2001年4月中旬の日常

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2001年4月11日(水)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day11

 珍しく買い物もなかった一日。本当はなかったこともない。鈴木光司久々の長篇新作『シーズ・ザ・デイ』(新潮社)が発売されていたのだが、ひとまずお預けにした。出来への不安があるわけでもなく、純然たる財政事情だ。「面白い」とか部分的にでも評価するサイトがあれば買うのだけど。

 公開劇場の招待券が確保できた、のはいいが、週末に親父がゴルフで不在なのに託けて母も見に行く、と言い出したため、予習の速度を速めねばならなくなった。というわけで、久々に読み終えたエンタテインメントはトマス・ハリス『レッド・ドラゴン(上)(下)』(ハヤカワ文庫NV)であったとさ。視点の切り替わりが乱雑なのは海外小説にありがちな欠点としても、かなり訳文が読みづらいのが気に掛かった。だが、上巻も半ばを過ぎた辺りからは巻置く能わざるに近い、息をも吐かせぬ展開と非常に的確な描写がこちらを惹き付けて止まず、実際平行して読もうと思っていた資料本や『ジャーロ』のことはすっかり忘れて没頭していた。『羊たちの沈黙』に先んじる作品だが、シリアル・キラーの造型は既に堂に入っており、捜査陣との桎梏も他ならぬ捜査官自身の孕む闇を犯人と対比させることでリアルに重々しく描くことに成功している。途中から犯人の視点からの描写も加わっているが、それによってミステリ本来の「謎を解く」「真相を追い求める」楽しみを殺ぐこともなく、終盤にはきっちりと逆転劇を挿入するあたりも巧み。兎に角惜しむらくは訳文が今一つこなれていないことで、その点にさえ寛容になれれば、サイコ・サスペンスものの嚆矢として今なお充分に楽しめる一篇だろう。
 で、予習中の身としてはこれで安心するわけにはもちろん行かず、そのまま続編『羊たちの沈黙』(新潮文庫)に走るわけだ。『レッド・ドラゴン』の訳者は小倉多加志氏(文庫版刊行間もない1991年に亡くなられている)、こちらはディック・フランシスの諸作で知られる菊池光氏。訳者が異なれば文章も固有名詞のカタカナへの解き方も異なる。文章的には、恐らくトマス・ハリスの原文そのものがこなれてきた所為もあろうが、菊池光氏の訳文の方がまだ日本語として解しやすく読みやすい。とは言えこちらは違和感を覚えるほどではないのだけれど、固有名詞はちょっと戸惑うくらいに変化が生じている。
 試しにひとつひとつ挙げてみる。まず、『レッド・ドラゴン』に登場するシリアル・キラーのフランシス・ダラハイドは『羊たちの沈黙』ではフランシス・ドラハイドとなっており、FBI特別捜査官ジャック・クロフォードは『羊〜』ではジャック・クローフォド、何より一番際立つのは、新作ではとうとう題名にまでなったハンニバル・レクター博士が『羊〜』においてのみハニバル・レクター博士となっていること。原典に目を通したことがないので断言は出来ないが、「ダラハイド」と「ドラハイド」の違いは恐らく「D」の解釈の違い程度と判断していいだろう。しかし、後者二つについては『羊〜』の表記に些か首を傾げたくなる。訳者も出版社も違う以上、こうした相違はままあることと受け止めるべきなのだろうけれど。ところで最新作ではレクター博士は題名にある通り『ハンニバル』に戻っている。他の登場人物は如何なものやら。
 ……しかし、土曜日に映画『ハンニバル』を見に行くつもりで予習するとすると……うああ、実質あと三日以内に読み終わらせねばいかんではないか。出来るか今の私に。

 思えば、昨年の今頃も同じようなことで悩まされていた。自宅の狭苦しい庭先か、或いはその向こうにあるとある記念館の庭から、「ジ――――――――」という甲高いノイズのような音が聴こえるのだ。私の部屋は位置も窓の向きも庭から離れているため直接害は被っていないが、どちらの庭からも直線上に位置する両親の部屋は文字通りの矢面に立つ羽目になり、元々気の短い親父などは傍目にも苛立ちを募らせている。前のときは隣の警備員の方にも話して調べて貰ったのだが、どうにも止む気配がない。発生源近くに寄ると一時的に鳴りやむことがあるのだが、離れればまた元の木阿弥。四月から五月にかけてそんなことが何度か続き、気づくと音はしなくなっていた。
 そして今年の今夜、この耳障りなノイズが復活したのだった。七時頃階下に降りていくと、甲高い音が反響する庭を眺めていた母が言う。
「この音、ミミズの鳴き声らしいよ」
 ――休眠期間に、隣の記念館の職員さんに話を聞いたところ、その方の田舎でも似たような音が良く聞こえるそうで、その原因がミミズの鳴き声なんだそうだ。まあ、そう言うなら……と一旦は納得しかかったが、どうにも合点がいかない。困ったときは検索頼み、とばかりにインターネットを彷徨ってみたところ、同様の「ミミズは鳴くのか?」「夜中にする耳障りな音の正体は?」という質問が書き込まれた掲示板や、自然に関するQ&Aのページが多く見出された。
 それらの記述を総合してみるところ、やはりミミズは鳴かない、というのが大勢だった。当たり前だあんな筒状で排泄器官と生殖器官以外は殆どないも同然の生き物が鳴いてたまるか。問題の鳴き声は、おおよそ三つの虫が原因と推測されているらしい。ひとつはケラ。これは土の中に穴を掘って棲息する虫で、そこで鳴くものだからミミズが鳴いていると誤解されていたのだという。丁度鳴き始めるのも今頃だそうだ。つぎはクビキリギス。名前から推測できるとおりキリギリスの仲間で、ケラ同様この時期になると草むら及び木の上で単調かつ甲高く耳障りな声で鳴く。最後のひとつはクサキリ。先のクビキリギスに酷似しているがこれは晩夏から初秋にかけて鳴き始め、声も若干弱いのだという。並べてみても一目瞭然、我が家を悩ませる鳴き声の正体はどうやら二番目のクビキリギスと思しい。実際、今夜庭まで様子を見に行った父が、音の発生源あたりに繁殖する薔薇の枝を揺らしたところ、泡食って逃げ出す虫の姿があったそうだ。以来、現時点では音が止んでいる辺りからも、たぶん間違いはない。但し、翻って考えると、これだけ幾つもの原因があってそれらが全て俗説そう言われていた以上は、音の正体を「ミミズの鳴き声」とした職員の方も正しかったと言えるだろう。少なくとも、同じ現象が存在しており、こういう解釈が存在するという事実を引き出す手懸かりにはなったわけだし。
 ――しかし、この事件で一番問題なのは、こーいう騒ぎがあった私の自宅は紛うことなく東京都内にあるということであって。ミミズの鳴き声という説に一旦は納得してみたり、そんな余所で聴かないような虫の鳴き声がするというのも、長閑というか何というか。


