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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

宇治
砲艦「宇治」(初代)

「宇治」は、呉造船廠で建造された砲艦である。

砲艦は比較的小型の船体に強力な火砲を備えた艦艇で、主として沿岸・河川・湖水で行動する。 日本海軍においては、明治初期に沿岸防御用砲艦として砲艦を整備し、中国内陸部への権益伸長に合わせて外地警備用の大型砲艦および河用砲艦を建造した。

「宇治」は明治34年度計画で建造した最初の外地警備用砲艦である。 沿岸防御を目的にしたそれ以前の艦と異なり、イギリス海軍が植民地警備に使用していたブランブル(Bramble)級砲艦をモデルとした浅吃水の沿岸兼長江用の砲艦である。長江での行動に適するよう吃水を2メートル強にしている。

航行能力は内地、韓国、清国沿岸の航行が可能な性能を目標としたが、荒天時の外洋航行は不可能であった。本日露戦争では南満州、北朝鮮沿岸警備、日本海海戦、樺太占領作戦に参加し、日露戦後は南支沿岸の警備などに当たった。 第一次大戦では青島攻略作戦、南支那海警備作戦に参加している。 1932年(昭和7年)の上海事変では揚子江方面警備に従事した。 1926年(昭和11年)4月1日に除籍、潜水母艇に類別されて佐世保防備隊で使用された後、8月25日に特務艇籍から除籍された。(1)(2)(3)

艦名

艦名は河川名。 京都府宇治市域を流れる川。 琵琶湖を水源とし、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。(4)

要目(1)(5)

新造時1917年(大正6年)
艦種二等砲艦
建造場所第一船台
基準排水量 ※1540トン
常備排水量 ※1620トン
垂線間長54.98m
最大幅8.41m
喫水2.11m
主機直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸
主缶艦本式水管缶(石炭専焼)2基
出力1,000馬力
速力13ノット
燃料石炭:156トン
航続力
兵装40口径安式8cm単装砲4基
機砲4基
40口径安式8cm単装砲4基
陸式単装機銃1基
麻式6.5mm単装機銃3基
乗員80人
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(6)(7)

