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  Walking through Literatures---Let's take a book from your bookshelf and begin to read. If you don't have any interesting book, go to a bookshop and find one. Books are barometer of culture. Books are world of imagination and source of creativity. 
  When I go somewhere I always look for a bookshop where I can feel relaxed and foget about the time. In Freiburg, Germany there was a bookshop called Waltari close to the university, small but full of excitement. I don't remember how many times I went there to find a new novel or a classic. A book shop in Belsize Park, London or a book shop in Leiden, there was always an atmosphere of richness, richness of minds. I like books which give me inspiration. I admire the creativity of thoughts in these books. Although I am an academic lawyer, it is usually not law books which give me a hint of a new idea. It could be a classic, it could be an art book, it could be anything. The books I pick up here are at random, not systematic at all. But in some way they had impact.

1) ギリシャ・ローマ古典
Illiad by Homer (www.gutenberg.netからのダウンロード版Samuel Butlerによる英訳)
 
Book 1 Sing, O goddes, the anger of Achilles son of Peleus, that brought countless ills upon the Achaeans,. many a brave soul did it send hurrying down to Hades, and many a hero did it yield a prey to dogs and vultures, for so were the counsels of Jove fulfilled from the day on which the son of Atreus, king of men, and great Achilles, first fell out with one other. トロイ戦争の話と思われている『イリアド』は、このように「アキレスの怒り」から始まる。トロイ戦争はすでに始まってから数年を経過。この時のアキレスの怒りとは、ギリシャ側の総大将アガメムノンに対する怒りである。これが原因でアキレスは
戦列を離れてしまう。アキレスが愛していたパトロクレスがアキレスの鎧と盾をつけてトロイ軍と戦い、ヘクトルによって殺され、その鎧と盾を戦利品として奪われるまで。ヘクトルに対する怒りで戦場に戻ったアキレスは、ヘクトルを殺し、その遺体を戦車にくくり付けてトロイの城壁の周りを回る(Book XXII)。その後、パトロクレスの葬儀が行われ、また、トロイ王プリアムスは、1人でアキレスのテントに赴き、ヘクトルの遺体を返してもらい、トロイ城の中でヘクトルの葬儀が行われる(Book XXIV)
 イリアドは、単なるトロイ戦争の叙事詩ではない。「アキレスの怒り」というテーマがある。すさまじい激しさをもった怒。アガメムノンに対する怒りは、詳細は本に譲るが、アキレスの名誉・自尊心が踏みにじられたことに対する怒りである。後半は、自分の愛する者が敵に殺されたことに対する怒りである(もっとも、戦争なのだから、戦いで死ぬは仕方がないと思うが)。いずれの場合も怒りは行動に表れる。後者では、ヘクトルの遺体を馬車で引きずるという行動で、さすがにオリンポスの神々もこれはやり過ぎだとして介入してくる。ーー 世の中には怒りの原因がたくさんある。不当な差別を受けた、学校や仕事場で不公平な扱いや不当な仕打ちを受けるなど。しかし、私などは、抗議くらいはするが、なかなかそれ以上の行動にまで至らない。いろいろな考慮をして(特に、費用対効果を考える)行動は諦める。そうした鬱積した怒りが沢山ある。それと比べると、アキレスの怒りは純粋なところがある。もっとも、ヘクトルへの復讐の仕方は正当な怒りの範囲を超えていた。最後は、自分の死をもたらすことなる。
      
(左)Book XVIII アキレスの母Thetisが新しい盾を与える。イリアドの中で、アキレスの奪われた盾の代わりに、母Thetisがオリンポスで鍛冶を司るの神Vulcanに新しい盾をつくってもらうシーンがある。それによると新しい盾は絢爛豪華なものだが、この壷絵は違うようだ。Shield of Achillesを参照 。(中)BookXXII アキレスに対し劣勢のヘクトル。.以前、大英博物館で見かけたが最近見ないのはなぜだろう。(右)アキレスがヘクトルの遺体を馬車にくくり付ける。遺体のところには、ギリシャ文字でEKTRORとある。右上の小さな戦士のところにはPATROKLOSとある。ヘクトルに殺されたパトロクレスである。羽があるので、死んで神に列せられたことを示している。アキレスをあおっている真中の女性にも翼があり、女神であることを示しているが、名前の記載がない。戦いで終始アキレスを支えたアテネ=ミネルヴァと思ったが、アテネではないらしい(アテネはヘルメットと槍を持った決まった姿で表されるから)。

