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 異文化との接触

 1.異国で投獄される
 2.リゾート滞在比較
 3.海外旅行は異文化交流なのか
 4.海外旅行と言葉

1.異国で投獄される

アラビヤ後だけの看板
 地中海に面した北アフリカ中央で、東にエジプト、北にチュニジア、西にアルジェ リアに接するリビアは、1969年のカダフィ大尉(当時28歳)の軍事クーデター以後 カダフィの独裁政治が続いてきた。その間イスラム原理主義の西の雄であり、 テロ国家として恐れられてきた。米国は1988年のパンナム機爆破事件以後 国交を断絶し、テロ国家認定をしてきたが、最近は国交正常化へ向かっている。40年間も独裁者として君臨してきたカダフィも加齢とともにイスラム原 理主義の縛りから開放されつつあるのだろうか。テロ国家の最急進国家が 一つ消え、北朝鮮が益々目立つ昨今である。人口500万の土漠の国の経済は、今でこそローマの遺跡が発掘され観光客を迎えられるが、唯一EXXONが開発した石油生産のみに支えられ、100万バーレル超/日の産油量は軍事力を維持するに充分であり、最近の値下がりしたとは言え、 原油高騰は益々国を豊かにしている。
 古い話だが、1977年にカダフィが血気盛んなリビアを訪問した。石油会社 への油井用の鋼管を売り込みに北アフリカ各国を巡回する旅の一部であ る。リビアは第二次世界大戦中、イタリアの植民地だから、イタリアの権益を残している。国際航空も例に漏れず、我々が隣国のエジプトからリビアの首都トリポリに入るのにもアリタリア航空でローマ経由となった。 さて同行者3人とローマ経由カイロから、味も素っ気も無いトリポリ空港に着いた。入国手続では、他の3人には何事もなかったが、最後の私は、突 然カービン銃を持った警備兵が飛んで来て、空港に併設の監獄に放り込まれた。監獄は窓の無い約10米四方のコンクリートの箱といった代物で、裸電球が2,3個ぶら下った薄暗い部屋である。収監されていた人間 は、壁を背にしゃがまされ、不用意に立ち上がると監視が飛んで来て、 銃座で横腹を殴る厳しさである。監視の曰くは「お前は国外追放である。 翌朝の飛行機でローマに帰れ。それまで大人しくしていろ」であった。禁酒 国での酒にと、下着の中に忍び込ませたサントリーの小瓶が見付かるとヤバ イなあと思い、腰の痛みに耐えつつ、観念してしゃがみ込む事数時間、ようやく開放された。飛行機で隣に居たイラクのおじさんにさようならを言って、 迎の現地の商社の車に転がり込んだ。商社・領事館がタグを組んだ釈放交渉の成果で、感謝深謝であ。 投獄の理由は我々がカイロから移動中にエジプトとリビア交戦状態に入り、 国交断絶したから敵国からの入国者を遮断したのである。同行の三人が パスしたのは、パスポートがハンコだらけで、入国審査官がエジプトのビザ印を 発見出来なかったのだろう。私の悪運は相当なものである。現場で巻き添えを避けて、私を見捨てた三人が平身低頭したのは当然である。 これで一件落着、ホテルのベッドに潜り込むことが出来たとはならないのが異国である。開戦とあってリビア同盟国シリア、アルゼリア、イラク等の首脳がトリポリに緊急参集したから、ホテルの部屋から民間人は全部放りだされ、ホテルのロビーの床に寝るか、さそりがうろつく星空の下を彷徨うしかない羽目になった。幸い我々は、商社の事務所の長椅子をベッドにさせてもらった。リビア滞在10日間ほど、ベンガジを含め、ホテルのベッドのお世話を受けられずに過ごし、次の訪問国チュニジアまで、心地よいホテルのベッドはお預けを強いられた。
 ついでながら、一緒に投獄されて隣にいたイラクのおじさんはビザ無し入国らしく、国外追放である。彼は機中で、字が書けないからと、私にリビア入国申告書を代筆せよと金を出した人物である。リビア申告書は全てアラビア語で書かれているから、何を何処に記入してよいか分らない。危なっかしい国に入る飛行機にフライトアテンダントも乗ってはいない。という事で、我々はローマの空港のお嬢さんに書類の翻訳書を貰って、書類記入(英語は可)したのである。これを見たおじさんは、我輩がアラビア語が分ると誤解したのであろう。怪しげな代筆書類で、入国審査を受けて国外追放されたとなると申し訳ない事をしたことになる。勿論金は受け取っていない。イスラム教圏内が一枚岩でないことは、イラクの宗派対立の凄まじさでも明らかである。キリスト教でも、プロテスタントとカトリックのテロの応酬の続いた北アイルランドも又教義を背景にした異文化対立と言える。八百万の神の我国のような異教義融合や共存は一神教の世界では難しいのだろう。お互いが融合できることを求め合いながら、しかし違いを認識し、緊張感を持って共存する努力が必要なのだと受けとめたい。我を張る一神教が地球を分断しているのであれば、地球破壊の責を負わなければならないリスクを自覚しているのだろうか。リビアという異国で、投獄という一瞬衝撃的な体験をして、異文化との出会いを軽はずみ捉えてはいけないと自戒させらた。(H18.5 宇多小路記)

