1999年12月中旬の日常

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1999年12月11日(土)

 ――書くことなら沢山あるが寝不足と疲労で焦点すら合わない有様のため今日はさぼります。御免。とりあえず『ミステリ系更新されてますリンク』に登録して戴けて良かった良かった。あちら経由で初めて見えた方、いきなり怠惰な更新で申し訳ないです。ぢつは10日分の日記も途中だったりする。笑うしかない。

 昨晩は疲れていたにも拘わらず結局いつも通りの時刻(午前三時過ぎ)に就寝した。疲れが取れていないなら休めばいいことなのだが、ふと思い立って再びCGIカウンターの設置に挑戦する。あっさり成功。何故? 以前はあんなに手こずったというのに。ともあれ、当初置いてあったサーバが数日停止したままになっており、やむなくカウンターが表示できないまま別サーバに避難してあった試験運用中の「芦辺倶楽部」のトップにカウンターとアクセス集計を設置し、ついでに「若おやじ」トップのカウンターも取り替えたうえ「最近の日常」の一番上にも置いてしまう。単体で複数のカウンターが管理できるので(無論多くなればそれだけ負担がかかるのだが)つけ放題である。
 昼食を摂ったあと、八重洲ブックセンターでまたぞろ網を打つ。カーター・ディクスン『ユダの窓』(ハヤカワ文庫HM)ディクスン・カー『皇帝のかぎ煙草入れ』江戸川乱歩・編『世界短編傑作集3』(以上、創元推理文庫)セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔(上)(下)』(文春文庫)西谷 史『記憶』(角川ホラー文庫)芦辺 拓・有栖川有栖・小森健太朗・二階堂黎人『本格ミステリーを語ろう![海外篇]』(原書房)。しかし本格派を標榜しつつ今頃『ユダの窓』だとか『かぎ煙草入れ』だとか買っている私は。
 その後銀座方面に移動し、電話で場所を確認しながらある喫茶店へ。今日は昨晩に続いて某所で柴田掲示板のらんちオフなるものが開催されており、私は遠慮したものの地方からわざわざ足を運んできた面子に芦辺さんのファンページを一緒に作っているメンバーがいたこともあって、閉会後に集まろう、という約束になっていたのである。らんちオフに参加された方の一部がそのままお茶会になだれこんだということで、同じ席上で「芦辺組」の会合。象徴たる芦辺 拓さんはじめたれきゅんさん、ゆきりん、帽子屋さんに私という従来のメンバーに、らんちオフの最中に参加を表明された山口芳宏さんを加え、雑談も交えてファンページの今後の展開について話し合う。実の処私は寝不足に加え、銀座に至るまでに渋滞と雑踏に揉まれた疲れであんまりまともに発言できなかったが。ともあれ具体像は見えてきたので、来春ぐらいにはどうにか公開できそうな兆しが見えたかも。それにしても、みんなベッドの上は本山積みなんだねー。私だけではなかったか。安心しました。なお、現場で私は「寝る前に毎日ベッドの上から200冊ぐらいの本を退かす」と言いましたが、あとで誇大広告のような気がして数えてみたところ、マジで200冊近くありました。資料に使うつもりの本などは迂闊に仕舞えないので必然身近に積み上がってしまい、それが結構侮れない量になってはいるのだが……
 散会後、三々五々に散っていった皆さんに挨拶もせず私はさっさと場を引き上げる。時刻は五時十分頃、バイトは六時から。銀座からバイト先までなら迷わずに行く自信があったが、問題は寧ろ渋滞である。間には秋葉原がある。土地鑑のある方なら御存知だろうが、秋葉原には駅近くに大きな駐車場がひとつ存在する。平日でもその辺りは無数の車が数珠繋ぎに並んでいるのだが、休祝日ともなると状態が更に悪化し、交差点にまではみ出した順番待ちの列が中央通りや昭和通りに長い長い渋滞を生むのである。バイク乗りだからと言ってその悪影響から逃れることは出来ない。車の隙間を縫い縫い、秋葉原の脇を抜けるまでは兎に角往生させられた。渋滞を脱するとスピード違反も厭わず疾走し、何とか六時には間に合わせた。疲れと眠気でぼーとしたまま四時間半のバイトをこなし、一時半頃に潰れた。冒頭の一文を書くのが精一杯だったのである。


1999年12月12日(日)

 公開以来一度も更新していないコンテンツが二つ。「妄想」「戯れ」である。そろそろ忸怩たる思いが込み上げてきたので、折を見て更新します。取り敢えず挨拶代わりに、これまで人目に曝すのを躊躇っていたCG『樹下に眠る』を「妄想」に追加。ただ、未だに納得していない部分もあるので、そのうち微妙に修正したものをアップするかも。

