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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

「黒神」は測天型の敷設特務艇である。

日本海軍では明治初年以来、機雷は軍港や要港などの局地防御用兵器と考えられていたため、小型のマイン・ボートが建造されてきた。 測天型はマイン・ボートの最終発展型で、明治45年〜大正9年度に12隻が計画された。 当初は雑役船に属し、○○丸と呼ばれていたが、1920年(大正9年)7月1日の艦艇類別標準改正の際、特務艇となり艦名から丸を削除した。 1931年(昭和6年)5月30日に敷設艇に、さらに1944年(昭和19年)2月1日には敷設特務艇に変更された。 本型は、早期に退役した測天を除く11隻が太平洋戦争に参加し、低速で航洋性に乏しいものの、一部の艇はシンガポールまで進出して船団護衛にも従事している。 (1)

艦名

艦名は島嶼名。 広島県西能美島の南にある、大黒神島、小黒神島より。(2)

要目(1)(3)

新造時
艦種雑役船
基準排水量 ※1405トン
常備排水量 ※1420トン
垂線間長45.72m
最大幅7.62m
喫水2.29m
主機直立3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸
主缶ロ号艦本式水管缶(石炭専焼)1基
出力600馬力
速力12ノット
燃料石炭:60トン
航続力
兵装40口径8cm単装砲2基
4号機雷120個
乗員40人
その他-

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(4)

年月日履歴
1916年(大正5年)5月23日敷設艇「黒神丸」と命名。
1916年(大正5年)5月23日呉防備隊附属となる。
1916年(大正5年)12月5日起工。
1917年(大正6年)2月21日進水。
1917年(大正6年)4月30日竣工。
1918年(大正7年)7月27日第三水雷戦隊臨時附属となる。
1918年(大正7年)8月1日呉海軍工廠第一船渠に入渠。
1918年(大正7年)8月2日〜7日防寒用蒸気管新設工事。
1918年(大正7年)8月5日出渠。 敷設艇浮標に繋留。 糧食品搭載。
1918年(大正7年)8月8日呉発。
1918年(大正7年)8月9日下関発。 油谷湾着。
1918年(大正7年)8月10日油谷湾発。
1918年(大正7年)8月11日舞鶴着。
1918年(大正7年)8月11日〜12日炭水軍需品搭載。
1918年(大正7年)8月12日測距儀、掃海具を積卸す。
1918年(大正7年)8月12日舞鶴発。 
1918年(大正7年)8月14日大湊着。 
1918年(大正7年)8月15日炭水糧食並大型敷設艇「葦埼丸」用機雷30個搭載。
1918年(大正7年)8月16日大湊発。
1918年(大正7年)8月17日利尻島着。 
1918年(大正7年)8月18日利尻島発。
1918年(大正7年)8月20日間宮海峡着(一番浮標の南36度西7浬)。 巡洋艦「阿蘇」に横付け「葦埼丸」用機雷を卸方。 特設運送船「三池丸」に横付け石炭70t搭載。 巡洋艦「阿蘇」に横付け「葦埼丸」用機雷を卸方。 間宮海峡五番浮標付近に移動。
1918年(大正7年)8月21日間宮海峡(五番浮標付近)発。 尼港着。
1918年(大正7年)8月22日駆逐艦「如月」に横付け石炭35t供給。 駆逐艦「初霜」に横付け石炭25t供給。
1918年(大正7年)8月23日尼港発。 露國測量船「オコック」を追尾。
1918年(大正7年)8月24日五十七番浮標付近に至り「オコック」を臨検、解放。 十六番浮標仮泊。
1918年(大正7年)8月25日十六番浮標発。 巡洋艦「阿蘇」に横付け石炭70t搭載。 六番浮標。
1918年(大正7年)8月26日六番浮標発。 尼港着。 
1918年(大正7年)8月26日駆逐艦「山風」に横付け石炭70t供給。 駆逐艦「楢」に横付け石炭30t供給。
1918年(大正7年)8月28日尼港発。 十六番浮標着。
1918年(大正7年)8月29日十六番浮標発。 泥港着。 運送船「高崎」に横付け石炭120t搭載。
1918年(大正7年)8月30日横付離し付近に投錨。
1918年(大正7年)8月30日泥港発。 
1918年(大正7年)8月31日十五番浮標発。 尼港着。 駆逐艦「海風」に石炭70t供給。 駆逐艦「榎」に石炭30t供給。
1918年(大正7年)9月1日尼港発。 09.01泥港着。 
1918年(大正7年)9月4日巡洋艦「阿蘇」に横付け石炭110t搭載。
1918年(大正7年)9月4日泥港発。 八番浮標着。
1918年(大正7年)9月5日八番浮標発。 七十五番浮標着。
1918年(大正7年)9月6日尼港着。 砲艦「千早」に横付け石炭補給。 13:30 横付け離し付近に投錨。
1918年(大正7年)9月7日尼港発。 二十九番浮標付近で大型敷設艇「葦埼丸」に会合。 一番浮標南西約10浬着。 19:00 戦艦「香取」に横付け石炭30t、第五戦隊陸戦隊用軍需品搭載。 20:30 横付け離し投錨。
1918年(大正7年)9月8日4:00 戦艦「香取」陸戦隊員乗艇開始。 4:40 戦艦「香取」陸戦隊員並に駆逐艦「初霜」救難隊乗艇完了。 一番浮標南西約10浬発。 駆逐艦「初霜」に救難隊を送る。 尼港着。 
1918年(大正7年)9月9日第三艦隊第三水雷戦隊附属船。
1918年(大正7年)9月9日4:00 陸戦隊揚陸。
1918年(大正7年)9月9日尼港発。 16:25 一番浮標南西約10浬で戦艦「鹿島」に横付け石炭20t、陸戦隊用軍需品搭載。 戦艦「香取」に横付け陸戦隊用軍需品搭載。 19:17 作業終了し投錨。 20:05 出動。 20:29 巡洋艦「阿蘇」に横付け陸戦隊用軍需品搭載。 23:35 作業終了し投錨。
1918年(大正7年)9月11日7:50 出動。 17:50 チヌイラック砲台下着。 陸戦隊用軍需品補給。
1918年(大正7年)9月12日チヌイラック砲台下発。 尼港着。 7:51 砲艦「千早」に横付け軍需品補給。 10:37 作業を終え投錨。
1918年(大正7年)9月13日尼港発。 泥港着。 
1918年(大正7年)9月14日6:54 戦艦「香取」に横付け石炭80t搭載。 9:20 作業を終え投錨。
1918年(大正7年)9月15日泥港発。 第二十五駆逐隊を嚮導。 七番浮標付近で駆逐艦「白雪」解列。 尼港着。 
1918年(大正7年)9月17日10:30 駆逐艦「楢」に横付け石炭40t補給。 13:40 駆逐艦「榎」に横付け石炭40t補給。 15:35 作業を終え投錨。
1918年(大正7年)9月19日尼港発。 チヌイラック砲台下で甲陸戦隊の一部を収容。 泥港着。 
1918年(大正7年)9月20日7:00 戦艦「鹿島」に横付け石炭110t搭載。
1918年(大正7年)9月20日泥港発。 十一番浮標付近着。 
1918年(大正7年)9月21日十一番浮標付近発。 尼港着。 13:13 砲艦「千早」に横付け石炭100t補給。 16:30 横付離す。 16:45 投錨。
1918年(大正7年)9月22日尼港発。 泥港着。 
1918年(大正7年)9月23日7:00 運送船「勞山」に横付け軍需品搭載並に尼港無線電信所員職工等便乗。 14:30 横付離す。
1918年(大正7年)9月23日泥港発。 四番浮標付近着。 
1918年(大正7年)9月24日四番浮標付近発。 尼港着。 大型敷設艇「葦埼丸」の便乗者収容。
1918年(大正7年)9月24日尼港発。 チヌイラック砲台下着。 便乗者退艇。
1918年(大正7年)9月25日軍需品陸揚。
1918年(大正7年)9月25日チヌイラック砲台下発。
1918年(大正7年)9月26日尼港着。 同日、尼港発。 チヌイラック砲台下着。 軍需品残全部陸揚。 チヌイラック砲台下発。 泥港着。 
1918年(大正7年)9月27日7:40 巡洋艦「阿蘇」に横付け石炭80t搭載。 14:15 横付離し投錨。