2.リゾート滞在比較

コモ湖のリゾートホテル遠望  ものつくり工場勤務のサラリーマンとして中年に達する頃、ゴルフとテニスを熱心にやりだした。相当高度な腕前の先輩や元全日本大学選手権ランキング選手等が入社して来た上に、元国体優勝者等も転入し、潤沢な良き指導者に恵まれだした事情もあった。中学生時代に軟式テニス部にいたが、県の県大会に出たものの、あまりにも惨めな負け方をして傷つき、テニスから離れた経緯がある。就職して甲子園(阪神タイガースの球場のある町)の独身寮 に入ったが、その寮を所管される上司にテニスの名人が赴任された。1969年と1970年に、当時の世界テニスの大イベントであるデビスカップ杯の日本の監督をされた上原増雄氏である。当方も寮委員長など務めていたので、顔を活かし、仲間と一緒に休日のテニス指導をお願いし、練習に励んだのであった。途中転勤で、テニスと縁を切られたが、冒頭の如く復活し、今に至っている。
  1978年後半から、中国冶金工業部所管の上海宝山製鉄所建設関係の仕 事へ転職した。仕事が佳境となる同年末から、上海に一年近く駐在する事になる。当時の上海の街並みは、戦前に事実上植民地化していた英、仏、日が作った名残がいっぱいで、歩いて市街を巡れるほどの規模だった。文革収束直後だったから街は平穏で、ある意味では退屈な環境である。そこで休日に、戦前の外人倶楽部でテニスすることにした。一日700円(当時としては高価)で、倶楽部所属のパートナーを雇用してテニスだから一人でもテニスができる。テニスの後は散髪屋に行って按摩をしてもらい、ビールを飲んでの昼寝の休日(日曜日のみ)という豊かな生活パターンを確立した。しかしこのテニス・タイムが無ければ、ハードなビ゙ジネスの日々の精神的負担にたえられなかったかもしれない。
  さてこれを機会に、海外出張時テニスのラケットが収納できる旅行鞄に切り替 え、何時でも対応出来るパターンが出来上がった。1979年9月にアメリカ石油協 会(API)の年次総会がイタリアのコモ湖のリゾートで開催され、参加する事になった。コモ湖はミラノの北スイス国境近くに位置し絹織物の産地としても著名だが、なんと言っても水辺に面した長期滞在型大型ホテルを中心とする金持ちが集まるリゾートである。我輩のようなサラリーマンが予約した部屋は、貧乏人用のシャワーしかないシングル部屋ばかりの建物だが、湖に面し、緑に囲まれ、パラソルと寝椅子のある場違いに広いベランダが備わった瀟洒なものであった。日曜日の早朝に入室した我輩は、広大なリゾートエリアを、美人を横目で眺めながらの散策に出たら、立派なアンツーカのテニスコートに出くわした!勇んで、プレーさせてくれるかと聞くとオフコースとの返事に、勇躍衣装を調えて飛んで行った。 コートの親分と思しきおっさんに近づくと、直ぐにラリーを始めてくれた。何せ 相手は相当英語が下手だから、前後の状況は定かではない。汗が出てきた頃におっさんは、ラリーを止めてどっかへ消えたと思ったら、ノーブラ・テイーシャツの美女を同行してきて、相手しろと言っているらしい。何となく彼女とシングルマッチを始めたが、相手も強敵、息が切れるほど奮戦した。その後彼女の手招きで、仲間か家族のグループに入り、交代でダブルスマッチを楽しんだ次第で ある。昼飯時まで相手にしてもらって、倶楽部のサンドイッチとビールの昼食でお 開き。何せ言葉が通じない、彼等は英語をからっきし理解しないので、対話はテニスというボデイーラングウイッジだけだったのが心残りではあったが、とにもかくにも部屋のシャワーで身を清め、ビールの酔いも手伝って深深と寝込んでしまった。時差ボケなど消し飛んでしまったのは言うまでもない。
 上記はリゾート地の些細な出来事なのだが、日本のリゾート地ではこうはいか ない。一人でテニスラケットを持って、付属のテニスコートや契約しているテニスクラブ に行ってもパートナーは自分で探さなければならないが、それは不可能に近い。コミュニケーションの媒介を見出すノウハウを日本の社会は用意していないのである。ならば一層コモ湖のテニスコートと同じような仲介者、コンシェルジが用意されねばならないが、孤高の客の世話をする気配りは無い。極端に言えば、集団から阻害され、放置されるのである。テニスというコミュニケーションの場に加わりたくても、それが容易ではないこの国の風土や意識は、社会を病ませる要因と見做す事ができる。家庭というコミュニケーションの場、学校というコミュニケーションの場、寺などの宗教的なコミュニケーションの場、地域のそれ、等々が充実していないこの国の社会はフリーターやニート等の落ちこぼれを吸収できないのである。コモ 湖の体験は、かの国との社会基盤との格差を痛感させられたのである。 (2006/5/末 宇多小路記)