 半年近くガンと闘病してきた父の友人が、今日の昼頃に息を引き取った。一時は快方に向かっていたのだが、懶惰な生活ぶりが改めて祟ったか、再入院から一週間程度で力尽きた格好である。入院中から独身の友人の面倒を何くれとなく見てきた両親は、危篤を伝えられた一昨晩辺りから慌ただしく過ごしているのだが、私にはするべきことも出来ることもないので、一人無為に時間を過ごす。私の小さい頃から構ってくれた方なので(面倒を見てくれた、というのとはちと違う)本来なら手伝ったりするべきなのだろうが、父の友人連はこういう時の集まりがやたらといいので、下手に協力を申し出たりすると余計な人手が増える分却って邪魔になる。明後日がお通夜でその翌日が告別式。取り敢えず私は明日にでも線香を挙げるだけでいいんじゃないか、と母は言うが。父の友人のことだし、判断は父に委ねる。
 気に病んでいても仕方がないので、私は一人いつもの生活を続ける。昼は行きつけの蕎麦屋までバイクを飛ばし、その帰りに念願のドリームキャストを買うために上野に寄る。が、必ず一緒に買おうと思っていたソフトが見付からず、他のものを選ぼうにもどうも食指が動かない。そして店内の著しい混雑ぶり。物欲が俄に減退したので、後日仕切り直すことにした。あとで思えば、取り敢えずハードだけでも買っておく、という選択肢もあったのだが。
 先二日分の疲労もあって、あとは終始自堕落に過ごした。本もまともに読んでいないし、精々ホームページの日記をつけて、芦辺さんのファンページに芦辺さんからお預かりしていた写真をアップしたりしただけ。これからちょっと進行が遅れていたゲームをやろうかと思っている。なにかものすごーく大事なことを忘れているような気もするんだが、はて何だろう。


1999年12月13日(月)

 何故今敢えて尾崎豊を買ってしまうのか。いきなり聴きたくなったからなんだが何故今聴きたくなったのかは皆目見当が付かない。『愛すべきものすべてに』(Sony Records)。死後数年を経て発売されたベストなので、生前はファン以外の人間には知られていなかっただろう『楽もん理に係意気にすり』、もとい、『OH MY LITTLE GIRL』のような曲も収録され、更にCD Extra形式で色々な資料も収録されている。まださほど聴き込んではいないのでコメントは後日、その気になったら。一緒に岡村靖幸『セックス』(Epic Records)も買った。歌詞の先鋭化にも目を瞠ったが、楽曲の上でそれがあまり意味を為していないのが快感。ヴォーカルを幾重にも積み重ね、一応ひとつひとつの声は単語に文章になっているのだが、それが取り込みを多用した楽曲の中で殆ど意味を喪失してただの「音」になってしまっている。「友人のふり」辺りのメロディアスな楽曲も望みたいところだが、ひとまず完全復活を喜びたい。ちゃんとアルバム出してくれな。
 店で配布している新盤案内を眺める。村下孝蔵の追悼盤のことをすっかり忘れていた。12/18発売。そして来月末には椎名林檎のマキシシングルが二枚、同時発売する。三月には2ndアルバムも控えているらしい。思わず顔が綻んでしまう。

 午後、母の車に便乗して亡くなった父の友人のマンションを訪ねる。発病直前まで彼はそこで母と同居していた。電話で何度か声を聴いたことのある(その度に私を私の母と勘違いし、確認もしないままに用件を喋りだそうとすることが度々だった)彼の母は、声から想像していたより遥かに疲れ老いていた。ぬくぬくとした寝台に横たわる彼の死に顔を見せて貰った。あまりに痩せ衰えた姿だからと母は直前まで躊躇っていたが、既に処置が施されたあとで、それこそただ眠っているだけのように見えた。「どうしてあたしより先に逝っちゃうかね」穏やかに話しかける老母だったが、昨晩は食事すら摂ろうとせず、私の母に一喝されたそうだ。
 人の死とは、当人の生き様死に様以上に、周辺を取り巻く人々の立ち回りから鮮明に浮かび上がってくるものらしい。

