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ミリタリーグッズ 日本海軍・軍人記念品 ★ や行 |
古本・古物等、10000円以上お買い上げの方プレゼント品があります!
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JNMM0002 山本五十六・海軍元帥・写真 旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の写真です。 サイズはキャビネ版です。時代の刷れやヤケ傷みはご了承下さい。送料は定形郵便で80円。 |
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JNMM0027 山本五十六・海軍元帥・前線よりの書簡集 旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の前線よりの書簡(手紙)をまとめて収録、掲載した本です。B6版、294頁。昭和18年10月30日発行。53人に送られた書簡とその解説文が載っています。高橋三吉、小笠原長生、南次郎などの軍人や、知人、女性などへ宛てたものです。山本元帥の細やかな人情が現れていて、興味深いものがあります。カバーはありますが、古いものなので、裂け目があります。時代のヤケ傷みはご了承下さい。送料はクロネコメール便で160円です。 |
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JNMM0030 山本五十六・海軍元帥・肉筆の書(郵便筒)+嶋田繁太郎海軍大将・肉筆書 旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の郵便小包(筒)に書かれた自筆の書(肉筆・宛名と署名)です。署名は「連合艦隊司令部 山本五十六」と書いてあります。昭和17年4月に、連合艦隊旗艦・戦艦大和の連合艦隊司令部から静岡市の三枝恵作海軍軍医中佐に送ったものです。(三枝恵作軍医中佐は「追悼山本五十六」(新人物往来社編・新人物文庫)に思い出を語る記事が掲載されています。その中にこの郵便小包のことが書かれています。この文庫本も進呈いたします)。三枝軍医中佐は、日本海海戦で左手指を負傷した高野候補生(山本五十六)の指の治療、切断手術を助手として行った軍医で、以後山本元帥と親交した人です。 なお、この筒の中には嶋田繁太郎海軍大将の書(肉筆)が入っていました。その書には「敬神崇祖」(けいしんすうそ)、「皇紀二千六百四年初秋 為三枝弘之君」と書かれていますので昭和十九年九月頃書かれたものと思われます。この時点で山本五十六元帥はすでに戦死していますので、実際にはこの郵便筒には嶋田大将の書は入っていなかったのですが、三枝家の人が入れて保管したと考えられます。もともとこの郵便筒の中には山本元帥の書が入っていたと推察されますが、それはありません。山本元帥と嶋田大将は兵学校同期(32期)です。山本五十六元帥と嶋田繁太郎大将、山本元帥の指を手術した三枝軍医の記念品として保存しておけば、歴史的にも価値がもっと出ると思われます。山本元帥の郵便筒の長さ61.7センチ、直径7.5センチ。嶋田大将の書の長さ133センチ、幅33.6センチ。送料はヤマト宅急便80サイズでお送りいたします。 |
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JNMM0031 山本五十六・海軍元帥・掛軸 旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の掛軸です。古いもので戦時中のものです。山本元帥自筆の書で印刷ですが、真珠湾攻撃直後の昭和十七年元旦に書かれたもので、数少ない貴重なものです。書は「不自惜身命 昭和十七年元旦 山本五十六書」と書かれています。不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)は「自ら命を惜しまず」という意味です。まさに山本元帥は国のためにこの思想を実行して戦い続け戦死しました。下には山本五十六大将(当時)の写真とハワイ攻撃時の写真が説明文とともに印刷してあります。山本五十六元帥の記念品として保存しておけば価値が出ると思います。古いもので時代の刷れやヤケ傷みはご了承下さい。サイズは長さ159センチ、幅42.5センチです。ヤマト宅急便60サイズでお送りいたします。 |
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JNMM0035 山本五十六・海軍元帥・書+嶋田繁太郎海軍大将・書+当時の新聞 15000円 旧家の蔵出し品です。旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の書(印刷)です。書のみで掛軸はありませんので、市販の掛軸に表装されて、床の間等に掛けて置かれると、太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃の重大な歴史的記念とともに、山本元帥の名言として趣があります。書は「皇国興廃繋在此征戦 粉骨砕身各員完其任」とあり、「皇紀二千六百一年十二月八日 山本五十六書」と書かれています。落款もあります。書の読みは「皇国の興廃繋(かか)りて此の征戦に在り 粉骨砕身各員其の任を完うすべし」です。この内容の電報が山本五十六連合艦隊司令長官から、真珠湾をめざす南雲忠一司令長官指揮の第一航空艦隊に打電され、昭和十六年十二月七日午前七時、艦隊の旗艦「赤城」はDG旗(=Z旗・開戦時に掲揚)を掲げました。山本五十六大将は、翌十二月八日に出撃途上の連合艦隊旗艦「長門」艦上でこの電文の内容を書にしたものと思われます。 この山本五十六元帥の書とともに嶋田繁太郎海軍大将の書(扇面)が入っていました。その書には「忠誠通神」「繁太郎」と書かれており、花押があります。山本元帥と嶋田大将は兵学校同期(32期)です。 また、開戦からサイパン玉砕までの新聞6部も一緒についていました。この新聞は原寸で複製したものですが、当時の新聞発表の内容をじっくり読むと、真実の戦況と発表の内容が異なっているのが、よく分かります。古いもので時代の刷れやヤケ傷みはご了承下さい。山本元帥の書のサイズは長さ108センチ、幅35センチです。ヤマト宅急便80サイズでお送りできます。 |