2001年4月12日(木)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day12

 今夜は流石に件の虫の鳴き声も聴こえてきません。お陰で検証することも不可能になっているのだが。

 本日のお買い物
1,丸谷才一『男もの女もの』(文春文庫)
2,zabadak『イコン 〜遠い旅の記憶〜』(MAGNET/biosphere records・CD)
3,岡村靖幸『OH! ベスト』(Epic Records・CD)
4,山本美絵『オナモミ』(RE-WIND RECORDS・CD)

 本日は微妙にマイナー路線です。1は、昔は時々読んでいた丸谷才一のエッセイ文庫最新刊。旧かな・旧漢字にこだわった文章とうがった論理展開、それに和田誠のイラストがなかなか楽しくていいのだ。買うつもりはなかったが、新刊で見つけ他にめぼしいものもなかったために衝動的に手に取る。
 で、目玉は2以下三枚のCD。2はミステリサイトにもファンの多いzabadak、現時点で最新のアルバム。以前に店頭で発見し、帯に鈴木光司の讃辞が載っていたことから気に懸けていたのだが、某ザバ伝道師に口説かれて購入。個人的に吉良知彦氏のヴォーカルがあまり評価できないのだが、インスト・ゲストヴォーカルに比重が傾き、吉良氏のヴォーカル曲も従来と較べて声を活かしたものが多く、なかなかのクオリティ。
 3は、10年を越えるキャリアで二度もの休眠期間を経て、漸く完全復活したらしい岡村靖幸久々、そして初の二枚組となるベストアルバム。前のベストアルバムと重複したタイトルが多いが、逆にデビュー当時からあの濃い作風が完成されていたのがよく解る。それ故に、後半ちょっと油断すると眠気に見舞われるのだが。何度聴いても『聖書』の破壊力は凄まじい。
 そして4。それ以前もテレビなどでプロモーション・ビデオを散見して気になっていたのだが、昨晩ふと公式サイトで試聴したところ転んでしまい、今日急遽購入した(実質、他の二枚はついでである……失礼ながら)。孤独感と強烈なトラウマを主題とした、危険なほど内省的な歌詞の世界に、椎名林檎にも似た低くハスキーで、濃い歌声。加えて打ち込み中心の重みのあるアレンジが即座に私のツボを突いた模様。ただ、シングル曲それぞれを試聴したときにも感じたことなのだが、この傾向の曲のみでアルバムを纏められると、しんどい以前にちょっと飽きる。その弱点が既にこのアルバムにも伺われ、やや心配ではある。オブラートに包むくらいの真似は普通にやってくれそうな気がするので、そういう意味でより深い世界を追求して欲しい。今後に期待。それはそうとこの方のセカンドシングル『「○○ゴッコ。」』は、何だか琥珀さんのことを歌っているような……(※同人ソフト『月姫』をクリアした方でないと理解できないネタです念のため)。という発想をする私がそもそも病気なのか。

 普段と傾向の違うものばかりを買った所為で、リンクページの更新がなかなか手間でした。というわけで今日はこれだけ。もっと語ろうかとも思っていたのですが。(本当は今日も『トゥルー・ラブストーリー3』に狂っていたことは秘密だ)


2001年4月13日(金)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day13

 昨日は時間がなく慌てて書き留めたため、一部記述に誤りがあったので修正。「ファースト」じゃなくて「セカンド」ですな。ついでにシングル紹介ページに直リンクを貼っておきましたので、どの辺がそー聴こえるのか御自身で判断していただきたい。

 本日のお買い物
1,小野不由美『黄昏の岸 暁の天』(講談社文庫)
2,倉阪鬼一郎『サイト』(徳間書店)

 ほか、定期購読二冊。それ以外にも、話題の青井夏海『スタジアム 虹の事件簿』を買うつもりで某ファッションビル内の書店を訪れたが、改装中で商品の入荷を抑えているとか何とかで見当たらず。売場部分を閉鎖するほど徹底した改装が行われていたのは他でもない文芸・ミステリ関連書籍の棚で、お陰でその手の新刊を探訪することも出来ませんでした。二日ほどの完全休業を挟んで、月末までこの状態らしい。
 定期購読の一冊は『Jazz Life』。つらつらと眺めていると、月末あたりから私好みのアーティスト作品が目白押しらしい、と気づき、興味のあるものをルーズリーフに書き留めてみた。ランダムに抽出したものを、発売日順に並べ替えて提示すると以下の如く。

4/18 ○仲宗根かほる『パパはマンボがお好き』(M&Iカンパニー)
4/21 ランディ・ブレッカー『ハンギン・イン・ザ・シティ』(Victor Entertainment)
○チャーリー・ヘイデン『ノクターン』(Universal Classic & Jazz)
○綾戸智絵『ライヴ!』(ewe records jazz)
4/25 ○ビリー・シーン『コンプレッション』(ZAIN Records)
マイルス・デイヴィス『ソーサラー』(SME Records)
 〃 『ウォーター・ベイビーズ』( 〃 )
 〃 『ビッグ・ファン』( 〃 )
 〃 『ライヴ・イーヴル』( 〃 )
 〃 『ゲット・アップ・ウィズ・イット』( 〃 )
 〃 『オーラ』( 〃 )
5/23  〃 『1958 マイルス』( 〃 )
 〃 『ネフェルティティ』( 〃 )
 〃 『ブラック・ビューティ』( 〃 )
 〃 『パンゲア』( 〃 )
5/30 パット・マルティーノ『ライヴ』(東芝EMI)
6/6 ○マイケル・ブレッカー『ニアネス』(Universal Classic & Jazz)
7/中 ○ハービー・ハンコック『FUTURE 2 FUTURE』(Victor Entertainment)

