筧次郎氏 講演録 「本当の豊かさと自立の生き方とは〜百姓暮らしのススメ〜」
<目次> <レジュメ> <講演1> <講演2> <講演3> <質疑応答>
講演1
どうも、みなさんこんにちは。今、ご紹介頂いた筧です。
今日は「本当の豊かさと自立の生き方とは」とお題を頂きましたので、表題に沿ってお話しさせて頂きます。レジュメに沿ってお話をすすめていきたいと思います。

 まずは、「哲学者から百姓へ」という見出しをつけさせて頂きましたが、1983年からですので、今から丸23年、今年で24年目になります。ちょうど私が36歳のとき、筑波山の麓で百姓暮らしを始めました。それまでは実は哲学をやっておりまして、私の専門は言語哲学という分野で、一言でいうと「言葉とは何か」ということを色々考える学問でした。それも私の個人の中では百姓になった理由と、全然無関係ではないんです。その辺はなかなか話しても混乱してしまうので、ちょっとかいつまんでお話ししますと、普通言葉というのはコミュニケーションの手段だと思われています。ものを見る段階では耳とか頭とかに障害がなければ誰もが同じものを見ていると。でも、それを表現して通じ合うためには、言葉が必要だということですね。それは哲学的にはどういうことになるかというと、ものを見る段階で誰もが同じものを見ているのは本当なのかと。逆に言葉で表現したものが、通じ合うことで「ああ、同じものを見ているんだな」と、逆に同じものを見ているということの証拠になる。言葉でコミュニケーションができるということはですね。言葉とはそういうものだと考えられていたのです。

ですが、私が研究していたのは違う見方で、言葉というのはものを見るときに働いているのだと。ですから、たとえば日本人とフランス人とエスキモー人がいたとすれば言葉が違うので、みんな表現伝達よりも前に物を見る時にもう違うものを見ている。というようなことを研究していました。それは実はヨーロッパでは20世紀末からそういうことがいわれ出したんですけども、インドでは大昔から言語というものをそういう風に捉えていたの。インドではよく瞑想修行というのをしますよね。簡単に言うと何の為にするのかというと、我々は言葉という色眼鏡をかけて見ている。その色眼鏡をかけて見ているから、ものの本当の姿、世界の本当の姿が見えない。そこで、その色眼鏡をなんとか外して世界の本当の姿を見てやりたい、というような発想から修行するわけですね。修行して、心の内側に眼差しをずーと向けていって、言語を乗り越えようと考えるわけですね。それは大昔からインドではそう考えられていました。つまり、言語というものは我々が世の中を見るための障害として捉えられているんです。私がやっていたテーマはそういうものだったので、大学では言葉に関して東洋ではどうみるか、西洋ではどうみるかという比較思想をやっていたわけなんですけども。それは今から振り返ってみると、私が百姓になったことと決して無縁ではなくてですね。今は科学万能の時代といいますか、科学的な物の見方こそ真実に近いというようないわれ方をしますけれど、私たちがやってきた立場からみると、科学というのも一つの見方、言葉なんですね。科学という言葉。ですから、科学もまた一つの色眼鏡なんですね。色眼鏡を通じて世界を見ている。我々日本人が日本語という色眼鏡で世界を見ているように、科学者は科学という言語を通じて世界を見ている。そういう捉え方になるわけなんですよ。それは、私の心の中から進歩という考えを取り除いてくれました。つまり、我々のものの見方とか、文化というのが進歩・発展するという考えを。実は「進歩・発展」という思想は近代人だけが持っている特異な思想なんです。世界中のどこにも、人間のものの見方や考え方が進歩・発展するという考え方はあんまりないんですよ。近代のヨーロッパにだけある。ヨーロッパの思想を受け入れた日本もそういう思想になっていますけども。でも、本当は人間の生き様というのは、太古の昔から繰り返し繰り返し同じことをしてきた。そういう考え方の方がもっと世界中に広がっている。
そういう“進歩の思想”を若い頃は持っていたんですが、払拭できた、捨てることができたということが、私は今、時代錯誤的な百姓暮らしをしていますので、そういう百姓暮らしをする上で自分の心を支えてくれる思想にはなっていたと思っています。

