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コラム1
このコラムでは、興味深い論題に関する私の論評を掲載いたします。



経済行為、脳科学で解明?(2006年1月15日 9:17:06 PM)

日経新聞(日本経済新聞)2006115日(日)のサイエンス・コーナーで「経済行為、脳科学で解明」という興味深い記事が掲載された。この記事は米国の脳科学者マクルーア研究員と経済学者レイブソン教授が2004年に米サイエンス誌に発表した論文の紹介となっています。この論文は2つの実験において、脳のどの部分が活発に働くかを画像診断装置で比較するというものです。


一つ目の実験は「一年後に10ドルもらうか、一年一日後に11ドルもらうか、どちらを選択するか?」という実験。被験者の大半は後者を選択したそうです。この場合は、理性をつかさどる前頭前野が活発に活動していて、これをイソップの寓話にちなんで、アリの選択と呼ぶそうです。

二つ目の実験は「今日10ドルもらうか、明日11ドルもらうか、どちらを選択する?」というもので、同じ被験者の大半は前者を選んだそうです。この場合は、大脳皮質の内側にある情動に関係する大脳辺縁系が活発で、これをイソップの寓話にちなんで、キリギリスの選択と呼ぶそうです。

実は、私は両方とも後者を選びました。一年一日後であろうと明日であろうと、10ドルや11ドルに大差がない、どうでもいい額なので、わざわざ少ないほうを選ぶ必要はないと考えたからです。実験結果の普遍性はともかく(他の文化圏、もしくは、教育レベル別、年齢別、性別、所得別でも同じ結果が出るのかというと、疑問で、特に二番目の実験結果は不確定になるのでは)、この実験は確かに思考力を刺激する実験といえます。

この二つの実験を10ドルと11ドルでなく、1万ドルと11千ドルにした場合、実験結果は同じだろうかと私は考えてしまいます。実験結果は、ほぼ全被験者が11千ドルを選択すると思います。これを、10万ドルと11万ドルにしたら、全被験者が11万ドルを選択するのではないかと思います。もちろん、前頭前野が活発なはずです。

要するに、この実験が提起している問題の本質は、脳のどの部分が活発に働くかということよりもむしろ、人間の選択行動原理において働いている法則を指し示しているという点です。10ドルや11ドルといった、小さな額では(この場合は、差額が小さい場合ですが、増減率が小さい場合もある)、選択の不確定性が出るということです。それ故に、選択があたかもランダムのように思えます(ある人は、金額の大きい方、他の人は金額の小さい方で、比率は確率でパーセントで与えられる)。しかし10万ドルや11万ドルといった比較的大きな額になると、ランダム性が消滅していって、選択行動に不確定性が見られなくなるということです。この法則性は、正に私の2005年の論文 EQUILIBRIUM ENERGY で明らかにされていることです。

株価の変動がコアのような極小の内部で起きると、ランダムに変動していると解釈できるが、株価の変動がコアの外という大きな位置で起こると、ランダム性が明らかに激減して、トレンドが現れるということは私の論文 EQUILIBRIUM ENERGY で示されています。

要するに、米サイエンス誌に載せられた実験結果は、人間の選択行動がいつ不確定性要素を帯びるかを明らかにしているということです。どうでも良い額(差額)の選択(嗜好性)では、大脳辺縁系が働き、選択において金額が大きいほうを選んだり小さい方を選んだりして、金額の嗜好性がランダムになるという点です。私が主張したいのは、大きな額(パーセントは同じでも差額が大きくなると)の場合は、一日の差では選択(嗜好性)のランダム性が消滅して、金額の小さい方よりも大きい方が選択されるということです。





物理学者の金融論観 (2006年1月17日 2:43:27 AM)

  昨年、「物理学者、ウォール街を往く」 ダーマン著、東洋経済新報社 (20051222日出版)を買ったが、今まで読む機会がなかった。今日ぱらっとこの本のページをめくってみたら、p409で次の様な興味深い行があった。

