/ 『ペイチェック 消された記憶』
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『light as a feather』トップページに戻るペイチェック 消された記憶
原題:“Paycheck” / 原作:フィリップ・K・ディック『ペイチェック』(ハヤカワ文庫SF) / 監督:ジョン・ウー / 脚色:ディーン・ジョーガリス / 製作:ジョン・デイヴィス、マイケル・ハケット、テレンス・チャン、ジョン・ウー / 製作総指揮:ストラットン・レオポルド、デヴィッド・ソロモン / 撮影監督:ジェフリー・L・キンボール,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ウィリアム・サンデル / 編集:ケヴィン・スティット,A.C.E.。クリストファー・ラウズ / 視覚効果スーパーヴァイザー:グレゴリー・L・マクマレー / 衣裳デザイナー:エリカ・エデル・フィリップス / 音楽:ジョン・パウエル / 出演:ベン・アフレック、アーロン・エッカート、ユマ・サーマン、ポール・ジアマッティ、コルム・フィオール、ジョー・モートン、マイケル・C・ホール / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間58分 / 日本版字幕:林 完治
2004年03月13日日本公開
公式サイト : http://www.paycheck.jp/
日比谷スカラ座1にて初見(2004/03/16)[粗筋]
マイケル・ジェニングス(ベン・アフレック)はその才能を活かして、期間限定であちこちの企業に雇われる、いわば流しの技術屋として収入を得ていた。期間が終了すると相棒であるショーティ(ポール・ジアマッティ)によって該当する期間の記憶を脳から消去し、特許権を巡る訴訟が起きることを未然に防ぐ。しかし、繰り返し頭脳に負荷をかけるこの稼業に、ふたりとも不安と限界を感じ始めていた。
そんな彼に、旧友であり、いまやハイテク企業オールコム社の経営者として巨万の富を築いたジェームズ・レスリック(アーロン・エッカート)が大きな仕事を持ちかけてきた。報酬はオールコム社の株式40%、記憶を抹消する期間は三年――これまでの限度であった二ヶ月をはるかに超える内容にしばし躊躇したマイケルだったが、最終的に承諾する。その理由の一端は、もしかしたらレスリックに招かれたパーティーの席で出会った、オールコム社に勤める生物学者レイチェル(ユマ・サーマン)の存在があったからかも知れない。
三年間は、瞬きのうちに消えた。レスリックの「やったな」という台詞に送り出され、帰宅したマイケルがネットワークでオールコム社の株式を確認すると、実にマイケルの取り分となるはずの額面は9200万ドルにも達していた。欣喜雀躍として法律事務所を訪れたマイケルだったが、彼を待っていたのは、数週間前にマイケル自らの連絡により報酬は放棄されたという現実と、私物として預けられたという、しかし彼にとって見覚えのない19点の品物だった。
抗議したマイケルは別室に通され、間もなく待機していたFBIによって拘束された。事態の呑み込めない彼に捜査官のドッジ(ジョー・モートン)は、オールコム社でのマイケルの開発内容が反逆罪に当たる可能性がある、と告げる。三年前、政府の研究室に所属していた人物が研究内容を持ち出してオールコム社に匿われ、しばらくのちにアパートの窓から転落死した。その人物が開発していたのは、宇宙の極限まで観測を可能とするレンズを含む幾つかの技術。最近提出された特許申請書に、それに酷似した内容があり、すべてにマイケルのサインが残っていたというのだ。マイケルは三年間の記憶が消去されている、思い出せたら話している、と抗弁するが、FBIは納得しない。彼の頭脳をスキャンしてその痕跡を手繰ろうとするが、残されているのは茫漠とした記録だけだった。
進退窮まったマイケルだったが、思いがけない出来事が彼を救った。ドッジがマイケルの荷物から見つけた無煙タバコで一服したところ、中身がなぜか通常のタバコにすり替わっており、反応した防災装置が室内を消化剤で満たした。もうひとつのアイテム、工業用サングラスで無事に部屋を脱出すると、更にバス停で追跡を振り切り、これも封入してあったバス乗車券によって無事その場を脱出する。
それらはすべて、彼が法律事務所でマイケル自身の私物として渡された封筒のなかに入っていた代物だった。車内で何気なく中身を開けていたところ、不良少年によってそのうちのひとつである指輪を掠め取られ、慌てて追いかけたマイケルは、いつの間にか法律事務所の前に舞い戻っていた。まるで導かれるように事務所を訪ねると、マイケルは封筒の送り主を確かめる――それは、疑いようもなく、記憶を消される以前のマイケルが投函したものだった……[感想]
ここ数年だけでも『クローン』、『マイノリティ・リポート』、今後もまだまだ予定があるというフィリップ・K・ディック作品の映画化最新作である――が、既に愛読者なら覚悟済みだろうが、そのままの映像化を期待すると失望することは間違いない。
原作はディック初期の短編『報酬』(映画化に合わせて同題とし、それを表題作とした短篇集が編まれている)。仕事をしているあいだの記憶を抹消する、高額だったはずの報酬が数点のガラクタに化け、その後の人生を賭けたサスペンスが待ち受けている、といった骨子は同一ながら、あとは大幅に異なっている。報酬代わりのアイテムは原作の七つから十九個に激増し、場面場面を繋ぐために映画的なアクションシーンが注ぎ込まれ、主人公が報酬を放棄しガラクタのみを未来の自分に送りつけた動機も別物になった。
