★ トレパニ誘拐事件

 シャムタンティ丘陵のスヴィンたちが住む集落、トレパニ。となりの集落ビリタンティに住むグランドラゴルさんはこう証言する。「近頃トレパニのスヴィンたちがふさぎの虫に取りつかれている」「トレパニの族長の娘が夜盗に攫われて、マンティコアがいる洞窟に生贄として置き去りにされてしまった」
 トレパニに住むスヴィンというのはいわゆる人オークで、『モンスター事典』によれば人からもオークからも忌み嫌われているという。トレパニは農村であり、特に宝物を溜め込んでいるとか裕福なそぶりはまったくない。そんな村に夜盗が現れるというのは、ひとえに彼らスヴィンが周りから嫌われているからに他ならない。トレパニの族長プロセウスによれば、トレパニの族長の家系が途絶えると天罰が下るという予言が彼らにはあり、攫われた娘というのは、彼の一人娘だという。ようするに、嫌がらせというわけだ。

 この誘拐事件の動機がわかったところで、次は事件の経過についてに入ろう。事件発生からアナランドの冒険者によって無事解決されるまで、数日はかかったと思われる。アナランド人がトレパニに入る前日、彼はビリタンティで先のグランドラゴルによる情報を得ている。グランドラゴルの言う「近頃」というのが何日ぐらいなのかはわからないが、少なくともスヴィンの少女が命を繋ぐことができるぐらいの期間だ。せいぜい2,3日程度なのではないだろうか。族長の娘は、父親が言うには「年端もいかない」というぐらいなのだから。
 事件発生後、スヴィンたちは何もしなかったわけではない。彼らの勇士たちは洞窟に挑んだようだ。だが、誰も帰ってはこなかった。この洞窟は橋守ヴァンガスが歌に歌うほどまでに即死級の罠で満ち溢れているのだ。実際、ゲーム中でもローリングストーン、蛇穴、魔の洪水を確かめることができる。そしてそこに控えるのは凶暴極まりないマンティコアだ。夜盗たちも、スヴィンたちに絶望を与えるのにこれ以上はない場所を選んだものである。

 事件の解決は、先に述べたアナランド人が、無事にスヴィンの娘を助け出すことで決着した。ここで疑問が残る。この危険に溢れた洞窟の中で、年端も行かないスヴィンの娘はどうやって数日間ものあいだ生き延びたのであろうか。しかもその間、数人のスヴィンの勇士たちがここで命を落としているのである。考えられる答えは1つである。彼女はおそらく、じっとして動かずにひたすら耐えたのだ。先に見たとおり、この洞窟が罠だらけなのは有名だ。最も近くに存在する集落であるトレパニの者がこれを知らぬはずは無い。ましてや彼女は「途絶えたら神罰が起こる」とされるほどの重要な家系の娘だ。自分の身が如何に大事か、そしてどのように身を守るべきか。彼女は徹底的に教え込まれていたにちがいあるまい。なんとしても救出する価値が自分にあることを、彼女は知っていたはずだ。だから彼女は自分の父親と、村の者たちを信頼して、じっと耐えていたと思われる。

 ところで彼女がいた場所はマンティコアと遭遇する場所のすぐ近くである。マンティコアを越えるとすぐに洞窟の出口だ。彼女は洞窟の入口近くにいたことになる。賢明なる彼女がその場から動かなかったということは、彼女は自分が洞窟のどこら辺にいるのか把握していなかったということだ。逆に言えば夜盗たちが(彼女に位置を悟られることなく)彼女をここまで連れてきたということである。目隠しでもしていたのであろう。彼女が入口ちかくで開放された事はうなずける。夜盗たちはこの洞窟の罠を恐れ、あまり奥まで立ち入りたがらなかったにちがいない。
 アナランド人による救出のさいに、洞窟の入口近くでマンティコアと遭遇するアクシデントが起きているが、この場面をよく見ると、マンティコアは壁を崩しながら登場しているらしい。つまり夜盗たちが無事に娘を置き去りにして、立ち去った時にはマンティコアはまだあそこにはいなかったのだ。
 ビリタンティに噂が届いているのも、もしかしたら夜盗たち自身が吹聴してまわったのかもしれない。あのマンオークのやつらに一泡吹かせてやったぜ、と。