  「物理学のテクニックを使ったとしても、真の金融的価値それ自体の概念が疑わしいゆえに、金融の世界においては、現実との近似以上のものを作り出すことはできない。」

  何と、このサイト、株価の近似値、と共鳴する考え方ではないか。好感できる本です。





投資における予測と戦略 (2006年1月24日 火曜日 11:37:09 PM)

  昨年、「入門、時系列解析と予測、改訂第2版」 ブロックウェル、デービス著、シーエーピー出版株式会社(2004年4月10日出版) を付属の ITSM2000 CD-ROM 目当てで買った。勿論、予測モデルを株価の予測に使う為である。

  ここで問題となるのは投資における予測と戦略である。よく、テレビで専門家が株価の予想をする。予想株価を言えないのはあたかも罪であるかのようだ。しかしである、殆どが予想で終わる。その予想が外れたといつ判断するのか、その基準は述べられていない。予想が外れたと判断した場合、投資資金をどうするかも説明されない。単なる予想だけで投資するのは無謀な事です。株価の動きが予想に即したものでない場合の様々なシナリオを想定し、それに対する戦略なしに投資すべきではありません。しかし、この戦略は、資金の性質によって異なる。長期資金なのか、短期資金なのか。投資額によっても、リスク許容度によっても戦略は異なる。同じ長期資金であっても、単なるバイ・アンド・ホールドではなく、その時々のリスクの程度に合わせて、株と現金の比率を変化させていく戦略を好む投資家もいます。この様な多様な戦略をテレビで一般大衆に事細かに説明することは不可能である。要するに、予想よりも自分の投資戦略を確立しておく方が大切です。加えて、自分が得意な相場、値動き、や不得意な相場(環境)を良く知っていることです。そして、いつも利益を上げ、利益を極大化しようとするよりも、自分が得意な局面で資金を投入することです。

  勿論、株価の予測も精度を上げていかなければならない。其の為に、上記の本を買ったわけです。しかし、株価の予測に関しては、量子力学における不確定性原理と似た現象が起きていると主張するトレーダーもいるそうです(出所不明)。不確定性原理とは、ミクロの世界の量子に関してで、観測という行為そのものが量子に影響を与えてしまうので位置と運動量が同時に決まらず、どちらかがより不確定になる、というものです。株価の場合では、観測の代わりに予測になりますが、予測という行為そのものが株価の位置や時間を不確定にするということだと思います。この場合、ある特定の予測の情報が他の投資家に広まるかどうかにかかわりなく、同じような株価予測手法や戦略を使っていて、その予測に基づいて前もって行動することが原因と解釈できます。つまり、予測はあくまでも不確定であるということです。




株価指数の臨界揺らぎ (2006年2月18日 土曜日 4:37:54 PM)

  「1987年のブラックマンデーで株価が暴落した前後に、株価指数に「臨界揺らぎ」と呼ばれる特殊なパターンが出現していたことを東京大の清野健研究員(非線形物理学)や山本義春教授(生体信号処理)らが15日までに見つけた。」と東京新聞2月16日の記事で紹介されている。成果は近く、米物理学誌フィジカル・レビュー・レターズに発表されるそうです。

  ここで幾つかの疑問が出てくる。第一に、株価指数の数値の揺らぎのパターンに暴落の兆候が出ていたという点である。重要なのは、株価指数から“理論的”に導かれた数値ではなくて、株価指数の数値自体の揺らぎのパターンという点です。もしそうなら、指数の数値自体は、投資家の投資行動を直接反映しているので、投資家が暴落の予兆を察知していて、そのことが指数の数値自体の揺らぎに反映されていることになる。そして、彼らは、清野-山本モデルを使うことなしに、暴落をすでに予想して行動していたことになる。もちろん、暴落を予測出来なかった投資家もいたので、それらの人達にとっては、清野-山本モデルは必要であることになるのだが。

  第二に、仮に清野-山本モデルがほぼ完全だと仮定しても、株価予測の不確定性原理により、投資家が暴落を予想して前もって行動し(場合によっては、シミュレーションによって、より早く予想し)、その行動にバラツキがあるならば、暴落は起こらなくなるという点です。これは、暴落を排除するという点で、とても有効なのですが、あくまでも予想はハズレになります。つまり彼らは視点を少しずらして研究成果を発表する必要があるということです。

