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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

大正初期頃の軍港では300トン積重油船で軍艦に燃料を供給していたが、巡洋戦艦金剛型の重油搭載量が1,000トン、計画中の戦艦「長門」では1,600トンに達しようとしていた。 このような艦艇の重油使用量増加に対応するために、港内給油用の1,100トン積み給油船として計画されたのが「剣埼」である。

当初、レシプロの1軸推進船として計画されたが、その後、イギリスで建造された駆逐艦「浦風」の巡航用ディーゼル機関の流用が可能になったため、2軸推進船に設計を変更し、日本海軍初のディーゼル推進船として竣工した。 なお、本船はディーゼル機関転用策として、雑役船の建造費の枠内で建造されている。 竣工後は主として徳山‐呉間の重油輸送に使用された。

本船のディーゼル主機は、性能不十分で、かつ取扱と整備にも不慣れであったため、完成当時は故障が頃発して操縦の自由を欠くこともあった。 呉軍港では一時、本艦の入港に際し在泊中の艦船に対して危険回避のため、缶を至急点火するよう要望したというエピソードも残されている。 このためもあってか、1926年(大正15年)以降第4予備艦として呉に定係後、1933年(昭和8年)9月1日に除籍された。

しかし、船体はまだ使用可能であったので、1935年(昭和10年)農林省に移管、相生の播磨造船所で主機換装を含む改造が施され、漁業取締船「快鳳丸」となった。 太平洋戦争開戦までは、主に北洋漁業の保護用として使用された。 開戦直前の1941年(昭和16年)11月2日、海軍に気象観測船兼監視船として徴傭され、北方部隊(第五艦隊)の気象観測兼哨戒用として、千島、アリユーシャン方面を行動した。 1945年(昭和20年)1月1日には特設砲艦として海軍に復帰したが、1945年(昭和20年)4月19日、船団護衛中に北海道静内沖でアメリカ潜水艦「サンフィッシュ (Sunfish)」の雷撃を受け沈没した。(1)(2)

艦名

艦名は岬角名。 神奈川県三浦半島東端の剣埼より。(3)

要目(4)(5)(6)

運送船として新造時漁業取締船として改造時
艦種特務艦漁業取締船
基準排水量 ※11,760トン
常備排水量 ※11,970トン
総トン数-1.091トン
純トン数-603トン
垂線間長64.01m
全長-65.6m
深さ-5.5m
最大幅9.45m9.4m
喫水4.27m
主機バーマイスター式直立4衝程単動ディーゼル機関2基、2軸発動機2基、2軸
出力1,000馬力950馬力
速力11ノット
燃料重油:135トン
航続力
兵装40口径安式8cm単装砲2基-
搭載能力石油1.100トン-
乗員103人
その他--

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(7)(8)

