主人公である君は、アナランドでも有数の実力の持ち主である。そのほどはサイコロ運によって変わるだろうが、たとえ最低能力値だったとしても、国の代表として選ばれ、冠の捜索に送り出されるほどの戦士/魔法使いなのである。
さて、ここに一人の君がいる。選んだ職業は魔法使いだ。君はカーカバードを見事横断し、マンパン砦で大魔法使いを後一歩まで追い詰めることに成功した。そして、諸王の冠を持つ大魔法使いと思わしき男と魔法合戦を繰り広げたのだが、わずかに及ばす、衛兵によって捕らえられえてしまったのである……。
牢で豆人ジャンと再会した君の元に、衛兵の下士官が現れる。処刑の決定が告げられ、君は意識を失う。そして……その場で刑は執行された。(パラグラフ214)
……さて、大魔法使いの影武者は考えた。アナランドの魔法もなかなか侮れないではないか。いや、それよりもあの者自身の力量がすばらしい。マンパン砦までたどり着いたばかりか、スローベンドアも全て突破されたのだ。彼の「秘密」までは暴かれなかったものの、現在砦にいるどの部下よりも優秀な人材であることは疑いようが無い。
影武者、そして真の大魔法使いたる存在は、儀式を執り行うことにした。かつて何度か行われた儀式――死人還りの秘術。七匹の大蛇がヒドラの首から産まれたように、かつて己だった躯を蘇えらせたように、君は大魔法使いの忠実な部下として立ち上がる。生前の機知と力、そしてアナランドの魔法を極めた新たなるマンパンの魔導師の誕生であった。
大魔法使いも唸る魔法の腕、そしてアナランドに関する地理的な知識。君は混沌の軍団を率いて故郷へと攻め込む使命を受けることになった……。
……『タイタン』に、自分たちの英雄のゾンビに攻められたドワーフの都の話が載っています。ありえない話ではないのだ。
何が謎なのかというと、それは「どこからつながっているのか不明」ということである。第一巻の319は、「ここから先へは進めるが、ここへくる道がみあたらない」パラグラフなのである。
件のシーンは、主人公が術をかけようとするが巨人の歯を持っていないため、自動失敗する場面である。まずここで、術はYOBであることが判明する。ここからは256へすすめと指示があるので進んでみると、なんとそこはデッドエンドパラグラフだ。巨人の指に挟まれ、圧死する君の姿が書かれている。
巨人ということは、こいつはどうやらリー・キでの丘巨人相手の戦闘シーンらしい。そこで、リー・キを調べてみることにする。丘巨人戦の場面であるパラグラフ207を見てみると、ここで選べる魔法はKIL、BIG、YAZ、YOB、DUMだ。YOBがある! YOBを選択すると361へ進んだところで巨人の歯の有無を聞かれ、持っていない場合は256へ進めとあるのがわかる。256は先ほど見たデッドエンドパラグラフである。つまり、謎の319はパラグラフ361の自動失敗Ver.といえるだろう。(デッドエンドパラグラフの「使い回し」という事例があるので、絶対というわけではないですが)
だいたい319の状況が分かったが、同時にやはりこのパラグラフはどこからも通じてないことが見えてきた。全体構成では必要とされていたが、執筆中にパラグラフ361に統合されてしまい、本来はそのまま消えるべき319が最後まで残ってしまった。というのが真相ではないだろうか。これはつまり、ゲームブックというものはパラグラフ1から順番に書かれるものではないということの証明の一例でもあるだろう。(というか、普通に考えれば最後にパラグラフシャッフルの工程があるはずですよね)
これまで散々おちょくっておきながら何だが、この機会にこの作品における魔法について真面目に考えて見ようかと思う。
アナランドの魔法の特徴として「触媒が必要な術がある」「両手が自由でないと使えない」「アルファベット三文字で表される」といったことがあげられる。
先ず触媒に関してだが、これは実際に民間伝承における魔法や呪術のあり方を見ればすぐに類似の事象を見出すことが出来る。悪魔召喚の儀式にいけにえの血が必要だったりするのも触媒の一環だし、何かしら小物が必要になるおまじないの類も枚挙が無い。
術に両腕を使用するというのは、おそらく魔法をかけるさいに手をひらひらさせるアレであろう。東洋系の例になるが、印を切るのが近いと思われる。
アルファベット三文字での表記に関しては、勉強不足な魔法使いに対するそれっぽい引っ掛けなど、ゲーム的な側面によるところが大きいのだろうが、魔術書に記載するときに使う便宜的な術の名前と考えると、普通にありえる定義法なのは間違いが無い。アナランドならではの魔法体系の整理にも一役買っているはずだ。
一度アナランドから目を離して、『ソーサリー!』本編で登場する様々な魔法を見てみよう。するとそこには多様ではあるけれど、類似の効果を持つ魔法が随所に現れていることに気がつく。マンパンの大魔法使いの影武者はホブゴブリンを召喚するが、これはGOBやYOBの亜流であることは間違いが無い。また、カレーの絵描きの術のように、KINに似ていながら細部では異なるというパターンもある。トレパニの呪術師とガザ・ムーンの虫除けの術は、それぞれ別の術に違いないが同じ効果を持っている。
アナランドの魔法使いが必須とする「両腕の自由」もアナランドの特許ではない。カレー南門で牢屋に入っていた老人が片腕を失ったことにより魔法使いを廃業したと語るのだ。(もっとも、彼はもしかしたらアナランドの魔法使いなのかもしれないが……)
これらの例を見るに、魔法という事象は、個々のレベルでは実にあやふやな違いしか持っていないようである。
そもそも魔法の下敷きとなるのは、民間療法や迷信、神話体系などの精神的下地である。アナランドとカーカバードの地理的関係を見ても、双方で大きく異なるとは思えない。いかに今は大塁壁で隔たれていようとも、カーカバードが悪の魔窟であろうとも、長い歴史を考えれば両者は同じ文化圏なのである。魔法の触媒とされる品々がアナランドとカーカバードで共通の認識があるのも、ここに理由があったのだ。
つまり、アナランドやカーカバードを含む旧世界という地方には、この場所特有の魔法文化があるということだ。それはそのままでは煩雑で大雑把な術たちなのだが、それぞれの魔法使いたちは独自に術を磨き、より効果的にその効能を引き出す方法を探っている。そしてそれは個々の魔術として系統だっていく。原始的な術に付加された名前、呪文、触媒、魔法陣、動作などは、術の個性を確固たるものへと引き上げる。その固定観念は術者の精神力に影響を及ぼし、確実に術の効果を強め、魔法の名にふさわしい技術へと研ぎ澄まされるのだ。
こういった歴史を経て、マンパンの大魔法使いやアリアンナたち、カーカバードの魔法使いは今日この日、それぞれに微妙に異なる魔法を繰り出してくるのである。
そう、アナランドの魔法も大いなる先人たちが国家の元、何世代もかけて系統立てた魔法学問なのだ。その中にZEDのような正体不明の魔法が含まれているということは、現在もその研鑽が続いているということの証明である。もしも君が選んだ職業が魔法使いであったなら、旅の途中で出会った魔法使いたちが使って見せた術の数々は、アナランドの魔法の進展に大いに役立つことだろう。ZEDの解明もしてみせた功績もあるしね。
君は「諸王の冠」を取り戻した救国の英雄としてだけでなく、アナランドの魔術史にも大いなる開拓者として名を残すに違いない。