cinema / 『ミュンヘン』

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ミュンヘン
原題:“Munich” / 監督:スティーヴン・スピルバーグ / 脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロス / 参考図書:ジョージ・ジョナス『標的は11人―モサド暗殺チームの記録』(新潮文庫・刊) / 製作:キャスリーン・ケネディ、スティーヴン・スピルバーグ、バリー・メンデル、コリン・ウィルソン / 撮影監督:ヤヌス・カミンスキー,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:リック・カーター / 編集:マイケル・カーン,A.C.E. / 衣裳デザイナー:ジョアンナ・ジョンストン / 音楽:ジョン・ウィリアムズ / 出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソヴィッツ、ハンス・ジシュラー、ジェフリー・ラッシュ、アイェレット・ゾラー、ギラ・アルマゴール、ミシェル・ロンズデール、マチュー・アマルリック、モーリッツ・ブライブトロイ、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、メレト・ベッカー、マリー=ジョゼ・クルーズ、イヴァン・アタル、アミ・ワインバーグ、リン・コーエン / 配給:Asmik Ace
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間44分 / 日本語字幕:松浦美奈
2006年02月04日日本公開
公式サイト : http://www.munich.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/02/06)

[粗筋]
 1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピックで活気づく西ドイツから世界へと激しい衝撃が走った。選手村にパレスチナの過激派集団“黒い九月”の11名が潜入、イスラエル人選手11人を人質に立て籠もり、イスラエル政府に対し人質と引換に200名の政治犯の釈放を要求する。交渉は進まず、また複雑な法律上の問題から西ドイツ警察が突入も出来ないままに時間は経ち、“黒い九月”の面々は空路で西ドイツを脱出、あとには人質たちの屍体だけが残された。
 時のイスラエル首相ゴルダ・メイア(リン・コーエン)は国際社会がこの事件に大した興味を示さないことを早くから察し、自らの手で“報復”を実現することを強硬に主張した。彼女の提言に添う形で慎重に人選が為された結果、選ばれたのがアヴナー(エリック・バナ)である――彼は国にとっての英雄である人物のひとり息子だが、本人はイスラエルの情報機関モサドに所属しながら首相や将軍らの警護役に甘んじている。真面目で誠実、反骨精神や過剰な愛国心とも無縁であることが却ってこの“任務”に相応しい、と判断されたのだ。
 折しもアヴナーは愛妻ダフナ(アイェレット・ゾラー)が妊娠七ヶ月という状況であったが、問題のテロに対しては自らも憤りを感じていたアヴナーはこの任務を受諾する。遂行にあたって課せられた条件は、決して軽くはなかった。まず、公式に国が“復讐”に打って出たと捉えられるわけにはいかないため、アヴナーはモサドから籍を抜き、部外者に転じた。また、“報復”はアラブ諸国ではなく西欧諸国で行うこと。東側諸国でもまずい。戦闘ではないので、基本的にひとりずつ別個に殺していくこと。標的の所在についても、モサドとの接触を避けるために自らの手で探ること。そのための費用は随時、スイスの小さな銀行の貸金庫に補充される。以降、窓口の役割はエフライム(ジェフリー・ラッシュ)のみが務め、他にパイプは設定しない。
 アヴナーには四名の部下が配された。車輌のスペシャリストであるスティーヴ(ダニエル・クレイグ)。爆発物の扱いに長けたロバート(マチュー・カソヴィッツ)。文書偽造の技術者ハンス(ハンス・ジシュラー)。そして事後処理を一手に引き受けるカール(キアラン・ハインズ)。ジュネーヴで初めて対面した一同は、得た情報を元にさっそくローマへと赴く。
 最初の標的は、ワエル・ズワイテル。テロ事件の首謀者のひとりであるワエルは事件のあと『千夜一夜物語』のイタリア語訳を出版、その宣伝活動に勤しんでいた。最初の犯行はクジ引きにより、アヴナーとロバートのふたりが銃で行うことになった。宣伝の帰り、ひとりになったところを見計らって襲撃、あっさりと暗殺を成し遂げる。
 最初の成功を手放しで喜んだ一同は、いかなる政府にも与さない情報組織の男ルイ(マチュー・アルマリック)の情報に基づき、次なる目標のいるパリへとすぐさま移動した。警戒を配慮して爆弾での殺害を試みるが、標的の娘をも手にかけそうになり、危ういところで最悪の事態を回避する。無関係な人間を巻き込まないこともまた、アヴナーたちに課せられた条件のひとつだったのだ。
 だが、状況は少しずつ、アヴナーたちの操れる状態ではなくなっていく。彼らの気づかないうちに、じわじわと……

