2001年4月下旬の日常

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2001年4月21日(土)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day21

 週末恒例の映画鑑賞、スターリングラード』(日本ヘラルド配給)
 1942年9月。立錐の余地もないほど混み合った機関車で、羊飼いの青年・ヴァシリ・ザイツェフは第二次大戦最大の戦場となったスターリングラードに送り込まれた。日々ドイツ軍の猛攻に晒されたスターリングラードに補充された兵士たちに許されたのは二人に一挺のライフルのみ。前の者が倒れたら後ろの者がそのライフルを奪い突き進めと言い、後退しようものなら味方の制裁によって殺害される。ヴァシリはライフルを獲得することも出来ず、先刻送り込まれたばかりの若年兵が累々と転がる中を這い蹲って進行し、最後には屍体の振りをして潜むしかなくなった。そこを訪れたチラシを撒きに来たソビエト軍政治将校・ダニロフもまた爆撃に遭い、ヴァシリと同じ広場で潜伏を余儀なくされる。折しも現れたドイツ軍の兵士たちを、屍体の所持していたライフルで狙撃しようとするがうまくいかない。だが、代わってライフルを手にしたヴァシリは、相手に己の居場所を悟られることもなく、五名に及ぶドイツ軍兵士をたちどころに射殺する。その手並みを目の当たりにしたダニロフは、事実を記事として新聞に発表し、またあの的確な狙撃とは裏腹に朴訥で優しい人柄のヴァシリ自身とも友情で結ばれる。その後、スターリングラードに派遣されたフルシチョフ政治人民委員に戦意高揚策を問われた一幕で、ダニロフは「英雄を祭り上げることです――一人、心当たりがあります」。自らの意志に反して、スナイパーとしてスターリングラード防衛戦の英雄とされたヴァシリ。自らも狙撃兵となった女性・ターニャを巡ってのダニロフとの確執、英雄化したヴァシリ暗殺のためにドイツ軍が送り込んだ刺客・ケーニッヒ少佐との対決。戦争という巨大な運命に翻弄された若者たちの行く末にあるのは一体何か……?
 ……ジュード・ロウが美しかったです。まる。
 で終わらせるわけにはいかないだろうねー。だが、正直その一点と、冒頭15分ほどにこの映画は尽きてしまっている感がある。
 冒頭は凄まじい。宛ら救援物資のように手荒に機関車から出し入れされ、空爆の雨の中を船で運搬される。いざスターリングラードに到着すれば、雀の涙のような装備を手渡され、生存の見込みのない最前線に無造作に送り込まれ瞬く間に死んでいく――そして、屍体に囲まれた中からヴァシリが見せる、一種芸術的な狙撃術。ここまでの行は異様な迫力があり、見ていて胸に迫るものを感じた――が、そのあとはどんどん腰砕けになる。いや、決して悪くはないのだけれど、そこから先に展開するのは戦争という現実を背景とした青春物語であり、また恋愛物語である。それが悪いのではなく、要はヴァシリとダニロフの邂逅を境に、殆ど唐突に作品のカラーが変貌している。戦争という背景はあくまでも背景でしかなくなり、ヴァシリの感情は殆ど友情、恋愛感情、そして恐らく自らよりも才能に恵まれた狙撃手に目を付けられたが故の葛藤が物語の核となる。伝説的なスナイパーとしての彼の描き方が不明瞭なものになってしまい、そこに纏わる描写が悉く説得力を欠いてしまっている。それ以外のディテールは非常に克明なため(こと、廃墟と化したスターリングラードの造型は悪夢的な美しささえ感じるほどだ)、余計にこの本筋の曖昧さが気に掛かるのである。また、ラストシーンも――これから御覧になる方のために詳述は避けるが――ある人物の行動にいきなり矛盾を持ち込んだり、中途半端に美談を演出してしまったため、却って焦点が暈けてしまい、決定的な感動は齎されなかった。前述したジュード・ロウの、煤けても掻き消えない輝きを始め見所が多いだけに、この纏まりの悪さ、竜頭蛇尾の顛末が惜しく思われる。見る価値がない、とは言わない。結末の二点・三点を除いた上、戦争映画によくあるメッセージ性などを過剰に求めなければ、存分に堪能できるはずだ。
 だから、実は今一つ釈然としないのは作品ではなく、その広告の仕方だったりする。劇場で流された予告編では、第二次大戦最大の激戦地となったスターリングラード、実在したスナイパー、そして「愛するターニャ、今日も僕は君のためにまた一人敵を撃つ。」というフレーズを焦点に、短調のアヴェ・マリアをBGMにして作品を紹介していた。加えて、『Enemy at the Gates』という何処か淡泊な原題を、『スターリングラード』という戦場の名に差し替えた事実。これらのイメージは戦争という惨劇を強調し、やたらと暗いイメージがあったが、実際の映画ではこうした側面よりも「個人として生きようとする」「生きているこの瞬間を謳歌する」という意志がクローズアップされ、モノトーンの色調にも拘わらず、激戦地という背景にも拘わらず寧ろどこか突き抜けた空気が流れている。広告で醸し出していた雰囲気とは明らかに乖離しているのだ。広告で期待されるようなものは実際の鑑賞で殆ど得られない。
 このことは映画そのものの疵ではなく、これを理由に評価を下すのはあまりに作り手たちに気の毒だと、私自身思う。だから一番非難されるべきは、日本での公開に際して広報を請け負った人々だ。ああいう広告の仕方では却って実際を見た人々の不興を買う――つまりその後の集客力に影響を及ぼすと知るべきだったろう。更に言えば、この内容であればやはり邦題の『スターリングラード』よりも、原題の『Enemy at the Gates』を活かした別のものが相応しかったと思う。本編が日本に於いて興行的に失敗したなら、その責任の大半は配給元にある、と言い切ろう。その位、予告編をはじめとする広報は作品の本質を歪めている。
 これから御覧になる方は、一度でも予告編を見てしまったのなら、頭の中でその印象を一度リセットすることをお薦めする。それが、製作者にとって幸せなことだと私は信じたい。その上で、より冷静な評価を下していただきたい。……ああ、そうするとここまで頑張って読んで下さったのは結構無駄でした、という結論になるか。ごめん。

