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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

日本海軍は創設以来、軍艦の燃料にはすべて石炭を用いていたが、外国で重油が艦艇用燃料として使用され出したことに鑑み、1900年(明治33年)から研究に着手した。 まず日露戦争中に水雷艇「小鷹」のイ号艦本式缶で重油燃焼装置の装備方法を研究した。 日露戦後の1906年(明治39年)には通報艦「八重山」のボイラに重油燃焼装置を取付けて、石炭・重油混焼試験を実施した。 以降、建造される主力艦艇は石炭・重油混焼が基本となり、駆逐艦にいたっては被発見性の観点から早くより重油専焼化が求められていた。 しかしながら、民需との関係で民間会社が所有する外航タンカーの数は十分でなく、特に第一次大戦が生じると外国船の使用は不可能となり、本邦船もイギリス海軍に売却されるものもあった。 このため重油燃料を安定供給するために、海軍独自の給油艦を整備する必要があった。

八八艦隊計画で激増が予想される石油輸送に充てるために多数の給油艦を建造したが、それに先立って、初めての軍用タンカーとして建造されたのが「志自岐」である。 当時わが国でタンカーの建造実績は三菱造船しかなかったので、速力を12ノットに指定した以外、同社に設計を一任した。 重油のほかに軍港間の物件輸送艦として使用することができるように約3トンのデリックが装備されている。 竣工後は主としてボルネオからの石油輸入に使用されたが、1919年(大正8年)8月タラカンから佐世保への帰途に消息不明となった。 その後、暴風雨のため7日間難航を続けた後、針路を誤り種ケ島南方で座礁沈没したことが判明した。(1)(2)(3)

艦名

艦名は岬角名。 長崎県平戸島南端の志自岐埼より。(4)

要目(5)(6)

新造時
艦種運送船
常備排水量 ※15,300トン
垂線間長91.44m
最大幅12.80m
喫水6.14m
主機直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械1基、1軸
主缶艦本式水管缶(石炭専焼)4基
出力2,500馬力
速力12ノット
燃料石炭:345トン
航続力
兵装40口径安式8cm単装砲2基
搭載能力石油3.000トン
乗員116人
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(7)(8)

