津浜着。
1934年(昭和9年)6月16日三津浜発。 呉着。
1934年(昭和9年)6月24日呉発。 大三島沖着。
1934年(昭和9年)6月25日大三島沖発。 大崎上島、弓削島を経て鞆着。
1934年(昭和9年)6月26日鞆発。 粟島を経て多度津着。
1934年(昭和9年)6月27日多度津発。 下津井を経て呉着。
1934年(昭和9年)6月30日呉発。 佐伯着。
1934年(昭和9年)7月1日佐伯発。 小松島着。
1934年(昭和9年)7月2日小松島発。 田辺湾着。
1934年(昭和9年)7月3日田辺湾発。
1934年(昭和9年)7月4日小松島着。 同日、小松島発。
1934年(昭和9年)7月5日呉着。 
1934年(昭和9年)7月7日呉発。 安芸灘へ。 本浦着。
1934年(昭和9年)7月10日斉島発。 呉着。
1934年(昭和9年)7月23日呉発。
1934年(昭和9年)7月24日大阪着。
1934年(昭和9年)7月31日大阪発。 呉着。
1934年(昭和9年)8月25日呉発。 宇品着。 
1934年(昭和9年)8月26日宇品発。
1934年(昭和9年)8月28日別府着。
1934年(昭和9年)8月29日別府発。 呉着。
1934年(昭和9年)9月22日呉発。
1934年(昭和9年)9月24日大阪着。
1934年(昭和9年)9月27日大阪発。 
1934年(昭和9年)9月28日呉着。
1934年(昭和9年)10月3日呉発。 伊予灘へ。 呉着。
1934年(昭和9年)10月13日呉発。 小豆島着。
1934年(昭和9年)10月14日小豆島発。 小松島着。
1934年(昭和9年)10月15日小松島発。 由良着。
1934年(昭和9年)10月16日由良発。 和歌ノ浦着。
1934年(昭和9年)10月17日和歌ノ浦発。 洲本着。
1934年(昭和9年)10月18日洲本発。 神戸着。
1934年(昭和9年)10月20日神戸発。
1934年(昭和9年)10月21日須崎着。
1934年(昭和9年)10月24日須崎発。
1934年(昭和9年)10月25日呉着。
1934年(昭和9年)12月15日呉防備隊附属から除かれる。 呉防備戦隊に編入。
1934年(昭和9年)12月17日呉発。 宮島着。
1934年(昭和9年)12月18日宮島発。 呉着。
1935年(昭和10年)1月11日第二船渠に入渠。
1935年(昭和10年)1月18日出渠。
1935年(昭和10年)1月21日呉発。 佐伯着。
1935年(昭和10年)1月22日佐伯発。 米水津着。
1935年(昭和10年)1月23日米水津発。 佐伯着。
1935年(昭和10年)1月24日佐伯発。 臼杵着。
1935年(昭和10年)1月25日臼杵発。 佐伯着。
1935年(昭和10年)1月27日佐伯発。 豊後水道へ。
1935年(昭和10年)1月29日佐伯発。 呉着。
1935年(昭和10年)2月7日呉発。 下関海峡東口着。
1935年(昭和10年)2月8日下関海峡東口発。 油谷湾着。
1935年(昭和10年)2月9日油谷湾発。 演習地へ。
1935年(昭和10年)2月10日油谷湾発。 演習地へ。
1935年(昭和10年)2月11日油谷湾発。 博多を経て呉へ。
1935年(昭和10年)2月12日呉着。
1935年(昭和10年)2月19日呉発。 
1935年(昭和10年)2月20日佐伯着。
1935年(昭和10年)2月25日佐伯発。
1935年(昭和10年)2月26日呉着。
1935年(昭和10年)3月10日呉発。 臼杵着。 
1935年(昭和10年)3月11日臼杵発。 佐伯着。 
1935年(昭和10年)3月13日佐伯発。 演習地へ。
1935年(昭和10年)3月15日佐伯発。 呉着。
1935年(昭和10年)3月25日呉発。 佐伯着。
1935年(昭和10年)3月29日臼杵発。 呉着。
1935年(昭和10年)6月24日呉発。 広島湾へ。 呉着。
1935年(昭和10年)6月26日呉発。 広島湾へ。 呉着。
1935年(昭和10年)7月1日呉防備戦隊から除かれる。 測量兼警備艦となる。
1935年(昭和10年)7月10日呉発。 広島湾へ。 呉着。
1935年(昭和10年)7月16日呉発。 中城湾へ。
1935年(昭和10年)7月19日馬天港着。
1935年(昭和10年)7月23日馬天港発。 久高島着。
1935年(昭和10年)7月24日測量任務。
1935年(昭和10年)7月25日久高島発。 那覇着。
1935年(昭和10年)7月28日那覇発。 名護湾着。
1935年(昭和10年)7月30日名護湾発。 慶良間水道着。
1935年(昭和10年)8月2日慶良間列島発。 座喜味城着。
1935年(昭和10年)8月3日座喜味城発。 作業地へ。
1935年(昭和10年)8月4日座喜味城発。 測量地へ。 嘉手納着。