 ……思わず、頭を抱えた。うち、○がついているものを中心にチェックするとしても……うああああああ。
 並べるだけというのもアレなので、おおまかに解説。
 18日の仲宗根かほるは、昨年4月にメジャー・デビューしたハニートーン・ヴォイスを持ち味とするヴォーカリスト。メジャー第一弾アルバム『fragrance』を聴いた時点で以降は必ずチェックする、と意を決めていたので悩む余地なし。しかし、こんな間近になるまで情報を得ていなかったのが悔しい。
 4/21のランディーと6/6のマイケルは、ブレッカー・ブラザーズとして活動していた実の兄弟。でなんで一方だけに○がついているのかというと、マイケルの方にはパット・メセニーが参加しているから。いやそれだけではない、後者には他にハービー・ハンコック、チャーリー・ヘイデン、ジャック・ディジョネットといった、私がジャズを聴き始めた当初に魅了されたアーティストが名を連ねているのだ。ランディーの方も実はメンバー的には勝るとも劣らぬ凄まじさ(ベーシストだけでもウィル・リーにリチャード・ボナ、クリス・ミン・ドーキーだぞ)なのだが、個人的なインパクトの違いで敢えて○は外した。同じ21日のヘイデンも、メセニーが一曲ながら参加していることが大きかったり。綾戸智絵は、そらもう外せません、はい。
 4/25のビリー・シーンは完全なソロプロジェクトで、ベースのみならず大半のトラック(ヴォーカルも含め)を自ら演奏しているらしい。NIACINとは別の意味で興味が湧いた。因みに発売を記念して日本全国で色々とイベントを開催して回るらしいので、ファンはチェックしよう。私は、行く余裕がない。
 4/25・5/23とずらっと並ぶマイルス・タイトルは言わずもがなのマスターサウンドシリーズより。全てをチェックすると更に絶望的なことになるので、これでも絞ってあるのだ。直に見るとまた欲しいものが変わる可能性があるので○はどれにも添えていないが、リニューアルを待ち望んでいた『ソーサラー』、『ゲット・アップ〜』、『パンゲア』、『ネフェルティティ』は発売日に紙ジャケットで買ってしまいそうだ。……あああああ。
 5/30のマルティーノは、メセニーと同じ時期からその存在が気になっていたのだけれど、名前の挙がる名盤が発見できない(のちに絶版と判明……復刻しろー!)、チェックする余裕なし、といった理由から手付かずになっていたもの。この新作発売を機に聴き始めようかとも思ったのだが……○はつけず。
 やや時期が離れるが、絶対にチェックを外せないと感じたのが7/中のハンコック。『Future Shock』などでコンビを組んだビル・ラズウェルをプロデュースに招いての、久々のジャズ/ダンスミュージック版ハンコックだというのだから。
 ……というわけで、深川の緊迫状態はまだ続く。というか終わらないのかもしかして。

  他にも、好きなグループ二つから脱退者が出たという情報を得る。一方のパット・メセニー・グループからポール・ワーティコ(ds)が脱退したことはオフィシャルサイトで知っていたが(後任はアントニオ・サンチェスという28歳ながら既に評価の高い人物だそうな)、PONTA BOXのバカボン鈴木(b)離脱は初耳で驚く。水野正敏からバトンを受け取りバンドの潜在能力を更に引き上げていた存在だっただけに惜しい気もする。尤もこのグループは三者それぞれに極端な多忙さ故になかなかグループでの活動が出来ないというジレンマを抱えていたために、メンバーが替わることで活動のペース向上も見込まれる事実もあるのだが。