特務艦時代

年月日履歴
1916年(大正5年)6月26日「剣埼」と命名。 運送船に類別。 横須賀鎮守府を本籍と定める。
1917年(大正6年)6月20日進水。
1917年(大正6年)9月1日運送船に類別。 横須賀鎮守府を本籍と定める。
1917年(大正6年)11月30日竣工。
1917年(大正6年)12月12日呉発。 厳島着。
1917年(大正6年)12月13日厳島発。 呉着。 
1917年(大正6年)12月19日呉発。
1917年(大正6年)12月23日横須賀着。 
1918年(大正7年)1月14日横須賀発。 同日、横須賀着。 
1918年(大正7年)1月15日横須賀発。 同日、横須賀着。 
1918年(大正7年)1月16日(第1回)横須賀発。
1918年(大正7年)1月21日呉着。 
1918年(大正7年)1月26日呉発。
1918年(大正7年)1月27日佐世保着(第三区仮泊)。
1918年(大正7年)1月28日赤崎二番浮標繋留。 10::30 海水排水(23:00まで)。
1918年(大正7年)1月29日9:15 重油船を両舷に横付け、越後重油450t搭載開始。 17:15 重油搭載中止。
1918年(大正7年)1月30日8:15 重油船を両舷に横付け、越後重油481t搭載開始。 12:30 重油搭載終了。
1918年(大正7年)1月30日佐世保発。 18:40 的山大島沖で左舷機故障停止。 19:02 右舷機故障停止、漂泊。 19:25 左舷機故障復旧。 23:33 久喜浦仮泊、検査修理。
1918年(大正7年)1月31日応急修理完成。 久喜浦発
1918年(大正7年)2月1日安岡沖着。 同日、安岡沖発。
1918年(大正7年)2月2日呉着(E8浮標繋留)。 11:30 重油船を両舷に横付け、越後重油657t卸方開始。 17:10 重油卸方中止。
1918年(大正7年)2月3日9:40 重油船を両舷に横付け、越後重油274t卸方開始。 13:20 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。
1918年(大正7年)2月5日(第2回)呉発。 倉橋着。
1918年(大正7年)2月6日倉橋発。 今津沖着。
1918年(大正7年)2月7日今津沖発。 12:23 六連島灯台北西7浬で波濤の為、両舷機自停。 13:02 左舷機起動。 13:05 右舷機起動。 14::21 吉見湾仮泊。
1918年(大正7年)2月8日吉見湾発。 佐世保着(第三区仮泊)。
1918年(大正7年)2月9日7:39 赤崎二番浮標繋留。 8:40 海水排水(11:10まで)。 13:00 重油船を両舷に横付け、越後重油592.3t搭載開始。 17:15 重油搭載中止。
1918年(大正7年)2月10日8:50 重油船を両舷に横付け、越後重油310.5t搭載開始。 11:10 重油搭載終了。
1918年(大正7年)2月11日佐世保発。 10:36 平戸島北西方海面で波濤の為、左舷機自停。 11:20 左舷機起動復旧。 19:43 安岡沖仮泊。
1918年(大正7年)2月12日安岡沖発。 呉着(第三区仮泊)。
1918年(大正7年)2月13日8:44 E3浮標繋留。 9:50 重油船を両舷に横付け、越後重油812.8t卸方開始。 11:40 重油卸方中止。 13:00 重油船を両舷に横付け、重油卸方再開。 15:00 重油卸方中止。
1918年(大正7年)2月14日9:15 重油船を両舷に横付け、越後重油 90.0t卸方開始。 10:40 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。
1918年(大正7年)2月16日(第3回)呉発。 今津沖着。
1918年(大正7年)2月19日今津沖発。 10:17 右舷機故障、片舷機航行。 10:41 今津沖仮泊、機械修理。
1918年(大正7年)2月20日今津沖発。 試運転。 大積沖着。
1918年(大正7年)2月21日大積沖発。 
1918年(大正7年)2月22日2:.22佐世保着(第三区仮泊)。 9:00 赤崎二番浮標繋留。 9:15 海水排水(10:45まで)。 12:30 重油船を両舷に横付け、越後重油413t搭載開始。 16:00 重油搭載中止。
1918年(大正7年)2月23日8:10 重油船を両舷に横付け、越後重油434t搭載開始。 11:15 重油搭載終了。
1918年(大正7年)2月24日佐世保発。 14:19 玄界灘烏帽子島東北東4.5浬で右舷機故障停止、片舷機航行。 17:16 右舷機故障復旧。 19:56 安岡沖仮泊。
1918年(大正7年)2月25日安岡沖発。 呉着(E4浮標繋留)。
1918年(大正7年)2月26日9:00 重油船を両舷に横付け、越後重油731t卸方開始。 14:42 重油卸方中止。
1918年(大正7年)2月17日10:30 重油船を両舷に横付け、越後重油112t卸方開始。 12:30 重油卸方終了、需品搭載、機械手入。
1918年(大正7年)3月4日呉発。
1918年(大正7年)3月10日横須賀着。 
1918年(大正7年)3月19日横須賀発。 
1918年(大正7年)3月20日横須賀着。 
1918年(大正7年)3月横須賀海軍工廠で修理。
1918年(大正7年)5月21日横須賀発。 横須賀着。 
1918年(大正7年)5月30日(第4回)横須賀発。 
1918年(大正7年)5月31日12:30 左舷機附属強圧注油兼海水循環兼燃料補給用喞筒軸折損。 17:15 左舷機停止、喞筒を開放検査。 17:45 左舷機起動。
1918年(大正7年)6月1日小豆島着。 同日、小豆島発。
1918年(大正7年)6月3日佐世保着。 秋田産重油485t搭載。
1918年(大正7年)6月4日秋田産重油487t搭載。
1918年(大正7年)6月7日佐世保海軍工廠で機関修理完了。
1918年(大正7年)6月8日佐世保発。
1918年(大正7年)6月10日和歌浦着。 同日、和歌浦発。
1918年(大正7年)6月12日横須賀着。 秋田産重油594.1t卸方。
1918年(大正7年)6月13日秋田産重油377.9t卸方。
1918年(大正7年)6月15日横須賀海軍工廠で機関修理完了。
1918年(大正7年)6月16日(第5回)横須賀発。
1918年(大正7年)6月18日部埼沖着。
1918年(大正7年)6月19日部埼沖発。
1918年(大正7年)6月20日佐世保着。 重油381.8t搭載。
1918年(大正7年)6月21日重油582.5t搭載。
1918年(大正7年)6月25日佐世保発。 六連島東方着。
1918年(大正7年)6月26日六連島東方発。
1918年(大正7年)6月27日小部湾着。 同日、小部湾発。 田島南方着。
1918年(大正7年)6月28日田島南方発。
1918年(大正7年)6月30日横須賀着。
1918年(大正7年)7月2日重油964.3t卸方。
1918年(大正7年)7月3日横須賀海軍工廠で修理。
1918年(大正7年)7月5日(第6回)横須賀発。
1918年(大正7年)7月6日和泉灘貝掛沖着。
1918年(大正7年)7月7日和泉灘貝掛沖発。
1918年(大正7年)7月9日佐世保着。 重油495.5t搭載。
1918年(大正7年)7月10日重油466.0t搭載。
1918年(大正7年)7月補助缶内部掃除及び主機各運動部開放検査手入。
1918年(大正7年)7月14日佐世保発。
1918年(大正7年)7月15日六連島沖発。 備後灘田島南方着。
1918年(大正7年)7月16日備後灘田島南方発。
1918年(大正7年)7月17日右舷循環水喞筒軸折損。
1918年(大正7年)7月18日横須賀着。 重油961.5t卸方。
1918年(大正7年)7月右舷循環水喞筒軸その他修理。
1918年(大正7年)8月24日(第7回)横須賀発。
1918年(大正7年)8月27日呉着。
1918年(大正7年)8月31日呉発。
1918年(大正7年)9月2日舞鶴着。
1918年(大正7年)9月7日舞鶴発。
1918年(大正7年)9月8日新潟沖着。 同日、新潟沖発。 佐渡二見湾着。 佐渡二見湾発。 佐渡夷湾着。
1918年(大正7年)9月9日佐渡夷湾発。 新潟着。 重油690t搭載。
1918年(大正7年)9月10日重油210t搭載。 新潟発。
1918年(大正7年)9月11日舞鶴着。
1918年(大正7年)9月12日重油875t卸方。
1918年(大正7年)9月19日(第8回)舞鶴発。
1918年(大正7年)9月21日新潟着。 重油500t搭載。
1918年(大正7年)9月22日重油450t搭載。 新潟発。
1918年(大正7年)9月23日舞鶴着。
1918年(大正7年)9月25日重油335t卸方。
1918年(大正7年)9月29日舞鶴発。
1918年(大正7年)10月2日呉着。 重油615t卸方。
1918年(大正7年)10月10日(第9回)呉発。
1918年(大正7年)10月12日佐世保着。 重油400t搭載。
1918年(大正7年)10月13日重油515t搭載。
1918年(大正7年)10月17日佐世保発。
1918年(大正7年)10月21日横須賀着(小海岸壁)。
1918年(大正7年)10月22日重油915t卸方。
1918年(大正7年)10月28日横須賀海軍工廠第三船渠に入渠。
1918年(大正7年)11月2日出渠。
1918年(大正7年)11月(第10回)横須賀発。
1918年(大正7年)11月16日佐世保着。 重油500t搭載。
1918年(大正7年)11月17日重油418t搭載。
1918年(大正7年)11月21日佐世保発。 
1918年(大正7年)11月26日横須賀着。 重油618t卸方。
1918年(大正7年)11月27日重油300t卸方。
1919年(大正8年)1月15日(第1回)横須賀発。
1919年(大正8年)1月23日佐世保着。 秋田黒川産重油598.5t搭載。
1919年(大正8年)1月24日秋田黒川産重油324.5t搭載。
1919年(大正8年)1月28日佐世保発。
1919年(大正8年)2月2日横須賀着。 
1919年(大正8年)2月4日秋田黒川産重油923t卸方。
1919年(大正8年)2月9日(第2回)横須賀発。 
1919年(大正8年)2月13日佐世保着。 ボルネオ産重油650t搭載。
1919年(大正8年)2月14日ボルネオ産重油214t搭載。
1919年(大正8年)2月19日佐世保発。 
1919年(大正8年)2月24日須賀着。 ボルネオ産重油664t卸方。
1919年(大正8年)2月25日ボルネオ産重油200t卸方。
1919年(大正8年)2月横須賀海軍工廠で補助空気気畜器3個漏洩修理。
1919年(大正8年)3月17日(第3回)横須賀発。 10:20 金田湾沖航行中右舷第一発動気筒アルミニューム胴焼損、右舷機停止。
1919年(大正8年)3月22日佐世保着。 ボルネオ産重油960t搭載。
1919年(大正8年)3月27日佐世保発。 
1919年(大正8年)3月31日横須賀着。 
1919年(大正8年)4月1日ボルネオ産重油960t卸方。
1919年(大正8年)4月7日横須賀発。 同日、横須賀着。 
1919年(大正8年)4月横須賀海軍工廠で補助気蓄器1個漏洩、両舷循環喞筒磨耗修理、発電機一個増設工事。
1919年(大正8年)4月25日(第4回)横須賀発。 
1919年(大正8年)4月29日佐世保着。 ボルネオ産重油987t搭載。
1919年(大正8年)5月4日佐世保発。 4:49 両舷機故障で投錨。 6:39 抜錨、出港の際再び両舷機故障。
1919年(大正8年)5月5日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)5月6日ボルネオ産重油939t卸方。
1919年(大正8年)5月呉海軍工廠で補助気蓄器1個漏洩修理。
1919年(大正8年)5月10日(第5回)呉発。
1919年(大正8年)5月12日佐世保着。 ボルネオ産重油985t搭載。
1919年(大正8年)5月15日佐世保発。 
1919年(大正8年)5月16日呉着。 
1919年(大正8年)5月17日ボルネオ産重油976t卸方。
1919年(大正8年)5月21日(第6回)呉発。 
1919年(大正8年)5月23日佐世保着。 ボルネオ産重油1,010.5t搭載。
1919年(大正8年)5月25日佐世保発。 