 仕事を引き上げると、上野から秋葉原にかけて自転車で駆け巡った。帰途、それでバランスを取らないと横倒しになってしまいそうな大きな荷物を提げていた。
 結局買ってしまったのである――ドリームキャスト。しかも『サクラ大戦 花組対戦コラムス2』のパッケージ版で。購入したソフトは、今更ながらの『北へ。White Illumination』(HUDSON)とつい最近出たばかりの『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』(SEGA)の二本。反射神経が腐っている私はまず『オラトリオ・タングラム』の練習モードを繰り返し遊んでみる。うん、3DCGは美麗。ムービーもハイクオリティである。純粋に性能だけで語れるなら、現行のプレイステーションなどより売れてもおかしくないとは思う……うん。取り敢えず私の目的は、年末に出るあるソフトと『サクラ大戦3』を遊ぶことだけなので、これらが出たあとなら商業的には潰えてしまっても構わないんだけど(鬼)。
 続いて『北へ。』を軽くプレイ――するつもりが、主題歌を聴いた段階で一度沈没する。違う。イメージ全然違う。この題名とイラストの印象からすればもっと透明度の高い楽曲を持ち込んだ方が似合うと思っていたのに。ここまで『サクラ大戦』的な「歌謡曲」を引っ張らなくても。それ以前にサビの歌詞でいきなり「ランランラン」は止めてくれぇぇぇぇぇ
 ――気を取り直して続ける。キャラクターの台詞の途中で随意に選択肢を挟めるCBS(Communication Break System)という奴が私の気性に合わないとそこで止める羽目になるかも、などと思っていたが、遊ぶ上でそれ程拘束感を味わわされることもなく、存外すんなりと作品の世界に入っていけた。言うほど選択の自由度は高くないとか、セーブ・ロードできる場面に辿り着くまでが結構面倒臭いとか文句は幾らでも出てくるが、暫くは遊べそうで安心。

 あ、まだ『英雄伝説V 海の檻歌』インストールすらしてない……

 先日購入した『世界短編傑作集3』(創元推理文庫)収録作から、アントニイ・バークリー『偶然の審判』のみ読む。ああ、確かに第4の結論そのまんま。どうも主観的な心理に重きを置きすぎている、という嫌味を長篇同様に嗅ぎ取ってしまって今ひとつ納得できなかった。現代の水準で読もうとしているせいか、物語としての平板さもちょっと気になる。しかし、それでも明らかな本格の香気があって、クイーン派としてはそれだけでも嬉しいのであった。さあ、次は『第七の解決』を発掘しなければ……。


1999年12月14日(火)

 昼間は本職で夜バイト。それだけ。

 ――いやね、実際、このスケジュールだと特筆するような出来事って何もない、というパターンの方が多いんですわ。特に今日は仕事も暇だったし。――ああ、暇なら暇を縫ってやらなきゃいけないことをすれば良かったというのに。バイト前にちょっと目が醒めて、ホームページ公開以来手付かずだった「戯れ」用の文章を書き始めた。首尾良く書き進められれば明日夜の更新ぐらいに併せてアップできるかも知れず出来ないかも知れず。ものは『Refrain Blue』(elf・18禁)。どう足掻いても辛口になってしまうのは、まあ最近の私の傾向から仕方のないことです。
 バイトの帰り、どっちか一冊にしようかと悩み抜いた挙句、一冊を親に売りつけて先に読ませ、然る後に奪うという作戦に思い至って、五條 瑛『スリー・アゲーツ』(集英社)船戸与一『龍神町龍神一三番地』(徳間書店)を衝動買い。有栖川有栖・文/磯田和一・画『有栖川有栖の密室大図鑑』(現代書林)は予定通りだったのであまり痛くない。それより問題なのは、何故竹田エリ『私立T女子学園(7)』(集英社)なんか買ってしまったのだろう、ということである。既刊一冊も持ってないのに。

 ちょっと疲れ気味でテンションが低いので、今日はこれだけ。掲示板やメールのお返事もさぼります。ごめん。気になって仕方ないので『北へ。』でもやって気晴らしします。


1999年12月15日(水)

 両親は父の友人の葬儀のため、仕事を休んでそちらを手伝っていた。私は、職場で唯一データを扱える人間なので今日も不参加である。月曜日わざわざ線香を上げに行ったのにはそんな理由もあったのだが。
 しかし、そうしてわざわざ居残ったというのに、データが殆ど届かなかったりする。それが世の中というものだ、と自棄になってみる。……はあ。

 朝、仕事の合間を縫って(縫うという倹しげな形容が似合うような隙間ではないが)バイト先の本屋を訪れるも、目当てだった白泉社文庫の野間美由紀さん(あ、こちらもトップがクリスマスバージョンになってる)の新刊は入っていない。そして定期申し込みした筈の『KADOKAWAミステリ』も入荷していない。どうも雑誌形態を取っていながら流通ではムック扱いで配本されているのが原因らしい。弱小書店に対する配慮というものが欠如している。むかむか。兎に角漫画を二冊だけ買って戻った。
 午後の目玉はさだまさし『続・帰郷』(Free Flight)である。今朝、出勤前にテレビを点けると、某薬丸が司会をしている番組にさだ氏がゲスト出演してちゃっかり宣伝していた。グレープ解散・ソロデビュー後に発売された三枚のアルバムの中から今なお評価の高い十四曲を抽出し、今のさだの声と表現力でもって歌い直したアルバム。初期の楽曲が比較的バラード的なものに偏っていたこともあって、「当たり障りがない」といった感覚も与えてしまう出来だが、上質の楽曲に歌い手としての年輪が重なって聴き応えは充分。山口百恵バージョンを意識したような編曲の『秋桜』も、改めて名曲だと思わされる圧倒的な歌いぶり。個人的には石川鷹彦氏の露出が低いのが不満だが、まあ今回は仕方がないでしょう。特に「昔さだの歌が好きだった」という方には断固お薦めの一枚。より重厚になった「あの頃の歌」を聴いてやって下さい。回し者か俺は。