年月日履歴
1915年(大正4年)2月26日起工。
1915年(大正4年)5月21日「志自岐丸」と命名。 本籍を佐世保鎮守府と定める。
1915年(大正4年)8月23日「志自岐」と改名。
1916年(大正5年)3月15日進水。
1916年(大正5年)3月22日運送船に類別。 本籍を佐世保鎮守府と定める。
1916年(大正5年)5月15日竣工。
1916年(大正5年)5月18日呉発。 同日、呉着。
1916年(大正5年)5月21日呉発。
1916年(大正5年)5月22日佐世保着。
1916年(大正5年)5月30日佐世保発。
1916年(大正5年)6月2日土崎着。 重油搭載3,007t(6月5日まで)。
1916年(大正5年)6月5日土崎発。
1916年(大正5年)6月8日呉着。 重油配給3,007t(6月10日まで)。
1916年(大正5年)6月15日呉発。
1916年(大正5年)6月18日土崎着。 重油搭載2,969t(6月21日まで)。
1916年(大正5年)6月21日土崎発。
1916年(大正5年)6月24日佐世保着。 重油配給2,969t(6月27日まで)。
1916年(大正5年)6月29日佐世保発。
1916年(大正5年)7月2日船川湾船越海岸で座洲。
1916年(大正5年)7月4日救難材料を搭載し雑役船「第二大湊丸」、大型敷設艇「葦埼丸」来着。
1916年(大正5年)7月7日救難材料を搭載し駆逐艦「朧」来着。
1916年(大正5年)7月9日大型敷設艇「葦埼丸」現場発。
1916年(大正5年)7月13日救難材料を搭載し砲艦「最上」来着。
1916年(大正5年)7月17日離洲。 雑役船「第二大湊丸」が船尾より曳航、船川着。
1916年(大正5年)7月21日砲艦「最上」船川湾発。
1916年(大正5年)7月26日工作艦「満州」来着。 「満州」に曳航され船川発。
1916年(大正5年)7月28日舞鶴着。
1916年(大正5年)7月29日舞鶴海軍工廠第一船渠に入渠。
1916年(大正5年)9月30日出渠。
1916年(大正5年)10月3日舞鶴発。 試運転。 舞鶴帰着。
1916年(大正5年)10月4日舞鶴発。
1916年(大正5年)10月6日土崎着。 重油搭載。
1916年(大正5年)10月7日土崎発。 船川湾着。
1916年(大正5年)10月8日船川湾発。 土崎着。 重油搭載(10月6日〜9日まで計3,010t)。
1916年(大正5年)10月9日土崎発。
1916年(大正5年)10月12日呉着。
1916年(大正5年)10月13日重油配給3,010t(10月14日まで)。
1916年(大正5年)10月15日呉発。
1916年(大正5年)10月18日土崎着。 即日、土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)10月19日船川発。 土崎着。 重油搭載2,700t(10月24日まで)。
1916年(大正5年)10月21日土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)10月24日船川発。 土崎着。 重油搭載。
1916年(大正5年)10月24日土崎発。
1916年(大正5年)10月27日佐世保着。 重油配給2,700t(10月29日まで)。
1916年(大正5年)10月31日佐世保発。
1916年(大正5年)11月3日土崎着。 即日、土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)11月5日船川発。 土崎着。 重油搭載3,210t(11月6日まで)。
1916年(大正5年)11月6日土崎発。
1916年(大正5年)11月7日土崎発。 船川着。 即日、船川発。 土崎着。
1916年(大正5年)11月8日土崎発。
1916年(大正5年)11月11日佐世保着。 重油配給3,210t(11月13日まで)。
1916年(大正5年)11月15日佐世保発。
1916年(大正5年)11月17日志々伎湾発。
1916年(大正5年)11月18日瀬戸崎着。 即日、瀬戸崎発。
1916年(大正5年)11月20日船川着。
1916年(大正5年)11月24日船川発。 土崎着。 重油搭載2,969t(11月26日まで)。
1916年(大正5年)11月26日土崎発。
1916年(大正5年)11月27日飯田湾着。
1916年(大正5年)11月28日飯田湾発。
1916年(大正5年)11月30日佐世保着。
1916年(大正5年)12月2日重油配給2,969t(12月3日まで)。
1916年(大正5年)12月4日佐世保発。
1916年(大正5年)12月7日土崎着。 重油搭載。
1916年(大正5年)12月8日土崎発。
1916年(大正5年)12月11日船川発。 土崎着。 重油搭載。 土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)12月13日船川発。 土崎着。
1916年(大正5年)12月14日重油搭載。 土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)12月15日船川発。 土崎着。 重油搭載。 土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)12月17日重油搭載。 土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)12月19日船川発。 土崎着。
