cinema / 『キャットウーマン』

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キャットウーマン
原題:“Catwoman” / ボブ・ケイン創作、DCコミックス刊のキャラクターに基づく / 監督:ピトフ / 製作:デニーズ・ディ・ノービィ、エドワード・L・マクドネル / 製作総指揮:マイケル・フォトレル、ベンジャミン・メルニカー、マイケル・E・ウスラン、ロバート・カービー、ブルース・バーマン / 原案:テレサ・ベック、ジョン・ブランカート、マイケル・フェリス / 脚本:ジョン・ブランカート、マイケル・フェリス、ジョン・ロジャーズ / 撮影:ティエリー・アーボガスト / 美術:ビル・ブルゼスキー / 編集:シルビー・ランドラ / 衣装:アンガス・ストラシー / 音楽:クラウス・バデルト / 出演:ハル・ベリー、ベンジャミン・ブラット、ランバート・ウィルソン、フランシス・コンロイ、バイロン・マン、アレックス・ボースタイン、マイケル・マッシー、シャロン・ストーン / 配給:Warner Bros.
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:松浦美奈
2004年11月03日日本公開
公式サイト : http://www.catwoman.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2004/11/23)

[粗筋]
 ペイシェンス・フィリップス(ハル・ベリー)は大手化粧品メーカー・ヘデアの広告デザイン部門に勤務している。サリー(アレックス・ボースタイン)ら友人も認める才能豊かなアーティストなのだが、日頃自己主張に不慣れな彼女は、独善的な社長ジョージ・ヘデア(ランバート・ウィルソン)から理解を得られず、新しい仕事も仕上げたあとで言いがかりをつけられ、翌日深夜までに提出しろ、という理不尽な命令をされる始末だった。ジョージの妻で長年専属モデルを務めてきたローレル(シャロン・ストーン)は若干ながらペイシェンスを庇う素振りを見せたが、結婚以来彼女とは大した会話もなく今年から新たなモデルを起用する意を表明したジョージは耳を貸さない。家に帰れば真夜中まで大音響でパーティーを繰り広げる隣人に文句のひとつも言えず、ペイシェンスのストレスは溜まる一方だった。
 明くる朝、部屋の窓のうえに猫を見つけて助けようとしたところを、通りがかった刑事トム・ローン(ベンジャミン・ブラット)に投身自殺の真っ最中と勘違いされ、大騒ぎの末反対に自分が救出される、という一幕を演じる。危険を冒して見知らぬ猫を助けようとした彼女にローンが心惹かれ、久々にロマンスの予感がペイシェンスに訪れたが、とりあえずそれどころではない。懸命に直しの作業を済ませ、配達を頼もうとしたが聞き入れて貰えず、ペイシェンスは手ずから渡すために社長がいるはずの工場へと赴く。
 インタフォンを押しても応答がなく、やむなく非常口から侵入したペイシェンスだったが、そこで恐ろしい話を聞いてしまう。ヘデア社が開発した新製品“ビューリン”には頭痛や眩暈、皮膚の炎症を起こす副作用があり、しかも中毒性の物質を含んでいるというのだ。驚愕したペイシェンスは迂闊にも物音を立て、彼女の存在を察知した相手は躊躇うことなく彼女に銃を向けた。どうにかペイシェンスはパイプの中に逃げ込むが、そこは廃液を海に流すためのパイプだった――激流に飲まれ海に放り出されたペイシェンスはそこで息絶えた――はずだった。
 気づいたとき、ペイシェンスは海岸の岩場に倒れていた。曖昧になった記憶と異様に研ぎ澄まされた五感に困惑しながら家に帰ると、ペイシェンスは出勤時間も昨日ローンと交わした約束も忘れて眠りこける。ペイシェンスはまだ知らない――自分がいちど死んだのち、あの窓辺にいた猫によって、蘇生すると共にそれまでとはまったく異なる力を与えられていたことに。