 夕方バイト先を再訪する。まだ入っていない白泉社文庫の野間美由紀さん。でも買うものはまた多い。二年ぶりの最新刊貞本義行『新世紀エヴァンゲリオン(7)』(角川書店・カドカワコミックスエース)をはじめ、ハルキ文庫の新刊から太田忠司『歪んだ素描 探偵藤森涼子の事件簿』霞 流一『屍島 奇跡鑑定人ファイル(2)』、そして何故か今更の高木彬光『刺青殺人事件』。あと富士見ファンタジア文庫の中から二冊。KADOKAWAミステリも探してきてくれたので買う。
 しかし、今回のハルキ文庫の新刊ラインナップを眺めて、憤りを禁じ得なかった点がひとつある。東 直巳『待っていた女・渇き』についてだ。主人公である探偵・畝原初登場の短編と第一長篇をカップリングした、そういう意味では親切とも言えるが、問題は長篇『渇き』はごく最近、勁文社から新書で再刊されたばかりだということである。どのくらい最近かというと、何せ私が買ったのがこの日ですから。普通ではありえないローテーション。何故これ程早く文庫版が刊行されるのか――正直に言うと事情の察しは付いている。畝原探偵が登場する最新作『流れる砂』の発売元が角川春樹事務所なのだ。或いはこれから畝原シリーズに触れる読者への便宜を図ってのことなのかも知れないが――ならば勁文社から新書を出す必要はなかったのではないか、とも思うのだが。作者のやむなき事情からなのか、それとも出版社同士の力関係などが遠因にあるのか。どちらにしても、わざわざ新書を購入した読者には失礼な話だと思う。
 しかし、私は『待っていた女・渇き』も一緒にレジへ持っていった。そして、本の状態が良くないので、明日以降再度入荷して貰うように頼んだ。……マニアなんてそんなものである。

 ……『TEAM』、どうしてそこで終わる。以前から何となく感じていたことだが、今回はっきりと確信した。この話、構造が『踊る大捜査線』そっくりだぞ。いや、面白いからいいけど。

 ひとつ宣伝。moonriders.netで現在、新曲二曲をデータ形式で無料配布しています。色々と思惑があっての断行だったようですが、ともあれmoonridersファンは無論のこと、暫く聴いていなかったとか一度聴いてみたかったという方は是非ダウンロードして(ストリーミング再生でもいいが……重いぞ)下さいな。ちょっと遊びが激しいので拒否反応を示す向きもあるかも知れませんが、ものは試し。これで填ってしまうのもまた一興。先述のリンクからもすぐに到達できますが、こちらの方がより近い。時間がないと仰言る向きは更にこちらからどうぞ。ああ、何だか今日はすっかり回し者モード。


1999年12月16日(木)

 ほぼ一年前に専用のプレイステーションを購入して以来、『ヴィジランテV8』(……だっけ?)を猿のように遊び続けている父君のために、たまにはソフトを買ってあげようという気になった。んで午前中、取り敢えず一仕事が終わったのを見計らって上野へ向かうが、道程丁度半分あたりでPHSが鳴った。親父だよ。データが入ったから戻ってこいとさ。買うの止めようかと思ったよ。大体ある企業のモニターの仕事が継続決定して結構懐暖かくなる筈の人間に、どうして私がプレゼントしてやらなあかんのよ?!

