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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

伊吹
一等巡洋艦「伊吹」

「伊吹」は鞍馬型一等巡洋艦(装甲巡洋艦)の2番艦である。 伊吹型装甲巡洋艦の1番艦として扱われることもある。 本型は筑波型の改良型として15.2cm副砲に代えて20.5cm中間砲を4基搭載し、片舷砲力を三笠級戦艦1隻と出雲級装甲巡洋艦1隻に匹敵するものとした。 本艦は「鞍馬」と完全な同型艦として計画されたが、1905年(明治38年)11月に、戦艦「安芸」とともにタービン搭載に改められ、日本海軍主力艦で最初のタービン推進艦となった。 竣工時は一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別されたが、1912年(大正元年)8月に巡洋戦艦の類別が新設されると、巡洋戦艦に類別変更となった。

第一次大戦ではイギリス支那艦隊と協同してインド洋の船団護衛に従事した。 戦後の尼港事件ではシベリア、樺太方面に行動した。

1922年(大正11年)2月に締結されたワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定し、神戸川崎造船所で解体された。 本艦の主砲塔は陸軍要塞砲として津軽大間第一砲台(前部主砲塔)および豊予海峡鶴見崎砲台(後部主砲塔)に移設された。(1)

艦名

艦名は山岳名。 滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰。 標高1379m。(2)

今日もまたかくや伊吹のさしも草さらば我のみ燃えやわたらん(和泉式部/新古今集)

要目(3)(4)(5)

新造時1920年(大正9年)
艦種一等巡洋艦巡洋戦艦
建造場所第三船台
常備排水量 ※114,600トン
全長147.83m
垂線間長137.16m
最大幅22.98m
水線下最大幅22.98m
喫水7.97m
主機カーチス式直結タービン2基、2軸
主缶宮原式水管缶(重油・石炭混焼)18基
出力27,000馬力
速力22.5ノット
燃料石炭:2,000トン、重油:218トン
航続力
装甲水線178mm
甲板51mm
砲塔前楯229mm
砲塔天蓋38mm
司令塔203mm
兵装45口径安式30.5cm連装砲2基
45口径四一式20.3cm連装砲4基
40口径安式12cm単装砲14基
短8cm単装砲(一号)4基
安式45cm水中発射管3門
45口径安式30.5cm連装砲2基
45口径四一式20.3cm連装砲4基
40口径安式12cm単装砲14基
40口径四一式8cm単装砲4基
一号短8cm単装砲2基
安式45cm水中発射管3門
乗員840人868人
その他-

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(6)

年月日履歴
1907年(明治40年)5月22日起工。
1907年(明治40年)11月21日進水。 一等巡洋艦に類別。 横須賀鎮守府仮入籍。
1909年(明治42年)9月20日呉鎮守府籍に編入。
1909年(明治42年)11月1日竣工。 第二予備艦となる。
1910年(明治43年)4月1日第一予備艦となる。
1910年(明治43年)12月1日第一艦隊に編入。
1911年(明治44年)11月14日佐世保発。 タイ国皇帝戴冠式参列のため、博恭王殿下御乗艦。
1911年(明治44年)12月28日横須賀帰着。
1912年(明治45年)1月11日子砲装備訓令。 1月19日装備完了。
1912年(明治45年)1月22日呉発。 北清方面警備。
1912年(明治45年)2月8日佐世保着。
1912年(明治45年)2月21日8cm子砲装備により砲弾火薬庫増設。
1912年(明治45年)5月31日下部発令所改造訓令。
1912年(大正元年)8月28日巡洋戦艦に類別変更。
1912年(大正元年)10月12日艦載水雷艇魚雷落射機換装訓令。
1912年(大正元年)12月1日第二予備艦となる。
1913年(大正2年)10月9日ビルジキール改造訓令。
1913年(大正2年)12月1日第一予備艦となる。
1914年(大正3年)4月15日第二予備艦となる。
1914年(大正3年)8月18日警備艦となる。
1914年(大正3年)8月26日宮島発。 第一次世界大戦に従事。
1914年(大正3年)10月1日特別南遣艦隊に編入。
1914年(大正3年)12月25日甲島着。
1914年(大正3年)12月28日第二予備艦となる。
1915年(大正4年)5月15日第一艦隊第三戦隊に編入。
1915年(大正4年)12月13日第二予備艦となる。
1916年(大正5年)3月20日特務艦隊に編入。
1916年(大正5年)3月31日佐世保発。 ウラジオストック方面航海。
1916年(大正5年)4月10日第二予備艦となる。
1916年(大正5年)10月1日第一予備艦となる。
1916年(大正5年)10月30日第二予備艦となる。
1918年(大正7年)11月1日第一予備艦となる。
1918年(大正7年)12月1日第三艦隊第五戦隊に編入。
1919年(大正8年)6月22日大湊発。 ロシア領沿岸方面航海。
1919年(大正8年)7月17日清津着
1920年(大正9年)5月22日小樽発。 ロシア領沿岸方面航海。
1920年(大正9年)8月26日小樽着。
1920年(大正9年)9月6日小樽発。 ロシア領沿岸方面航海。
1920年(大正9年)9月20日小樽着。
1920年(大正9年)9月20日第二艦隊第三戦隊に編入。
1920年(大正9年)12月1日第二予備艦となる。 呉工廠で推進器修理。 翌年3月末完成。
1922年(大正11年)4月1日第三予備艦となる。
1922年(大正11年)10月20日第四予備艦となる。
1923年(大正12年)9月20日除籍。
1923年(大正12年)10月19日廃棄工事着手。
1924年(大正13年)3月25日廃棄工事完了。
1924年(大正13年)12月9日神戸川崎造船所で解体完了。 後に主砲塔は陸軍要塞砲として津軽大間第一砲台(前部主砲塔)および豊予海峡鶴見崎砲台(後部主砲塔)に移設された。

参考資料

  1. 日本戦艦史.東京,海人社,1988,p55、p58、p164、p170、p185,世界の艦船.No391 1988/3増刊号 増刊第24集
  2. 世界大百科事典 第2版(オンライン版)
  3. 前掲.日本戦艦史.p58 p185
  4. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,34p
  5. 石橋孝夫.日本帝国海軍全艦船1868-1945 [ 戦艦・巡洋戦艦 ].東京,並木書房,2007,p182-183
  6. 前掲.日本帝国海軍全艦船1868-1945 [ 戦艦・巡洋戦艦 ].p190-191

謝辞

アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。