1918年(大正7年)9月29日泥港発。
1918年(大正7年)10月1日稚内着。 
1918年(大正7年)10月3日稚内発。
1918年(大正7年)10月4日函館着。 
1918年(大正7年)10月6日函館発。 大湊着。 
1918年(大正7年)10月7日炭水満載。
1918年(大正7年)10月9日大湊発。 
1918年(大正7年)10月10日函館発。 
1918年(大正7年)10月12日宮津着。 
1918年(大正7年)10月14日宮津発。 
1918年(大正7年)10月15日安下ノ庄着。 
1918年(大正7年)10月16日安下ノ庄発。 呉着。 第三水雷戦隊臨時附属を解かれる。
1920年(大正9年)7月1日二等敷設艇に類別変更。 「黒神」と改名。
1920年(大正9年)8月1日呉鎮守府に転籍。 呉防備隊に編入。
1921年(大正10年)7月10日呉発。 坂手湾着。
1921年(大正10年)7月11日坂手湾発。
1921年(大正10年)7月12日鳥羽着。
1921年(大正10年)7月17日津発。
1921年(大正10年)7月18日椿泊着。
1921年(大正10年)7月19日椿泊発。 由良着。
1921年(大正10年)7月20日由良発。
1921年(大正10年)7月23日神戸発。
1921年(大正10年)7月24日呉着。 
1921年(大正10年)7月26日呉発。 広島湾で戦闘掃海。 呉着。 
1921年(大正10年)9月12日呉発。 横須賀へ。
1921年(大正10年)9月15日紀伊勝浦で触岩。 士官食器室下に長さ1尺幅2吋の破孔を生じ左舷推進軸屈曲。 呉帰着。
1921年(大正10年)10月17日佐世保発。 油谷湾着。
1921年(大正10年)10月油谷湾発。 新舞鶴へ。
1924年(大正13年)7月28日呉発。 別府着。 
1924年(大正13年)7月30日別府発。 佐伯着。
1924年(大正13年)8月1日呉着。 
1925年(大正14年)2月23日呉発。 
1925年(大正14年)2月24日高松発。 小松島着。
1925年(大正14年)2月25日小松島発。 和歌浦着。
1925年(大正14年)2月26日和歌浦発。 洲本着。
1925年(大正14年)2月27日洲本発。 大阪着。
1925年(大正14年)3月1日大阪発。 宇野着。
1925年(大正14年)3月2日宇野発。 呉着。 
1925年(大正14年)9月14日呉発。
1925年(大正14年)9月15日高松発。 由良内着。
1925年(大正14年)9月16日由良内発。
1925年(大正14年)9月17日横須賀着。
1925年(大正14年)9月30日横須賀発。
1925年(大正14年)10月2日伊勢湾着。
1925年(大正14年)10月7日伊勢湾発。 四日市着。
1925年(大正14年)10月13日下田着。
1925年(大正14年)10月15日横須賀着。
1925年(大正14年)10月19日横須賀発。
1925年(大正14年)10月21日多度津着。
1925年(大正14年)10月22日多度津発。 呉着。 
1926年(大正15年)8月16日呉発。 三崎着。
1926年(大正15年)8月17日三崎発。 岩松を経て福浦着。
1926年(大正15年)8月18日福浦発。 沖ノ島、米津を経て佐伯着。
1926年(大正15年)8月19日佐伯発。 富海を経て呉着。 
1929年(昭和4年)11月15日佐世保着。 
1929年(昭和4年)11月19日佐世保発。 呉着。 
1930年(昭和5年)1月28日呉発。 同日、呉着。 
1930年(昭和5年)9月10日呉発。 
1930年(昭和5年)9月19日呉着。 
1930年(昭和5年)9月25日呉発。 同日、呉着。 
1931年(昭和6年)2月16日呉発。 同日、呉着。 
1931年(昭和6年)2月19日呉発。 同日、呉着。 
1931年(昭和6年)4月8日呉発。 同日、呉着。 
1931年(昭和6年)12月15日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)1月30日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)4月4日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)4月7日呉発。 同日、呉着。 
1933年(昭和8年)4月15日呉発。 
1933年(昭和8年)4月20日呉着。 
1933年(昭和8年)5月23日敷設艇の等級が廃され、敷設艇に類別。
1933年(昭和8年)6月30日呉着。 
1933年(昭和8年)9月25日呉発。 
1933年(昭和8年)10月3日呉着。 
1933年(昭和8年)10月5日呉発。 
1933年(昭和8年)10月7日呉着。 
1933年(昭和8年)12月9日呉発。 同日、呉着。 
1934年(昭和9年)4月17日呉着。 
1934年(昭和9年)4月19日呉発。 同日、呉着。 
1934年(昭和9年)4月呉発。 4月20日呉着。 
1934年(昭和9年)4月24日呉発。 
1934年(昭和9年)4月28日呉着。 
1934年(昭和9年)5月7日呉発。 
1934年(昭和9年)5月13日呉着。 
1934年(昭和9年)呉発。 8月21日呉着。 
1934年(昭和9年)8月25日呉発。 
1934年(昭和9年)8月29日呉着。 
1934年(昭和9年)呉発。 9月4日呉着。 
1935年(昭和10年)2月19日呉発。 
1935年(昭和10年)2月25日呉着。 
1935年(昭和10年)8月31日呉発。 
1935年(昭和10年)9月3日呉着。 
1935年(昭和10年)10月14日呉発。 
1941年(昭和16年)12月1日呉発。 佐伯着。 
1941年(昭和16年)12月2日佐伯発。 確認運転。 佐伯着。 
1941年(昭和16年)12月3日佐伯発。 確認運転。 佐伯着。 
1941年(昭和16年)12月8日佐伯発。 兵器運搬。 部埼着。
1941年(昭和16年)12月9日部埼発。 下関海峡方面白瀬衛所用九二式機雷敷設。 吉見着。 
1941年(昭和16年)12月12日吉見発。 下関海峡方面白瀬衛所用九二式機雷敷設。 吉見着。 
1941年(昭和16年)12月13日吉見発。 下関海峡方面白瀬衛所用九二式機雷敷設。 吉見着。 
1941年(昭和16年)12月14日吉見発。 下関海峡方面白瀬衛所用九二式機雷敷設。 吉見着。 
1941年(昭和16年)12月15日吉見発。 部埼着。 
1941年(昭和16年)12月16日部埼発。 佐伯着。 
1941年(昭和16年)12月20日佐伯発。 兵器運搬。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月21日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月22日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月23日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月24日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月25日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月26日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1941年(昭和16年)12月27日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 和田着。
1941年(昭和16年)12月28日和田発。 小泊着。 
1941年(昭和16年)12月29日小泊発。 佐伯着。 
1941年(昭和16年)12月30日繋留換。
1942年(昭和17年)1月8日佐伯発。 本浦着。 
