大正初期頃の軍港では300トン積重油船で軍艦に燃料を供給していたが、巡洋戦艦金剛型の重油搭載量が1,000トン、計画中の戦艦「長門」では1,600トンに達しようとしていた。 このような艦艇の重油使用量増加に対応するために、港内給油用の1,100トン積み給油船として計画されたのが「剣埼」である。
当初、レシプロの1軸推進船として計画されたが、その後、イギリスで建造された駆逐艦「浦風」の巡航用ディーゼル機関の流用が可能になったため、2軸推進船に設計を変更し、日本海軍初のディーゼル推進船として竣工した。 なお、本船はディーゼル機関転用策として、雑役船の建造費の枠内で建造されている。 竣工後は主として徳山‐呉間の重油輸送に使用された。
本船のディーゼル主機は、性能不十分で、かつ取扱と整備にも不慣れであったため、完成当時は故障が頃発して操縦の自由を欠くこともあった。 呉軍港では一時、本艦の入港に際し在泊中の艦船に対して危険回避のため、缶を至急点火するよう要望したというエピソードも残されている。 このためもあってか、1926年(大正15年)以降第4予備艦として呉に定係後、1933年(昭和8年)9月1日に除籍された。
しかし、船体はまだ使用可能であったので、1935年(昭和10年)農林省に移管、相生の播磨造船所で主機換装を含む改造が施され、漁業取締船「快鳳丸」となった。 太平洋戦争開戦までは、主に北洋漁業の保護用として使用された。 開戦直前の1941年(昭和16年)11月2日、海軍に気象観測船兼監視船として徴傭され、北方部隊(第五艦隊)の気象観測兼哨戒用として、千島、アリユーシャン方面を行動した。 1945年(昭和20年)1月1日には特設砲艦として海軍に復帰したが、1945年(昭和20年)4月19日、船団護衛中に北海道静内沖でアメリカ潜水艦「サンフィッシュ (Sunfish)」の雷撃を受け沈没した。(1)(2)
艦名は岬角名。 神奈川県三浦半島東端の剣埼より。(3)
運送船として新造時 | 漁業取締船として改造時 | |
---|---|---|
艦種 | 特務艦 | 漁業取締船 |
基準排水量 ※1 | 1,760トン | |
常備排水量 ※1 | 1,970トン | |
総トン数 | - | 1.091トン |
純トン数 | - | 603トン |
垂線間長 | 64.01m | |
全長 | - | 65.6m |
深さ | - | 5.5m |
最大幅 | 9.45m | 9.4m |
喫水 | 4.27m | ? |
主機 | バーマイスター式直立4衝程単動ディーゼル機関2基、2軸 | 発動機2基、2軸 |
出力 | 1,000馬力 | 950馬力 |
速力 | 11ノット | ? |
燃料 | 重油:135トン | ? |
航続力 | ? | ? |
兵装 | 40口径安式8cm単装砲2基 | - |
搭載能力 | 石油1.100トン | - |
乗員 | 103人 | ? |
その他 | - | - |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
---|---|
1916年(大正5年)6月26日 | 「剣埼」と命名。 運送船に類別。 横須賀鎮守府を本籍と定める。 |
1917年(大正6年)6月20日 | 進水。 |
1917年(大正6年)9月1日 | 運送船に類別。 横須賀鎮守府を本籍と定める。 |
1917年(大正6年)11月30日 | 竣工。 |
1917年(大正6年)12月12日 | 呉発。 厳島着。 |
1917年(大正6年)12月13日 | 厳島発。 呉着。 |
1917年(大正6年)12月19日 | 呉発。 |
1917年(大正6年)12月23日 | 横須賀着。 |
1918年(大正7年)1月14日 | 横須賀発。 同日、横須賀着。 |
1918年(大正7年)1月15日 | 横須賀発。 同日、横須賀着。 |
1918年(大正7年)1月16日 | (第1回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)1月21日 | 呉着。 |
1918年(大正7年)1月26日 | 呉発。 |
1918年(大正7年)1月27日 | 佐世保着(第三区仮泊)。 |
1918年(大正7年)1月28日 | 赤崎二番浮標繋留。 10::30 海水排水(23:00まで)。 |
1918年(大正7年)1月29日 | 9:15 重油船を両舷に横付け、越後重油450t搭載開始。 17:15 重油搭載中止。 |
1918年(大正7年)1月30日 | 8:15 重油船を両舷に横付け、越後重油481t搭載開始。 12:30 重油搭載終了。 |
1918年(大正7年)1月30日 | 佐世保発。 18:40 的山大島沖で左舷機故障停止。 19:02 右舷機故障停止、漂泊。 19:25 左舷機故障復旧。 23:33 久喜浦仮泊、検査修理。 |
1918年(大正7年)1月31日 | 応急修理完成。 久喜浦発 |
1918年(大正7年)2月1日 | 安岡沖着。 同日、安岡沖発。 |
1918年(大正7年)2月2日 | 呉着(E8浮標繋留)。 11:30 重油船を両舷に横付け、越後重油657t卸方開始。 17:10 重油卸方中止。 |
1918年(大正7年)2月3日 | 9:40 重油船を両舷に横付け、越後重油274t卸方開始。 13:20 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。 |
1918年(大正7年)2月5日 | (第2回)呉発。 倉橋着。 |
1918年(大正7年)2月6日 | 倉橋発。 今津沖着。 |
1918年(大正7年)2月7日 | 今津沖発。 12:23 六連島灯台北西7浬で波濤の為、両舷機自停。 13:02 左舷機起動。 13:05 右舷機起動。 14::21 吉見湾仮泊。 |
1918年(大正7年)2月8日 | 吉見湾発。 佐世保着(第三区仮泊)。 |
1918年(大正7年)2月9日 | 7:39 赤崎二番浮標繋留。 8:40 海水排水(11:10まで)。 13:00 重油船を両舷に横付け、越後重油592.3t搭載開始。 17:15 重油搭載中止。 |
1918年(大正7年)2月10日 | 8:50 重油船を両舷に横付け、越後重油310.5t搭載開始。 11:10 重油搭載終了。 |
1918年(大正7年)2月11日 | 佐世保発。 10:36 平戸島北西方海面で波濤の為、左舷機自停。 11:20 左舷機起動復旧。 19:43 安岡沖仮泊。 |
1918年(大正7年)2月12日 | 安岡沖発。 呉着(第三区仮泊)。 |
1918年(大正7年)2月13日 | 8:44 E3浮標繋留。 9:50 重油船を両舷に横付け、越後重油812.8t卸方開始。 11:40 重油卸方中止。 13:00 重油船を両舷に横付け、重油卸方再開。 15:00 重油卸方中止。 |
1918年(大正7年)2月14日 | 9:15 重油船を両舷に横付け、越後重油 90.0t卸方開始。 10:40 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。 |
1918年(大正7年)2月16日 | (第3回)呉発。 今津沖着。 |
1918年(大正7年)2月19日 | 今津沖発。 10:17 右舷機故障、片舷機航行。 10:41 今津沖仮泊、機械修理。 |
1918年(大正7年)2月20日 | 今津沖発。 試運転。 大積沖着。 |
1918年(大正7年)2月21日 | 大積沖発。 |
1918年(大正7年)2月22日 | 2:.22佐世保着(第三区仮泊)。 9:00 赤崎二番浮標繋留。 9:15 海水排水(10:45まで)。 12:30 重油船を両舷に横付け、越後重油413t搭載開始。 16:00 重油搭載中止。 |
1918年(大正7年)2月23日 | 8:10 重油船を両舷に横付け、越後重油434t搭載開始。 11:15 重油搭載終了。 |
1918年(大正7年)2月24日 | 佐世保発。 14:19 玄界灘烏帽子島東北東4.5浬で右舷機故障停止、片舷機航行。 17:16 右舷機故障復旧。 19:56 安岡沖仮泊。 |
1918年(大正7年)2月25日 | 安岡沖発。 呉着(E4浮標繋留)。 |
1918年(大正7年)2月26日 | 9:00 重油船を両舷に横付け、越後重油731t卸方開始。 14:42 重油卸方中止。 |
1918年(大正7年)2月17日 | 10:30 重油船を両舷に横付け、越後重油112t卸方開始。 12:30 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。 |
1918年(大正7年)3月4日 | 呉発。 |
1918年(大正7年)3月10日 | 横須賀着。 |
1918年(大正7年)3月19日 | 横須賀発。 |
1918年(大正7年)3月20日 | 横須賀着。 |
1918年(大正7年)3月 | 横須賀海軍工廠で修理。 |
1918年(大正7年)5月21日 | 横須賀発。 横須賀着。 |
1918年(大正7年)5月30日 | (第4回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)5月31日 | 12:30 左舷機附属強圧注油兼海水循環兼燃料補給用喞筒軸折損。 17:15 左舷機停止、喞筒を開放検査。 17:45 左舷機起動。 |
1918年(大正7年)6月1日 | 小豆島着。 同日、小豆島発。 |
1918年(大正7年)6月3日 | 佐世保着。 秋田産重油485t搭載。 |
1918年(大正7年)6月4日 | 秋田産重油487t搭載。 |
1918年(大正7年)6月7日 | 佐世保海軍工廠で機関修理完了。 |
1918年(大正7年)6月8日 | 佐世保発。 |
1918年(大正7年)6月10日 | 和歌浦着。 同日、和歌浦発。 |
1918年(大正7年)6月12日 | 横須賀着。 秋田産重油594.1t卸方。 |
1918年(大正7年)6月13日 | 秋田産重油377.9t卸方。 |
1918年(大正7年)6月15日 | 横須賀海軍工廠で機関修理完了。 |
1918年(大正7年)6月16日 | (第5回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)6月18日 | 部埼沖着。 |
1918年(大正7年)6月19日 | 部埼沖発。 |
1918年(大正7年)6月20日 | 佐世保着。 重油381.8t搭載。 |
1918年(大正7年)6月21日 | 重油582.5t搭載。 |
1918年(大正7年)6月25日 | 佐世保発。 六連島東方着。 |
1918年(大正7年)6月26日 | 六連島東方発。 |
1918年(大正7年)6月27日 | 小部湾着。 同日、小部湾発。 田島南方着。 |
1918年(大正7年)6月28日 | 田島南方発。 |
1918年(大正7年)6月30日 | 横須賀着。 |
1918年(大正7年)7月2日 | 重油964.3t卸方。 |
1918年(大正7年)7月3日 | 横須賀海軍工廠で修理。 |
1918年(大正7年)7月5日 | (第6回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)7月6日 | 和泉灘貝掛沖着。 |
1918年(大正7年)7月7日 | 和泉灘貝掛沖発。 |
1918年(大正7年)7月9日 | 佐世保着。 重油495.5t搭載。 |
1918年(大正7年)7月10日 | 重油466.0t搭載。 |
1918年(大正7年)7月 | 補助缶内部掃除及び主機各運動部開放検査手入。 |
1918年(大正7年)7月14日 | 佐世保発。 |
1918年(大正7年)7月15日 | 六連島沖発。 備後灘田島南方着。 |
1918年(大正7年)7月16日 | 備後灘田島南方発。 |
1918年(大正7年)7月17日 | 右舷循環水喞筒軸折損。 |
1918年(大正7年)7月18日 | 横須賀着。 重油961.5t卸方。 |
1918年(大正7年)7月 | 右舷循環水喞筒軸その他修理。 |
1918年(大正7年)8月24日 | (第7回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)8月27日 | 呉着。 |
1918年(大正7年)8月31日 | 呉発。 |
1918年(大正7年)9月2日 | 舞鶴着。 |
1918年(大正7年)9月7日 | 舞鶴発。 |
