cinema / 『父親たちの星条旗』

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父親たちの星条旗
原題:“Flags of Our Fathers” / 原作:ジェームズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ / 監督:クリント・イーストウッド / 脚本:ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイルズJr. / 製作:スティーヴン・スピルバーグ、クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ / 共同製作:ティム・ムーア / 撮影監督:トム・スターン / 美術:ヘンリー・バムステッド / 編集:ジョエル・コックス,A.C.E. / 衣装:デボラ・ホッパー / 音楽:クリント・イーストウッド / 出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ、ジェイミー・ベル、バリー・ペッパー、ポール・ウォーカー、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、ジョン・スラッテリー、ロバート・パトリック / マルパソ&アンブリン・エンタテインメント製作 / 配給:Warner Bros.
2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間12分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2006年10月28日日本公開
公式サイト : http://www.iwojima-movies.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/10/28)

[粗筋]
 太平洋戦争末期の1945年2月、最前線の硫黄島からアメリカに齎された1枚の写真が、その後の戦争の行方を決定づけた、と言われている。六人の兵士が重いポールを支え、硫黄島の要衝である擂鉢山山頂にいましも星条旗を立てようとしている情景を収めたものである。ピューリッツァー賞にも輝いたこの有名な1枚には、だが様々なドラマが秘められていた。
 硫黄島制圧後、旗を掲げたとされる六人のうち、生存する三名が先にアメリカへと帰還した。そのメンバーは、衛生下士官ジョン・“ドク”・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)、伝令兵レイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)、海兵アイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)の三人。長期化する戦況に嫌気が差していたアメリカ国民は、勝利への布石を齎した“英雄”の帰還に熱狂する。
 果ての見えない戦いはアメリカの財政を圧迫、既に銃弾の供給もおぼつかない状況になっていた。バド・ガーバー(ジョン・スラッテリー)は“英雄”たちを戦時国債発行のための客寄せに利用、アメリカ国内を巡るキャンペーン・ツアーを企画する。ギャグノンは立身出世の機会とばかり意気揚々と演説し、ドクは黙々と使命に従うが、もともと名前を挙げることを拒んでいたヘイズは、自らが戦場で果たした役割にはそぐわない仕事の齎す心痛に、酒浸りになっていった。
 ――実は、あの写真には、現場にいた者だけが知る、真の背景が存在する。程度の違いはあれど、“英雄”として全国を行脚する3人の胸には、その一部始終が焼きついていた。あの写真は山頂に初めて掲揚されたものではなく、あとから立て直されたものなのである。
 キャンペーンののち、ドクは葬儀屋となり、50年に渡って家族の生活を支えてきたが、硫黄島の出来事について詳細を語ることはなかった。彼の死が間近に迫り、あの島での出来事を思いだしているらしい譫言を耳にした息子のジェームズは、当時の事情を知る人々に接触して話を聞く。そうして、彼の眼前に、硫黄島での出来事が蘇っていった……

[感想]
 監督・脚本は『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞に輝いたクリント・イーストウッドとポール・ハギスのコンビ。製作は『シンドラーのリスト』『ミュンヘン』と実話を題材にした戦争映画において傑出した手腕を示すスティーヴン・スピルバーグ。この3人の名前があるだけで、ドラマとしての出来に不安は感じなかったが、まさに期待を裏切らない完成度である。
 物語はいわば三層構造になっている。核は硫黄島上陸から始まる激戦。その様子は戦闘終了後、“英雄”として担ぎ出された3人がアメリカ全土を巡る姿を追う一方で、主にドクの回想として描かれている。そしてそれらを、父が口を噤んでいた一連の出来事について調べていく息子の、現代の視点で綴る。そうすることにより、2時間わずかという限られた尺のなかで、3つの世界における価値観を折り重ね、硫黄島で起きた悲劇を多面的に描き出すことに成功している。このあたりは昨年、『クラッシュ』によって混じりあわない人々が交差する一瞬を織り成し、重層的な余韻を齎したポール・ハギスが脚本に名前を連ねているからこその巧さだろう。
 その構成の絶妙さもさることながら、硫黄島での戦闘場面と、アメリカ本土での狂騒、そして当事者である“英雄”とその遺族の心象描写を見事に描き分け、緩急をつけた演出が、観るものを引きつけて離さない。硫黄島での戦闘では、大規模なセットとCGとを多用し、その凄惨さも容赦なく描き、息も詰まるような迫力を実現している。他方、アメリカでの“英雄”たちに対する歓迎ぶりも同様に派手に演出しているが、カメラワークはずっと穏やかであり、当事者である3人との温度差を巧みに表現する。そして本当の主人公たちの姿は青みが強く動きの少ない、カットの少ないカメラワークによって静かに切々と見せていく。そのコントラストが物語にリズムを形作ると共に、作品全体に重厚感を与え、その悲劇性をより明瞭に見せる。
 先ほどまで話をしていた戦友が目の前で吹き飛び、尊敬の出来る上官でさえも味方の砲弾によって無為に命を落とす。誇りなど持ちようのない戦況は、3人の英雄にもその遺族にも気取った言葉など吐かせない。その描き方にはかつての戦争映画にあった格好良さなど微塵もなく、そこに存在した幻想をも吹き飛ばしていく。
 物語としての結論は本編にはない。声高に反戦を訴えるわけでもない。ただ、観る者に対して穏やかにその是非を問いかけてくるだけ。気取った台詞も活躍の場もないからこそ、些細な言葉が胸を打ち、戦いの惨たらしさが哀しみと業の深さとを如実に語る。確信を持った語り口が齎す重厚感が、観終わったあともいつまでも胸を離れない。
 物語は、激戦の中ではあまりにも意外なワンシーンによって結末が飾られる。そこで描かれる兵士たちの姿はあまりに瑞々しく、だからこそ一連の出来事の哀しみを強め、清澄な余韻を残す。珠玉という言葉が似つかわしい、太平洋戦争を描いた映画のなかでは、ここ数年の頂点にある作品であると思う。戦争映画が好きであるとかきらいであるとか、そんな感情に拘わらず、一見の価値があることは間違いない。

 ――来たる12月9日には、同じ硫黄島での戦闘を、対する日本の側から描いた『硫黄島からの手紙』が、アメリカに先駆けて公開される。どちらが善でも悪でもない、等しく悲劇と人間としてのドラマを積み重ねていく戦争というものの実像をふたたび描き、より深めるであろう姉妹編の公開が、いまから待ち遠しい。待ち遠しすぎてもう感想用のファイルだけ準備してしまいました。

(2006/10/28)


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