 もう一点付け加えておくと、この『スターリングラード』はそもそもジャン=ジャック・アノー監督が『Enemy at the Gates』と名付けられた、ヴァシリとケーニッヒ少佐の対決を描いた小説に想を得たものだという。スターリングラードの激戦以上に彼らの対決がクローズアップされていたのも、来歴を思えば自然なことだったのだ。私はプログラムを読んで初めてこの事実を知ったのだが、もし鑑賞前に予備知識として得ていたなら、もっと異なった印象を受けたことだろう――改めて、惜しいことをした、という気分にさせられた。取り敢えず広報には知っている人が一人噛んでいた、という話を聞くので、今度会ったときには一発どついておこうと思っております。

 本編に限らず、同じ製品の内側での認識の乖離はどーにかならんものなのか、と思うことは屡々ある。職場でもよく広報サイドとデザイナーサイドの対立という話をよく聞くし、本編のプログラムでも製作者の名前のカタカナ表記が場所によって違っていたりする(これはプログラム編集担当者の不注意だけどな)。尤も、この海外の人名のカタカナ表記はなかなか統一されないもので、ミステリで言えば「エラリー・クイーン」と「エラリイ・クイーン」が併存していたりするのと同様なのだが、せめてそれが著者名として正式に登録されたものであるとか記事の執筆者のポリシーに基づくとかいう縛りがない限り、一つの雑誌なり書籍なりでは表記を統一するべきでないんだろうか。
 そして、人名のカタカナ表記という問題に関して、私が最近気にしている人物が一人。Charlize Theronである。先日の『バガー・ヴァンスの伝説』に続き『ザ・ダイバー』(ついでながら、これも原題は『Man of Honor』とかなり印象が異なっていてふと不安を覚えたりして)に出演する女優だが、これら20世紀FOX作品に於ける表記は「シャーリズ・セロン」。だが、雑誌などで見ると「チャーリズ・セロン」となっていたり、著しいものだと「チャーリーズ・セロン」となっていたりする。……まあ、どう聞こえるかの違いでしかないのだが、これもせめて一つの紙面の中では統一するぐらいの配慮が欲しいよな、と思う今日この頃。聞いてますか『DVD&ビデオでーた』さんあなたの話ですよ。

 昼食は銀座で、気紛れに入った中華料理店で採ったのだが、これが思いの外いけた。味噌ラーメンを頼んだところ一瞬身を退くぐらいに赤い汁が眼前に現れたのだが、食欲を昂進する程度の辛みに抑えられ、麺も汁もなかなかに美味い。分量も料金も手頃で、今後贔屓にしてみようかな、という気になった。映画よりこっちの方が収穫だったかもな。

 オクラに納豆を混ぜ、そこにモロヘイヤを入れて、そして最後、ジュンサイで和える………………のが、ブルースなんですか? 夜中に綾戸智絵『LIVE!』ジャズ・クラブ・サイドを聴いて一人爆笑する私であった。


2001年4月22日(日)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day22

 同人誌の某氏の原稿に激しくリテイクを繰り出してしまう。その後あれこれと意見の摺り合わせをしたり。現在進行中の原稿はもっと気楽に出来るかと思ったのだが、仔細に分析するうちにそれがかなり甘い認識だったと悟った。反面、お互いにいい修行にはなっているような気がするのだが。それにつけても、全体で見たときにどの程度の完成度になっていることやら。月末に完成予定。

 MYSCON参加は断念したものの、政宗九さんとは余裕があったら連絡を取り合ってお会いするような話になっていた。で、二時前に携帯電話に繋いだところ、既に静岡であった……まあ、徹夜必至のMYSCONのあとでは相当お疲れだろうとは察していた。またの機会にー。
 それから自転車を駆って上野公園の噴水広場まで出かける。ウクレレアフタヌーンというグループで、参加者無制限のゲリラライブなるものを時を変え場所を変え行っているそうで、知人も数名見えるような話を聞いていたので私も試しに足を運んだわけである――ギターを担いで。ウクレレはまだ所持していないのである。
 集合は一時ということで、もうとうに練習ぐらいは始まっているかと思いきや、まだ三々五々あちこちで手慣らしをしているような雰囲気。取り敢えず知った顔を求めると、よもや本当に見えているとは思わなんだの津原泰水さんの姿が。間もなく他の知り合いも捕捉し、それとなく輪に混ざる。
 見た目だけでも60人はいそうな大所帯の都合上、曲も比較的シンプルなものが三曲選ばれていて、どこからともなくやってきた楽譜を眺めつつ音合わせ、というより練習。曲目は『Twist & Shout』、『ジャパニーズ・ルンバ』、『Tequila』。前後の二曲は既知だったが、二曲目は存在する初めて知った有様でいまいち雰囲気が理解できなかったものの、兎に角移動する一団にひっついて、まず不忍池ほとりにある小さな公園へ。前述の順序通りに演奏し、最後に『Twist & Shout』をもう一度。技術云々より弾いているのが楽しい、という空間である。次いで、西郷さんの銅像前で外国人を巻き込みつつ演奏、そして最後は何故か秋葉原駅の中央通りガード下にて締めくくり。私はストラップを紛失した「馬鹿でかいウクレレ」を終始黙々と弾き続けたのであった。寒いのと、ここ暫くの練習不足が問題でしまいには指が動かなくなったが、まあそれも良し。そのあと、30人ほどで上野の方まで戻って途中にある大きめの居酒屋で九時過ぎまで宴会。のんべんだらりと過ごす。
 店を出たあと、かなり出来上がった一同が付近のバス停傍から向かいに伸びる歩道橋の上で演奏を始めようとするのを見捨てて、私はさっさと帰宅した。因みに問題の居酒屋は真横に交番がある。