1918年(大正7年)9月8日 | 新潟沖着。 同日、新潟沖発。 佐渡二見湾着。 佐渡二見湾発。 佐渡夷湾着。 |
1918年(大正7年)9月9日 | 佐渡夷湾発。 新潟着。 重油690t搭載。 |
1918年(大正7年)9月10日 | 重油210t搭載。 新潟発。 |
1918年(大正7年)9月11日 | 舞鶴着。 |
1918年(大正7年)9月12日 | 重油875t卸方。 |
1918年(大正7年)9月19日 | (第8回)舞鶴発。 |
1918年(大正7年)9月21日 | 新潟着。 重油500t搭載。 |
1918年(大正7年)9月22日 | 重油450t搭載。 新潟発。 |
1918年(大正7年)9月23日 | 舞鶴着。 |
1918年(大正7年)9月25日 | 重油335t卸方。 |
1918年(大正7年)9月29日 | 舞鶴発。 |
1918年(大正7年)10月2日 | 呉着。 重油615t卸方。 |
1918年(大正7年)10月10日 | (第9回)呉発。 |
1918年(大正7年)10月12日 | 佐世保着。 重油400t搭載。 |
1918年(大正7年)10月13日 | 重油515t搭載。 |
1918年(大正7年)10月17日 | 佐世保発。 |
1918年(大正7年)10月21日 | 横須賀着(小海岸壁)。 |
1918年(大正7年)10月22日 | 重油915t卸方。 |
1918年(大正7年)10月28日 | 横須賀海軍工廠第三船渠に入渠。 |
1918年(大正7年)11月2日 | 出渠。 |
1918年(大正7年)11月 | (第10回)横須賀発。 |
1918年(大正7年)11月16日 | 佐世保着。 重油500t搭載。 |
1918年(大正7年)11月17日 | 重油418t搭載。 |
1918年(大正7年)11月21日 | 佐世保発。 |
1918年(大正7年)11月26日 | 横須賀着。 重油618t卸方。 |
1918年(大正7年)11月27日 | 重油300t卸方。 |
1919年(大正8年)1月15日 | (第1回)横須賀発。 |
1919年(大正8年)1月23日 | 佐世保着。 秋田黒川産重油598.5t搭載。 |
1919年(大正8年)1月24日 | 秋田黒川産重油324.5t搭載。 |
1919年(大正8年)1月28日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)2月2日 | 横須賀着。 |
1919年(大正8年)2月4日 | 秋田黒川産重油923t卸方。 |
1919年(大正8年)2月9日 | (第2回)横須賀発。 |
1919年(大正8年)2月13日 | 佐世保着。 ボルネオ産重油650t搭載。 |
1919年(大正8年)2月14日 | ボルネオ産重油214t搭載。 |
1919年(大正8年)2月19日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)2月24日 | 須賀着。 ボルネオ産重油664t卸方。 |
1919年(大正8年)2月25日 | ボルネオ産重油200t卸方。 |
1919年(大正8年)2月 | 横須賀海軍工廠で補助空気気畜器3個漏洩修理。 |
1919年(大正8年)3月17日 | (第3回)横須賀発。 10:20 金田湾沖航行中右舷第一発動気筒アルミニューム胴焼損、右舷機停止。 |
1919年(大正8年)3月22日 | 佐世保着。 ボルネオ産重油960t搭載。 |
1919年(大正8年)3月27日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)3月31日 | 横須賀着。 |
1919年(大正8年)4月1日 | ボルネオ産重油960t卸方。 |
1919年(大正8年)4月7日 | 横須賀発。 同日、横須賀着。 |
1919年(大正8年)4月 | 横須賀海軍工廠で補助気蓄器1個漏洩、両舷循環喞筒磨耗修理、発電機一個増設工事。 |
1919年(大正8年)4月25日 | (第4回)横須賀発。 |
1919年(大正8年)4月29日 | 佐世保着。 ボルネオ産重油987t搭載。 |
1919年(大正8年)5月4日 | 佐世保発。 4:49 両舷機故障で投錨。 6:39 抜錨、出港の際再び両舷機故障。 |
1919年(大正8年)5月5日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)5月6日 | ボルネオ産重油939t卸方。 |
1919年(大正8年)5月 | 呉海軍工廠で補助気蓄器1個漏洩修理。 |
1919年(大正8年)5月10日 | (第5回)呉発。 |
1919年(大正8年)5月12日 | 佐世保着。 ボルネオ産重油985t搭載。 |
1919年(大正8年)5月15日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)5月16日 | 呉着。 |
1919年(大正8年)5月17日 | ボルネオ産重油976t卸方。 |
1919年(大正8年)5月21日 | (第6回)呉発。 |
1919年(大正8年)5月23日 | 佐世保着。 ボルネオ産重油1,010.5t搭載。 |
1919年(大正8年)5月25日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)5月26日 | 呉着。 |
1919年(大正8年)5月28日 | ボルネオ産重油999.5t卸方。 |
1919年(大正8年)5月 | 呉海軍工廠で補助気蓄器2個漏洩修理。 |
1919年(大正8年)6月1日 | (第7回)呉発。 |
1919年(大正8年)6月2日 | 佐世保着。 タラカン産重油1,018t搭載。 |
1919年(大正8年)6月5日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)6月6日 | 呉着。 タラカン産重油1,010t卸方。 |
1919年(大正8年)6月 | 呉海軍工廠で主機械排気弁洋ローラー及び同栓8個修理。 |
1919年(大正8年)6月11日 | (第8回)呉発。 |
1919年(大正8年)6月12日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)6月13日 | ミリ産重油1,042t搭載。 |
1919年(大正8年)6月15日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)6月16日 | 呉着。 ミリ産重油996.0t卸方。 |
1919年(大正8年)6月 | 呉海軍工廠で補助気蓄器1個、主機械排気管疏水嘴1箇所修理。 |
1919年(大正8年)6月22日 | (第9回)呉発。 |
1919年(大正8年)6月23日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)6月24日 | ミリ産重油1,002t搭載。 |
1919年(大正8年)6月26日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)6月27日 | 呉着。 |
1919年(大正8年)6月28日 | ミリ産重油998.0t卸方。 |
1919年(大正8年)6月 | 左舷燃料喞筒カム軸承外1廉呉海軍工廠に修理請求。 |
1919年(大正8年)7月2日 | (第10回)呉発。 |
1919年(大正8年)7月3日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)7月4日 | ミリ産重油1,020t搭載。 |
1919年(大正8年)7月6日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)7月7日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)7月8日 | ミリ産重油992.0t卸方。 |
1919年(大正8年)7月 | 起動用補助気畜器2個外2廉呉海軍工廠に修理請求。 |
1919年(大正8年)7月13日 | (第11回)呉発。 |
1919年(大正8年)7月14日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)7月15日 | ミリ産重油1,024t搭載。 |
1919年(大正8年)7月17日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)7月18日 | 呉着(三番浮標)。 ミリ産重油1,010t卸方。 |
1919年(大正8年)7月 | 起動用補助気畜器外1廉呉海軍工廠に修理請求。 |
1919年(大正8年)7月23日 | (第12回)呉発。 |
1919年(大正8年)7月24日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)7月25日 | ミリ産重油1,010t搭載。 |
1919年(大正8年)7月27日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)7月28日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)7月29日 | ミリ産重油991.0t卸方。 |
1919年(大正8年)7月 | 起動用補助気畜器1個呉海軍工廠に修理請求。 |
1919年(大正8年)8月3日 | (第13回)呉発。 |
1919年(大正8年)8月5日 | 佐世保着。 |
1919年(大正8年)8月6日 | タラカン産重油1,022t搭載。 |
1919年(大正8年)8月7日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)8月8日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)8月9日 | タラカン産重油990t卸方。 |
1919年(大正8年)8月13日 | (第14回)呉発。 |
1919年(大正8年)8月14日 | 佐世保着(九番浮標)。 |
1919年(大正8年)8月15日 | タラカン産重油957.8t搭載。 |
1919年(大正8年)8月17日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)8月18日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)8月19日 | タラカン産重油957.5t卸方。 |
1919年(大正8年)8月24日 | 呉発。 右舷機故障。 同日、呉帰着。 |
1919年(大正8年)8月24日 | (第15回)呉発。 |
1919年(大正8年)8月26日 | 佐世保着(赤崎二番浮標)。 タラカン産重油990.8t搭載。 |
1919年(大正8年)8月28日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)8月29日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)8月30日 | タラカン産重油985.0t卸方。 |
1919年(大正8年)9月3日 | (第16回)呉発。 |
1919年(大正8年)9月4日 | 佐世保着(赤崎二番浮標)。 |
1919年(大正8年)9月5日 | タラカン産重油996.8t搭載。 |
1919年(大正8年)9月6日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)9月7日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)9月8日 | タラカン産重油993.0t卸方。 |
1919年(大正8年)9月11日 | (第17回)呉発。 |
1919年(大正8年)9月12日 | 佐世保着(赤崎二番浮標)。 |
1919年(大正8年)9月13日 | タラカン産重油992.7t搭載。 |
1919年(大正8年)9月14日 | 佐世保発。 |
1919年(大正8年)9月15日 | 呉着(三番浮標)。 |
1919年(大正8年)9月16日 | タラカン産重油993.0t卸方。 |
1919年(大正8年)9月20日 | 入渠。 |
1919年(大正8年)10月2日 | 出渠。 |
1919年(大正8年)10月4日 | 呉発。 広島湾へ。 |
