波号第八潜水艦は波七型(C3型)潜水艦の2番艦である。
日露戦争中に主力戦艦6隻中2隻を喪失した日本海軍は、その補填のため1904年(明治37年)6月アメリカのエレクトリック・ボート社にホランド型潜水艇(第一型)5隻を発注した。 完成が終戦直前となったため、戦局に寄与することはなかった。 本型の艦型は波の影響を受けやすく、また潜舵を持っていなかったため水中性能も不良で、外洋での作戦能力を備えていなかった。 アメリカからの潜水艇輸入と並行して、川崎造船所が入手した図面を基にして国内建造したのがホランド型改(第六型)2隻であるが、機関の信頼性が低く、潜航深度も20メートルに制限されるなど、性能的に問題が多かった。
日本海軍はホランド型を自力で発展させるだけの技術力を持たなかったため、イギリスからの潜水艦輸入を決定し、1907年(明治40年)、ビッカーズ(Vickers)社からC型潜水艦5隻を購入することとした。 このうち2隻イギリスで建造(C1型)、3隻は呉工廠で建造された(C2型)。 引き続いて建造された川崎型(波六型)は、海軍の指導下で川崎造船所がホランド型の経験を生かして、1912年(大正元年)に試作したもので、日本人が設計した最初の潜水艇であった。 C型の2倍近い出力を持つ軽量大馬力のガソリン機関を搭載して水上速力を向上しようと試みたが、アメリカから輸入した機関は所期の性能を発揮できず、10ノットの低速に留まった。 このため、同型艦は建造されなかった。
川崎型(波六型)の失敗で潜水艦の国内建造を一時断念した日本海軍は技術導入のため、1911年(明治44年)にフランスに潜水艇2隻を発注した。 しかし第1次大戦が勃発し、ドイツ潜水艦の活躍が伝えられると、新型潜水艇の自力建造を試みた。 戦時下にあるヨーロッパからの技術輸入は困難なため、C2型潜水艇の攻撃力を強化したC3型の第十六、十七潜水艇2艇を呉工廠で建造した。 C2型と同じ船体に発射管を倍数装備した結果、船体に余裕がなくなり、予備魚雷を搭載できず、増設分の発射管が外装式であることと併せて実質的な攻撃力はあまり高くなかった。(1)
新造時 | |
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艦種 | 二等潜水艇→三等潜水艦 |
艦型 | 波七型(C3型) |
水上排水量 ※1 | 290トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 323トン |
全長 | 43.73m |
最大幅 | 4.14m |
喫水 | 3.43m |
主機 | ビッカーズ式ガソリン機関1基、1軸 |
主電動機 | 開放型×1 |
蓄電池 | ペースト式×166 |
出力 | 600馬力(水上)/300馬力(水中) |
速力 | 12ノット(水上)/8.5ノット(水中) |
燃料 | ガソリン:18.2トン |
航続力 | 12ノットで660浬(水上)/4ノットで60浬(水中) |
乗員 | 30人 |
兵装 | 毘式45cm魚雷発射管2門(艦首) 毘式45cm魚雷発射管2門(水上) 四三式魚雷4本 |
安全潜航深度 | 30.5m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1916年(大正5年)1月8日 | 起工。 |
1916年(大正5年)3月11日 | 第十七潜水艇と命名、二等潜水艇に類別。 呉鎮守府籍。 |
1916年(大正5年)3月15日 | 進水。 |
1917年(大正6年)2月2日 | 竣工。 |
1917年(大正6年)12月1日 | 第三艦隊第四水雷戦隊第四潜水艇隊に編入。 |
1917年(大正6年)7月10日〜21日 | 鎮海付近から青島に向かい佐世保に帰着。 |
1917年(大正6年)12月1日 | 第四潜水艇隊は第二艦隊第四水雷戦隊に編入。 |
1918年(大正7年)11月2日 | 第四潜水艇隊は第十三潜水艇隊と改称。 |
1918年(大正7年)12月1日 | 第十三潜水艇隊は第一艦隊第四水雷戦隊に編入。 |
1919年(大正8年)4月1日 | 第十七潜水艦と改名。 第十三潜水艇隊は第十三潜水隊と改称。 第一艦隊第四水雷戦隊は第一艦隊第一潜水戦隊と改称。 |
1919年(大正8年)11月1日 | 第十三潜水隊から除かれ、横須賀防備隊第一潜水隊に編入。 横須賀鎮守府に移籍。 |
1921年(大正10年)3月15日 | 第一潜水隊から除かれ、呉防備隊第十三潜水隊に編入。 呉鎮守府に移籍。 |
1923年(大正12年)6月15日 | 波号第八潜水艦と改名。 |
1929年(昭和4年)3月20日 | 第十三潜水隊は呉防備隊から除かれる。 |
1929年(昭和4年)4月1日 | 除籍。 |
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