AENEID by Virgil 
 焼け落ちるトロイから老いた父親を背負って逃げたトロイの将軍アイネアスが部下とともに船で各地を漂流し、カルタゴで女王DIdoと恋におちるが、神の指図に従ってイタリアに行き、ローマの地の落ち着く話。アエネアスがディドの語るトロイの最後の中に、トロイの木馬のこと、これを城内に入れることに反対したトロイの神父ラオコーンのことなどが出てくる。
@  A B 
(左図@)オデュセウス発案のトロイの木馬。城内でギリシャ兵が出てくるところ。木馬を城内に入れるため、トロイ側は、城の門の上部を壊し、引くために車輪を付けた。木馬の中には、オデュセイウス、メネラオス(ヘレンの夫)などが隠れていた。因みに、ダンテの神曲・地獄篇によると、オデュセウスは、2番目に重い「悪意の詐欺Fraud者の地獄」に落とされる。トロイ戦争は、ギリシャの神殿の破風や壷絵その他に輝かしい勝利として好んで描かれるが、トロイの木馬は出てこないのはなぜだろう。イリアドが扱っていないからか?ギリシャ人にとっても、だまし討ちということで後ろめたい気持ちがあったのか?(中図A)ラオコーンと息子。ラオコーンは、木馬をギリシャの策略と疑い木馬を破壊するように進言するが、海から現れたウミヘビに2人の息子とともに襲われる。バチカン美術館にローマ時代の複製がある。(右図B カルタゴの女王ディドとアエネアスの初対面。カルタゴに漂着して助けられたトロイ人の中から、アエネアスが名乗り出る。ディドとアエネアスが一目惚れ(love at first sight).その後、狩りの最中に雨宿りをしたときに二人の愛が結ばれるが、神のお告げに従ってアエネアスはカルタゴを去り、イタリアに向かう。絶望と怒りで、女王ディドは剣で胸を突き自殺する。アエネアスとその子孫を呪って。ーー>ローマとカルタゴの因縁の戦い(ポエニー戦争)。ダンテ神曲地獄篇ではディドは愛欲に溺れた者として「愛欲者の地獄」をさまよう。この地獄には、ほかにクレオパトラ、ヘレンとパリス、トリスタン、そしてアキレスもさまよう。ディドを見捨てたアエネアスはここにいない。ローマ建国の使命に目覚めてディドのもとを去ったからか?

Book 1 アエネアス流浪の果てにカルタゴへ トロイを船で脱出したアエネアスたちは、ヘラ(ジュノー)の怒りのために各地をさまよう。ヘラは、パリスの審判でヴィーナスが選ばれ、自分が選ばれなかったことを今でも恨んでいる。しかし、ヴィーナスはジュピターのアエナスたちを救ってくれるように頼む。ジュピターは、アエネアスがやがてLavinium(イタリア)の地に到着し、その子孫のRomulusがローマを建国し、アエネウスの子(Iulus)の名に由来するJulius 家がローマと世界に君臨するであろうと告げて、ヴィーナスを安心させる。さて、アエネアス一行は、バラバラになりながらも、アフリカの現リビアの地にあるカルタゴに漂着。そこは、女王Didoが支配している。その王宮で、トロイ人が女王ディドに無事イタリアに行けるように援助を求めると、ディドは行くもより、残るもよし、最大の援助を惜しまないと親切な言葉をかける。このとき、群衆の中から、アエネアスが名乗りでる。ディドは、その美しさと気高さに一目惚れをする(上の絵B)。(この後、ヴィーナスはその愛を確かなものとするために、キューピットをディドに送り、その愛を一層燃え上がらせる)。ディドはアエネアスを王宮に招き入れ、晩餐のときに、トロイの話を聞く。

