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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

「似島」は測天型の敷設特務艇である。

日本海軍では明治初年以来、機雷は軍港や要港などの局地防御用兵器と考えられていたため、小型のマイン・ボートが建造されてきた。 測天型はマイン・ボートの最終発展型で、明治45年〜大正9年度に12隻が計画された。 当初は雑役船に属し、○○丸と呼ばれていたが、1920年(大正9年)7月1日の艦艇類別標準改正の際、特務艇となり艦名から丸を削除した。 1931年(昭和6年)5月30日に敷設艇に、さらに1944年(昭和19年)2月1日には敷設特務艇に変更された。 本型は、早期に退役した測天を除く11隻が太平洋戦争に参加し、低速で航洋性に乏しいものの、一部の艇はシンガポールまで進出して船団護衛にも従事している。 (1)

艦名

艦名は島嶼名。 広島湾に浮かぶ島。 広島市内の島としては最も大きい。 島の北側には安芸小富士と呼ばれる標高278mの山がある。(2)

要目(1)(3)

艦種二等敷設艇
基準排水量 ※1405トン
常備排水量 ※1420トン
垂線間長45.72m
最大幅7.62m
喫水2.29m
主機直立3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸
主缶ロ号艦本式水管缶(石炭専焼)1基
出力600馬力
速力12ノット
燃料石炭:60トン
航続力
兵装40口径8cm単装砲2基
4号機雷120個
乗員40人
その他-

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(4)