 ……などとやっていて、本当は今日までに片づけるはずの作業全く進まず。昨晩は昨晩で、時間が半端だからと自らに言い訳しつつ『夜が来る! -square of the MOON-』(Alice Soft・Windows95対応ゲーム・18禁)を堪能していた始末だし。
 このゲームは、なかなかのクオリティで感心する。システム的には、同社の『ばすてるチャイム』を継承しつつ精度を高めたものと言え、ストイックかつ技巧的なダンジョン冒険型のRPGに育成シミュレーションを付け加え、そこに恋愛の要素を絡ませた(のは18禁ものの半ば宿命)もの。武器製造の方法やキャラクターの経験値取得方法にも工夫が凝らされており、シナリオと絡み合ってなかなか遊ばせてくれそう。
『蒼ざめた月の光』(Studio e・go!・Windows98対応ゲーム・18禁)も、プロローグまでは確認。取り敢えずバグもなさそうだし、うちのマシンでは正常動作しているので良しとする。取り敢えず言えるのは、CGの美麗さに対して演出が中途半端に凝っていて、ところどころ興醒めを招いているのが難か。


2001年4月23日(月)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day23

 本日のお買い物
1,村枝賢一『RED LIVING ON THE EDGE(7)』(講談社・アッパーズKC)
 だから何で取次の予定表に載らないんだよこの単行本はー! 内容的には、更に混迷を深めつつ開始当初のインパクトも持続していてまだまだ面白そうなのだけど、兎に角不意打ちは勘弁してくれ。それとも発売日を事前に知られては拙い事情でもあるんか。

 漸くまともに作業を始める。そのついでに、梅雨時・夏頃用のトップページCGの原画を、過去に反古を利用して描いた図案から選んで作成するという作業も平行する。集中的にお絵描きが出来る間に準備だけでもしておけば、文書執筆作業が中心となっている間でも、気晴らしに色塗りをする形で作成できるからだ。それにしても面白いのは、それらのラフを描き貯めたのは一年前程度の話でしかないのに、既に自分の目には絵柄が微妙に変わっていること……ブランクを置くたびにそんなことを感じている気もするが。

 ……そして、お絵描きが快調なときほど日記に書く出来事もなくなるのであって。何も書かないのはあれだから、と考えたわけではなく、純粋に自分の興味から来月発売のミステリ新刊を探索して回る。政宗九さんのHPなどで情報を得てはいるが、ノベルスなどは発売直前になりがちなのが実はちょっと辛かった。財政運用の問題から、新刊情報は給料日前に得られるのが私個人には一番有り難いのである。で、あんまり他人様に頼りっぱなしなのもアレなので、たまにはケーブル回線の利点をフルに活用して、出版社のサイトを巡り、既に五月新刊が発表されているところをチェックする。結果発見した、あくまでも深川にとって興味のある新刊はこんなところ。
1,小川勝己『彼岸の奴隷(仮)』(角川書店・5月発売予定)
2,小林泰三『AΩ(仮)』( 〃 )
3,京極夏彦『新・巷説百物語』( 〃 )
4,津原泰水『少年トレチア』(講談社・5月発売予定)
5,柴田よしき『淑女の休日』(実業之日本社・5/17発売予定)
6,梅原 猛『京都発見(三) 洛北の夢』(新潮社・5月発売予定)
7,ディック・フランシス『勝利』(早川書房・5/上旬発売予定)
8,シモーナ・ヴィンチ『おとなは知らない』( 〃 )

 購入物と混同しないようにリンク部分以外は赤字にしてみました。配色が微妙。なお、言うまでもなく予定は未定です。詳しい内容などは出版社及び著者のHPを参照のこと。にしても、7は兎も角8までチェックするのが如何にも私の趣味だ。


2001年4月24日(火)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day24

 本日のお買い物
1,新潮社行動科学課・編『ハンニバル・レクターのすべて』(新潮社)
2,山田正紀『ミステリ・オペラ 宿命城殺人事件』(早川書房・ハヤカワ・ミステリワールド)
3,ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフ短篇全集I』(作品社)

 ……あーあ、買っちゃった。
 1は映画公開に先駆けて刊行された、映画版の世界観を軸にした「レクターサーガ」解説書。尤も、結末を除けば原作に添って描かれた映画なので、殆どの部分は原作の副読書として利用も出来る。特に作中登場したフィレンツェの名所を、写真を多く掲載して紹介しているのが有り難い。映画を見た人間には、あれが如何に原作の世界観を破壊しつくさぬように、また如何に恵まれた環境下で製作されたか(何と言っても、カッポーニ宮の場面はすべて本物の建物の中で撮影されていたのに驚かされる)が理解できる。値段もお手頃だし、話題のタネに買う価値は充分ある。私のような人間には後日資料としての利用も出来そうだし。
 そして久々にbk1で購入した2と3は全くお手頃でない二冊。価格は自分で調べてください。2は久々のハヤカワ・ミステリワールドからの刊行、同時にこのシリーズで初めての(恐らくは)正調探偵小説、しかも皆川博子絶賛の畢生の大作。買ってもすぐに読めるはずなどないのだが――ましてこの厚みである――これまた半ば話のタネに買ったのだった。3は、どうやらナボコフ初の完璧な短篇集成、第一回配本。この作家はロシア−アメリカ−スイスと移住しており、初期作品がロシア語でアメリカ移住後は英語、という特殊な経歴を持っているため、全編を一括して扱うことが困難だったらしい。恐らくは当人の意志に反した形で彼を有名にしてしまった作品『ロリータ』を軸にお話を組み立てる構想があるため、見つけたのをいい機会と注文したのだった。因みに第二回配本は六月。……近いな。