1942年(昭和17年)1月9日本浦発。 呉着。
1942年(昭和17年)1月10日繋留換。
1942年(昭和17年)1月11日呉発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網修理。 本浦着。 
1942年(昭和17年)1月12日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網修理。 小泊着。
1942年(昭和17年)1月13日小泊発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網修理。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)1月23日佐伯発。 本浦着。 
1942年(昭和17年)1月24日本浦発。 広島湾艦隊泊地防御用防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)1月25日本浦発。 呉着。 
1942年(昭和17年)1月27日呉発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)2月3日佐伯発。 02.03福浦着。 
1942年(昭和17年)2月4日福浦発。 水中測的試験。 福浦着。 
1942年(昭和17年)2月5日福浦発。 水中測的試験。 福浦着。 
1942年(昭和17年)2月6日福浦発。 水中測的試験。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)2月8日佐伯発。 哨戒。 深島着。
1942年(昭和17年)2月9日深島発。 哨戒。 名斐石鼻着。
1942年(昭和17年)2月10日名斐石鼻発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)2月19日佐伯発。 設標設置作業。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)2月21日佐伯発。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月22日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月23日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月24日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月25日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月26日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)2月27日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 呉着。 
1942年(昭和17年)3月1日呉発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月2日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月3日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月4日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月6日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月7日本浦発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月9日本浦発。 呉着。 
1942年(昭和17年)3月11日呉発。 柱島水道九六式一号防潜網設置。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月12日本浦発。 防潜網作業。 本浦着。 
1942年(昭和17年)3月13日本浦発。 防潜網作業。 呉着。 
1942年(昭和17年)3月20日呉発。 三机着。 
1942年(昭和17年)3月21日三机発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)3月22日第一回第二次主砲教練射撃を下令される。 第一回第二次教練運動を下令される。
1942年(昭和17年)3月23日佐伯発。 哨戒。 水ノ子着。
1942年(昭和17年)3月24日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)3月26日佐伯発。 杵築着。 
1942年(昭和17年)3月27日杵築発。 教練射撃。 杵築着。 
1942年(昭和17年)3月28日杵築発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)3月30日佐伯発。 哨戒。 由良埼着。
1942年(昭和17年)3月31日由良埼発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)4月6日佐伯発。 米水津着。
1942年(昭和17年)4月7日米水津発、 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)4月14日九二式機雷更新作業を下令される。
1942年(昭和17年)4月14日佐伯発。 広着。 
1942年(昭和17年)4月15日広発。 小豆島
1942年(昭和17年)4月16日小豆島発。 神戸
1942年(昭和17年)4月17日神戸発。 洲本着。 
1942年(昭和17年)4月19日洲本発。 友ヶ島九二式機雷(第六群連)揚収。 洲本着。 
1942年(昭和17年)4月22日洲本発。 敷設訓練。 洲本着。 
1942年(昭和17年)4月23日洲本発。 友ヶ島九二式機雷(第五群連)揚収。 由良内着。
1942年(昭和17年)4月23日機雷揚陸。
1942年(昭和17年)4月24日転錨。
1942年(昭和17年)4月25日由良発。 敷設運動。 洲本着。 
1942年(昭和17年)4月26日洲本発。 友ヶ島九二式機雷(第五群連)敷設。 6洲本着。 
1942年(昭和17年)4月29日洲本発。 友ヶ島九二式機雷(第六群連)敷設。 9洲本着。 
1942年(昭和17年)4月30日洲本発。 今治着。 
1942年(昭和17年)5月1日今治発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月5日佐伯発。 新三等機関兵運転実習。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月19日第二回主砲教練射撃を下令される。
1942年(昭和17年)5月12日佐伯発。 設標揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月15日佐伯発。 教練射撃。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月20日佐伯発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月21日佐伯発。 掃海。 福浦着。 
1942年(昭和17年)5月22日福浦発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)5月28日転錨。
1942年(昭和17年)5月29日転錨。
1942年(昭和17年)6月2日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)6月3日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)6月6日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)6月7日佐伯発。 設標監視。 米入津着。