1916年(大正5年)12月20日重油搭載。 土崎発。 船川着。
1916年(大正5年)12月23日船川発。 土崎着。
1916年(大正5年)12月24日重油搭載(12月7日〜12月24日まで計2,907t)。 土崎発。
1916年(大正5年)12月30日呉着。 
1917年(大正6年)1月2日重油配給2,907t(1月4日まで)。
1917年(大正6年)1月5日呉発。 佐世保着。
1917年(大正6年)1月15日船底塗粧のため佐世保海軍工廠第三船渠に入渠。
1917年(大正6年)1月25日出渠。
1917年(大正6年)2月0日軍需品12,318梱、託送品310梱搭載。
1917年(大正6年)2月15日佐世保発。
1917年(大正6年)2月18日馬公着。 軍需品12,318梱、託送品310梱揚陸。 
1917年(大正6年)2月21日軍需品809梱、託送品19梱搭載、患者1名乗艦し馬公発。
1917年(大正6年)2月25日佐世保着。 軍需品809梱、託送品19梱揚陸、患者1名退艦。
1917年(大正6年)3月11日軍需品250梱搭載し佐世保発。
1917年(大正6年)3月11日鎮海着。 軍需品搭載250梱揚陸。
1917年(大正6年)3月12日鎮海発。
1917年(大正6年)3月15日船川着。
1917年(大正6年)3月28日船川発。
1917年(大正6年)3月29日新潟着。 重油搭載2,710t(4月1日まで)。
1917年(大正6年)4月1日新潟発。
1917年(大正6年)4月4日佐世保着。 重油配給2,710t(4月5日まで)。
1917年(大正6年)4月9日佐世保発。
1917年(大正6年)4月12日土崎着。 重油搭載2,998t(4月14日まで)。
1917年(大正6年)4月14日土崎発。
1917年(大正6年)4月17日佐世保着。 重油配給2,998t(4月19日まで)。
1917年(大正6年)4月22日佐世保発。
1917年(大正6年)4月25日土崎着。 重油搭載3,037t(4月27日まで)。
1917年(大正6年)4月27日土崎発。
1917年(大正6年)5月1日横須賀着。 重油配給3,037t(5月3日まで)。
1917年(大正6年)5月8日横須賀発。
1917年(大正6年)5月12日新潟着。 重油搭載3,080t(5月15日まで)。
1917年(大正6年)5月15日新潟発。
1917年(大正6年)5月18日呉着。 重油配給3,080t(5月19日まで)。
1917年(大正6年)5月21日呉発。
1917年(大正6年)5月22日佐世保着。
1917年(大正6年)5月船橋甲板両舷に三吋砲各1門搭載。
1917年(大正6年)6月20日(第1回)佐世保発。 主砲試射、磁差修正。
1917年(大正6年)6月29日ラブアン(ヴィクトリア港)着。 ラブアン発。
1917年(大正6年)6月30日ミリ着。 重油搭載3,243t(7月3日まで)。
1917年(大正6年)7月5日ミリ発。
1917年(大正6年)7月6日ラブアン着。
1917年(大正6年)7月9日ラブアン発。 機械故障。
1917年(大正6年)7月10日クダット着。 応急修理。
1917年(大正6年)7月11日クダット発。
1917年(大正6年)7月19日佐世保着。
1917年(大正6年)7月20日重油配給3,243t(7月21日まで)。
1917年(大正6年)8月8日船底塗粧のため佐世保海軍工廠第一船渠に入渠。
1917年(大正6年)8月14日出渠。
1917年(大正6年)8月19日(第2回)佐世保発。
1917年(大正6年)8月28日ラブアン着。
1917年(大正6年)9月7日ラブアン発。
1917年(大正6年)9月8日ミリ着。 重油搭載3,272.15t(9月10日まで)。
1917年(大正6年)9月10日ミリ発。
1917年(大正6年)9月11日ラブアン着。
1917年(大正6年)9月12日ラブアン発。
1917年(大正6年)9月20日佐世保着。 重油配給3,272.15t(9月21日まで)。
1917年(大正6年)10月1日(第3回)佐世保発。
1917年(大正6年)10月11日ラブアン着。
1917年(大正6年)10月12日ラブアン発。
1917年(大正6年)10月13日ミリ着。 重油搭載3,490.24t(10月15日まで)。
1917年(大正6年)10月15日ミリ発。
1917年(大正6年)10月16日ラブアン着。
1917年(大正6年)10月18日ラブアン発。
1917年(大正6年)10月28日佐世保着。 重油配給3,244.40t(10月29日まで)。
1917年(大正6年)11月18日(第4回)佐世保発。
1917年(大正6年)11月27日ラブアン着。
1917年(大正6年)12月1日ラブアン発。
1917年(大正6年)12月2日ミリ着。 重油搭載3,644.26t(12月3日まで)。
1917年(大正6年)12月5日ミリ発。
1917年(大正6年)12月6日ラブアン着。
1917年(大正6年)12月8日ラブアン発。
1917年(大正6年)12月18日佐世保着。 重油配給3,339.65t(12月19日まで)。
1917年(大正6年)12月31日(第5回)佐世保発。
1918年(大正7年)1月10日ラブアン着。
1918年(大正7年)1月11日ラブアン発。
1918年(大正7年)1月12日ミリ着。 
1918年(大正7年)2月16日応急修理完了。