  第三に、そしてこれは頗る重要なことだが、1987年のブラックマンデーの株価暴落は、長期投資にとっては、ほんのノイズでしかなく、株価は直ぐに元の水準に戻りその後も上昇し続けたという点です。短期投資や投機にとっては非常に重要な出来事でも、投資の王道である長期投資にとっては「それがどうしたの?」程度のことだということです。ですから、臨界点の研究で重要なのは“持続可能性” (sustainability) という点です。臨界点での暴落が、その後の下落相場を特徴付けるものならば、その臨界点は、真剣な考慮に値しますが、そうでない場合は、長期投資にとってむしろ厄介で惑わされる原因になってしまいます。それで、清野-山本critical (臨界)モデルが1987年のブラックマンデー以外の暴落もしくは、長期トレンドの転換点でも、どのように当てはまるかは非常にcritical(重大)であると言えます。

  一方、「入門 経済物理学 暴落はなぜ起こるのか?」 ソネット著、PHP研究所 (2004年3月10日出版)のp32では、Bak, P.(1996), How Nature Works: Science of Self-Organaized Criticality (Corpernicus, NY) から、「暴落は、小さな下落が止まらずに継続しただけ」という見方を引用して、もしそうなら、「他の無数の下落が予想できないのと同じように、下落の発端を捉えることは本質的には不可能」とも述べている。これを覆す結果を、清野-山本モデルが、提出できるのか興味深いところである。





『ランダムな成功』と『ランダムな失敗』 (2006年11月27日 月曜日 3:22:00 PM)

先日、テレビの株式番組で、華僑の大金持ちの投資方法は一極集中投資である、と説明されていた。テレビの解説者の主張は 「多くの銘柄を所有して分散投資するのではなく、一銘柄(もしくはごく少数の銘柄)だけを所有して勝負しなければ株で大金持ちになれない」 というものです。この主張は、ある人が、株で大金を稼いだ方法が株式で最も優れた投資方法であると、一般大衆から脚光を浴びるのと似ています。これは、株価がランダムであることの基本的な意味を把握していない典型的な発言であり、注意を喚起する必要がある。

この事を理解する為に、株価収益率(株価が何パーセント上昇したか下落したかを示す数字)と言う概念を考慮しましょう。日経225の場合、225銘柄それぞれの株価収益率があり、例えば、それらの1年の収益率は+0.9〜−0.6の範囲に分布し、日経225の株価収益率を+0.15としましょう。これは、225銘柄の株価が一年で90%の上昇から60%の下落の範囲に分布し、日経225による平均収益率が15%の上昇、ということになります。

ここで一銘柄だけに勝負をかけて投資した最大の成功例は上昇率90%、最大の失敗例は下落率60%となります。ゆえに大成功するには、一銘柄だけに投資しなければなりませんが、その成功をもたらした方法は、それだけでは大失敗をももたらします(成功が失敗を生み出す)。一方、分散投資して、例えば日経225指数を買った場合は、平凡ではあるが15%の上昇を得ることになり、リスクが分散されているのです。ここで重要なのは、一銘柄に集中投資したので大成功した訳ではない、ということです。何故、その銘柄に集中投資し成功したかという、根拠です。そして、その根拠は科学的に検証し得る確かな証拠に基づいているか、ということです。もし科学的に証明され得る根拠がなければ、あくまでもランダムに成功しているに過ぎないのであり、同じ方法で、他の人は同時にランダムに失敗するのであり、その成功した人は、後に、同じ方法でランダムに失敗するのである。(数年前に、一年の初めに、経済や株式の専門家による投票で、日本コーリンとかいう会社が株価の上昇率で最も有望であると予測されたが、その同じ年に日本コーリンは破綻してしまった。今年は、ライブドアの例があり、有望な一銘柄に集中していた人は、悲惨な結果に遭っただろう)

