2000年4月中旬の日常

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2000年4月11日(火)

『どんどん橋、落ちた』は本格ミステリという創作スタイルの、歪な子供である。その細部を眺めれば、社会的な歪み、長年に渡って長篇をものにすることが出来ない作者の懊悩が垣間見える。その表現の性質は誰かを傷付けかねないものがあるのだろうし、その危険には目を瞑れないものがある。(実際、その自家中毒ぶりは「本格ミステリ」の未来を壊しかねない、と指摘する向きがあることを、作者自らが語っている)
 でも、たとえどんなに歪んだ子供でも、間違ったことをしかねない子供でも、可愛い子供を――本格ミステリというジャンルが産んだ、少し奇妙な姿と心を持った子供を、歪んでいるからと言って殺すことは出来ない。現実の人と子供との関係と同じように、その屈折を知りつつも、愛していることは変えられないからだ。創作の上では、「愛しているが故に殺す」という行為もあるのだと理解し、その事実が必要とあれば作中で何人だって殺す覚悟がある私でも、――現実の世界で、私自身がそうすることも、他人にそれを許容することも出来ない。折角生まれてきたのだから、生きたまま愛してあげたいではないですか――? だから、私は『どんどん橋、落ちた』という作品を今までも、無論これからも愛し続けるし、それを殺そうとする相手は断固として拒否する。
 二晩煩悶した挙句に漸く絞り出した、これが私にとって一番根本的な解答だった。これ以外の答え方を知らないし、これで納得していただけないなら、もうあとはご随意に、と言うしかない。
 改めて、これが最後です。私はもう二度とこの問題に触れません。あの爆弾を取り出す気もない。

 それから一日。……取り敢えず、疲れました。私も想像力と理性の伴わない表現や解釈に憤りを覚える、それだけは同感だ、とだけ。しかしそれは本来、受け手の自由であって作り手が憤っても批判してもいけないことではあるのだけれど……。


2000年4月12日(水)

 色々ありまして、この日は久々に日記の更新を休ませていただきました。どれほどいらっしゃるか解りませんが、毎日楽しみにして下さっていた方にはお詫びいたします。ごめんなさい。

 これを書いているのは13日の夕方、流石にこの日の行動をすっぽり忘れてしまったという訳でもないのですが、遡って書くのは取り敢えず止しておいて、この日記における私自身のスタンスの確認をさせていただきます。

 基本的には日常について、多少の潤色を行いつつだらだらと綴っているに過ぎません。潤色するのは、実はこのホームページの存在はかなり少数の身内にしか伝えていない(知っていてもアドレスは教えていない)のですが――別に言う気がなかったのではなく、言う理由も機会もなかっただけ――、彼等が何かの拍子にここを訪問したとき、自分のことを書かれていると咄嗟に気づかせないためと、一応のプライバシー保護を狙ってのことです。無論、本当に読まれてやばいことは伏せますが(幸い今の処そうした事態には遭遇していませんが――はて、これは真か偽か?)。
 また、出来事とは別に、その時々の所感について綴ることもあります――というより、何も書くことがないときは大抵思いつきをだらだら綴っているのですが、これはあくまでもその時点での感想であり、恒久的に主張し続けようとしている事柄ですらなく、まだ一年に満たないこの日記の中でも私の主義主張は変化し続けている筈です。それらを過去に戻って訂正することはしません。これはあくまでその時点の私の思いを、人に見せられる程度に加工して披露し記録しているもので、それを未来の視点から改竄することはなるべくしたくありません。それが誰かを傷付けたり、事実と異なっていると捉えない限りはそのままにしておきます。――換言すれば、指摘されても書き換えない部分にはそれなりの真意がある、ということです。
 そしてもう一種類の描写は――時として、誰に対して、何を語っているのか解らないもの。その殆どは所感なのですが、敢えて対象を明瞭にしていないため、理解不能と捉えられることも不親切と捉えられることもあるかと思います。が、実の処、この描写こそ私が愚にもつかない日記を綴り続けている最大の理由のひとつなのです。
 そもそも文章というものは、主語の有無や描写の曖昧さを取り混ぜることで、如何様にも解釈できるものになります。主語や目的語を明確にしていても主旨を取り違える場合があるのですから。更に、その文章を読む人間の精神状態、知識量などにも強く左右されるものです――私はその点、悪趣味な人間であり、この「その人の精神状態や知識量などに」よって解釈の変化する文章を、意図した上で書くことがあります。無論、一応こんな人にはこんな風に読まれるだろう、という格好で照準を定めた上で、です。――ただ、元々受け手の状態によって捉え方が変わるものですから、場合によってはこちらの意図しない受け止め方をされることも少なくないかと思われます。私が望むのは、その解釈を即ち私の文意と早計に捉えることだけは勘弁していただきたい、ということ。私が何か思いつきを書くときは、大体ネット上のどこかでその契機を得ていますから、私の真意を探ることはさほど難しくない筈ですし、ある程度想像する力があるなら、私の言いたいことが一義的でないことはお解りになる筈ですので――仮にそれが何かを攻撃・揶揄しているように感じられたとしても、それを即ち私の真意と取っていただきたくない。
 もう一種類、時として私信をここに書く場合がありますが、そういうのは受け狙いなので、その裏事情を適当に類推して楽しんでいただきたい――結局、あれこれ書き綴りましたが、私は基本的にこの日記を、ホームページを訪れて下さる方々に娯楽の一環として提供しているに過ぎません。何を書いているにしても、書いていない裏側を適当に(まあ、ある程度は好意的に)解釈して戴き、私という人間の生活と思考をあれこれ想像して楽しんでいただきたいと、その為に書き続けているだけなのです。ただ、繰り返し申しますが、その想像が即ち私そのものだと思われませぬよう。私自身でさえ掴みかねている「深川 拓」という人間の実像を、ここに記した断片だけで完璧に理解したと思い込まれるのは、流石に不本意です。