2001年4月14日(土)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day14

 結局間に合わなかった。小説『羊たちの沈黙』を170ページほど残してタイムリミット。だが、来週・再来週と見に行くものがほぼ決まっている上、公開劇場の4月までの招待券を既に確保してあるため、今日を置いて他に適当な日はない。やむなく、『クリムゾン・リバー』に続いて原作後回しの憂き目を見ることにした。以前から観たがっていた母親と共に、銀座の丸の内ルーブルへ。思いがけずかなり座席が埋まっており、前から三番目という席で鑑賞する。尤も私は人が少なくとも時々好きで前に座ることがあるので、あまり気にはならなかったんだけども。
ハンニバル』(GAGA-HUMAX配給):バッファロー・ビルの事件から10年、当時FBI訓練生であったクラリス・スターリングも現在では押しも押されもせぬベテラン特別捜査官となっていた。だが、ある麻薬シンジケートの女性大物幹部を追い、魚市場で包囲となったとき、地元警察との軋轢から銃撃戦を引き起こし、赤ん坊を抱いた女性幹部を結果としてクラリス自ら射殺する羽目になった。それがマスコミに報道され、FBI内部からの突き上げもあってクラリスは窮地に立たされる。上官らの配慮、同僚の思惑、そしてある人物の陰謀からクラリスは麻薬事件の捜査から外され、別の事件を追うことになった――他ならぬ、バッファロー・ビルの事件に於いてクラリスを導き、その最中に脱走した博覧強記の殺人鬼・ハンニバル・レクター博士の追跡捜査であった。間もなくクラリスの元に、レクターからの手紙が舞い込む。手紙に付着していた香料を鑑定した結果辿り着いた幾つかの地のひとつ、イタリア・フィレンツェに、レクターはフィル博士と名前を変え、ダンテ研究の専門家として、カッポーニ宮の仮雇い司書として潜伏していた。クラリスの依頼を受けた地元警察で、部下の刑事が香水店の防犯ビデオをダビングしていたところにたまたま行き会った刑事・パッツィは、その画面に映っているのがフィル博士――自分が現在担当している失踪事件の当事者の後釜に座った人物であることに気づく。怪訝に感じたパッツィがFBIの秘密サイトにアクセスすると、フィル博士が即ち重大殺人犯のレクターであること、そして彼に莫大な懸賞金がかけられていることを知った。――そして、フィレンツェを舞台に、稀代の殺人鬼と彼に復讐を誓うものとの暗闘がその火蓋を切った。
 あの名作『羊たちの沈黙』の続編、前作の監督・主演女優の降板、原作と異なる結末への賛否両論、そしてあまりに凄惨な展開故のR-15指定などなど、話題には事欠かなかったサイコ・サスペンス大作。取り分け、年齢制限まで受けた残酷描写に不安と期待を半々に抱きつつの鑑賞だったが――この程度、ありがちじゃないか? 寧ろ、その残酷さにはポリシーと優雅さが感じられ、思っていたより遙かに不快感はない。一部で耳にしていたレクター終盤の猟奇的行為も、(ちょっとネタバレの危険を孕むので伏せ字)リヴァイアサン(ここまで)で一度やっていたものでさして驚きはなし――その表現としての必然性、美しさは本作の方が完成されているけれど。『ハンニバル』はその残酷性そのものよりも、残酷性の切り口や暗黒の美学ともいうべき表現と、緊密で芯の通ったストーリー、そうした全体の完成度こそが大事だと思う。格別な山場というものがない代わりに全編に漂う緊迫感が観るものを放さず、凄惨な殺人描写もその結末も、枠組みの中にあって突出したものはない――ただ、巷間でよく耳にする「クラリスへの愛」云々を示唆するという結末については、若干異論が出るのは仕方ないと感じた。そこまでのプロットがジグソーパズルのようにあるべき位置に配されていたのに対して、ここだけが「付け合わせ」という印象をどうしても禁じ得ないのである。無論、充分に意味はあると思ったし、これはこれで否定されるほどのものではないだろうと信じるが。
 長大な原作を二時間程度の尺に収めねばならなかった都合上だろう、幾つかの説明不足が見受けられたが、それを勘案しても非常に優れた作品。元々残酷描写に弱い、という人には心構えが必要だが、そうでないのならサイコ・サスペンス愛好家に限らず一見の価値はあるだろう。『羊たちの沈黙』という巨大な影を意識する必要も、実際はさほどない。
 ――そうそう、この作品で重要な役割を果たす人物に、かつてレクターによって操られ自らの顔の皮を剥ぎ、以来病床にありながらそれを恨みに延々と彼を追い続けてきた富豪・メイスン・ヴァージャーというのがいる。当然ながら冒頭からグロテスクな特殊メイクで登場するこの人物、クレジットでも誰が演じていると明記していないのだが、プログラムでは何ヶ所かでちゃんと言及している――ゲイリー・オールドマン。『ドラキュラ』『エアフォース・ワン』などに出演するれっきとした大物。それが顔も名前も伏せて、きちんとインパクトのある演技をしているのが凄いというか何というか。そのことを調べるために随分プログラムに読み耽ったのだが、どうも配色が不安定で見辛い。取り分け、そのままの形で採録されたエンド・クレジットの3〜4ページなどは文字が背景に殆ど埋没してしまっている始末。少し考えてデザインしなさいってば。

 で、このままでは癪に障るので、以後も復習という形で集中的にトマス・ハリスを読み続けるのである。いっそのこと『ブラック・サンデー』も買ってきてしまうかね。

 夜中、TBS系列の新番組『USO JAPAN』という番組をちょっと見る。毎週文句を言いつつ『アンビリバボー』を見続けている辺りからも解るとおり、基本的にこーいう趣旨の番組は嫌いではない。――が、問題はその扱い方なのだ。検証するなら結論が出ないまでも極限まで追求する、検証しないならいっそただ怪しげに描くだけですっぱり忘れ去るぐらいであって欲しいのだが、この番組は検証も中途半端なら素材も中途半端。ベスト10形式で順繰りに紹介していくのだが、そのうち「かぐや姫のテープに残された声」とか「映画に残された人影」、「反重力の坂」などというのは既に他のあちこちで扱われた素材である上、とうの昔に原因が判明している「映画の影」や「反重力の坂」についても、まともな検証を行わずさらっと流してしまっている。出演者はただただ馬鹿正直に驚いたり怖がったりするだけ。また、心霊写真も既に別の番組や本で紹介されたものを、例によってとんでもない解釈で説明して驚かそうとするだけ。唯一、ジャニーズの面々がそれを紹介していることだけが見所というお粗末な出来。まあ、ちまたの妙な噂程度の話題ならば気にも留めず見ていられるが、第一回からこの怠惰な素材選択ぶり、恐らく長続きはするまい。ジャニーズファンだけが一定期間熱心にチェックするだけの代物。さもなきゃその馬鹿さ加減そのものを愉しむしかない――と理解できたので、次回からはある意味普通に楽しめそうな気もする。正直、腹を立てるほどの価値もないし。

USO JAPAN』について追加。この日の放送における第一位の話題は「トイレの花子さん」。これ自体はどこにでもある怪談だが、番組ではジャニーズの一人を実地検証に送り出している。地方の廃校になった小学校にて、かつて流布していた花子さんの噂を確かめようという趣旨。テレビでこの手の企画をやると絶対に映ったり現れたりしない、というお約束通り、正常な手続による噂通りのリアクションはなかったわけだが、番組ではその撮影終了直前、タレントの後ろ辺りにある洗面台の鏡に人の顔が映り込んでいるとして恐怖感を煽っていた――尤もこの点は良心的に、「照明機材が影響したものかも」という疑問符をナレーションで提示していた。
 が、先程興味本位で番組公式サイトにあるBBSを覗いてみると、「それ以外にもう一つ顔が映っている!」という書き込みが多数見受けられた。番組で指摘したのは鏡の上方、白くぼんやりとした影だったが、そのずっと下に、横に倒れた女性の顔が見える、というもの。実は、私もそれには気づいて一瞬寒気を覚えたのだ――一瞬。しかし、よくよく考えれば解るのだ。現場には照明機材があり、周辺は灯りの少ない地域とは言え撮影が行われている近辺のぼんやりとした像は見て取れる。タレントはジャニーズJr.の一員であり未成年、それに対して撮影を行っているのは成人男性であり、狭い状況下で後者が前者をきちんと視認するためには、若干目線が斜め下に向く。加えて、タレントの後ろに映っているのは、トイレと洗面所
 洗面台の他に何がある