1919年(大正8年)10月5日 | 呉着。 |
1919年(大正8年)10月12日 | 由宇発。 |
1919年(大正8年)10月13日 | 徳山発。 |
1919年(大正8年)10月20日 | 横須賀着。 |
1919年(大正8年)10月23日 | 横須賀発。 大正八年特別大演習参加。 |
1919年(大正8年)10月25日 | 千葉沖。 |
1919年(大正8年)10月26日 | 横浜。 |
1919年(大正8年)10月28日 | 横浜発。 大正八年大演習観艦式参加。 |
1919年(大正8年)10月29日 | 横須賀着。 |
1919年(大正8年)12月16日 | タラカン産重油1,000t搭載(三ヶ保浦)。 |
1920年(大正9年)1月14日 | (第1回)横須賀発。 |
1920年(大正9年)1月20日 | 呉着。 |
1920年(大正9年)1月26日 | 呉発。 |
1920年(大正9年)1月29日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 タラカン産重油997.0t卸方。 |
1920年(大正9年)2月1日 | (第2回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)2月3日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油969.7t搭載。 |
1920年(大正9年)2月8日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)2月13日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 |
1920年(大正9年)2月14日 | ミリ産重油953.0t卸方。 |
1920年(大正9年)2月18日 | (第3回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)2月20日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油932.2t搭載。 |
1920年(大正9年)2月25日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)2月27日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 ミリ産重油932.0t卸方。 |
1920年(大正9年)3月3日 | (第4回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)3月5日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油976.0t搭載。 |
1920年(大正9年)3月10日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)3月11日 | 鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。 ミリ産重油969.0t卸方。 |
1920年(大正9年)3月12日 | (第5回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)3月13日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,038.7t搭載。 |
1920年(大正9年)3月15日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)3月17日 | 鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。 |
1920年(大正9年)3月18日 | ミリ産重油1,021.0t卸方。 |
1920年(大正9年)3月17日 | (第6回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)3月18日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,008.6t搭載。 |
1920年(大正9年)3月20日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)3月21日 | 鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。 |
1920年(大正9年)3月22日 | ミリ産重油993.0t卸方。 便乗者5名乗艦。 |
1920年(大正9年)3月22日 | (第7回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)3月23日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者5名退艦。 |
1920年(大正9年)3月30日 | ミリ産重油983.7t搭載。 |
1920年(大正9年)3月31日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)4月1日 | 鎮海着。 ミリ産重油972.0t卸方。 |
1920年(大正9年)4月1日 | 特務艦籍に編入。 運送艦に類別。 |
1920年(大正9年)4月2日 | (第8回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)4月2日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油965.2t搭載。 |
1920年(大正9年)4月3日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)4月4日 | 鎮海着(重油槽岸壁)。 ミリ産重油956.0t卸方。 |
1920年(大正9年)4月4日 | (第9回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)4月5日 | 呉着(二番浮標)。 |
1920年(大正9年)4月6日 | アメリカ産原油600t.0搭載。 |
1920年(大正9年)4月7日 | 呉発。 重油船を曳航。 徳山着。 |
1920年(大正9年)4月8日 | アメリカ産原油176.0t卸方。 |
1920年(大正9年)4月9日 | アメリカ産原油420.4t卸方。 |
1920年(大正9年)4月10日 | (第10回)徳山発。 |
1920年(大正9年)4月11日 | 佐世保着(五番浮標)。 ミリ産重油995.2t搭載。 |
1920年(大正9年)4月13日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)4月14日 | 鎮海着。 ミリ産重油992.0t卸方。 私有品11個搭載。 |
1920年(大正9年)4月15日 | 便乗者38名乗艦。 |
1920年(大正9年)4月15日 | (第11回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)4月15日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者38名退艦。 |
1920年(大正9年)4月16日 | ミリ産重油1,017t搭載、私有品11個卸方。 |
1920年(大正9年)4月24日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)4月25日 | 鎮海着。 ミリ産重油1,008t卸方。 |
1920年(大正9年)4月26日 | (第12回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)4月27日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,019t搭載。 |
1920年(大正9年)4月29日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)4月30日 | 鎮海着。 ミリ産重油1,013t卸方、便乗者16名乗艦。 |
1920年(大正9年)5月1日 | (第13回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)5月1日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者16名退艦。 |
1920年(大正9年)5月2日 | ミリ産重油1,035t搭載。 |
1920年(大正9年)5月5日 | 佐世保発。 |
1920年(大正9年)5月7日 | 鎮海着。 ミリ産重油1,009.8t卸方。 |
1920年(大正9年)5月8日 | (第14回)鎮海発。 |
1920年(大正9年)5月9日 | 呉着。 |
1920年(大正9年)5月15日 | 呉発 |
1920年(大正9年)5月18日 | 横須賀着。 |
1920年(大正9年)7月22日 | 出渠。 |
1920年(大正9年)7月26日 | 転錨(三ヶ保浦〜一番)。 |
1920年(大正9年)8月2日 | 横須賀発。 館山附近で機械故障。 横須賀帰着。 |
1920年(大正9年)8月5日 | (第15回)横須賀発。 |
1920年(大正9年)8月8日 | 函館着。 |
1920年(大正9年)8月11日 | 函館発。 |
1920年(大正9年)8月12日 | 新潟着(港外)。 |
1920年(大正9年)8月13日 | 新潟油1,020t搭載。 |
1920年(大正9年)8月13日 | 新潟発。 |
1920年(大正9年)8月15日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 |
1920年(大正9年)8月16日 | 新潟油1,025t卸方。 |
1920年(大正9年)8月20日 | (第16回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)8月22日 | 新潟着。 新潟油1,050t搭載。 |
1920年(大正9年)8月22日 | 新潟発。 |
1920年(大正9年)8月24日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 新潟油1,059t卸方。 |
1920年(大正9年)8月 | 機械修理手入。 |
1920年(大正9年)9月3日 | (第17回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)9月4日 | 新潟着。 新潟油520.0t搭載。 |
1920年(大正9年)9月5日 | 新潟油442.8t搭載。 |
1920年(大正9年)9月5日 | 新潟発。 |
1920年(大正9年)9月8日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 新潟油942t卸方。 |
1920年(大正9年)9月15日 | (第18回)佐世保発。 |
1920年(大正9年)9月18日 | 新潟着。 新潟油870t搭載。 |
1920年(大正9年)9月19日 | 新潟油152t搭載。 |
1920年(大正9年)9月19日 | 新潟発。 |
1920年(大正9年)9月20日 | 舞鶴着(重油槽岸壁)。 |
1920年(大正9年)9月21日 | 新潟油1,024t卸方。 |
1920年(大正9年)9月27日 | (第19回)舞鶴発。 |
1920年(大正9年)9月28日 | 新潟着。 |
1920年(大正9年)9月29日 | 新潟油960t搭載。 |
1920年(大正9年)9月29日 | 新潟発。 |
1920年(大正9年)10月2日 | 佐世保着(赤崎二番浮標)。 新潟油942t卸方。 |
1920年(大正9年)10月9日 | (第20回)佐世保発。 |
1920年(大正9年)10月15日 | 横須賀着。 |
1920年(大正9年)12月16日 | 転錨(二区)。 |
1920年(大正9年)12月17日 | タラカン産重油1,000t搭載。 |
1920年(大正9年)12月18日 | 転錨。 |
1920年(大正9年)12月19日 | (第21回)横須賀発。 |