Book 2 トロイの滅亡 カルタゴの女王ディドの求めに応じて、アエネアスは、思い出すのもつらいトロイの最後を語り始める。(平家滅亡の壇ノ浦の話にようなものだ)。・・・ギリシャ軍は、巨大な木馬を置いて、海岸の陣営から船で引き上げた。トロイの人々は、これがオデュセイウスの策略とは知らず、どうすべき議論していると、トロイの兵隊がシノンという名の1人のギリシャ人の青年を連れてきた。シノンは、ギリシャ軍が無事の帰れるように神々への生け贄に捧げられ、殺されるところであったが、逃げ出したところ、トロイ人に捕まったと言って、トロイの人々を信用させた。彼は、ギリシャ軍が木馬を残したのは、戦いに疲れたギリシャ軍が無事帰れるためには、巨大な木馬がトロイの城外にあることが必要だという予言により、城内に入れないような大きさの木馬を作ったと説明した。人々がこの話を信じそうになったときに、トロイの神官ラオコーンが強く反対した。
すると、突如海から巨大なヘビが現れ、まずは、2人の息子を、ついでラオコーンを襲い、連れ去ってしまう。ラオコーンは槍で木馬の腹を突き、それが神々の怒りをかったのだど解釈された。かくして、木馬を入れるために、城門の上部を壊し、車輪を付け、縄で引っ張って城内の広場に据えた。夜になり、シノンが木馬の入り口を開けると、オデュセイウス、メネラオス(ヘレンの夫)、ネオプトレムス(アキレスの息子)などが続々でてきた。トロイの衛兵を殺し、城門を開け、シノンの合図で戻っていたギリシャ軍が一斉に城内になだれ込む。各地で殺戮と略奪、トロイは火の海と化す。アエネアスの住居は奥深いところにあったので、すぐには気がつかなかったが、やがて阿鼻叫喚はそこにも届き、急いで鎧に身を包みギリシャ軍に立ち向かった。しかし、もはや手遅れ。王プリアムスがいる王宮に向かうと、そこにもギリシャ軍がなだれ混んできた。凶暴なネオプトレムスは、プリアムスの息子をその目の前で殺し、ついでプリアムスを剣で一突きに殺し、首を切り取り、放置した(なお、ネオプトレムスは、ヘクターの妻Andromacheを奴隷として、また、プリアムスの息子の1人Helenosを連れ帰った。ネオプトレムスは、ギリシャのEpirusの王となるが、その死後、Helenosがその一部を承継し、彼はAndoromacheと結婚する・・・いずれも神話レベルの話だが、複雑だ。)。
 C   D    
  トロイ王プリアムスの最後    父を背負うアエネアス

 アエネアスが王宮を去らんとした時、ヘレンを見かける。トロイの悲劇の張本人と考えたアエネアスは、ヘレンを殺害しようとするが、神のお告げがあり、悪いのはヘレンではなく、トロイを弄んだ神々であること、早くトロイを逃れ、別の地で再興を期すべきことを諭す。そこで、アエネアスは、自宅に戻り、年老いた父を背負い、妻のCreusaと息子のIulus、その他の人々を連れて、夜中、トロイ城外の裏山に逃げる。
 しかし、着いてみると、妻のCreusaが見当たらない。アエネアスは、急ぎ、トロイ城内に戻り、ギリシャ兵と戦いながら、妻を求めて各所を探す。各所は、火の海となっている。それでも妻を探していると、暗闇の中から妻の姿が浮かび上がってきた。妻は、アエネアスに向かって、自分を探すことはやめるように、自分はすでに神々に保護されたから安心するように、そして、アエネアスがこれからの苦難の道を乗り越えて神々の導く約束の地に赴くように語りかけた。激しく泣くアエネアス。妻Creusaの思いを心に抱きつつ、やがて夜も明けそうになったころ、再び、トロイの裏山に戻った(この部分は、妻を亡くした私には、心打つものがある)。そして、船を作り、彼らをまとめて、船路につくのであった。

Book 3 7年間の漂流
Book 4 ディドの愛とその最後
Book 5 アエネアスの艦隊
Book 6 死後の世界
 アエネアスは、Cumaeに上陸(ナポリの近く)。そこで、巫女のSibylに会う。予言されているこれからの激しい戦いの前に、シシリー島で死んだ父に相談したいと考えたアエネアスは、「死後の世界」に行きたいとSibylに頼む。地下世界への入り口を見つけ、父に会う。地下世界は、Minosが支配している。ダンテの神曲・地獄篇でもミノスが出てくる。ダンテは、部分的にこの部分の話を取り入れている。

Book 7 ラティウムへの上陸
Book 8 Evander
Book 9 トロイ陣営の占拠
Book 10 海岸での戦い
Book 11 ラテン人の会議、カミラの死
Book 12 Turnusの殺害  (End) 
アエネアスに反対していたTurnusがアエネアスとの戦いで殺され、アエネアスはラティウム王の娘Leviniaと家婚して、この地に定着する。(もっとも、アエネアスは、その語、別の戦いで戦死する)