 最近、ブラウザの「お気に入り」一覧よりこのホームページのリンクを活用する場合が多くなっていることに気づく。いちいちチェックを入れるつもりのないところも、言及する都度追加しているから、あとになって検索するときブラウザの「お気に入り」よりもリンクページの方に残っている確率の方が高くなっているからだ。特に出版社や映像関係の企業は、明らかに「お気に入り」に登録しているよりリンクページの方が多かったりする。地道な努力を積み重ねた『若おやじの彷徨』、皆様も折節ご利用下さい。
 例外は、日記ではあまり言及することのない、資料としてチェックしているサイトぐらい。どんなのをチェックしているかというと、
科学警察研究所――まあ、これは自然。無論警視庁もチェックしてある。
東京精神医学総合研究所――これもまあ、私の嗜好からすれば必然。
市川の自然――先日の「ミミズの鳴き声」について調査しているときに発見したホームページ。市川と限定しているが、充分に役立ちます。
長谷工――ここらから微妙に雲行きが怪しくなっている気がしなくもない。何に利用しているのかというと、小説などで登場させるマンションの間取りの参考に。しかし眺めていると色々と妄想したくなる。
神社と神道――意外と、神道の正しい作法について調べられるところが少ないもので。
全日本新体操クラブ連盟――ほんとに資料か趣味じゃないかとお疑いになるかも知れませんが、無論両方です……いや、ほんとは10代の選手が同年代の娘達と交流しているページなんかもこっそりチェックしてたりするが流石にリンクするのは気が退けた。
 ――といった具合。面倒なのでリンクページには追加しません。ただ、こうして資料としてチェックしたホームページは、どういうわけか気づくと抹消されているパターンが多くて困る――いや、んな危険なページばかりチェックしているつもりは毛頭ないのだけど。何らかの目的に特化したサイトほど持続が困難になるのかも知れない――斯様に、本当に意味でのインターネット有効利用は未だに困難を極めるのであった、と無理矢理纏める。


2001年4月25日(水)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day25

 昨晩、寝るときにちょっとだけ『ナボコフ短篇全集I』を読もうと枕頭に持ち寄るが、三秒で挫折する。俯せになってなら兎も角、仰向けで読むには既に大いに無理のある厚みであった。気を抜くと顔の上に降臨召されるし。『ミステリオペラ』なんかもってのほかだもの。
 そうしてつまみ食いに失敗した悔しさから、職場に持っていって空き時間、作業の合間に冒頭の短い三編ほどを読んでみた……面白い。すべて20p足らずという長さで、入り組んだ筋よりも表現そのものに焦点が置かれているものばかりなのだが、この繊細な描写が非常に刺激的で快い。失われてゆくものをさしたる感情を籠めず淡々と描く『森の精』、異常なエピソードを滑稽に綴った『ロシア語、話します』、感情的な変化が見えるものから色彩を失っていくさまが克明な『響き』、一篇読むと早く次のものが読みたい、という衝動に駆られるのは、こういう描き方が私の嗜好に合っているからかも知れない。長篇『ロリータ』はその衒学的な文体が迷路状となってかなり厄介なものと変貌しているのだが、短篇では表現上の試みがシンプルな形で提示されているため、余計に取っ付きやすいのだろう。翻訳作品故なのか時代を隔てた文章故か、あちこちぎこちなさを感じる箇所もあるものの、それすら味と思える。3990円分の価値は充分にありました――って、あ。

 雨でいまひとつ身動きする気になれなかったため、買う予定だったマイルス・デイヴィスのマスターサウンド化最新作CDを、店に電話して取り置きしてもらった。が、限定紙ジャケット仕様だったかを確認するのを忘れてやや血の気が引く。更に今になって、さだまさしの新作も発売していることに気づいて青褪める。……多いよ、やっぱり。

 本日のお買い物
1,田口ランディ『モザイク』(幻冬舎)
2,巣田祐里子『魔境学園風雲記ハーフ&ハーフ(上)(下)』(角川書店・Kadokawa Comics A)
3,『To Heart コミックアンソロジーVol.10』(スタジオDNA・DNAメディアコミックス)

 1は『コンセント』『アンテナ』に続く、長篇シリーズ第三作。bk1で「まだ起筆もしていない」のに予約キャンペーンを始めたときは心配したが、ちゃんと出せる辺りにバイタリティを感じる。因みにまだ『コンセント』買ってません。
 2は、その休刊が非常に痛かった『コミックガンマ』掲載作品の中で私が特に偏愛していたシリーズ、つまり当然の如くオリジナル単行本も持っている、が、下巻には旧単行本未収録のエピソードに加え書き下ろしが一話分きっちり追加されている、とあっては揃えて購入するしか。案の定、『エースネクスト』誌上で復活したための復刻らしいが、書き下ろしエピソードで龍宮殿さんを転校させたのは解せんぞ。いやまあ、個人的には胡桃木がいればオッケーだが。
 3は……まあ、しかしよく二桁まで続いたもんだ。それだけにただただ感心する。買い続けている自分もちょっと不思議だが。

  同人作品の原稿がひとつ完成間近。きょーれつにリテイクかましたりと終盤で波乱があったものの、いい具合に恥ずかしい展開になっているのでこっちは勝手に納得しつつあったり。当初本筋とする予定だった作品が執筆不可能・中絶という結果になっても、これで本だけは出せる状態が整いつつある。……あとは、ちゃんと場所が取れていることを祈るばかりか。


2001年4月26日(木)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day26

 本日のお買い物……
1,高田裕三『ゴリ押し成就ドラマジ!?(1)』
2,やぶうち優『少女少年IV -TSUGUMI-』(以上、小学館・てんとう虫コミックススペシャル)
3,CLAMP『ANGELIC LAYER(4)』(角川書店・Kadokawa Comics A)
4,神坂 一・トミイ大塚『スレイヤーズすぺしゃる(3)』(角川書店・Kadokawa Comics Dragon Jr.)
5,矢月秀作『もぐら 掟なき荒野』(中央公論新社・C・NOVELS)
6,皆川博子『ゆめこ縮緬』(集英社文庫)
7,多岐川 恭『人でなしの遍歴』(東京創元社・創元推理文庫)
8,田中啓文『禍記(マガツフミ)』(徳間書店)
9,『やっぱり猫が好き 新作2001』(Pony Canyon・DVD Video)
10,『ルパンIII世 カリオストロの城』(ブエナビスタホームエンタテインメント・ジブリがいっぱいCOLLECTIONスペシャル・DVD Video)
11,Billy Sheehan『Compression』(ZAIN Records・CD)
12,Miles Davis『Sorcerer』
13, 〃 『Get Up With It』(以上、SME Records・CD)
14,さだまさし『木を植えた男 -緑百年物語-』(テイチクエンタテインメント・Free Flight・Imperial Records・CD)