1935年(昭和10年)8月5日嘉手納発。 測量地へ。 読谷村沖着。
1935年(昭和10年)8月6日読谷村沖発。 測量地へ。 那覇着。
1935年(昭和10年)8月7日那覇発。 中城湾馬天港着。
1935年(昭和10年)8月11日馬天港発。 佐世保へ。
1935年(昭和10年)8月14日佐世保着。
1935年(昭和10年)8月20日佐世保発。 仁川へ。
1935年(昭和10年)8月22日仁川着。
1935年(昭和10年)8月25日仁川発。 作業地へ。 木徳島西方作業地着。
1935年(昭和10年)8月26日〜9月1日測量任務。
1935年(昭和10年)9月2日木徳島西方作業地発。 仁川着。
1935年(昭和10年)9月10日仁川発。 木徳島北方作業地着。
1935年(昭和10年)9月11日測量任務。
1935年(昭和10年)9月12日木徳島北方作業地発。
1935年(昭和10年)9月13日於青島着。
1935年(昭和10年)9月14日〜16日測量任務。
1935年(昭和10年)9月16日北格列飛列島着。
1935年(昭和10年)9月17日〜18日測量任務。
1935年(昭和10年)9月19日徳積島着。
1935年(昭和10年)9月20日徳積島発。 仁川着。
1935年(昭和10年)9月21日仁川港船渠に入渠。
1935年(昭和10年)9月30日出渠。 仁川発。 呉へ。
1935年(昭和10年)10月3日呉着。
1935年(昭和10年)11月18日呉発。
1935年(昭和10年)11月18日呉発。 南洋方面に向かう。 測量と調査。 
1935年(昭和10年)12月5日パラオ着。
1935年(昭和10年)12月12日パラオ発。 測量任務。
1935年(昭和10年)12月27日パラオ着。
1936年(昭和11年)3月3日呉着。 整備休養。 
1936年(昭和11年)4月18日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)5月10日馬公着。 待機。 
1936年(昭和11年)5月15日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)6月8日馬公着。 待機。 
1936年(昭和11年)6月13日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)7月9日馬公着。 待機。 
1936年(昭和11年)7月15日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)8月9日馬公着。 待機。 
1936年(昭和11年)8月18日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)9月8日馬公着。 待機。 
1936年(昭和11年)9月15日馬公発。 支那沿海に向かう。
1936年(昭和11年)10月1日馬公着。 待機。 馬公要港部司令官の指揮を解かれ、呉に回航。
1936年(昭和11年)10月3日馬公発。
1936年(昭和11年)10月9日安下庄着。
1936年(昭和11年)10月10日安下庄発。 呉着。
1936年(昭和11年)10月13日第一船渠に入渠。
1936年(昭和11年)10月21日出渠。
1936年(昭和11年)10月24日呉発。 大三島着。
1936年(昭和11年)10月25日大三島発。
1936年(昭和11年)10月26日大阪(大桟橋北側A)着。
1936年(昭和11年)10月27日大阪発。 昭和十一年特別大演習観艦式予行。 大阪着。
1936年(昭和11年)10月29日大阪発。 昭和十一年特別大演習観艦式。 大阪着。
1936年(昭和11年)10月30日大阪発。 小豆島着。
1936年(昭和11年)11月1日小豆島発。 多度津着。
1936年(昭和11年)11月2日多度津発。 呉着。
1936年(昭和11年)12月9日呉発。 音測を行いながら須崎へ。
1936年(昭和11年)12月16日須崎着。
1936年(昭和11年)12月21日須崎発。 音測を行いながら鳥羽へ。
1936年(昭和11年)12月27日鳥羽着。
1937年(昭和12年)1月7日鳥羽発。 音測を行いながら下田へ。
1937年(昭和12年)1月9日下田着。 同日、下田発。 音測を行いながら清水へ。
1937年(昭和12年)1月16日清水着。
1937年(昭和12年)1月20日清水発。 音測を行いながら横須賀へ。
1937年(昭和12年)1月26日横須賀着。
1937年(昭和12年)2月4日横須賀発。 音測を行いながら呉へ。
1937年(昭和12年)2月10日呉着。
1937年(昭和12年)3月20日呉発。 馬公へ。
1937年(昭和12年)3月25日馬公着。
1937年(昭和12年)3月27日馬公発。 イツアバ島へ。 測量任務。