1919年(大正8年)5月26日呉着。 
1919年(大正8年)5月28日ボルネオ産重油999.5t卸方。
1919年(大正8年)5月呉海軍工廠で補助気蓄器2個漏洩修理。
1919年(大正8年)6月1日(第7回)呉発。 
1919年(大正8年)6月2日佐世保着。 タラカン産重油1,018t搭載。
1919年(大正8年)6月5日佐世保発。 
1919年(大正8年)6月6日呉着。 タラカン産重油1,010t卸方。
1919年(大正8年)6月呉海軍工廠で主機械排気弁洋ローラー及び同栓8個修理。
1919年(大正8年)6月11日(第8回)呉発。
1919年(大正8年)6月12日佐世保着。 
1919年(大正8年)6月13日ミリ産重油1,042t搭載。
1919年(大正8年)6月15日佐世保発。
1919年(大正8年)6月16日呉着。 ミリ産重油996.0t卸方。
1919年(大正8年)6月呉海軍工廠で補助気蓄器1個、主機械排気管疏水嘴1箇所修理。
1919年(大正8年)6月22日(第9回)呉発。
1919年(大正8年)6月23日佐世保着。 
1919年(大正8年)6月24日ミリ産重油1,002t搭載。
1919年(大正8年)6月26日佐世保発。
1919年(大正8年)6月27日呉着。 
1919年(大正8年)6月28日ミリ産重油998.0t卸方。
1919年(大正8年)6月左舷燃料喞筒カム軸承外1廉呉海軍工廠に修理請求。
1919年(大正8年)7月2日(第10回)呉発。
1919年(大正8年)7月3日佐世保着。 
1919年(大正8年)7月4日ミリ産重油1,020t搭載。
1919年(大正8年)7月6日佐世保発。
1919年(大正8年)7月7日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)7月8日ミリ産重油992.0t卸方。
1919年(大正8年)7月起動用補助気畜器2個外2廉呉海軍工廠に修理請求。
1919年(大正8年)7月13日(第11回)呉発。 
1919年(大正8年)7月14日佐世保着。 
1919年(大正8年)7月15日ミリ産重油1,024t搭載。
1919年(大正8年)7月17日佐世保発。
1919年(大正8年)7月18日呉着(三番浮標)。 ミリ産重油1,010t卸方。
1919年(大正8年)7月起動用補助気畜器外1廉呉海軍工廠に修理請求。
1919年(大正8年)7月23日(第12回)呉発。 
1919年(大正8年)7月24日佐世保着。 
1919年(大正8年)7月25日ミリ産重油1,010t搭載。
1919年(大正8年)7月27日佐世保発。 
1919年(大正8年)7月28日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)7月29日ミリ産重油991.0t卸方。
1919年(大正8年)7月起動用補助気畜器1個呉海軍工廠に修理請求。
1919年(大正8年)8月3日(第13回)呉発。
1919年(大正8年)8月5日佐世保着。 
1919年(大正8年)8月6日タラカン産重油1,022t搭載。
1919年(大正8年)8月7日佐世保発。 
1919年(大正8年)8月8日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)8月9日タラカン産重油990t卸方。
1919年(大正8年)8月13日(第14回)呉発。
1919年(大正8年)8月14日佐世保着(九番浮標)。
1919年(大正8年)8月15日タラカン産重油957.8t搭載。
1919年(大正8年)8月17日佐世保発。
1919年(大正8年)8月18日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)8月19日タラカン産重油957.5t卸方。
1919年(大正8年)8月24日呉発。 右舷機故障。 同日、呉帰着。 
1919年(大正8年)8月24日(第15回)呉発。
1919年(大正8年)8月26日佐世保着(赤崎二番浮標)。 タラカン産重油990.8t搭載。
1919年(大正8年)8月28日佐世保発。
1919年(大正8年)8月29日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)8月30日タラカン産重油985.0t卸方。
1919年(大正8年)9月3日(第16回)呉発。
1919年(大正8年)9月4日佐世保着(赤崎二番浮標)。
1919年(大正8年)9月5日タラカン産重油996.8t搭載。
1919年(大正8年)9月6日佐世保発。
1919年(大正8年)9月7日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)9月8日タラカン産重油993.0t卸方。
1919年(大正8年)9月11日(第17回)呉発。
1919年(大正8年)9月12日佐世保着(赤崎二番浮標)。
1919年(大正8年)9月13日タラカン産重油992.7t搭載。
1919年(大正8年)9月14日佐世保発。
1919年(大正8年)9月15日呉着(三番浮標)。
1919年(大正8年)9月16日タラカン産重油993.0t卸方。
1919年(大正8年)9月20日入渠。
1919年(大正8年)10月2日出渠。
1919年(大正8年)10月4日呉発。 広島湾へ。 
1919年(大正8年)10月5日呉着。 
1919年(大正8年)10月12日由宇発。 
1919年(大正8年)10月13日徳山発。
1919年(大正8年)10月20日横須賀着。 
1919年(大正8年)10月23日横須賀発。 大正八年特別大演習参加。
1919年(大正8年)10月25日千葉沖。
1919年(大正8年)10月26日横浜。
1919年(大正8年)10月28日横浜発。 大正八年大演習観艦式参加。 
1919年(大正8年)10月29日横須賀着。 
1919年(大正8年)12月16日タラカン産重油1,000t搭載(三ヶ保浦)。
1920年(大正9年)1月14日(第1回)横須賀発。 
1920年(大正9年)1月20日呉着。 
1920年(大正9年)1月26日呉発。
1920年(大正9年)1月29日舞鶴着(重油槽岸壁)。 タラカン産重油997.0t卸方。
1920年(大正9年)2月1日(第2回)舞鶴発。 
1920年(大正9年)2月3日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油969.7t搭載。
1920年(大正9年)2月8日佐世保発。
1920年(大正9年)2月13日舞鶴着(重油槽岸壁)。
1920年(大正9年)2月14日ミリ産重油953.0t卸方。
1920年(大正9年)2月18日(第3回)舞鶴発。 
1920年(大正9年)2月20日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油932.2t搭載。
1920年(大正9年)2月25日佐世保発。
1920年(大正9年)2月27日舞鶴着(重油槽岸壁)。 ミリ産重油932.0t卸方。
1920年(大正9年)3月3日(第4回)舞鶴発。
1920年(大正9年)3月5日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油976.0t搭載。
1920年(大正9年)3月10日佐世保発。
1920年(大正9年)3月11日鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。 ミリ産重油969.0t卸方。
1920年(大正9年)3月12日(第5回)鎮海発。
1920年(大正9年)3月13日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,038.7t搭載。
1920年(大正9年)3月15日佐世保発。
1920年(大正9年)3月17日鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。
1920年(大正9年)3月18日ミリ産重油1,021.0t卸方。
1920年(大正9年)3月17日(第6回)鎮海発。
1920年(大正9年)3月18日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,008.6t搭載。
1920年(大正9年)3月20日佐世保発。 
1920年(大正9年)3月21日鎮海着(重油槽岸壁付近特設浮標)。
1920年(大正9年)3月22日ミリ産重油993.0t卸方。 便乗者5名乗艦。
1920年(大正9年)3月22日(第7回)鎮海発。
1920年(大正9年)3月23日佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者5名退艦。
1920年(大正9年)3月30日ミリ産重油983.7t搭載。
1920年(大正9年)3月31日佐世保発。
1920年(大正9年)4月1日鎮海着。 ミリ産重油972.0t卸方。
1920年(大正9年)4月1日特務艦籍に編入。 運送艦に類別。
1920年(大正9年)4月2日(第8回)鎮海発。
1920年(大正9年)4月2日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油965.2t搭載。
1920年(大正9年)4月3日佐世保発。
1920年(大正9年)4月4日鎮海着(重油槽岸壁)。 ミリ産重油956.0t卸方。
1920年(大正9年)4月4日(第9回)鎮海発。
1920年(大正9年)4月5日呉着(二番浮標)。
1920年(大正9年)4月6日アメリカ産原油600t.0搭載。
1920年(大正9年)4月7日呉発。 重油船を曳航。 徳山着。 
1920年(大正9年)4月8日アメリカ産原油176.0t卸方。
1920年(大正9年)4月9日アメリカ産原油420.4t卸方。
1920年(大正9年)4月10日(第10回)徳山発。
1920年(大正9年)4月11日佐世保着(五番浮標)。 ミリ産重油995.2t搭載。
1920年(大正9年)4月13日佐世保発。
1920年(大正9年)4月14日鎮海着。 ミリ産重油992.0t卸方。 私有品11個搭載。
1920年(大正9年)4月15日便乗者38名乗艦。
1920年(大正9年)4月15日(第11回)鎮海発。
1920年(大正9年)4月15日佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者38名退艦。
1920年(大正9年)4月16日ミリ産重油1,017t搭載、私有品11個卸方。
1920年(大正9年)4月24日佐世保発。
1920年(大正9年)4月25日鎮海着。 ミリ産重油1,008t卸方。
1920年(大正9年)4月26日(第12回)鎮海発。
1920年(大正9年)4月27日佐世保着(赤崎岸壁)。 ミリ産重油1,019t搭載。
1920年(大正9年)4月29日佐世保発。
1920年(大正9年)4月30日鎮海着。 ミリ産重油1,013t卸方、便乗者16名乗艦。
1920年(大正9年)5月1日(第13回)鎮海発。
1920年(大正9年)5月1日佐世保着(赤崎岸壁)。 便乗者16名退艦。
1920年(大正9年)5月2日ミリ産重油1,035t搭載。
1920年(大正9年)5月5日佐世保発。
1920年(大正9年)5月7日鎮海着。 ミリ産重油1,009.8t卸方。
1920年(大正9年)5月8日(第14回)鎮海発。
1920年(大正9年)5月9日呉着。
1920年(大正9年)5月15日呉発
1920年(大正9年)5月18日横須賀着。
1920年(大正9年)7月22日出渠。
1920年(大正9年)7月26日転錨(三ヶ保浦〜一番)。
1920年(大正9年)8月2日横須賀発。 館山附近で機械故障。 横須賀帰着。 
1920年(大正9年)8月5日(第15回)横須賀発。
1920年(大正9年)8月8日函館着。
1920年(大正9年)8月11日函館発。
1920年(大正9年)8月12日新潟着(港外)。
1920年(大正9年)8月13日新潟油1,020t搭載。
1920年(大正9年)8月13日新潟発。
1920年(大正9年)8月15日舞鶴着(重油槽岸壁)。
1920年(大正9年)8月16日新潟油1,025t卸方。
1920年(大正9年)8月20日(第16回)舞鶴発。 