 ……なんか、あんまり先のことは考えたくありません。
 1は高田裕三初の学年誌掲載作品、だがノリはいつもと変わりません。2は同じく学年誌掲載作ながら同一シチュエーションで毎年キャラクターを変更しながら続いてきたシリーズ。にしてもやっぱりこの年でてんとう虫コミックスを買うのは……別に恥ずかしくないな。
 5は、私が一冊も読まないままとうとう完結してしまったらしいシリーズ最新刊。
 6は既に言わずもがなの葉山響さん解説デビュー。7・8ともにずっと買うつもりでいたのだが行き付けの店に入荷せず、職場の近所で一番大きい書店は明日の改装オープンを控えて入荷数を調整しているとかで買い物がしづらく、また私自身何かと忙しかったりタイミングが合わなかったり出るのが面倒だったり(おい)で今日まで保留していたのだった。これで漸く胸の支えが取れた。
 9は80年代末頃にマニアックな愛好者を多く生んだ、深夜のシチュエーション・ドラマ久々の最新作。あのシリーズがDVDで、しかもオリジナルで見られるというだけで嬉しい。
 ところで、今日は他にも『インビジブル』のDVDの早出し分が店頭に並ぶ日で、当初は店で実物を眺めながら購入を考えるつもりだった。が、今朝のとあるスポーツ紙に「弊社に『インビジブル・ガールズ』来訪」云々という記事と共に、水着のねーちゃんが二人ポーズを取った写真が掲載されているのを発見して、絶対に買うものか、と思った。少なくともこいつらの存在が私の記憶から消えるまでは買わない。なめとんのか。

 疲れたので、以下略。


2001年4月27日(金)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day27

 ここ暫くで一番浮き足立っております。ええ浮き足立ってますとも。

 職場付近で一番大きい書店(ファッションビルのテナント)が本日新装開店だったため、ちょっと冷やかしに行った。幾つかあった壇が取り払われ、全体に広々とした印象。歩きやすくはなったが、しかし新装開店早々とは言え肝心の商品の陳列が些か雑すぎる。買い損ねていた新刊を探してみたのだが、新刊の平台は品揃えが悪く、棚の方も新潮・角川・講談社・幻冬舎あたりはまだまともに揃っているのだがそれ以外はぐちゃぐちゃ。例えばハヤカワ文庫はそれなりに揃っているのだけれど、よく見れば日本人作家の作品が全く出ていない。グインサーガすら並んでいない、というのは初めて見た。しかし一番酷いのは光文社文庫で、棚ひとつの中の二列程度に収められた上、同じ作品が三〜八冊ぐらい並べられていて総点数は20にも満たないと見える。芦辺 拓さん編集の『絢爛たる殺人』が三冊並んでいるのは、ちょっと面白かったが。更に、新装開店に当たってどこからか派遣されてきたらしい背広の人々があちこちで周囲を睥睨していて、整然とした雰囲気を掻き乱している。仮に彼らが本社などから派遣されてきたのだとしたら、はっきり言って商売の邪魔になってます止めなさい。
 幾ら探してもお目当てのものが発見できず、結局店員に訊ねたのだが、その女の子も棚の配置を把握していなかったらしい――それだけならまだいいのだが、文庫の棚にはそれぞれどこにどのシリーズが置いてあるのかちゃんと案内が掛けられているのに、それを見ずに明後日の方向へ探しに行ったのはどうしたものか。で、該当する棚を探して「切れているみたいですねー」と言うので、改めて「新刊です」と強調すると、店の検索コンピュータで確認してまた棚に探しに行く。探していたのはハヤカワ文庫の新刊で、そこで店の女の子は棚の足許にあるストッカーを調べていたのだが、よくよく見ればそこにはグインサーガが星界の紋章が、その他どー眺めても棚には並んでいない日本人作家作品がごっそりと。その後数分に渉って別の場所で上司に聞くなり探すなりしていたようだが、結局見つからず。あまりの為体を店員に指摘して、何も買わずに立ち去った。先行き大いに不安だこの店。

 午前中に扱う予定だったデータがMOの異常で読み取れず、その再入稿をだらだらと待っていた夕刻、顔を洗っているところで電話が鳴る。最初に母が出て、寄越すときに口にした名前に心底驚いた。以後二十分くらい(だと思うが意識が飛んでいて記憶が曖昧)、正座したままで応対する。それで足が痺れていなかった辺りに当時の異常な集中力が窺われる。結果的にまたやることがちょっと増えたわけだが、そんなんはもうどーでもいいの。うん。
 これであの件はほぼ本決まりになったような気はするが、それでもあれが届くまではまだ御報告しません。指示代名詞ばっかりで恐縮ですが、浮かれているのだけはご理解いただけるかと。うん。よし。取り敢えず、よし。

 本日のお買い物
1,今井雅之『THE WINDS OF GOD -零のかなたへ-』(角川文庫)
2,宮部みゆき『心とろかすような マサの事件簿』(東京創元社・創元推理文庫)
3,竹本 泉『てけてけマイハート(1)』(竹書房・BAMBOO COMICS)
4,ほったゆみ・小畑 健『ヒカルの碁(12)』(集英社・ジャンプコミックス)

 1は怖い顔の役者・今井雅之が舞台で演じ、日本のみならずアメリカ・イギリスなどで公演を重ね各地で絶賛された作品を自ら小説化したもの。今回が初と思いこんでいたが実際は1995年に書籍で刊行されていて、今回はそれを改稿したものとのこと。何にしても、一度触れてみたい作品だったのでこれを機に購入した。2は、親本も持ってます。正しい意味での確信犯かも知れません。
 3は竹本 泉が4コマ誌に寄稿した作品として初の単行本、だが中身は普通のコママンガ。但し、他の作品のように「世界観が変」だったり「状況設定が変」だったりしているわけではなく、24才ながら中学生ぐらいの外見をした元OLのそんな日常を淡々と、というか行き当たりばったりで描いたシリーズであった。……つまり私のど真ん中ストレート?