1937年(昭和12年)3月31日イツアバ島着。
1937年(昭和12年)4月1日〜22日測量任務。
1937年(昭和12年)4月23日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)4月27日高雄発。 支那沿海に向かう。
1937年(昭和12年)5月17日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)5月21日高雄発。 支那沿海に向かう。
1937年(昭和12年)6月14日基隆着。 待機。 
1937年(昭和12年)6月29日馬公発。 支那沿海に向かう。
1937年(昭和12年)7月17日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)7月28日支那事変勃発。 基隆発。 支那沿海を航海。
1937年(昭和12年)8月17日高雄着。 待機。 
1937年(昭和12年)8月25日馬公廃、支那沿海を航海。 
1937年(昭和12年)9月8日南支沿岸の警備任務につく。
1937年(昭和12年)9月10日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)9月10日馬公発。 南支方面に向かう。 
1937年(昭和12年)9月19日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)9月24日馬公発。 南支方面に向かう。 
1937年(昭和12年)10月19日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)10月25日馬公発。 南支方面に向かう。 
1937年(昭和12年)10月29日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)11月4日高雄発。 南支方面に向かう。 
1937年(昭和12年)12月1日支那方面艦隊に附属。 
1937年(昭和12年)12月25日馬公着。 待機。 
1937年(昭和12年)12月31日高雄発。 馬公を経て呉へ。 
1938年(昭和13年)3月支那方面艦隊第一特務隊に部署され、測量任務を下令される。 
1938年(昭和13年)3月24日馬公発。 南支方面に向かう。 
1938年(昭和13年)6月1日馬公着。 待機。 
1938年(昭和13年)6月7日高雄発。 南支方面に向かう。 
1938年(昭和13年)6月24日馬公着。 待機。 
1938年(昭和13年)6月28日馬公発。 南支方面に向かう。 
1938年(昭和13年)7月14日馬公着。 待機。 
1938年(昭和13年)7月18日高雄発。 南支方面に向かう。 
1938年(昭和13年)7月27日馬公着。 待機。 以後、呉に帰投。 整備、休養。
1938年(昭和13年)10月12日馬公発。 南支方面に向かう。 
1938年(昭和13年)11月30日馬公着。 待機。 
1938年(昭和13年)12月6日高雄発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)2月20日馬公着。 補給。 
1939年(昭和14年)2月27日馬公発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)5月9日馬公着。 待機。 
1939年(昭和14年)5月16日高雄発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)5月29日馬公着。 待機。 
1939年(昭和14年)5月30日馬公発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)7月26日馬公着。 待機。 
1939年(昭和14年)8月6日馬公発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)10月16日馬公着。 待機。 
1939年(昭和14年)10月22日馬公発。 南支方面に向かう。 
1939年(昭和14年)11月15日連合艦隊に附属。 
1940年(昭和15年)1月4日呉着。 整備休養。 
1940年(昭和15年)2月24日馬公発。 支那沿海に向かう。
1940年(昭和15年)3月20日高雄着。 待機。 
1940年(昭和15年)3月28日馬公発。 支那沿海に向かう。
1940年(昭和15年)4月21日高雄着。 待機。 
1940年(昭和15年)5月3日馬公発。 支那沿海に向かう。
1940年(昭和15年)5月22日馬公着。 待機。 
1940年(昭和15年)6月1日連合艦隊附属から除かれる。 呉鎮守府に所属。 測量兼警備艦と定められる。 支那方面艦隊司令長官の作戦指揮を解かれる。 