1920年(大正9年)12月22日 | 呉着。 タラカン産重油1,000t卸方。 |
1920年(大正9年)12月25日 | 呉発。 |
1920年(大正9年)12月27日 | 大牟田着。 混油タール151t搭載(12月29日まで)。 |
1921年(大正10年)1月1日 | 大牟田発。 |
1921年(大正10年)1月5日 | 横須賀着(重油庫岸壁)。 |
1921年(大正10年)1月6日 | 混油タール151t卸方。 |
1921年(大正10年)1月29日 | (第1回)横須賀発。 |
1921年(大正10年)2月1日 | 呉着。 原油1,055t搭載(2月2日まで)。 |
1921年(大正10年)2月7日 | (第2回)呉発。 宮島着。 |
1921年(大正10年)2月8日 | 宮島発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)2月9日 | 原油1,067t卸方(2月10日まで)。 |
1921年(大正10年)2月11日 | 徳山発。 呉着。 |
1921年(大正10年)2月12日 | 原油1,032t搭載。 |
1921年(大正10年)2月13日 | 呉発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)2月16日 | 原油1,068t卸方。 |
1921年(大正10年)2月17日 | 徳山発。 呉着。 |
1921年(大正10年)2月18日 | 原油1,010t搭載。 |
1921年(大正10年)2月19日 | 呉発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)2月20日 | 原油1,027t卸方(2月21日まで)。 |
1921年(大正10年)2月21日 | 徳山発。 呉着。 |
1921年(大正10年)2月22日 | 原油913t搭載。 |
1921年(大正10年)2月28日 | 呉発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)3月1日 | 原油985t卸方。 |
1921年(大正10年)3月2日 | (第3回)徳山発。 |
1921年(大正10年)3月3日 | 佐世保着。 |
1921年(大正10年)3月4日 | タラカン産重油1,027t搭載。 |
1921年(大正10年)3月6日 | 佐世保発。 |
1921年(大正10年)3月8日 | 舞鶴着。 タラカン産重油1.016t卸方。 |
1921年(大正10年)3月17日 | (第4回)舞鶴発。 |
1921年(大正10年)3月19日 | 佐世保着(赤崎岸壁)。 タラカン産重油1,030t搭載。 |
1921年(大正10年)3月22日 | 佐世保発。 |
1921年(大正10年)3月24日 | 舞鶴着。 タラカン産重油999.0t卸方。 |
1921年(大正10年)3月29日 | 舞鶴発。 |
1921年(大正10年)4月3日 | 横須賀着。 |
1921年(大正10年)4月6日 | タラカン産重油1,009t搭載。 |
1921年(大正10年)4月11日 | (第5回)横須賀発。 |
1921年(大正10年)4月14日 | 大湊着。 タラカン産重油1,000t卸方(4月17日まで)。 |
1921年(大正10年)4月21日 | 大湊発。 |
1921年(大正10年)4月24日 | 横須賀着。 |
1921年(大正10年)5月2日 | タラカン産重油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)5月7日 | 転錨(小海〜五区)。 |
1921年(大正10年)5月8日 | (第6回)横須賀発。 |
1921年(大正10年)5月11日 | 大湊着。 タラカン産重油989.0t卸方(5月13日まで)。 |
1921年(大正10年)5月17日 | 大湊発。 |
1921年(大正10年)5月18日 | 山田着。 |
1921年(大正10年)5月19日 | 山田発。 |
1921年(大正10年)5月21日 | 横須賀着。 |
1921年(大正10年)5月25日 | タラカン産重油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)5月28日 | (第7回)横須賀発。 |
1921年(大正10年)5月31日 | 高田着。 |
1921年(大正10年)6月1日 | 高田発。 |
1921年(大正10年)6月2日 | 大湊着。 |
1921年(大正10年)6月3日 | タラカン産重油995.0t卸方(6月6日まで)。 |
1921年(大正10年)6月7日 | 大湊発。 |
1921年(大正10年)6月10日 | 横須賀着。 |
1921年(大正10年)6月17日 | 入渠。 |
1921年(大正10年)7月5日 | 出渠。 |
1921年(大正10年)7月15日 | (第8回)横須賀発。 |
1921年(大正10年)7月18日 | 呉着。 |
1921年(大正10年)7月19日 | 呉鎮守府に本籍変更。 |
1921年(大正10年)7月19日 | 運送艦「野間」からタラカン産重油1,180t搭載。 |
1921年(大正10年)7月 | (第9回)呉発。 7月?呉着。 |
1921年(大正10年)7月24日 | 呉需品庫にタラカン産重油680t卸方。 |
1921年(大正10年)7月30日 | 呉発。 |
1921年(大正10年)7月31日 | 佐伯湾着。 巡洋艦「龍田」にタラカン産重油200t補給。 |
1921年(大正10年)8月1日 | 戦艦「長門」にタラカン産重油300t補給。 佐伯発。 |
1921年(大正10年)8月2日 | 呉着。 |
1921年(大正10年)8月21日 | 運送艦「能登呂」からタラカン産重油1,136t搭載。 |
1921年(大正10年)8月22日 | 呉発。 |
1921年(大正10年)8月24日 | 舞鶴着。 |
1921年(大正10年)8月25日 | タラカン産重油1,014t卸方(8月26日まで)。 |
1921年(大正10年)8月27日 | 舞鶴発。 徳山へ。 |
1921年(大正10年)8月30日 | ボルネオ産重油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)9月5日 | 徳山発。 舞鶴へ。 |
1921年(大正10年)9月7日 | ボルネオ産重油979.0t卸方(9月8日まで)。 |
1921年(大正10年)9月8日 | 舞鶴発。 徳山へ。 |
1921年(大正10年)9月15日 | 軽質油500,000リットル搭載(9月16日まで)。 |
1921年(大正10年)9月17日 | 徳山発。 横須賀へ。 |
1921年(大正10年)9月21日 | 軽質油494,554リットル卸方(9月22日まで)。 |
1921年(大正10年)9月28日 | 横須賀発。 徳山へ。 |
1921年(大正10年)10月2日 | 混合重油1,150t搭載。 |
1921年(大正10年)10月3日 | 徳山発。 呉着。 |
1921年(大正10年)10月4日 | 混合重油1,123t卸方。 |
1921年(大正10年)10月5日 | アメリカ産原油1,040t搭載。 |
1921年(大正10年)10月 | 呉発。 呉(飛渡瀬)着。 |
1921年(大正10年)10月6日 | アメリカ産原油1,040t卸方。 |
1921年(大正10年)10月18日 | 呉発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)10月9日 | ボルネオ産重油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)10月19日 | 徳山発。 舞鶴へ。 |
1921年(大正10年)10月24日 | ボルネオ産重油988.0t卸方。 |
1921年(大正10年)10月25日 | 舞鶴発。 徳山へ。 |
1921年(大正10年)10月28日 | 混合油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)10月28日 | 徳山発。 呉着。 |
1921年(大正10年)11月6日 | 呉発。 12:50 大水無瀬島759呎頂北31度東3浬で「大コ丸」(船舶番号:10237)と衝突。 13:00頃 「大コ丸」転覆。 16:47 「大コ丸」船底部に横付けし曳航開始。 19:45 屋代島小泊湾に仮泊。 23:30頃 「大コ丸」を小泊湾奥沙岸に定留。 |
1921年(大正10年)11月7日 | 屋代島小泊湾発。 舞鶴へ。 |
1921年(大正10年)11月12日 | 巡洋艦「木曾」に混合油1,000t補給。 |
1921年(大正10年)11月13日 | 舞鶴発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)11月15日 | 混合油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)11月21日 | 徳山発。 舞鶴着。 |
1921年(大正10年)11月24日 | 混合油1,000t卸方(11月25日まで)。 |
1921年(大正10年)11月27日 | 舞鶴発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)12月6日 | 混合油1,000t搭載。 |
1921年(大正10年)12月6日 | 徳山発。 舞鶴着。 |
1921年(大正10年)12月10日 | 混合油993.5t卸方。 |
1921年(大正10年)12月12日 | 舞鶴発。 徳山着。 |
1921年(大正10年)12月15日 | 混合油1,150t搭載。 |
1921年(大正10年)12月 | 徳山発。 呉着(飛渡瀬)。 |
1921年(大正10年)12月17日 | 混合油1,156t卸方。 |
1922年(大正11年)1月21日 | ボルネオ重油1,148t搭載(1月23日まで)。 |
1922年(大正11年)1月24日 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)1月25日 | ボルネオ重油928.0t卸方(1月.26日まで)。 |
1922年(大正11年)1月 | 飛渡瀬発。 呉着。 |
1922年(大正11年)1月27日 | ボルネオ重油900.0t搭載。 |
1922年(大正11年)1月 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)1月30日 | ボルネオ重油900.0t卸方。 |
1922年(大正11年)1月 | 飛渡瀬発。 呉着。 |
1922年(大正11年)1月31日 | ボルネオ重油887.0t搭載(2月1日まで)。 |
1922年(大正11年)2月 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)2月6日 | ボルネオ重油919.0t卸方。 |
1922年(大正11年)2月 | 飛渡瀬発。 呉着。 |
1922年(大正11年)2月7日 | ボルネオ重油860.0t搭載(2月10日まで)。 |
1922年(大正11年)2月 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)2月13日 | ボルネオ重油1,048t卸方(2月14日まで)。 |
1922年(大正11年)2月14日 | 飛渡瀬発。 |
1922年(大正11年)2月15日 | 呉着。 |
1922年(大正11年)3月 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)3月8日 | 徳山重油754t搭載。 |
1922年(大正11年)3月 | 飛渡瀬発。 呉着。 |
1922年(大正11年)3月9日 | 徳山重油729t卸方。 |
1922年(大正11年)3月 | 呉発。 飛渡瀬着。 |
1922年(大正11年)3月13日 | 徳山重油1,229t搭載。 |
1922年(大正11年)3月 | 飛渡瀬発。 呉着。 |
1922年(大正11年)3月14日 | 徳山重油328.5t卸方。 |
1922年(大正11年)3月17日 | 徳山重油198.0t卸方。 |
1922年(大正11年)3月20日 | 徳山重油179.0t卸方。 |
1922年(大正11年)3月22日 | 徳山重油336.0t卸方。 |