 うーん、短く纏めるつもりだったのだけど。一日書かないとフラストレーションが溜まるらしい。
 とにかく、少し目を向ける方向を変えた方が良さそうだという気がしてきたので、当分の間ネット上での行動範囲を狭める予定。元々あまりに様々なことに関与しすぎたのだし、ここらで自分が本当に目指していた方向に意識を傾注しようと思います……何のことかは、こちらをよく御覧の方ならお解りですよね?


2000年4月13日(木)

 昨日から今日にかけては、毎週の恒例通りそこそこ忙しかった。その間、懸案の作業も進行……していない。以前着想して、おおまかな設定だけメモしてそのまま放置していた長篇ホラーの構想が突如として固まってきたので、話に筋道を付けつつ大雑把なプロット作りに着手してしまったのである。まあ、件の作業も最後の詰めにかかっており、これ以上どこを描き込めばいいのかどこを排除すればいいのか迷いが出てきた処だったので、リフレッシュ代わりに好都合だったかも知れない。それに、プロットに纏めさえしておけば後々楽になるのは間違いないし。
 合間に例の如くバイト先へ向かう。途中、噂のど派手な都バスをはじめて目撃した。商品名は忘れたが(意味ないじゃん)清涼飲料水のラベルと同様のペイントが施されていて、流石に違和感は禁じ得なかったが町並みの中で映えていて意外と面白い。広告によっては酷いことになるだろうが、私はそれなりに評価します。それにどこもかしこも財政難なんだから、お金のあるところからこういう形で流して貰えれば、ね。この時バイト先では何も買わなかった。室井滋と宮部みゆきの共著が出ていたが一旦保留する。
 午後は午前中にこなした仕事と午後に入った仕事との訂正に追われて終わる。某社が二つの新聞に掲載する社員募集広告を扱ったのだが、これの校正指定がちょっと興味深かった。文面は全く同じなのに、片方のみに文字数にしてたった四文字追加しろ、という指示だった。本当にこっちだけでいいのか、と受注元と実際に話をした父に確認すると、なんでも一方の新聞社は審査基準がより厳しいのだそうで。ほお。因みに書き加えた言葉は「社会保険完備」。ナイス。
 別の仕事の訂正ではまたしてもフォントの兼ね合いに苦しめられた。問題は、編集用のMacと出力用のMacで搭載しているフォントが食い違っていることにある――印刷に使用するフォントは、通常のPCで使用されるフォントよりも精細な作りになっているため、通常のフォントとは別途に売られ、しかもかなり値が張るため、存在する全ての印刷用フォントを導入することは出来ない。加えて、私の職場ではデータ出力用の設備を整えるときにも色々と特殊な手続きを踏んでしまったため、搭載しているフォントの全容を誰も把握しておらず(なんだか毎回言ってますがこの台詞)、出力してみるまではデータ通りに出力できるかどうか解らない、という厄介な現実がある。今回のトラブルもその類のもの。尤も、こっちも一年近くこの仕事をやって来たお陰で、多少のトラブルなら力業で回避できるぐらいにはなった。編集用のMacでは正常に見られる書体なのだが、出力用では扱えない。となれば話は簡単、見えているフォントの真上に、同じものをアウトライン化して重ねればいいだけの話。こうすれば、他の通常の文字データとアウトライン化した文字列を併用したときの違和感も最小限になる。しかし、完全にアウトライン化したデータと、フォント指定のみの元データを同梱して貰うよう頼んだのは私だが、編集用のMacでは正常に見えても出力に廻すと異常を来す、というケースが想定されるうちはアウトライン化して貰った方を利用するべきなのかも知れない。でもなあ。アウトライン化した奴だと校正や出力の時にやったら処理に時間がかかるからなぁ……。
 職業上の悩みは尽きず。取り敢えず騙し騙しやるのみである。

 夕方のバイト先訪問では漫画だけ買った。吉住 渉『ミントな僕ら』(集英社・りぼんマスコットコミックス)が終わってちょっと淋しい。内容は終始ドライなままだったがこういうのもありだろう。ちゃんとハッピーエンドだったし(納得できないと言い張る向きも結構いそうに思うのだが)。

 さて明日は倉阪鬼一郎さんのサイン会に行くのである。前の綾辻行人さんの時のように、終いまで客の様子を眺めているのも面白いが、気力の消耗著しいのでサインを貰ったあとはそのまま帰るかな……。


2000年4月14日(金)