年月日履歴
1918年(大正7年)6月24日大型敷設艇「似島丸」と命名。
1920年(大正9年)1月15日起工。
1920年(大正9年)6月12日進水。
1920年(大正9年)6月16日横須賀防備隊附属。
1920年(大正9年)7月1日二等敷設艇に類別。 敷設艇「似島」と改名。 本籍を佐世保鎮守府に定める。 佐世保防備隊所属。
1920年(大正9年)8月1日本籍を横須賀鎮守府に変更。 横須賀防備隊。
1920年(大正9年)10月15日竣工。
1933年(昭和8年)5月23日敷設艇の等級が廃され、敷設艇に類別。
1940年(昭和15年)11月15日佐世保防備隊所属。
1941年(昭和16年)9月1日佐世保鎮守府部隊佐世保防備戦隊佐世保防備隊。
1941年(昭和16年)11月11日防備計画図書所定の機雷敷設を下令される。
1941年(昭和16年)11月20日佐世保発。 港外に九二式機雷敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)11月22日佐世保発。 港外に九二式機雷敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)11月26日佐世保発。 港外に九二式機雷敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)11月29日佐世保発。 航路指示。
1941年(昭和16年)12月1日佐世保着。
1941年(昭和16年)12月2日佐世保発。 港外警戒。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月7日佐世保発。 港外警戒。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月9日機密佐世保防備戦隊命令作第19号:防備計画図書所定の機雷敷設を下令される。
1941年(昭和16年)12月10日佐世保発。 敷設準備作業。
1941年(昭和16年)12月11日佐世保着。
1941年(昭和16年)12月12日佐世保発。 敷設準備作業。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月13日機雷搭載。
1941年(昭和16年)12月13日佐世保発。
1941年(昭和16年)12月14日第五機雷堰第四線に五号改一機雷56個敷設。  第六機雷堰第四線に五号改一機雷55個敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月15日機雷搭載。
1941年(昭和16年)12月15日佐世保発。
1941年(昭和16年)12月16日第七機雷堰第三線に八九式機雷6個(1〜6番)、五号改一機雷44個(7-50番)敷設。 第四機雷堰第三線に八九式機雷39個敷設。
1941年(昭和16年)12月17日佐世保着。
1941年(昭和16年)12月17日機雷搭載。
1941年(昭和16年)12月18日佐世保発。 第一機雷堰第三線に八九式機雷50個(1〜50番)、五号改一機雷10個(51-60番)敷設。 第二機雷堰第一線に五号改一機雷59個敷設。
1941年(昭和16年)12月19日佐世保着。
1941年(昭和16年)12月19日機雷搭載。
1941年(昭和16年)12月21日佐世保発。
1941年(昭和16年)12月22日長崎機雷堰第一線に八九式機雷38個敷設。
1941年(昭和16年)12月23日第三機雷堰第一線に八九式機雷7個(1〜6,60番)、五号改一機雷53個(7-59番)敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月26日九二式機雷搭載。
1941年(昭和16年)12月27日佐世保発。 港外に九二式機雷敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月30日佐世保発。 港外に九二式機雷敷設。 佐世保着。
1941年(昭和16年)12月30日佐世保発。 港外警戒。
1942年(昭和17年)1月1日軍隊区分:機密佐世保防備戦隊命令作第28号:湾口部隊第三掃海部隊(10)。
1942年(昭和17年)1月2日佐世保着。
1942年(昭和17年)1月6日佐世保発。 港外掃海。
1942年(昭和17年)1月10日佐世保着。
1942年(昭和17年)1月14日佐世保発。 港外警戒。
1942年(昭和17年)1月17日佐世保着。
1942年(昭和17年)1月19日佐世保発。 教練射撃。 佐世保着。
1942年(昭和17年)1月20日佐世保発。 港外警戒。
1942年(昭和17年)1月22日佐世保着。
1942年(昭和17年)1月24日入渠。
1942年(昭和17年)2月2日出渠。
1942年(昭和17年)2月6日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)2月7日佐世保着。
1942年(昭和17年)2月10日佐世保発。 港外警戒、航路指示。 佐世保着。
1942年(昭和17年)2月13日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)2月16日佐世保着。
1942年(昭和17年)2月18日佐世保発。 港外日施掃海。
1942年(昭和17年)2月19日佐世保着。
1942年(昭和17年)2月23日佐世保発。 港外講習員投射実習。 佐世保着。
1942年(昭和17年)2月25日佐世保発。 港外日施掃海。
1942年(昭和17年)2月26日佐世保着。
1942年(昭和17年)2月28日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)3月1日佐世保着。
1942年(昭和17年)3月9日出渠。
1942年(昭和17年)3月12日佐世保発。 港外警戒、対潜掃蕩、航路指示。 佐世保着。
1942年(昭和17年)3月12日佐世保発。 港外警戒、対潜掃蕩、航路指示。
1942年(昭和17年)3月19日佐世保着。
1942年(昭和17年)3月21日佐世保発。 港外掃海。
1942年(昭和17年)3月22日佐世保着。
1942年(昭和17年)3月25日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)4月5日佐世保着。
1942年(昭和17年)4月9日佐世保発。 港外講習員投射実習。 佐世保着。
1942年(昭和17年)4月12日佐世保発。 港外警戒、対潜掃蕩、航路指示。
1942年(昭和17年)4月18日佐世保着。 同日、佐世保発。
1942年(昭和17年)4月19日佐世保着。
1942年(昭和17年)4月24日入渠。
1942年(昭和17年)4月30日出渠。
1942年(昭和17年)5月12日佐世保発。 佐世保着。
1942年(昭和17年)5月13日佐世保発。 港外航路掃海。
1942年(昭和17年)5月14日佐世保着。
1942年(昭和17年)5月18日佐世保発。 港外警戒、対潜掃蕩、航路指示。
1942年(昭和17年)5月20日佐世保着。
1942年(昭和17年)5月25日佐世保発。 日施掃海。
1942年(昭和17年)5月26日佐世保着。
1942年(昭和17年)6月1日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)6月2日佐世保着。
1942年(昭和17年)6月4日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)6月6日佐世保着。
1942年(昭和17年)6月8日佐世保発。 戦務作業。
1942年(昭和17年)6月9日佐世保着。
1942年(昭和17年)6月23日佐世保発。 長瀬埼的山大島衛所公試。
1942年(昭和17年)6月26日佐世保着。