1922年(大正11年)4月7日 | 呉発。 |
1922年(大正11年)4月8日 | 徳山着。 混合重油900t搭載。 |
1922年(大正11年)4月9日 | 徳山発。 |
1922年(大正11年)4月12日 | 舞鶴着。 |
1922年(大正11年)4月13日 | 混合重油900t卸方。 |
1922年(大正11年)4月14日 | 舞鶴発。 徳山へ。 |
1922年(大正11年)4月18日 | 混合重油900t搭載。 |
1922年(大正11年)4月23日 | 徳山発。 |
1922年(大正11年)4月27日 | 舞鶴着。 混合重油900t卸方。 |
1922年(大正11年)4月29日 | 舞鶴発。 |
1922年(大正11年)5月2日 | 呉着。 |
1922年(大正11年)6月1日 | 入渠。 |
1922年(大正11年)6月 | 出渠。 |
1922年(大正11年)6月18日 | アメリカ産重油599t搭載。 |
1922年(大正11年)6月19日 | アメリカ産重油301t搭載。 |
1922年(大正11年)6月20日 | 呉発。 |
1922年(大正11年)6月23日 | 横須賀着。 |
1922年(大正11年)6月29日 | 横須賀発。 |
1922年(大正11年)7月2日 | 大湊着。 |
1922年(大正11年)7月8日 | 大湊発。 |
1922年(大正11年)7月15日 | ペトロパブロフスク着。 |
1922年(大正11年)7月20日 | 駆逐艦「槇」に重油164t補給。 |
1922年(大正11年)7月21日 | 駆逐艦「欅」に重油202t補給。 |
1922年(大正11年)8月4日 | 駆逐艦「槇」に重油156t補給。 |
1922年(大正11年)8月21日 | 駆逐艦「欅」に重油140t補給。 |
1922年(大正11年)8月22日 | 駆逐艦「槇」に重油110t補給。 |
1922年(大正11年)8月24日 | ペトロパブロフスク発。 |
1922年(大正11年)8月31日 | 大湊着。 |
1922年(大正11年)9月8日 | 大湊発。 |
1922年(大正11年)9月10日 | 横須賀着。 |
1922年(大正11年)9月14日 | 横須賀発。 |
1922年(大正11年)9月161日 | 呉着。 |
1922年(大正11年)9月 | 左舷機第三発動筒外19件並に発電機高圧筒修理(11月まで)。 |
1922年(大正11年)11月7日 | 呉発。 徳山呉着。 |
1922年(大正11年)11月9日 | 徳山発。 |
1922年(大正11年)11月10日 | 串本着。 |
1922年(大正11年)11月11日 | 串本発。 |
1922年(大正11年)11月12日 | 横須賀着。 |
1922年(大正11年)11月18日 | 横須賀発。 |
1922年(大正11年)11月21日 | 呉着。 |
1922年(大正11年)12月4日 | 呉発。 徳山着。 |
1922年(大正11年)12月5日 | 軽油搭載試験(12月7日まで)。 |
1922年(大正11年)12月8日 | 徳山発。 呉着。 |
1922年(大正11年)12月14日 | 呉発。 徳山着。 |
1922年(大正11年)12月15日 | 荷役関係試験。 |
1922年(大正11年)12月17日 | 解纜作業。 徳山発。 呉着。 |
1923年(大正12年)1月12日 | 呉発。 徳山着。 |
1923年(大正12年)1月15日 | 徳山発。 呉着。 |
1923年(大正12年)1月29日 | 呉発。 徳山着。 |
1923年(大正12年)1月30日 | ボルネオ・タラカン重油809t搭載。 |
1923年(大正12年)1月31日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)2月2日 | 舞鶴着。 |
1923年(大正12年)2月3日 | ボルネオ・タラカン重油809t卸方。 |
1923年(大正12年)2月6日 | 舞鶴発。 徳山へ。 |
1923年(大正12年)2月9日 | ボルネオ・タラカン重油818t搭載。 |
1923年(大正12年)2月12日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)2月14日 | 舞鶴着。 |
1923年(大正12年)2月15日 | ボルネオ・タラカン重油818t卸方。 |
1923年(大正12年)2月18日 | 舞鶴発。 |
1923年(大正12年)2月19日 | 宮津発。 |
1923年(大正12年)2月21日 | 徳山着。 |
1923年(大正12年)2月23日 | 混合重油油811t搭載。 |
1923年(大正12年)2月24日 | 徳山発。 呉着。 |
1923年(大正12年)3月2日 | 混合重油油811t卸方。 |
1923年(大正12年)5月18日 | 呉発。 徳山着。 |
1923年(大正12年)5月19日 | タラカン原油750t搭載。 |
1923年(大正12年)5月21日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)5月24日 | 横須賀着。 |
1923年(大正12年)5月31日 | 横須賀発。 |
1923年(大正12年)6月2日 | 函館着。 |
1923年(大正12年)6月4日 | 函館発。 大湊着。 |
1923年(大正12年)6月11日 | 大湊発。 |
1923年(大正12年)6月16日 | ペトロパブロフスク着。 |
1923年(大正12年)6月18日 | 駆逐艦「桑」、同「槇」、同「欅」、同「椿」に重油計448tを補給。 |
1923年(大正12年)7月2日 | 駆逐艦「桑」、同「欅」に重油計302tを補給。 |
1923年(大正12年)7月3日 | ペトロパブロフスク発。 主機械分解後の試運転。 ペトロパブロフスク帰着。 |
1923年(大正12年)7月5日 | ペトロパブロフスク発。 11:45 右舷機故障、片舷航行。 13:45 復旧。 |
1923年(大正12年)7月7日 | 1:45 左舷機故障、減筒航行。 3:00 左舷機停止、片舷航行。 8:45 復旧。 |
1923年(大正12年)7月10日 | 小樽湾着。 |
1923年(大正12年)7月11日 | 小樽湾発。 |
1923年(大正12年)7月12日 | 大湊着。 |
1923年(大正12年)7月17日 | 大湊発。 |
1923年(大正12年)7月19日 | 横須賀着。 |
1923年(大正12年)7月25日 | 横須賀発。 |
1923年(大正12年)7月27日 | 呉着。 |
1923年(大正12年)8月25日 | 呉発。 徳山着(徳山湾旭石油)。 |
1923年(大正12年)8月25日 | ボルネオ原油814t搭載(8月26日まで)。 |
1923年(大正12年)8月27日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)8月30日 | 大連着。 |
1923年(大正12年)9月1日 | 大連発。 裏長山列島着。 |
1923年(大正12年)9月2日 | ボルネオ原油814t補給。 駆逐艦「沖風」、「第一駆逐艦」、「沼風」、「島風」、「羽風」、「澤風」、「波風」、「野風」、「灘風」、「秋風」。 |
1923年(大正12年)9月 | 裏長山列島発。 |
1923年(大正12年)9月4日 | 呉着。 |
1923年(大正12年)9月24日 | 呉発。 徳山着。 |
1923年(大正12年)9月24日 | ボルネオ・タラカン原油899t搭載(9月25日まで)。 |
1923年(大正12年)9月25日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)9月26日 | 鎮海着。 ボルネオ・タラカン原油874t卸方。 |
1923年(大正12年)9月27日 | 鎮海発。 |
1923年(大正12年)9月28日 | 徳山着。 |
1923年(大正12年)9月29日 | ボルネオ・タラカン原油1,000t搭載。 |
1923年(大正12年)9月30日 | 徳山発。 六連着。 |
1923年(大正12年)10月1日 | 六連発。 |
1923年(大正12年)10月2日 | 鎮海着。 ボルネオ・タラカン原油982t卸方。 |
1923年(大正12年)10月3日 | 鎮海発。 |
1923年(大正12年)10月4日 | 呉着。 |
1923年(大正12年)11月28日 | 呉発。 徳山着。 |
1923年(大正12年)11月29日 | ボルネオ・タラカン原油819t搭載。 |
1923年(大正12年)11月30日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)12月2日 | 佐世保着。 ボルネオ・タラカン原油784t卸方。 |
1923年(大正12年)12月4日 | 佐世保発。 |
1923年(大正12年)12月5日 | 徳山着。 ボルネオ・タラカン原油800t搭載(12月6日まで)。 |
1923年(大正12年)12月7日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)12月8日 | 佐世保着。 |
1923年(大正12年)12月9日 | ボルネオ・タラカン原油792t卸方。 |
1923年(大正12年)12月10日 | 佐世保発。 |
1923年(大正12年)12月11日 | 徳山着。 |
1923年(大正12年)12月12日 | ボルネオ・タラカン原油799t搭載。 |
1923年(大正12年)12月13日 | 徳山発。 |
1923年(大正12年)12月15日 | 佐世保着。 ボルネオ・タラカン原油770t卸方。 |
1923年(大正12年)12月17日 | 佐世保発。 |
1923年(大正12年)12月18日 | 呉着。 |
1924年(大正13年)1月14日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)1月15日 | ボルネオ・タラカン原油1,004t搭載。 |
1924年(大正13年)1月15日 | 徳山発。 |
1924年(大正13年)1月16日 | 呉着(飛渡瀬)。 |
1924年(大正13年)1月18日 | ボルネオ・タラカン原油1,004t卸方。 |
1924年(大正13年)1月20日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)1月22日 | ボルネオ・タラカン原油1,006t搭載。 |
1924年(大正13年)1月22日 | 徳山発。 |
1924年(大正13年)1月23日 | 呉着(飛渡瀬)。 |
1924年(大正13年)1月24日 | ボルネオ・タラカン原油1,000t卸方。 |
1924年(大正13年)1月28日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)1月29日 | ボルネオ・タラカン原油1,003t搭載。 |
1924年(大正13年)1月30日 | 徳山発。 呉着(飛渡瀬)。 |
1924年(大正13年)2月2日 | ボルネオ・タラカン原油1,000t卸方。 |
1924年(大正13年)2月4日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)2月6日 | 生産重油1,010t搭載。 |
1924年(大正13年)2月7日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)2月8日 | 生産重油1,007t卸方。 |
1924年(大正13年)2月13日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)2月13日 | 混合重油1,003t搭載。 |
1924年(大正13年)2月14日 | 徳山発。 呉着(新宮)。 |
1924年(大正13年)2月16日 | 混合重油1,003t卸方。 |
1924年(大正13年)2月18日 | 呉発。 |
1924年(大正13年)2月19日 | 徳山着。 混合重油1,007t搭載。 徳山発。 |
1924年(大正13年)2月20日 | 呉着(新宮)。 |
1924年(大正13年)2月21日 | 混合重油1,004t卸方。 |
1924年(大正13年)2月25日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)2月25日 | 混合重油1,006t搭載。 |
