幻の計画
昭和2年4月28日に、信州中野〜湯田中間(7.6km)、同3年6月24日に権堂〜長野間(1.1km)が開業し、国鉄長野駅構内に乗り入れを開始したことにより、河東・長野・山ノ内の3線を基盤が固まりました。 そんな中、新規事業として、新たな路線への取り組みを計画していました。「善光寺平環状線鉄道」計画です(下図)。大正15年12月21日に屋代〜八幡(現千曲市)間、翌昭和2年4月12日に長野〜更級村若宮(現千曲市戸倉町)に至る「川中島線」の敷設を申請しています。 川中島線は、長野線を延長して、更級村若宮(現千曲市戸倉町)を経由し、河東線を屋代駅から延長して八幡村で連絡させる計画でした。 さらに昭和4年10月24日に、河東線木島駅と飯山鉄道戸狩駅を結ぶ鉄道敷設申請をしています。 これらの計画線が完成していたら、長野電鉄・飯山鉄道・国鉄の3社連携で、北信地域一帯を網羅する大環状線ができていたはずで、沿線市町村の期待は大きく、人・物の流れは大きく変わっていたかもしれません。 しかし、木島〜戸狩間は申請が却下され、川中島線も、おりからの昭和恐慌にはばまれ、この計画は幻と終わりました。 (参考文献:長野電鉄60年のあゆみ) |