1940年(昭和15年)6月24日横須賀発。 南洋方面に向かう。 測量任務。
1940年(昭和15年)10月8日横須賀着。 補給休養。 第四艦隊司令長官の作戦指揮下に入る。 
1940年(昭和15年)10月31日横須賀発。 南洋方面に向かう。 測量任務。
1940年(昭和15年)12月14日横須賀着。 待機。 第四艦隊司令長官の作戦指揮を解かれる。 
1941年(昭和16年)2月15日高雄発。 支那沿海に向かう。
1941年(昭和16年)3月21日高雄着。 待機。 
1941年(昭和16年)3月23日高雄発。 支那沿海に向かう。
1941年(昭和16年)4月16日馬公着。 待機。 
1941年(昭和16年)4月23日高雄発。 支那沿海に向かう。
1941年(昭和16年)6月16日馬公着。 待機。 
1941年(昭和16年)6月30日横須賀発。 南洋方面に向かう。
1941年(昭和16年)9月1日呉鎮守府部隊所属となる。
1941年(昭和16年)11月17日ヤルート発。 横須賀に向かう。
1941年(昭和16年)12月6日呉鏡守府部隊主隊に部署され、呉鎮守府司令長官の指押下に入り、見張り替戒、攻撃を下令される。
1941年(昭和16年)12月11日横須賀着。 待機。 
1941年(昭和16年)12月18日横須賀発。 呉に回航。 整備休養。 
1942年(昭和17年)1月12日呉工廠に入渠、整備修理。 
1942年(昭和17年)1月19日出渠。 
1942年(昭和17年)3月1日呉発。 横須賀に向かう。
1942年(昭和17年)3月3日第三測量隊の人員、器材を収容搭載、待機。 
1942年(昭和17年)3月10日連合艦隊第一南遣艦隊に附属。 南方部隊席来部隊附属部隊に部署され、測量任務を下令される。 
1942年(昭和17年)3月16日横須賀発。 サイゴンに向かう。 
1942年(昭和17年)3月28日サイゴン着。 待機。 
1942年(昭和17年)3月31日サイゴン発。 シンガポールに向かう。
1942年(昭和17年)4月3日シンガポール着。 待機。 
1942年(昭和17年)4月10日戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第一南遣艦隊附属。
1942年(昭和17年)4月10日第一南遣艦隊は南西方面艦隊に部署される。 
1942年(昭和17年)4月14日シンガポール発。 ペナンに向かう。
1942年(昭和17年)4月16日ペナン着。 待機。
1942年(昭和17年)4月19日ペナン発。 マラッカ海峡ほかの測量に当たる。 
1942年(昭和17年)5月20日南方部隊は南西方面部隊と改称。 
1942年(昭和17年)6月11日マレー半島西岸メルギー着。 待機。
1942年(昭和17年)6月19日メルギー発。 沿岸の測量に当たる。 
1942年(昭和17年)7月20日軍艦籍より除かれ、特務艦となり測量艦に類別される。 南西方面部隊馬来部隊附属部隊に部署され、南西方面艦隊司令長官、第一南遣艦隊司令長官の指揮下に入り、測量任務に従事を下令される。 
1943年(昭和18年)6月25日連合艦隊南西方面艦隊附属となる。
1943年(昭和18年)6月25日連合艦隊南西方面艦隊に附属。 第三測量隊は解隊。 艦の根拠地はスラバヤとなる。 
1943年(昭和18年)7月8日スラバヤ発。 西部ニューギニア、ハルマヘラ方面の測量任務に向かう。 
1944年(昭和19年)3月25日スラバヤ着。 補給待機。 
1944年(昭和19年)6月1日マカッサル着。 
1944年(昭和19年)6月2日8:21 石炭桟橋に横付け、石炭搭載123t。 15:23 石炭搭載終了、離岸。
1944年(昭和19年)6月4日マカッサル発。
1944年(昭和19年)6月6日ベスビオス湾着。
1944年(昭和19年)6月7日ベスビオス湾発。
1944年(昭和19年)6月8日ソロン着。 託送品揚荷。
1944年(昭和19年)6月9日便乗者(第一〇七防空隊員)91名退艦、測量艇3隻、人員揚収。
1944年(昭和19年)6月9日ソロン発。 ミゾール島沖着。
1944年(昭和19年)6月10日ゾール島沖発。
1944年(昭和19年)6月14日マカッサル着。 
1944年(昭和19年)6月15日8:22 石炭桟橋に横付け、石炭搭載230t。 15:39 石炭搭載終了、離岸。
1944年(昭和19年)6月17日マカッサル発。
1944年(昭和19年)6月19日スラバヤ着。 
1944年(昭和19年)6月23日清水搭載。
1944年(昭和19年)6月27日12:10 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 17:05 離岸。