1924年(大正13年)2月27日 | 徳山発。 呉着(新宮)。 |
1924年(大正13年)2月28日 | 混合重油1,003t卸方。 |
1924年(大正13年)4月7日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)4月8日 | ボルネオ・タラカン原油860t搭載。 |
1924年(大正13年)4月9日 | 徳山発。 |
1924年(大正13年)4月10日 | 佐世保着。 |
1924年(大正13年)4月14日 | 佐世保発。 |
1924年(大正13年)4月17日 | 旅順着。 |
1924年(大正13年)4月19日 | ボルネオ・タラカン原油860t卸方。 |
1924年(大正13年)4月23日 | 旅順発。 |
1924年(大正13年)4月24日 | 鎮南浦着。 |
1924年(大正13年)4月27日 | 鎮南浦発。 |
1924年(大正13年)4月30日 | 呉着。 |
1924年(大正13年)5月22日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)5月23日 | 亞産重油897t搭載。 |
1924年(大正13年)5月23日 | 徳山発。 |
1924年(大正13年)5月25日 | 宮津着。 |
1924年(大正13年)5月27日 | 宮津発。 |
1924年(大正13年)5月29日 | 眞野着。 |
1924年(大正13年)5月31日 | 眞野発。 |
1924年(大正13年)6月1日 | 大湊着。 |
1924年(大正13年)6月2日 | 亞産重油389t卸方。 |
1924年(大正13年)6月3日 | 亞産重油185t卸方。 |
1924年(大正13年)6月4日 | 亞産重油294t卸方。 |
1924年(大正13年)6月5日 | 大湊発。 |
1924年(大正13年)6月8日 | 横須賀着。 |
1924年(大正13年)6月17日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)6月17日 | アメリカ産重油1,150t搭載。 |
1924年(大正13年)6月17日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)6月18日 | アメリカ産重油1,150t卸方。 |
1924年(大正13年)6月19日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)6月19日 | アメリカ産重油1,200t搭載。 |
1924年(大正13年)6月19日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)6月23日 | アメリカ産重油1,200t卸方。 |
1924年(大正13年)6月25日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)6月25日 | アメリカ産重油1,215t搭載。 |
1924年(大正13年)6月25日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)6月26日 | アメリカ産重油1,215t卸方。 |
1924年(大正13年)6月27日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)6月27日 | アメリカ産重油1,218t搭載。 |
1924年(大正13年)6月27日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)6月30日 | アメリカ産重油1,218t卸方。 |
1924年(大正13年)7月1日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)7月1日 | アメリカ産重油1,205t搭載。 |
1924年(大正13年)7月1日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)7月2日 | アメリカ産重油1,205t卸方。 |
1924年(大正13年)7月3日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)7月3日 | アメリカ産重油1,216t搭載。 |
1924年(大正13年)7月3日 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)7月4日 | アメリカ産重油1,216t卸方。 |
1924年(大正13年)7月4日 | 横須賀発。 横浜着。 |
1924年(大正13年)7月7日 | 横浜発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)7月7日 | 横浜発。 鶴見着。 アメリカ産重油1,206t搭載。 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)7月8日 | アメリカ産重油1,206t卸方。 |
1924年(大正13年)7月8日 | 横須賀発。 鶴見着。 |
1924年(大正13年)7月8日 | アメリカ産重油191.0t搭載。 |
1924年(大正13年)7月 | 鶴見発。 横須賀着。 |
1924年(大正13年)7月13日 | 横須賀発。 |
1924年(大正13年)7月15日 | 呉着。 |
1924年(大正13年)7月22日 | 主機械、補助機械修理(9月まで)。 |
1924年(大正13年)9月29日 | 呉発。 徳山着。 生産油900t搭載。 |
1924年(大正13年)9月30日 | 徳山発。 |
1924年(大正13年)10月3日 | 大湊着。 |
1924年(大正13年)10月4日 | 生産油900t卸方。 |
1924年(大正13年)10月9日 | 大湊発。 |
1924年(大正13年)10月13日 | 呉着。 |
1924年(大正13年)10月23日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)10月24日 | 生産重油1,010t搭載。 |
1924年(大正13年)10月24日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)10月27日 | 生産重油1,001t卸方。 |
1924年(大正13年)10月28日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)11月29日 | 生産重油1,017t搭載。 |
1924年(大正13年)10月30日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)11月3日 | 生産重油1,005t卸方。 |
1924年(大正13年)11月4日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)11月5日 | 生産重油1,009t搭載。 |
1924年(大正13年)11月7日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)11月10日 | 生産重油218.0t卸方。 |
1924年(大正13年)11月11日 | 呉発。 |
1924年(大正13年)11月15日 | 旅順着。 生産重油785.0t卸方。 |
1924年(大正13年)11月18日 | 旅順発。 |
1924年(大正13年)11月21日 | 呉着。 |
1924年(大正13年)12月2日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)12月4日 | 生産重油998.0t搭載。 |
1924年(大正13年)12月5日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)12月8日 | 生産重油994.0t卸方。 |
1924年(大正13年)12月9日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)12月10日 | 生産重油1,005t搭載。 |
1924年(大正13年)12月11日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)12月12日 | 生産重油1,005t卸方。 |
1924年(大正13年)12月14日 | 呉発。 徳山着。 |
1924年(大正13年)12月19日 | 生産重油1,004t搭載。 |
1924年(大正13年)12月15日 | 徳山発。 呉着。 |
1924年(大正13年)12月19日 | 生産重油1,004t卸方。 |
1925年(大正14年)1月14日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)1月15日 | 生産重油901.0t搭載。 |
1925年(大正14年)1月15日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)1月16日 | 佐世保着。 生産重油470.5t卸方。 |
1925年(大正14年)1月17日 | 生産重油423.5t卸方。 |
1925年(大正14年)1月19日 | 佐世保発。 |
1925年(大正14年)1月20日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)1月 | 機械手入。 |
1925年(大正14年)1月26日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)1月28日 | 生産重油850.0t搭載。 |
1925年(大正14年)1月28日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)1月30日 | 舞鶴着。 生産重油850.0t卸方。 |
1925年(大正14年)2月1日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)2月3日 | 徳山着。 |
1925年(大正14年)2月4日 | 生産重油900.0t搭載。 |
1925年(大正14年)2月5日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)2月6日 | 佐世保着。 |
1925年(大正14年)2月7日 | 佐世保発。 |
1925年(大正14年)2月8日 | 鎮海着。 |
1925年(大正14年)2月9日 | 生産重油891.0t卸方。 |
1925年(大正14年)2月10日 | 鎮海発。 |
1925年(大正14年)2月11日 | 佐世保着。 |
1925年(大正14年)2月12日 | 佐世保発。 |
1925年(大正14年)2月13日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)2月 | 機械手入。 |
1925年(大正14年)2月23日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)2月24日 | 生産重油900.0t搭載。 |
1925年(大正14年)2月25日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)2月26日 | 佐世保着。 |
1925年(大正14年)2月27日 | 生産重油900.0t卸方。 |
1925年(大正14年)2月28日 | 佐世保発。 |
1925年(大正14年)3月1日 | 徳山着。 混合重油850.0t搭載。 |
1925年(大正14年)3月3日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)3月4日 | 舞鶴着。 |
1925年(大正14年)3月5日 | 混合重油850.0t卸方。 |
1925年(大正14年)3月7日 | 舞鶴発。 宮津湾着。 |
1925年(大正14年)3月8日 | 宮津湾発。 |
1925年(大正14年)3月11日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)3月 | 機械手入。 |