.海外旅行は異文化交流なのか

ハノイの朝の行商  今、この国は内向き症候群に侵されているらしい。1989年のベルリンの壁崩壊後グローバル化しているのに、日本人と政治家やマスコミも知識人は変化に適応していないようだ。産業界の一部もICT産業の脱ガラパゴス化が言われるぐらいだから例外ではない。かつて日本は経済大国と煽てられ、 沢山お金を持ち出されたが、世界で特別扱いされていた。今、我が国はEUやBRICSにキャッチアップ・追い越され、もともと政治外交大国ではないから、普通の国になった。小沢民主党のような国連中心主義は、国連が大国中露米英仏の常任理事国(常任理事国立候補選挙で、日本への賛成票はブータンとモルジブの2カ国だった)が牛耳っているから、日本はその他大勢の普通の国になりますよと宣言しているようなものである。BRICSに関心が移り、経済不祥事で陰りの見える米国は日本に傘を差し掛ける気配りも減り、日本はその他大勢の普通の国々と共存しつつ存続を図らねばならない。 日本も国民も変らざるを得ない。人口減少で労働力不足が顕在化してくれば、今でも250万人は居る外人労働者が増大し、依存度もあがってくる。外国人が生活のなかに居付けば、まさに異文化共存であり、グローバル化が庶民に及んでくる。
  グローバル化は当然ながら多様性を求める。多様性の反対にあるのが単一性である。日本は単一民族・単一文化と言えるだろう。加えて、中根千枝が戦後間もなくの著書でタテ社会が厳然と存在していることを指摘した。縦割り行政、業界団体、企業社会等、堺屋太一の言う「職縁社会」である。彼女は 「ウチ、ヨソの意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、 同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人、職場の上司に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽な姿が見られるのである」と述べている。この状態では、縦割り社会の外とのコミュニケーションは容易ではなく、異文化 交流は甚だ難しくなる。フラット化しながらグローバル化する環境に、日本は環境不適合化をしているのであろう。
  梅棹忠夫によると、「文化は、人間の精神活動の内部に蓄積されていて、人間の行動を決定するものである。それは、いわば人間精神の内部にある 価値体系である。それに対して、文明というのは、人間自ら作りだした、さまざまな装置群や制度群を形成する、一つのシステムである。それは当然のこと ながら、文化をもその内部に含むものである」とある。グローバル化を異文化との共存ならば、どのように異文化と接するかから始まる。この国の縦割りの 壁さえ破れないのに、異国・異文化との共存など出来ないと開き直らず、課題意識を共有したい。 異文化交流の最初で身近な行為は海外旅行である。日本人の一昨年の海 外旅行者数は1千7百万人強、これでも内向き症候群なのだ。たしかに、我々の海外見聞は寺院や町並みを見ているかぎり文明との接触である。内在する文化を読み取るのは容易ではない。ましてや日本人ガイドの案内なら、日本人の価値感の影響を受け、尚更難しい。加えて後進国は先進国の文明、自動車、ビル群や店舗、ファッションが怒涛のごとく流入し、その国の文化を埋没してしまっている。多くの場合英語の片言の会話ぐらいで、価値感をやり取りするコミュニケーションのチャンスにはなかなか恵まれない。
 一 昨年、研修を兼ねてベトナムを訪問した。最近はベトナムの映像が頻繁に流れているから、茶の間の文明接触は充分であるが、異文化接触となると心もと ない。だが、現地の街の喧騒、土埃、騒音そして人々の活気と息遣いに接すると、ついこの間まで対仏、対米(ベトナム戦争)そして対中戦争等を35年間やってきた歴史を背負うこの国の文化とは何だろうとの想いが沸いきた。答を出す能力はないが、異文化の違いを意識する機会が持てたのは確かである。 グローバル環境適応は、異文化との共存を認め、それを絶えず意識することが第一歩だろう。それには自国の文化や物事に対する価値感を絶えず意識しておかねば、違いの認識も比較も出来ない。寿司や寺院等の文化の産物(文明とも言える)ではなく、そこに内在するものこそをである。グローバル化を押し戻せないから、内側ばかり見つめて閉じこもっていても何も生まれない。海外旅行を異文化交流に有効活用するのは容易ではないが、しかし良い機会である。自国文化を意識しつつ異文化と接する習慣を身につけなが らの海外旅行をしたいと思う。マスコミも知識人もグローバル化を意識した言動をし始めてもらいたいものだ。(H19.12、H 20.12修正宇多小路記)

