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ミリタリーグッズ  日本海軍・軍人記念品 ★ は行

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JNMM0004 原五郎海軍少将・砲弾花瓶  12000円 SOLD

旧日本軍の砲弾でできた花瓶で、原五郎海軍少将による「忠勇義烈」の書が銘記されています。昭和10年の忠魂碑建設記念のものです。弾底には「昭和十」の刻印があります。箱付き。箱には「忠魂碑建設記念」「帝国在郷軍人会」等の箱書きがあります。直径9.5cm 高さ23.5cm。送料はヤマト宅急便で60サイズです。

原 五郎(はら・ごろう)海軍中将
東京出身。海兵35期。海大17期。赤城艦長、加賀艦長等を歴任。昭和8年海軍少将。昭和10年11月15日付けで艦本造船造兵監督長から航本技術部長に就任しています。昭和12年海軍中将。14年舞鶴鎮守府司令長官就任。昭和15年死去(55歳)。近藤信竹大将、野村直邦大将と海兵同期。



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NMM0025 平出英夫海軍少将・古書「ソロモン海上決戦」  1200円 SOLD

平出英夫氏が旧日本海軍の大本営報道部課長・海軍大佐の時の著書です。「ソロモン海上決戦」。昭和18年5月20日発行。202頁。平出大佐は大本営発表で有名ですが、誇大発表の代表者として知られています。この本も当時国民向けに書かれた本で、いわゆる「大本営発表」の集大成と言える内容です。昭和18年2月1日には日本軍はガダルカナルから撤退を開始しています。それを「ガダルカナル転進作戦」として巧妙に記しています。全ての文章が巧妙です。今は全ての戦史が明白になっていますので、その上でこの本を読むと興味深いものがあります。横12.2cm、縦18cm。送料はクロネコメール便で160円です。

平出英夫(ひらで・ひでお)海軍少将

青森県出身。海兵45期。昭和15年7月軍事普及部第2課長兼大本営報道部1課長。昭和16年4月軍務局4課長。昭和18年7月軍令部3部8課長。昭和18年12月フィリッピン武官。昭和19年5月少将。昭和19年8月兼南西方面艦隊参謀副長。昭和20年8月北海海軍軍需管理部3部長。



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JNMM0011 伏見宮博恭王海軍元帥・菓子器 11000円 SOLD

伏見宮博恭王殿下・海軍元帥・御下賜の菓子器です。漆器です。木製の供箱付。古いもので戦前の昭和十七年のものです。時代を経ていても汚れもなく新品同様です。箱のフタには「昭和十七年十月 海軍協会総裁 伏見宮博恭王殿下御下賜 御菓子器」と箱書きがあります。昭和17年海軍軍令部総長であった伏見宮博恭王殿下は海軍協会総裁も兼務。黒漆塗りの菓子器は気品があり、フタには「賜」の金字があります。菓子器には当時の「玉屋」の商標の紙が入っています。菓子器の直径約20cm、高さ11cm、重さ525gです。送料はヤマト宅急便で60サイズです。
 



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JNMM0001 伏見宮博恭王海軍元帥・晩餐会の招待状  500円 SOLD

昭和11年11月2日午後5時半から開催され軍令部総長・伏見宮殿下主催の晩餐会の招待状。皇族付武官・軍令部副官・堀江義一郎から海軍少佐・西澤誠二宛に出されたもの。昭和11年10月25日の日付。発送はクロネコメール便で送料80円です。



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JNMM0023 伏見宮博恭王海軍元帥・肖像画  1000円 SOLD

伏見宮博恭海軍元帥殿下の肖像画です。岡吉枝先生謹書。戦前の古いものですがきれいです。海軍軍令部総長ではなく、大本営海軍部幕僚長となっています。大本営は戦争など国家非常時に臨時に設置される最高司令部です。大本営では海軍軍令部総長が海軍部幕僚長に任命されます。伏見宮は昭和7年に軍令部長(軍令部総長)に就任していますが、その前年に満州事変が起きています。戦史資料として額装して保存しておけば価値があると思います。横19センチ、縦26センチ。裏には皇居と日の丸を振る国民が印刷されています。発送はクロネコメール便で送料80円です。

