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ミリタリーグッズ 日本海軍・軍人記念品 ★ あ行 |
古本・古物等、10000円以上お買い上げの方プレゼント品があります!
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JNMM0016 青木海軍軍医・灰皿 金属製の灰皿で、重いのですが磁石はくっつきません。松竹梅の彫りと造作があり高級感があります。戦前に海軍に勤めていた人の家からの蔵出し品とのことです。裏に「贈 青木軍医」と彫ってあります。戦前の、60年以上前の古いアンティークなので薄汚れ・少々剥げているところがございますのでご了承ください。縦10.5センチ、横17センチ、高さ2.5センチ。重さ400グラム。送料は定形外郵便で580円。 |
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JNMM0026 有馬良橘海軍大将・書(タオル) 明治神宮宮司・有馬良橘海軍大将のタオルに印刷された書です。「挙国感激」と書かれています。このタオルは、記念のタオルで関係者に配られたものと思われます。「寄贈者・侯爵夫人・西郷豊子」と書かれています。西郷隆盛の弟、西郷従道海軍大将・侯爵の夫人は清子ですので、従道の二男、従徳の夫人、豊子だと思われます。西郷従徳は陸軍大佐で、侯爵家を継ぎました。豊子夫人は岩倉具視の孫です。タオルのサイズは横90センチ、縦30センチ。送料ははクロネコメール便で送料160円です。 |
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有馬良橘(ありま・りょうきつ)海軍大将 安政元年(1861年)11月15日、紀州藩士有馬元函の長男として生まれる。私立慶応三田英学校から海軍兵学校入校(12期)。東郷平八郎提督の側近で昭和9年東郷平八郎元帥の死去の際は葬儀委員長を務める。明治、大正、昭和各天皇の信頼が篤かったことで知られる。日露戦争中は旅順港閉塞作戦を立案、自らも指揮官として参加した。明治42年海軍少将。43年軍令部第一班長。大正元年第一艦隊司令長官。大正2年海軍中将。3年海軍兵学校長。大正8年軍令部次長、海軍大将。昭和6年明治神宮宮司。昭和7年枢密院顧問。昭和19年5月1日死去。 |
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JNMM0008 朝日新聞社社長 上野精一名による招待状 昭和14年11月5日に羽田東京飛行場において、朝日新聞社が提唱して全国から献金を集めて、その資金で海軍の軍用飛行機全日本号50機が完成し、そのめ命名式を挙行するための、案内状です。朝日新聞社社長 上野精一名による各方面への招待状(案内状)です。うらがわは白紙になっています。多分この案内状を別の封筒に入れて送ったものでしょう。日本軍の歴史の断片と言えると思います。67年も前のものですが、ごくわずかに経年のくすみがみられるものの、たいへんきれいな状態です。発送はヤマトメール便で送料80円です。 |
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JNMM0007 伊藤義介海軍少佐・所蔵の手帳 伊藤義介海軍少佐の所蔵の手帳です。昭和七年一月四日 海軍省教育局発行で勅諭下賜五十年記念とあります。 約11.9センチ×約7.6センチ。海軍潜水学校教官・海軍少佐・伊藤義介の署名と印が有ります。教育勅語を書いた便箋が張り付けてあります。送料は定形外で120円。 |
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JNMM0019 稲垣生起海軍中将・絵葉書・英書(第一次世界大戦日記)など6点 稲垣生起(いながきあやお)海軍中将が海外から日本の自宅に出した絵葉書四枚(1枚は破損)と裏に中将の筆跡で英文の書かれたハウスの絵葉書(破損)1枚、第一次世界大戦日記の英書(英文の小冊子)の6点セットです。いずれも稲垣中将の家から出たものです。詳しくは説明つきの写真でご覧下さい。送料はクロネコメール便で160円です。 |
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JNMM0020 稲垣生起海軍中将・稲垣和子さんの写真・手帳など13点 稲垣生起(いながきあやお)海軍中将)の家から出たものです。令嬢と思われる稲垣和子さんの写真2枚、手帳、お守り3枚、ご子息と思われる方の写真、学生証1枚、公務運賃割引證(豊田貞次郎)3枚など13点セットです。詳しくは説明つきの写真でご覧下さい。送料はクロネコメール便で240円です。 |
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稲垣生起(いながき・あやお)海軍中将 明治23年2月20日和歌山県和歌山市出身。海軍兵学校38期。海軍大学校21期。昭和4年欧米各国出張。昭和10年ロンドン軍縮会議全権随員。戦艦比叡艦長、空母加賀艦長、昭和12年海軍少将・海軍航空本部総務部長。昭和17年海軍大学校校長。同年9月15日死去、53歳。海軍中将に昇進。海軍の優れた人材でしたが惜しくも病没されました。人物評価に手厳しい高木惣吉元海軍少将でさえ稲垣中将に対しては著書「自伝的日本海軍始末記」の中で「誠に重点をつかんで統御にすぐれた人」と絶賛しています。 |
