<ブラボー、クラシック音楽!−曲目解説#19>
ブラームス「弦楽六重奏曲第1番」
(String Sextet No.1, Brahms)

−− 2006.05.30 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.06.06 改訂

 ■はじめに − 秋が深まると室内楽
 秋が深まると私は室内楽、特に三重奏〜六重奏の小編成の曲を聴きたく成ります。そこで第13回例会(=05年10月13日)では<室内楽>+<大管弦楽>というテーマの中で、比較的馴染みの有る室内楽曲の一つとしてヨハネス・ブラームス(※1)の『弦楽六重奏曲第1番』(※2)を採り上げました。この曲が何故馴染みの有る曲なのかは聴けば判るでしょう。尚、この日に室内楽だけで無く大管弦楽曲を同時に採り上げたのは1周年を派手に盛り上げようという狙いからです。

 ■曲の構成とデータ
 正式名称は『弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調 作品18』です。曲は
  第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調 [ソナタ形式]
  第2楽章:アンダンテ・マ・モデラーテ ニ短調
  第3楽章:スケルツォ(アレグロ・モルト) ヘ長調 [三部形式]
  第4楽章:ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ 変ロ長調
       [ロンド形式]
という古典的な形式に則った4楽章構成です。
  ●データ
   作曲年 :1860年(27歳)
   演奏時間:約35〜40分

 ■聴き方 − アンサンブルを楽しむ
 アンサンブル(ensemble)とは「演奏の纏まり具合」のことです。独奏とは異なりますが各楽器一つ一つの音が聴こえて来て、交響曲とは一味も二味も違う小編成の合奏の妙を楽しみましょう。
 第1楽章は優雅な第1主題と舞曲風の第2主題を持つソナタ形式で古典派への傾倒が出て居ます。第2楽章は古風で際立つ旋律が繰り返し変奏され妙に哀愁を掻き立てる(理由は後述)為、映画やテレビドラマにしばしば利用されて馴染みの有る曲だと思います(※3)。第3楽章は一転して明るいスケルツォですが、第4楽章でブラームス的な翳りを見せて終わります。全体の重厚な響きを感じ取って下さい。

 ■作曲された背景 − 婚約破棄の失意の真っ最中に書かれた曲
 ブラームスは北ドイツのハンブルク(※4)の生まれで、幼い頃から劇場管弦楽団のコントラバス奏者の父(※5)から音楽の手解きを受けましたが、私はこのコントラバスの重低音ブラームスの重厚な作風に決定的な影響を及ぼしたと考えて居ます。10歳でエドヴァルト・マルクゼンにピアノと作曲を師事し、酒場でピアノを弾き家計を助けた様です。
 1850年(17歳)頃にハンガリーのヴァイオリニストのレメーニと知り合い、53年(20歳)から2人で演奏旅行に出ます。その途次ハノーヴァー(※4−1)ではレメーニから大ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(※6)を紹介され、更にワイマール(※4−2)にリスト(※7)を訪ねますがリストとは反りが合わず、早くも後のリスト&ワーグナー派との対立の端緒を成しました。これで演奏旅行も中断と成り、困り果てたブラームスはヨアヒムを頼り彼の紹介でデュッセルドルフのシューマンを訪ねたのです。この時、精神錯乱の兆候で療養して居たシューマンがブラームスの才能を認め、有名な「新しき道」と題する評論を10年振りに『新音楽時報』に掲載し、20歳のブラームスを世に送り出したことは既に
  シューマン「交響曲第3番「ライン」」(Symphony No.3, Schumann)
に記しました(△1)。律儀なブラームスはこの恩を忘れずシューマン死後も終生シューマン家に尽くします。
 ブラームスは57年(24歳)からデトモルトの宮廷に勤務し『ピアノ協奏曲第1番』(58年作)を書き、この地でアガーテ・フォン・シーボルト嬢と知り合い婚約しますが破棄され、59年(26歳)にハンブルクに帰郷します。『弦楽六重奏曲第1番』は破談に因る失意の真っ最中の59年秋から書き始められ翌60年(27歳)の夏迄に作曲された曲なのです。「哀愁を掻き立てる」理由がこれで理解出来ましたね!
 ブラームスは暫く故郷で合唱指揮などをして居ましたが、遂に1862年9月(29歳)に傾倒する「古典派の先人たち」の舞台と成ったウィーンへの移住を決意して旅立ちます。

 ■ブラームスと弦楽六重奏曲
 弦楽六重奏の楽器編成はヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ2で(※2)、つまり弦楽四重奏に中音のヴィオラと低音のチェロを1本ずつ加えた編成で、当然中低音域が厚く成ります。弦楽六重奏曲は重厚な響きを好んだブラームスが開拓したジャンルです。モーツァルトもベートーヴェンも弦楽五重奏曲は書いて居ますが六重奏曲は書いてません。
 実はブラームスは、弦楽四重奏曲を若い時に何曲か書いて居ますがベートーヴェンの呪縛から破棄し苦闘した挙句40歳で初めて『弦楽四重奏曲第1番』を世に出しました。彼は新曲の発表には極めて慎重で他にも破棄された作品が沢山有ります。古典派の巨匠が手付かずの新しいジャンルだからこそ27歳でこの『弦楽六重奏曲第1番』を発表し得たと言えます。
 以後、弦楽六重奏曲というジャンルはドヴォルザークチャイコフスキーや有名なシェーンベルクの『浄夜』(又は『浄められた夜』)などに受け継がれて行きます。

