隼型水雷艇
「真鶴」は隼型水雷艇の3番艦である。
本型はフランスのノルマン社(Normand Shipyard)が設計した「シクローヌ(Cyclone)」級水雷艇を原型としている。 ドイツのシーシャウ社(Schichau-Werke)の設計による「白鷹」との比較の結果、量産されたという説もある。 明治29年(1896年)度計画によりノルマン社に4隻を発注、明治30年(1897年)度計画より11隻を国内で建造した。 機関出力が計画値に達せず31.54ノットを記録した原型に対し、28.5ノットに留まった。 45cm魚雷発射管3基の装備は同時期の駆逐艦を凌ぐものであったが、1番発射管は配置の関係から右舷のみ発射可能であった。
1900年(明治33年)11月7日に竣工した「真鶴」は、日露戦争で旅順港封鎖、黄海海戦、戦艦「セヴァストーポリ(Севастополь)」襲撃、日本海海戦に参加した。 1919年(大正8年)4月1日に除籍後、曳船兼交通船に指定され「真鶴丸」と改名、呉工廠所属となり、1925年(大正14年)12月17日に廃船となった。
水雷艇から主力艦を守るための水雷艇駆逐艦(後の駆逐艦)の発展により水雷艇の有効性は失われ、さらに駆逐艦が水雷艇の役割を兼ねるようになり、日本では本型が最後の水雷艇となった。 なお、昭和期に復活した水雷艇(千鳥型水雷艇など)は事実上の小型駆逐艦であり、本型の後継ではない。(1)(2)
艦種 | 一等水雷艇 |
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常備排水量 ※1 | 152トン |
垂線間長 | 45.00m |
最大幅 | 4.90m |
喫水 | 1.45m |
主機 | 直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、2軸 |
主缶 | ノルマン式水管缶(石炭専焼)2基 |
出力 | 4,200馬力 |
速力 | 28.5ノット |
燃料 | 石炭:28.5トン(満載) |
航続力 | 10ノットで2,000浬 |
兵装 | 保式47mm単装軽速射砲3基 45cm単装水上発射管旋回式3基 |
乗員 | 30人 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1899年(明治32年)10月9日 | 起工。 フランスのノルマン(Normand Shipyard)社で建造、呉造船廠で組立。 |
1900年(明治33年)6月27日 | 進水。 |
1900年(明治33年)11月7日 | 竣工。 一等水雷艇に類別。 |
1900年(明治33年)8月28日 | 第一船渠に入渠。 |
1900年(明治33年)8月31日 | 第一船渠を出渠。 |
1900年(明治33年)9月13日 | 公試運転。 速力28.8872ノット。 |
1900年(明治33年)9月15日 | 呉発。 |
1900年(明治33年)9月22日 | 公試終了。 成績良好。 |
1900年(明治33年)12月6日 | 「隼」、「白鷹」、「鵲」、「真鶴」、「千鳥」で竹敷要港部第一水雷艇隊を編制。 |
1900年(明治33年)12月14日 | 塗装のため、呉で入渠。 |
1901年(明治34年)1月31日 | 船体部修理起工。 2月21日竣工予定。 |
1901年(明治34年)2月20日 | 船体部修理竣工。 |
1901年(明治34年)2月25日 | 厳島着。 |
1901年(明治34年)2月26日 | 風浪のため徳山に寄港。 |
1901年(明治34年)2月27日 | 徳山発。 博多へ。 |
1901年(明治34年)3月1日 | 佐世保着。 |
1901年(明治34年)3月4日 | 佐世保発。 風波のため平戸に寄港。 天候回復次第、竹敷へ。 |
1901年(明治34年)5月2日 | 竹敷着。 |
1901年(明治34年)5月25日 | 巡航のため竹敷発。 楠久着。 明朝、佐世保へ。 |
1901年(明治34年)5月26日 | 佐世保着。 |
1901年(明治34年)6月12日 | 平戸着。 明朝、佐世保へ。 |
1901年(明治34年)6月17日 | 佐世保発。 |
1901年(明治34年)6月18日 | 伊万里着。 |
1901年(明治34年)6月19日 | 伊万里発。 |
1901年(明治34年)6月21日 | 竹敷着。 午後6時伊万里へ向け行く。 |
1901年(明治34年)6月23日 | シサ着。 即日、佐世保へ向け出港。 |
1901年(明治34年)6月24日 | 佐世保着。 |
1901年(明治34年)6月30日 | 長崎着。 |
1901年(明治34年)7月6日 | 船体部修理起工。 |
1901年(明治34年)7月8日 | 降架。 |
1901年(明治34年)7月9日 | 佐世保着。 |
1901年(明治34年)7月22日 | 修理竣工。 |
1901年(明治34年)7月25日 | 竹敷に向け佐世保発。 竹敷着。 |
