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『light as a feather』トップページに戻るジャケット
原題:“Jacket” / 監督:ジョン・メイブリー / 原案:トム・ブリーカー、マーク・ロッコ / 脚本:マッシー・タジェディン / 製作:ジョージ・クルーニー、ピーター・グーバー、スティーヴン・ソダーバーグ / 製作総指揮:ベン・コスグローヴ、マーク・キューバン、ジェニファー・フォックス、アンディ・グロッシュ、オリ・マーマー、ティモシー・J・ニコラス、クロス・ロバーツ、ピーター・E・ストラウス、トッド・ワグナー / 撮影監督:ピーター・デミング,A.S.C. / 美術:アラン・マクドナルド / 編集:エマ・E・ヒコックス,A.C.E. / 衣装デザイン:ダグ・ホール / 音楽:ブライアン・イーノ / 出演:エイドリアン・ブロディ、キーラ・ナイトレイ、クリス・クリストファーソン、ジェニファー・ジェイソン・リー、ケリー・リンチ、ブラッド・レンフロ、ダニエル・クレイグ / セクション・エイト製作 / 配給:松竹
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2006年05月20日日本公開
公式サイト : http://www.jacket-movie.jp/
東劇にて初見(2006/05/20)[粗筋]
1991年、湾岸戦争に従軍したジャック・スタークス(エイドリアン・ブロディ)は頭に銃弾を受け、いちどは死亡を宣告された。搬送直前に蘇生したジャックは勲章を受けて除隊、郷里に戻される。
それから約一年後、ヒッチハイクをしていたジャックは道中、エンストして立ち往生する親子と遭遇する。母親のジーン(ケリー・リンチ)は泥酔状態でジャックに対して敵意を顕わにするが、娘のジャッキーはジャックの言葉に素直に従い、修理してくれた彼に感謝する。バックパックにぶら下がっていたドッグタグ(軍隊の認識票)に興味を示したジャッキーに、ジャックはそれをプレゼントして、親子と別れる。
しばらくして別の車を捕まえて移動していたジャックだったが――気づけば、病院にいた。しかも警官を射殺したとして罪に問われ、戦争中の負傷と記憶喪失、そして今回の事件前後の記憶をも失っていたという事実から心神耗弱状態での犯行と結論されたジャックは、アルパイン・グローブ精神病院に収容される。
そこで彼を担当したベッカー医師(クリス・クリストファーソン)がジャックに対して用いた治療法は、あまりに過酷なものだった。薬品によって意識が朦朧となった彼に拘束衣を着せ、病院地下にある屍体安置所の、ベッドが収容できる幅と高さしかない狭い引き出し棚に一定時間閉じこめる。胎内と近い状態にして、現実と妄想を峻別する能力を恢復させる、という理論だったが、狭く暗い空間でジャックが目にしたのは、湾岸戦争に派遣されていた頃の、忌まわしい事件前後の衝撃的な記憶の数々。そして、気づけば彼は夜の街中、モーテルに併設されたガソリン・スタンドに佇んでいた。
折しもクリスマス・イヴの夜である。訳も解らず呆然とあたりを見廻していた彼に、モーテルのダイナーから車でひとり出て来た女性(キーラ・ナイトレイ)が呼びかけ、家に招いた。寒空にひとり凍え死なれては後味が悪いから、という彼女は粗末な家にひとり暮らしで、酒と煙草に依存した荒んだ暮らしをしているのがあからさまだった。疲れてソファに眠り込んだ彼女の指のあいだから煙草を抜いて消してやったあと、何気なく部屋を見廻したジャックは、机のうえに重ねられたアルバムに目を留める。そこに映っている親子に、何故か見覚えがあった。脇にかけられたものを見つけるに至って、その感覚は確信に変わり、更に驚愕を齎す。
机の傍にかけられていたのは、湾岸戦争当時に彼が身に付けていたドッグタグ。アルバムに映っていたのは、あの運命の日、直前に彼が助けた、ジーンとジャッキーの親子だった。
眠っていた女性を起こし、写真の出所を訊ねると、あろうことか彼女は幼い頃の自分と母だ、と応える。動揺しながらジャックは、現在がいったい何年なのか訊ねる。成長したジャッキーは、2007年、と応えた。自分でも信じきれない思いで、あの日車を修理した男だ、と告白すると、彼女は激昂して否定した。
ジャックはその後、死んだのだ。1993年の年明けに、精神病院内において屍体となって発見されたのだ、とジャッキーは告げる……[感想]