 それにしてもどうしてか白泉社文庫は目当てのものが入荷してくれない。夕方、帰り際に寄ってみるが、今回の配本でただ一つ欲しいものだけが入荷せず、あとは全部揃っていた。何か呪われているのだろうか。結局今日の買い物は漫画が三冊にと学会・編『トンデモ本の逆襲』(宝島社文庫)東 直巳『待っていた女・渇き』(角川春樹事務所・ハルキ文庫)、それとファンタジア文庫が一冊。
 ……では終わらなかった。帰宅すると荷物を放り、メールや掲示板などをざっくりと点検してから自転車で再び上野へ。最近このパターンが多いぞ。まずTVゲーム専門の売場を訪れて、色々と悩んだ挙句PS Bestで発売されていた『首都高バトルR』を買った。『グランツーリスモ2』が当初両親の所望していた奴だったが、流石に売れ線らしく売り切れていた――というか店頭に見当たらないので、安い方で誤魔化したのであった。昼間の恨みを多少引きずっている。
 次いで家電売場のPCソフトコーナーで、MP3変換ソフトを物色する。機能的にも値段的にも、箱書きを眺める限りは皆似たり寄ったりなので、インスピレーションで『MP3 JUKEBOX』(SMI SOFT)に決めた。タブレットを未練がましく物色したあと、渋々と帰宅する。
 日中暇を見計らって少しイラストを描いていた。結局時間が足りずに下絵としての体裁も整わないまま自宅に持ち帰ったのだが、机の上にはCDが山と積み上げられてある。いい加減片付けたくても、折に触れ聴きたいCDとか身近に置いておきたいアーティストのとか分類していると結局仕舞えないまま、更に新しいCDを積み上げていく、という悪循環に陥っているのである。ならばいっそのこと、全部MP3に変換してHDに保存しておき、適宜CDにコピーして持ち運ぶ形にしよう、と考えたわけだ。
 早速インストールし、コピーを実行しようとする……が、何故か最適化作業の途中で止まる。どうやら、接続してあるCD-ROMドライブ全てにAudio CDを挿入しておかないと作業が出来ないらしい。深川のシステムにはCD-ROMドライブが三台繋いである、が、うち一台はどう考えても接触がおかしいのでそのうち修理に出そうと思いつつ、何となくほっぽらかしていたPDドライブ。今こいつはSCSI機器を仲介するために繋げてあるだけという状況なのである。CDを入れるとシステム全体が動作不安定になるため、なるべくなら使いたくなかったのだが……どうもソフトが許してくれそうにないので結局入れる。二、三度ばかりディスプレイが青褪めたが(Winにおける最も危機的な状況である)、何とか最適化を終了、無事データ変換できるようになった。しかしこのソフト、どうもあちこちにバグを抱えているようだし、加えて机の上に積み上がったCDの総数、目算で60枚ぐらいはあるだろうか……ああ、先行きは不安に満ちて遥かに長い。そしてこんなことをしているうちに夜は更けて、肝心のイラスト下絵に取りかかる時間は喪われてゆくのであった。


1999年12月17日(金)

 取り敢えず連絡のみ。トップページと下部メニュー部分に、メニュー部分のフレームを外したトップへのリンクを設定しました。加えてトップページからこの「最近の日常」へ直接辿り着けるようにリンクを貼ってみたり。色々と考えてます。

 昨晩、久々にペットをお使いに出したら危うく行方不明になりかかった。夕方帰宅後に確認したらちゃんと戻ってきたがやはりメールは届いていない。結構ひやっとした。あんまりお使いに出していないし一日何度も遊んでいる訳ではないのだが、やはりいきなり行方を眩まされると、怖い。

 最近はお買い物帳と化しているこの日記だが懲りずに買い物記録。凡そ10年ぶりの(!)復刊&第二巻発売と相成った河崎実・あさりよしとお『地球防衛少女イコちゃん(1)(2)』(白泉社・ジェッツコミックス)倉阪鬼一郎『白い館の惨劇』(幻冬舎)、そして予想より1000円も高くて往生した中島みゆき『夜会』写真集(幻冬舎)。帰り道、暗い大通りを上野から秋葉原まで走り、『MACHINE MAIDEN外伝〜シンシア〜』(evolution)『My Diary 君が僕の妹だったら・・・』(PockeT)『To Heart 第7章 DVD版』(KSS)村下孝蔵『しのびあるきのたそがれに』(Sony Records)などと散財して歩く。『To Heart』はこれで漸く完結、だが第四巻ぐらいから見てなかったりする。早う見よ。
 村下孝蔵のは、遺されたデモテープなどを許に、水谷公生などのアレンジャーがコーラスなどを追加して纏めた追悼アルバム。村下孝蔵というアーティストに何度か触れたことがある方ならご承知だろうが、彼は基本的にヴォーカルとコーラスのみを請け負い、アレンジやバック演奏に携わることは稀だった。だが、伝説となっている一人ベンチャーズ(アコースティックギターの第一弦を低めに調整してソロ部分とバッキングを同時に弾き、更に間奏のドラムソロまでやってのけるという超人技である!!)からも解るとおり、村下氏は本来ギターの名手なのである。常々その技がレコーディングに措いて披露されないのは勿体ないのではないか、と思っていたが、今回、或る意味とても悲しい格好で実現した。特に『踊り子』のギターテクは文字どおり涙が滲むぐらい素晴らしい。