1901年(明治34年)9月8日 | 伊万里へ向け竹敷発。 楠久着。 |
1901年(明治34年)9月12日 | 佐世保着。 |
1901年(明治34年)9月13日 | 平戸着。 |
1901年(明治34年)10月10日 | 楠久着。 |
1901年(明治34年)10月12日 | 楠久発。 明日、薄香(平戸)着。 長崎へ。 |
1901年(明治34年)10月13日 | 佐世保着。 直ちに福江へ。 福江着。 |
1901年(明治34年)10月14日 | 福江発。 佐世保へ。 |
1901年(明治34年)10月15日 | 長崎着。 明日、竹敷へ。 |
1901年(明治34年)10月17日 | 波浪高く引き返す(平戸島薄香)。 |
1901年(明治34年)10月19日 | 平戸発。 竹敷着。 |
1901年(明治34年)11月13日 | 韓国南岸巡航のため竹敷発。 釜山着。 |
1901年(明治34年)11月14日 | 釜山発、木浦へ。 |
1901年(明治34年)11月17日 | 木浦発。 長??へ向け行く。 |
1901年(明治34年)11月22日 | 釜山着。 明日、竹敷へ。 |
1901年(明治34年)11月23日 | 竹敷着。 |
1901年(明治34年)11月29日 | 秋季演習のため竹敷発。 |
1901年(明治34年)11月30日 | 竹敷帰港。 |
1902年(明治35年)1月10日 | 韓国南岸巡航を命じられる。 |
1902年(明治35年)1月15日 | 韓国南岸巡航のため竹敷発。 釜山着。 |
1902年(明治35年)1月18日 | 蔚山を経て釜山着。 |
1902年(明治35年)1月19日 | 釜山発。 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)1月21日 | 馬山浦より鎮海に向け行く。 |
1902年(明治35年)1月25日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)1月26日 | 竹敷発。 釜山着。 |
1902年(明治35年)1月27日 | 釜山着。 |
1902年(明治35年)1月29日 | 釜山発。 巨済島へ。 |
1902年(明治35年)2月2日 | 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)2月4日 | 馬山浦発。 鎮海へ。 |
1902年(明治35年)2月5日 | 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)2月6日 | 釜山へ向け、馬山浦発。 |
1902年(明治35年)2月7日 | 釜山発。 竹敷着。 |
1902年(明治35年)2月20日 | 竹敷より佐世保着。 |
1902年(明治35年)2月21日 | 入渠。 3月3日、出渠予定。 |
1902年(明治35年)2月26日 | 発見工事のため出渠3月8日に延期。 |
1902年(明治35年)3月8日 | 出渠。 |
1902年(明治35年)3月11日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)3月15日 | 釜山着。 |
1902年(明治35年)3月17日 | 釜山発。 竹敷着。 |
1902年(明治35年)3月31日 | 呉着(?)。 |
1902年(明治35年)4月7日 | 安下庄を経て佐世保へ向け、玖玻発。 |
1902年(明治35年)4月13日 | 門司発。 佐世保へ。 |
1902年(明治35年)5月29日 | 韓国南岸巡航のため竹敷発。 |
1902年(明治35年)6月2日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)6月28日 | 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)7月1日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)7月5日 | 竹敷発。 福岡着。 |
1902年(明治35年)7月8日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)8月4日 | 釜山発。 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)8月5日 | 釜山着。 |
1902年(明治35年)8月6日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)9月4日 | 竹敷発。 韓国へ。 木浦着。 |
1902年(明治35年)9月8日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)9月11日 | 演習のため竹敷発。 |