[感想]
 フランス映画『ヴィドック』はなかなか強烈なインパクトのある作品だった。実在した元犯罪者の探偵をモチーフにしながら筋はオリジナル、数多の探偵小説にも影響を与えた人物を採りあげたわりに物語は多少のひねりこそあれど謎解きの要素は乏しかったが、『スターウォーズ Episode II』に先んじて新開発のHDカメラを使用、ほぼすべての場面にCG処理を施し19世紀のフランスを異世界のように表現した独特のヴィジュアル感覚が印象的だった。その『ヴィドック』を手がけたのがピトフ監督であり、本編は彼の待望久しい長篇第二作にしてハリウッド進出作でもある。
 基本的な筋はアメコミ、特に人間でありながら特殊能力を備えたヒーローものを映画化した作品としてはオーソドックスなものになっている。はじめはうだつの上がらない主人公があるきっかけで特殊能力を得、最初はその能力に翻弄され或いは有頂天になるが、ある出来事をきっかけにその能力を受け入れ、巨大な敵と対峙する、という具合だ。設定や状況は千差万別でも、このおおまかな骨格だけは殆ど変わらないことは実際に『スパイダーマン』『デアデビル』『ハルク』、ついでにこうした作品群の影響が色濃い『マトリックス』や『アンブレイカブル』あたりを御覧いただければ解るはず。
 しかし本編がそうした作品群とやや異なった印象を与えるのは、ヒロインであるペイシェンス・フィリップスが自らの能力を自覚するのに時間がかかること、覚醒したのちも自発的に善行に及ぶのではなく、欲求のままに行動を決めている点だ。上記の粗筋のあと、猫の特性を与えられた彼女は欲求の赴くままに街に飛び出し、宝石強盗を阻止しながらも代わりに盗みを働く、という挙に出る。翌朝我に返ってすぐさま商品は戻すが、幾つか自分のために残しているのがちょっと可笑しい。
 その後、自分がいちど息絶えたときの記憶を蘇らせると、今度は悪魔的な化粧品“ビューリン”の発売を阻止するのではなく、自分が殺されたことの復讐のために関係者の前に出没する。最終的にペイシェンス=キャットウーマンが態度を明確にするのは、“ビューリン”の脅威が身近な人間に及んだところからである。見知らぬ他人に奉仕したいなどといった殊勝な意思からでは決してない。
 このスタンスは、特殊能力を猫からイメージしていること、そして力を託されるのが女性である、という事実と無関係ではない。猫と多少なりとも触れ合った人間なら解るとおり、この生き物は決して人間(他人)の意のままにはならない。飼われていても飼い主の命令に従うことなど滅多にないし、意図的に助けたなどという話もまるで聞かない。凡そ自由気ままで奔放な生き物であり、その特性を与えられたヒロインもまた、自己主張が乏しく自身のカケラもない性格を変容させた。同時にこの変化は、やもすると男性優位に陥りがちな社会で自立性を求める女性の一種の理想をも体現している。ついでに言えば、このヒロインを演じているのがまだアメリカ社会でマイノリティーの印象を拭いきれない黒人の女優ハル・ベリーであることも無意味ではない。
 プロット面ではどうしてもぎこちなさを多々感じる。いったいどういう経緯でペイシェンスに特殊能力が託されたのかが不明だし、彼女がその能力の由来を知るきっかけにも不自然さがつきまとう。また、犯人側の描写には一部サプライズを目論んだと思われる箇所が認められるのだが、それがほとんど効果を上げていないことも残念だった。中盤でのある人物の行動の裏が簡単に読めるので、その向こうに置かれるべきだった意外性がインパクトを失ってしまっているのである。
 が、そうしたマイナス面を、オーソドックスな筋をだらけることなく見せきる演出のスピード感と、独特のカメラワークと色彩感覚によるヴィジュアルが充分に補っている。アクションにブラジルの舞踏に近い武術“カポエイラ”を導入したことも、作品のリズムを独特なものにしている。“カポエイラ”を駆使し美しい肢体を縦横無尽に舞わせるハル・ベリーの姿はそれだけでも見応えがあるが、ちゃんと攻撃時の“重み”も表現しており、迫力の面でも申し分ない。
 通常の演技の面でもヒロインのハル・ベリーは無論、柔らかだが存在感のあるベンジャミン・ブラッドに悪党っぷりが冴え渡るランバート・ウィルソン(『マトリックス・リローデッド』のメロビンジアンを思い出していただきたい)、そして美貌と鬱屈とを力強く表現した円熟のシャロン・ストーンと、いずれも質が高い。
 もうひとつアクション面で尖った印象を齎す箇所が欲しかったところだが、全体にレベルの高い、よくできた娯楽映画である。満点は出せないまでも、誰が観てもとりあえず納得のいく仕上がりといっていいと思う。
 アメリカでは興行的にいまひとつで、それでもハル・ベリーが続編に意欲出来だったと言い、その話を聞いたときは「あーまた我が儘言ってるか」と苦笑したものだが、この様子なら続編にちょっと期待したい――最低限彼女自身とピトフ監督の再起用があることを大前提としたうえで、だけど。

(2004/11/23)


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