 
2)中世文学
神曲Divine Comedy by Dante
 Inferno(地獄篇) Puragtorio(煉獄篇) Paradiso(天国篇)の3部からなる。それぞれ34,33,33のCanto(歌)からなる。
 Midway upon the journey of our life, I found myself within a forest dark For the straightforward pathway had been lost と始まる。これからダンテの地獄、煉獄、天国を巡る旅が始まる。森の中で、豹、ライオン、オオカミに襲われそうになり、逃げ回る中、ローマの詩人Virgil(ヴェルギリウス)に助けられ、彼の案内で地獄の赴く。
 地獄の入り口には, Lasciate ogne speranza, voi ch' intrate (Abandon all hope, ye who enter)”と書かれている。地獄は9つの層に分かれており、地表の浅いところから順次深くなっていく。それぞれの層は、各種の罪に対応している。第1層は、Limbo,第2層は、Lust, ・・・ 第9層はTreachery・深い層ほど、罪も重い。地獄の最深部の底にはサタンがおり、罪の最も重い人たちを食べている。
   
ダンテ(Raphael画)  ダンテとVirgil                 裏切り者を食べるサタン 
(ダンテ神曲の読後、現代推理小説『ダンテクラブ』を読むと、地獄の場面に対応した殺人場面が理解できて面白い)

       
3) ロマン主義 (Romantik) 19世紀前半の文学傾向。それ以前の「古典主義」が絵画や小説において、ギリシャ・ローマの古典を理想のモデル(理性的である)としたのに対して、ロマン主義はそのような古典的・理性的・合理的モデルからの離反である(感情的である)。それは、ギリシャ・ローマではなく、自国の固有文化に対する目覚めでもあった。そこで、題材も、自国の歴史・神話などに目が向けられる。
 In the field of legal science 19th century was a departure from natural law. Savigny's Historicism is one of these trends. He strongly opposed to natural law, and thus to French Civil Code. In this, some scholars see Savigny as proponent of Romanticism. But Savigny's position is more complicated. He tried to build the system of modern German law based on Roman law, not on the traditional German law. At least in his legal theory I don't see any element of Romaticism. He was more pragmatic, more political.
 in the field of music Schubert, Schumann, Wagner, Carl Maria von Weber, Mahler etc are typical for its Romanticism. I personally like Schubert and Weber. "Freischuetz(「魔弾の射手」)" stirs up my passion in my youth. I saw "Freischuetz"in movie. It was a color movie, probably madein Germany. The overture scene was especially nice. Does anybody know whether the film is available in VHS or DVD?

Eduard Moerike  (1804-1875) (メーリケ)                              
 Mozart auf der Reise nach Prag (「旅の日のモーツァルト」)  
 1787年秋、モーツァルトは、妻コンスタンツェを連れて、Don Giovanniをはじめて公演するためにプラハへと旅に出かけた。途中、Graf von Schinzberg の館がある村で食後の休憩をしていたモーツァルトは、伯爵の庭で、音楽的空想にふけるうちに、そこに植わっていたオレンジの木から、思わずオレンジをもぎ取って食べてしまう。しかし、このオレンジは、伯爵が姪のEugenie(オイゲニエ)の結婚式のために大切に育てていたものであった。庭師にとがめられ、モーツァルトはお詫びのために伯爵の館に出向くと、伯爵夫人は彼が作曲家のモーツアルトであると知ってかえって喜び、伯爵も歓待し、モーツアルトはここに一泊することになる。晩の歓談の後、結婚式を控えたEugenieがそこに置いてあった「フィガロの結婚」の楽譜の中から、スザンナのアリアの部分(第4幕)をクラヴィアで弾き、美しい声で歌う。                   
Deh, vieni, non tardar, o gioia bella,          Come now, my darling, no more delaying,
Vieni ove amore per goder t'appella,          Come and answer the call of love,
Finche non splende in ciel notturna face,       Before heaven's torch shines bright in the sky, 
Finche l'aria e ancor bruna e il mondo tace.      While the night is still dark and the world at rest
Qui mormora il ruscel, qui scherza l'aura,      Here the brook is babbling, and the breezes are playing,
Che col dolce sussurro il cor ristaura;         And their sweet sounds refresh my heart; 
Qui ridono i fioretti, e l'erba e fresca:           Here the flowers are laughing, and the grass is cool: 
Ai piaceri d'amor qui tutto adesca.           Here everything welcomes the pleasures of love.
Vieni, ben mio: tra queste piante ascose       Come now, my dear one: and among these sheltered trees 
Ti vo' la fronte incoronar di rose.
            I'll crown your brow with roses.
(歌詞の部分は、小説には書かれていないが、Audio CD では聞ける。英語訳はコロンビア大学)
このあと、興にのったモーツアルトは、これから公演するドン・ジョバンニの1節も自ら歌う。翌日、モーツアルトは、伯爵から馬車を贈られ、これに乗ってプラハへと去っていく。オイゲニエは、モーツアルトが弾いたピアノを閉じ、誰もその鍵盤に触れないように、鍵を掛ける。そして、余韻さめやらぬ中、熱い思いがこみ上げて涙を流すのだった。
 ーー>(1968) Deutsche Grammaphon のAudio Tape(Mathias Wieman, Helmut Lohner)には、テープMozartの音楽も入っており、モーツアルト自身がクラヴィアを引いたり、ドン・ジョバンニの歌詞を歌う場面もあり、聞いていて楽しい。モーツァルトとコンスタンツェの軽妙なドイツ語も、よく雰囲気を伝えてくれる。Audio Tapeのメリットを生かしたよい作品だ。
 ーー>ドイツ語の原作については Gutenberg Projekt DE