1920年(大正9年)8月22日新潟着。 新潟油1,050t搭載。
1920年(大正9年)8月22日新潟発。
1920年(大正9年)8月24日舞鶴着(重油槽岸壁)。 新潟油1,059t卸方。
1920年(大正9年)8月機械修理手入。
1920年(大正9年)9月3日(第17回)舞鶴発。
1920年(大正9年)9月4日新潟着。 新潟油520.0t搭載。
1920年(大正9年)9月5日新潟油442.8t搭載。
1920年(大正9年)9月5日新潟発。
1920年(大正9年)9月8日佐世保着(赤崎岸壁)。 新潟油942t卸方。
1920年(大正9年)9月15日(第18回)佐世保発。
1920年(大正9年)9月18日新潟着。 新潟油870t搭載。
1920年(大正9年)9月19日新潟油152t搭載。
1920年(大正9年)9月19日新潟発。
1920年(大正9年)9月20日舞鶴着(重油槽岸壁)。
1920年(大正9年)9月21日新潟油1,024t卸方。
1920年(大正9年)9月27日(第19回)舞鶴発。
1920年(大正9年)9月28日新潟着。 
1920年(大正9年)9月29日新潟油960t搭載。
1920年(大正9年)9月29日新潟発。
1920年(大正9年)10月2日佐世保着(赤崎二番浮標)。 新潟油942t卸方。
1920年(大正9年)10月9日(第20回)佐世保発。
1920年(大正9年)10月15日横須賀着。 
1920年(大正9年)12月16日転錨(二区)。
1920年(大正9年)12月17日タラカン産重油1,000t搭載。
1920年(大正9年)12月18日転錨。
1920年(大正9年)12月19日(第21回)横須賀発。
1920年(大正9年)12月22日呉着。 タラカン産重油1,000t卸方。
1920年(大正9年)12月25日呉発。
1920年(大正9年)12月27日大牟田着。 混油タール151t搭載(12月29日まで)。
1921年(大正10年)1月1日大牟田発。
1921年(大正10年)1月5日横須賀着(重油庫岸壁)。
1921年(大正10年)1月6日混油タール151t卸方。
1921年(大正10年)1月29日(第1回)横須賀発。
1921年(大正10年)2月1日呉着。 原油1,055t搭載(2月2日まで)。
1921年(大正10年)2月7日(第2回)呉発。 宮島着。 
1921年(大正10年)2月8日宮島発。 徳山着。 
1921年(大正10年)2月9日原油1,067t卸方(2月10日まで)。
1921年(大正10年)2月11日徳山発。 呉着。 
1921年(大正10年)2月12日原油1,032t搭載。
1921年(大正10年)2月13日呉発。 徳山着。 
1921年(大正10年)2月16日原油1,068t卸方。
1921年(大正10年)2月17日徳山発。 呉着。 
1921年(大正10年)2月18日原油1,010t搭載。
1921年(大正10年)2月19日呉発。 徳山着。 
1921年(大正10年)2月20日原油1,027t卸方(2月21日まで)。
1921年(大正10年)2月21日徳山発。 呉着。 
1921年(大正10年)2月22日原油913t搭載。
1921年(大正10年)2月28日呉発。 徳山着。 
1921年(大正10年)3月1日原油985t卸方。
1921年(大正10年)3月2日(第3回)徳山発。
1921年(大正10年)3月3日佐世保着。 
1921年(大正10年)3月4日タラカン産重油1,027t搭載。
1921年(大正10年)3月6日佐世保発。
1921年(大正10年)3月8日舞鶴着。 タラカン産重油1.016t卸方。
1921年(大正10年)3月17日(第4回)舞鶴発。
1921年(大正10年)3月19日佐世保着(赤崎岸壁)。 タラカン産重油1,030t搭載。
1921年(大正10年)3月22日佐世保発。
1921年(大正10年)3月24日舞鶴着。 タラカン産重油999.0t卸方。
1921年(大正10年)3月29日舞鶴発。
1921年(大正10年)4月3日横須賀着。 
1921年(大正10年)4月6日タラカン産重油1,009t搭載。
1921年(大正10年)4月11日(第5回)横須賀発。
1921年(大正10年)4月14日大湊着。 タラカン産重油1,000t卸方(4月17日まで)。
1921年(大正10年)4月21日大湊発。
1921年(大正10年)4月24日横須賀着。 
1921年(大正10年)5月2日タラカン産重油1,000t搭載。
1921年(大正10年)5月7日転錨(小海〜五区)。
1921年(大正10年)5月8日(第6回)横須賀発。
1921年(大正10年)5月11日大湊着。 タラカン産重油989.0t卸方(5月13日まで)。
1921年(大正10年)5月17日大湊発。
1921年(大正10年)5月18日山田着。
1921年(大正10年)5月19日山田発。
1921年(大正10年)5月21日横須賀着。 
1921年(大正10年)5月25日タラカン産重油1,000t搭載。
1921年(大正10年)5月28日(第7回)横須賀発。
1921年(大正10年)5月31日高田着。
1921年(大正10年)6月1日高田発。
1921年(大正10年)6月2日大湊着。 
1921年(大正10年)6月3日タラカン産重油995.0t卸方(6月6日まで)。
1921年(大正10年)6月7日大湊発。
1921年(大正10年)6月10日横須賀着。 
1921年(大正10年)6月17日入渠。
1921年(大正10年)7月5日出渠。
1921年(大正10年)7月15日(第8回)横須賀発。
1921年(大正10年)7月18日呉着。 
1921年(大正10年)7月19日呉鎮守府に本籍変更。
1921年(大正10年)7月19日運送艦「野間」からタラカン産重油1,180t搭載。
1921年(大正10年)7月(第9回)呉発。 7月?呉着。 
1921年(大正10年)7月24日呉需品庫にタラカン産重油680t卸方。
1921年(大正10年)7月30日呉発。
1921年(大正10年)7月31日佐伯湾着。 巡洋艦「龍田」にタラカン産重油200t補給。
1921年(大正10年)8月1日戦艦「長門」にタラカン産重油300t補給。 佐伯発。
1921年(大正10年)8月2日呉着。 
1921年(大正10年)8月21日運送艦「能登呂」からタラカン産重油1,136t搭載。
1921年(大正10年)8月22日呉発。
1921年(大正10年)8月24日舞鶴着。 
1921年(大正10年)8月25日タラカン産重油1,014t卸方(8月26日まで)。
1921年(大正10年)8月27日舞鶴発。 徳山へ。 
1921年(大正10年)8月30日ボルネオ産重油1,000t搭載。
1921年(大正10年)9月5日徳山発。 舞鶴へ。 
1921年(大正10年)9月7日ボルネオ産重油979.0t卸方(9月8日まで)。
1921年(大正10年)9月8日舞鶴発。 徳山へ。 
1921年(大正10年)9月15日軽質油500,000リットル搭載(9月16日まで)。
1921年(大正10年)9月17日徳山発。 横須賀へ。 
1921年(大正10年)9月21日軽質油494,554リットル卸方(9月22日まで)。
1921年(大正10年)9月28日横須賀発。 徳山へ。 
1921年(大正10年)10月2日混合重油1,150t搭載。
1921年(大正10年)10月3日徳山発。 呉着。 
1921年(大正10年)10月4日混合重油1,123t卸方。
1921年(大正10年)10月5日アメリカ産原油1,040t搭載。
1921年(大正10年)10月呉発。 呉(飛渡瀬)着。
1921年(大正10年)10月6日アメリカ産原油1,040t卸方。
1921年(大正10年)10月18日呉発。 徳山着。 
1921年(大正10年)10月9日ボルネオ産重油1,000t搭載。
1921年(大正10年)10月19日徳山発。 舞鶴へ。 
1921年(大正10年)10月24日ボルネオ産重油988.0t卸方。
1921年(大正10年)10月25日舞鶴発。 徳山へ。 
1921年(大正10年)10月28日混合油1,000t搭載。
1921年(大正10年)10月28日徳山発。 呉着。 
1921年(大正10年)11月6日呉発。 12:50 大水無瀬島759呎頂北31度東3浬で「大コ丸」(船舶番号:10237)と衝突。 13:00頃 「大コ丸」転覆。 16:47 「大コ丸」船底部に横付けし曳航開始。 19:45 屋代島小泊湾に仮泊。 23:30頃 「大コ丸」を小泊湾奥沙岸に定留。
1921年(大正10年)11月7日屋代島小泊湾発。 舞鶴へ。 
1921年(大正10年)11月12日巡洋艦「木曾」に混合油1,000t補給。
1921年(大正10年)11月13日舞鶴発。 徳山着。 
1921年(大正10年)11月15日混合油1,000t搭載。
1921年(大正10年)11月21日徳山発。 舞鶴着。 
1921年(大正10年)11月24日混合油1,000t卸方(11月25日まで)。
1921年(大正10年)11月27日舞鶴発。 徳山着。 
1921年(大正10年)12月6日混合油1,000t搭載。
1921年(大正10年)12月6日徳山発。 舞鶴着。 
1921年(大正10年)12月10日混合油993.5t卸方。
1921年(大正10年)12月12日舞鶴発。 徳山着。 
1921年(大正10年)12月15日混合油1,150t搭載。
1921年(大正10年)12月徳山発。 呉着(飛渡瀬)。
1921年(大正10年)12月17日混合油1,156t卸方。
1922年(大正11年)1月21日ボルネオ重油1,148t搭載(1月23日まで)。
1922年(大正11年)1月24日呉発。 飛渡瀬着。
1922年(大正11年)1月25日ボルネオ重油928.0t卸方(1月.26日まで)。
1922年(大正11年)1月飛渡瀬発。 呉着。 
1922年(大正11年)1月27日ボルネオ重油900.0t搭載。
1922年(大正11年)1月呉発。 飛渡瀬着。 
1922年(大正11年)1月30日ボルネオ重油900.0t卸方。
1922年(大正11年)1月飛渡瀬発。 呉着。 
1922年(大正11年)1月31日ボルネオ重油887.0t搭載(2月1日まで)。
1922年(大正11年)2月呉発。 飛渡瀬着。 
1922年(大正11年)2月6日ボルネオ重油919.0t卸方。
1922年(大正11年)2月飛渡瀬発。 呉着。 
1922年(大正11年)2月7日ボルネオ重油860.0t搭載(2月10日まで)。
1922年(大正11年)2月呉発。 飛渡瀬着。 
1922年(大正11年)2月13日ボルネオ重油1,048t卸方(2月14日まで)。
1922年(大正11年)2月14日飛渡瀬発。
1922年(大正11年)2月15日呉着。 
1922年(大正11年)3月呉発。 飛渡瀬着。 
1922年(大正11年)3月8日徳山重油754t搭載。
1922年(大正11年)3月飛渡瀬発。 呉着。 
1922年(大正11年)3月9日徳山重油729t卸方。
1922年(大正11年)3月呉発。 飛渡瀬着。 
1922年(大正11年)3月13日徳山重油1,229t搭載。
1922年(大正11年)3月飛渡瀬発。 呉着。 
1922年(大正11年)3月14日徳山重油328.5t卸方。
1922年(大正11年)3月17日徳山重油198.0t卸方。
1922年(大正11年)3月20日徳山重油179.0t卸方。
1922年(大正11年)3月22日徳山重油336.0t卸方。
1922年(大正11年)4月7日呉発。
1922年(大正11年)4月8日徳山着。 混合重油900t搭載。
1922年(大正11年)4月9日徳山発。
1922年(大正11年)4月12日舞鶴着。 
1922年(大正11年)4月13日混合重油900t卸方。
1922年(大正11年)4月14日舞鶴発。 徳山へ。 
1922年(大正11年)4月18日混合重油900t搭載。
1922年(大正11年)4月23日徳山発。
1922年(大正11年)4月27日舞鶴着。 混合重油900t卸方。
1922年(大正11年)4月29日舞鶴発。
1922年(大正11年)5月2日呉着。 
1922年(大正11年)6月1日入渠。
1922年(大正11年)6月出渠。
1922年(大正11年)6月18日アメリカ産重油599t搭載。
1922年(大正11年)6月19日アメリカ産重油301t搭載。
