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ミリタリーグッズ  日本海軍・軍人記念品 ★ さ行

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JNMM0033 斎藤実海軍大将・首相・子爵・砲弾花瓶「至誠」 15000円 SOLD

斎藤実海軍大将・首相・子爵の砲弾花瓶で希少品です。大砲の弾で作られた鉄製の花瓶です。木製の箱付き。戦前の昭和9年のものですが、ほぼきれいで美品です。表には「至誠」「甲戌冬」「皋水書」と書が刻まれており、烙印が刻印されています。裏には「堺工場増設記念 大阪金属工業株式会社」と刻まれています。表の書は斎藤実海軍大将・首相・子爵によって書かれた書を刻んだものです。皋水書の「皋水(こうすい)」は斎藤実の雅号です。皋水記念図書館や斎藤実記念館でもこの「皋水」が使われています。「甲戌冬」は昭和9年冬です。斎藤実大将は昭和11年の2.26事件で死去しましたので、この砲弾花瓶が作られたのは死去する2年前です。大阪金属工業株式会社は現在の「ダイキン」の前身の会社です。大阪の大(ダイ)と金属の金(キン)をとって「ダイキン」と新社名がつけられました。大阪金属工業株式会社は大正13年に創業されました。戦前は、内燃機関、精密機械、航空機部品などを製作していました。戦時中は伊号潜水艦の空調設備も作り、潜水艦の冷房装置は画期的で、南方の長期作戦行動を可能にしました。砲弾花瓶の高さ31センチ、直径9センチ(底)、重さ1.5キロ。古いものなのでシミや汚れがあります。ご了承ください。帝国海軍将星・政治家の歴史的記念品として大切に保存しておけば、もっと価値が出ると思います。送料はヤマト宅急便60サイズでお送りできます。



斎藤実(さいとう・まこと)海軍大将・首相・子爵

斎藤実海軍大将は岩手県出身です。斎藤大将は常日頃「人間は努力が大切、自分は努力の人だ」と言っていました。海軍兵学校6期を優秀な成績(3番)で卒業しています。39歳で海軍大佐、巡洋艦「厳島」艦長、40歳で海軍次官を歴任しています。明治33年42歳で海軍少将、軍務局長、総務長官、海軍次官を歴任。46歳で海軍中将、海軍次官、艦政本部長。明治39年山本権兵衛の後を受けて、48歳で海軍大臣に就任、海軍育ての親と言われています。勲一等旭日大綬章。大正元年海軍大将。大正8年朝鮮総督、産業と教育に力を注ぎました。大正13年勲一等旭日桐花大綬章。大正14年子爵。昭和2年ジュネーブ会議全権。昭和7年〜昭和9年内閣総理大臣(兼外務大臣、文部大臣)、社会不安の沈静、政治的動揺の一掃、農村の経済対策に力を注ぎました。また、軍部の軍事予算増の要求を退け、外交優先政策をとりました。昭和10年、健全な少年育成に力を注ぎ、日本ボーイスカウト連盟総長就任。内大臣。昭和11年2月26日、2.26事件で青年将校の襲撃を受け死去。享年79歳。大勲位菊花大綬章。斎藤実大将の出身地、岩手県奥州市水沢区に斎藤実大将を偲び、斎藤実記念館、皋水記念図書館が建設されました。館報「皋水」も定期的に発行されました。





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JNMM0012 下瀬 雅允・工学博士・紙芝居(下瀬火薬発明物語) 7500円 SOLD

下瀬火薬は日本海軍が日露戦争において海軍砲に使用され、その強力な爆発力によって戦勝に大きく貢献しました。その下瀬火薬を発明したのが、日本帝国海軍技師で工学博士の下瀬雅允。その発明物語を海軍記念日記念作品として紙芝居にしたものです。タイトルは『風薫る』。昭和19年発行。火薬の研究に打ち込む帝大卒業生、下瀬が主人公。やがて発明した爆薬が日露戦争の日本海海戦で大活躍するという話です。全16枚で、抜けはありません。日本帝国海軍の歴史的記念品として価値があると思います。古いものなのでシミや汚れが多く、所々破れなどの傷みもあります。ご了承ください。紙のサイズは横39センチ、縦26.5センチ。送料は定形外郵便で580円でお送りします。

下瀬 雅允しもせ まさちか)安政6年6月12日(1859年7月11日) - 明治44年(1911年)9月6日)。発明家、工学博士、旧日本海軍の軍属(技師=技官)。
下瀬が生まれた鉄砲町は、現在も広島市中心部でその名の通り、江戸時代から鉄砲職人が集まっていた町。その内の一軒に生まれた。明治17年、広島英語学校(広島一中の前進、現・広島県立広島国泰寺高等学校)を経て、工科大学応用化学科(東大工学部の前身)卒業。内閣印刷局に就職。「鎬青(こうせい)」(光の青染料)及び版面洗浄液の改良、紙幣の真贋識別に有効な黒色インキ他を発明。明治19年フランス人のチュルパンがピクリン酸から強力な炸薬を発明した。メリニットと言う名前をつけられたその火薬(後のTNT火薬)は日本にも持ち込まれたが、予算の都合がつかず購入できなかった。明治20年、下瀬は海軍技手となった。残された少量のメリニットのサンプルから、下瀬は列強が迫る日本の危機を救うため、実験事故で指を失ってもなお研究を続け、明治26年に開発に成功し下瀬火薬を完成、国産化した。下瀬は海軍技師に昇任、火薬製造所長となり、明治32年工学博士の学位を受けた。下瀬が発明した下瀬火薬は日露戦争の日本海海戦で活躍、戦勝に大きく貢献し当時世界的な反響を呼んだ。明治39年、その功により勲三等に叙せられた。
下瀬火薬 = 弾殻を3000以上の破片にし被害を増大させ、更に弾薬が気化したガスの温度は3000度以上に成り銅板に塗ったペンキはアルコールの如く引火して船に火災を引き起こし、相手の戦闘能力を失わせる。この軍用爆薬は永らく秘匿にされて列国から恐れられ、海軍は第二次大戦でも石油を主体としたTNT火薬に代わって、石炭主体の下瀬火薬を使用している。



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JNMM0017 新庄海軍少佐・任命書・賞状・拝領の扇・5点セット 7000円 SOLD

大正時代のものです。任命書3枚、第一艦隊司令長官からの賞状1枚、拝領の扇1つ(箱付き)の5点です。扇は明治天皇御製の歌が書かれています。扇は破れもなくきれいですが、箱が一部傷があります。贈呈者は「巌〜」と明記されていますが不明です。写真でお確かめください。新庄少佐は、兵学校出身ではありませんが、優秀な人物で、他にも多数の賞状、勲章があります。昇進も早く下士官時代は任命書からも分かりますが、2年毎に昇進しています。日本帝国海軍の歴史的記念品として価値があると思います。古いものなのでシミや汚れがあります。ご了承ください。送料はヤマト宅急便で600円でお送りできます。
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JNMM0012 下瀬 雅允・工学博士・紙芝居(下瀬火薬発明物語)
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JNMM0017 新庄海軍少佐・任命書・賞状・拝領の扇・5点セット
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