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天龍寺

東山の南端に位置する壮大な九条家の菩提寺

東福寺の沿革
 臨済宗東福寺派大本山
 1236年(嘉禎2) 九条道家が、九条家の菩提寺として建立を発願
            円爾弁円により開山、
 1255年(建長7) 落慶供養

「東大寺のように大きく、興福寺のように隆盛であるよに・・・」との願いで名付けられた東福寺は、鎌倉時代の摂政九条道家が創建した寺。
道家は、鎌倉四代将軍となった頼経の父。既に権力は、北条家にあり名ばかりの将軍職。そんな父親としての威厳が、この寺を創建させたのだろうか。創建当初は、高さ15mの大仏を本尊とし、その寺域も現在の倍以上の広さであったという。こんな東福寺を、京の人は「東福寺の伽藍面」と言っていたと同時に伽藍貧乏とも呼ばれていた。伽藍の修理だけでもお金がかかる大きな寺という喩えということだが、京の人のブッラクユーモアを伺い知れる話だ。
現在の東福寺を最も有名にしているのが、秋の楓の紅葉だ。

臥雲橋

から眺める紅葉は素晴らしく、多くの人出で賑わう。一度、その頃に訪ねたいものと思っていたが、あまりの人の多さに躊躇してしまい、結局紅葉の時期の東福寺には訪れていないのが悔やまれる。今では、楓が渓谷を埋める景観だが、かっては、桜でも有名だったらし。しかし、一人の僧・明兆の望みにより、開山の円爾弁円が宋から持ち帰り植えた楓があったことなどから、桜の木が切り倒され、楓になったという。
有名な臥雲橋の上部には、通天橋がかかっているが、約20mの渓谷の上り下りの苦労を軽減するために架設されたという橋だが、今では東福寺を代弁するくらい有名になっている。

三 門

禅寺寺院の中では、最大かつ最古の門で、国宝。応永年間(1394〜1428)に足利義持が再建したもので、高さ約22m、幅約25.5mという大きさ。

法 堂

1881年(明治14)に焼失し、1934年(昭和9)に再建され、仏殿も兼ねている。天井は、堂本印象の画龍の大作が描かれている。

方 丈

明治23年に再建。
南庭(←)には、巨石と築山を配した枯山水庭園になっている。。

光明院

東福寺の塔頭寺院である光明院は、1392年(明徳2)に創建され、明治初期の廃仏毀釈で荒廃したが、1911年(明治44)から托鉢などで資金を集め再興に尽力し、更に、東福寺の庭を手がける重森三玲に依頼し、枯山水の「波心の庭」が完成したのが昭和14年。

画像をクリックして、拡大できます。

退耕庵

東福寺の塔頭、退耕庵は、1346年(貞和2)に開山し、応仁の乱で荒廃したが、慶長年間に安国寺恵瓊によって再建された。
客殿の茶室「作夢軒」は石田三成、小早川秀秋、宇喜田秀家、恵瓊らによって関が原合戦の謀議をめぐらした所と云われている。
南庭は、真隠庭と呼ばれ、開山和尚の作庭。
又、小野小町とも縁があり、門近くの地蔵堂の玉章地蔵尊は小町作といわれ、小野小町に宛てられた膨大な恋文が胎内に納められたと言い伝えられている。

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古都を歩く

京都五山

臥雲橋から、通天橋を望む。
秋の紅葉時期は、楓の赤が映えさぞかし美しいものと思われる。

通天橋

茶室「羅月庵」は、窓・障子・壁全体に月をかたどった大円形の意匠が施してあり、庭園から見上げるとあたかも月が昇る姿を見るような趣向となっている。