 ■燻し銀の様なブラームスの重厚な作風
 ロマン派の時代の後半に生まれたブラームスは当然ロマン的な情感を内包して居ますが、その渋い響きは恩師シューマンを受け継ぎ、重厚さはコントラバス奏者のと厚い雲が重く垂れ込める北ドイツ独特の天候の影響で、そして確かな造形性は尊崇するベートーヴェンへの接近です。親近性の有るシューマンとブラームスを比較すると、シューマンの「渋味と深味」に対しブラームスの「渋味と深味と厚味」であり、シューマンの幻想的詩情(=揺れ動く情感)に対しブラームスの確固たる造形美(=構成力)です。良く”燻し銀の様な”と形容されるブラームスの音楽の秘密はこの辺に在る様な気がして居ます。

 ■結び − アガーテへの未練断ち切れず
 ブラームスは一旦は婚約したアガーテ嬢への未練を断ち切ることが出来なかったと見えて、5年後の1865年(32歳)にアガーテ(Agathe)の綴りを
  「A・G・A・D・H・E」という音階
         ↑
         Tを変換
に織り込んだ同じ編成の『弦楽六重奏曲第2番 ト長調 作品63』を作曲して居ます。失意のどん底を抜けて、どの様に変わったか知りたい方には『弦楽六重奏曲第1番』を『弦楽六重奏曲第2番』と聴き比べることをお薦めします。
 因みに綴りを音階に変換する方法は一種のアナグラム(※8)で、推理小説の謎解きの中で時々お目に掛かります。この様な「密かな遊び」を楽譜の中に偲ばせることはどの作曲家も好きな様で、バッハ/モーツァルト/ベートーヴェン/シューマン/エルガーなどが遣って居ます。
 ブラームスはその後、シューマン未亡人のクララと一時”危険な関係”に陥りますが、結局は独身を通しました。まさかアガーテ嬢への”男の操”を立てた(?)訳では無いでしょうが。そう言えば近頃は”女の操”は死語に成ってますね、ムッフッフ!!

−− 完 −−

【脚注】
※1:Johannes Brahms。ドイツの作曲家(1833.5.7〜1897.4.3)。ハンブルクの生まれでウィーンで活躍。ロマン派に属するが、古典主義的態度も併せ持つ。入念な構想力に基づく重厚な作風を築き、バッハ/ベートーヴェンと共にドイツ音楽の「三大B」と称される。四つの交響曲の他、協奏曲・室内楽・声楽曲・ピアノ音楽・管弦楽の「ハンガリー舞曲」など。

※2:弦楽六重奏(string sextet)は、ヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ2に依る六重奏。

※3:第2楽章の変奏曲は、フランス映画「恋人たち」やアメリカ映画「さよならをもう一度」 −フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」を映画化したもの− に使われ一躍有名に成りました。
※3−1:フランソワーズ・サガン(Francoise Sagan)は、フランスの女流作家(1935〜2004)。知的な感受性と大胆な心理描写で第二次世界大戦後の青春像を描く。代表作「悲しみよ、こんにちは」「ブラームスはお好き」など。

※4:ハンブルク(Hamburg、漢堡)は、ドイツ北部の工業都市。エルベ川の下流部に位置する大貿易港。中世、ハンザ同盟の中心都市の一。人口170万5千(1994)。
※4−1:ハノーヴァー(Hannover)は、ドイツ北部、ニーダーザクセン州の州都。中世、ハンザ同盟の一員。商工業の中心地で、大規模な見本市の開催で知られる。人口52万5千(1994)。ハノーファー。
※4−2:ワイマール(Weimar)は、ドイツ中部、チューリンゲン地方の都市。18〜19世紀、ヘルダー/ゲーテ/シラーら文化人が多く集まり住み、ヨーロッパ文芸の一中心を成した。

※5:コントラバス(Kontrabass[独],contrabass)は、ヴァイオリン属の弦楽器の一。チェロより大きく、最低音部を担い、4弦が普通。ジャズの演奏にも用いる。ダブル・ベース(double bass)。バス。ベース。

※6:Joseph Joachim。ハンガリー系ドイツ人のヴァイオリン奏者(1831〜1907)。オーストリア生れ。19世紀後半期の代表的名手。1869年以後、終生ベルリン高等音楽学校校長。

※7:Franz Liszt。ハンガリーの作曲家・ピアノ奏者(1811.10.22〜1886.7.31)。標題音楽でベルリオーズを継承し、交響詩の形式を確立。ピアノ演奏では超絶技巧を誇り、その表現能力を拡大。作「超絶技巧練習曲」「大練習曲」「ハンガリー狂詩曲」などのピアノ曲の他「ファウスト交響曲」、交響詩「前奏曲」「タッソー」、ピアノ協奏曲など。

※8:アナグラム(anagram)とは、(ギリシャ語で「文字の順序を取り替えること」の意)言葉の綴りの順番を変えて別の語や文を作る遊び。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):音階について▼
資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
同時に採り上げた大管弦楽曲▼
ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)
1周年の感想▼
「ブラボー、クラシック音楽!」
発足の経緯(Details of our CLASSIC event start-up)

ブラームスとシューマンとの出会い▼
シューマン「交響曲第3番「ライン」」(Symphony No.3, Schumann)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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