1942年(昭和17年)6月8日米入津発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)6月11日佐伯発。 呉着。 
1942年(昭和17年)6月12日呉発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)6月13日佐伯発。 掃海。 米入津着。
1942年(昭和17年)6月14日米入津発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月3日佐伯発。 焚試試運転。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月4日佐伯発。 標灯入替。 深浦着。
1942年(昭和17年)7月5日深浦発。 標灯入替。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月7日佐伯発。 細島着。 
1942年(昭和17年)7月8日細島発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月15日機密佐伯防備隊命令第22号:07.23第四回主砲教練射撃。
1942年(昭和17年)7月17日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月20日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月21日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月22日佐伯発。 臼杵着。 
1942年(昭和17年)7月23日臼杵発。 教練射撃。 臼杵着。 
1942年(昭和17年)7月24日臼杵発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月27日臼杵発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)7月29日佐伯発。 標的曳航。 本浦着。 
1942年(昭和17年)7月30日本浦発。 標的曳航。 呉着。 
1942年(昭和17年)7月30日呉発。 防潜網撤去。 本浦着。 
1942年(昭和17年)8月1日本浦発。 防潜網撤去。 呉着。 
1942年(昭和17年)8月3日呉発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)8月14日佐伯発。 呉着。 
1942年(昭和17年)8月16日呉発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)8月22日佐伯発。 哨戒。 水ノ子着。
1942年(昭和17年)8月23日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)8月25日佐伯発。 検潮。 豊後水道着。
1942年(昭和17年)8月26日豊後水道発。 検潮。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)8月27日佐伯発。 荒天準備。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)8月28日転錨。
1942年(昭和17年)8月29日佐伯発。 検潮。 豊後水道着。
1942年(昭和17年)8月29日豊後水道発。 検潮。 
1942年(昭和17年)8月30日柏着。
1942年(昭和17年)8月31日柏発。 荒天準備。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月1日水ノ子発。 検潮。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月2日佐伯発。 検潮。 大島沖着。
1942年(昭和17年)9月8日大島沖発。 音源調査。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月9日佐伯発。 音源調査。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月10日佐伯発。 機雷敷設訓練。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月11日佐伯発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月15日佐伯発。 Y装置目標艇。 水ノ子着。 
1942年(昭和17年)9月16日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月17日佐伯発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月18日佐伯発。 機雷敷設訓練。 水ノ子着。 
1942年(昭和17年)9月19日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月20日佐伯発。 哨戒。 09.20佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月21日佐伯発。 荒天準備。 水ノ子着。 
1942年(昭和17年)9月22日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月23日佐伯発。 哨戒。 水ノ子着。 
1942年(昭和17年)9月28日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月29日佐伯発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月11日佐伯発。 焚試試運転。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月12日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月13日佐伯発。 機雷敷設訓練。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月14日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月19日佐伯発。 哨戒。 水ノ子着。 
1942年(昭和17年)10月20日水ノ子発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月22日佐伯発。 難破船曳航。 米津着。
1942年(昭和17年)10月23日米津発。 難破船曳航。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)10月26日佐伯発。 呉着。 
1942年(昭和17年)10月27日呉発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)11月2日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)11月9日佐伯発。 杵築着。 
1942年(昭和17年)11月10日杵築発。 教練射撃。 杵築着。 
1942年(昭和17年)11月11日杵築発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)11月19日佐伯発。 早瀬着。 
1942年(昭和17年)11月20日早瀬発。 呉着。 
1942年(昭和17年)12月6日呉発。 防潜網撤収。 本浦着。 
1942年(昭和17年)12月7日本浦発。 防潜網撤収。 本浦着。 
