円通橋 (Entsukyo)
                                                                                                               2004.11.20
京都府京都市東山区五条坂(西本願寺大谷本廟の入口)

架設:安政3年(1856) 長さ:約40m 幅:約6m 
橋脚・敷石板・欄干等すべて花崗岩の切石が用いられた全国でも珍しい真円の2連石橋

 の日は年に一度の日帰り旅行。行き先が京都とあって、京都駅に着くなり観光コース組、自由行動組と分かれていざ、出発。
まず、始めにタクシーで五条坂の大谷本廟へと急ぐ。時間に余裕があればバスにでも乗るところだが、秋たけなわの京都とあってどこも人、人、人で溢れかえっていた。タクシーの運転手に円通橋以外の京都の石橋を尋ねると、名前までは覚えていないが知恩院の北門を下っていったところに時代劇でも撮影されている石橋があるとのこと。都会で道を尋ねるにはタクシー運転手ほどの適任者はいないだろうと思われる。20分くらいで五条坂に着くと、真っ先に無量寺堂へ父の墓参に駆けつける。
 堂の中は全国門徒の寺毎にお仏壇があり、下段の引き出しに故人のお骨が納まっているといった具合になっている。私の他に離れた場所に2組ほど参拝者がいたが、自寺のお仏壇を開き、いつものお経の一つ、「御文章」を独り唱える。その後、受付で司馬遼太郎の墓の場所を尋ねると、ここよりもっと東方面で、しかも何万とある中の一つだというので今回はやむなく諦めざるを得なかった。大谷本廟へはこれまでにも何度か家族で来たこともあったが、この下が真円の石橋と知ったのもごく最近のことだった。
 の大谷本廟の入口の橋を石橋と意識して眺めやると、その豪華絢爛ぶりは唯、唯驚いてしまう。江戸時代に架設されたといっても、本山のあるこの地に架ける石橋とあっては、西本願寺の財力を惜しげもなく注ぎ込んで造られただろうことは通常は石橋を造るにはアーチの形で十分のところ、真円にしたことにも見てとれる。当時より「奇巧をつくした石橋」として珍重され「花洛名勝図会」にも紹介されているという。真円の石橋の発案者は誰なのか、また石工の名前が立て看板にも資料にも見当たらないというのはどうしたことだろう。次回の訪問ではそこのところを聞き出してみたいものだ。           2005.1.11
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