伏見宮博恭王(ふしみのみや・ひろやすおう)海軍元帥

1875(明治8)年10月16日、伏見宮貞愛親王の第1王子として生まれた。1886(明治19)年海兵入校、1888(明治21)年退校。1889年海兵再入校、同年退校(海兵16期相当)。1892(明治25)年、独キール海兵入校、翌年卒業。1894(明治27)年海軍少尉、独キール海軍大学入学、翌年卒業。1897(明治30)年、第15代将軍徳川慶喜の娘、経子妃と結婚。1904(明治37)年、伏見宮家に復帰・相続。同年、戦艦「三笠」に分隊長として乗組、黄海海戦にて負傷。1910(明治43)年大佐、戦艦「朝日」艦長。その後、海大校長などを経て、1920(大正9)年、軍事参議官。1922(大正11)年、大将。1932(昭和7)年、軍令部長、同年元帥、翌年軍令部総長。伏見宮博恭王は軍令部長に就任すると、絶大な力を発揮し始めた。当時、重要ポストに就いた皇族は実権を発揮しないのが慣例であったが、伏見宮は違っていた。例えば、それまで海軍の人事権は海軍大臣に属していたのだが、海軍省と軍令部の職務分担規定を改訂し、将官の人事に軍令部総長(1933年に軍令部長から名称変更)の同意を要することとした。1941(昭和16)年、軍令部総長を退任。1946(昭和21)年8月16日、薨去。



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NMM0032 藤田尚徳海軍大将・侍従長・肉筆の書・短冊立て  13000円 SOLD

昭和天皇の侍従長・藤田尚徳海軍大将の肉筆の書です。昭和15年に書かれた古いものです。短冊に書かれており、木製の短冊立てに収められています。烙印もあります。書は孔子と弟子・曾子の孝道についての問答を記した「孝経」の「士章第五」に記されている孔子の教え「以孝事君則忠、以敬事長則順」です。読み方は「孝を以って君に事(つか)うれば則(すなわち)忠なり」「敬を以って長に事(つか)うれば則(すなわち)順なり」です。本来はこのあとに「忠順不失。以事其上。」と続きます。読み方は「忠順失わず、以って其の上(かみ)に事(つか)う」です。また短冊には「為横澤大人 正三位勲一等 藤田尚徳書」とも書かれています。藤田海軍大将は徳のある人格者で、昭和天皇の信任が厚く、終戦前後の一年八ヶ月、侍従長を務め、マッカーサーと天皇の会見にも同行しています。短冊は古いものなので、すれ、汚れ、破れ等ありますのでご了承ください。短冊のサイズは幅6.2センチ、長さ36センチ。短冊立てのサイズは幅9.5センチ、長さ75.5センチ。帝国海軍将星の記念品として和室等に飾ってきちんと保管しておくともっと価値が出ます。送料はヤマト宅急便60サイズでお送りできます。



藤田尚徳(ふじた・ひさのり)海軍大将・侍従長

明治13年10月30日東京生まれ。海軍兵学校29期。海軍大学校10期。英国駐在、戦艦霧島艦長、海軍省人事局長、第三戦隊司令官、艦政本部長、海軍次官、呉鎮守府司令長官、軍事参議官を歴任。昭和14年海軍兵学校同期の米内光政を現役の海軍大将で残すために自ら願い出て予備役に編入。昭和18年明治神宮宮司、昭和19年8月侍従長、昭和21年5月侍従長辞任。終戦後9月27日昭和天皇とマッカーサーの会見に同行、会見後、皇室の安寧を確信したと言われている。戦後天皇より鳩杖を賜る。昭和45年7月23日愛知県安城市で死去。享年89歳。著書に「侍従長の回想」(昭和36年・講談社)、「侍従長の回想」(昭和62年・中央文庫)がある。


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JNMM0006 星野海軍機関大佐夫人・機関学校卒業式の招待状 500円 SOLD

伏見宮殿下臨席の元で行われる海軍機関学校39期生の卒業式の招待状。校長の黒田琢磨から星野海軍機関大佐夫人に出されたもの。日付は昭和5年11月10日。発送はクロネコメール便で送料80円です。

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伏見宮の晩餐会の招待状(海軍少佐へ)
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JNMM0023 伏見宮博恭王海軍元帥・肖像画
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NMM0032 藤田尚徳海軍大将・侍従長・肉筆の書・短冊立て
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海軍機関学校卒業式の招待状(海軍機関大佐夫人へ)
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