1922年(大正11年)6月20日呉発。
1922年(大正11年)6月23日横須賀着。
1922年(大正11年)6月29日横須賀発。
1922年(大正11年)7月2日大湊着。 
1922年(大正11年)7月8日大湊発。
1922年(大正11年)7月15日ペトロパブロフスク着。
1922年(大正11年)7月20日駆逐艦「槇」に重油164t補給。
1922年(大正11年)7月21日駆逐艦「欅」に重油202t補給。
1922年(大正11年)8月4日駆逐艦「槇」に重油156t補給。
1922年(大正11年)8月21日駆逐艦「欅」に重油140t補給。
1922年(大正11年)8月22日駆逐艦「槇」に重油110t補給。
1922年(大正11年)8月24日ペトロパブロフスク発。 
1922年(大正11年)8月31日大湊着。 
1922年(大正11年)9月8日大湊発。
1922年(大正11年)9月10日横須賀着。
1922年(大正11年)9月14日横須賀発。
1922年(大正11年)9月161日呉着。 
1922年(大正11年)9月左舷機第三発動筒外19件並に発電機高圧筒修理(11月まで)。
1922年(大正11年)11月7日呉発。 徳山呉着。 
1922年(大正11年)11月9日徳山発。
1922年(大正11年)11月10日串本着。
1922年(大正11年)11月11日串本発。
1922年(大正11年)11月12日横須賀着。
1922年(大正11年)11月18日横須賀発。
1922年(大正11年)11月21日呉着。 
1922年(大正11年)12月4日呉発。 徳山着。 
1922年(大正11年)12月5日軽油搭載試験(12月7日まで)。
1922年(大正11年)12月8日徳山発。 呉着。 
1922年(大正11年)12月14日呉発。 徳山着。 
1922年(大正11年)12月15日荷役関係試験。
1922年(大正11年)12月17日解纜作業。 徳山発。 呉着。 
1923年(大正12年)1月12日呉発。 徳山着。 
1923年(大正12年)1月15日徳山発。 呉着。 
1923年(大正12年)1月29日呉発。 徳山着。 
1923年(大正12年)1月30日ボルネオ・タラカン重油809t搭載。
1923年(大正12年)1月31日徳山発。
1923年(大正12年)2月2日舞鶴着。 
1923年(大正12年)2月3日ボルネオ・タラカン重油809t卸方。
1923年(大正12年)2月6日舞鶴発。 徳山へ。 
1923年(大正12年)2月9日ボルネオ・タラカン重油818t搭載。
1923年(大正12年)2月12日徳山発。
1923年(大正12年)2月14日舞鶴着。 
1923年(大正12年)2月15日ボルネオ・タラカン重油818t卸方。
1923年(大正12年)2月18日舞鶴発。
1923年(大正12年)2月19日宮津発。
1923年(大正12年)2月21日徳山着。 
1923年(大正12年)2月23日混合重油油811t搭載。
1923年(大正12年)2月24日徳山発。 呉着。 
1923年(大正12年)3月2日混合重油油811t卸方。
1923年(大正12年)5月18日呉発。 徳山着。 
1923年(大正12年)5月19日タラカン原油750t搭載。
1923年(大正12年)5月21日徳山発。
1923年(大正12年)5月24日横須賀着。
1923年(大正12年)5月31日横須賀発。
1923年(大正12年)6月2日函館着。
1923年(大正12年)6月4日函館発。 大湊着。
1923年(大正12年)6月11日大湊発。
1923年(大正12年)6月16日ペトロパブロフスク着。
1923年(大正12年)6月18日駆逐艦「桑」、同「槇」、同「欅」、同「椿」に重油計448tを補給。
1923年(大正12年)7月2日駆逐艦「桑」、同「欅」に重油計302tを補給。
1923年(大正12年)7月3日ペトロパブロフスク発。 主機械分解後の試運転。 ペトロパブロフスク帰着。
1923年(大正12年)7月5日ペトロパブロフスク発。 11:45 右舷機故障、片舷航行。 13:45 復旧。
1923年(大正12年)7月7日 1:45 左舷機故障、減筒航行。 3:00 左舷機停止、片舷航行。 8:45 復旧。
1923年(大正12年)7月10日小樽湾着。
1923年(大正12年)7月11日小樽湾発。 
1923年(大正12年)7月12日大湊着。
1923年(大正12年)7月17日大湊発。
1923年(大正12年)7月19日横須賀着。
1923年(大正12年)7月25日横須賀発。
1923年(大正12年)7月27日呉着。 
1923年(大正12年)8月25日呉発。 徳山着(徳山湾旭石油)。
1923年(大正12年)8月25日ボルネオ原油814t搭載(8月26日まで)。
1923年(大正12年)8月27日徳山発。
1923年(大正12年)8月30日大連着。
1923年(大正12年)9月1日大連発。 裏長山列島着。
1923年(大正12年)9月2日ボルネオ原油814t補給。   駆逐艦「沖風」、「第一駆逐艦」、「沼風」、「島風」、「羽風」、「澤風」、「波風」、「野風」、「灘風」、「秋風」。
1923年(大正12年)9月裏長山列島発。 
1923年(大正12年)9月4日呉着。 
1923年(大正12年)9月24日呉発。 徳山着。 
1923年(大正12年)9月24日ボルネオ・タラカン原油899t搭載(9月25日まで)。
1923年(大正12年)9月25日徳山発。
1923年(大正12年)9月26日鎮海着。 ボルネオ・タラカン原油874t卸方。
1923年(大正12年)9月27日鎮海発。 
1923年(大正12年)9月28日徳山着。 
1923年(大正12年)9月29日ボルネオ・タラカン原油1,000t搭載。
1923年(大正12年)9月30日徳山発。 六連着。
1923年(大正12年)10月1日六連発。
1923年(大正12年)10月2日鎮海着。 ボルネオ・タラカン原油982t卸方。
1923年(大正12年)10月3日鎮海発。 
1923年(大正12年)10月4日呉着。 
1923年(大正12年)11月28日呉発。 徳山着。 
1923年(大正12年)11月29日ボルネオ・タラカン原油819t搭載。
1923年(大正12年)11月30日徳山発。
1923年(大正12年)12月2日佐世保着。 ボルネオ・タラカン原油784t卸方。
1923年(大正12年)12月4日佐世保発。
1923年(大正12年)12月5日徳山着。 ボルネオ・タラカン原油800t搭載(12月6日まで)。
1923年(大正12年)12月7日徳山発。
1923年(大正12年)12月8日佐世保着。 
1923年(大正12年)12月9日ボルネオ・タラカン原油792t卸方。
1923年(大正12年)12月10日佐世保発。
1923年(大正12年)12月11日徳山着。 
1923年(大正12年)12月12日ボルネオ・タラカン原油799t搭載。
1923年(大正12年)12月13日徳山発。
1923年(大正12年)12月15日佐世保着。 ボルネオ・タラカン原油770t卸方。
1923年(大正12年)12月17日佐世保発。
1923年(大正12年)12月18日呉着。 
1924年(大正13年)1月14日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)1月15日ボルネオ・タラカン原油1,004t搭載。
1924年(大正13年)1月15日徳山発。
1924年(大正13年)1月16日呉着(飛渡瀬)。
1924年(大正13年)1月18日ボルネオ・タラカン原油1,004t卸方。
1924年(大正13年)1月20日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)1月22日ボルネオ・タラカン原油1,006t搭載。
1924年(大正13年)1月22日徳山発。
1924年(大正13年)1月23日呉着(飛渡瀬)。
1924年(大正13年)1月24日ボルネオ・タラカン原油1,000t卸方。
1924年(大正13年)1月28日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)1月29日ボルネオ・タラカン原油1,003t搭載。
1924年(大正13年)1月30日徳山発。 呉着(飛渡瀬)。
1924年(大正13年)2月2日ボルネオ・タラカン原油1,000t卸方。
1924年(大正13年)2月4日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)2月6日生産重油1,010t搭載。
1924年(大正13年)2月7日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)2月8日生産重油1,007t卸方。
1924年(大正13年)2月13日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)2月13日混合重油1,003t搭載。
1924年(大正13年)2月14日徳山発。 呉着(新宮)。
1924年(大正13年)2月16日混合重油1,003t卸方。
1924年(大正13年)2月18日呉発。
1924年(大正13年)2月19日徳山着。 混合重油1,007t搭載。 徳山発。
1924年(大正13年)2月20日呉着(新宮)。
1924年(大正13年)2月21日混合重油1,004t卸方。
1924年(大正13年)2月25日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)2月25日混合重油1,006t搭載。
1924年(大正13年)2月27日徳山発。 呉着(新宮)。
1924年(大正13年)2月28日混合重油1,003t卸方。
1924年(大正13年)4月7日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)4月8日ボルネオ・タラカン原油860t搭載。
1924年(大正13年)4月9日徳山発。
1924年(大正13年)4月10日佐世保着。
1924年(大正13年)4月14日佐世保発。
1924年(大正13年)4月17日旅順着。
1924年(大正13年)4月19日ボルネオ・タラカン原油860t卸方。
1924年(大正13年)4月23日旅順発。
1924年(大正13年)4月24日鎮南浦着。
1924年(大正13年)4月27日鎮南浦発。
1924年(大正13年)4月30日呉着。 
1924年(大正13年)5月22日呉発。 徳山着。 
1924年(大正13年)5月23日亞産重油897t搭載。
1924年(大正13年)5月23日徳山発。
1924年(大正13年)5月25日宮津着。
1924年(大正13年)5月27日宮津発。
1924年(大正13年)5月29日眞野着。
1924年(大正13年)5月31日眞野発。
1924年(大正13年)6月1日大湊着。 
1924年(大正13年)6月2日亞産重油389t卸方。
1924年(大正13年)6月3日亞産重油185t卸方。
1924年(大正13年)6月4日亞産重油294t卸方。
1924年(大正13年)6月5日大湊発。
1924年(大正13年)6月8日横須賀着。 
1924年(大正13年)6月17日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)6月17日アメリカ産重油1,150t搭載。
1924年(大正13年)6月17日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)6月18日アメリカ産重油1,150t卸方。
1924年(大正13年)6月19日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)6月19日アメリカ産重油1,200t搭載。
1924年(大正13年)6月19日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)6月23日アメリカ産重油1,200t卸方。
1924年(大正13年)6月25日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)6月25日アメリカ産重油1,215t搭載。