 以前意見があったのを思い出して、リンクを施した文字の色をちょっと変更してみる。cssで一括指定しているので変えるのは楽なのだった。


2001年4月15日(日)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day15

 父親が車を点検に持っていくのに便乗して、店主の病気で休業中の蕎麦屋がその後どうしているのか様子を見に行こうと用意を始めたとき、ふとPHSの画面を見ると、松本楽志さんから30分ばかり前に着信があったのを発見。HPのトップページは見えないままだし(日記は、更新こそされていないが一応確認できる)三月末から殆ど音沙汰がなかったので、折り返しかけ直してみると、いま蔵前にいる由、折角なのでお会いしにバイクで向かう。浅草駅近くで落ち合うと、前に行き損なった藪蕎麦へ。休日のことなので並ぶが、まあそれはそれでよし。
 ざっと近況を訊ねる。就職して研修中だとは聞いていたのだが、どうも都内で行っていたとかで今月中ずっと東京にいたらしい。引っ越しを前にちゃんとノートパソコンも購入したのだが、毎日7時上がりだったりで殆ど電源を入れることもないまま今日まで来ているとか。トップページも、最後にアップロードしようとしたとき、誤って壊してしまったのがそのままで、直す暇(或いは余力)がなかったんだそうな。で、こっちにいる間に出来る限り美味い蕎麦屋を制覇してやろうと休みのごとにあちこち渡り歩いていて、たまたま浅草に出向いたついでに私に電話してきてくれた模様。他に某賞の結果とか創作の現状とかを話す。
 浅草の藪蕎麦は美味い代わりに量が少ないので、楽志さん手持ちのガイドブックに載っている川向こうの藪蕎麦までハシゴして、胡麻汁そばなるものを頼んでみた。最初の一口に驚くが、こちらもなかなか。四方山話を交わして、二時半頃に別れた。何でもMYSCON2の前日に配属先が判明するとかで、暫くは所在も不透明なのだそうだ。とまれ、元気そうでなによりでした。

 その帰り道に秋葉原まで大回りをして、懸案の一冊を入手の本日のお買い物
1,青井夏海『スタジアム 虹の事件簿』(東京創元社・創元推理文庫)
 以前話題になった、自費出版による安楽椅子探偵の佳作。まずはと読んだあとがきで笑ってしまったのは何故だろう。

 トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)読了。劇場にLDに何度も見た話であり、そちらで格別な改竄を行っていないこともあり、再読の感覚があった。しかし無駄のない語り口、入り組みながら見事にひとつの結末を指向する巧緻なプロット、また映画以上にこれがクラリス・スターリングという女性の成長物語である側面がよく窺われ、映画を見たあとでも読書の楽しみは損なわれない。改めて1990年代はもとより、20世紀を代表する一作に間違いはないと感じた次第。ただ、訳文に於ける固有名詞の表記は、一般に膾炙するものでさえ独自の表記に改めたものが多く、理解の妨げになってはいまいか。この点だけは出来れば改善して欲しいと思った。引き続き『ハンニバル』を読み始めているのだが、こちらは固有名詞を耳慣れたものに変更しており、その意味では『羊たち〜』よりも読みやすい。
 ――しかし、原作を読むとまた映画版『羊たちの沈黙』が見たくなってきてしまった。注文してでもDVDを入手するか……


2001年4月16日(月)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day16

 トマス・ハリス『ハンニバル』(新潮文庫)上巻まで読了。読むほどに凄まじい作家だという実感は募るのだが、本編に限って言えば、映画に於ける改竄・別解釈は原作に勝るとも劣らない、という印象を受けた。尺に収めるために人物や描写を刈り込んでいるわけだが、それが極めてよく練り込まれていたものだったと気づく。原作では、クラリスが『羊たちの沈黙』で語られたバッファロー・ビルの事件に纏わる記憶を再現するように、レクター博士の犯した罪の記録を辿ったり、事件の現場を宛ら巡礼していくのだが、映画では冗長になりかねないこの描写を、現場写真やレントゲン写真、VTRを挿入することで代用している。また、原作ではクラリスはレクター博士の現在の居所を受動的に知らされるのみだが、映画では手紙に残された香料から限定し、防犯カメラに映る彼を最終的に発見する。特に、原作では上巻に於いてレクター博士とクラリスが直接出会うことはないのだが、映画ではレクター博士がフィレンツェで追っ手を故事を真似た絞首刑に処そうとしたその瞬間に、電話越しにクラリスと会話させている部分は出色の演出。原作が劣っているわけではなく、それぞれに表現としての利点を巧妙に活かしていると感じた。――ともあれ、下巻もさっさと読もうと。
(……実は、耐えきれずに「下巻の終わりから見る」という禁を犯してしまいました……なので、既に結末の違いも把握してますが流石に言及は避けます……あああ)

 本日のお買い物は定期購読のみ。何も書けないとそれはそれで寂しい。
 その代わり、というのも何だが、夕方に宅配便が届いた。早見裕司氏が、10年振りの水淵季里シリーズ復活を記念して有償で頒布したペーパーウェイトである。どっしりと重量感。実用性はあるが、ちょっと気が引けます。……明日、金を下ろして来ないと。

 あれ以来気が向くと『USO JAPAN』のBBSと投稿コーナーを眺めに行ってしまう。BBSと言いながらどうも作りはフォームっぽく、待てど暮らせどなかなか更新されなかったりするのがお茶目だ。どちらも結局はジャニーズファンの書き込み中心で、多分私のようにこの手の番組や内容にすれていないからだろう、シンプルに受け止めているのが妙に新鮮に見えたり。しかし、「映画『ターミネーター2』で、T-1000がヘリコプターを操縦しているとき腕が一本多い!」とか(それは役者の他に操縦者がいたのを、のちに映像処理し損なっただけだって)「自分の住んでいるところが花子さんの発祥地らしいです(中略)――場所は遠野と言います」とか(柳田国男を知らないのかそれともわざとか? それ以前に、花子さんが遠野出身という説は初耳だが)「杉沢村について調べてください」とか(ここを見てください)いう書き込みを見ると、どこまで本気なのかよく理解できなくなってくる。――取り敢えず、深川が現在一番興味を持っているのは、トイレの花子さんに関するレポートで鏡に映っていたというもう一つの「顔」を、番組でどのように処理するのか、だ。個人的には、この番組の方法論で心霊現象や都市伝説に踏み込むのには無理があると思うのだけど。