株式において100%確実なものは何もなく、投資の成功や失敗の大きな原因は、至って簡単で、『ランダムに成功』し『ランダムに失敗』するという特性にあります。それで、重要な事は、株価のランダム性にどう科学的に対処するかという事になります。このサイトでは、数学的、統計学的に株価の分布を導き出し、株価のランダム性に対して方向性と確率を明示することにより、単なるランダムな成功ではなく、確率によって裏付けられた投資を最善の投資と見なしています。




20091210日 木曜日 2:09:02 PM  正常性バイアス

  以前、日経新聞サイエンス・コーナー(20074月1日付け)で、災害心理学における正常性バイアスなるものが紹介されたことがある。自宅や職場で火災報知機が鳴った時、多くの人は故障かいたずらだと思う。(即ち、火災報知機が鳴った時点で、直ちに急いで避難する人は少ない。)非常事態に直面しても、それを出来るだけ正常な事と理解しようとする心理が働くからで、正常性バイアスと呼ばれる精神のバランスを保つメカニズムの一つだそうです。大災害の時に逃げ遅れて死亡する圧倒的多数が正常性バイアスに起因するらしい。『現代人は危険の少ない生活に慣れ過ぎていて、安全ボケしており、これが正常性バイアスを助長している』と災害心理学が指摘しているらしい。

  実は、今現在、私も正常性バイアスの犠牲になっているのかもしれないと思うようになってきた。日本に新政権が誕生してから、日本株の出遅れが頻繁に指摘されるようになった。昨日、ニュースで米国政府当局者が『日米合意事項不履行の可能性に関し米国の不快感を示す様々なサインを日本に送り続けてきたが、日本の新政権にことごとく無視されてきた』というような発言していた。実は、私はそのサインが明白に分かっていたし、世界中の投資家も日本に対する米国の度重なる不快感のサインを読み取っていたと思う。日本が米国との軋轢で短期的に不利益を被るのではないかと、世界の投資家が懸念するのももっともだ。それが、世界で日本株だけが出遅れていた主因であるという仮説を私は立てていた。同時に、最後は今まで通りに日米間はうまくいく(つまり正常性バイアス)と思っていて、懸念は短期的なものと仮定していた。

  しかし、私は日本の新政権が発するサインの方を見落としていたというよりも、正常性バイアスに罹って、事実を直視していなかったようだ、とここ2〜3日考えるようになった。つまり、新政権にとって、日米関係よりも連立政権を維持することの方がはるかに重要。それだけではなく、日米関係は、日中関係よりも重要ではなく、北方領土問題よりも重要ではなく、アジア問題よりも重要ではないというサインを発しているような気がする。つまり、新政権にとって日米関係は優先度がそれ程高くはない、というのが、日本政府が発しているサインではないかという事です。そして、この事実を、正常性バイアスにより、直視せず、日米関係は大丈夫と思い込んでいたのではないだろうか。

  日本の政策スタンスの是非を論じるのは投資家の仕事ではない。投資家は、この政策スタンスの日本経済に与える影響を冷徹に推定し、日本株に対するスタンスを決定すべきなのだ。しかし、マーケットは、米国の懸念は織り込んできた一方で、日本の新政権の米国に対するこのスタンスが日本経済に与える影響を推定しきれていないのではないかと思う。ダメと思えば日本株から撤退し、良いと思えば日本株を買うだけのことだ。投資に関しては、決断するのが遅く、優柔不断であってはだめだ。しかし、中国や東アジアとの関係強化は、日本経済にとってプラスだが、米国との関係が悪化するのはマイナスだ。海外に多くを依存している日本経済がトータルでどんな影響を被るか、良く分からない。もしくは、分かっていながら、直視したくないだけなのか。分からない場合は、一時撤退が鉄則だが、私は日本人として、素晴らしい科学技術を有している日本の株を見限る事はなかなか出来ない。日本の現政権や企業と同様、私も決断が遅く、優柔不断なのか、正常性バイアスの犠牲になっているのか?後になって判明するが、後の祭りになるかも。人間の愚かなさがなのか?




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