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JNMM0037 山本五十六・海軍元帥・書・扇 5700円 旧日本帝国海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六大将(戦死後元帥)の扇です。古いもので戦時中のものです。山本元帥自筆の書で印刷ですが、あまり出回らない貴重なものです。書は「不自惜身命」と書かれています。不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)は「自ら命を惜しまず」という意味です。まさに山本元帥は国のためにこの思想を実行して戦い続け戦死しました。山本五十六元帥の記念品として保存しておけば価値が出ると思います。古いもので時代のクスミ、ヤケ、傷みはご了承下さい。送料はレターパック360円でお送りいたします。 |
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JNMM0013 八代六郎・海軍大将・海軍大臣・男爵・掛軸(総桐共箱) 八代六郎海軍大将の明治天皇御製の掛軸です。総桐の共箱付。軸の長さは51cm、共箱の大きさは55.5cm×7.5cm×7cm。折れがあります。八代大将は日露戦争の日本海海戦開戦時、『敵艦見ゆ』の一報で、ゆうゆうと尺八を吹いた逸話が有名です。海軍大臣も歴任。送料はヤマト宅急便60サイズでお送りいたします。 |
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八代六郎(やしろ・ろくろう)・海軍大将・海軍大臣・男爵 安政 7年(1860).1月3日生まれ。昭 5年(1930).6月30日死去。海兵8期。明治29年海軍少佐、明治30年海軍中佐。「宮古」艦長。34年海軍大佐、「和泉」艦長。36年「浅間」艦長。明治38年5月27日日露戦争の勝敗を決する日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を潰滅させた連合艦隊で八代大佐は「浅間」艦長として指揮をとった。開戦時、「敵艦見ゆ」の一報を受けるや、八代艦長は艦橋でゆうゆうと尺八の古曲を吹奏した。その後、在独国大使館附武官、練習艦隊司令官等を経て、44年海軍中将で海軍大学校校長となった。大正3年海軍大臣。5年男爵。枢密顧問官等を歴任。 |
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JNMM0003吉田善吾・海軍大将・海軍大臣・招待状 昭和14年11月5日に羽田東京飛行場において、朝日新聞社が提唱して全国から献金を集めて、その資金で海軍の軍用飛行機全日本号50機が完成し、そのめ命名式を挙行するための、案内状です。海軍大臣 吉田善吾による各方面への招待状(案内状)です。うらがわは白紙になっています。多分この案内状を別の封筒に入れて送ったものでしょう。日本軍の歴史の断片と言えると思います。67年も前のものですが、ごくわずかに経年のくすみがみられるものの、たいへんきれいな状態です。発送はヤマトメール便で送料80円です。 |
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吉田善吾(よしだ・ぜんご)海軍大将・海軍大臣。 明治18年(1885年)2月14日−昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海兵32期。戦艦金剛、陸奥の各艦長、連合艦隊参謀長、軍務局長、練習艦隊司令官などを経て、昭和12年(1937年)12月1日から連合艦隊司令長官を務めるが、阿部内閣、米内内閣、第2次近衛内閣の海軍大臣に就任する。吉田の方針は日独伊三国同盟に反対、対米戦争反対という、前任の米内光政と同じであったが、部下の使い方があまり上手ではなかった。同期の山本五十六が吉田の将来を危惧し留任を申し出たが、山本は連合艦隊司令長官として海上に出てしまい、吉田は日独伊三国同盟の締結直前に病気により辞任してしまう。後任となった及川古志郎が同盟に同意し、日本は戦争への一歩を踏み出してしまう。昭和15年(1940年)に大将に昇進、軍事参議官、横須賀鎮守府司令長官などを経て昭和20年(1945年)6月1日、予備役となる。 |
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海軍大臣 吉田善吾による招待状 |
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JNMM0027 山本五十六・海軍元帥・前線よりの書簡集 | |
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JNMM0030 山本五十六・海軍元帥・肉筆の書(郵便筒)・嶋田繁太郎海軍大将・肉筆書 | |||
連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将の自筆の書です。郵便小包(筒)に書いた書です。 | |||
こちらは嶋田繁太郎海軍大将の書です。(上の筒の中に入っていました)。 | |||
この文庫本「追悼山本五十六」(新人物往来社編・新人物文庫・287頁・本体667円+税)も進呈致します。 | 昭和十八年に書かれた記事です。高野候補生の指の手術と、昭和十七年四月、山本五十六大将が直筆で書いた郵便小包を三枝恵作軍医中佐に送ってくれたことが記してあります。 | ||
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JNMM0031 山本五十六・海軍元帥・掛軸 | ||
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JNMM0035 山本五十六・海軍元帥・書+嶋田繁太郎海軍大将・書+当時の新聞 | |
扇は一部裂けていますのでご了承下さい。 | |
昭和十六年十二月九日夕刊(4ページ) | 昭和十七年一月一日日刊(4ページ) |
昭和十七年二月十六日日刊(4ページ) | 昭和十八年五月二十七日日刊(4ページ) |
昭和十八年十月二十一日夕刊(2ページ) | 昭和十九年七月十九日日刊(4ページ) |
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