 コンシューマー機の、それも大手から発売されるビッグタイトルである、或いは出荷本数が諸般の事情から異様に少ないといったことでもない限り、ゲームソフトが発売当日に売り切れることは考えられない。それで売り切れる場合はユーザーの潜在的欲求を市場が読み切れなかったということであり、それを予測できなかったこちらが悪かったのだと諦めることは可能なのだけど……と無駄な理屈を捏ねるのは止しましょう。私が新発売のソフトを買いに行くときには三つのパターンがあって、1)出勤前にソフト屋に行って購入する、2)早めに出勤し午前中の仕事を早めに片付けてから買いに出る、3)普通に出勤し、その日の仕事を完遂したことを確認してから、帰途に寄り道して買う、といった具合。その何れを選択するかは、購入予定のソフトの知名度と推定出荷本数のバランスと、何より私自身がそのソフトにどれだけ期待をかけているかを秤に掛けた上で決めるわけである。シミュレーションゲームチック。但し、最近は期待度などに関わりなく1)は選択することを許して貰えません。私の出勤が遅くなると本当に仕事が滞っているんだもの。
 今日、私が2)を選択していそいそと買いに行ったのは『真・瑠璃色の雪 〜ふりむけば隣に〜』(アイル[チームRiva]・18禁)というソフト。私が18禁ソフトに興味を持つようになった当時にPC98シリーズ対応ソフトとして発売されたが、その時点ではまだPC98を持っていなかった為に手を出せず、のちにある事件を契機に98を購入したものの、時機を逸してしまったという感が強く、その後Windowsに移植されるという噂を聞いて以来ひたすらその発売を待っていたものである。当時の高い評価に期待してのことだが、果てさていかほどのものでしょうか。この日記を書いている現在、やっと冒頭が終えた程度だが、システム、シナリオのセンスなどはなかなかの水準に達しているようで依然期待は大きい。たまには最後まで裏切られないことを祈るばかり。処で今になってふと思ったんだが、振り向いて見えるのは隣じゃなくて後ろじゃないか? ……些末? いいやんちょっと気になっただけだよぅ。
 ついでに、予定になかったソフトを一本購入した。『あすは恋して Prime Beat Planet』(UNBALANCE)という奴。コンシューマー系の3Dアクションゲーム類のPC移植が主だったUNBALANCEが、定価3980円という安価で発売した恋愛シミュレーションゲームである。最初1月何日だかの発売を予告され、それが今日まで延期されたものだが、1月予定の時点では全く興味がなかったものの、今日店頭で実売価格3000円程度という安さを目の当たりにして、思わず手に取ってしまったのである。ちょっとだけ遊んでみての感想は……悪くない。CGが荒いとかシステムがどこか不親切で全体的に雑さが目立つとか色々言おうとすれば言えるが、少なくともコストパフォーマンスはいい。「話の種」という概念とその扱いで独自性とゲーム性を高めており、遊び方次第ではお釣りも期待していいかも知れない。私は今初めて入手した「悩みの種」の扱いに手間取っているのであった。解決の糸口は掴めないし入手から二週間ぐらいで当人が諦めてしまうし。
 ソフト屋から職場への帰途にバイト先に寄る。今日の買い物は小野不由美『風の海 迷宮の岸』(講談社文庫)と定期購読の『Jazz Life』の二冊のみ。帯によると十二国記は来年の一月までにかけて順次講談社文庫で再刊し、来年の今頃に書き下ろしの最新刊を出す意向らしい。考えたな小野不由美。それなら取り敢えず来年までは間が持つ。などと想像する私は邪道でしょうか。
 最近『Jazz Life』を読んでいると危険を感じる。無制限に買いたくなるのだCDを。今月中旬から末にかけて発売するものでは綾戸智絵の新作は外せないしロイ・ヘインズのトリオも選曲から非常に聴いてみたい。この間店で見かけつつ金銭的事情から泣く泣く見捨ててきた新人ジェシ・ヴァン・ルーラーも次はチェックしておきたいし(そもそもここで見捨てた作品は1996年に収録・本国で発売されたものだが、今年に入るまで日本での発売が為されなかったものらしい。その所為で早くも6月には第二作が発売されてしまう――)、沖縄出身で「ハニー・トーン」と形容されるヴォイスの持ち主らしい仲宗根かほるというヴォーカリストのアルバムも、アーティスト本人もさることながらサポートメンバーの充実ぶりに興味が惹かれる。来月冒頭には、この人だけは一度聴かなくては、と思い続けていた渡辺貞夫の最新盤がリチャード・ボナの全面サポートによって発売されるし、更に中旬にはチック・コリアのピアノ・ソロ・アルバムが二枚同時(これは先月号での情報だけど)、そしてこちらも必聴と心懸けていたマイルス・デイヴィスの最新リマスター盤が都合八枚復刻されると来ている。更に時計を進めて六月にはパット・メセニー・グループにおけるパットの名サポーター・ライル・メイズ三枚目のソロアルバムが出るというし……ほら際限ないでしょ? ここでは主に海外のアーティストに目を向けているが、無論日本人も忘れていない。江川ほーじんやファンキー末吉というどこかで聴いた名前のアーティストが率いるグループの作品とか多分この人のギターを耳にしたことがない日本人はいないだろうというギタリスト・松原正樹の最新ソロアルバム、今更ながら松本英彦にもチェックを入れている始末……尤も、どんなに熱心にチェックしても無意味なのだけどね、一度に買える本数には自ずと限界があるんだから。
 そうそう、特集記事を読んでいて目から一枚鱗が落ちたのだった。おっさんと(何故か)猫がモダン・ジャズの定義について議論を交わすという妙な構成だったが、全体に非常にディープな分析・批評ぶりで、入り立てのリスナーにもなかなか興味深い記事なのだが、その括りにギタリストのジャズ寄り・ポップ寄りを演奏を聴かずして見分ける方法がある、という一節が見える。つまり、ポップ寄りのギタリストはストラップを長く、ボディをより腰に近い位置にして演奏するが、ジャズ寄りのギタリストはストラップを短く、胸許に近い位置にして演奏する、というのである――非常に納得した。確かに。例としてジミー・ペイジとパット・メセニーの写真が並べて掲載されているのだが、これがあからさまにギターの持ち方が違うのである。よく見ればジャコ・パストリアスも、ボディの位置は高い。成る程成る程、と盛んに頷く私。というのも、昔エレキギターが手許にあったとき、私は腰だめで持つよりもストラップを短くして胸に近い位置に調整して弾くことを好んだのだ。手前の技量はこの際考えないとして、既にこちらに傾斜する資質は持っていたとも言える訳やね。言いたければな。言いたいんだよ悪いか。