1902年(明治35年)9月13日 | 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)9月14日 | 馬山浦発。 鎮海湾へ。 |
1902年(明治35年)9月16日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)9月27日 | 韓国南岸巡航を命じられる。 |
1902年(明治35年)9月29日 | 竹敷発。 馬山浦着。 |
1902年(明治35年)9月30日 | 馬山浦発。 |
1902年(明治35年)10月1日 | 福岡着。 |
1902年(明治35年)10月2日 | 福岡発。 楠久着。 |
1902年(明治35年)10月3日 | 楠久発。 竹敷着。 |
1902年(明治35年)10月7日 | 竹敷発。 佐世保着。 |
1902年(明治35年)10月11日 | 船体機関部修理着手。 11月15日竣工予定。 |
1902年(明治35年)10月29日 | 船体部修理竣工。 |
1902年(明治35年)11月16日 | 佐世保発。 竹敷へ。 波浪のため引き返す。 |
1902年(明治35年)11月20日 | 竹敷着。 |
1902年(明治35年)11月24日 | 竹敷発。 伊万里湾へ。 |
1902年(明治35年)11月25日 | 楠久着。 |
1902年(明治35年)11月29日 | 楠久発。 竹敷着。 |
1903年(明治36年)1月16日 | 竹敷発。 九州北岸へ。 小値賀(五島)着。 |
1903年(明治36年)1月17日 | 小値賀発。 富江着。 |
1903年(明治36年)1月18日 | 富江発。 長崎着。 |
1903年(明治36年)1月19日 | 長崎発。 佐世保着 |
1903年(明治36年)1月20日 | 佐世保発。 大村着。 |
1903年(明治36年)1月24日 | 大村発。 |
1903年(明治36年)1月25日 | 平戸発。 竹敷着。 |
1903年(明治36年)1月29日 | 韓国南岸巡航を命じられる。 |
1903年(明治36年)2月2日 | 竹敷発。 韓国南岸へ。 |
1903年(明治36年)3月3日 | 竹敷発。 呉へ。 長府着。 |
1903年(明治36年)3月4日 | 長府発。 呉着。 |
1903年(明治36年)3月6日 | 呉発。 宮島着。 |
1903年(明治36年)3月10日 | 呉発。 玖波へ。 |
1903年(明治36年)3月12日 | 玖波着。 |
1903年(明治36年)3月16日 | 玖波発。 炭水補給のため呉へ。 |
1903年(明治36年)3月17日 | 修理のため第一船渠に入る。 21日出渠予定。 |
1903年(明治36年)3月21日 | 出渠。 |
1903年(明治36年)3月26日 | 呉発。 長府着。 |
1903年(明治36年)3月27日 | 長府発。 演習地へ。 風波のため竹敷入港。 |
1903年(明治36年)3月29日 | 竹敷発。 演習地へ。 風波のため引き返す。 |
1903年(明治36年)3月30日 | 竹敷発。 |
1903年(明治36年)4月4日 | 長府着。 同日発。 呉着。 呉より厳島着。 |
1903年(明治36年)4月5日 | 厳島発。 |
1903年(明治36年)4月6日 | 三ノ宮着。 |
1903年(明治36年)4月17日 | 糸崎着。 同日発。 |
1903年(明治36年)4月18日 | 呉着 |
1903年(明治36年)4月19日 | 呉発。 |
1903年(明治36年)4月20日 | 長府着。 |
1903年(明治36年)4月21日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)4月30日 | 竹敷発。 佐世保着。 |
1903年(明治36年)5月1日 | 警備艇となる。 |
1903年(明治36年)5月3日 | 佐世保発。 竹敷着。 |
1903年(明治36年)5月7日 | 竹敷発。 福富着。 |
1903年(明治36年)5月10日 | 福富発。 竹敷着。 |
1903年(明治36年)5月21日 | 竹敷発。 鎮海湾へ。 馬山浦着。 |
1903年(明治36年)5月24日 | 釜山着。 明日、竹敷へ。 |
1903年(明治36年)5月25日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)5月26日 | 竹敷発。 |
1903年(明治36年)5月27日 | 郷ノ浦着。 |
1903年(明治36年)5月28日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)6月12日 | 竹敷発。 釜山着。 |
1903年(明治36年)6月24日 | 竹敷発。 鎮海湾へ。 |
1903年(明治36年)6月26日 | 馬山浦着。 明日、竹敷へ。 |
1903年(明治36年)7月1日 | 第一予備艇となる。 |
1903年(明治36年)7月4日 | 佐世保発。 長崎着。 明日、牛深へ。 |
