三門楼上から法堂
南禅寺へは、琵琶湖疏水沿いの道から参道に入るのが一般的だが、地下鉄東西線の蹴上駅から金地院横を通って参道へ出る静かなコースもある。湯豆腐料理で有名な「順正」前から三門に向かう。中門を通り越すと南禅寺境内という感じになる。京都三大門の一つである三門が大きく見える。この三門は、石川五右衛門が、「絶景かな、絶景かな」と大見得をきったところして有名だが、事実は年代的に異なる。この三門は、1628年(寛永5)に藤堂高虎が、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うため再建されたもので、石川五右衛門が、刑死された後のこと。
三門の高さ約22m、柱の間が五つで三つの出入り口がある五間三戸と大きい門。
この三門の楼上に上がる事ができ、そこから京都市街は一望できる。内部には、宝冠釈迦如坐像が安置されている。
京都三大門 知恩院、東本願寺、南禅寺
三門と山門 お寺により使い分けられているが、三解脱門(空・無相・無作門)を通って本堂(涅槃)に至らねばならないという事から三門という。東福寺の三門が最古で、禅宗や浄土宗寺院の門にみられる。一方、山門は、寺院が山号を持っていたことに基づく。
大方丈の庭園
大方丈(国宝)は、京都御所の女院御所の御対面御殿を移築したとされ、内部の襖絵は、狩野探幽筆の虎や竹の絵など数多く描かれている。一方、庭園は、小堀遠州作と云われる枯山水「虎の子渡しの庭」が、細長く広がる。
左側の画像にて、築地塀の前に並ぶ六つの石が、川を渡る親子の虎を表しているというが・・・庭園の右手は、石庭が広がる。
南禅寺の名所になってしまった水路閣。琵琶湖疏水の支流として作られた水道橋だ。赤レンガのアーチ状になっていて、古代ローマの水道橋を模して作られたという。およそ寺院しかも禅宗のお寺には似合わない光景だが、時の流れのなかいつの間にかこの空間の中に溶け込んでしまったように感じられるのも不思議だ。
水路閣の上には、琵琶湖からの水が流れている
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亀山天皇が離宮「禅林寺殿」を造営したが、この南禅院が南禅寺発祥の地と云われる。現座の本堂は、徳川綱吉の母、桂昌院により再建された。桂昌院の再建や寄進という寺院も結構多い。時の権力者の身内という者の影響力の高さを思わずにはいられない。南禅院の庭園は、鎌倉時代末期に作られた池泉回遊式庭園で、夢想国師が手を加えたと云われ、天龍寺、西芳寺の庭園と並ぶ京都三名勝史跡庭園とされている。
龍の頭をかたどった滝
庭園
金地院(こんちいん)はもともと北山の鷹ケ峰にあった禅寺で、1605年(慶長10)に南禅寺の住持であった以心崇伝によって移され南禅寺の塔頭となった。
金地院の境内には、徳川家康の念持仏を納める東照宮があるのは意外であった。
創建当初は、諸堂が完備し、日光東照宮に比すものであったというから尚更驚く。