 日中はこれで殆ど終わる。夕方、頃合いを見て職場を発ち、三省堂へと向かう。開始予定時刻より四十分ほど早くついてしまい、見た処会場の準備すら行われていない。あちこちぶらついて時間を潰す。どっかに知った顔はないかと思ったが、ここ数日の展開で憔悴しきっていたため熱心に探す気にもならず、今準備している作品の資料が置いてある場所をひととおり点検して廻った。眺めているうちに、全体を引用したり利用したりする必要がないものなら図書館で探した方が早いんだよなと気づくが、一応場所だけは記憶に留めておく。その間も、店内放送が盛んにサイン会の開催を宣伝していた。あまりに頻繁なので余計な心配をしてしまう。
 五時五十分頃に会場に向かう。杞憂だった。会場がエスカレーター際のやや広めのスペースに設けられていて、客をただ一列に並べてしまうと一般客の不都合になりかねない場所だったため、先頭の七、八人を会場の側に、列の本体そのものは職員用の階段に作られている。案内されて階段に向かうと、最後尾は三階近くにあった。開始以降も続々と人が詰めかけている。余計なお世話だと思いつつ安心する。ちなみに私のふたり前には森英俊氏がいらっしゃった。しかし理由が思いつかず声をかけられず仕舞。如何せん接点がないから。森さんの前後お二人はどうやらワセミスの方のようで、つまりその辺から数人に渉って知り合いが続いていたらしい。自分の番になって思わず「すいません」と言ってしまう――いやこれは私の口癖なんだけど。倉阪さんの肩にはいつものようにミーコが、傍らにはかたつむりのスワーリーが鎮座ましましていました。既にかなりの量のサインをされていた所為か「拓」の字がよれたことを気にされていたようだったが私にはこれで良し。
 そのあとは、階段の人いきれと自分の服装が祟ってかなり発汗し、ここ数日の疲れもちょっとピークに達しつつあったので、さっさと帰宅することにした。この時近くに知り合いがいたらしいのだが全く気づかず。しょうもない。

 ……だらだらと過ごしただけのつもりだったが、こうやって書くと異様に濃かったんだな、今日一日……


2000年4月15日(土)

 途方もなく疲れの溜まった一週間であった。一日だらだらと過ごすが色々と収穫があるのはこれ如何に。北上秋彦『呪葬』月森聖巳『願い事』(ともにASPECT A-NOVELS)を入手し、更に夜、親父がゴルフ帰りに連れてきたお客さんが映画のチケット三種各二枚をくれる。らっきぃ。だが見に行く時間及び気力は私にあるだろうか。因みに映画のタイトルは『ザ・ビーチ』、『マーシャル・ロー』、『完全犯罪』。解る人にはどういう処から廻ってきたチケットなのか一目瞭然であろう。
 だらだらしている以外は主に某サイトの部分的更新などを行う。創作も、ちょっとだけ。何はともあれ部屋を片付けたい――それが一番大変だという気がする。