1924年(大正13年)6月25日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)6月26日アメリカ産重油1,215t卸方。
1924年(大正13年)6月27日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)6月27日アメリカ産重油1,218t搭載。
1924年(大正13年)6月27日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)6月30日アメリカ産重油1,218t卸方。
1924年(大正13年)7月1日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)7月1日アメリカ産重油1,205t搭載。
1924年(大正13年)7月1日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)7月2日アメリカ産重油1,205t卸方。
1924年(大正13年)7月3日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)7月3日アメリカ産重油1,216t搭載。
1924年(大正13年)7月3日鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)7月4日アメリカ産重油1,216t卸方。
1924年(大正13年)7月4日横須賀発。 横浜着。
1924年(大正13年)7月7日横浜発。 鶴見着。
1924年(大正13年)7月7日横浜発。 鶴見着。 アメリカ産重油1,206t搭載。 鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)7月8日アメリカ産重油1,206t卸方。
1924年(大正13年)7月8日横須賀発。 鶴見着。
1924年(大正13年)7月8日アメリカ産重油191.0t搭載。
1924年(大正13年)7月鶴見発。 横須賀着。 
1924年(大正13年)7月13日横須賀発。 
1924年(大正13年)7月15日呉着。 
1924年(大正13年)7月22日主機械、補助機械修理(9月まで)。
1924年(大正13年)9月29日呉発。 徳山着。 生産油900t搭載。 
1924年(大正13年)9月30日徳山発。
1924年(大正13年)10月3日大湊着。 
1924年(大正13年)10月4日生産油900t卸方。
1924年(大正13年)10月9日大湊発。
1924年(大正13年)10月13日呉着。 
1924年(大正13年)10月23日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)10月24日生産重油1,010t搭載。
1924年(大正13年)10月24日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)10月27日生産重油1,001t卸方。
1924年(大正13年)10月28日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)11月29日生産重油1,017t搭載。
1924年(大正13年)10月30日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)11月3日生産重油1,005t卸方。
1924年(大正13年)11月4日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)11月5日生産重油1,009t搭載。
1924年(大正13年)11月7日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)11月10日生産重油218.0t卸方。
1924年(大正13年)11月11日呉発。
1924年(大正13年)11月15日旅順着。 生産重油785.0t卸方。
1924年(大正13年)11月18日旅順発。
1924年(大正13年)11月21日呉着。
1924年(大正13年)12月2日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)12月4日生産重油998.0t搭載。
1924年(大正13年)12月5日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)12月8日生産重油994.0t卸方。
1924年(大正13年)12月9日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)12月10日生産重油1,005t搭載。
1924年(大正13年)12月11日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)12月12日生産重油1,005t卸方。
1924年(大正13年)12月14日呉発。 徳山着。
1924年(大正13年)12月19日生産重油1,004t搭載。
1924年(大正13年)12月15日徳山発。 呉着。
1924年(大正13年)12月19日生産重油1,004t卸方。
1925年(大正14年)1月14日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)1月15日生産重油901.0t搭載。
1925年(大正14年)1月15日徳山発。
1925年(大正14年)1月16日佐世保着。 生産重油470.5t卸方。
1925年(大正14年)1月17日生産重油423.5t卸方。
1925年(大正14年)1月19日佐世保発。 
1925年(大正14年)1月20日呉着。 
1925年(大正14年)1月機械手入。
1925年(大正14年)1月26日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)1月28日生産重油850.0t搭載。
1925年(大正14年)1月28日徳山発。
1925年(大正14年)1月30日舞鶴着。 生産重油850.0t卸方。
1925年(大正14年)2月1日舞鶴発。
1925年(大正14年)2月3日徳山着。 
1925年(大正14年)2月4日生産重油900.0t搭載。
1925年(大正14年)2月5日徳山発。
1925年(大正14年)2月6日佐世保着。 
1925年(大正14年)2月7日佐世保発。 
1925年(大正14年)2月8日鎮海着。 
1925年(大正14年)2月9日生産重油891.0t卸方。
1925年(大正14年)2月10日鎮海発。
1925年(大正14年)2月11日佐世保着。 
1925年(大正14年)2月12日佐世保発。 
1925年(大正14年)2月13日呉着。 
1925年(大正14年)2月機械手入。
1925年(大正14年)2月23日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)2月24日生産重油900.0t搭載。
1925年(大正14年)2月25日徳山発。
1925年(大正14年)2月26日佐世保着。 
1925年(大正14年)2月27日生産重油900.0t卸方。
1925年(大正14年)2月28日佐世保発。
1925年(大正14年)3月1日徳山着。 混合重油850.0t搭載。
1925年(大正14年)3月3日徳山発。
1925年(大正14年)3月4日舞鶴着。 
1925年(大正14年)3月5日混合重油850.0t卸方。
1925年(大正14年)3月7日舞鶴発。 宮津湾着。
1925年(大正14年)3月8日宮津湾発。
1925年(大正14年)3月11日呉着。 
1925年(大正14年)3月機械手入。
1925年(大正14年)3月19日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)3月19日生産重油848.0t搭載。
1925年(大正14年)3月21日徳山発。
1925年(大正14年)3月23日舞鶴着。 生産重油848.0t卸方。
1925年(大正14年)3月25日舞鶴発。
1925年(大正14年)3月27日徳山着。 生産重油900.0t搭載。
1925年(大正14年)3月28日徳山発。
1925年(大正14年)3月29日佐世保着。 
1925年(大正14年)3月30日生産重油900.0t卸方。
1925年(大正14年)3月31日佐世保発。
1925年(大正14年)4月1日呉着。 
1925年(大正14年)4月21日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)4月22日生産重油852.0t搭載。
1925年(大正14年)4月23日徳山発。
1925年(大正14年)4月26日舞鶴着。 
1925年(大正14年)4月27日生産重油852.0t卸方。
1925年(大正14年)4月28日舞鶴発。
1925年(大正14年)5月1日呉着。 
1925年(大正14年)5月13日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)5月14日生産重油861.0t搭載。
1925年(大正14年)5月15日徳山発。 油谷湾着。 
1925年(大正14年)5月16日油谷湾発。
1925年(大正14年)5月18日舞鶴着。 
1925年(大正14年)5月19日生産重油861.0t卸方。
1925年(大正14年)5月20日舞鶴発。
1925年(大正14年)5月23日三津浜着。 
1925年(大正14年)5月25日三津浜発。 呉着。 
1925年(大正14年)6月2日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)6月2日混合重油850.0t搭載。
1925年(大正14年)6月4日徳山発。
1925年(大正14年)6月5日舞鶴着。 
1925年(大正14年)6月6日混合重油850.0t卸方。
1925年(大正14年)6月8日舞鶴発。 美保着。
1925年(大正14年)6月11日美保発。
1925年(大正14年)6月13日呉着。 
1925年(大正14年)7月2日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)7月3日生産重油820.0t搭載。
1925年(大正14年)7月4日徳山発。
1925年(大正14年)7月6日舞鶴着。 生産重油820.0t卸方。
1925年(大正14年)7月7日舞鶴発。
1925年(大正14年)7月9日徳山着。 生産重油850.0t搭載。
1925年(大正14年)7月11日徳山発。
1925年(大正14年)7月12日鎮海着。 生産重油838.0t卸方(7月13日まで)。
1925年(大正14年)7月13日鎮海発。 釜山着。
1925年(大正14年)7月14日釜山発。
1925年(大正14年)7月15日徳山着。 生産重油1,000t搭載。
1925年(大正14年)7月16日徳山発。 呉着。 
1925年(大正14年)7月17日生産重油1,000t卸方。
1925年(大正14年)7月23日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)7月24日生産重油810.0t搭載。
1925年(大正14年)7月25日徳山発。
1925年(大正14年)7月27日舞鶴着。 生産重油810.0t卸方。
1925年(大正14年)7月28日舞鶴発。
1925年(大正14年)7月30日呉着。 
1925年(大正14年)9月3日呉発。 徳山着。
1925年(大正14年)9月4日タラカン産重油622.0t搭載。
1925年(大正14年)9月5日徳山発。
1925年(大正14年)9月11日旅順着。 タラカン産重油622.0t卸方。
1925年(大正14年)9月14日旅順発。 大連着。
1925年(大正14年)9月17日大連発。
1925年(大正14年)9月18日仁川着。
1925年(大正14年)9月21日仁川発。
1925年(大正14年)9月24日呉着。 
1925年(大正14年)10月1日第一予備船となる。
1925年(大正14年)11月1日第四予備船となる。 呉港内に繁留。
1933年(昭和8年)9月1日除籍。