 さて帰宅。買ったゲームで遊んでみる。内田竜宮丞さんシナリオの『〜外伝』はあとの楽しみにして、先ず『My Diary』からはじめ……
   ……駄目
 文章がガキ演出が鬱陶しいキャラが平板システム扱いづらい。実はゲーム部分に到達するところ迄すらやっていない(12/18深夜現在)が、耐えがたくて先に進める気が起きない。兎に角台詞とト書きの呼吸の悪さ、不自然さ、そしてガキっぽさが読んでいて痛々しすぎる。他の部分に目を瞑れても、だ。原画は滝美梨香――御存知の方もあろうが、延期に延期を重ねて顰蹙を買い続けているソフト『GREEN〜秋空のスクリーン〜』の演出・原画担当者である。はっきり言わせて貰おう。こんなものにかかずりあっているぐらいならとっとと自分の処の作品を仕上げなさい。一応既に仕上がっているとか噂は聞くが、どちらにしても一方が片付かないのに同時進行でこうもレベルの低い演出(演出ですよ解ってますか)の作品に関わり合っているというのがどうにも理解できない。生活の為というなら真面目に自分の処の仕事をやれば済む話じゃないか。ああ腹立たしい。
 耐え難かったのであとにするつもりだった『MACHINE MAIDEN外伝〜シンシア〜』を始めてしまう。ああ凄く安心する。取り敢えずテキストがまともなだけでも嬉しい。ただ、誤字脱字が冒頭暫くやっただけでも数カ所見付かったこと、文章とグラフィックが噛み合っていない場所が多いこと、テキストがページ単位でさっさと表示されるためゲーム進行の上でリズムが付きにくく屡々白けてしまうことなど、演出上の粗が多すぎる。キャラクターの造形や雰囲気などは本編よりずっと上出来だと思うぐらいだが、システムや演出の面でのフォローがあまりにだらしないという印象である。まあ致命的なものは見受けられないし、何よりシチュエーションなど物語的な側面には魅力を感じているので、ちゃんと続けるつもり。『My Diary』は……………………むかむかむかむか。


1999年12月18日(土)

 さぼりの一日。昨日の『My Diary』ショックが抜けず、ゲームには手をつけないでCDのMP3変換作業を黙々と続ける。親に頼まれた買い物があって一度だけバイクでバイト先を訪ねるが、肝心の雑誌は休刊したらしいと判明、同種の適当な雑誌を見繕い、自分用の漫画を三冊購入して帰宅した。高橋しんの短編集が出ていてほくほく。昼飯は行きつけのうどん屋でいつものカレーうどんを食う。ここ暫く毎週おなじメニューのような気がしなくもない。
 一日で凡そ50枚程度のCD(シングル・マキシ混在)を変換したが、……まだ20枚以上残っている。ううううううううううううう。昼寝を不快な電話で醒まされて一瞬不機嫌になったが、よーく考えると丁度起きた方がいい頃合いだったので良しとする。しかしかけてくるなと前に言ったんだからかけてくるんじゃないってば某社。第一この間自分で機種変更したばかりなんだってば。

 月曜日にはタブレットを新調する。決心した。止めないでくれ。


1999年12月19日(日)

 あー、昨日はなんとも思わなかったが、もう今年も二週間ないのね。ひたすらCDをMP3にコピーしながら(まだやってる)ふとそんな感慨に……耽らない。

 朝、枕元に積み上げた漫画本の崩落で目を醒ます。ぼちぼちやばいなとは思っていたが、取り敢えず目を直撃して失明、なんて事態にならなかったから良しとしよう……片付ければ済む話だが。枕元で寝ていたらしい猫は怯えて窓際で蹲っていた。

 さぼりの一日は続く。昼食はバイクで出掛けたけどやっぱりいつもの蕎麦屋だったし、変わり映えのしない一日である。どえらくスローペースではあるが、一応は読書もしている。先日買ったと学会・編『トンデモ本の逆襲』(宝島社文庫)を読了。ずーっと用意中のとある作品にオカルトマニアの娘を出そうと思っていて、その資料的意味合いから購入、優先的に読んでいるのだが、その前に私は少し物理や科学を学んだ方が身のためかも知れない。相対性理論とか利己遺伝子説とか、一度はちゃんと読んで理解しておきたいものだが……

 変換作業を一旦中断して、『MACHINE MAIDEN外伝〜シンシア〜』をちょっと進める……んー、やっぱり演出関連が無様で悲しい。特に気になったのは、メッセージ表示の仕方である。表示速度の選択は出来るが、どれを選択しても基本的にこちらの操作を待たず一ページ分ざざざっと展開してしまう。所謂ビジュアルノベル方式のゲームは一般に、一定の長さまでメッセージが表示されると待機状態になり、そこでプレイヤーがマウスをクリックすることで次の文章が展開する、という様式を取っている。ある方がこれについて、「選択肢まで自動的に文章が展開してくれると面倒が無くていい」という趣旨の発言をされていたが、或いは同様の狙いがあってこうしたスタイルを選んだのかも知れない――が。あのマウスクリックを待つ方式はプレイヤーに要らぬ手間を強いる格好ではあるが、反面この段階でどの程度の情報をプレイヤーに与えるか、という形で文章に演出を付加できる、という特典がある。確かにある程度はオートで動いてくれた方が楽だろうが、その際も文節ごとにウェイトが入るなどの仕掛けぐらいは施しておくべきだろう。その方がプレイヤーも落ち着いて文章が読める。ページを開いた途端いきなりどばっと文章が現れるのでは些か落ち着かないのだ。
 もう一つ文章演出上の問題。そうして全ての状況に措いてウェイトが省かれているのかというと、ちゃんと例外はある。キャラクターの音声が仕込まれている台詞部分。音声が埋め込まれている部分までたどり着くと突然文章表示が止まり、そこからいきなり音声出力が始まる。何が問題かというと、台詞の前に並んだ文章をこちらが読んでいる真っ最中に、キャラの台詞を読まれてしまうのだ。文章に集中できないし何より台詞とのオーバーラップが感じられないから冷める冷める。下手をすると今自分が読んでいる文章のオチ部分を先に音声が読み上げてしまうものだから、やっていて不快感さえ催させる。
 今回は取り敢えず一番気に懸かった文章演出にだけ触れたが、他にも配慮の乏しさを感じさせる点があっちにもこっちにもあって、遊んでいてどうも乗れない。昨日書いたとおり、テキストはこの手のゲームとしてはかなり上質だし、設定やキャラの描写も悪くないと思う。だが、ゲームとしてそうした美点が全く活かされていないとあっては……。