1942年(昭和17年)12月8日本浦発。 防潜網撤収。 呉着。 
1942年(昭和17年)12月9日呉発。 防潜網撤収。 本浦着。 
1942年(昭和17年)12月10日本浦発。 防潜網撤収。 呉着。 
1942年(昭和17年)12月11日呉発。 三机着。
1942年(昭和17年)12月12日三机発。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)12月17日佐伯発。 戦闘掃海。 丸市尾着。
1942年(昭和17年)12月18日丸市尾発。 哨戒。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)12月26日佐伯発。 機関科新兵実習。 佐伯着。 
1942年(昭和17年)12月30日佐伯発。 講習員教務。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月4日佐伯発。 戦闘掃海。 古江着。
1943年(昭和18年)1月5日古江発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月7日佐伯発。 交通艇。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月13日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月14日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月15日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月16日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月18日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月19日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月20日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)1月21日佐伯発。 補習生出動実習。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月9日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月10日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月13日佐伯発。 防潜網敷設。 本浦着。 
1943年(昭和18年)2月14日本浦発。 防潜網敷設。 呉着。 
1943年(昭和18年)2月15日呉発。 本浦着。 
1943年(昭和18年)2月16日本浦発。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月22日佐伯発。 訓練掃海。 丸市尾着。
1943年(昭和18年)2月23日丸市尾発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月24日佐伯発。 実験機雷敷設。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)2月28日佐伯発。 哨戒。 豊後水道着。
1943年(昭和18年)3月1日豊後水道発。 哨戒。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月9日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月11日佐伯発。 機雷敷設。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月15日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月16日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月19日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月21日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月24日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月29日佐伯発。 訓練掃海。 
1943年(昭和18年)3月30日佐伯着。 
1943年(昭和18年)3月31日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月1日米水津発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月6日佐伯発。 設標設置。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月7日佐伯発。 掃海訓練。 米水津着。
1943年(昭和18年)4月8日米水津発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月10日佐伯発。 設標設置。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月12日佐伯発。 大発回航。 呉着。 
1943年(昭和18年)4月13日呉発。 大発回航。 小泊着。
1943年(昭和18年)4月14日小泊発。 大発回航。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月17日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月18日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月19日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月20日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月21日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月22日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月23日佐伯発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)4月24日佐伯発。 大発回航。 呉着。 
1943年(昭和18年)4月27日呉発。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月7日佐伯発。 教練射撃。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月10日佐伯発。 大発曳航。 0呉着。 
1943年(昭和18年)5月12日呉発。 大発曳航。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月15日佐伯発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月18日佐伯発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月19日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月25日佐伯発。 水道掃海。 米水津着。