『真・瑠璃色の雪 〜ふりむけば隣に〜』(アイル[チームRiva]・18禁)、取り敢えずふたり分のエンディングを見る。私にとっては実に久々に、システム・シナリオ共に佳作と言える出来でした。システム的には、音楽をMIDI二種・CD-DAと都合三つ用意したこと、インストール面で融通が利くようになっていることなどで、HDDの残り容量が少ないユーザーに配慮しているのがいい。ウィンドウ表示にしたとき異様に動きが重くなる、テキスト表示部やシステムコマンド表示部など(ウィンドウ表示にするとイベントCG部まで)がウィンドウ形式になっており、ドラッグすることで配置を自在に換えられるのはいいとしてもフルスクリーン表示ではその恩恵が全く受けられない――一度でもエンディングまで到達すると、キャラクター毎のパラメーターが一覧できるウィンドウが表示できるようになるのだが、これがフルスクリーンで表示させるとイベントCG部分の三分の一ほどを覆ってしまい邪魔なことこの上ない、だがソフトそのものをウィンドウ表示に切り替えると動作が重い――という具合にジレンマがあったり、ちょっとつつきたい部分もままあるが、全体としては合格点。マウスの右クリックに、幾つか用意されたアクションの中からひとつを割り当てられるのが特にいい。私は右クリックにメッセージスキップを割り当て、重宝した。
 シナリオも、一通り見たふたりのキャラに関して言えば、まあ有り体の内容に過ぎないのだが、主人公らのキャラがきっちり確立されている、細かなイベントにおける台詞のやり取りがツボを微妙に捉えていて気を逸らさないなど、流れの作り方がいいので、プロローグからエピローグまでが比較的長めなゲーム展開も飽きさせず最後まで続けさせてくれるとあって非常に印象が宜しい。あくまでもふたり分しかプレイしていない段階での感想だが、当時の好評も納得の出来である。久々に、この手のゲームに免疫のない方にも勧めてみたくなるタイプのゲーム。ただ、シナリオ全体の量と比較すれば多くないにしても、どうやら一人のキャラにつき三つ程度用意されているらしいHシーンは、それが目当てではないと引きます。まあその代わりにメッセージスキップもスムーズだから、嫌いならば飛ばせばいいだけの話。だからこそ右クリックに様々なアクションが割り当てられるのが嬉しいのだ。
 夕方ぐらいからはこいつ一辺倒だったので『あすは恋して』は全く進まず。しかしこの二本、どちらもソフトのデザインやシナリオの雰囲気に既視感を覚えるのだが……『STARS』とか『初恋ばれんたいん』とか、一般人に言っても解らないだろうソフトに、とてもよく似ている気がするんだけど……?


2000年4月16日(日)

 だらだらな休日の二日目。私はひたすら呑気にゲームでもしていたかった(それどころではないと焦りを感じつつも)が、両親がドライブに出掛け、そのあとで行きつけの蕎麦屋に行くというので、主に後者の色香につられて同道した。
 ドライブ、と言っても本当の目的は、カーナビの性能を試すことにあるようだった。二日ばかり前、親父が仕事用にリースしている車を交換し、その際オプションから選択したものらしい。後学の為に私もその性能を拝見することにした。
 遠出する必要はないので、目的地は近場に設定する。安行。造園の盛んな町で、浅草で毎年春と夏の境に二度行われる植木市に大量の植木を出品することでも知られている。うちの両親はここにある道の駅に時たま出掛けているようで、今の住居に越してきた当時はそこで花水木だなんだと植木を買ってきて、猫の額程度しかない庭を殆ど埋め尽くしてしまった。まさかまた何か買ってきて庭を狭くしてくれるんじゃないかという危惧を抱きつつ、まだ操作手順が解らない(というか我が家で一番機械に弱い)父親を押し退けて場所を設定する。「安行道の駅」という項目は存在しないので、首都高の安行出入口を代わりに指定して出発。クオータービューの地図がハンドルを切るたびにじ、じ、と微動するのが気持ち悪い。また、私たちの住居がある区域は路地が入り組んでいるためか、やや正常な動作に支障があるらしい。最初のうち明らかに別の交差点を指示していたが、それなりに名の通った街道に出るとちゃんとした指示を始めた。――と言っても、途中までの道筋は行きつけの蕎麦屋までの道程と一致しているので、参考にはしていない。ただ動きを確認しているだけである。高速への侵入を指示されたところで一度刃向かったが、以降の針路が全て高速高架下を通っていたためかそれを非難されることはなく、無事に安行に到着する。目的地にチェッカーフラッグが立っているのが愛らしい。ちょっとだけな。
 安行道の駅は高速出口から程近い場所にある。休日のためか結構車の出入りが激しい。幾つかの施設が存在するらしいが、思うところがあるらしく両親は脇目もくれずに緑化センターの方へと脚を向けた。諾々と付き従う私。
 元々緑を眺めることは嫌いではないので、適当に付き合っていたのだが、そのうち「写真に撮っておけば、後々資料に使えるかも」と思いつき、私はほぼ常備しているデジカメで手当たり次第に植木を撮した。普段宴会や催し物などで人間を撮すときはあれこれ遠慮が出てしまい、何時間いても結果としては二十枚にも満たない、というパターンが多いのだが、今回は「資料に使う」という明確な目的意識と、ランダムに撮るのではなく種類ひとつひとつに焦点をあてて、という方法が私を促して、気づくと34枚も撮っていた。これだってプロや写真好きからすれば微々たるものだろうけれど。
灯台躑躅 さて両親はと言うと、あれだけ庭が埋まっていれば今更植木もないだろう、というこちらの予想を見事に裏切り、親父が職場のこれまた狭い庭に植えると言い出して、ドウダンツツジ(灯台躑躅と書く・写真参照)を一株買ってしまった。内心やばいんじゃないかと思っていたのだが、トランクを開けてみると案の定縦には収まらない。しかもトランクの荷台はその足許を大半がゴルフバックに占有されている。斜めに押し込まれても尚丈が足りず、僅かながら花を散らされる羽目となった。思わず哀れんでしまう。
 さて行きつけの蕎麦屋に向かおう。今度はカーナビに蕎麦屋の電話番号を入力してルートを検索する――も、流石に小さな店の電話番号が登録されている筈もなく、その電話番号が存在すると思われる一帯の入口にフラッグが立った。幹線道路主体にルートを設定したので、市街地を貫くうねった道をひた走る。しかし目的地に近づけば近づくほどナビは馬鹿さ加減を露呈するのであった。既に知っている大通りに出ており、その右手に目的の蕎麦屋があるというのにカーナビは「ルートを外れたので再計算します」という表示を呑気に繰り返す。終いには鬱陶しくなってきて、誘導を中止させた。私はこれで大体御し方が見えてきたが、問題は親父がどこまで使いこなせるかだろうな、と他人事のように(実際かなり他人事なのだが)思う。
 処で、行きつけの蕎麦屋の親父は私を見かけるとすぐに「うどんの大盛り」を用意しているんじゃないだろうか、と最近疑っている。今日は若鳥のうどん普通盛り・揚げ玉乗せというやや変則的な注文にしたのだが、食い終わってからの胃のもたれ具合はどうも大盛りのそれのように思えてならない。だとすると、私は普通盛りを頼んだ方が得をする、ということになるのだけれど……気のせいだな多分。