[感想]
 911からイラク戦争へ、という流れを経て数年、いわゆる戦争映画の作られ方は変わってきたように思う。武器商人という位置づけから戦争の矛盾を抉った『ロード・オブ・ウォー』、戦争を知らない軍の内膜を赤裸々に描いて公開まで長い年月を必要とした『戦争のはじめかた(DVD邦題:バッファロー・ソルジャーズ)』のように、平和という大義のために戦争に邁進する“アメリカ”という国家を、一歩引いた立場からシニカルに眺める作品が増えた、という印象だ。
 本編は、今やハリウッドきっての大物となった感のあるスティーヴン・スピルバーグが、そうした岐路を経てから初めて本格的に手懸けた社会派作品であり、戦争映画と言えるものであるが、前述の作品と比べると佇まいは至って真剣だ。911を経るまでもなく『太陽の帝国』、『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』と定期的に戦争の意味を問う作品を発表してきた人物であるだけにそれも当然と言えようか。
 しかし序盤の手触りは決してテーマ通りの、単純に重々しいものではない。物語はまず、ミュンヘン・オリンピック選手村で発生した惨劇を、当時の白黒のテレビ画面を模した報道映像と、通常どおりに芝居を撮影したカラー映像とシンクロさせ、同じ時代にいるかのような臨場感で以て描いたあと、すぐさまイスラエルによる報復計画へとスライドしていく。この流れは、大事件が起こったことを感じさせながら、しかし依然としてどこか他人事のような感覚でいる主人公と同じ立場に観客を置かせている。
 それ故に、序盤の描写には観客のほうもまだ和やかさを感じる余地がある。豊潤な予算を用意すると言いながらも「必ず領収書を寄越せ」と繰り返す出納係、暗殺チームの面々が初対面するくだりにおける韜晦的なやり取り、初仕事の緊迫しながらもどこか間の抜けた様子。同胞が11人も殺されたという義憤に駆られながらも、彼らにはその義憤そのものにいささか自己陶酔を覚えているような風情があり、やはりどこか他人事のような印象を齎すのである。
 だが、犯行を重ね、幾つもの危機に遭遇していくうちに、この和やかさは知らぬ間に消し飛んでいる。にわか仕込みの暗殺チームであるための不手際、連絡が制約されているための孤立感と、内部にも存在する認識の温度差。ミュンヘン事件の犯人の足跡を追うために協力を取り付けた組織に対しても、偽りを口にしながら義理を通さねばならない自己瞞着。更には、発注したのと異なるレベルの爆薬が供給されたことを契機に、自らもまた狙われる立場に転じたことを自覚する。特に衝撃的なのは、中盤において語られていたある種の行動を、主人公アヴナーがなぞってしまうくだりだ。何処に存在していたかも解らない不可逆の一線を、彼がとうに超えてしまったことを暗示するこのくだりは異様な緊迫感に満たされると共に、どうしようもない哀しみに彩られており、作品のなかにあって数多くある残虐な場面よりも遥かに衝撃的だ。
 一方で、敵を追いながらヨーロッパ各地を転々とし、様々な人々と触れ合うことによって、民族としての誇りに矛盾する任務への疑問が、アヴナーの胸中に着実に育っていく。とりわけ彼の中に強い疑念を芽ぐませたのは、情報や資材の調達に協力している組織の長のもとに招かれた際の一部始終であろう。作中でも“パパ”と呼ばれているこの人物はフランスの長閑な土地で、大勢の子供や孫たちに囲まれて、平穏としか言いようのない暮らしを送っている――政治との関わりを断ち、独自の情報網と資金力で闇の世界に権力を誇示している組織の長が、誰よりも人間の理想とする日々を過ごしている、奇妙さ。しかもそんな“パパ”は、国家のために働く一方で、それ以上に家族を守ることに腐心するアヴナーの一面も察知し、評価する。
 そう、本編における最も皮肉な側面は、“民族の誇り”のため人間狩りの使命を帯びた男が、並行して人の親となっている点だ。この事実はしばしば報復計画の進展とシンクロして、物語の表面に浮かび上がってきてはアヴナーを、ひいては観客の心を射抜く。絶妙なタイミングで提示される、アヴナーの子供の誕生・成長の過程はそのまま報復計画と重なってこちらの網膜に焼き付けられる。その姿が純粋であればあるほど、命のやり取りを繰り返すことへの疑念は強まるのだ。
 そうしたテロリズムと報復の連鎖という構造をかくも解りやすく、しかも衝撃的に描いた作品はあまり記憶にない。最終的にアヴナーは、物語当初の時点では恐らく彼自身夢想だにしなかったであろう結論を選ぶが、それが唯一無二の正解でないことは、エンディングに登場する僅か数行のクレジットと、私たちが知っているその後の歴史が饒舌に物語っている。
 だが、性急に答を求めもせず、提示もしないことにこそ、意味があるのだろう。観終わったあと、片の付かない黒々としたものを観客に残すことを目指し、成し遂げているというだけで本編には充分な価値がある。スピルバーグ監督が手懸けた先行するどの戦争映画よりも衝撃的で、挑発的な作品だと思う。

 テーマと物語の展開だけでだいぶ行数を費やしてしまったが、本編は映像演出の面でも、登場人物たちの演技の面でもかなりクオリティが高い。色彩の量を調整することで舞台となる各国の空気を演出しつつ、残虐描写の衝撃を巧みにコントロールする映像と、その中でそれぞれが存在感を誇示しながらアンサンブルを崩さない演技は、さながら上質のドキュメンタリーを眺めているような錯覚に陥らせる。
 とりわけ主演のエリック・バナは素晴らしかった。これといった主義主張もない凡庸な男であるが故に刺客に選ばれ、次第に心の平衡を失っていくさまを沈着に克明に辿っている。最後まで彼が超人的にならなかったことが、物語に更なる説得力を付与している。屈折した内面を持つ超人を演じた『ハルク』、ブラッド・ピットと対等にわたりあってみせた『トロイ』と、卓越した演技力に密かに注目していたが、今後も目が離せそうにない。

戦争とテロを知るうえで参考になる映画作品:『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』、『フォッグ・オブ・ウォー』、『華氏911』、『25時』、『エレファント

(2006/02/07)


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