2001年4月28日(土)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day28

 今年に入って11本目、延べ13回目の映画鑑賞。銀座までの道程を体が覚え始めて道中の記憶が薄い。
トラフィック』(日本ヘラルド配給):物語は、三つの舞台を巧みに入れ替えながら展開する。
 ひとつめの舞台の主人公は、メキシコ州警察に所属し国境警備に従事する警官、ハピエール・ロドリゲス(ベネチオ・デル・トロ)。匿名の情報屋から麻薬密輸の情報を事前に得、相棒のマノーロ・サンチェス(ヤコブ・ハーガス)と共に張り込んで逮捕したが、その途中で連邦警察犯罪取締官のサラサール将軍(トーマス・ミリアン)に容疑者たちを横取りされてしまう。後日、ハピエールはサラサール将軍に呼び出され、ティファナ経由の巨大な麻薬密輸ルート撲滅のために、フランシスコ・フロレス(クリフトン・コリンスJr)という殺し屋を自分の元に連れてきて欲しい、と請われた。ハピエールはフランシスコの弱みを巧みに利用し無事サラサール将軍に引き渡す。サラサール将軍は残酷極まる拷問ののちにフランシスコを懐柔し、ティファナ・ルートの大物数名検挙を実現した。だが、その実サラサール将軍の元には、ティファナ同様の大規模麻薬ルートであるフアレスの、死んだと報じられていた大物が潜伏していた――
 ふたつめの舞台の主役は、オハイオ州最高裁判事であるロバート・ウェイクフィールド(マイケル・ダグラス)。新たに麻薬取り締まり連邦最高責任者に任命され意気軒昂とする彼であったが、事態は一筋縄ではいかなかった。奔走する彼の死角で、娘のキャロライン(エリカ・クリステンセン)はハイスクールの同級生と共に折節麻薬パーティを開いていた。ある日、級友の一人がキャロラインの目前で過剰摂取により昏倒、彼を密かに救急病院に置き去りにしようとしたところを警察に保護され、ロバートは初めて娘が麻薬に手を染めていたことを知る。娘の処遇を巡って妻・バーバラ(エイミー・アーヴィング)とも対立し、ロバートは公私の平衡感覚を見失いつつあった。その間にもキャロラインは男の級友と共にドラッグを交えたセックスに耽り、既に完璧な麻薬中毒者になっていた。それを知ったロバートはキャロラインを更正プログラムに組み入れるが、キャロラインは隙を見て逃走してしまう――
 最後の一つは、サンディエゴ――実業家の妻で妊娠五ヶ月のヘレーナ・アヤナ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)と、麻薬取締局(DEA)の捜査官・モンテル・ゴードン(ドン・チードル)、二人の視点で展開する。ある日、宛ら青天の霹靂のようにヘレナの夫・カルロス(スティーヴン・ハウアー)が逮捕された。当初容疑も知らされなかったヘレナだが、間もなく顧問弁護士であるアーニー・メッツガー(デニス・クエイド)から夫の容疑が麻薬取締法違反であり、そして夫が確かにティファナ・ルートに通じる麻薬王であることを知らされる。モンテルら取締局の監視を肌に感じながら、次第に孤立無援となっていく状況に途方に暮れるヘレナであったが、海辺で息子を遊ばせているとき、夫の借金の肩代わりとして息子を誘拐する、という脅迫を受け、自らの身と家庭の平穏を守るために、ビジネスの継承と夫に不利な事実を知る証人の抹殺を決意する――
 本年度アカデミー賞を監督(スティーブン・ソダーバーグ)、脚色(スティーブン・ギャガン)、助演男優(ベネチオ・デル・トロ)、編集の四部門で獲得した注目作。しかし、アカデミー受賞が決定する前から、劇場予告編を見て非常に気になっていた――多分、私好みの作品だろうと感じたから。故に、今月『ハンニバル』よりも『スターリングラード』よりも楽しみにしていた作品なのだ。
 物語の構造は複雑。終わってからもその全体像の緻密さに酔いしれることが出来る。三つの物語は「巨大麻薬コネクション」という共通要素を以て交錯するが、基本的にはあくまで別の出来事として最後まで密接に交わることはない――唯一の例外が、メキシコ国境で拷問を受けた殺し屋・フランシスコがその後サンディエゴにて再び重要な役割を担うこと。だが、決してバラバラな印象はなく、ある時はカメラの視点をずらすことで二つの物語の登場人物を同じ場面で扱い、ある時は巧妙な場面の連携で、すべてを「麻薬コネクション」のキーワードの元、一致する物語として描いてみせる。それでいて、それぞれのエピソードが混乱することなく理解できるのは、舞台ごとに画面の基本的な色調を変えているためだ。メキシコは荒涼たる砂漠の気配を滲ませた黄を、オハイオは冷静さと断絶の印象を深める青、サンディエゴは情熱と狂奔とを思わせる赤を基調とし、知らず知らずのうちにその色彩が観客の脳裏に一続きのエピソードを呼び戻すように仕組まれている。
 本編にヒーローは存在しない。かつ物語は最後まで交錯しないまま、「トラフィック」と捜査官たちの戦いにも決着がないまま完結する。にも拘わらず深く忘れがたい余韻を齎すのは、個々の登場人物の動きを偽りも気取りもなくリアルに追い、決着しないまでもその後を示唆しながら幕を引いているからだ。脚本そのものが緻密な取材によって強靱な迫真性を備えているものの、そういう事実抜きでもこの巧みに抑制を利かせた筋書きは胸に迫るものがある。演出的にも、監督自らがハンディカメラで時に揺れ、時に水に浸かり、時に逆さまになりながら撮影した映像が、ドキュメンタリータッチとフィクションとの狭間を行き来するかのような感覚を齎しツボを突く。最終的な解決を描いていないことを批判する人もあるかも知れないが、本編はそれでいい。無意味な決着はこの圧倒的なリアリティに傷を付ける。それを救うのが、本質的に平凡な捜査官であるハピエールのある夢の実現。冒頭で語った悲痛な夢を払拭するような一幕が、後味に清浄な空気を注ぎ込んでいた。
 ――とまあガイドブックもどきの文句を連ねてきたが、つまりは期待を裏切らない極上の出来でした、と。『snatch』の情けない悪党役から気になっていたベネチオ・デル・トロの、決して誇張されない格好良さも堪能し、大満足。現時点では『snatch』と並ぶ、私にとって今年度ベスト級の一本。――あくまで私の評価ではあるが、『ハンニバル』もこれには劣ります。あくまで私の印象ね。

 本日のお買い物
1,スティーブン・ギャガン『トラフィック』(新潮文庫)
2,皆川博子『死の泉』(早川書房・ハヤカワ文庫JA)

 これだけ惚れ込んでしまったなら買わないわけにはいかんだろうのが1。映画で使用された脚本をそのまま独立した作品として訳出したもの。エピソードを確認する目的もあるが、巻末に付された監督と脚本担当の対談も魅力。
 2は27日に某所で探し回った当の一冊。親本も持っていて尚かつ未読だが、世評を信じて揃えることにしたのであった。…………ばか?