 やるべきことも放り出して『真・瑠璃色の雪』続行中。更に数人を攻略したが、なかなかの名作と断言してもいいかも知れない、と思い始めている。シナリオは所謂ラブコメの域を出ていないが、やはりシナリオに対する気配りが光っていて、飽きさせないのだ。私が理想としているのは、横の繋がりもきちんと描いた物語性なのだが、その点でも及第している。というのも、攻略に当たって途中までは連携的にシナリオを進めなければならないキャラクターが多く、あるキャラクターについてはふたまたと純情一途の二通りの展開が用意されていたりして、周到。特にふたまたの果ての結末には内心喝采を送ってしまったほど(これからプレイする人のために一応どういう結末かは伏せておくが)。まだ四月も半ばで気が早いと言われるかも知れないが、今後突出した対抗馬が出てこない限り、本作の年間ベスト入りは確定した、と言い切ってもいいと思う。オリジナル版を遊ばなかったのが心の底から悔やまれる。くそう。


2000年4月17日(月)

 職場へ行くと親父が躑躅の剪定をしていた。私の仕事はなかった。ちょっと作業をしたあとバイト先へ行き、島田荘司『御手洗パロディ・サイト事件(上)(下)』(南雲堂)八雲意宇『フォークソング』(ワニブックス・CaRROT NOVELS)とカドカワミステリの最新号を買って帰る。すると既に躑躅は大振りの鉢に収まっていた。暇なんだね要するに。
 八雲意宇『フォークソング』というのは、同名の18禁ソフトのノベライズ。この手のものには珍しく、シナリオ担当者自ずから書き下ろしている。あとがきを見ると、当初目指していたテーマは「誘うまでを書きたい」で、担当氏は新しい切り口だと応えたらしいのだが……そうか? ……そんなに珍しいか? それってただ話をどこまでで一区切りとするかの問題でしかないし、他のジャンルでは珍しくもないでしょ? 他のジャンルでは、という但し書きは付くにしても。

 午後、小遣い稼ぎのための写真を撮る。一応仕事ということにはなっているのだが。印刷に利用する写真なのだから、もっと性能のいいデジカメで撮るべきだろうと思うのだが、要は相手方にそれ程予算がない訳である。狭いとこでせこせこと撮影しているから、写真の状態もそんなに良くないのだけれど……まあ、その辺を考えるのは私の仕事ではないらしいので。因みに今日はこれが唯一の仕事だった。寒いね。

『真・瑠璃色の雪』一応全キャラコンプリート。おまけシナリオも見た。だがCGもシーン再生も抜けが多い。このゲームでは好感度や、アイテムの作成を巧く行ったか否かでイベントが変化する箇所がかなり存在し、その攻略を目指そうとするとかなり深く遊べる筈。キャラクター毎のイベントを完全制覇しようとした場合、かなりシビアなスケジュール作りが要求される為、そういうプレイが嫌いだがCGは全部見たいという怠惰な方には些かしんどいだろう。私も、凝り性の割にはやや辛抱が足りない質なので、まだ暫く遊ぶつもりはあるが結局コンプリートせず止めてしまう可能性も大きい。他人様のサイトに頼れる攻略データがあるならば、それを眺めつつイベント攻略に努めるところだが、未だキャラクター攻略に偏ったページばかりで(それでもヒロイン・瑠璃の真のエンディングがなかなか見られなかったので、そこだけは大変御世話になったのだけど)、私の助けにはならない。久々に「遊んだ」という気分にさせてくれたが、はて、あと何日持つのやら。


2000年4月18日(火)

 今日の買い物、雑誌が二冊、漫画が全部で五冊、それと富士見ファンタジア文庫が一冊に、何故か笹沢左保『お不動さん絹蔵 捕物帳』(光文社・カッパノベルス)。笹沢左保の最新捕物帳であることと、粗筋にあるやや得意な設定に惹かれたのであった。読みもしないのに集める本ばかり増やすなよって。