年月日履歴
1902年(明治35年)9月1日起工。
1902年(明治35年)3月14日進水。
1903年(明治36年)8月11日竣工。 二等砲艦に類別。
1903年(明治36年)8月15日船底検査のため入渠。 19日、出渠予定。
1903年(明治36年)8月22日出渠。
1903年(明治36年)9月1日呉発。 高松着。
1903年(明治36年)9月2日高松発。 神戸着。
1903年(明治36年)9月5日神戸発。 多度津着。
1903年(明治36年)9月6日多度津発。 三津浜着。
1903年(明治36年)9月7日三津浜発。 厳島着。
1903年(明治36年)9月8日厳島発。 呉着。
1903年(明治36年)9月10日スタンチューブ検査のため第一船渠に入る。 14日、出渠予定。
1903年(明治36年)9月16日出渠。
1903年(明治36年)9月17日呉発。 三田尻着。
1903年(明治36年)9月18日門司着。
1903年(明治36年)9月19日門司発。 薄香へ。 田助着。
1903年(明治36年)9月20日田助発。 佐世保着。
1903年(明治36年)9月27日佐世保発。 玉之浦着。
1903年(明治36年)9月31日大瀬崎発。 上海へ。
1903年(明治36年)10月3日上海着。
1903年(明治36年)10月8日上海発。 基隆へ。
1903年(明治36年)10月18日上海より呉淞着。
1903年(明治36年)10月19日呉淞発。 鎮江着。
1903年(明治36年)10月20日鎮江着。 明日、南京へ。
1903年(明治36年)10月21日南京着。 明日、蕪湖へ。
1903年(明治36年)10月22日蕪湖着。 明日、九江へ。
1903年(明治36年)10月24日九江着。 
1903年(明治36年)10月25日大冶着。
1903年(明治36年)10月29日漢口着。
1903年(明治36年)11月14日錨場を宜都県に移す。
1904年(明治37年)2月1日漢口発。 佐世保へ。
1904年(明治37年)2月5日ウフ着。 明日、呉淞へ。
1904年(明治37年)2月6日ロシアに国交断絶通告。 
1904年(明治37年)2月10日大瀬崎着。
1904年(明治37年)2月16日佐世保発。 長崎へ。
1904年(明治37年)2月17日長崎着。
1904年(明治37年)2月19日厳原着。
1904年(明治37年)2月19日〜3月3日朝鮮海峡安固保持。
1904年(明治37年)3月8日〜4月22日大同江警備、陸軍揚兵掩護。
1904年(明治37年)4月23日〜5月1日第一軍鴨緑江渡河協同作戦
1904年(明治37年)5月6日〜13日第二軍塩大澳揚兵掩護。
1904年(明治37年)5月15日〜17日孟(?)洲角および塔山沖威嚇砲撃。 金州湾楔頭角沿岸鉄道架橋砲撃。
1904年(明治37年)5月19日〜20日東ツングース岬で第十師団揚兵掩護。
1904年(明治37年)5月21日〜6月5日裏長山列島前進根拠地警備。
1904年(明治37年)6月7日〜8日蓋平付近の敵兵を牽制砲撃。
1904年(明治37年)6月9日〜10日普蘭店以下強行封鎖および敵座礁駆逐艦「ヴニマーチェリヌイ(Вниматеьлый)」曳卸。
1904年(明治37年)6月12日〜7月20日裏長山列島前進根拠地警備。
1904年(明治37年)7月21日〜28日裏長山列島‐大連湾間、陸軍運送船護送。
1904年(明治37年)8月1日〜11月29日営口警備および田庄台に遡り、上流敵情偵察および警備。
1904年(明治37年)12月2日〜15日大連湾警備。
1904年(明治37年)12月16日〜1905年(明治38年)1月1日大連湾−第一艦隊所在地間通信任務および密輸入船防遇。
1905年(明治38年)1月2日〜4日旅順口脱出艦艇処分のため、芝罘および登洲府に至る沿岸巡航。
1905年(明治38年)1月5日〜16日大連湾外警備。
1905年(明治38年)1月17日〜19日青泥窪警備。
1905年(明治38年)4月10日〜5月27日朝鮮海峡安固保持。
1905年(明治38年)5月27日〜28日日本海海戦に参加。
1905年(明治38年)6月1日〜16日対馬海峡東方哨区哨戒。
1905年(明治38年)6月17日第四艦隊に編入。
1905年(明治38年)6月17日〜21日対馬海峡および付近哨戒任務。
1905年(明治38年)7月2日〜19日樺太南部上陸軍護送、揚陸掩護、協同作戦および警戒任務。
1905年(明治38年)7月31日〜8月24日津軽海峡方面哨戒。
1905年(明治38年)8月25日第四艦隊から除かれ、呉鎮守府警備艦となる。
1905年(明治38年)8月26日小樽発。 呉へ。
1905年(明治38年)9月5日呉着。
1905年(明治38年)9月14日呉発。 神戸へ。
1905年(明治38年)9月15日神戸着。
1905年(明治38年)9月16日川崎造船所で修理着手。
1905年(明治38年)10月3日修理工事完成。 石炭搭載。
1905年(明治38年)10月4日神戸発。 呉へ。
1905年(明治38年)10月5日呉着。
1905年(明治38年)10月11日呉発。 横須賀へ。
1905年(明治38年)10月15日横須賀着。
1905年(明治38年)10月16日横須賀発。 品川へ。
1905年(明治38年)10月23日凱旋観艦式参加。
1905年(明治38年)11月11日多度津着。
1905年(明治38年)11月12日多度津発。 呉へ。
1905年(明治38年)11月13日呉着。
1905年(明治38年)12月18日呉発。 安下庄着。
1905年(明治38年)12月20日佐世保着。 南清艦隊に編入。
1905年(明治38年)12月26日佐世保発。 玉之浦着。
1905年(明治38年)12月27日玉之浦発。
1905年(明治38年)12月29日上海着。
1906年(明治39年)1月16日鎮江発。 下関(シャーカン)着。 明後日、蕪湖へ向け行く。
1906年(明治39年)1月21日蕪湖より九江着。 明日、漢口へ。
1906年(明治39年)1月24日漢口着。
1906年(明治39年)2月13日漢口発。 上海へ。
1906年(明治39年)2月20日上海着。
1906年(明治39年)4月4日上海発。 漢口へ。
1906年(明治39年)4月6日下関(シャーカン)着。
1906年(明治39年)4月8日下関(シャーカン)発。 漢口へ。
1906年(明治39年)4月12日漢口着。
1906年(明治39年)4月19日漢口発。 上海へ。
1906年(明治39年)4月23日上海着。
1906年(明治39年)6月5日明朝9時半、呉へ向け行く。
1906年(明治39年)6月9日薄香着。
1906年(明治39年)6月10日部崎着。 明午前、徳山へ。
