cinema / 『スパイダーマン3』

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スパイダーマン3
原題:“Spider-man 3” / 監督:サム・ライミ / 脚本:サム・ライミ&アイヴァン・ライミ、アルヴィン・サージェント / 原案:サム・ライミ&アイヴァン・ライミ / マーベル・コミックブック原案:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ / 製作:ローラ・ジスキン、アヴィ・アラド、グラント・カーティス / 製作総指揮:スタン・リー、ケヴィン・フェイグ、ジョセフ・M・カラッシオロ / 撮影監督:ビル・ポープ,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ニール・スピサック、J・マイケル・リヴァ / 編集:ボブ・ムラウスキー / 特殊視覚効果:ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス inc. / 特殊効果スーパーヴァイザー:スコット・ストクダイク / 衣裳デザイン:ジェームズ・アシェソン / 音楽:クリストファー・ヤング / テーマ曲:ダニー・エルフマン / 出演:トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、ジェームズ・フランコ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、トファー・グレイス、ブライス・ダラス・ハワード、ジェームズ・クロムウェル、ローズマリー・ハリス、J・K・シモンズ、テッド・ライミ / 配給:Sony Pictures Entertainment
2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間19分 / 日本語字幕:菊地浩司
2007年05月01日日本公開
公式サイト : http://spider-man3.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2007/05/01)

[粗筋]
 ドック・オクらとの壮絶な戦いを経て、ピーター・パーカー=スパイダーマン(トビー・マグワイア)の得たものは大きかった。高校時代から憧れていたメリー・ジェーン・ワトソン(キルスティン・ダンスト)と遂に想いを通わせ、長年毀誉褒貶が囂しかったニューヨーク市民のスパイダーマンに対する評価も急速に高まり、名誉市民賞贈呈の声も上がるようになった。メリー・ジェーンはブロードウェイで大舞台を踏む機会を与えられ、最前列で鑑賞するピーターはまさに得意の絶頂にいた。
 だが、かつての親友ハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)はそんな状況を許さなかった。スパイダーマンが父を殺したと信じ、そのスパイダーマンの正体をピーターだと知ってしまった彼が、遂に牙を剥いたのである。夜、バイクで移動中だったピーターを、父の遺していた多くの武器を携えたハリーが襲撃する。ビルの隙間を縫う激しい戦闘の末、どうにかハリーを退けたピーターだったが、高所から転落したハリーは心肺停止状態に陥っていた。辛うじて一命は取り留めたものの、衝撃によりハリーは数年分の記憶を喪っていた――奇しくも、現在から父を喪う直前あたりまでの記憶、つまりスパイダーマンに対して憎悪を抱き、ピーターに復讐を誓うに至る一連の出来事を、すべて忘れていたのである。目醒めたハリーは、ピーターに対して、かつてと変わらぬ親愛の情を示すのだった……
 ピーターの与り知らぬところで、もうひとつ彼の浮かれ気分に水を差す出来事は起きていた。晴れてブロードウェイの舞台に立ったメリー・ジェーンだったが、初めての舞台が新聞各紙に酷評され、1回きりで降板させられてしまう。彼女の活躍を素直に喜ぶピーターにはどうしても打ち明けられず、苦しい胸の裡をまずハリーに対して告白するのだった。
 そんな恋人の苦衷を知らぬピーターは、遂に催されたスパイダーマンへの名誉市民賞贈呈式で、数日前に彼が救った女性グウェン・ステーシー(ブライス・ダラス・ハワード)からのキスを受け入れる。その姿に、メリー・ジェーンは愕然とする――何故なら、そのキスの仕方はかつて、まだ彼女がスパイダーマンの正体を知らなかった頃に彼と自分が交わしたのと同じやり方だったからだ。想い出を穢されたと感じて、メリー・ジェーンは言いようのない屈辱を覚える。
 そうして、ピーターが気づかぬ間に周囲との溝を深めているうちに、新たな敵が現れていた。ひとりは、フリント・マルコ(トーマス・ヘイデン・チャーチ)――脱獄し、逃亡中に化学実験に巻き込まれた結果、全身が砂状になり変幻自在となった男である。そして、もうひとつの敵は、密かにピーターの懐に潜りこみ、機会を窺っていた――彼の慢心を煽り、攻撃性を高めるきっかけを……