 今日買った漫画の中には小池田マヤ『聖☆高校生(2)』(少年画報社・ヤングキングコミックス)も含まれているのだが……最近、この人の漫画は読むのが辛い。何度も触れているが作品の傾向が似てきた上、全てどこかしら身を切るようで痛いのだ。そういう作品が嫌いだというのではないが、殆どそうだとちょっと辛い。以前なら『おかえり まーさん』が、最近では『ときめきまっくん』がそのアクを中和していたのだが、両方とも終わってしまったし。昨今の小池田マヤの特徴は、オブラートに包んだりしない剥き出しの生々しさと、所謂それがそうだと信じられている類のリアリティを巧妙に予定調和に取り込んでしまっている辺りにあると思うのだが、双方とも抑制が巧く利かないとワンパターン・(読む側の)気力の消耗に繋がるため、或いはどこかで損をしているのではないかと思う。今の処それが売り上げに跳ね返っているとかいった現実的かつ卑近な悪影響を及ぼしている模様はなく、寧ろだからこそ受け入れられているのかな、とも思うのだが、私個人はかなりしんどくなってきている。また例えば、どれかひとつのシリーズのみを重点的に読んでいれば、その切り口は爽快でさえあるのかも知れないけれど。逆説的に、サザエさん的なマンネリズムを肯定しているのか、と捉えるのは多分穿ちすぎだ。それでも、もうちょっと「まんがタイム」系統の穏やかな作風に時々は触れたい、と願う古いいちファンなのであった。

 冒頭から仕事に触れなかったのは、殆どしていないからである。一応触れると、先日出力したデータを別の雑誌に送るためサイズを変更して再度出力したのと、あとは昨日撮影したデジカメ写真のデータを職場のMac上で点検・整理し、ついでに形式をPhotoShop EPS形式に変換してからMOに落とした、それだけ。あとは漫画を読み(最近すぐに貯める癖がついてしまったため、買ったものはなるべく端から読むように心懸けているのだ)、ちまちまと作業を続ける。

 バイト先でまた新しいバイトの募集を始めた。日中の店番が少ないのが悩みらしい。やらない? と訊かれたが無論やらない。暇は暇だがいつ仕事が来るか解らないのが私の悩みなのである。まして、そろそろ週一のバイトも限界かも、と内心思っているぐらいだし。それでもしらばっくれて毎週出勤しているのは、その小遣い程度の収入が私にとっては馬鹿にならないからでもあるんだが。でもやっぱり週二日三日となると、やっぱり、どうも。


2000年4月19日(水)

 ……あれ。ぼさっとしている間にもう四月も中旬が終わりかい。過去の日記へのリンクも直してないや。あいやー。気づいたのでさっさと変更する。

 午前中に届いたデータを一通り片付けたあと、とうとう耐えきれなくなって、ジャズのCDを仕入れに行く。我慢していたのは21日発売の新作が出てから纏めて買おうと思っていたからなのだが、そちらはまあ、来月以降に廻すぐらいのつもりで。棚の前であれこれ悩んだ結果、購入したのは今日付けで発売された新作二枚と、ちょっと前に発売されたもの一枚。まだ評価の固まっていない作品ばかりを買う、というのは多分初めてである。

 まず、日本人女性シンガーの仲宗根かほる『fragrance』(M&I/Pony Canyon)。ここに来てヴォーカリストへの興味が湧いてきたこと、収録曲の中にStingの「Englishman in New York」が含まれていたこと、雑誌の紹介にあった「ハニートーン」という惹句に誘われたこと、という三点から、その実際も知らずに端から必ず買うつもりでいた一枚である。今日付けで発売。
 雑誌の解説ではやや要領を得ず理解しきっていなかった「ハニートーン」だが、日本におけるそのスタイルのヴェテランが水森亜土と聞くと得心する。技術面でツボを押さえながらも、ニンフのような媚態を含んだ甘い声が確かに魅力的。全体にスローな演奏に瑞々しい色香を含んだ歌い方をしているのだが、気になっていた「Englishman in New York」は声の弾みを幾分押さえ、卓抜した表現力を披露している。サポートの控え目ながら堅実な演奏、アレンジも素晴らしく、翻ってこれだけの面子と対等に渡り合っている実力は既に確かなものと言えよう(実際、だからこそ三作目にしてこれ程のサポート陣を得られたのだろうし)。これは今後もチェックさせて貰おう。スリーブの寄稿文にある「60才に受ける歌手かもしれない。あるいは中高年専用歌手。」という言い方が無性に気になるのだが個人的に。