1925年(大正14年)3月19日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)3月19日 | 生産重油848.0t搭載。 |
1925年(大正14年)3月21日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)3月23日 | 舞鶴着。 生産重油848.0t卸方。 |
1925年(大正14年)3月25日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)3月27日 | 徳山着。 生産重油900.0t搭載。 |
1925年(大正14年)3月28日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)3月29日 | 佐世保着。 |
1925年(大正14年)3月30日 | 生産重油900.0t卸方。 |
1925年(大正14年)3月31日 | 佐世保発。 |
1925年(大正14年)4月1日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)4月21日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)4月22日 | 生産重油852.0t搭載。 |
1925年(大正14年)4月23日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)4月26日 | 舞鶴着。 |
1925年(大正14年)4月27日 | 生産重油852.0t卸方。 |
1925年(大正14年)4月28日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)5月1日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)5月13日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)5月14日 | 生産重油861.0t搭載。 |
1925年(大正14年)5月15日 | 徳山発。 油谷湾着。 |
1925年(大正14年)5月16日 | 油谷湾発。 |
1925年(大正14年)5月18日 | 舞鶴着。 |
1925年(大正14年)5月19日 | 生産重油861.0t卸方。 |
1925年(大正14年)5月20日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)5月23日 | 三津浜着。 |
1925年(大正14年)5月25日 | 三津浜発。 呉着。 |
1925年(大正14年)6月2日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)6月2日 | 混合重油850.0t搭載。 |
1925年(大正14年)6月4日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)6月5日 | 舞鶴着。 |
1925年(大正14年)6月6日 | 混合重油850.0t卸方。 |
1925年(大正14年)6月8日 | 舞鶴発。 美保着。 |
1925年(大正14年)6月11日 | 美保発。 |
1925年(大正14年)6月13日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)7月2日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)7月3日 | 生産重油820.0t搭載。 |
1925年(大正14年)7月4日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)7月6日 | 舞鶴着。 生産重油820.0t卸方。 |
1925年(大正14年)7月7日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)7月9日 | 徳山着。 生産重油850.0t搭載。 |
1925年(大正14年)7月11日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)7月12日 | 鎮海着。 生産重油838.0t卸方(7月13日まで)。 |
1925年(大正14年)7月13日 | 鎮海発。 釜山着。 |
1925年(大正14年)7月14日 | 釜山発。 |
1925年(大正14年)7月15日 | 徳山着。 生産重油1,000t搭載。 |
1925年(大正14年)7月16日 | 徳山発。 呉着。 |
1925年(大正14年)7月17日 | 生産重油1,000t卸方。 |
1925年(大正14年)7月23日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)7月24日 | 生産重油810.0t搭載。 |
1925年(大正14年)7月25日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)7月27日 | 舞鶴着。 生産重油810.0t卸方。 |
1925年(大正14年)7月28日 | 舞鶴発。 |
1925年(大正14年)7月30日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)9月3日 | 呉発。 徳山着。 |
1925年(大正14年)9月4日 | タラカン産重油622.0t搭載。 |
1925年(大正14年)9月5日 | 徳山発。 |
1925年(大正14年)9月11日 | 旅順着。 タラカン産重油622.0t卸方。 |
1925年(大正14年)9月14日 | 旅順発。 大連着。 |
1925年(大正14年)9月17日 | 大連発。 |
1925年(大正14年)9月18日 | 仁川着。 |
1925年(大正14年)9月21日 | 仁川発。 |
1925年(大正14年)9月24日 | 呉着。 |
1925年(大正14年)10月1日 | 第一予備船となる。 |
1925年(大正14年)11月1日 | 第四予備船となる。 呉港内に繁留。 |
1933年(昭和8年)9月1日 | 除籍。 |
年月日 | 履歴 |
---|---|
1935年(昭和10年) | 農林省に払下げ、漁業取締船。 |
1936年(昭和11年) | 播磨造船所で主機換装他、改造。 |
1936年(昭和11年) | 「快鳳丸」と改名。 |
1936年(昭和11年)5月5日 | 東京発。 館山着。 |
1936年(昭和11年)5月6日 | 館山発。 |
1936年(昭和11年)5月8日 | 函館着。 |
1936年(昭和11年)5月11日 | 函館発。 |
1936年(昭和11年)5月14日 | オルガ着。 |
1936年(昭和11年)5月19日 | オルガ発。 |
1936年(昭和11年)5月21日 | ベリキナ着。 |
1936年(昭和11年)5月26日 | ベリキナ発。 |
1936年(昭和11年)5月27日 | ネリマ着。 |
1936年(昭和11年)6月2日 | ネリマ発。 |
1936年(昭和11年)6月3日 | 小樽着。 |
1936年(昭和11年)6月6日 | 小樽発。 |
1936年(昭和11年)6月11日 | オゼルナヤ着。 |
1936年(昭和11年)6月12日 | オゼルナヤ発。 |
1936年(昭和11年)6月15日 | クロノッキー着。 |
1936年(昭和11年)6月16日 | クロノッキー発。 |
1936年(昭和11年)6月20日 | アナドイール海湾着。 |
1936年(昭和11年)6月21日 | アナドイール海湾発。 |
1936年(昭和11年)6月26日 | 北千島着。 |
1936年(昭和11年)6月27日 | 北千島発。 |
1936年(昭和11年)6月29日 | クロノッキー着。 |
1936年(昭和11年)6月30日 | クロノッキー発。 |
1936年(昭和11年)7月4日 | ウスカム着。 同日、ウスカム発。 |
1936年(昭和11年)7月7日 | 北千島着。 |
1936年(昭和11年)7月11日 | 北千島発。 キシカ着。 同日、キシカ発。 |
1936年(昭和11年)7月14日 | ハリウゾフ着。 |
1936年(昭和11年)7月17日 | ハリウゾフ発。 |
1936年(昭和11年)7月20日 | 北千島着。 |
1936年(昭和11年)7月21日 | 北千島発。 |
1936年(昭和11年)7月22日 | ロパトカ岬51度附近着。 |
1936年(昭和11年)7月23日 | ロパトカ岬51度附近発。 ロパトカ岬51度附近よりクロノッキー間行動(8月10日まで) |
1936年(昭和11年)8月14日 | ベーリング海峡着。 |
1936年(昭和11年)8月23日 | ベーリング海峡発。 |
1936年(昭和11年)8月27日 | ウスカム着。 |
1936年(昭和11年)8月30日 | ウスカム発。 |
1936年(昭和11年)9月2日 | パトカ岬着。 |
1936年(昭和11年)9月6日 | パトカ岬発。 |
1936年(昭和11年)9月8日 | キシカ着。 |
1936年(昭和11年)9月11日 | キシカ発。 |
1936年(昭和11年)9月13日 | イーチヤ着。 |
1936年(昭和11年)9月16日 | イーチヤ発。 |
1936年(昭和11年)9月20日 | プチチイ着。 |
1936年(昭和11年)9月23日 | プチチイ発。 |
1936年(昭和11年)9月30日 | 小樽着。 |
1936年(昭和11年)10月3日 | 小樽発。 |
1936年(昭和11年)10月4日 | 函館着。 |
1936年(昭和11年)10月7日 | 函館発。 |
1936年(昭和11年)10月10日 | 館山着。 |
1936年(昭和11年)10月11日 | 館山発。 |
1936年(昭和11年)10月12日 | 東京着(行動予定)。 |
1938年(昭和13年)7月26日〜9月22日 | オホーツク海及びベーリング海横断観測。 |
1939年(昭和14年)8月30日〜9月9日 | ベーリング海横断観測。 |
1940年(昭和15年)6月3日〜9月10日 | 堪察加西岸横断観測。 |
1941年(昭和16年)6月16日 | 東京発 。 |
1941年(昭和16年)6月22日 | 函館発。 |
1941年(昭和16年)7月21日 | 北氷洋航路中止。 |
1941年(昭和16年)8月8日 | 函館着。 |
年月日 | 履歴 |
---|---|
1941年(昭和16年)11月2日 | 海軍に徴用。 般徴傭船(気象観測船兼監視船)。 舞鶴鎮守府所管。第五艦隊配属。 |
1941年(昭和16年)12月8日 | 幌筵着。 |
1942年(昭和17年)1月25日 | 幌筵発 。 |
1942年(昭和17年)1月30日 | 室蘭着。 |
1942年(昭和17年)2月6日 | 室蘭発 。 |
1942年(昭和17年)2月7日 | 厚岸着。 |
1942年(昭和17年)2月13日 | 厚岸発 。 |
1942年(昭和17年)3月24日 | 大湊着。 |
1942年(昭和17年)4月1日 | 大湊発。 |
1942年(昭和17年)4月2日 | 厚岸着。 |
1942年(昭和17年)4月6日 | 厚岸発 。 |
1942年(昭和17年)4月27日 | 擂鉢湾で海防艦「石垣」に重油45t補給。 |
1942年(昭和17年) | 擂鉢湾発。 |
1942年(昭和17年)5月15日 | 函館着。 |
1942年(昭和17年)5月21日 | 大湊着。 |
1942年(昭和17年)5月26日 | 大湊発。 |
1942年(昭和17年)6月22日 | 幌筵着。 |
1942年(昭和17年)6月19日 | 幌筵発 。 |
1942年(昭和17年)7月18日 | 大湊着。 |
1942年(昭和17年)7月21日 | 大湊発。 |
1942年(昭和17年)7月24日 | 横須賀着。 |
1942年(昭和17年)9月27日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)10月11日 | 幌筵着。 |
1942年(昭和17年)10月20日 | 幌筵発 。 |
1942年(昭和17年)11月15日 | 大湊着。 |
1942年(昭和17年)11月21日 | 函館発。 |
