第2回

「オーストリア 〜ザルツブルグ〜」(1998.10)

− 世界中から観光客が集まる観光都市である音楽の都ウィーンは、ベートーベンやシューベルト、マーラー等、数多くの音楽家が活躍した街です。いたるところに音楽家たちの銅像が建てられているこの街はハプスブルグ王家の数多くの遺産とそこで活躍した芸術家たちの思い出でできた街といえるでしょう。歴史ある町並みと丁寧に保存された偉人たちの遺産を訪れたために余計にそう感じたのかもしれません。実際、少し郊外に出ると、鉄道の高架下にたむろす少年たちやスプレーで落書きされたコンクリート壁、風俗店が建ち並ぶ通りなどを目にすることもあり、興ざめしてしまうのですが、そこは人間が実際に住んでいる大きな町ですから、どこも同じでしょう。そんなことはさっさと忘れて、歴史ある街を堪能することにしましょう。

− この街のメインはなんといってもモーツアルトです。大体、私はクラシックという柄ではありませんが、モーツアルトを題材とした映画「アマデウス」を観て衝撃を受け、すっかりにわかモーツアルトファンになってしまいました。クラシック好きにはモーツアルトが好きな人はあまりいないようですが、映画に描かれた生き様とサントラとして実に印象的に使われたモーツアルト作品に私は惚れ込んでしまったのです。映画音楽における名曲というのは当然それ単独でもすばらしいものである必要があるわけですが、もともと映画を盛り上げるために使われるわけですから、映画自体が名作である必要があります。しかし逆に音楽が映画を名作にする力を持っている場合も数多くあるのです。映画あっての音楽であり、音楽あっての映画ですから、その名曲を聞いたときは映画のシーンが脳裏によみがえり、単に音楽を聴くだけよりも何倍も感動できるはずです。そういう相乗効果もあってすっかりファンになってしまったのは間違いないことでしょう。

− モーツアルトはザルツブルグに生まれ、25歳のときウィーンに移りました。ザルツブルグには彼が17歳まで暮らした生家と、25歳まで暮らした家があります。生家には肖像画や直筆の楽譜、「魔笛」や「レクイエム」などを作曲したピアノが展示されています。ピアノはとても小さく、あの荘厳なレクイエムからはとても想像ができない小ささです。当時のオーストリア人の平均身長は150cm程度で、彼も推定で156cmだということですから、当時としてはそれほど小さいものではなかったのかもしれません。また映画では彼の子供は1人しか出てきませんが実際には何人も居たそうで、息子の一人はやはり音楽家になったようです。奥さんのコンスタンティンは肖像画を見る限り映画の女優によく似ていました。また前記のミラベル庭園内にある同名宮殿はモーツアルト一家が演奏したことでも有名だそうで、いまでも室内楽のコンサートが開かれているそうです。

− ザルツブルグにはモーツアルトの名のつくみやげ物がたくさんあります。最も有名なものにモーツアルトチョコレートがありますが、これは旧市街にあるケーキ屋で作られたのが最初だそうで、あちこちに売られている赤い箱の同名チョコよりずっとおいしいので興味のある方はどうぞ。残念ながら店の名前は忘れてしまいました。生家の下の喫茶店で売られているモーツアルトティーは赤いフルーツティーで、普通の紅茶ではないので気をつけてください。はっきりいって酸っぱくてまずいです。また、珍しいところでは、ザルツブルグに泊まった夜に行ったレストランに「サリエリワイン」なるものも売られていました。ずらりと並んだ「モーツアルトワイン」の脇にひっそりと置かれていて、映画さながらでけっこう笑えたのですが、赤ワインしかなかったので土産で買うのはやめました。ブームのようですがやっぱり赤より白の方がおいしいですよね。

− 25歳から移り住んだウィーンでは、シェーンブルン、ベルヴェデーレの両宮殿等を訪れました。ウィーンもそれほど大きな街ではないので数日あればかなりの場所に行けると思います。シュテファン寺院を中心に地下鉄や市電が整備されていて、慣れればとても便利です。私は自由時間も少なく、ガイドブックの地図だけを頼りに歩いたので、中心地からほんの20分程度の聖マルクス墓地に1時間半もかかってしまいましたけどね。路線地図はホテルで必ずもらっておきましょう。

− 中心地から7kmほどのところにあるシェーンブルン宮殿は世界遺産にも指定されている歴史ある宮殿です。ここは6歳のモーツアルトが演奏を行いマリー アントワネットに求婚した事でも知られる場所です。映画では皇帝が思い出として語るシーンがありましたね。中心地にほど近いところにあるベルヴェデーレ宮殿もすばらしい宮殿です。ここから庭園を通して臨むウィーンの街並みはまさに絶景です。

− シュテファン寺院は地理的にも心理的にもウィーンの中心となる場所だそうで、12世紀に建てられた歴史ある立派な教会です。その裏手の細い路地に入るとモーツアルトが4年間暮らし、「フィガロの結婚」を書いた家、フィガロハウスがあります。ウィーンにはモーツアルトだけでなくいろいろな音楽家のいろいろが記念館があり、それぞれみんな地味なのであまり訪れる人も居ないようで、ここも人影はまばらでした。「フィガロの結婚」のエピソードも映画中で使われていますが、実際に映画で使われたロケ地はこのエピソードも含めそのほとんどが監督のミロシュ フォアマンの故郷であるプラハだそうで、本当のウィーンはちっとも使われていないそうです。ですからこのフィガロハウスも宮殿も街並みも本物を使ったわけではないのですね。どうりで違うはずです。

− モーツアルトが眠る墓地、聖マルクス墓地も人影はほとんどありませんでした。入り口からまっすぐ進み、キリスト像のある三叉路の手前左手にひっそりと立っています。映画でもあったように袋に入れられ、他の遺体といっしょに葬られたため実際の遺体の場所はわからないそうですが、その墓碑を見ていると映画のラストシーンがよみがえってきて、レクイエムが頭に鳴り響いてきます。感傷に浸りながら、遺体を運ぶ馬車が通ったかもしれない道路を走る市電に乗って中心街まで帰ってきました。

− その他、ウィーンが舞台となった映画といえば、「第3の男」があります。恥ずかしながら未見で、思い入れもありませんが、市内各所にロケ地があります。ドナウ川へと向かう地下鉄沿いにある大観覧車は「第3の男」の他に「007リビングデイライツ」にも使われています。個人的にはウィーンを中心にしたこの作品が007シリーズの中では一番好きなのですが、ここにはツアーの手違いで行くことができませんでした。旅行会社(JTBです)というのは実にいいかげんな物です。また、忘れてはいけないところでは、男はつらいよ第41作「寅次郎心の旅路」で寅さんもこの街を訪れています。ウィーン市長の強い要請に折れて、山田洋次がいやいや作った脚本で、展開的にも無理があるとはいえ、外国で寅さんが歩いた街はここだけなので、貴重といえば貴重かもしれませんね。大体、その頃にはもう、山田洋次は日本でも寅さんに都会を歩かせなくなっていましたからね。

− 最後にまた食べ物の話を。よくガイドブックに出ているウィンナーシュニッツェルは薄いとんかつみたいな物で、塩とレモンで食べるのは日本人にはつらいです。またザッハートルテはぜひ発祥の地ホテル・ザッハーで食べてください。ほかの場所で食べるそれとは比べ物にならないほどおいしいですよ。(1998.10.3)

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