 ここで1つ疑問が起こる。トレパニの連中がアナランド人を洞窟に送り込む際につかった縦穴は、アナランド人と娘が出てきた入口とは異なる。マンティコアを越えて脱出した入口――夜盗たちが使ったと思われる入口――は、第一巻の表紙イラストで確認できる洞窟だろう。この絵の全体を見ると、トレパニと思わしき集落も描かれている。トレパニの住人がこの入口を知らなかったとは思えない。
 だがここからスヴィンの勇士たちが入っていったのなら、彼らはすぐに娘を見つけられたはずである。なにしろ一本道なのだ。ここには罠も無い。しかし娘はずっととどまっていた。つまり、スヴィンたちはこの入口を使わなかったということになる。おそらくアナランド人をおろした縦穴を使ったのだろう。スヴィンたちは何らかの理由があってこの入口を使わなかったのだろうか? それとも本当にその存在を知らなかったのか? こんなに近いのに?
 本文中の描写から、トレパニからカレーまでの道の近くには、稲が植わっていることがわかっている。先に書いた通り『モンスター事典』のマンオークの項には、トレパニは農村だとある。トレパニの周りには、スヴィンたちが開拓した農地が広がっているのだ。村の周辺に彼らが詳しくないわけがない。やはり何らかの理由があって、スヴィンたちはあの入口には近寄っていないと考えるのが自然である。天罰の言い伝えがあることから、彼らはそれなりに迷信深いのは疑いがない。かの洞窟の入口には近寄るべからず。そんな迷信もあったのかもしれない。夜盗たちが娘を直接殺してしまうのではなく、わざわざ洞窟の中へ連れて行って置き去りにしたのは、スヴィンの大切な娘に禁を犯すことを強制することを意味する…。これはスヴィンたちにとって最大級の嫌がらせとなろう。

 以上で誘拐事件に関する考察は終わりだが、少々付け加えておこう。この洞窟の構造に関してである。グランドラゴルが語るところによると、この洞窟にマンティコアが住んでいるのは周知の事実らしい。表紙絵でもマンティコアが洞窟の入口近くにいる。本文中では奴は壁を崩して登場するが、奴がこのあたりをうろうろしているのは間違いが無い。つまり、崩れた壁とは違うルートが奴のいた場所(つまり壁の向こう)と繋がっていなくてはならない。壁は崩れただけで、マンティコアが「こちら側」に最初からいたというのは、スヴィンの娘が数日間無事だったことからありえないと考えざるを得ない。
 しかしこの洞窟、プレイした感触ではスヴィンたちの縦穴を基点に二股に別れ、それぞれが再び枝分かれしているだけにしか思えない。それぞれの先に三種の罠と、出口が配置されている形である。このままでは、マンティコアがいたはずの空間に繋がる道は無かったことになってしまう。だが表紙を見ればわかるように、マンティコアは外で出ることができるはずだ。
 そこでよくよく本文を読んでみると、3つの罠の行き止まりが決して「行き止まり」ではない可能性があることに気付く。魔の洪水はおそらく行き止まりと思われるが、蛇穴とローリングストーンに関しては、その先がまだあると考えていいのではないだろうか。蛇穴はいきなり開く落とし穴の描写があるだけで、その先が行き止まりとは書かれていない。ローリングストーンに関しても、リブラに助けてもらった際に石は元の方向へと戻っていく。しかし、我らのアナランド人はその先を確かめることなく引き返していくのである。
 これらの先が、曲がりくねったあげくにマンティコアがいたであろう空間へと繋がっている可能性は高いと思われる。マンティコアには翼があり、ローリングストーンはともかく蛇穴の上を移動することは十分にありうることだ。

 この洞窟は、魔の洪水のような精巧な機械仕掛けの罠と、蛇穴のような自然を利用した罠が混在している。本文中の描写でも 岩屋と廊下(旧訳では洞窟と回廊)という言葉が混ざり、自然の洞窟部分と人工的に手の入った部分があることが伺える。おそらくは、トレパニの民が迷信を以ってあたるぐらいには古い文明の遺跡なのだろう。

(7/31/12)

【追記】
 AFF2の『ソーサリー!キャンペン』シナリオにはこの洞窟の地図がついている。それを見るかぎり、本文で示される部分のみしかないようだ。ローリングストーンも蛇穴も、その先に道は続いていない。
 もちろんスヴィンの娘とマンティコアは極めて近くに配置されている。よく襲われなかったものだ。

(8/9/12)

★ d20『ソーサリー!』について思うこと

 d20システムというのは、簡単に言えばTRPGルール体系の1つで、D&Dをベースに作られているシリーズのこと。アメリカのWizards of the Coast社が2000年に発表、ウェブ上でルールが無料公開されており、誰でも開発素材として利用可能。いわゆるオープンソースに近い考え方で、多くのプロ、アマチュアが利用している様子である。