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JNMM0024 植田・合金の海軍筆入れ 2900円 戦前のものです。蔵出し品で、海軍の筆入れとのことです。どのような場所で使用されていたのかは分かりません。中に小さな古硯と筆が入っています。材質はクロム、ニッケル、コバルトの合金とのことです。重いです。フタの裏に「植田」と氏名が刻まれています。筆入れの裏には第伍嘔方専用」と刻まれています。詳しくは写真でご覧下さい。重さ100グラム。サイズは横5センチ、縦14センチ、厚さ1.3センチ。送料はクロネコメール便で160円です。 |
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JNMM0033 大須賀秀一海軍大佐・記念品5点 航空母艦「鳳翔」艦長、大須賀秀一海軍大佐の記念品5点です。(1)太平洋工業カレンダー、(2)皇太子殿下御帰朝記念絵葉書、(3)機関術教科書、(4)陸軍恤兵部から大須賀啓蔵氏への公文書、(5)下村海軍中将講演「米海軍の伝統的精神」 海軍水雷学校(冊子)の5点です。詳細は写真と説明文でご覧ください。送料はヤマト宅急便60サイズです。 |
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大須賀秀一(おおすが・しゅういち)海軍大佐 大須賀秀一大佐は愛知県出身。海軍兵学校51期です。航空母艦「鳳翔」艦長、「海鷹」艦長を歴任しています。巨大潜水空母伊号401で自決した第1潜水隊司令・有泉龍之介少将と兵学校同期です。大須賀大佐は海軍大学校は出ていませんが、四十代前半で大佐に昇進し、艦長を歴任しています。 |
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JNMM0016 青木海軍軍医・灰皿 | |
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JNMM0026 有馬良橘海軍大将・書(タオル) | |
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朝日新聞社社長 上野精一名による招待状 | |
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伊藤義介・海軍少佐所蔵の手帳 | |
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JNMM0019 稲垣生起海軍中将・絵葉書・英書(第一次世界大戦日記)計6点 |
1、絵葉書・パナマ運河(遠洋航海) |
珍しい軍艦郵便のスタンプと明治44年(1911年)2月の消印が押されてます。 遠洋航海の寄港先のパナマから稲垣少尉候補生が和歌山市の家族に宛てた 絵葉書です。パナマやアカプルコのことが書かれています。図柄は珍しいパナ マ運河を建設作業してる風景と思われます(パナマ運河は1914年に開通)。 発送地の消印は剥がれた切手とともになくなってます。 稲垣中将は1910年(明治43年)7月に海軍兵学校を卒業しています。 稲垣少尉候補生ら兵学校卒業生は、その年の10月、練習艦隊に乗り組み 遠洋航海に出発しました。ホノルル〜サンフランシスコ〜アカプルコ〜 パナマ〜などを回り翌明治44年3月に日本に帰っています。 |
2、絵葉書・青島(中国)(遠洋航海) |
同じく1910年(明治43年)に兵学校を卒業して練習艦隊の遠洋航海で寄港 した中国・青島より和歌山市の家族の方に宛てた絵葉書です。青島市街に 上陸したことが記されています。消印は残ってますが切手は喪失してます。 |
3、絵葉書・マーブルアーチ(英国・ロンドン) |
1919年(大正8年)1月2日に29才の稲垣海軍大尉が滞在先の イギリスから和歌山市の家族に宛てた絵葉書です。 |
4、絵葉書・パークストンパーク(英国) |
1919年(大正8年)4月16日に29才の稲垣大尉がイギリスから和歌山市 の家族の方に宛てた絵葉書です。珍しい軍事郵便ですが、右の宛先の住所 部分がちぎれてありません。けれども絵葉書は英国の1919年当時の美しい 公園風景と当時の女性や子どもたちの姿や服装が描かれている美しいものです。 |
5、絵葉書・ハウス |
写真の裏がポストカードになっています。裏には稲垣中将の筆跡で 英文が書いてあります。この写真のロンドンで有名なハウスの説明だと思わ れます。消印はありません。縦約8.5×横14p。 |
6、第一次大戦日記(英文の小冊子)(稲垣中将所蔵) |
タイトルに『DIARI OF THE WAR(戦争の日記)』1914 TO 1918とあります。 第一次世界大戦の開戦から終戦までの主な出来事が記されています。 英字の小冊子です。最後の一枚(7,8ページ)に茶シミがあります。 縦約13.5×横10.5p。8ページ(表紙・裏表紙除く)。 |
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JNMM0020 稲垣生起海軍中将・稲垣和子さんの写真・手帳など13点 |
1、令嬢と思われる稲垣和子さんの写真2枚 |