海外旅行と言葉

メルボルン議事堂前で
 唐突だが、沖縄サミット宣言の中に「文化の多様性の推進」がある。「文化間の相互関係の恩恵を最大化するため、我々は国民に対し異なる文化への関心、理解及び受容をはぐくむ事によって、共存を学ぶよう奨励しなければならない」と補足している。アパルトヘイト等の肌の色を意識する人種抗争・人種差別はピークを過ぎたようだが、代わって文化の差異に関わる抗争が深刻化している為、異文化共存が今日的課題になっているのだ。日本のマスコミがこのアイテムを取り上げた気配はない。この国の異文化に対する鈍感さの反映なのか? 事実、アイヌ民族を日本の先住民と認めた議員立法が成立したのは2008年の6月である。この国は海外の先住民問題に時々関心を示すが、身内の事に鈍感で冷淡なのかもしれない。異文化共存を意識すべきだと主張する理由である。 他人・他国の文化を見分け、中味を認識する事は容易ではない。第一関門が言語である。コミュニケーション媒介の主体は言語だが、世界には方言とも言語とも定義できないものも含め数千種類は在ると言わる。その各々が背後に、固有の文化を抱えている。共通の文化保有者が、そのアイデンテイテイーとして言語を守ろうとするのは自然だし、それを広めようとするのを止めるのも難しい。中国語普及の「孔子学院」は81ヶ国に広まり、スペイン語学校も40ヶ国に拡がったと言われている。又、フランス語を使うことを義務付ける「トウーボン法」があるフランスでは、「フランスの言語とフランス語総合委員会」が、金融言語はフランスを使おうとの通達を出したと日経新聞(09/3/15付)は報じている。自国語保護の動きも根強いのである。一方、ユネスコによると1950年以降219の言語が絶滅し、2498の言語が絶滅に危機にさらされているという。世界の言語の半数近い数である。
 個人が行く先々で言語を使い分けるなどはできない。エスペラント語というのがある。1887年にユダヤ系ポーランド人の眼科医、ザメンホフがエスペラントというペンネームで発表したもので、修得容易な第二言語を提供する目的だったと言われる。日本では、二葉亭四迷らが普及に尽力した事もあり、戦前は若者の間で学ぶ者が少なくなかった。私の父もその一人だった。だが現在日本のエスペラント語愛好者は二万人程度と推定され、世界でも百万人強にとどまる。国際語と認定されてはいないから公語とは言えない。履修し易い言語だが、文化を背景に持たない言語の存続は困難なのである。固有の文化を下敷きにできないエスペラント語文学は無いと考えるべきだろう。 第二外国語を何するかだが、英語以外の選択肢は多くない。ITがアメリカ発で、そのプログラム言語は英語の変形であることもあり、ITが英語の第二外国語役を後押ししているのだ。