 いずれ小説のネタにするつもりだったため、触れずに通るつもりだったのだが、これだけ執念的にネタにしてしまった手前もあるので、ちょっと記しておこう――昨今最も著名な「都市伝説」であろう、トイレの花子さんについて。
 取り敢えず、平均的な花子さんは脇に置いて、『USO JAPAN』に於いて語られた花子さんに限定して考えてみる。ここまで深入りするつもりがなかった手前ビデオにもメモにも記録しておらず、正確な地名は失念してしまったが、その「呼び出し方」は以下の如く――深夜二時頃、四つ並んだトイレの個室を、手前から「もーいーかい」と言いながらノックしていく。そうして一番最後の個室をノックすると、「まーだだよ」と返事がある。もう一度叩くと「もーいーよ」となり、扉を開くと、顔半分を火傷に爛れさせた少女がおり、「みーつけた」と応える、というもの。番組では因果らしきものも語っている。百年近く前にその土地で疫病が流行り、丁度問題の学校があった辺りに隔離小屋を設けて病害の拡大を防ごうとした。だが隔離したことで遺体の腐敗・病原菌の増加を引き起こし、事態は深刻化の一途を辿った。最終的に村人は自衛のために、まだ息のある者も残るその小屋を焼き払った。このとき、年端もゆかぬ少女が顔半分に火傷を負いながら助けを請うていたという――その娘がつまり、学校に現れる花子さんの正体だ、というもの。
 この因果は牽強付会の類と結論して構わないだろう。この手の惨劇は心霊現象と絡めて語られると余計に陰惨に聞こえ説得力を増すが、実際は日本のみならず世界各地で頻繁に聞かれるもので、その都度悪霊や心霊現象を引き起こしていたら人間休まるところは一つとしてなくなる――それ以前に、こういう惨劇が何故「トイレの花子さん」に変貌するのか、が全く説明できない。先に「花子さん」という噂があって、そこにこういう悲劇があったために後々関連づけられた、というのが恐らく真相。
 寧ろ興味深いのは、花子さんと接触するための「呪文」の方だ。時間帯は潜在的な恐怖感を煽るための小道具に過ぎないから(無論、丑三つ時という定番の要素が絡んではいる)看過しよう。「もういいかい」「まーだだよ」という、かくれんぼの符丁がそのまま接触のために用いられているのは、舞台が学校であり、登場人物も花子さんと名付けられた少女であるという性格の必然だ。奇妙なのは、客観的には発見される側の方である花子さんが、扉を開けられた次の瞬間、「みーつけた」と応えていることだ。怪異談であることを考慮に容れても、この誤謬はあまりに際立っている。誰かが他人を揶揄うために創作した怪談ならば、「みーつけた」という台詞よりも、「見つかってしまった」といった呟き、或いは無言で振り向く、という演出を用いて、状況を一貫させるのが普通だろう。本来かくれんぼで「鬼」が口にするべき言葉を、追われる側である花子さんが発する事実にこそ、この番組で語られた「花子さん」の重大なテーマが隠されている、と見たい。
 ――とは言え、番組ではこうした倒錯現象に深入りせず、表面をさらっと撫でた上、照明かも知れない謎の顔でお茶を濁してしまったため、他に興味深い事実は提示されていない。データがこれしかない以上、考察もここから先は想像や飛躍に頼るしかない。それでは公平さを欠くしそもそもそれじゃ部品だけ流用して周辺素材や解答を付け加えて独自に創作した方がよっぽど早いやん、という結論になるので、これ以上語るわけにはいかないわけだやっぱり。引っ張っておいて申し訳ありません。
 ともあれ、こう考えてみて改めて、一般的な「召還方法」や出現の論理、或いはその出生についてきちんと調べた上でネタにするのはまだ可能だな、と思った次第である。時間的にもテーマ的にも、これから書かねばならない長篇には間に合わないのだが、どこかこれで一本書かせてくれませんか。いやまぢで。


2001年4月17日(火)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day17

 自分でも何があったのかよく解らないがめったやたらに早起きしてしまい、二度寝するには時間が半端だったため、余った時間を丸々読書に充てた。でもって、たぶんここ暫くで最速の僅か三日にしてトマス・ハリス『ハンニバル』(新潮文庫)読了。感想としては昨日に付け加えることはあまりないが、一点、原作では映画に於いて削られた「」という要素が鍵を握っており、つまりここから作品の結末に至るベクトルに異なった力が籠められたと考えられる。原作の、ハリウッド映画には決して有り得ない悪夢のような結末には途方もない魅力と余韻が含まれているが、どちらも提示された素材を存分に駆使した上での決着である、という点は等しい。これは、どちらを賛とするか否とするかなどあまり問題にならないと思う。小説も映画も、一見の価値を備えた名作。
 しかし、眠い。早起きしすぎて。

 朝、フジテレビ系列の情報番組『とくダネ!』内のコーナー『私の履歴書』にてさだまさしが登場。予め情報は掴んでいたので、きちんと鑑賞する。基本的にはファンなら先刻承知のエピソードが大半だが、さだ氏の借金遍歴は全て原因が明確になっていた、というのは初めての発見だった。『無縁坂』のヒットで自身の会社を立ち上げた(実際には、ソロデビュー以後のこと)のが元で最初の借金を背負い、『雨やどり』の大ヒットで島を買い、島そのものは許容範囲内だったのにそこに浄化槽を取り付けたことでまた借金を嵩ませ、『関白宣言』の大ヒットを契機に映画『長江』を撮影、その費用と興行的な敗北が元でついに負債が40億に膨れあがったわけだ。並べてみると因果がかくも明確になっているのが何とも言えずおかしい。その後は年間100本以上のコンサートを各地で開催し続け、ほぼ返済は終わっているというのがこの人の凄みでもある。しかし、やっぱり20分足らずのコーナーではエッセンスの半分も抽出できてなかったな。インタビュアーを前にギターで二曲ほど弾き語りをしたそうだが、その放映も時間の都合でなくなった模様(『北の国から』をさわりだけ聴かせる一幕は流していたが)。

 本日のお買い物
1,赤松 健『ラブひな(11)』(講談社・マガジンKC)
2,青山剛昌『名探偵コナン(32)』(小学館・少年サンデーコミックス)
3,仲宗根かほる『パパはマンボがお好き』(M&Iカンパニー・CD)