 真っ昼間にHシーンを眺めているのは悲しいのでその手前で中断して、再度MP3を生成し始める。そのうちにいい加減作業に飽きてきて、ふと先週の柴田よしきさんの掲示板オフで撮影した写真をまだPCに取り込んでいないことに気づき、デジカメをUSB経由で接続した。

消えた。

 ――説明しよう。私は先日内蔵型HDを購入し、手早く増設してしまった。この時、画像などディスク容量を食いがちなデータの入っているフォルダを一括して増設したディスクに複写し、元々あったフォルダは削除してしまった。――これがいけなかった。
 デジカメに添付されていたユーティリティソフトは、USBにカメラが接続されたことを感知して自動的に起動し、その際「カメラの画像をそのまま見る」「データを複写して閲覧する」「データを転送したあとメモリーをクリアする」(文面ちょっと不確かです)といった選択肢とともに、保存先のフォルダ名(通常は1999年12月19日といった具合に、カメラを接続した日付が使用される)を確認してくる。私はこの時、なんの疑問もなしにOKをクリックした。一瞬の間があって、ディスプレイに無情なメッセージが浮かんだ。
「保存先が存在しないため、データが転送できませんでした」
 ……先述した画像閲覧の際のオプションは、通常「データを転送したあとメモリーをクリアする」に設定されており、私は考えなしにそのまま利用していた。今までは何の問題もなかったのだ。だが、ユーティリティソフトはお間抜けにも、転送先が確認できないにも拘わらず、カメラ内のデータだけはご丁寧に抹消してくれやがったのだ……!!!
 原因は、仕様である。問題のユーティリティソフトは完全に起動したあとに行える環境設定で、写真データを保管するフォルダを変更できる。例の保存フォルダはその下部に作成される仕組みだ。で、この時問題なのは、カメラを接続したときに起動するダイアログボックスで保存先を変更する場合、「参照」ボタンで開くのは一般的なエクスプローラーではなく、ユーティリティソフト独自のものだ、という点である。「参照」をクリックすると、普通の場合であればトップに「お気に入り」と書かれたツリー式の一覧表が展開し、その下に保存先のフォルダ名への完全なパスが記述されている形になっており、保存先を変える場合は新たに記述し直すか、そこで再度「参照」を選び、ローカルディスク内のいずこかを選ぶことになる。どうやらこの時点で初期設定で指定したフォルダが消えている場合、このダイアログボックス自体が表示されないらしい。――つまり手続としては、カメラを繋ぐ前にユーティリティソフトを起動、環境設定で保存フォルダの位置を変更し、然る後一旦ソフトを終了させてからカメラを繋ぎ、通常通りの処置をすれば良かった、訳、だが……何といおうと既にあとの祭りなのである。紛失したデータは還っては来ない……しくしくしくしくしくしくしくしく……

  悲しさのあまりHP用の写真を撮る。いつものうちの猫写真と、自傷行為にも等しい私の部屋の内部映像だっっっっ!!!! どうだ! 私は毎日この芥溜めのような部屋で寝起きしているのだっ!! 因みに本が積み上がっているのはベッドだっっっ!! どうやって寝ているのかって?
 私も毎晩それで悩んでいるさ!!!!! というわけで今日はここら辺でっ! じゃっ!!!