Annette von Droste-Huelshoff (1797-1848)。 Die Judenbuche (映画、Audio CDあり) 
 大学の教養学部のドイツ語の授業(杉山先生)の授業で教材として、途中まで読んだ。ドイツ語が難しく、当時はよくわからなかった。その後、1981年ー83年にドイツに留学し、テレビでDie Judenbucheを放映していたので、これを見てようやく、話の筋がわかった。Judenbucheは、「ブナの木」という意味だが、「ユダヤ人」に掛けている。ドイツ旅行中に、コンスタンツ湖畔で、Annette von Droste-Huelshoffの彫像に出会った。

Adabert Stifter (1805-1868),


4) リアリズム (Realismus)
Theodor Storm / シュトルム(1817-1888)  キール大学で法律を学び、弁護士、裁判官などの仕事を務める傍ら小説を書いた。初期にはロマンチックな小説が多いが、人と人の、あるいは心の中の葛藤を描くのがうまい。また、社会問題にも取り組んでいる(法律家的素養が影響している)。Aquis submersusも、単なる愛の話ではなく、Stormの時代にはなくなりつつあったが、なお残っていた社会的身分格差も重要なモチーフである。シュトルムは、後期には、安楽死の問題も取り上げている(Ein Bekenntnis)。死ぬ直前の1888年に書かれたのが、Schimmelreiterである。故郷を愛し、小説も北ドイツのフリースランドを舞台にしたものが多い(SchimmelreiterのDeichgrafなど)。
ーー>more info Th.Storm協会(ドイツ)   日本にもTh.シュトルム協会があるようだ。

 Aquis submersus / 水に沈んで (1876) 
(Audio Tape from Schumm sprechende Buecher, Klaus-Dieter Koenig の朗読が、押さえた語り口でありながら、情熱を感じさせ、非常によい。私がドイツ語のオーディオ・テープとして最初に買ったのが、これだった。ドイツ語にもっと習熟しようと決意するきっかけになった。) 
 作者のStorm
は、いわゆるRahmenerzaehlung(「枠」形式の物語)という手法を使って、話の中身に現実味を持たせている。Rahmenerzaehlungとは、読者と同時代の主人公に関するRahmengeschichte(外「枠」の物語)と、その主人公が知ることになるもう1つの話(Innengeschichte:中核の物語)(これは過去の話であることが多い)の主人公(Aquis submersusでは Johannes という17世紀の画家)を登場させ、その後者に中核の話をさせるという手法である。この小説では、「私」(19世紀に住む「私」)が発見した資料((17世紀の画家Johannesの手記)から、画家Johannesの愛とその結末を知る。これが、実は「私」が子供の時に見たある絵のなぞを解いてくれるというものである。悲恋の物語であるが、その悲しい結末は、ロマンティシズムとは異なって残酷でさえある。こんなところがリアリズムなのかもしれない。
 
