/ 『渋谷怪談』
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『light as a feather』トップページに戻る渋谷怪談
監督・出演:堀江 慶 / プロデューサー:柴田一成、梶 研吾(Bolk Asia)、岩佐陽一 / 原案:柴田一成 / 脚本・ノヴェライズ:福谷 修(竹書房文庫・刊) / 撮影:百束尚浩 / 美術:丸尾知行 / 音楽:塚崎陽平 / 視覚効果:林 潔 / 主題歌:清家千晶『メランコリック』(TOSHIBA-EMI Virgin Records) / 制作プロダクション:BAD TASTE VISUAL VOICE / 製作:GENEON ENTERTAINMENT / 出演:水川あさみ、柏原収史、森下千里、鈴木繭菓、弓削智久、和田聡宏、原 史奈、堀北真希、津田寛治、日向 丈、左近香澄、永澤俊矢 / 配給:Bitters End
2003年日本作品 / 上映時間:1時間11分
2004年02月07日公開(『渋谷怪談2』と同時)
2004年06月25日DVD発売 [amazon|1&2セット:amazon]
公式サイト : http://www.allcinema.net/sk/
渋谷シネ・ラ・セットにて初見(2004/02/27)[粗筋]
出会い系で縁を持った愛(鈴木繭菓)と彰彦(和田聡宏)の呼びかけで、大学生ばかり六人のグループは水辺のキャンプ場で泊まりがけの合コンを実施した。どうもいまいち怖くない怪談で盛りあがる六人だが、ただひとりリエカ(水川あさみ)だけはどこかから妙な気配を感じていた。怪談は圭太郎(弓削智久)が隠し持っていた水子地蔵の首を見せることで幕を下ろしたが……
翌朝、六人は渋谷で別れた。お互いに品定めに余念がない面々だが、リエカには依然何かが引っかかって仕方ない。ロッカーにしまっておいた女の子三人の荷物には覚えのない汚れがつき、同じころ車で移動中だった男達も、妙な声を耳にしていた。そのあとも、リエカは渋谷の町中で、家庭教師として教えている綾乃(堀北真希)の部屋で、不気味な影を垣間見る。
異変は間もなく具体的な形で現れた。愛との連絡がつかなくなった。同級生の話では学校に姿を見せてはいるのだが、痛々しく窶れ果てているのだという。何度電話をかけても通じず、痺れを切らしたリエカは遂に直接愛の家を訪ねる。そこにいたのは、半裸で四つんばいになり、何者かに激しく恐怖している彰彦だけだった。彼はリエカの呼びかけに直接応えることなく、彼女の背後に「何か」を見て、ショック死した。
警察は愛と彰彦とが何らかの薬物に手を出していたのではという疑いを抱き、発見者であるリエカに繰り返し訊ねるが、付き合いの乏しい彰彦はともかく、愛に関してはあり得ないことだ、としか応えようがない。
一緒にキャンプ場を訪れた友人である夕菜(森下千里)は、心痛に苛まれるリエカを見かねて、気晴らしにと買い物に誘い出す。確かに、少しは気の紛れていたリエカだったが、それも夕菜がブティックの試着室で忽然と姿を消すまでの話だった。代わりに、試着室の床には理解の範疇を超えたものが転がっていたのだ。逃げ出したリエカに追い打ちをかけるように携帯電話がメールの到着を告げ、そこには異様な表情を浮かべた友人の写真が届いていた。
同じメールを受け取った圭太郎と良平(柏原収史)とともに、リエカはいったい何が起きているのか把握しようと状況を突きあわせる。リエカにはどうしても、あのキャンプ場から何かを持ち帰ったのだとしか思えなかった。その言葉に、圭太郎は感情的になる。やがて彼は告白した――あの水子地蔵の首を折ったのは、自分だ、と。[感想]
ホラーと一口に言っても幾つかのスタイルがある。サイコ、スプラッタ、心理、そして昨今『呪怨』などに冠されるホラー・ジャパネスク。本編は、それらをよく理解した上で、随所に反映させながら仕上げた作品、という趣がある。
たとえば、――と挙げていくとこれから御覧になる方の興を削ぐだけだと思われるので詳述は避けるが、様々な映画を渉猟してきた人であれば、ひとつひとつの要素に元ネタを見出して指摘することが出来るだろう。だが、それが決してただのパクリとなっていないのは、先行作に対する敬意をきっちりと窺わせながら、恐怖を盛り上げるために有効に役立てているからだ。
作品を盛り上げるために使われているのは、映画のガジェットばかりではない。複数存在するハイライトでいちばん効き目となっているモチーフは、“都市伝説”である。友達の彼や友達の親戚などなど、体験者が特定できず、細部は違えど骨子が同一の類型が無数に存在する怪談を主に呼ぶ言葉だが、こうした対象を絞りきれず胡散臭く聞こえる怪奇現象を、作品の恐怖を増幅させるために実に有効に用いている。
通常、ホラーという様式は登場人物あるいは観客にとって「未知の現象」を駆使して恐怖を演出する。その最たるものが、ジャパニーズ・ホラー映画の模範となる『リング』や『呪怨』なのだが、反面この手法には自ずと限界があり、意外性を追求するあまり、慣れた観客には却って滑稽な表現をとってしまう場合も多い。わたしにとっては『呪怨2』がそのいい例だった(作品の出来そのものはけっこう評価しているのだけど)。が、本編はそこで「お約束」とも言える要素を取り込むことで、観客にある程度先読みさせながら、その裏をかく、或いは意表をつくことで恐怖を演出しようとしている。そのすべてが成功しているわけではないが、少なくともホラー映画に不慣れな観客――もしくはコメディと紙一重の派手な代物に慣れきってしまった観客にとっては充分な衝撃を齎すだけのレベルに達している、と言えるだろう。
そうした恐怖場面の表現の巧みさを、決して突出した箇所はないが、よく計算されたプロットが助けている。メインとなる若者グループ六人の動きを、ヒロイン・リエカを中心にしつつランダムに追いながら、更にその脇で展開している物語までも最終的に結束させ、クライマックスを構成する。併映された『2』への伏線を盛り込みきちんとバトンタッチさせながらも、一本の映画としても観られるよううまく閉じている。主軸はホラーなのだが、そこにちらほらとドラマを盛り込み、ラストシーンに繋げている点も好印象だ。
傑作――と呼ぶにはまだ細部の呼吸が甘いが、全体としては良質のホラー映画と呼んで差し支えない。海外から届けられる名作がどちらかというと宗教的背景に基づく幻想もの、と呼ぶべきレベルにあるなかで、これだけ遠慮なく「ホラーです」と言い切れる作品を上梓した、その心意気がいい。本編のもうひとつの美点は、タレントやタレント的な露出の多い役者をあまり起用せず、映画・ドラマ中心で活動している人物ばかりを集めていること。そのお陰で、出演者それぞれに余計な先入観を抱くことがなく、虚心で恐怖に浸ることが出来た。
そのなかには、個人的に邦画で遭遇する可能性の高いバイプレイヤーである津田寛治もいる。この方は本編のプロデューサー兼原案を担当した柴田一成が監督した『もうひとりいる』に出演しており、恐らくその絡みだったゆえにだろう、「友情出演」と添えられている。しかし、友情出演であるが故にか、登場シーンはたぶん、五分にも満たなかった。1・2通して、恐らく最短で犠牲となったキャラクターである。あまり好感の持てない行動に出ていただけに、観ていて胸が痛まなかったのもなんだか切ない。(2004/02/28・2004/02/29誤字訂正・2004/06/25追記)