1918年(大正7年)2月16日重油搭載3,417.72t (2月17日まで)。
1918年(大正7年)2月19日ミリ発。
1918年(大正7年)2月20日ラブアン着。
1918年(大正7年)2月21日ラブアン発。
1918年(大正7年)2月27日馬公着。 重油配給3,021.900t(3月2日まで)。
1918年(大正7年)3月6日馬公発。
1918年(大正7年)3月12日ミリ着。 重油搭載3,521.15t (3月13日まで)。
1918年(大正7年)3月14日ミリ発。
1918年(大正7年)3月24日呉着。
1918年(大正7年)3月25日重油配給3,431.000t(3月26日まで)。
1918年(大正7年)3月27日呉発。
1918年(大正7年)3月28日佐世保着。
1918年(大正7年)4月6日(第6回)佐世保発。 福江着。
1918年(大正7年)4月7日福江発。
1918年(大正7年)4月16日ミリ着。 重油搭載3,519.50t (4月17日まで)。
1918年(大正7年)4月19日ミリ発。 ラブアン着。
1918年(大正7年)4月21日ラブアン発。
1918年(大正7年)5月1日呉着。 重油配給3,45.500t(5月3日まで)。
1918年(大正7年)5月4日呉発。
1918年(大正7年)5月5日佐世保着。
1918年(大正7年)5月9日(第7回)佐世保発。
1918年(大正7年)5月19日ゼッセルトン着。
1918年(大正7年)5月20日ゼッセルトン発。
1918年(大正7年)5月21日ミリ着。 重油搭載3,552.570t(5月22日まで)。
1918年(大正7年)5月22日ミリ発。
1918年(大正7年)5月23日ラブアン着。
1918年(大正7年)5月25日ラブアン発。
1918年(大正7年)6月3日呉着。 重油配給3,267.500t(6月5日まで)。
1918年(大正7年)6月5日呉発。
1918年(大正7年)6月6日佐世保着。
1918年(大正7年)6月8日佐世保海軍工廠第一船渠に入渠。
1918年(大正7年)6月14日出渠。
1918年(大正7年)6月18日(第8回)佐世保発。
1918年(大正7年)6月20日臺州列島6月24発。
1918年(大正7年)6月24日臺州列島6月24発。
1918年(大正7年)7月1日ラブアン着。
1918年(大正7年)7月2日ラブアン発。
1918年(大正7年)7月3日ミリ着。 重油搭載3,606.68t (7月4日まで)。
1918年(大正7年)7月4日ミリ発。
1918年(大正7年)7月5日ラブアン着。
1918年(大正7年)7月6日ラブアン発。
1918年(大正7年)7月15日呉着。 重油配給3,573.300t(7月16日まで)。
1918年(大正7年)7月17日呉発。
1918年(大正7年)7月18日佐世保着。
1918年(大正7年)7月24日(第9回)佐世保発。
1918年(大正7年)8月1日ラブアン着。
1918年(大正7年)8月2日ラブアン発。
1918年(大正7年)8月3日ミリ着。 重油搭載3,555.77t (8月4日まで)。
1918年(大正7年)8月4日ミリ発。
1918年(大正7年)8月5日ゼッセルトン着。
1918年(大正7年)8月6日ゼッセルトン発。
1918年(大正7年)8月14日呉着。 重油配給2,819t  (8月15日まで)。
1918年(大正7年)8月16日(第10回)呉発。
1918年(大正7年)8月19日土崎着。 即日、土崎発。 船川着。
1918年(大正7年)8月20日船川発。 土崎着。 重油搭載1,960t  (8月23日まで)。
1918年(大正7年)8月23日土崎発。 船川着。 即日、船川発。
1918年(大正7年)8月24日新潟着。 重油搭載1,004t   (8月25日まで)。
1918年(大正7年)8月25日新潟発。
1918年(大正7年)8月28日呉着。 重油配給2,964t  (8月29日まで)。
1918年(大正7年)8月30日呉発。
1918年(大正7年)8月31日佐世保着。
1918年(大正7年)9月7日(第11回)佐世保発。
1918年(大正7年)9月15日ラブアン着。
1918年(大正7年)9月16日ラブアン発。
1918年(大正7年)9月17日ミリ着。 重油搭載3,529.490t。
1918年(大正7年)9月19日ミリ発。
1918年(大正7年)9月20日クダット着。
1918年(大正7年)9月21日クダット発。
1918年(大正7年)9月29日佐世保着。 重油配給3,464.550t(9月30日まで)。
1918年(大正7年)10月8日(第12回)佐世保発。
1918年(大正7年)10月16日ラブアン着。
1918年(大正7年)10月17日ラブアン発。
1918年(大正7年)10月18日ミリ着。 重油搭載3,555.14t (10月19日まで)。
1918年(大正7年)10月19日ミリ発。
1918年(大正7年)10月20日ゼッセルトン着。
1918年(大正7年)10月21日ゼッセルトン発。
1918年(大正7年)10月30日佐世保着。 重油配給3,064.7t (11月3日まで)。
1918年(大正7年)11月11日(第13回)佐世保発。
1918年(大正7年)11月19日ラブアン着。
1918年(大正7年)11月20日ラブアン発。
1918年(大正7年)11月21日ミリ着。 重油搭載3,391.15t (11月22日まで)。
1918年(大正7年)11月22日ミリ発。