1943年(昭和18年)5月26日米水津発。 水道掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)5月28日佐伯発。 水道掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)5月29日米水津発。 水道掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)5月30日米水津発。 水道掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)6月1日米水津発。 水道掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月2日佐伯発。 水道掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月3日佐伯発。 水道掃海。 A式機雷1個、九三式機雷1個銃撃処分。 佐伯着。
1943年(昭和18年)6月5日佐伯発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)6月8日米水津発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月11日佐伯発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)6月12日福浦発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月13日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月14日佐伯発。 掃海。 片島着。
1943年(昭和18年)6月15日片島発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)6月16日福浦発。 掃海。 片島着。
1943年(昭和18年)6月17日片島発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)6月18日福浦発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)6月21日佐伯発。 戦闘掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)6月22日米水津発。 戦闘掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)6月23日米水津発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月1日佐伯発。 大掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)7月3日米水津発。 大掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)7月4日米水津発。 大掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月7日佐伯発。 聴音目標艇。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月9日佐伯発。 聴音目標艇。佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月10日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月11日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月12日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月13日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月14日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月15日佐伯発。 戦闘掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月27日佐伯発。 試運転。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)7月28日佐伯発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)7月31日米水津発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)8月1日米水津発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)8月2日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)8月3日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)8月4日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)8月5日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)8月6日福浦発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月7日佐伯発。 新一機出動実習。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月9日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月13日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月14日佐伯発。 爆雷投射教務。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月17日佐伯発。 哨戒。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月22日佐伯発。 海洋少年団実習。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月24日佐伯発。 海洋少年団実習。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月25日佐伯発。 哨戒。 
1943年(昭和18年)8月26日佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月27日佐伯発。 哨戒。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月28日佐伯発。 海洋少年団実習。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)8月29日佐伯発。 哨戒。
1943年(昭和18年)8月30日佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月1日佐伯発。 哨戒。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月6日佐伯発。 電纜揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月9日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月10日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月12日佐伯発。 機雷揚収。 福浦着。 
1943年(昭和18年)9月13日福浦発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月14日佐伯発。 機雷揚収。 福浦着。 
