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哲学の道

永観堂(えいかんどう)の沿革
  浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山 無量寿院禅林寺
  855年(斉衡2) 空海の弟子真紹が、文人藤原関雄の隠棲地に開山
  11世紀後半   永観が入寺して、念仏を民間に広めたことから、永観堂と呼ばれる 

古都を歩く ページTOP 橋本関雪記念館 銀閣寺 南禅寺

大正時代、哲学者の西田幾太郎をはじめとした哲学者建ちが好んで散策した琵琶湖疏水ぞいの小道が、いつしか、「哲学の道」と呼ばれる名勝地の一つになり、今では、春の桜、秋の紅葉の時期には多くの観光客でごったがえすようになった。何度か、この道を訪ねてきたが、熊野若神社から銀閣寺に向かうケースが多かったようだ。特に、土日などしか行けないケースも多かったので、その人の多さに驚いた事も何度かある。しかし、冬の時期などは、さすがに人も少なく、ゆっくりとした散策が楽しめた。こうした京都の観光地になった「哲学の道」をかっての散策を楽しんだであろう哲学者達は、どんな思いをしているのだろうかと思ってしまう。又、当然の事ながら道近くには、民家がある。そこで、ごく普通の生活をしている人達が住んでいるわけだが、人だけ見ると繁華街と変わらない人手を見てどう思ったりしているのだろうかと考えてしまうものの、疎水の流れと小さな景観の変化を楽しんでしまう自分になってしまっている。
疎水沿いの桜が有名であるが、これは、日本画家 橋本関雪の夫人により、大正11年に寄贈され、整備されてきたという。それだけに景観保存に、地元の人々が手入れを続けていることによって、こうした思索の道があることに感謝すべきだろう。

橋本関雪記念館

「哲学の道」の景観  画像はクリックして拡大できます 

永観堂

南禅寺から哲学の道に向かう所に永観堂がある。紅葉で有名なお寺で、その時期になると多くの観光客で賑う。そんな永観堂だが、一度1999年の9月上旬に訪れた事があった。拝観後、タクシーに乗った時、タクシーの運転者から、永観堂はぼろい事をやる、何故なら、秋の紅葉シーズンには、拝観料をおおきく値段を上げるからという話を聞いて以来、その後も永観堂の前を良く通って哲学の道へ向かったのだが、寄らなくなってしまった。しかし、今にして思えば、トップシーズンで拝観料を上げるところは珍しい事でもなく、庭の紅葉には定評のある永観堂だけに、一度訪れればよかったと後悔している。
紅葉の永観堂ではあるが、その歴史は古く、特に阿弥陀堂の見返り阿弥陀は、独特の姿をした阿弥陀如来像で、なんとなく親しみを感じさせてくれた。永観堂の寺名にもなった平安後期の高僧永観が、ある朝早く、歩きながら念仏を唱えていると、突然、阿弥陀如来が現れ先導し、振り向いて「永観、遅し」と言ったという。この伝承を基に鎌倉時代に造られた立像である。阿弥陀如来が振り向いて、永観を見ている顔は、やさしく慈愛にみちた感じで、今でも心に残っている。又、御影堂から開山堂、多宝塔へ登る階段は、1504年(永正元)の建造で、その姿から臥龍廊と呼ばれている上るにつれ曲がっていくという面白い構造であった。