1903年(明治36年)7月5日 | 牛深着。 明日、甑?へ。 |
1903年(明治36年)7月6日 | 薄香着。 明日、竹敷へ。 |
1903年(明治36年)7月9日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)9月1日 | 警備艇となる。 |
1903年(明治36年)9月6日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)9月11日 | 竹敷発。 田助着。 明日、深江へ。 |
1903年(明治36年)9月13日 | 三角着。 |
1903年(明治36年)9月14日 | 竹敷要港部第一水雷艇隊は竹敷要港部第十四水雷艇隊となる。 |
1903年(明治36年)9月15日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)9月19日 | 警備艇となる。 |
1903年(明治36年)10月16日 | 第一予備艇となる。 |
1903年(明治36年)11月1日 | 警備艇となる。 |
1903年(明治36年)11月9日 | 韓国群山着。 |
1903年(明治36年)11月11日 | 群山発。 木浦着。 明朝、巨文島へ。 |
1903年(明治36年)11月13日 | 釜山着。 釜山発。 鎮海湾へ。 |
1903年(明治36年)11月16日 | 竹敷着。 |
1903年(明治36年)12月1日 | 第一予備艇となる。 |
1904年(明治37年)1月4日 | 室積発。 |
1904年(明治37年)1月6日 | 第十四水雷艇隊は第一艦隊に編入。 |
1904年(明治37年)1月9日 | 竹敷発。 佐世保着。 |
1904年(明治37年)1月25日 | 午前、佐世保発。 午後、帰着。 |
1904年(明治37年)2月6日 | ロシアに国交断絶通告。 韓国臨時派遣隊上陸援護のため、第十四水雷艇隊は佐世保発。 第一集合地点(珍島南部接島西方)に向かう。 |
1904年(明治37年)2月7日 | 第十四水雷艇隊は第一集合地点で炭水補充の後、韓国南岸シングル水道に向かう。 午後、第四戦隊と合流。 午後4時、仁川港外ベーカー島に向かう。 第十四水雷艇隊は2隻を分離し、牙山湾および皇子叢島付近の偵察を命ぜられる。 |
1904年(明治37年)2月8日 | 第十四水雷艇隊は牙山湾口着。 牙山湾口発、仁川に向かう。 八尾島西方で、前日分離した2隻と合流。 警戒配備。 |
1904年(明治37年)2月9日 | 仁川沖海戦に参加。 |
1904年(明治37年)2月10日〜19日 | 牙山湾警戒。 |
1904年(明治37年)2月24日 | 第一次旅順閉塞隊掩護収容。 |
1904年(明治37年)3月27日 | 第二次旅順閉塞隊掩護収容。 |
1904年(明治37年)4月11日〜12日 | 旅順口外機械水雷沈置。 |
1904年(明治37年)4月13日 | 旅順口外戦闘。 |
1904年(明治37年)5月29日〜6月13日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)6月14日 | 艦載水雷艇機械水雷沈置掩護および敵艦「ノーウィック(Новик)」と砲戦。 |
1904年(明治37年)6月15日〜23日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)6月23日 | 敵艦隊脱出の際、先導の「ノーウィック」および駆逐艦と砲戦。 薄暮に敵艦を追躡しディアナ(Диана)型を襲撃。 |
1904年(明治37年)6月23日〜7月3日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)7月3日 | 「ノーウィック」および駆逐艦と砲戦。 |
1904年(明治37年)7月4日〜24日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)7月24日 | 鮮生角東岸で敵駆逐艦を襲撃し2隻を撃沈。 |
1904年(明治37年)7月28日 | 敵艦隊脱出の際、先導の「ノーウィック」および駆逐艦と砲戦。 薄暮に敵艦を追躡しディアナ(Диана)型を襲撃。 |
1904年(明治37年)7月25日〜8月9日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)8月10日 | 黄海海戦に参加。 薄暮、敵艦隊に迫りディアナ型を襲撃。 |
1904年(明治37年)8月11日〜12月13日 | 旅順港直接封鎖。 |
1904年(明治37年)12月13日 | 城頭山下に避泊中の戦艦「セバストーポリ(Севастополь)」襲撃。 |
1904年(明治37年)12月15日 | 戦艦「セバストーポリ」再襲撃。 |
1904年(明治37年)12月16日 | 戦艦「セバストーポリ」再襲撃。 |