1906年(明治39年)6月11日徳山着。
1906年(明治39年)6月13日呉着。
1906年(明治39年)6月15日呉発。 甲島へ。
1906年(明治39年)6月16日呉着。
1906年(明治39年)6月29日入渠。
1906年(明治39年)7月10日出渠。
1906年(明治39年)7月22日安下庄着。 明朝、佐世保へ。
1906年(明治39年)7月24日佐世保着。
1906年(明治39年)7月25日佐世保発。 玉之浦へ。 富江着。
1906年(明治39年)7月27日富江発。 上海へ。
1906年(明治39年)7月28日風波のため、玉之浦着。
1906年(明治39年)7月29日玉之浦発。 上海へ。
1906年(明治39年)7月31日上海着。
1906年(明治39年)12月1日上海着。
1907年(明治40年)1月17日上海発。 鎮江へ。
1907年(明治40年)1月18日鎮江着。 明日、南京に行く。
1907年(明治40年)1月19日下関(シャーカン)着。 明朝、安慶へ。
1907年(明治40年)1月21日安慶着。 明朝、九江に向け行く。
1907年(明治40年)1月22日九江着。 明日、大冶へ。
1907年(明治40年)1月23日大冶着。 明日、漢口へ。
1907年(明治40年)1月24日漢口着。
1907年(明治40年)3月15日漢口発。 大冶へ。
1907年(明治40年)3月17日大冶発。 九江着。 明朝、南京へ向け発。
1907年(明治40年)3月20日下関(シャーカン)着。
1907年(明治40年)3月21日鎮江着。 23日、上海へ向け発。
1907年(明治40年)3月24日上海着。
1907年(明治40年)3月27日明日、将旗を「宇治」に移し、同艦を率いて舟山島に向かう。
1907年(明治40年)3月30日舟山島より寧波着。
1907年(明治40年)4月5日上海着。
1907年(明治40年)4月16日上海発。 馬鞍島を経て福岡へ。
1907年(明治40年)4月20日福岡着。
1907年(明治40年)5月1日呉着。
1907年(明治40年)6月1日公試発射のため呉発。 結果出れば長崎へ向かう。
1907年(明治40年)6月3日長崎着。
1907年(明治40年)6月5日長崎発。 玉之浦へ。 玉之浦着。
1907年(明治40年)6月7日神ノ浦発。 上海へ。 機械故障のため玉之浦着。 仮修理後、上海へ。
1907年(明治40年)6月9日呉淞着。
1907年(明治40年)6月10日上海着。
1907年(明治40年)6月26日上海発。 馬鞍島へ。
1907年(明治40年)7月2日上海着。
1907年(明治40年)8月22日鎮江着。 明日、下関(シャーカン)へ向け発。
1907年(明治40年)8月23日下関(シャーカン)着。 明日、蕪湖に向け発。
1907年(明治40年)8月24日蕪湖着。 明日、九江へ。
1907年(明治40年)8月27日九江着。 明日、石灰窯へ。
1907年(明治40年)8月28日大冶着。 明日、漢口へ向く。
1907年(明治40年)8月29日漢口着。
1907年(明治40年)9月19日漢口発。 石灰窯へ。 石灰窯着。
1907年(明治40年)9月21日21日、上海に向け大冶発。
1907年(明治40年)9月24日上海着。
1907年(明治40年)10月10日上海発。 漢口へ。
1907年(明治40年)10月12日蕪湖着。 明日、漢口へ。
1907年(明治40年)10月16日漢口着。
1907年(明治40年)10月26日漢口発。 大冶へ。
1907年(明治40年)10月27日大冶着。 明日、蕪湖へ。
1907年(明治40年)10月28日蕪湖着。
1907年(明治40年)10月29日下関(シャーカン)着。
1907年(明治40年)10月30日明日、上海に向け発。
1907年(明治40年)11月1日上海着。
1907年(明治40年)11月16日上海発。 福州へ。
1907年(明治40年)11月24日三都着。
1907年(明治40年)11月27日パゴダ着。
1907年(明治40年)11月29日明日、福州発、廈門へ。
1907年(明治40年)12月4日廈門着。
1907年(明治40年)12月7日廈門発。 汕頭へ。
1907年(明治40年)12月8日汕頭着。
1907年(明治40年)12月10日汕頭発。 香港へ。 12日着予定。
1907年(明治40年)12月12日香港着。
1907年(明治40年)12月14日明日、広東へ。
1907年(明治40年)12月15日香港発。 広東へ。
1907年(明治40年)12月16日広東着。
1907年(明治40年)12月21日広東発。 ?(口へんに馬)口へ。 ?(口へんに馬)口着。
1907年(明治40年)12月23日香港着。
1914年(大正3年)〜第一次大戦。 青島攻略作戦に参加。 南支那海警備作戦に参加。
1931年(昭和6年)6月1日砲艦に類別変更。
1932年(昭和7年)上海事変。 揚子江方面警備に従事。
1926年(昭和11年)4月1日除籍。 特務艇に編入、潜水母艇医に類別。
1926年(昭和11年)8月25日特務艇籍から除籍。

謝辞

アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。

参考資料

  1. ab日本海軍特務艦船史.東京、海人社、1997、p82、世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集
  2. 福井静夫.日本補助艦艇物語.東京、光人社、1993、p72-73、軍艦七十五年回想記、第10巻.(ISBN4-7698-0658-2)
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p8
  4. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  5. 前掲.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.p48
  6. 艦船行動簿.アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C10100036400,C10100047300〜C10100054500,(防衛省防衛研究所)
  7. 極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻1〜巻7.アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C05110040500〜C05110054800,(防衛省防衛研究所)