1942年(昭和17年)11月24日 | 幌筵着。 |
1942年(昭和17年)12月20日 | 幌筵発 。 |
1943年(昭和18年)1月28日 | 大湊着。 |
1943年(昭和18年)1月31日 | 大湊発。 |
1943年(昭和18年)2月17日 | 大湊着。 |
1943年(昭和18年)3月1日 | 函館発。 |
1943年(昭和18年)4月17日 | 函館着。 |
1943年(昭和18年)4月26日 | 函館発。 |
1943年(昭和18年)5月9日 | 大湊着。 |
1943年(昭和18年)5月14日 | 大湊着。 |
1943年(昭和18年)6月28日 | 幌筵哨区、出漁船の保護、対潜警戒。 |
1943年(昭和18年)7月1日〜31日 | 幌筵哨区哨戒(気象観測兼務)。 |
1943年(昭和18年)9月5日 | (漁船隊第二班13隻護衛)幌筵発。 |
1943年(昭和18年)9月12日 | 大湊着。 |
1943年(昭和18年)9月17日 | 函館発。 |
1943年(昭和18年)9月20日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)11月〜1944年(昭和19年)3月 | 北海道南岸・千島近海測深に従事。 |
1943年(昭和18年)11月16日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)11月21日 | 函館着。 |
1943年(昭和18年)11月25日 | 函館発。 |
1943年(昭和18年)12月1日 | 柏原着。 |
1943年(昭和18年)11月28日 | 北方部隊電令作第123号:輸送の傍ら生糧品獲得(漁撈)に任ず。 |
1943年(昭和18年)12月2日 | 出漁。 |
1943年(昭和18年)12月4日 | 片岡着。 |
1943年(昭和18年)12月7日 | 片岡発。 巡洋艦「阿武隈」通過まで対潜哨戒。 擂鉢着。 |
1943年(昭和18年)12月11日 | 武蔵発。 片岡着。 |
1943年(昭和18年)12月19日 | 片岡発。 松輪着。 |
1943年(昭和18年)12月25日 | 松輪発。 片岡着。 |
1944年(昭和19年)1月5日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)1月9日 | 天寧着。 「三興丸」救難作業 。 |
1944年(昭和19年)1月17日 | 花咲発。 |
1944年(昭和19年)1月18日 | 天寧着。 |
1944年(昭和19年)1月22日 | 天寧発。 |
1944年(昭和19年)1月26日 | 室蘭着。 |
1944年(昭和19年)1月29日 | 室蘭発。 |
1944年(昭和19年)2月3日 | 松輪着。 |
1944年(昭和19年)2月4日 | 松輪発。 片岡着。 |
1944年(昭和19年)2月7日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)2月8日 | 武蔵発。 |
1944年(昭和19年)2月9日 | 松輪着。 |
1944年(昭和19年)2月10日 | 松輪発。 |
1944年(昭和19年)2月11日 | 武蔵着。 |
1944年(昭和19年)2月14日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)2月15日 | 擂鉢発。 片岡着。 |
1944年(昭和19年)2月16日 | 片岡発。 オホーツク海に避退。 |
1944年(昭和19年)2月17日 | 松輪着。 |
1944年(昭和19年)2月 | 松輪発。 片岡着。 |
1944年(昭和19年)2月20日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)2月25日 | 大湊着。 |
1944年(昭和19年)3月1日 | 大湊発。 |
1944年(昭和19年)3月3日 | 天寧着。 |
1944年(昭和19年)3月21日 | 天寧発。 |
1944年(昭和19年)3月25日 | 釧路着。 |
1944年(昭和19年)3月26日 | 釧路発。 「新羅丸」「北進丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)3月29日 | 天寧着。 |
1944年(昭和19年)4月11日 | 天寧発。 |
1944年(昭和19年)4月14日 | 大湊着。 |
1944年(昭和19年)5月7日 | 大湊発。 |
1944年(昭和19年)5月8日 | 室蘭着。 |
1944年(昭和19年)5月11日 | 室蘭発。 |
1944年(昭和19年)5月12日 | 釧路着。 |
1944年(昭和19年)5月13日 | 釧路発。 根室着。 |
1944年(昭和19年)5月14日 | 根室発。 |
1944年(昭和19年)5月23日 | 春牟古丹島着。 |
1944年(昭和19年)5月26日 | 春牟古丹島発。 |
1944年(昭和19年)5月27日 | 温禰古丹着。 |
1944年(昭和19年)5月29日 | 温禰古丹発。 |
1944年(昭和19年)5月30日 | 武蔵着。 |
1944年(昭和19年)5月31日 | 武蔵発。 阿頼度着。 |
1944年(昭和19年)6月2日 | 阿頼度発。 同日、片岡着。 |
1944年(昭和19年)6月3日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)6月5日 | 松輪着。 |
1944年(昭和19年)6月7日 | 松輪発。 |
1944年(昭和19年)6月9日 | 厚岸着。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | 厚岸発。 釧路着。 |
1944年(昭和19年)6月27日 | 釧路発。 |
1944年(昭和19年)6月28日 | 函館着。 |
1944年(昭和19年)6月 | 船体修理。 |
1944年(昭和19年)7月10日 | 函館発。 大湊着。 |
1944年(昭和19年)7月14日 | 大湊発。 |
1944年(昭和19年)7月16日 | 釧路着。 |
1944年(昭和19年)7月17日 | 魚雷10本その他積卸し。 |
1944年(昭和19年)7月19日 | 釧路発。 |
1944年(昭和19年)7月20日 | 天寧着。 |
1944年(昭和19年)7月21日 | 天寧発。 |
1944年(昭和19年)7月22日 | 釧路着。 |
1944年(昭和19年)7月23日 | 千根電令第48號:第三魚雷艇隊掩護警戒任務解除。 |
1944年(昭和19年)7月26日 | 釧路発。 |
1944年(昭和19年)7月30日 | 松輪着。 |
1944年(昭和19年)8月1日 | 加熊別 |
1944年(昭和19年)8月2日 | 片岡着。 |
1944年(昭和19年)8月6日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)8月7日 | 擂鉢着。 同日、擂鉢発。 |
1944年(昭和19年)8月8日 | 東浦着。 同日、東浦発。 大和湾着。 同日、大和湾発。 |
1944年(昭和19年)8月9日 | 新知湾着。 同日、新知湾発。 |
1944年(昭和19年)8月10日 | 二子島湾着。 同日、二子島発。 |
1944年(昭和19年)8月11日 | 天寧着。 |
1944年(昭和19年)8月14日 | 天寧発。 同日、古釜府着。 |
1944年(昭和19年)8月15日 | 古釜府発。 釧路着。 |
1944年(昭和19年)8月16日 | 釧路発。 |
1944年(昭和19年)8月17日 | 大湊着。 |
1944年(昭和19年)8月22日 | 大湊発。 小樽着。 |
1944年(昭和19年)8月23日 | 小樽発。 |
1944年(昭和19年)8月24日 | 稚内着。 同日、稚内発。 |
1944年(昭和19年)8月25日 | 網走着。 同日、網走発。 |
1944年(昭和19年)8月26日 | 床丹湾着。 |
1944年(昭和19年)8月27日 | 床丹湾発。 |
1944年(昭和19年)8月28日 | 新知湾着。 同日、新知湾発。 |
1944年(昭和19年)8月29日 | 大和湾着。 同日、大和湾発。 |
1944年(昭和19年)8月30日 | 潮見浦着。 同日、潮見浦発。 |
1944年(昭和19年)8月31日 | 武蔵湾着。 |
1944年(昭和19年)9月1日 | 武蔵湾発。 |
1944年(昭和19年)9月2日 | 片岡着。 |
1944年(昭和19年)9月4日 | 片岡発。 |
1944年(昭和19年)9月5日 | 南四ツ岩 |
1944年(昭和19年)9月6日 | 南四ツ岩発。 乙女湾着。 |
1944年(昭和19年)9月7日 | 乙女湾発。 大和湾着。 |
1944年(昭和19年)9月8日 | 大和湾発。 梅浦着。 同日、梅浦発。 見島港着。 |
1944年(昭和19年)9月9日 | 見島港発。 |
1944年(昭和19年)9月10日 | 二子島着。 同日、二子島発。 |
1944年(昭和19年)9月11日 | 天寧着。 同日、天寧発。 |
1944年(昭和19年)9月12日 | 古釜府着。 同日、古釜府発。 |
1944年(昭和19年)9月13日 | 根室着。 同日、根室発。 釧路着着。 |
1944年(昭和19年)9月14日 | 釧路発。 |
1944年(昭和19年)9月15日 | 大湊着。 |
1944年(昭和19年)9月20日 | 大湊発。 函館着。 |
1944年(昭和19年)9月21日 | 函館発。 |
1944年(昭和19年)9月22日 | 小樽着。 |
1944年(昭和19年)9月23日 | 小樽発。 |
1944年(昭和19年)9月24日 | 雄武港着。 |
1944年(昭和19年)9月25日 | 雄武港発。 |
1944年(昭和19年)9月26日 | 網走着。 同日、網走発。 |
1944年(昭和19年)9月27日 | 択捉島単冠湾年萌港着。 同日、択捉島単冠湾年萌港発。 |
1944年(昭和19年)9月28日 | 床丹湾着。 同日、床丹湾発。 |
1944年(昭和19年)9月29日 | 新知湾着。 同日、新知湾発。 |
1944年(昭和19年)9月30日 | 大和湾着。 |
1944年(昭和19年)10月13日 | 単冠湾発。 |
1944年(昭和19年)10月23日 | 横須賀発。 犬吠埼から特設駆潜艇「利國丸」が直接護衛開始。 |
1944年(昭和19年)11月4日 | 東京発。 横浜着。 |
1944年(昭和19年)11月〜12月 | 入渠修理中。 |
年月日 | 履歴 |
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1945年(昭和20年)1月1日 | 特設砲艦に編入。 横須賀鎮守府所管。 連合艦隊第十二航空艦隊千島方面根拠地隊に編入。 軍隊区分:千島防備部隊。 |
1945年(昭和20年)1月 | 船体機関修理。 |
1945年(昭和20年)2月 | 横浜 |
1945年(昭和20年)2月20日 | 大湊着。 |
1945年(昭和20年)2月23日 | 横須賀発。 |
1945年(昭和20年)3月1日 | 大湊発。 船団護衛。 |
1945年(昭和20年)3月12日 | 片岡着。 |
1945年(昭和20年)3月19日 | 片岡発。 船団護衛。 |
1945年(昭和20年)3月27日 | 大湊着。 |
1945年(昭和20年)4月1日 | 大湊発。 船団護衛。 |
1945年(昭和20年)4月6日 | 片岡着。 |
1945年(昭和20年)4月8日 | 片岡発。 加熊別着。 |
1945年(昭和20年)4月9日 | 加熊別発。 武蔵着。 |
1945年(昭和20年)4月10日 | 武蔵発。 片岡着。 |
1945年(昭和20年)4月13日 | 片岡発。 ツ201船団護衛。 函館へ向け航行。 |
1945年(昭和20年)4月19日 | 北海道静内沖でアメリカ潜水艦「サンフィッシュ (Sunfish)」の雷撃を受け沈没。 |
1945年(昭和20年)5月25日 | 除籍 |
1945年(昭和20年)5月25日 | 解傭。 |
剣埼の履歴データは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。
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