1904年(明治37年)12月17日〜1905年(明治38年)1月3日 | 旅順港直接封鎖。 |
1905年(明治38年)4月23日〜5月26日 | 鎮海湾口哨戒。 |
1905年(明治38年)5月27日〜29日 | 日本海海戦に参加 |
1905年(明治38年)5月30日〜7月15日 | 城頭山下に避泊中の戦艦「セバストーポリ(Севастополь」襲撃。 |
1905年(明治38年)10月23日 | 凱旋観艦式参加。 |
1905年(明治38年)11月4日 | 第一艦隊付属を解かれる。 |
1905年(明治38年)11月11日 | 下田着。 |
1905年(明治38年)11月12日 | 鳥羽着。 |
1905年(明治38年)11月15日 | 鳥羽発。 大島へ。 天候不良のため的矢入港。 |
1905年(明治38年)11月16日 | 的矢発。 大島へ。 天候不良のため紀伊フクロ入港。 |
1905年(明治38年)11月17日 | 坂越着。 |
1905年(明治38年)11月18日 | 多度津着。 |
1905年(明治38年)11月19日 | 糸崎着。 明朝、呉へ。 |
1905年(明治38年)11月24日 | 呉発。 竹敷へ。 |
1905年(明治38年)11月25日 | 竹敷着。 |
1905年(明治38年)11月26日 | 警備艇となる。 |
1905年(明治38年)12月11日 | 竹敷発。 佐世保へ。 唐津着。 |
1905年(明治38年)12月12日 | 佐世保着。 |
1905年(明治38年)12月13日 | 佐世保発。 厳原へ。 風波のため田助に避泊。 |
1905年(明治38年)12月14日 | 竹敷着。 第十四水雷艇隊は第十四艇隊となる。 |
1906年(明治39年)12月27日 | 竹敷発。 福岡発。 即日、福岡発。 三浦湾着。 |
1906年(明治39年)2月1日 | 第一予備艇となる。 |
1906年(明治39年)3月28日 | 竹敷発。 佐世保着。 |
1906年(明治39年)3月30日 | 佐世保発。 竹敷着。 |
1906年(明治39年)4月1日 | 警備艇となる。 |
1906年(明治39年)4月19日 | 竹敷発。 佐世保へ。 佐世保着。 |
1906年(明治39年)4月21日 | 佐世保発。 唐津着。 |
1906年(明治39年)4月22日 | 壱岐着。 |
1906年(明治39年)4月23日 | 竹敷着。 |
1906年(明治39年)4月25日 | 馬山着。 |
1906年(明治39年)4月27日 | 鎮海湾着。 |
1906年(明治39年)4月28日 | 鎮海湾発。 ??へ。 |
1906年(明治39年)4月29日 | 釜山着。 |
1906年(明治39年)4月30日 | 釜山発。 竹敷へ。 |
1906年(明治39年)5月9日 | 竹敷発。 馬山浦へ。 馬山浦着。 |
1906年(明治39年)5月10日 | 馬山浦発。 木浦へ。 |
1906年(明治39年)5月13日 | 木浦着。 |
1906年(明治39年)5月15日 | 木浦発。 釜山へ。 |
1906年(明治39年)5月19日 | 釜山着。 |
1906年(明治39年)5月20日 | 釜山発。 松真着。 |
1906年(明治39年)5月21日 | 馬山着。 |
1906年(明治39年)5月22日 | 馬山発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1906年(明治39年)5月30日 | 竹敷発。 佐世保へ。 佐世保着。 |
1906年(明治39年)6月1日 | 佐世保発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1906年(明治39年)6月11日 | 竹敷発。 前方へ。 小値賀着。 |
1906年(明治39年)6月12日 | 小値賀発。 玉之浦へ。 玉之浦着。 |
1906年(明治39年)6月13日 | 玉之浦発。 長崎へ。 長崎着。 |
1906年(明治39年)6月14日 | 長崎発。 佐世保へ。 佐世保着。 |
1906年(明治39年)6月17日 | 佐世保発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1906年(明治39年)6月27日 | 竹敷発。 博多へ。 |
1906年(明治39年)6月29日 | 竹敷着。 |
1906年(明治39年)7月1日 | 第一予備艇となる。 |
1906年(明治39年)10月1日 | 警備艇となる。 |
1906年(明治39年)12月10日 | 竹敷発。 馬山浦へ。 馬山浦着。 |
1906年(明治39年)12月11日 | 馬山発。 松真着。 |
1906年(明治39年)12月17日 | 松真発。 馬山浦着。 |
1906年(明治39年)12月18日 | 馬山発。 釜山着。 |