これからインターネットが普及拡大する中国語、アラビア語、スペイン語圏の影響で、英語使用比率は低下するであろうが、英語の優位は変わらないであろう。2008年に、EU(人口約5億)の公用語は事実上英語にしぼることになった。EU27国とフランスは2000年のロンドン合意「特許申請言語は英、仏、独のいずれの言語で申請すれば、他の言語への翻訳は不要」を承認したのだ。既にオランダは自国語と英語と決め、その他の国も仏・独語を使用していない。ケンブリッジ大学Cambridge Fact Findersによると英語を公用語にしている人口は14億人であったが、これにEUが加わり世界で約20億人が英語を公用語にすることになる。次は中国語の10億人、続いてヒンズー語7億人だが、使い易さでは英語にかなわない。  以上の事情を考えると、異文化との接触・交流を深める為には庶民はそれなりに英語を身に付ける必要がある。マスコミの記者が英語音痴は論外である。
 さて、英語を母国語とする人々とそうでない人々との英語を使う交流は質的に違うことを言っておきたい。言語はそれを生んだ人・地域の文化を内在しているから、言語の習得は何がしかその国の文化も吸収していることになる。それに反し、英語を母国語としない人々と英語で対話する場合は、双方とも自己の文化が内在していない言語を使うのであるから、相手が米国人的ものの考えで言っていると認識をすれば、早とちりや誤解を生むことになる。東南アジアは典型的な英語第二外国語圏である。シンガポール、マレーシア、フィリピン、香港は英語が公用語であり、ほとんどの国民は英語を使えるが英語がそれぞれの民族の文化を伝承しているわけではない。例えば、フィリピンは学校・カトリック教会の説教・職場の会話は、癖もあるが英語である。一方土着の言語はタガロガ語であるが、書き言葉がない。文化伝承はタガロガ語の口伝となるから、外国人の異文化理解は難しい。東南アジアでは英語が気楽に使われ、交流が行なわれている。英語を使うことに堅苦しさの抜けない日本人に比べ、随分と国際化に適応している。見習わねばならない。 英語のような第二外国語を使って相手の文化を認識し、異文化との共存を果たすには、当然ながら注意深く相手の言葉の意味を解釈しなければならない。その傾聴の気持が異文化理解にも繋がる。同様に、こちらも意味を丁寧に言葉に乗せなければならない。当にコミュニケーションの基本実践が求められるのである。折角時間とお金を使って海外旅行をするなら、日常英語を使いながら相手の文化を読み解きたいものである。(H21.5.宇多小路記)。

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