(話の中身) 「私」は、子供時代には村の牧師の子と友達で、よくその父親である牧師の教会に遊びに行った。その教会には1つの絵が掛かっていた。5才くらいの男の子が眠ったように、牧師の服を着た男性に抱かれている絵であった。しかし、実はその子は眠っているのではなく死んでいるのであった。その小さな手には白い蓮の花の茎が握ぎられている。私は、子供心にも、この絵に何とも言えない哀れみを感じていた。絵には1666年という年号が描かれている。100年以上も前のことだ。この絵には更に赤い文字で C.P.A.S..と書かれている。友達の父親(牧師)によると、昔ここに住んでいた牧師の家族の絵であるという。a.s aquis submersus の意味だという。ラテン語で「水に溺れて」という意味だ。おそらくこの子は水に溺れて死んだのだろう。しかし、c.p.が何を意味するかわからないと友人の父親(牧師)も言う。私が、 culpa patris (「父親の過失によって」)ではないかというと、友人の父親は予想もしなかった答えに驚いた様子だった。
      その後、私は大学に行き、その友達は別の場所に移ったので、会うことがなくなった。私は、大学を終え、生まれ故郷に戻り、市場広場のとある古い家に Gleich so wie Rauch und Staub verschwindt, Also sind auch die Menschenkind (煙や塵が消えてなくなるように、子どもの命もはかない)と書かれた看板が掲げられているのが気になり、中に入って行った(この看板の本当の意味は後でわかる)。そこは下宿人を捜しており、私も仕事部屋を探していたので、そこを使うことに決めた。家の持ち主に2階を案内され、ふと見ると、そこに1つの絵がある。17世紀の服装の男性と、蓮の花を手にした男の子の絵であった。「男の子」は、昔見たあの男の子である。子を抱える男性は異なる。この絵はこの家の主人の母方の祖先から伝わるもので、100年以上も前に、この家に住んでいた画家の手によるものだという。その画家が書いたらしい古い文書もあるという。私は、一刻も早くその文書を読みたい衝動を押さえることができなかった。家の主人の許し得て、早速、その場で読み始めた。画家の手記の第1頁は次にように始まる。
 「1661年、私(Johannes)Amsterdam, そしてHamburgでの絵の修業を終えて、故郷に戻ってきた。そこには、早くに父を失った私の面倒を見てくれた貴族の Herr Gerhardus の館がある。彼は、私の父とともにJena で法律を学んだ父の友人であり、父の死後、私の面倒を見てくれたのだった。Herr Gerhardusの館には、長男で性格の悪いJunker Wulfと、その愛らしい妹 Katharina がいた。Katharinaは、私より少し年下であった。私が父の死後この館に引き取られたころ、Katharinaは9才であった。我々は、よく一緒に遊び、すぐに仲良くなった。・・・・ ・・・・年月が経ち、私はHerr Gerhardusの紹介でAmesterdam, Hamburgと絵の修行に出かけることになった。Katharinaも館で見送ってくれた。彼女はすでにHelenのように美しい貴族の娘になっていた。彼女が何か言いかけた時、兄のWulfが入ってきたため、彼女は”Lebwohl, Johannes”とひとこと言っただけであった。私は門を出た後、館をふり返り、"Ade, Katharina, ade!"と心の中で叫んだ。・・・・ ・・・ それから5年が経った。私は、今、再びHerr Gerhardusの館に戻ってきた。館は前と同じだろうか。それとも、すっかり変わってしまったのだろうか。
 門のところで、昔なじみの門番のDietrichに会った。5年の間にすっかり髪が白くなっていた。彼は、私に会った嬉しさの中にも、浮かない顔をしている。門の中に入ろうとする私を彼は止めて言った。Herr Johannes, ehe Ihr weiter gehet, hoeret mich an! Euer Brieflein ist zwar richtig mit der koeniglichen Post kommen; aber den rechten Leser hat es nicht mehr finden koennen”." Hier ist die gute Zeit vorbei., denn unser theurer Herr Gerhardus liegt aufgebahret dort in der Kappellen."(ヨハネス、中に入る前に私の話を聞いてくれ。おまえの手紙は確かに郵便で届けられたが、手紙がその名宛人を見つけることはできなかったのだ。この館の良き日々は終わってしまった。我々が敬愛する、あのゲルハルドス様は礼拝堂で眠っておられるのだよ。)私の庇護者であったHerr Gerhardusは私のいない間にこの世を去っていたのだ。そして、息子のWulfが跡を継いでいた。私はKatharinaはどうしたか聞きたかったが、口に出せなかった。私は、Herr Gerhardusの眠る礼拝堂に行き、静かに扉を開けて中に入った。蝋燭の明かりにともされた薄暗い礼拝堂。すると、そこに人影が ・・・」
ドイツ語の原文は、ーーー> http://gutenberg.spiegel.de/storm/aquis/aquis.htm  