製作者も自覚のうえでやっていたようだが、ジャンルというものが絞り込みにくい作品である。
広告や予告編で齎された情報からは、タイムスリップ・テーマを軸にしたSFミステリのように読み取れたが、そういう意味では食い足りない仕上がりである。観客がいちばん疑問に思うであろう点についての答は示されず、主人公ジャックが何よりも気にかける出来事は実にあっさりと処理される。
ただ、途中から目的が変化してきているのは物語のなかできちんと示唆されている。その変化を受けたからこそ、謎解きについてはシンプルに片付けられ、代わりに手紙のかたちで主人公の胸中が綴られる、という格好でクライマックスが構成されているのだ。
謎解き以外に垣間見えるものには、戦争後遺症を背景にしたサイコサスペンス的な趣向や、時間の壁によって阻まれたラヴ・ロマンスとしての側面などだが、これらにしても決して深々とは掘り下げられていない。サイコサスペンス的な部分を強調するのであれば、もっと精神病院内で他の患者との交流であったり、医師との確執、自らの“病”の真偽を巡る葛藤などが描かれて然るべきであろうし、ラヴ・ロマンスとしては過程があまりに急速だ。
ではこの物語が描こうとしているのは何なのか。――強いて言うなら、人間の記憶の不連続性や曖昧さであり、未来を知るというかたちで直面した“死”にどう対峙するか、という意識の変化のドラマである。前提として提示された、記憶喪失と戦争後遺症にこじつけられた無実の罪、それによって治療の名のもとに課される拷問同然の行為、結果として偶然に齎された未来へのタイムスリップという状況、そうしたものを謎解きとしてではなく、ドラマの素材として扱うことに腐心したのが本編なのである。
そう捉えなおして鑑賞すると、本編は非常に優秀なのだ。主人公の追い込まれていく状況を緻密に描き、余分な葛藤を抜きにして状況を把握させると、我が身に何が起きたのか、どうすれば訪れる自らの死を回避できるのか、を探りはじめる。1992年から2007年に跳躍する瞬間のヴィジュアル、閉じこめられるという事実に対する態度の変化、迫り来る死と別れの予感への微かな怯えと諦念、そうした感情の機微と劇的な変化が静かに、しかし着実に描き出されており、心的世界の拡がりは素晴らしいものがある。
この点においては、役者の選択も大いに貢献している。最年少にしてアカデミー主演男優賞を獲得したエイドリアン・ブロディの劇的ながらも迫真の演技が、決して解り易くはないジャックという人間のもつ空気を見事に表現し、そんな彼の生きる意味に変容していく運命の女性であり、だが現在は母に似て荒んだ生活をしている複雑なジャッキーという人物を、こちらも若くしてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた経歴のあるキーラ・ナイトレイが好演している。1992年の精神病院にてジャックと関わる脇役たちも、堅実な存在感で物語を巧みに補強する。
加えて本編は、細かな部分に盛り込まれた象徴がよく出来ている。特に、一貫して物語を覆い尽くす雪景色の扱いが絶妙だ。この季節と、ジャックの経歴のある部分と、幾つかのモチーフを組み合わせると、本編は実はさりげないクリスマス・ストーリーという側面さえある、という捉え方も出来てしまう。掘り下げれば幾らでも掘り下げられる、奥行きのある作劇は、作品の印象を深く強烈なものにしている。
前述のとおり、結末に至っても決してすっきりとした謎解きは為されないし、様々なことを曖昧なままにしたラストシーンには違和感を覚える向きもあるだろう。だが、記憶の断絶に翻弄され、迫り来る死と戦った挙句に、ああした選択をするに至った男の物語の幕切れとしては、これ以上に相応しく、快いものはなかっただろう。最後に置かれる、途中のあるひと言を繰り返す意味深な台詞にしても、敢えて答を出さずに観客に判断を委ねる本編らしいものだ。
製作を手懸けたジョージ・クルーニーとスティーヴン・ソダーバーグは、ハリウッド式の大作に疑問を覚え、実験的な作風や作家性の高い監督たちを起用しつつも、興行的に成功するものを作る、という目標を掲げて“セクション・エイト”というレーベルを興したという。『コンフェッション』『ウェルカム・トゥ・コリンウッド』『エデンより彼方に』、そして先頃賞レースを騒がせた『グッドナイト&グッドラック』、と手懸けた作品を並べてみても解るように、その意思に違わず一筋縄でいかないものが多い。そうした作品に連なるに相応しく、非常に癖のある、しかし一本芯の通った良作である。(2006/05/20)