1943年(昭和18年)9月15日福浦発。 機雷揚収。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月17日佐伯発。 交通艇。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月18日佐伯発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)9月19日福浦発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月20日佐伯発。 避難。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月21日佐伯発。 浮流機雷処分。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月26日敵潜機雷敷設の疑いあり。西水道4番浮標以南の一般商船航路掃海を下令される。
1943年(昭和18年)9月26日佐伯発。 掃海。 猪ノ串着。
1943年(昭和18年)9月27日猪ノ串発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月28日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月29日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)9月30日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月1日佐伯発。 訓練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月2日佐伯発。 教練射撃。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月3日佐伯発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月4日福浦発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月5日佐伯発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月6日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月8日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月9日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月11日米水津発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月12日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月13日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月14日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月15日米水津発。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月17日佐伯発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月18日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月19日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月20日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月21日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月22日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月23日福浦発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)10月24日福浦発。 機雷処分。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)10月25日佐伯発。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月26日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月27日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月29日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月30日米水津発。 機雷処分。 米水津着。 
1943年(昭和18年)10月31日米水津発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月1日福浦発。 機雷処分。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)11月4日佐伯発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)11月5日米水津発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)11月6日米水津発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)11月7日米水津発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)11月16日佐伯発。 教練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)11月17日佐伯発。 機雷処分。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月18日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月19日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月20日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月21日福浦発。 掃海。 福浦着。 
1943年(昭和18年)11月22日福浦発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)11月23日米水津発。 掃海。 3福浦着。 
1943年(昭和18年)11月24日福浦発。 掃海。 米水津着。 
1943年(昭和18年)11月25日米水津発。 掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)11月27日佐伯発。 教練掃海。 佐伯着。 
1943年(昭和18年)12月1日佐伯発。 呉着。 
1943年(昭和18年)12月0日入渠、修理。
1943年(昭和18年)12月28日呉発。 廣島湾着。 
1943年(昭和18年)12月29日廣島湾発。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月6日佐伯発。 対潜訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月6日1月7日以降速やかに鶴見埼防備衛所九二式機雷の更新敷設を下令される。