漁業取締船時代

年月日履歴
1935年(昭和10年)農林省に払下げ、漁業取締船。
1936年(昭和11年)播磨造船所で主機換装他、改造。
1936年(昭和11年)「快鳳丸」と改名。 
1936年(昭和11年)5月5日東京発。 館山着。
1936年(昭和11年)5月6日館山発。
1936年(昭和11年)5月8日函館着。
1936年(昭和11年)5月11日函館発。
1936年(昭和11年)5月14日オルガ着。
1936年(昭和11年)5月19日オルガ発。
1936年(昭和11年)5月21日ベリキナ着。
1936年(昭和11年)5月26日ベリキナ発。
1936年(昭和11年)5月27日ネリマ着。
1936年(昭和11年)6月2日ネリマ発。
1936年(昭和11年)6月3日小樽着。
1936年(昭和11年)6月6日小樽発。
1936年(昭和11年)6月11日オゼルナヤ着。
1936年(昭和11年)6月12日オゼルナヤ発。
1936年(昭和11年)6月15日クロノッキー着。
1936年(昭和11年)6月16日クロノッキー発。
1936年(昭和11年)6月20日アナドイール海湾着。
1936年(昭和11年)6月21日アナドイール海湾発。
1936年(昭和11年)6月26日北千島着。
1936年(昭和11年)6月27日北千島発。
1936年(昭和11年)6月29日クロノッキー着。
1936年(昭和11年)6月30日クロノッキー発。
1936年(昭和11年)7月4日ウスカム着。 同日、ウスカム発。
1936年(昭和11年)7月7日北千島着。
1936年(昭和11年)7月11日北千島発。 キシカ着。 同日、キシカ発。
1936年(昭和11年)7月14日ハリウゾフ着。
1936年(昭和11年)7月17日ハリウゾフ発。
1936年(昭和11年)7月20日北千島着。
1936年(昭和11年)7月21日北千島発。
1936年(昭和11年)7月22日ロパトカ岬51度附近着。
1936年(昭和11年)7月23日ロパトカ岬51度附近発。 ロパトカ岬51度附近よりクロノッキー間行動(8月10日まで)
1936年(昭和11年)8月14日ベーリング海峡着。
1936年(昭和11年)8月23日ベーリング海峡発。
1936年(昭和11年)8月27日ウスカム着。
1936年(昭和11年)8月30日ウスカム発。
1936年(昭和11年)9月2日パトカ岬着。
1936年(昭和11年)9月6日パトカ岬発。
1936年(昭和11年)9月8日キシカ着。
1936年(昭和11年)9月11日キシカ発。
1936年(昭和11年)9月13日イーチヤ着。
1936年(昭和11年)9月16日イーチヤ発。
1936年(昭和11年)9月20日プチチイ着。
1936年(昭和11年)9月23日プチチイ発。
1936年(昭和11年)9月30日小樽着。
1936年(昭和11年)10月3日小樽発。
1936年(昭和11年)10月4日函館着。
1936年(昭和11年)10月7日函館発。
1936年(昭和11年)10月10日館山着。
1936年(昭和11年)10月11日館山発。
1936年(昭和11年)10月12日東京着(行動予定)。
1938年(昭和13年)7月26日〜9月22日オホーツク海及びベーリング海横断観測。
1939年(昭和14年)8月30日〜9月9日ベーリング海横断観測。
1940年(昭和15年)6月3日〜9月10日堪察加西岸横断観測。
1941年(昭和16年)6月16日東京発 。
1941年(昭和16年)6月22日函館発。
1941年(昭和16年)7月21日北氷洋航路中止。
1941年(昭和16年)8月8日函館着。