1942年(昭和17年)6月30日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)7月1日佐世保着。
1942年(昭和17年)7月3日佐世保発。 港外講習員投射実習。 佐世保着。
1942年(昭和17年)7月9日佐世保発。 港外にて伊號第五十三潜水艦音源艇。 佐世保着。
1942年(昭和17年)7月13日佐世保発。 港外にて伊号第五十四潜水艦音源艇。 佐世保着。
1942年(昭和17年)7月26日佐世保発。 港外射撃。 佐世保着。
1942年(昭和17年)7月29日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)7月30日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月1日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)8月3日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月5日佐世保発。 港外講習員投射実習。 哨区哨戒着。
1942年(昭和17年)8月9日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月11日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)8月15日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月21日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)8月242日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月26日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)8月29日佐世保着。
1942年(昭和17年)8月30日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)8月31日佐世保着。
1942年(昭和17年)9月1日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)9月3日佐世保着。
1942年(昭和17年)9月15日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)9月22日佐世保着。
1942年(昭和17年)9月24日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)9月26日佐世保着。
1942年(昭和17年)9月29日佐世保発。 港外教練射撃。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月2日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)10月3日佐世保着。
1942年(昭和17年)10月6日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)10月8日佐世保着。
1942年(昭和17年)10月12日佐世保発。 港外防潜網作業。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月13日佐世保発。 港外防潜網作業。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月14日佐世保発。 港外防潜網作業。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月15日佐世保発。 港外防潜網作業。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月16日佐世保発。 港外防潜網作業。 佐世保着。
1942年(昭和17年)10月20日佐世保発。 港外警戒、航路指示。
1942年(昭和17年)10月26日佐世保着。
1942年(昭和17年)11月4日佐世保発。 七番機雷堰設標。
1942年(昭和17年)11月7日佐世保着。
1942年(昭和17年)11月9日佐世保発。 五番、六番機雷堰設標、機雷3個処分。
1942年(昭和17年)11月14日佐世保着。
1942年(昭和17年)11月16日佐世保発。 機雷堰作業警戒。
1942年(昭和17年)11月17日瀬戸着。
1942年(昭和17年)11月19日瀬戸発。 四番機雷堰設標、機雷1個処分。
1942年(昭和17年)11月22日佐世保着。
1942年(昭和17年)11月26日佐世保発。
1942年(昭和17年)11月27日佐世保着。
1942年(昭和17年)11月29日佐世保発。 三番機雷堰設標。
1942年(昭和17年)12月2日佐世保着。
1942年(昭和17年)12月3日佐世保発。 一番機雷堰設標、機雷7個処分。
1942年(昭和17年)12月4日前津吉着。
1942年(昭和17年)12月6日前津吉発。 二番機雷堰設標、機雷3個処分。
1942年(昭和17年)12月6日軍隊区分:機密佐世保鎮守府命令作第34号:海面防備部隊佐世保附近防備部隊。
1942年(昭和17年)12月11日佐世保着。
1942年(昭和17年)12月15日佐世保発。 長崎堰設標、機雷1個処分。
1942年(昭和17年)12月21日佐世保着。
1942年(昭和17年)12月21日昭和18年度佐世保防備戦隊第1回戦闘掃海実施計画を下令される。
1942年(昭和17年)12月28日佐世保発。 三番機雷堰大掃海作業。
1942年(昭和17年)12月31日佐世保着。
1943年(昭和18年)1月2日佐世保発。 哨戒、航路指示。 浮流機雷1個処分。
1943年(昭和18年)1月6日佐世保着。
1943年(昭和18年)1月12日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)1月16日佐世保着。
1943年(昭和18年)1月20日佐世保発。 一番機雷堰設標、警戒。 
1943年(昭和18年)1月22日佐世保着。
1943年(昭和18年)2月2日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)2月5日佐世保着。
1943年(昭和18年)2月11日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)2月15日佐世保着。
1943年(昭和18年)2月17日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)2月19日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)2月23日佐世保着。
1943年(昭和18年)2月25日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)2月26日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)3月2日佐世保着。
1943年(昭和18年)3月3日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)3月11日佐世保発。 試運転。 佐世保着。
1943年(昭和18年)3月12日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)3月13日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)3月14日佐世保着。