 いま初めて気づいたのだが、今月中旬分の過去ログは、ぼつぼつ二年近くなるこの日記のログの中でも最大のデータサイズとなっていた。もういい加減長大化には歯止めがかかったと思っていたのだが、映画の感想などが長くなりがちな上にそれらを切り離しもせずそのままにし(いずれ別に枠を設けて移動させようかなどと考えているが、多忙につき遅延中)、中旬は表を用いたりもしたために余計サイズが大きくなってしまった模様。……だから改善しよう、というつもりにはなってませんが。

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2001年4月29日(日)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day29

 父はゴルフ、母も用事で外出。家でのーのーとしているのも忸怩という気がしてきて、遂に二日連続の映画鑑賞を実行する。今日は銀座ではなく上野へ。やったらに親子連れの多い公園を自転車で突っ切っていく。
隣のヒットマン』(20世紀FOX配給):カナダはモントリオールの郊外に居を構えるニコラス“オズ”オゼランスキー(マシュー・ペリー)は開業歯科医。だが、共同経営者であった義父は借金苦から自殺、妻との関係も互いを殺したいと念じるほど冷え切っておりお世辞にも幸福とは言い難い。そんなある日、隣家に一人の男が越してきた。職場からの帰りに気さくに挨拶したところ、どうも見覚えがあるような気がする――それもそのはず、彼はかつてマフィアの殺し屋として名を轟かせ、自らが殺した人物の葬儀にチューリップを送ったことからその愛らしい徒名を得た伝説の男、ジミー・“チューリップ”・チュデスキ(ブルース・ウィリス)であった。
 17人を殺害したにも拘わらず司法取引によってわずか五年とした刑期を終え出所したばかりの男に最初は恐慌に陥ったオズであったが、「地元を案内してくれ」と言われてドライブに付き合ってみると、ジミーは存外気さくで侠気があった。胸を撫で下ろしたのも束の間、帰宅したオズに妻のソフィ(ロザンナ・アークェット)は「彼の居場所をマフィアに売って、借金を片づけよう」と無謀な提案をする。しかし借金云々よりも、約束を果たしたら離婚してあげるという言葉に乗せられて、オズは単身ジミーのかつての職場であるシカゴを訪れる。その間に、あろう事かソフィはジミーに接触し、「夫がとんでもないことを企んでいる」と言い放った――
 シカゴに着いたものの、あくまでソフィから逃げるだけのつもりだったオズだが、ここでも事態は彼の思惑を越えて進む。ホテルの彼が予約した部屋には既にマフィア・ヤンニ・ゴゴラック(ケヴィン・ポラック)の手下であるフランキー・フィグス(マイケル・クラーク・ダンカン)が待ちかまえていて、有無を言わさずオズをヤンニの前に引き出した。謝礼金について交渉する余裕もないままに居場所を教える約束をさせられいよいよ進退窮まったオズだったが、見張り役としてホテルに送り込まれたジミーの妻・シンシア(ナターシャ・ヘンストリッジ)と語り合っているうちにほだされて、ベッドを共にする。そうして漸く、この退っ引きならない状況からシンシアを守る、という目的を見出したオズ。しかし、ことにはまだまだ裏があって……
 とまあ、ブルース・ウィリスと言うよりはドラマ『フレンズ』で名を売ったマシュー・ペリーの困惑ぶりが見所の、サスペンス調ブラック・コメディである。自分自身が常に妻から命を狙われているような彼に、裏切り行為からマフィアに付け狙われているような殺し屋が隣人となり挙句には親しくなってしまったが為に、どっちを向いても殺し屋だらけという一時も気を許せないような状況が更に降りかかる。その緊張感は実際昨日見た『トラフィック』並なのだが、それが一から十まで戯画的なためにいちいち可笑しいのである。実際、ここまで追い込まれたら人間笑うか開き直るしかないのだけど、その両方を実践していて飽きさせない。
 シナリオの出来の良さから映画化が即決した、というエピソードがプログラムに載っているが、コミカルなシチュエーションの巧さもさることながら素材の鏤め方に殆ど無駄がなく、物語としての完成度が高い――まあ、ちょっと主人公たちに甘い決着になっている点を厳しく評価してしまうことも出来るのだが、そのお陰で堅苦しさの全くない娯楽作品としてうまく整えられていた、と言えようか。個人的には、元殺し屋とマフィアの駆け引きが殆どないまま勝負がついてしまったのが、シチュエーションからその辺の知能ゲームを期待していた分不満だったが、着眼は寧ろそのあとにあって最後まで緊張感を保ちつつ楽しめたのだから差し引きゼロ、というところ。ベスト級ではないが、1時間40分をきっちり愉しませてくれる水準作。
 だが私にとって興味深かったのは内容よりも音楽。全体にジャズの味わいが濃く、中盤ではあの『Autumn Leaves』のヴォーカル・ヴァージョン(恥ずかしながら、これを歌として聴いたのはほとんど初めてです……)を重要のシーンのバックにてライブの形で流し、エンディングも『Autumn Leaves』と同じピアノ・トリオ+ヴォーカルによるジャズ演奏を宛らミュージック・クリップのように演出しつつ取り込んでいる。これが作品全体のシニカルな雰囲気に馴染んでいるのだ。
 で、帰り際に前売鑑賞券を一枚確保しておく。スピルバーグ監督『A. I.』。他にもキアヌ・リープスがまた曰くありげな役に扮しているらしいサイコ・サスペンス『ザ・ギフト』が気になったが、一度に二枚買うのもどうかと思いひとまず後回し。しかし、『A. I.』の公開は6/30……大体、今書いている長篇の締切頃。複雑なものを感じる。