海軍徴傭船時代

年月日履歴
1941年(昭和16年)11月2日海軍に徴用。 般徴傭船(気象観測船兼監視船)。 舞鶴鎮守府所管。第五艦隊配属。
1941年(昭和16年)12月8日幌筵着。 
1942年(昭和17年)1月25日幌筵発 。
1942年(昭和17年)1月30日室蘭着。
1942年(昭和17年)2月6日室蘭発 。
1942年(昭和17年)2月7日厚岸着。
1942年(昭和17年)2月13日厚岸発 。
1942年(昭和17年)3月24日大湊着。 
1942年(昭和17年)4月1日大湊発。
1942年(昭和17年)4月2日厚岸着。
1942年(昭和17年)4月6日厚岸発 。
1942年(昭和17年)4月27日擂鉢湾で海防艦「石垣」に重油45t補給。
1942年(昭和17年)擂鉢湾発。 
1942年(昭和17年)5月15日函館着。
1942年(昭和17年)5月21日大湊着。 
1942年(昭和17年)5月26日大湊発。
1942年(昭和17年)6月22日幌筵着。 
1942年(昭和17年)6月19日幌筵発 。
1942年(昭和17年)7月18日大湊着。 
1942年(昭和17年)7月21日大湊発。
1942年(昭和17年)7月24日横須賀着。 
1942年(昭和17年)9月27日横須賀発。
1942年(昭和17年)10月11日幌筵着。 
1942年(昭和17年)10月20日幌筵発 。
1942年(昭和17年)11月15日大湊着。 
1942年(昭和17年)11月21日函館発。 
1942年(昭和17年)11月24日幌筵着。 
1942年(昭和17年)12月20日幌筵発 。
1943年(昭和18年)1月28日大湊着。 
1943年(昭和18年)1月31日大湊発。
1943年(昭和18年)2月17日大湊着。 
1943年(昭和18年)3月1日函館発。 
1943年(昭和18年)4月17日函館着。 
1943年(昭和18年)4月26日函館発。 
1943年(昭和18年)5月9日大湊着。 
1943年(昭和18年)5月14日大湊着。 
1943年(昭和18年)6月28日幌筵哨区、出漁船の保護、対潜警戒。
1943年(昭和18年)7月1日〜31日幌筵哨区哨戒(気象観測兼務)。
1943年(昭和18年)9月5日(漁船隊第二班13隻護衛)幌筵発。 
1943年(昭和18年)9月12日大湊着。 
1943年(昭和18年)9月17日函館発。 
1943年(昭和18年)9月20日横須賀着。 
1943年(昭和18年)11月〜1944年(昭和19年)3月北海道南岸・千島近海測深に従事。
1943年(昭和18年)11月16日横須賀発。
1943年(昭和18年)11月21日函館着。 
1943年(昭和18年)11月25日函館発。 
1943年(昭和18年)12月1日柏原着。
1943年(昭和18年)11月28日北方部隊電令作第123号:輸送の傍ら生糧品獲得(漁撈)に任ず。
1943年(昭和18年)12月2日出漁。
1943年(昭和18年)12月4日片岡着。
1943年(昭和18年)12月7日片岡発。 巡洋艦「阿武隈」通過まで対潜哨戒。 擂鉢着。
1943年(昭和18年)12月11日武蔵発。 片岡着。
1943年(昭和18年)12月19日片岡発。 松輪着。
1943年(昭和18年)12月25日松輪発。 片岡着。
1944年(昭和19年)1月5日片岡発。
1944年(昭和19年)1月9日天寧着。 「三興丸」救難作業 。
1944年(昭和19年)1月17日花咲発。
1944年(昭和19年)1月18日天寧着。
1944年(昭和19年)1月22日天寧発。
1944年(昭和19年)1月26日室蘭着。
1944年(昭和19年)1月29日室蘭発。
1944年(昭和19年)2月3日松輪着。
1944年(昭和19年)2月4日松輪発。 片岡着。
1944年(昭和19年)2月7日片岡発。
1944年(昭和19年)2月8日武蔵発。
1944年(昭和19年)2月9日松輪着。
1944年(昭和19年)2月10日松輪発。
1944年(昭和19年)2月11日武蔵着。
1944年(昭和19年)2月14日片岡発。
1944年(昭和19年)2月15日擂鉢発。 片岡着。
1944年(昭和19年)2月16日片岡発。 オホーツク海に避退。
1944年(昭和19年)2月17日松輪着。
1944年(昭和19年)2月松輪発。 片岡着。
1944年(昭和19年)2月20日片岡発。
1944年(昭和19年)2月25日大湊着。 
1944年(昭和19年)3月1日大湊発。
1944年(昭和19年)3月3日天寧着。
1944年(昭和19年)3月21日天寧発。
1944年(昭和19年)3月25日釧路着。
1944年(昭和19年)3月26日釧路発。 「新羅丸」「北進丸」護衛。
1944年(昭和19年)3月29日天寧着。
1944年(昭和19年)4月11日天寧発。
1944年(昭和19年)4月14日大湊着。 
1944年(昭和19年)5月7日大湊発。
1944年(昭和19年)5月8日室蘭着。
1944年(昭和19年)5月11日室蘭発。
1944年(昭和19年)5月12日釧路着。
1944年(昭和19年)5月13日釧路発。 根室着。
1944年(昭和19年)5月14日根室発。
1944年(昭和19年)5月23日春牟古丹島着。
1944年(昭和19年)5月26日春牟古丹島発。
1944年(昭和19年)5月27日温禰古丹着。
1944年(昭和19年)5月29日温禰古丹発。
1944年(昭和19年)5月30日武蔵着。
1944年(昭和19年)5月31日武蔵発。 阿頼度着。 
1944年(昭和19年)6月2日阿頼度発。 同日、片岡着。
1944年(昭和19年)6月3日片岡発。
1944年(昭和19年)6月5日松輪着。
1944年(昭和19年)6月7日松輪発。
1944年(昭和19年)6月9日厚岸着。
1944年(昭和19年)6月10日厚岸発。 釧路着。
1944年(昭和19年)6月27日釧路発。
1944年(昭和19年)6月28日函館着。
1944年(昭和19年)6月船体修理。
1944年(昭和19年)7月10日函館発。 大湊着。 
1944年(昭和19年)7月14日大湊発。
1944年(昭和19年)7月16日釧路着。
1944年(昭和19年)7月17日魚雷10本その他積卸し。
1944年(昭和19年)7月19日釧路発。
1944年(昭和19年)7月20日天寧着。
1944年(昭和19年)7月21日天寧発。
1944年(昭和19年)7月22日釧路着。
1944年(昭和19年)7月23日千根電令第48號:第三魚雷艇隊掩護警戒任務解除。
1944年(昭和19年)7月26日釧路発。
1944年(昭和19年)7月30日松輪着。
1944年(昭和19年)8月1日加熊別
1944年(昭和19年)8月2日片岡着。
1944年(昭和19年)8月6日片岡発。
1944年(昭和19年)8月7日擂鉢着。 同日、擂鉢発。
1944年(昭和19年)8月8日東浦着。 同日、東浦発。 大和湾着。 同日、大和湾発。
1944年(昭和19年)8月9日新知湾着。 同日、新知湾発。
1944年(昭和19年)8月10日二子島湾着。 同日、二子島発。
1944年(昭和19年)8月11日天寧着。
1944年(昭和19年)8月14日天寧発。 同日、古釜府着。
1944年(昭和19年)8月15日古釜府発。 釧路着。
1944年(昭和19年)8月16日釧路発。
1944年(昭和19年)8月17日大湊着。 
1944年(昭和19年)8月22日大湊発。 小樽着。
1944年(昭和19年)8月23日小樽発。
1944年(昭和19年)8月24日稚内着。 同日、稚内発。
1944年(昭和19年)8月25日網走着。 同日、網走発。
1944年(昭和19年)8月26日床丹湾着。 
1944年(昭和19年)8月27日床丹湾発。
1944年(昭和19年)8月28日新知湾着。 同日、新知湾発。
1944年(昭和19年)8月29日大和湾着。 同日、大和湾発。
1944年(昭和19年)8月30日潮見浦着。 同日、潮見浦発。
1944年(昭和19年)8月31日武蔵湾着。
1944年(昭和19年)9月1日武蔵湾発。
1944年(昭和19年)9月2日片岡着。
1944年(昭和19年)9月4日片岡発。
1944年(昭和19年)9月5日南四ツ岩
1944年(昭和19年)9月6日南四ツ岩発。 乙女湾着。
1944年(昭和19年)9月7日乙女湾発。 大和湾着。
1944年(昭和19年)9月8日大和湾発。 梅浦着。 同日、梅浦発。 見島港着。
1944年(昭和19年)9月9日見島港発。
1944年(昭和19年)9月10日二子島着。 同日、二子島発。
1944年(昭和19年)9月11日天寧着。 同日、天寧発。
1944年(昭和19年)9月12日古釜府着。 同日、古釜府発。
1944年(昭和19年)9月13日根室着。 同日、根室発。 釧路着着。
1944年(昭和19年)9月14日釧路発。
1944年(昭和19年)9月15日大湊着。 
1944年(昭和19年)9月20日大湊発。 函館着。
1944年(昭和19年)9月21日函館発。
1944年(昭和19年)9月22日小樽着。
1944年(昭和19年)9月23日小樽発。
1944年(昭和19年)9月24日雄武港着。
1944年(昭和19年)9月25日雄武港発。
1944年(昭和19年)9月26日網走着。 同日、網走発。
1944年(昭和19年)9月27日択捉島単冠湾年萌港着。 同日、択捉島単冠湾年萌港発。
1944年(昭和19年)9月28日床丹湾着。 同日、床丹湾発。
1944年(昭和19年)9月29日新知湾着。 同日、新知湾発。
1944年(昭和19年)9月30日大和湾着。
1944年(昭和19年)10月13日単冠湾発。 
1944年(昭和19年)10月23日横須賀発。 犬吠埼から特設駆潜艇「利國丸」が直接護衛開始。
1944年(昭和19年)11月4日東京発。 横浜着。
1944年(昭和19年)11月〜12月入渠修理中。

特設砲艦時代

年月日履歴
1945年(昭和20年)1月1日特設砲艦に編入。 横須賀鎮守府所管。 連合艦隊第十二航空艦隊千島方面根拠地隊に編入。 軍隊区分:千島防備部隊。
1945年(昭和20年)1月船体機関修理。
1945年(昭和20年)2月横浜
1945年(昭和20年)2月20日大湊着。 
1945年(昭和20年)2月23日横須賀発。 
1945年(昭和20年)3月1日大湊発。 船団護衛。
1945年(昭和20年)3月12日片岡着。
1945年(昭和20年)3月19日片岡発。 船団護衛。
1945年(昭和20年)3月27日大湊着。 
1945年(昭和20年)4月1日大湊発。 船団護衛。
1945年(昭和20年)4月6日片岡着。
1945年(昭和20年)4月8日片岡発。 加熊別着。
1945年(昭和20年)4月9日加熊別発。 武蔵着。
1945年(昭和20年)4月10日武蔵発。 片岡着。
1945年(昭和20年)4月13日片岡発。 ツ201船団護衛。 函館へ向け航行。
1945年(昭和20年)4月19日北海道静内沖でアメリカ潜水艦「サンフィッシュ (Sunfish)」の雷撃を受け沈没。
1945年(昭和20年)5月25日除籍
1945年(昭和20年)5月25日解傭。

参考資料

  1. 日本海軍特務艦船史.東京、海人社、1997、p15,137、世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集
  2. 日本軍艦史.東京、海人社、1995、p177、世界の艦船.No4001995/8増刊号 増刊第44集
  3. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p592.(ISBN4-7698-1151-9 )
  4. 前掲.日本海軍特務艦船史.p15
  5. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p56
  6. 昭和12年 日本船名録(5).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08050061100(第1画像目).昭和12年 日本船名録,(防衛省防衛研究所)
  7. 戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
  8. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p28

謝辞

剣埼の履歴データは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。