1944年(昭和19年)6月29日8:20 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 17:05 離岸。
1944年(昭和19年)6月30日8:46 海軍桟橋三区に横付け、逆探装備作業。 14:00 測量器材揚収。 17:20 離岸。
1944年(昭和19年)7月4日5:55 測量器材、生糧品託送品搭載。 10:07 海軍桟橋一区に横付け。 14:52 離岸。 16:00 測量艇揚収。
1944年(昭和19年)7月5日スラバヤ発。 
1944年(昭和19年)7月6日ラウト海峡着。
1944年(昭和19年)7月7日ラウト海峡発。 バリクパパン着。 
1944年(昭和19年)7月8日石炭搭載155t、第三測量班先発隊及び測量艇1隻を卸す。
1944年(昭和19年)7月9日石炭搭載。
1944年(昭和19年)7月10日バリクパパン発。
1944年(昭和19年)7月11日デラワン着。
1944年(昭和19年)7月12日デラワン発。 タラカン着。 第一測量班人員、器材、測量艇を卸す。
1944年(昭和19年)7月13日託送品揚陸。
1944年(昭和19年)7月15日タラカン発。 
1944年(昭和19年)7月16日マニンボラ着。 同日、マニンボラ発。 サンクラング湾着。 同日、サンクラング湾発。
1944年(昭和19年)7月17日バリクパパン着。 
1944年(昭和19年)7月19日8:20 石炭桟橋二区に横付け、石炭搭載195t。 16:45 石炭搭載終了、離岸。
1944年(昭和19年)7月21日バリクパパン発。 
1944年(昭和19年)7月22日ラウト海峡南口着。 
1944年(昭和19年)7月23日ラウト海峡南口発。
1944年(昭和19年)7月24日浮流機雷銃撃処分。 スラバヤ着。 
1944年(昭和19年)7月25日真水搭載90t。
1944年(昭和19年)8月7日器材揚収。
1944年(昭和19年)8月8日スラバヤ発。 
1944年(昭和19年)8月11日ロバム島西方着。
1944年(昭和19年)8月12日ロバム島西方発。 シンガポール(軍港二号岸壁)着。
1944年(昭和19年)8月13日測量器材揚収、燃料生糧品搭載(8:16まで)。
1944年(昭和19年)8月17日託送品揚収、便乗者乗艦。
1944年(昭和19年)8月18日シンガポール発。
1944年(昭和19年)8月19日ベラニ岬沖着。
1944年(昭和19年)8月20日ベラニ岬沖発。 漂流中の民間船より現地人1名救助
1944年(昭和19年)8月22日スラバヤ着。 
1944年(昭和19年)8月23日便乗者退艦、託送品揚陸。
1944年(昭和19年)8月27日9:30 海軍桟橋に横付け託送品搭載。 16:30 離岸、漂泊。
1944年(昭和19年)8月28日スラバヤ発。
1944年(昭和19年)8月29日ラウト海峡北口着。
1944年(昭和19年)8月30日ラウト海峡北口発。 バリクパパン着。 
1944年(昭和19年)8月31日燃料搭載。
1944年(昭和19年)9月17日マニラ着。
1944年(昭和19年)9月21日早朝マニラ発。 アメリカ機動部隊艦上機群約60機と交戦、3機撃墜と報告。 重傷者を付近航行中の病院船高砂丸に移す。 10:30マニラ湾南西約80狸ルバング島北西沖において、アメリカ潜水艦「ハッド (Haddo) 」の雷撃を受け沈没。
1944年(昭和19年)11月10日除籍。

参考資料

  1. ab日本海軍特務艦船史.東京,海人社,1997,p63,世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集
  2. 前掲.日本海軍特務艦船史.東京,海人社,1997,p144,世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集
  3. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p579.(ISBN4-7698-1151-9 )
  4. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p47
  5. 戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
  6. 渡辺博史.艦隊決戦の幻影 主力部隊(二).名古屋,自家本,2014,p293-297
  7. 敷設艦 勝力.アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C11084227000〜C11084240700.(防衛省防衛研究所)

謝辞

勝力の履歴データの一部は戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。