稲垣中将の令嬢と思われる稲垣和子さんの写真2枚です。 知的で清純な美しさが感じられます。 裏には「稲垣和子様の為に捧ぐ」などと書かれています。 昭和17年のもので、古さゆえの日焼け等ありますが 年代を考慮すると保存状態がよく 美品だと思います。 【寸法(台紙):たて×よこ】約19.5×13p |
2、手帳 |
手帳は昭和21年のもので、ダイヤリー形式です。 書き込みが少しあります。 買い物でしょうか、品物と値段等が記してあります。 男性の名前も一人記されています。 当時の生活や技術的な資料も掲載されています。 |
3、お守り |
お守りです。手帳に入っていました。 |
4、ご子息と思われる写真 |
稲垣中将のご子息と思われる写真です。自宅と思われます。 |
5、パノラマ写真 |
稲垣中将のご子息と思われる方の学生時代のパノラマの集合写真と思われます。 裏に『昭和十四年五月二十三日 於皇大神宮宇治橋際 稲垣達』と 覚書きがあります。 |
6、府立高等学校身分証明書 |
府立高等学校の学生証と思われます。手帳に入っていました。 氏名、生年月日、校長名が記されています。 写真は稲垣中将のご子息と思われます。 |
7、公務運賃割引證 |
海軍航空本部から発行された公務運賃割引證(証)3枚です。 発行責任者として、海軍航空本部長・豊田貞次郎のスタンプが 押印されてます。 2668号、2669号、2670号連番。 経年による変色がありますが年代を考慮すると 保存状態よく美品だと思います。 【寸法/たて×よこ】約12×9p 豊田貞次郎は稲垣中将と同じく和歌山県出身。海軍大将。 |
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JNMM0024 植田・合金の海軍筆入れ | |
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JNMM0033 大須賀秀一海軍大佐・記念品5点 | ||
(1)太平洋工業カレンダー | ||
7月のカレンダーが破れています。ご了承ください。 | ||
このカレンダーは戦時中の昭和十九年のものです。 太平洋工業株式会社は昭和十三年に設立され、 現在、岐阜県大垣市に本社があり自動車部品や 家電製品等を製造・販売する会社です。 戦前は航空機の部品を製造していました。 大須賀秀一大佐に進呈されたものと思われます。 サイズは横27センチ、縦37センチ。めくりの6枚組です。 双発の飛行機の絵が描かれています(印刷)。カレンダーは 消耗品で、捨てられるので、当時のものは貴重な品です。 |
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(2)皇太子殿下御帰朝記念絵葉書 | ||
絵葉書は3枚入っています。冊子「皇太子殿下海外御巡遊記」 もついています。当時の皇太子殿下(昭和天皇)が大正十年三 月二日から九月三日まで、御召艦「香取」でヨーロッパを回られた 記録が詳細に記してあります。 当時の切手が1枚貼ってあります。 |
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(3)機関術教科書 | ||
教科書には「大須賀秀一」と直筆のサインが入っています。 | ||
大須賀大佐は兵学校出身ですが、機関術も勉強したものと 思われます。 右のページは印刷物で、図や表、資料などが豊富に掲載 されています。現在の大学の電子工学程度の内容です。 左のページには大須賀大佐が筆記した、計算式や図などが 直筆で記されているものもあります。 教科書のサイズは横18.5センチ、縦26センチ、厚さ1センチ です。約160ページです。 |
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(4)陸軍恤兵部から大須賀啓蔵氏への公文書 | ||
濕度表(湿度表) | ||
大須賀啓蔵氏は大須賀秀一大佐の父と思われます。 梅干やお金を陸軍に寄付をしたものと思われます。 封書の中には、梅干の寄贈の承認状、お金の献納の承認状、 献納金の取扱手続き注意書、濕度表(湿度表)の4点が 入っていました。 当時の切手2枚が貼ってあります。 |
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(5)下村海軍中将講演「米海軍の伝統的精神」 海軍水雷学校(冊子) | ||
表紙に「大須賀」のサインがあります。 | ||
下村延太郎(しもむら・のぶたろう)海軍中将(海兵一八・ 海大四・海軍教育本部第一部長)が海軍水雷学校で 大正15年4月に講演をおこなった記録をまとめた冊子です。 下村海軍中将は戦史学者で海軍大学校の兵学教官を 長年務めており、海大教頭も歴任しています。 陸軍大学校の兵学教官も務めており、予備役編入後も 海軍大学校教授を拝命して務めています。 冊子のサイズは、横15.5センチ、縦22センチで18頁。 英文と日本語が混ざっていますので 英語を交えた講演であったと思われます。 内容は米国海軍をあなどってはいけないと、米西戦争など、 米国海軍の海戦の歴史から、具体的ま事例を引き 米国海軍士官の優れた精神と戦法などを紹介し、 見解を述べて解説しています。当時の米国海軍を分析した 貴重なものと思われます。 |
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