1943年(昭和18年)3月15日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)3月19日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)3月23日佐世保着。
1943年(昭和18年)3月27日佐世保発。 哨戒、航路指示。
1943年(昭和18年)3月31日佐世保着。
1943年(昭和18年)5月2日佐世保発。 自差修正。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月3日佐世保発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月6日佐世保発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月8日佐世保発。 訓練、交通。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月9日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)5月11日佐世保着。
1943年(昭和18年)5月17日佐世保発。 試運転。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月18日佐世保発。 訓練。
1943年(昭和18年)5月19日佐世保着。
1943年(昭和18年)5月21日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)5月25日佐世保着。
1943年(昭和18年)5月28日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)5月29日佐世保発。
1943年(昭和18年)5月31日伊万里出港船団を古志岐島相崎瀬戸間にて警戒を下令される。
1943年(昭和18年)5月31日速やかに白瀬敵潜水艦の位置に集合、敵潜水艦の監視を下令される。
1943年(昭和18年)6月1日現地着。 対潜掃蕩。
1943年(昭和18年)6月2日監視打切り。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月3日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月4日佐世保発。 教練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月7日佐世保発。 機雷堰更新作業。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月8日佐世保発。 機雷堰更新作業。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月9日佐世保発。 機雷堰更新作業。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月10日佐世保発。 機雷堰更新作業。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月12日佐世保発。 機雷堰更新作業。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月16日佐世保発。 川内着。
1943年(昭和18年)6月17日川内発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月21日佐世保発。 哨戒。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月22日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)6月27日佐世保着。
1943年(昭和18年)6月29日佐世保発。 哨戒。 佐世保着。
1943年(昭和18年)6月30日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月1日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月2日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月6日佐世保発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月9日佐世保発。 ???着。
1943年(昭和18年)7月10日???発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月12日佐世保発。 志々岐着。
1943年(昭和18年)7月13日志々岐発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月22日佐世保発。 教練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)7月27日直に出動、爆雷50個搭載、玉之浦にて待機、爆雷補給を下令される。
1943年(昭和18年)7月27日佐世保発。 訓練。
1943年(昭和18年)7月28日佐世保着。
1943年(昭和18年)7月30日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月2日佐世保発。 玉ノ浦着。
1943年(昭和18年)8月3日玉ノ浦発。 福江着。
1943年(昭和18年)8月4日福江発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月9日佐世保発。 宇久島着。
1943年(昭和18年)8月10日宇久島発。 生月着。
1943年(昭和18年)8月11日生月発。 呼子着。
1943年(昭和18年)8月12日呼子発。 的山大島着。
1943年(昭和18年)8月13日的山大島発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月14日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月18日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月23日佐世保発。 松島着。
1943年(昭和18年)8月24日松島発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)8月25日佐世保発。 松島着。
1943年(昭和18年)8月26日松島発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)9月1日佐世保発。 訓練。
1943年(昭和18年)9月2日佐世保着。
1943年(昭和18年)9月3日佐世保発。 訓練。
1943年(昭和18年)9月4日佐世保着。
1943年(昭和18年)9月5日〜15日機関手入。
1943年(昭和18年)9月16日佐世保発。 福田浦着。
1943年(昭和18年)9月17日福田浦発。
1943年(昭和18年)9月18日長崎着。
1943年(昭和18年)9月19日長崎発。 長崎着。
1943年(昭和18年)9月20日長崎発。 長崎着。
1943年(昭和18年)9月21日長崎発。
1943年(昭和18年)9月22日佐世保着。
1943年(昭和18年)9月23日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)9月24日佐世保着。
1943年(昭和18年)9月25日佐世保発。 福田浦着。
1943年(昭和18年)9月26日福田浦発。
1943年(昭和18年)9月27日長崎着。
1943年(昭和18年)9月28日長崎発。 蚊焼着。
1943年(昭和18年)9月29日蚊焼発。
