帰郷     中原中也

柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ  縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ
路傍の草影が あどけない愁(かな)しみをする

これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる 心置なく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと…  吹き来る風が私に云ふ
8月6日   7日   8日   9日  10日   11日   12日

8月5日(日)快晴

  AM7・45、上野発の新幹線で東京出発。盛岡で特急に乗り換え、三沢着が11・45。駅前のロータリーで高校時代の後輩・Mさんがクルマで待っていてくれた。そのまま寺山修司記念館へ直行。途中、食事でもと思ったが、記念館方面はめぼしいレストランはない。記念館に到着すると九條(今日子)さんの姿が見えたので駆け寄ると、テレビの取材とか。カメラが回っていた。「お昼食べてきます」と言ってMさんと二人で近くの休憩施設へ。ここは九條さんがいつもしじみラーメンを食べに行くところ。満席のため、少し待つ。空は澄み渡り、心地よい風が通り過ぎる。まるで別世界にいるようだ。


 食事を終えるころ、「○○さんじゃない?」と声がかかる。振り向くと斎藤麻屋さん。元天井桟敷の女優で、今は大湊のお寺の住職夫人。一緒にいるのはやはり元天井桟敷組の北川さん。テーブルを移って、Mさんを紹介。4人で話がはずむ。
 

小学生俳句

PM1・30。記念館の野外ステージに行くと、小中学生を対象にした俳句コンクールの受賞式。4000作近い応募があったとか。会場には大沢由喜さん、寺山新聞の稲葉憲仁さん、金子千絵さん、佐々木英明さんらの顔が見える。寺山ツアーのクルーは昨晩3時過ぎまで飲んでいたとかで、さすがに炎天下は辛そう。気持ちよさそうに、こっくりと居眠りする姿も。


 記念館に入り控え室に行くと、浅川マキさんがステージ衣裳に着替え中。「あらー、○○さん、わざわざここまで来てくれたの?」とマキさん。
 気をつかって席を外そうとするMさんに「いいのよ、ここにいて。どうぞ、気にしないで」と声をかける。

 サインをしてもらおうと、Mさんがペンを探すが、あいにく見つからない。マキさんが自分のエッセイが3ページにわたって載っている漫画ゴラクに鉛筆でサインしてくれる。やさしい気配りの人。
 

マキ

  マキさんにお礼を言って、授賞式に戻る。3時過ぎからはマキさんのライブ。バックバンドなしのアカペラなので、少し心配だったが、それは杞憂だった。さすがにベテラン、修羅場をくぐりぬけてきた歴戦のプロ。1時間以上、軽妙なMCをはさみながら、寺山修司の作品から美空ひばりまで、緩急つけて歌い切る。最後は客席と「かもめ」の合唱。ウーン、観客の空気をつかむのがうまい。東京から来ていたカメラマンの浜口くんなど、「いやー、スゴイ人ですね。東京に帰ったら、月蝕(歌劇団)の女のコたちに、”浅川マキのライブを勧めておきます」と興奮気味。

三上寛

 
ライブが終わった後は恒例の記念撮影。展示室で九條さんが山本健一氏(朝日新聞)を紹介してくれる。マキさん、三上寛らに別れの挨拶して一路野辺地へ。


 6時5分、野辺地のレンタカー営業所に到着。「6時で締め切りなんですよ。困っちゃうんだよなあ、明日にしてもらえるといいんだけど。私、青森から来てるから、もう帰りの列車が行っちゃったよ」と営業所のおじさん。勤務時間を5分オーバーしただけで、ボヤくこと。それでも、イヤミにならないのが東北県人のいいところ。人のよさそうな顔で「じゃあ、これ」とキーを渡してくれる。

夕陽

 外で待ってるMの先導で国道沿いのレストランへ。「ほら、見てみて! 夕陽があんなにきれい」というMの声に振り向くと夕陽が今まさにむつ湾の海岸線に沈んでいくところ。まるで、絵に描いたような大きな夕陽。しばし陶然と見つめる。その後、食事をしながら8時過ぎまで3人でおしゃべり。途中でHさんから電話。早く着いたら中学の時の恩師の家に寄るつもりだったのだ。しかし、今日は遅すぎる。明日にしよう。

 8時15分。十和田へ帰るMと別れて、麻屋さんを乗せ、一路むつ市へ。9時、大湊到着。麻屋さんを家に送って、そのまま我が家へ。木野部峠は気温18度。10時着。父が起きて待っていた。6年前に母が亡くなってからは、まるで火が消えたような我が家。ぽつねんと一人座っている父の姿。中学の時まで使っていた机はそのまま。タイムスリップなどしなくても、田舎に帰れば、時間はいつでも遡ることができる。押入れから夜具を出す。厚での掛け布団を使わなければ寒いくらいだ。1年ぶりの帰郷にやや神経が高ぶっているが、横になるといつしかまどろみの中に……。
 

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