1944年(昭和19年)1月7日佐伯発。 鶴見埼防備衛所九二式機雷揚収。 米水津着。 
1944年(昭和19年)1月8日米水津発。 鶴見埼防備衛所九二式機雷揚収。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月9日佐伯発。 鶴見埼防備衛所九二式機雷揚収。 米水津着。 
1944年(昭和19年)1月10日米水津発。 鶴見埼防備衛所九二式機雷揚収。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月12日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月17日佐伯発。 聴音機試験。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月19日佐伯発。 対潜掃蕩。 延岡着。
1944年(昭和19年)1月21日延岡発。 対潜掃蕩。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月23日佐伯発。 対潜訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)1月31日佐伯発。 機雷敷設訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)2月1日敷設特務艇に類別変更。
1944年(昭和19年)2月3日佐伯発。 対潜訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)2月6日佐伯発。 S防備衛所機雷敷設。 福浦着。 
1944年(昭和19年)2月7日福浦発。 S防備衛所機雷敷設。 福浦着。 
1944年(昭和19年)2月9日福浦発。 S防備衛所機雷敷設。 福浦着。 
1944年(昭和19年)2月10日福浦発。 S防備衛所機雷敷設。 福浦着。 
1944年(昭和19年)2月12日福浦発。 S防備衛所機雷敷設。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)2月14日佐伯発。 S防備衛所機雷敷設。 福浦着。 
1944年(昭和19年)2月18日福浦発。 S防備衛所機雷敷設。 8福浦着。 
1944年(昭和19年)2月19日福浦発。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)2月25日佐伯発。 掃海訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)9月10日夜間掃海訓練。
1944年(昭和19年)9月11日佐伯発。 対潜掃蕩。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)9月18日佐伯発。 第九回教練施設実施。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)9月20日雷艇隊第一回教練発射目標艇。
1944年(昭和19年)9月28日佐伯発。 第一回主砲及び機銃教練射撃。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)10月10日佐伯発。 雷艇隊第二回教練発射目標艇。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)10月15日佐伯発。 敷設。 
1944年(昭和19年)10月16日雷艇隊第三回教練発射目標艇。 佐伯着。
1944年(昭和19年)10月28日佐伯発。 掃海。 掃海。
1944年(昭和19年)11月5日佐伯発。 輸送。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)11月7日佐伯発。 輸送。 
1944年(昭和19年)11月8日佐伯着。 
1944年(昭和19年)11月13日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)11月21日佐伯発。 掃海。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)11月22日佐伯発。 呉着。 
1944年(昭和19年)11月30日出渠。
1944年(昭和19年)12月呉発。 9日佐伯着。 
1944年(昭和19年)12月14日佐伯発。 深島衛所九七式聴音機公試目標艇。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)12月19日佐伯発。 訓練。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)12月20日佐伯発。 射撃曳的艦。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)12月27日佐伯発。 射撃曳的艦。 佐伯着。 
1944年(昭和19年)12月28日佐伯発。 訓練。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月1日佐伯発。 鶴見衛所九二式機雷敷設。 米水津着。 
1945年(昭和20年)2月3日米水津発。 鶴見衛所九二式機雷敷設。 米水津着。 
1945年(昭和20年)2月6日米水津発。 鶴見衛所九二式機雷敷設。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月9日佐伯発。 教練掃海。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月16日佐伯発。 曳的艦。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月19日佐伯発。 曳的艦。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月23日佐伯発。 曳的艦。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)2月27日佐伯発。 曳的艦。 佐伯着。 
1945年(昭和20年)4月12日〜13日特設敷設艦「高榮丸」に横付け輸送機雷搭載。
1945年(昭和20年)5月4日特設敷設艦「高榮丸」に横付け機雷搭載。
1945年(昭和20年)8月15日残存。
1945年(昭和20年)12月1日除籍。
1945年(昭和20年)12月1日掃海艦となる。 呉地方復員局所管。
1945年(昭和20年)12月1日呉地方復員局掃海部佐伯支部所属。
1946年(昭和21年)2月1日呉地方復員局掃海部仙崎支部所属。
1946年(昭和21年)5月20日呉地方復員局掃海部呉支部所属。
1946年(昭和21年)6月15日佐伯掃海部所属。
1946年(昭和21年)9月1日特別輸送艦。 呉地方復員局所管。
1946年(昭和21年)9月5日特別保管艦に指定。 呉地方復員局所管。
1947年(昭和22年)2月1日舞鶴地方復員局所管に変更。
1947年(昭和22年)11月14日除籍。 

参考資料

  1. ab日本海軍護衛艦艇史.東京,海人社,1996,p108,世界の艦船.No507 1996/2増刊 増刊第45集
  2. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p531.(ISBN4-7698-1151-9 )
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p57
  4. 戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html

謝辞

勝力の履歴データは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。