1943年(昭和18年)10月1日佐世保着。
1943年(昭和18年)10月4日佐世保発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月5日佐世保発。 第四回教練射撃。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月6日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)10月7日佐世保着。
1943年(昭和18年)10月12日第四回教練射撃、第一回教練応急、第二回教練運転。
1943年(昭和18年)10月12日佐世保発。 哨戒。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月13日佐世保発。 訓練。
1943年(昭和18年)10月14日佐世保着。
1943年(昭和18年)10月16日佐世保発。 伊王島着。
1943年(昭和18年)10月17日伊王島発。
1943年(昭和18年)10月18日長崎着。
1943年(昭和18年)10月19日長崎発。
1943年(昭和18年)10月20日土井ノ首着。
1943年(昭和18年)10月21日土井ノ首発。
1943年(昭和18年)10月22日佐世保着。
1943年(昭和18年)10月23日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月25日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月27日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月28日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)10月29日佐世保発。
1943年(昭和18年)10月30日野母浦着。
1943年(昭和18年)10月31日野母浦発。
1943年(昭和18年)11月1日佐世保着。
1943年(昭和18年)11月4日〜14日機関手入。
1943年(昭和18年)11月15日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)11月17日佐世保発。 訓練。 佐世保着。
1943年(昭和18年)11月18日佐世保発。 仮屋着。
1943年(昭和18年)11月19日仮屋発。 大島本村沖着。
1943年(昭和18年)11月20日大島本村沖発。 呼子着。
1943年(昭和18年)11月21日呼子発。 「白耳義丸」状況報告。 佐世保着。
1943年(昭和18年)11月22日(N33.41-E128.35)の敵潜撃滅を下令される。
1943年(昭和18年)11月22日佐世保発。 対潜掃蕩。
1943年(昭和18年)11月24日佐世保着。
1943年(昭和18年)11月26日佐世保発。 瀬戸沖着。
1943年(昭和18年)11月27日瀬戸沖発。 瀬戸沖着。
1943年(昭和18年)11月28日瀬戸沖発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)12月4日佐世保発。 神ノ浦着。
1943年(昭和18年)12月5日神ノ浦発。 12.06
1943年(昭和18年)12月6日神ノ浦着。 同日、神ノ浦発。
1943年(昭和18年)12月7日神ノ浦着。
1943年(昭和18年)12月9日神ノ浦発。
1943年(昭和18年)12月10日佐世保着。
1943年(昭和18年)12月15日直に出動、筑前大島、小呂島間哨戒を下令される。
1943年(昭和18年)12月16日佐世保発。 哨戒。
1943年(昭和18年)12月21日川内湾着。
1943年(昭和18年)12月22日川内湾発。 佐世保着。
1943年(昭和18年)12月24日佐世保発。 神ノ浦着。
1943年(昭和18年)12月25日神ノ浦発。
1943年(昭和18年)12月26日小値價着。
1943年(昭和18年)12月27日小値價発。
1943年(昭和18年)12月28日小値價着。
1943年(昭和18年)12月29日小値價発。
1943年(昭和18年)12月30日佐世保着。
1944年(昭和19年)1月2日佐世保発。 平着。
1944年(昭和19年)1月4日平発。 館浦着。
1944年(昭和19年)1月6日館浦発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)1月10日佐世保発。 呼子着。
1944年(昭和19年)1月11日呼子発。 大島着。
1944年(昭和19年)1月12日大島発。 呼子着。
1944年(昭和19年)1月13日深月発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)1月14日〜24日機関手入。
1944年(昭和19年)1月24日佐世保発。 野母浦着。
1944年(昭和19年)1月25日野母浦発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)1月29日佐世保発。 平着。
1944年(昭和19年)1月30日平発。
1944年(昭和19年)2月2日神ノ浦着。
1944年(昭和19年)2月3日神ノ浦発。 志々岐着。
1944年(昭和19年)2月4日志々岐発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)2月1日敷設特務艇に類別変更。
1944年(昭和19年)2月11日佐世保発。
1944年(昭和19年)2月12日呼子着。
1944年(昭和19年)2月13日呼子発。 館浦着。
1944年(昭和19年)2月14日館浦発。
1944年(昭和19年)2月15日平着。
1944年(昭和19年)2月16日平発。
1944年(昭和19年)2月18日佐世保着。
1944年(昭和19年)2月21日佐世保発。 哨戒。
1944年(昭和19年)2月24日佐世保着。
1944年(昭和19年)2月27日佐世保発。
1944年(昭和19年)2月28日平発。
1944年(昭和19年)3月1日一部浦着。
1944年(昭和19年)3月2日一部浦発。
1944年(昭和19年)3月3日平着。
1944年(昭和19年)3月4日平発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)3月7日佐世保発。 脇岬着。
1944年(昭和19年)3月9日脇岬発。 佐世保着。
1944年(昭和19年)3月11日佐世保発。 郷ノ浦着。
1944年(昭和19年)3月14日佐世保着。
1944年(昭和19年)3月23日佐世保発。 哨戒。
1944年(昭和19年)3月26日佐世保着。
1944年(昭和19年)3月26日入渠につき帰投を下令される
1944年(昭和19年)3月30日入渠。
1944年(昭和19年)4月1日佐世保発。 哨戒。
1944年(昭和19年)4月4日佐世保着。
1945年(昭和20年)8月15日残存。
1947年(昭和22年)5月3日除籍。

参考資料

  1. ab日本海軍護衛艦艇史.東京,海人社,1996,p108,世界の艦船.No507 1996/2増刊 増刊第45集
  2. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p546.(ISBN4-7698-1151-9 )
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p57
  4. 戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html

謝辞

勝力の履歴データは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。