が、この辺は順当な潤色と言えるだろう。原作どおり七つのアイテムのみでは長篇を支えるシナリオにはなり得ないし、動きに乏しく映画としてはカタルシスにも欠いた仕上がりになってしまうことは想像に難くない。
ただ、潤色の結果、フィリップ・K・ディック作品にある乾いた独特の印象が見事に損なわれている。ディック作品でこんなアクティヴな主人公はちょっとありえないだろうし、何よりあんな直線的な理由で企業に挑戦する、というキャラクターの作り方は恐らくディックの作風からいちばん遠い。また、増量されたアイテムの使い方も、七つであれば気にならなかったが、十九個ともなるとその一本調子な印象が浮き彫りにされて、クライマックスが迫るごとに驚きを欠いていたのも残念だった。
しかし、「ディック作品である」ということを過剰に意識しなければ、娯楽作品としてなかなかの完成度だと思う。如何にもハリウッドらしく潤色された行動理念に、消される記憶のあいだに生まれたロマンスという情感に訴える要素も用意したあたりで、SFであることにこだわりのない一般観客が感情移入しやすい土台を築き、そこへジョン・ウーの面目躍如たるパンチの効いたアクション描写と、従来より長めのカットを多用して「間」を作ることにより醸成したサスペンスも盛り込み、二時間近い尺をまったく退屈させない。キャラクター造型がややステロタイプであることも、作品の理解を容易にしている。『マイノリティ・リポート』のようにCGIを大量投入して未来都市を構築するのではなく、現代の情景をそのまま作中に取り入れて地続きの近未来を描いたあたりなど、SFを知らない、と認めた監督の仕事だからとは言うものの、描写や人間関係に親近感を持たせる、という趣旨から評価できる点だ。
上では「一本調子な印象」と批判したアイテムの扱いについても、一部だが原作以上の冴えを見せている箇所があることも指摘しておきたい。長篇であるだけに似通ったイメージを与えてしまうことを自覚していたのか、こと最後のふたつ・みっつの利用法は実に気が利いている。それ故に、必要以上に丸く収まってしまうことも、ハリウッドらしい娯楽映画の結末として正しいものだと言えるだろう。
問題は、記憶消去を必要とするほどの機密に従事する人間を、組織内部の人間とはいえ交流を持たせ、恋愛関係に陥り寮内とはいえ同居生活を送ることまで認めている寛容さというか大雑把さだろう。まあ、三年のあいだ外界と接触できないという条件では、内部で多少羽目を外すぐらいは、精神の均衡を保つためにも必要だと認められるかもしれないが……ちょっと説明が欲しかったところである。
他にも、記憶の切り売りをして当人にいったいどれだけのメリットがあったのか(作中で問題となっている一件だけならまだしも、仕事として常習的に行う意味はあったのか)とか、ヒロインであるユマ・サーマンが研究所を抜け出す場面は(相手側もその必要を認めていたとはいえ)あまりにもあっけなかったとか、危機の切り抜け方があまりにもスリリングすぎて「ほんとーにそんなヤバいやり方でうまくいくつもりだったのかぁっ?!」と激しく突っ込みたくなるとか、脚本と設定の練り込みに雑な印象が色濃いが、観ているあいだそういった欠点を殆ど意識させない演出の巧さこそ、ジョン・ウー監督の本領なのかも知れない。
……本編最大の失敗はむしろ、映像作りとか脚本の練り込みとか、そういうのとは別のところにあると思う。未来を予見する、組織に追われる、女性と連れ立っての逃走――ひとつひとつの要素のあらましが、ものの見事に、フィリップ・K・ディック原作による映画の先行作『マイノリティ・リポート』と重なって見えることだ。同じドリームワークスが携わっていたのだから(ましてジョン・ウー監督とスピルバーグは既知の間柄だったのだから)、もうちょっと配慮するべきだったんじゃないかと思うのだが……ま、両方ちゃんと観るような人間にしか問題とならないような話ではある。例によって末尾にて役者にも言及しておこう。
さきごろラズベリー賞主演男優賞を受賞する、という不名誉な一幕のあったベン・アフレックだが、基本的には巧い人である。本編での彼はありがちなナイス・ガイだが、そのありがちさを鼻持ちならないレベルに達する直前で留めているバランス感覚は評価したい。
その恋人役であるユマ・サーマンは対照的に、『キル・ビル』の演技によりゴールデン・グローブの主演女優賞候補に挙げられた。それ故に、あの作品での“ザ・ブライド”の印象を払拭するのに苦労したようだが、充分成果を上げている。彼女の本質らしき芯の強さは残しながら、はるかに一般的な女性像を形作っている。――ただ、そのわりには終盤のアクションシーンでの雄々しい活躍ぶりで、やっぱり“ザ・ブライド”のイメージを蘇らせてしまっているのには失笑してしまったが。
脇役もまたステロタイプなものが多く、名前があるわりに印象を残さないものが多いが、なかでひとり存在感を発揮しているのがジョー・モートン。『ターミネーター2』でサラ・コナーに狙われ、最後には自らの開発を破壊するため研究所に向かったサイバーダイン社の技術者役のあの男性、と言えば顔が思い浮かぶ人も多いはずだ。多くの作品でバイプレイヤーとして活躍するだけあって、終盤での表情が記憶に残る。ちょっと行き過ぎたハッピーエンドに説得力を付与しているのが彼だ、と言っても過言ではあるまい。(2004/03/17)