1906年(明治39年)12月20日 | 釜山発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)4月18日 | 竹敷発。 三浦湾着。 |
1907年(明治40年)4月19日 | 竹敷発。 徳山へ。 門司着。 |
1907年(明治40年)4月20日 | 門司発。 |
1907年(明治40年)4月21日 | 徳山発。 長府へ。 長府着。 |
1907年(明治40年)4月22日 | 長府発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)4月27日 | 佐世保着。 |
1907年(明治40年)4月30日 | 佐世保発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)5月3日 | 韓国南岸巡航を命ぜられる。 |
1907年(明治40年)5月7日 | 竹敷発。 統営へ。 馬山着。 |
1907年(明治40年)5月8日 | 馬山発。 湾内で水雷発射のため。 |
1907年(明治40年)5月12日 | 馬山着。 |
1907年(明治40年)5月14日 | 馬山発。 釜山へ。 釜山着。 |
1907年(明治40年)5月16日 | 釜山発。 ???へ。 |
1907年(明治40年)5月19日 | 松真着。 明日、竹敷へ。 |
1907年(明治40年)5月20日 | 竹敷着。 |
1907年(明治40年)6月5日 | 韓国南岸巡航を命ぜられる。 |
1907年(明治40年)6月7日 | 竹敷発。 松真へ。 馬山着。 |
1907年(明治40年)6月10日 | 松真着。 |
1907年(明治40年)6月14日 | 馬山着。 |
1907年(明治40年)6月15日 | 釜山着。 |
1907年(明治40年)6月16日 | 釜山発。 厳原へ。 厳原着。 |
1907年(明治40年)6月17日 | 厳原発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)6月22日 | 演習のため、韓国南岸巡航を命ぜられ、竹敷発。 馬山へ。 馬山着。 |
1907年(明治40年)6月24日 | 馬山発。 松真着。 |
1907年(明治40年)6月25日 | 松真発。 |
1907年(明治40年)6月26日 | 釜山着。 同日、釜山発。 |
1907年(明治40年)6月27日 | 鎮海湾発。 木浦へ。 |
1907年(明治40年)6月28日 | 木浦着。 |
1907年(明治40年)6月29日 | 木浦発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)7月9日 | 検閲のため竹敷発。 同日、竹敷帰着。 |
1907年(明治40年)10月5日 | 佐世保着。 |
1907年(明治40年)11月5日 | 竹敷発。 鎮海へ。 松真着。 |
1907年(明治40年)11月6日 | 馬山着。 |
1907年(明治40年)11月8日 | 馬山発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)11月11日 | 竹敷発。 鎮海着。 |
1907年(明治40年)11月15日 | 松真発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)11月16日 | 演習のため竹敷発。 |
1907年(明治40年)11月18日 | 竹敷着。 |
1907年(明治40年)11月20日 | 竹敷発。 佐世保へ。 佐世保着。 |
1907年(明治40年)11月23日 | 佐世保発。 大村へ。 大村着。 |
1907年(明治40年)11月29日 | 佐世保着。 |
1907年(明治40年)12月1日 | 佐世保発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1907年(明治40年)12月9日 | 佐世保着。 |
1907年(明治40年)12月10日 | 佐世保発。 鹿児島へ。 |
1907年(明治40年)12月11日 | 鹿児島着。 |
1907年(明治40年)12月13日 | 鹿児島発。 牛深へ。 牛深着。 |
1907年(明治40年)12月14日 | 牛深発。 大牟田へ。 大牟田着。 |
1907年(明治40年)12月16日 | 大牟田発。 長崎へ。 長崎着。 |
1907年(明治40年)12月17日 | 長崎発。 佐世保へ。 佐世保着。 |
1907年(明治40年)12月18日 | 佐世保発。 竹敷へ。 竹敷着。 |
1919年(大正8年)4月1日 | 除籍。 同日、雑役船に編入、曳船兼交通船に指定、「真鶴丸」と改名、呉工廠所属となる。 |
1920年(大正9年)7月1日 | 船名を「真鶴」に復す。 |
1925年(大正14年)12月17日 | 廃船。 |
1926年(大正15年)4月5日 | 売却。 |
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