1918年(大正7年)11月23日ラブアン着。
1918年(大正7年)11月24日ラブアン発。
1918年(大正7年)12月2日佐世保着。 重油配給3,344.8t (12月3日まで)。
1918年(大正7年)12月10日(第14回)佐世保発。
1918年(大正7年)12月19日ラブアン着。 即日、ラブアン発。
1918年(大正7年)12月20日ミリ着。 重油搭載3,599.72t (12月21日まで)。
1918年(大正7年)12月21日ミリ発。
1918年(大正7年)12月22日ゼッセルトン着。
1918年(大正7年)12月23日ゼッセルトン発。
1919年(大正8年)1月1日佐世保着。
1919年(大正8年)1月3日重油配給3,094.5t (1月4日まで)。
1919年(大正8年)1月10日(第15回)佐世保発。
1919年(大正8年)1月19日タラカン着。
1919年(大正8年)1月21日重油搭載3,576.479t(1月22日まで)。
1919年(大正8年)1月22日タラカン発。
1919年(大正8年)2月1日佐世保着。 重油配給3,036.0t (2月2日まで)。
1919年(大正8年)2月9日(第16回)佐世保発。
1919年(大正8年)2月18日サンダカン着。
1919年(大正8年)2月20日サンダカン発。
1919年(大正8年)2月21日タラカン着。 重油搭載3,556.065t(2月22日まで)。
1919年(大正8年)2月22日タラカン発。
1919年(大正8年)3月4日佐世保着。 重油配給3,002.916t(3月5日まで)。
1919年(大正8年)3月15日(第17回)佐世保発。
1919年(大正8年)3月24日タラカン着。
1919年(大正8年)3月25日重油搭載3,542.595t。 タラカン発。
1919年(大正8年)3月25日タラカン発。
1919年(大正8年)3月28日サンダカン着。
1919年(大正8年)3月29日サンダカン発。
1919年(大正8年)4月7日佐世保着。 重油配給3,273.975t。
1919年(大正8年)4月9日入渠。
1919年(大正8年)4月21日出渠。
1919年(大正8年)4月25日(第18回)佐世保発。
1919年(大正8年)5月3日サンダカン着。
1919年(大正8年)5月4日サンダカン発。
1919年(大正8年)5月5日タラカン着。 重油搭載3,574.270t(5月6日まで)。
1919年(大正8年)5月6日タラカン発。
1919年(大正8年)5月12日馬公着。 重油配給3,300t (5月17日まで)。
1919年(大正8年)5月17日馬公発。
1919年(大正8年)5月22日ホロ着。
1919年(大正8年)5月23日ホロ発。
1919年(大正8年)5月24日タラカン着。 重油搭載3,618.230t(5月25日まで)。
1919年(大正8年)5月25日タラカン発。
1919年(大正8年)6月3日佐世保着。
1919年(大正8年)6月4日重油配給3,349.5t (6月5日まで)。
1919年(大正8年)6月6日佐世保海軍工廠で入渠。
1919年(大正8年)7月2日出渠。
1919年(大正8年)7月5日(第19回)佐世保発。
1919年(大正8年)7月13日ホロ着。
1919年(大正8年)7月14日ホロ発。
1919年(大正8年)7月15日タラカン着。
1919年(大正8年)7月16日重油搭載3,565.319t。 タラカン発。
1919年(大正8年)7月16日タラカン発。
1919年(大正8年)7月22日馬公着。 重油配給3,365.3t (7月26日まで)。
1919年(大正8年)7月26日馬公発。
1919年(大正8年)8月1日タラカン着。 重油搭載3,500t。
1919年(大正8年)8月2日タラカン発。
1919年(大正8年)8月4日ザンボアンガ着。
1919年(大正8年)8月6日ザンボアンガ発。 佐世保へ。
1919年(大正8年)8月15日種子島南方の源三郎礁付近で座礁破壊。
1920年(大正9年)4月1日特務艦に編入、給油艦に類別。
1920年(大正9年)6月1日除籍

参考資料

  1. 日本海軍特務艦船史.東京、海人社、1997、p13,137、世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集
  2. 日本軍艦史.東京、海人社、1995、p176、世界の艦船.No4001995/8増刊号 増刊第44集
  3. 福井静夫.日本補助艦艇物語.東京,光人社,1993,p220,軍艦七十五年回想記,第10巻.(ISBN4-7698-0658-2)
  4. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p585.(ISBN4-7698-1151-9 )
  5. 前掲.日本海軍特務艦船史.p13
  6. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p56
  7. 戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
  8. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p31

謝辞

志自岐の履歴データは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。