[感想]
 このシリーズが誕生する以前から、アメリカ産コミックに始まるヒーローを映画化した作品は多数存在した。だが、このシリーズが一種分水嶺のようになり、ここ数年のムーブメントを形成した一因は、ヒーローがヒーローであるが故の悩みを掘り下げて描き、一級の成長物語として、青春映画として成立させた点にある。従来もそうした切り口がなかったわけではないし、日本の戦隊ものと呼ばれる作品群は早いうちからこうした方向へと移行していたが、それを洗練した手法で完成させ、演出にも気を配り、更にアクション映画としても見応えのあるレベルにまで仕上げたのは間違いなく本編が初めてだろう。本シリーズの成功があったからこそ、『バットマン・ビギンズ』や『スーパーマン・リターンズ』のような作家性が高く、ドラマ性の強いスーパーヒーローものが製作されやすくなったのは疑いない。
 第1作で悩めるヒーローという像を確立し、第2作ではそれを見事に膨らませて、既に決定していた本作への布石を用意していた。充分に弦を引きためた上で放たれた最後の一矢である本編は――だが、率直に言えば観ているあいだは、物足りなさを禁じ得なかった。
 極めて緻密なシナリオを組んでいた本シリーズだが、正直今回はシナリオに安易さが目立つ。勘所である“黒いスパイダーマン・スーツ”の源となる寄生生物が取り憑くきっかけ、フリント・マルコがサンドマンに変容するくだりなどがそうだが、特にこの第3作における最大のキーマンであるピーターの親友ハリー・オズボーンの変遷が全般にわざとらしい。確かにこの運び方でなければ第1作からの伏線を解消しきれなかったし、無駄がなく構成されていることも事実なのだが、しかしこのシリーズを第1作から追ってきた目には、もっとスマートに纏めることは充分可能だったのでは、と思えてしまう。
 また、前作まではいちど観ればひととおり納得出来た話の事情も、今回は少し考えないと理解出来ない箇所が幾つかあったことも触れておきたい。特に、“黒いスパイダーマン・スーツ”を剥がす過程や、終盤、寄生生物の奇怪な行動など、実はちゃんと伏線が張ってあったのに、それが分かり難いために肝心の場面で即座にカタルシスに結びつかないのが勿体なく感じられた。
 だが翻って、そうした細部への配慮は繊細で、製作者たちの“スパイダーマン”に対する愛情はひしひしと伝わってくる。冒頭のハリー=ニュー・ゴブリンとの戦いに用いられるモチーフの絶妙さ、どこか悲哀を滲ませるサンドマン誕生のシークエンス、またスパイダーマン自身を巡るドラマの随所にも、クライマックスへの布石が巧みに盛り込まれていることを見逃してはならない。
 特にアクションシーンの迫力については、旧作に勝るとも劣らない仕上がりだ。狭い場所を選ぶことでスピード感と緊迫感とを強めたニュー・ゴブリンとの初戦、シリーズ中屈指の巨躯でスパイダーマンを翻弄するサンドマン、そしてスパイダーマンと同種だがレベルは上という、“黒いスパイダーマン・スーツ”が発展して現れる凶悪な怪人の迫力は出色である。スパイダーマンが誇っていたギミックをそのまま敵側から披露出来るキャラクターを、一区切りとなる本編に持ち込んだのは実に巧い。
 ハリーを巡るエピソードのわざとらしさ故にクライマックスにはぎこちなさも強く感じられるが、しかしきっちりと纏めているために、よくよく検証していけばいくほど印象は良くなっている。観終えた当初は、ヒーローものとして静かすぎるラストシーンが弱い、と感じられたが、噛みしめてみるとこれはこれで正解だったように思えてくる。
 何せこのシリーズは第1作から結末が異色だった。ヒーローものとして、ちゃんと大きな敵とのあいだに決着を付けながらも異様に強い苦みを湛えた第1作、また大きな節目を付けた第2作のラストシーンは、ピーターの目からはハッピーエンドでも、メリー・ジェーンの表情に暗い影を留めており、一筋縄では行かなかった。それを思えば、爽快なラストシーンで結末を飾ってしまうよりもずっとこのシリーズらしい。そして、あの締め括りだからこそ、消えていった者たちを軽んじた印象を齎さない。
 そこまで突っこんで解釈するかは観る人次第故、観終えた直後の私のように「物足りない」のひと言で済ませてしまう人も多いだろうが、しかし私はやはり、このシリーズはこの終わり方で良かったのだ、と評価したい。何より、一度観ただけでは足りない、そして二度以上観て発見のある組み立てを最後まで狙っている点は実に好もしい。最後までスパイダーマンに対する敬意を損なうことなく、現代に作られる価値のあるエンタテインメントを志向し続けた、優秀なシリーズであったと思う。

(2007/05/03)


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