 3は13日に言及した購入リストから初めての購入。前作『フレグランス』と同様に、戦前のジャズから近年のポップスまでをオールドファッションながら確立された独自の解釈で歌い上げている。どことなくアナログレコードを思わせる音の積み重ねに、安定した表現力を備えたヴォーカルは、聴いていて妙に安心する。打ち込み隆盛の、ギスギスした音楽ばかりでは疲れるということなのだろうな。先日の『Jazz Life』誌上のインタビューで仲宗根氏は、今回の収録曲では最近と言える『Can't Help Fallin' In Love』や『Melody Fair』を殆ど知らなかったと語るほどポップスから縁遠いそうだが、それが却って曲の純粋な質を際立たせているのかも知れない。しかし……知らんかそうか。もしかして前回の『Englishman In New York』もそうだったのか? ――因みにこの曲の作者であるスティング自身にはジャズの素養があったはずだが。

『ハンニバル』を読み終えたことで逃げ口上は失われました。今後見る予定の映画は殆ど原作無しなので、言い訳には使えません。ということで、いい加減創作に没頭……したいね。うん。
 ついでに今後見に行く予定の映画を挙げてみたり。今月残り二回の週末は既に21日『スターリングラード』、28日『トラフィック』と決まっている。それから順不同で『隣のヒットマン』『ザ・メキシカン』……現時点ではこんなもん。そのあとは未定。『ショコラ』が気になるのだがこれは困ったことに原作付きである。……意地で読まなくてもいいだろ、と自分でも思うが。


2001年4月18日(水)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day18

 ちょっと逃げてます。出勤までに山田風太郎『人間臨終図巻II』(徳間文庫)津原やすみ『地球に落ちてきたイトコ』(講談社X文庫TEEN'S HEART)読了。ま、どっちも昨日の時点で半分以上・半分近く読み終えていたので、片づけただけという感じなのだけど。
 山田風太郎『人間臨終図巻II』(徳間文庫)は、前巻と感想さして変わらず。ただ、まだ「若くして死んだ」という人物が大半を占めていた前巻と異なり、壮年を過ぎた著名人たちは何だか悉く癌で死んでいるように見えるのが……。
 津原やすみ『地球に落ちてきたイトコ』(講談社X文庫TEEN'S HEART)は『あたしのエイリアン』シリーズ第二作。前作において大切なある記憶を封じた百武千晶とイトコ・星男の物語。根っこは非常にオーソドックスなドタバタラブコメディ、それを千晶の一人称で綴っており、近年の津原泰水氏の文体から知った身にすると些か戸惑うものの、やっぱり第一作と同じく、現在に至るポリシーが感じられる。お話として纏まりに欠くものの、単純に面白いのだからこれでよし。

 本日のお買い物
1,楠 桂『鬼切丸(20)』
2,椎名高志『MISTERジパング(4)』
3,藤田和日郎『からくりサーカス(17)』(以上、小学館・少年サンデーコミックス)
4,たかしげ宙・皆川亮二『スプリガン(1)』(小学館・SHONEN SUNDAY BOOKS)

 1はとうとう、或いは漸くの完結。最後はじわじわと増え続けてきたレギュラーがほぼ全員顔を揃えてのエピソードだったが、ちょっとばたばたしているし、説得力に欠くのが気に掛かる。それでも、『同族殺しの鬼』という魅力的な素材をきっちり描ききったいいシリーズであったと思う。お疲れさまでした。
 4は当然のように最初の単行本で揃えてあるのだが、大きな判型と単行本初収録のファースト・ミッションに騙されて購入。いや、私はいいんだが、連載終了後、『GX』誌の創刊に合わせて新たに書き下ろされた『ファースト・ミッション』を「幻の第一話」と銘打って収録する、という行為は本当に初めての読者やそうした事情を知らないファンにとっては如何なものか。ところで私は初期のすっきりした描線の方が好きでした。はい。

 帰宅しても逃避は続く。『LOCK, STOCK & TWO SMOKING BARRELS』(Sony Pictures Entertainment・DVD Video)を俄に鑑賞してみたり。
 トム、エディ、ソープ、ベーコンの四人組は、それぞれの事情から纏まった大金が必要となり、出し合った金を元手にカード博打で稼ぐことにした。だが、胴元のハリーらのイカサマによって逆に借金を作る羽目となる。一週間以内に支払わなければ大変なことになる、と一同は知恵を絞り合うが、これといった名案は出てこない。だが、アパートの薄い壁を隔てて隣人の語る強盗計画が聞こえてきたことから、事態は思わぬ方向に転がり出す――
 最近私が最も嵌った映画『snatch』の監督・ガイ・リッチーが1998年に発表した、長編映画第一作。『snatch』の出来もあって見るのをひたすら楽しみにしていたのだが、全く期待を裏切らない面白さ。基本的なスタイルは『snatch』と変わらない(というより、寧ろ『snatch』がこの方向性を踏襲した、と言うべきだろうが)。多数の登場人物がそれぞれの思惑によって動いているのをランダムに追っていくうちに、それぞれの足取りが思わぬところで交錯して意外な結末に至る、この呼吸が快感なのである。ある場面では英語の字幕を挿入するほど強烈なスラングを用いた小気味良い会話と、暴力を殆ど気にさせない細やかな配慮のなされた映像描写、そして大物と新人とを混在させつつ誰一人贔屓にせず(と言いつつ、やっぱりスティングの役柄は「美味しい」と見ていて感じたのだけど)、それでいて痛快と感じさせる結末。格好悪さが全体としての格好良さに繋がっている点、見事なまでに『snatch』へと一貫している(やっぱり女っ気も乏しいし)。どちらかが好きならどちらも外すな、と言い切れる。やはりこの監督、追い掛ける価値があります。
 因みに長々しいタイトルは、「Lock, stock & barrel」という「全て、何もかも含めて」といった意味合いの成句を、バレル(銃身)にかけてもじったものだそうだ。Two smoking barrels、つまり煙を吐く散弾銃の砲身。


2001年4月19日(木)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day19

 電話の気象予報で、「朝方小雨がばらつくが、夕方から晴れる」というふうに聞いたので、普通の格好でバイクに乗って出勤したのだが、この時間帯が一番酷い降りだった。そのあとはほぼ予報通りの天気だったのが余計に腹立たしい。