 Schimmelreiter (1888) (映画ありーー>Movieのページを見てください。)
 (話の筋)  私が50年も前に、曾祖母の家で読んだ雑誌に書いてあった話である。どの雑誌に書いてあったのかも忘れたが、ずっと気にかかっていた。それは次のような話だった。その記事を書いた者が、北ドイツのフリースランドを旅していたときのことである。夜が近づき暗くなってきた時のこと、堤防の土手を白馬に乗って走る人物が通り過ぎた。私が宿に着くと、そこでは地元の人たちが集会をしているようだった。海が荒れてきたので、堤防が大丈夫か相談をしているのだった。私がふと、堤防で出会った白馬の人のことを話すと、皆ピタと話すことを止めた。「Schimmelreiter(白馬の騎手)」だ、一人が叫んだ。みんな何か恐れているようだった。しかし、その場のリーダー格の男が、この会合にいた古老に、「白馬の騎手」のことを話したらどうかと勧めると、その老人は、昔この地方であった話をしてくれた。それはHauke Heinという名の少年のことだった。 


Theodor Fontane / フォンターネ(1819-98)
 Effi Briest (映画あり) 恵まれた家庭に生まれて、何不自由なく育ってきた女性(Effi)がプロイセンの厳格な名家の男性と結婚するが、性格的違い、生活環境の違いなどから行き違いが多く、幸せを感じない。そんなときに、別の男性と恋をするようになる。それが夫の知れるところとなり、夫と恋人がピストルによる決闘をすることになる。恋人は死に、夫との婚姻生活も破綻する。当時のプロイセンの重苦しい感じがよく描かれている。

5) 1933以前
Franz Kafka
 Beim Bau der Chinesischen Mauer (1917)  これも、大学の教養学部の時代にドイツ語fで途中まで読んだ。授業では途中までしか読まなかったので、気になっていた小説である。 (Story)  あれだけの長い長城は、どのような手順で作られたのか。1つの地点から始まって段々とそれを延長していったのか、それとも同時並行的に幾つも地点から作り出し、それらが繋がるようにして作業したのか。こうした問いから始まる。答えは、後者だが、なぜそのような工法が取られたのか?このような方法では、長城は完成するまではいろいろなところに「穴」が残ることになるが。・・・ ・・・
 ちなみに、実際の長城を見たときに、私は鈍感なのか、カフカのような感覚は沸かなかった。長城の長さよりもその幅と大きさの方に圧倒された。あれだけの大きな構築物が崩れないように支えるのは大変な技術が必要なはずだ。そのような高度の技術はどのようにして得られたのか。おそらく一度に習得されたものではなく、始皇帝のころの初期の長城が崩れ、それを再構築し、それが崩れ、また新しくするという繰り返しによってはじめ可能になったのではないか。2000年12月に長城に行ったが、寒くてカメラのシャッターが作動しなかった。一緒に行ったベトナム人は寒いので長城の上に上がるのは嫌だと言い、同行のモンゴル人(攻め手の後裔)は興味がないというので、私1人で上った。長城があっても、金や清の軍勢を防ぐことはできなかった。長城の意味は何だったのか
  本短編の原文は Gutenberg Projekt-DE で以前は入手できたが、現在はSPIEGEL Onlineにある gutenberg.spiegel.de/buch/

6) 1933-1945
Erich Kaestner (エーリッヒ・ケストナー)
 Emil und die Detektive / エーミールと探偵たち (映画・CDあり)  Emil travels to Berlin to see his grandmother, but his money was stolen by Grundeis when Emil fell asleep in the train. Emil chases Grundeis with the help of the children of Berlin and gets his money back. A story of the good old days in Berlin. Kaestner believes in goodness, warmth, and sympathy. I also do ( a bit). But when I read the story in my childhood, I did not think it was interesting. Was it because of the translation, or was it beacuse of my age? Probably I did not think kindness was so precious, because people around me were usually good to me. But later when we get older, we come to know that people around you and "friends" are not always good to you. Pure kindness and warmth is rather rare and precious. It is paradoxical that this kind of stories touches your heart only when you get old , even though the author wrote it for children
. (Grundeisを追う少年たちとEmilの従姉妹Pony)
 Deutsche Grammaphon の Audio CDでは子供達が生き生きとしており、非常によい。映画ではどうしても映像に気をとられてしまうが、Audio CDでは、語り方や言葉のやりとりが善し悪しを決める。このCDを聞くと、「言葉が生きている」ということを実感する。Emilと母親との会話、Emilとベルリン子のやりとり、おしゃまなPony Huetchen、おばあさんのベルリン言葉など、聞いていて楽しい。このCDのドイツ語はやさしいので、聞き取りの練習にも丁度よい。ところで、Kaesterの本の挿絵もいい。ほのぼのとした感じが伝わってくる。黄色と赤の使い方がうまい。 Walter Trierという挿絵画家のもの。 
    ーー>http://www.walter-trier.de/