 先日、何度目かの潜伏を宣言した某氏が俄にストリーミング・ラジオに嵌り、それに巻き込まれて昨晩からあれこれとインターネット放送局を物色して時間を過ごしてしまっている。某氏はアニメソングにゲームミュージックの古典を流す局を中心に聴いているようだが、私はどちらかと言えばやはりジャズ。が、いざ探してみると適当な放送局がない。リアルプレイヤーに初期登録されている局は、かかっている曲の詳細が表示されるなど配慮は細やかだが、いかんせん対応する回線速度が低めのレートに絞られているため音質に不満を禁じ得ないし、またジャンル分けが不明瞭なため私の好みのアーティストが何処ならよく選曲されるのか、取り敢えず聴いてみないことには判断できない。それでもあちこち聴いているうちに何となく好みの曲がかかりやすそうなチューニングを発見し、それを取り替え引換え聴いているのだが、ここで困った事態に遭遇した。
 朝方、ふと気紛れに『New Age』という明瞭なようでいて意味不明なジャンルにチャンネルを合わせていたら、私の琴線に触れる曲がかかった。アーティスト名とタイトルを記憶に留めるが、どうも初めて見る名前に思える。そこで検索にかけてアーティストの詳細情報を得ようとするが、同姓同名の別人なのか或いは前身なのか、映画俳優の情報ばかりが網にかかる。ふと思い立って、アメリカに母体のあるオンラインCDショップで調べてみると……出た。検索にかけて見つからないのも道理で、このアーティスト、問題の曲を含むアルバムが今年発売のデビュー作だった。しかも、だからこそと言えようが、国内盤は存在していない。
 ……悩みに悩んだ挙句、夕方、他数枚のCDとともに注文してしまう。何が困るって、CD自体の価格と輸入・搬送手数料の比が2:1だってことであって。当然、枚数を頼んだ方が得なのであって……。因みに問題の作品は、John Polito『In Motion』、アルバム『Crossing the Line』に収録。


2001年4月30日(月)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/Diary/20010421~.htm#Day30

 今日はまったりと休日気分で過ごす――というより、ここ暫くの疲れがどっと吹き出してきたようで、ましてこの雨模様では出歩く気になれなかった、というのが本当なのだけど。27日の電話に絡む旧稿の加筆改稿作業をまったりと完了させ、ちんたらと同人誌の作業も進めつつ田中芳樹『窓辺には夜の歌』(講談社ノベルス)読了……冊数稼ぎです。事実上の再読で尚かつ思い入れの強いシリーズなので、脳味噌を使わなくても読めるのがいいのだ。これで漸く今年20冊目。遅い……。
 で、そろそろプロットがあろうとあるまいと長篇を書き始めないと危険な時期に突入したのだが、そっちのアイディアは依然降りてこず、その代わりに六月半ばぐらいを目安にする必要のある短篇のアイディアが、入浴中にほぼ完全な形で降ってきたので、上がってPCに向かうと、長篇のために開いていたデータを一旦仕舞って、鍵となる箇所を一気呵成に書き留める。追い込みの時に障害となるべき事象が片付いた分、長篇に没頭しやすい状況が出来てきたという気もするのだが、……一体いつになったら天啓は訪れるのでしょう。

 昨晩、日記をアップロードしたあと、思いがけないところにいいストリーミング・ラジオ局を発見した。実は先日、あれこれと文句を言いながらも変換性能と作動中の安定感の確かさからMP3再生ツールとして愛用していた『MP3 MusicMatch JukeBox』を最新のヴァージョンに変更したのだが、これにストリーミング・ラジオ受信のための機能がいつのまにか備わっていたのだ。特殊な動作をしないものならどんなストリーミング・ラジオでも再生可能のようなのだが、標準ではまずMusicMatchのホームページにアクセスし、そこで運営しているラジオ局に接続するように設定されている。このラジオ局が非常にいいのだ。元がMP3再生ソフトウェアの製造元である所為か音質は極上、しかも一体どんな回線速度とシステムになっているのか、ネットワーク混雑による音飛びは非常に稀でストレスなし。
 如何せん海外のサイトなので日本人の楽曲専門のチャンネルがないこと、それを差し引いてもやっぱりチャンネルの内容がいまいち把握しづらいのが辛いが悩みだが、三つまでならチャンネルの内容をミックスすることも出来るというサービスもあり、あまり気にならない。実際かかる曲も、『All Jazz』と『Smooth Jazz』を等分でミックスすると、マイルス・デイヴィスにメセニーは無論のこと、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガスといった古典から昨今のクリスチャン・マクブライド、グローバー・ワシントン・Jr.、ケニーGにジョシュア・レッドマンと普段聴く機会のない名手の演奏が幾らでもフォローできる。当分これをBGMにしよう……だが困るのは、昨日も記したように、聴いているうちにこれは好みだ、と思うとCDを入手したくなるのであって。しかもMusicMatchのラジオでかかる曲については、アーティスト・楽曲に関する詳細情報を随時取得できるため、労せずして欲しい曲のデータに辿り着けてしまうから、余計に困るのであった……既に、ブラウザの「お気に入り」には、六つほどアルバムデータへの直リンクを保存してあったり。ああああ。

 昨晩、依頼していた同人誌用原稿がひとつ、遂に上がってくる。作者本人が言っていたとおり、ひじょーに何でもない話だが、ゆえに何となくいい。私と某氏の共同執筆も、そろそろひとつが完成するし、次第次第に中身が揃ってきている。……まだまだやることは山積みなのですけどね。


「若おやじの日々」への感想はこちらからお寄せ下さい。深川が空を飛びます(飛ばねえって)
追い詰められてまーす。

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