 そんなd20システムを使い、ファイティングファンタジーを再現したシリーズが、d20FFシリーズなのだ。『火吹山の魔法使い』などと並び、我らが『ソーサリー!』も四部作でシリーズ化されている。一応日本語版も出ているが、残念なことに『七匹の大蛇』までしか翻訳されていない。予定には『諸王の冠』も入っているのだが、これも御時勢というものだろうか。

 さて肝心の内容であるが、実は自分は手を出していないので詳しいことは判らない。『ソーサリー!』とはいえ、D&Dベースということで「別物」かなと思っているのが正直なところ。
 web上で散見する情報(リプレイなど)を見る限りでは、ゲームブック版に含まれる要素を再構成している様子である……。
 TRPGのシナリオサプリメントである以上、プレーヤーの行動はゲームブックよりもはるかに広がるため、本家よりも多くの情報が含まれているのは必然と言えよう。個々の街やダンジョン、遺跡などのマップなども完備しているのではないだろうか。

 今回ちょっと調べていて、その「盛った」部分に関して興味あることがあったので、この際雑記にて触れてみようかと思った次第。

 ・呪文システムが異なるので、魔道書持ち歩きはOKらしい。
 ・疫病の村の名前や、集落の施設(宿屋など)、名無しNPCの面々に名前が設定されている。この面々が結構興味を引く。カントパーニの顔役やシャンカーの長ゴブリン、オーガー、プロセウスの娘、カーレの第七貴人(盲目の乞食)、スラングの聖人(この人名前出していいのかw?)など。
 ・D&D側のモンスターもランダムエンカウントするらしい。ドラゴンとか出る。

 ……手を出すべきか否か、大いに迷うところである。
 なぜ今頃d20の話を始めたかというとですな、実はAFF2の『ソーサリーキャンペーン』シナリオ(英語版)を買う腹積もりが決まりまして。AFFはFFシリーズの姉妹品みたいなものなので、「別物」感は低いのですよ(過去にもとりあげてますし)。なので、TRPGならばd20も軽く調べて見ようかなと思ったのでした。

(7/31/12)

【追記】
『諸王の冠』に関しては、翻訳どころか本国版でも刊行されなかった模様。D&Dの映画のヒットもあった今ならまた違ったかもしれませんね。

(1/11/24)

☆ シャムタンティに死す

 『ソーサリー!』を発行していたころの創元推理文庫に付随していた小冊子「紙魚の手帖」。この第二十五号に、『ソーサリー!』関連の記事が掲載されている。「女子大生はチャターボックス10  ソーサリー! 生き残れる人の性格って……」と題された記事である。4人の発言者が『ソーサリー!』について感想を述べているのだが、この時期の記事なので自然とゲームブックというジャンルの感想になっている。ゲームブックというのは、読者の性格によって選択する展開が変わるよね、ってそれだけのことなのだが、まだまだゲームブックという概念そのものが普及してなかった時代のこと。うまいことこの新しい物語の形態を紹介していると言えるだろう。

 さて、この記事では発言者たちがいかにデッドエンドを迎えたかを告白している。彼女らによると4人のうちカーレの門 (おそらく南門だろう)にたどり着けたのは一人だけで、ほかの三人は見事にシャムタンティに散っている。その内約は以下の通りだ。


A 部族の娘を助けに行った洞窟でのたれ死んだ。
B せっかく蛇と戦ったのに、外に出られなくて死んだ。
C 怪獣に出会い、話そう寄っていったらひねりつぶされた。

 クリアした1人が、ゴールを見据えてないからそうなるなんて発言をしているが、よくよく検証してみると、皆さんいいとこまで進んでおられる。Aさんは言うまでもなくゴール直前でのリタイアだし、Bさんもおそらくは同じラストダンジョンの蛇穴だろう。Cさんのみ、リー・キか……旅半ばですね。しかし紹介としてはなかなかのラインナップで、それぞれ冒険やファンタジーを彷彿とさせるシーンとなっている。

 だが、『ソーサリー!』に慣れ親しんだ身としては、いささかおとなしいレパートリーと思える。やはりゲームブック紹介の側面が強いせいだろう。どうせなら、『ソーサリー!』ならでは。しかもシャムタンティならでは! というラインナップを探ってみたいものではないか?


A 運試しに成功して罠をよけたと思ったら死んでいた。
B どんぐりをぶつけられて死んでしまった。
C 食事を我慢していたら、次の朝栄養失調で死んでしまった。

 いかがかな?

 ……しかしこの冊子、発行が1985年である。当時女子大生であった彼女たち、今もお元気であろうか。そしてこの記事、久々の☆(創元版の記述を元に書かれている)である。

(8/1/12)

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