この世の地獄

1999年12月20日(月)

 親父の予測では今週末ぐらいで年内の仕事は終わってしまうかも知れないとのこと。換言すれば、年末から年明けにかけて提出しなければならない原稿は今週がピークになる訳だ。という訳で、午前中はひたすらデータと格闘する。先ず二箇所から合わせて五枚分のデータがくるが、うち三枚を提出した方は状態がとんでもない。一枚は写真が差し替えになる可能性があるとのことで今日はストップが言い渡され、残りのうち一枚はただ出力すればいいだけだったが、酷いのは最後の一枚。写真データを貼り込んでない。何事かと思って問い合わせると、仕事場にある昔のデータから引っ張り出して配置してくれとのこと……それはデザイナーの仕事であって製版屋の仕事じゃない、と思ったが、苛立っていても始まらないので必死こいてデータを探し出し、どうにか見栄えがする程度に体裁を整えて出力した。しかし慣れない作業だったため、これだけで一時間近くを食った。残った分をさくさくと出力すると漸く私の手が空く。隙を狙ってバイト先の本屋へ向かい、雑誌二冊を購入して帰還。十分と経たずに次の仕事が来た。同じファイルを三ミリとか一ミリとか細かーく変更しつつ四枚出力する。これが以外と手間だったりする。案の定昼飯の時刻に割り込んでしまうのであった。

 午前中がこれだけ忙しかったんだから午後はさぞかし目の回るような状況だったのだろう、とお思いのあなたは甘い。なーもなし。ぐうたらぐうたら時を過ごす。ここ暫くの慌ただしさによる体力の減退と連日の夜更かしによる寝不足から、仮眠のつもりが殆ど熟睡してしまうも、その間仕事への影響は全くないという現実。とっとと帰っても良かったのだが、両親への来客などに紛れて結局定時まで職場にいた。帰途、例によってバイト先に寄り、井上雅彦・監修『異形コレクション14 世紀末サーカス』(廣済堂文庫)玉井 豪『トゥルー・ラブストーリーfromみさき 恋のように僕たちは』(ASPECT・ファミ通文庫)を仕入れる。そういう訳で実は私このシリーズの大ファンなのです>M様(笑)。じゃなきゃこんな甘ったるいもの買ったりするかい。
 帰宅後、またしても自転車を駆って上野まで。煩悶の挙句、『WACOM intuos model i-600 USB』(WACOM)を購入した。ちょっとハイレベルな仕様のタブレットである。一体何を迷っていたのかというと、このintuosというシリーズ、USB対応版は三種類発売している。一番安い奴は今まで使っていたタブレットとサイズが同等なので論外としても、上位二種は価格差が15000円ぐらいで、ちょっと無理をすればより大きなサイズ、オプション付き(専用のコードレスマウス)のものが手に入るのである。一応最初の心積もりは下から二番目の、税込み30000円ちょいのものだったのだが、実際に並んでいる商品を眺めて迷いに迷った挙句、持ち運ぶのがしんどそうという堕落した理由で予定通りの機種を買っていった次第である。念のために空にした大振りのリュックを背負っていったが、案の定入らず手にぶら下げて坂を登る。軽いのがまだしも幸いだった。
 そうして戻ったあと、突如魔が差してベッドに積み上がった本を一旦箱に仕舞おうなどと考えてしまう。馬鹿者。出来るわけがないだろうたった一晩で。――現実として、タブレットでの作業を始める前に机の上を片付けなければならず、机の上を片付けるためには堆く積み上がったCD類を然るべき場所に仕舞う必要があり、その然るべき場所たるCDラックは床の上を片付けなければ引っぱり出せず、床の上を片付けるためにはそこに放置された定期購入雑誌の類を整頓しなければならず、整頓するためにはまず雑誌を収納する為の箱を床に置く必要があり、つまりその間雑誌類を避難させられる数少ない空間のひとつであるベッドの上を開けなければいけない訳で……ああ疲れた。予想通り全く片付かない、というか余計に身動きし辛くなってしまった。またしてもゲーム機類の前に箱を二段重ねる。邪魔。でも他に置き場なし。
 そして両親も祖母も就寝した頃合いになって、漸くintiosのセットアップを始める。思っていたほど時間は食わなかったものの、――予想以上にデカい。ノートブックサイズと箱書きにはあったし、店頭に展示してあるものを見た限りではそれほど大きくは思わなかったのだが、整頓された店内と雑多なもので溢れた私の部屋とでは、心理的にも占有する面積は違ってくる訳だ。しかし、これまでの「筆を動かせる面積が絶対的に狭いため、細部の描写が疎かになりやすい」という悩みはどうやら解消できそう。ドライバーもかなり詳細な設定が出来るようになっているし。今度こそCGと素材作りに本腰を入れるのである。これを全うしないうちは他の懸案に取りかかることもできないのだ。

『氷の世界』最終回の終りの方だけ見てしまう。犯人役が名優というのは有り難いすね。その点だけは安心して見ていられるし。救急隊の行動が謎だったがそれなりに盛り上がったし容赦してあげよう。そこだけ見た人間に言われたくないですか。そりゃそうだ。

 これで今年の日記もあと一ページで終りである。年を重ねるごとに時の過ぎる速度が早まるように感じるとはよく言われるが――今年は頓に早かった。


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