 次に、今通して聴いている最中の『The Roy Haynes Trio featuring Danilo Perez & John Patitucci』(impulse!/Universal Victor)。今年で実に75歳という大ヴェテランドラマー・ロイ・ヘインズの最新リーダーアルバム。彼がこれまでに競演した偉大なプレイヤー達の楽曲を演奏し、それぞれに捧げる、という主旨である。私にとってはやっぱりパット・メセニーの『Question and Answer』及びゲイリー・バートン&チック・コリアなどとの『Like Minds』のセッションがお馴染みなのだが、双方に収録されている名曲「Question and Answer」がピアノトリオ編成にて演奏されているのが私の興味を惹いた。なので買ってすぐ、一曲目は飛ばしてお目当てから聴いてみたのだが――予想に反して非常にタイトな演奏。聞くところに拠るとロイ・ヘインズは自身がリーダを務めて演奏する場合、最小限の打ち合わせのみ行い、あとは各演奏者の技術をその場で引き出すことに専念するそうで、一同の緊張感はかなりのものがあるらしい。その緊張の高さが、如実に反映された一曲だったのかも知れない。聴きながらその躍動感に身を委ねるといった雰囲気のあった過去二つの演奏と異なり、その緊張感に交わることで別種の感慨を生もうとする、そういった精神の演奏。録音されたものとして提示されたからには、一度や二度で評価を下していいものではなく、何度も聴き返しその都度変化する耳触りをこそ堪能すべき演奏だろう。だから取り敢えず好みだけで言ってしまうが、私は過去の演奏の方が好きだ、今の処は。不思議なのは、他の曲(特に後半に収録されているライブ録音)はまだしも肩の力が抜けている印象があるのに、「Question and Answer」が特に緊張感が高く聴こえること。一番最近の話題作だった筈だから、その辺の力みもあったのだろうか――? あくまで初心者の憶測だけども。

 もう一枚はJesse Van Ruller『European Quintet』(bluemusic)だが、まだまともに聴いていないので感想は明日廻し。パット・メセニーにジム・ホール、ジョン・スコフィールドといったギタリスト達に激賞された新人――と言ってもこのアルバムがヨーロッパで最初に発売されたのは三年ほど前で、間もなく第二作も日本盤が発売されるらしい。欧米では既に評価が確立され、売れっ子となっているそうな。

 ……しかし、ミステリ系のページとは言えない状態だなここ。

 仰向けにした猫の脇の下を掻くと腕、じゃなくて前肢がぴぃぃぃんと伸びることを発見する。だからどうした。しかも何故だかとても嬉しそう。


2000年4月20日(木)

 雨が降ると猫の時計が狂う。大体寝っぱなしだが、輪をかけて怠惰になりちょっかいかけても乗ってこないことすらある。深川の場合、それに「木曜日」という条件が付与すると……日記のネタがなくなるのであった。でも絞り出す私。

 まず、昨日後回しにしたJesse Van Ruller『European Quintet』(bluemusic)について。……だがどうもタイミングが合わず、ふた廻りほど聴いたのだが気が入っていなかったため具体的な印象がない。ただひとつだけ言えるのは、非常に骨太で硬質のジャズを実践しているな、ということ。ギターはディストーションやシンセサイザーなどの混ぜ物がないシンプルな音を出しているのだが、表情が豊かでそれに注意を傾けるだけでもかなりの聴き応えがある。また、新人ギタリストの初リーダーアルバムということで、もっとギター一色の構成かと思いきや、他の楽器も曲中で均等にフィーチャーしており、カルテットとしての完成度も(タイトルに冠するだけあって)かなり高い。まだ聴き方が浅いので今後の付き合い方を決定するには至っていないが、非常に感触は良し。もう一度詳しく触れるかも知れないが期待しないで。しないか。そうか。

 印刷業界のマニュアルに、「フォントのアウトライン化をサポートしていないソフトウェアによるデータは、100%同一のフォントを使用している、と確信の持てる環境下でのみ交換する」という項目は存在しないんだろうか。フォントを差し替えて済むなら幾らだってやるが、それでデザインが壊れてしまうのは不本意でしょうに。デザインに対して拘りがないんだったらそれでもいいけど。
 自分の職場にマニュアルが存在せず、自力で構築するしかないという状況下で一年以上努力して、まあ職場とその周囲でのことならある程度フォローできるようにはなったものの、結果解ったのは業界におけるデータ環境が如何に混沌としているか、ということだった。ぼちぼち諦念に近づきつつあるけれども、今でも時々苛立たされるのである。

 イタそうだったので何となく読み進められなかった小池田マヤ『聖☆高校生(2)』を一気に通読する……展開が割と必然的だったためそれ程痛くはなかったが、やはり生々しさが先に立ってしまってしんどい。しんどい、と言い切る理由は他にも幾つかあるが……解釈するのが面倒臭いので以下略。看板に泥を塗らないためにも楽しい展開にしていく、というあとがきにおける著者の弁を信じて、三巻以降を待つとします。

 作業の狭間にあって遅々として進まない読書。その間にも標高を上げていく積読の山。本日の新着はやんぐあだると系二冊と芦辺 拓『名探偵博覧会 真説ルパン対ホームズ』(原書房)。『真説〜』と『鮎川哲也読本』のカバーをスキャナーで取り込み、それぞれ芦辺さんの著作リストに貼る。確認はこちらからどうぞ。

 作業をしながらのBGMはMP3再生ソフトに頼りっきりである。今日は、昨日購入したCD三枚にタモリと稲川淳二のCD、それにあるヴォーカルアルバムを曲順ぐちゃぐちゃにして聴いているのだが……最後のヴォーカルアルバムの歌の下手さが際立って困る。前に聴いたときはそれなりだと思ったんだけどねー。


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色々ありますね色々。

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