 ハードかつバイオレンスな夢を見る。ネタにしたいくらいだったが見て数時間を経るともう記憶が曖昧なのだった。かくも夢判断とは困難を伴うもので。

 今日も多いぞ本日のお買い物
1,六道神士『市立戦隊ダイテンジン』(大都社・Daito Comics)
2,絵夢羅『Wジュリエット(7)』
3,野間美由紀『パズルゲーム☆はいすくーる(33)』
4,日渡早紀『宇宙(コスモ)なボクら!(4)』
5,山口美由紀『踊り場ホテル』(以上、白泉社・花とゆめコミックス)
6,秋田禎信『エンジェル・ハウリング2 ―from the aspect of FURIU』(富士見書房・富士見ファンタジア文庫)
7,谺 健二『恋霊館事件』
8,井上雅彦・監修『異形コレクション綺賓館III 桜憑き』(以上、光文社・カッパ・ノベルス)

 あと某ソフトの発売日でもあったが、明日もソフトの発売がある上、CDなんかも早出し分が店頭に並ぶはずなので、明日夕方まで持ち越し。
 1は『エクセル・サーガ』に先んじる初期短篇の集成。よりお馬鹿なエクセルにイルパラッツォ、凶悪な公務員の皆様が堪能できる仕組み……でも下手だね。
 8はノベルズ独自の、書き下ろしとスタンダード作品とを一堂に会すアンソロジー。定番中の定番である坂口安吾『桜の森の満開の下』、梶井基次郎『桜の樹の下には』の二編を収録しているだけでも大変お買い得ではないだろうか。刊行時期はちょっと逸した感があるが。早めてでも先月末にした方がよかったような……まあ、一年程度で寿命が尽きるシリーズでないからいいのだけど。
 ところで5の山口美由紀氏。好きな漫画家は、と訊かれたときに咄嗟に挙げるうちの一人なのだが、最近この方のコミックスカバー折り返しに記載された作品リストが少しずつ削られているのが悲しい。ファンタジー長篇の秀作『フィーメンニンは謳う』『タッジーマッジー』が気づけば消えてしまった――寂しい。私の数多ある野望のなかには、このシリーズの映像化というのがあったりする。よく出来た物語なのだが、途中から考え考えエピソードを繋いでいった雰囲気がありありなので、その辺を調整したりして。自分の作品ならばどんな媒体であっても自在に出来るが、だからこそ別人の作品に新しい命を注いでみたい、という願望があるのだった。


2001年4月20日(金)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010411~.htm#Day20

 本日のお買い物
 まず、昨日の書き漏らし。
9,探偵小説研究会・他『本格ミステリこれがベストだ!2001』(東京創元社・創元推理文庫)
 創元推理倶楽部から送られてきたもの。ちなみにいしいひさいちの漫画及び書評の題名は『本格ミステリコレラストだ!』であって、どこにも「スト」と打っていないのがミソ。
 で、ここからが本日の「買いすぎ」メモ。
1,小中千昭『深淵を歩くもの』
2,矢崎在美『ぶたぶた』(以上、徳間書店・デュアル文庫)
3,Charlie Haden『Nocturne』(verveUniversal Jazz & Classic・CD)
4,綾戸智絵『LIVE!』(ewe records・CD)
5,『蒼ざめた月の光』(Studio e・go!・Windows98対応ゲーム・18禁)
6,『夜が来る! -square of the MOON-』(Alice Soft・Windows95対応ゲーム・18禁)

 ……か、買いすぎがどうこうより、この所為で今日一日だけで九つのリンク更新を行う羽目になってしまったのに驚く。
 1は某氏も楽しみにしていた書き下ろし新作、と思いきや、異形コレクション掲載作品を中心とした短編集。あとがきによると、どうもそちらの遅延から急遽短篇集を優先して刊行したような印象を受ける。まあ、それでも小中氏の作品が纏めて読めるのはいいことだ。2は来月に『刑事ぶたぶた』も復刻される模様。話題になっていた当時手を出せなかった身には有り難い。
 3は、パット・メセニーとのデュオでグラミー賞を獲得したベーシスト久々のリーダーアルバム。発売日(正しくは一日前)に購入したのは、一曲とは言えメセニーが参加しているからだ。キューバ音楽をモチーフに、濃密な夜の気配を窺わせる音作りをしているが、その穏やかな演奏の向こうに異様な緊張感がある。基本はヘイデンのベースを中心にしたピアノ・トリオ編成だが、それをテナーサックス・ヴァイオリンがビブラートを効かせつつサポートする、という構成。全体としての仕上がりも素晴らしいが、やはりファンとしてはメセニーが参加した二曲目『Noche de Ronda (Night of Wandering)』が一番いい。トリオと絡みながらメセニーのアコースティック・ギターが歌う歌う。対する4は、なんかとんでもない賞まで受けてしまった「おばはん」の、「クラブハウス・ライブ」と「コンサートホール・ライブ」を別々のディスクに収めるという趣向を凝らした、初のライブ・アルバム。英詩版『夜空ノムコウ』を収めた二枚目「コンサート・ホール・サイド」から先に聴いたのだが、ピアノに向かってド迫力の唸りを聴かせるスタイルはレコーディングと変わらず、だがそれがホールに集まった観客の拍手や歓声に呼応しているのが実感できる、なかなかに端正な作り。楽曲と演奏そのものは、基本的に何処に居ても変わらん人のようだけど。
 そして、久々に二本も買っちまったぜ18禁ゲームの5と6。5は、パッケージにまで記載されてしまったから伏せなくてもいいだろう、西出明久氏が槇原敬之のある曲に触発されて構想したシナリオを核とするAVG。6は、どことなくテーマが5に似ていなくもないが、やはりアリスソフトらしくシステムに拘りのあるRPG。現状ではこんなものにおちおちかまけていられるはずはない私なのだが……んー。どっちも楽しみにしていたんだよなー……

 ……リンクと解説で疲れ果てたので、取り敢えずここまでにしておきます。


「若おやじの日々」への感想はこちらからお寄せ下さい。深川が空を飛びます(飛ばねえって)
ゲームやりたい本読みたい尚かつ映画も見たい(病気)。

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