 Als Ich ein kleiner Junge war  Kaestner tells us about his parents especially his mother and the exciting experience in his childhood. He also repeatedly tells us how beautiful the city of Dresden was where he lived in his childhood.. "Ja, Dresden war eine wunderbare Stadt. Und ihr muesst es glauben! Keiner von euch, und wenn sein Vater noch so reich waere, kann mit der Eisenbahn hinfahren, um nachzusehen, ob ich rechthabe. Denn die Stadt Dresden gibt es nicht mehr. Sie ist, bis auf einige Reste, vom Erdboden verschwunden. Der Zweite Weltkrieg hat sie, in einer einzigen Nacht und mit einer einzigen Handbewegung, weggeschwischt .... Das geschah am 13. Februar 1945. .." We can see how angry he is when he talks about Dresden, once a beautiful city was destroyed by the bombing of the English airforce. I hate Nazi Germany, but I also hate war which indiscriminately destroys life and culture.

 Das fliegende Klassenzimmer (空飛ぶ教室) (映画・CDあり)A story of friendship (Freundschaft) in a Latinschool. I read this story in original German language when I was in the university. But it was not so impressive. Later when I listened the audio CD I had a different impression. But in my opinion other stories like 'Emil and the Detectives' or 'Anton and Punktchen' are much better. One reason why I do not favor this story is because the fight between the students of the Lateinshule and the Realschule is based on a sort of elitism.

 Das doppelte Loettchen (CDあり) ・・・・>Parent trap (Disney映画)のもと
 Anton und Puenktchen (CDあり)
 * ケストナーが好きな人は、次のサイトもーー> http://www.erichkaestnergesellschaft.de
                                http://www.erich-kaestner-museum.de/kaestner/index.htm

7) 第2次大戦後
Lion Feuchtwanger, Geschwister Oppermann (映画あり) The story of the family Oppermann during the Nazi era.
Beltolt Brecht, Galileo Galilei (Audio CD あり)
Siegfried Lenz (1926 - ) Der Verlust (1981)
Guenter Grass (1927- ) Blechtrommel (1999年ノーベル文学賞)
Elfiede Jelinek (2004年ノーベル文学賞), Die Klavierspielerin, Lust 

 ASTERIX & OBELIX (漫画 Uderzo、文章 Goscinny) 各国で翻訳出版されたので、ドイツ人の子供はドイツで原作が書かれたと思っているが、実はフランスのコミック。話の設定も、ゲルマン社会ではなく、ガリア(現在のフランス)が中心。ゲルマン人などは野蛮人として描かれている。私が昔買ったのは、ドイツ語版だが、文章すべてがラテン語版とエスペラント語版もある。さすがヨーロッパの漫画だ。話は、ローマがガリアを占領したシーザーの時代、しかし、一カ所だけKleinbonum(ドイツ語版だからドイツ語的、フランス語版ではなんというのか?)というガリアの村が占領を免れた。回りは全てローマ軍の陣地で囲まれているが、この村には「秘密」があり、そのためにローマ軍はここを占領することができない。カエサルの「ガリア戦記」にもこのことは触れられていない。この村の英雄がAsterix、その友Obelix。そして村人全員が愉快な仲間。ローマ軍との間にいろいろな騒動を起こすが、いつも最後はローマ軍がこけにされて、ガリア人にとってはめでたし、めでたしで終わる。子供達に、ローマ時代のガリアの話を視覚的に教える点や、簡単なラテン語(vini, vidi ,viciと言った簡単なものから、video memoria proboque deteriora sequorのようにラテン語を勉強したことがない人には難しいものものある)が随所に出てきて、ラテン語に親しみを感じさせる点で優れている。DVD版もあるようだが、ラテン語の部分がどう扱われているのか、少し心配。


                                    
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