ただ、あとから振り返ってみると直接的なきっかけは言語研究ではなくて外国体験でした。大学を出てから、フランスに哲学を勉強しに行きました。その頃はヨーロッパかぶれというか、文化の中心地であるパリに勉強に行くんだという感じでしたね。今と違って不便だったから、シベリアを越えて行ったんですけど。その時にですね、フランスというのは、自由・平等・博愛の国で、民主主義が非常に進んだ国、そういう思いで行ったんですね。ところが、実際は差別の国だった。今でこそ日本でも、田舎に住んでいると本当にわかりますが、農業も全国津々浦々まで第3世界からたくさんの方が仕事をしにやってきている。そして、人が嫌がる仕事はみんなやっています。たとえば茨城県では今、鳥インフルエンザって問題になっていまね。何百万もの鳥が始末されていますが、始末しているのは中国人の方ですね。中国人の方が研修生という名目で働きにきている。そういう方たちが、本当に朝から晩まで始末している。そういうことは日本人はやりませんね。道路工事であれ、工場であれ、本当に底辺の労働をたくさんの貧しい国の人が来てやっています。ですが、私が若い頃はまだ日本にはそんなに外国人がいなかった。日本はそんなに豊かじゃなかったので。むしろ外国人というと、豊かなアメリカ人が観光旅行に来ていました。そういう時代だったんですけど。ただ、ヨーロッパの19世紀から底辺の労働をみんな旧植民地の人間がやっています。フランスだったらアラブの人たち、それからアフリカの黒人たち、それからアジアだったらベトナムの人たち。その人たちはみんなフランスの植民地だったから、フランス語を強制されたんです。フランス語ができるということで仕事をしていました。パリにもアラブ人地区というのがあって、私も興味本位でアラブ人地区にしばらく住んでいた。本当にゴミゴミした、ちょっと物騒なところでした。道路の掃除をしたり、ゴミ集めをしたり、そういうのは旧植民地の人間の仕事。そしてフランス人は、パリだったらみんな石造りの大きな建物で、そのワンフロアを個人が持っているんですね。そして、そのワンフロアに2〜3件の家が借りて住んでいます。ワンフロアを持っていると、不動産の収入で大体働かなくて済む。そうすると、仕事は趣味でやっているという人がたくさんいます。私はそこに3年いました。

それで簡単に言うと、民主主義というものに疑いを持って帰って来ました。民主主義とって何なのかなぁと。帰って来てから歴史を勉強し直しました。学校で習う歴史というのは嘘じゃないけど、本当でもない。本当のことが全部隠されたような歴史だと、私は今は思います。
話は脱線しますが、スワラジ学園で私は座学の方は歴史を担当しています。近代コロンブス以来500年間の歴史を、我々はヨーロッパの側からみた歴史を習っています。それを虐げられた方からみたらどんな歴史がつづれるか。アメリカインディアンからみたらどうか、アフリカの黒人の人たちから見たらどうか、アジアの人から見たらどうか、アボリジニたちからみたらどうか、そういうことを教えています。そうすると、全然違う歴史が描かれます。そしてその結果、今の工業社会の豊かさというのはどこから来ているのかということも見えてくるんですね。そのために歴史を教えているんですけど。

一言で言えば、今の工業社会の豊かさというのは科学技術の発展とかで得たもので、自前・自分の力で得たものではなくて、貧しい国から奪ってきたものだと言わざるをえないです。

私たちが中学、高校の時は民主主義というのは2種類あるんだと教えられた。一つは古代の民主主義。それはギリシアやローマの奴隷がいる民主主義。経済的には奴隷労働に頼っていながら、市民だけが平等な権利を享受している。そういう民主主義だと。これは同じ民主主義でも嘘の民主主義。本当の民主主義は近代の民主主義だと、そう私は社会科で習った。でももう一度歴史を勉強してみると、結果は同じだと。今の民主主義も奴隷がいる民主主義だと言わざるをえない。民主主義というのは、奪ってきた富を支配者たちが公平に分かち合う制度、そう私は思っているんです。今の民主主義の奴隷は一体どこにいるのというと、外国にいるんです。このことを本当に説明するには長い歴史を細かく説明しなくちゃいけないんで、簡単にお話ししますけど、例えば、労働の対価を考えてほしい。私たちは1日働くと1万円くらいになりますね。タイとかインドネシアにいる人は、1日働いて500円くらいにしかならない。労働の対価に20倍の差がありますね。そこで貿易関係が営まれると、私たちが1日働いて得たものと彼らが20日間働いて得たものが交換されてしまう。そういう仕組みを通じて労働が奪われている。やっぱり奴隷がいるのと同じようなことが現に世界では行われていると思います。そういうことを、フランスから帰って来て哲学の勉強をしながら学んでいったんですけど、だんだんだんだん自分の大学の教師という立場が苦しくなってきた。帰ってきましたが、その頃の私の問いというのは「人間というのは他人を泣かさないでは豊かになれないのだろうか」というのが問いで。そうではない暮らしがしたいという風に思いました。ところが、これは現代社会ではなかなか難しい。みなさん都会で暮らしていらっしゃるから、今の私よりももっと切実に思われているでしょうが、生活が非常に分業化されていますよね。だから、社会全体が1つの機械みたいもので、私たちは1個1個の歯車でしかないんですよね。だから、社会がやっていることに自分は加担したくないと思っても、どうしても加担してしまう。日本人に生まれて日本で生活していると、どうしても加害者になってしまいます。そういう社会なんですね、今は。ですから、そうではない暮らしをしたいと思っても非常に難しいです。そのことから、自給自足の暮らしに対する憧れのみたいものが私の心に芽生えていきました。それで36歳の時に、思い切ってそういう暮らしをやってみたいと思って飛び込んだんです。

第2番目の「20年の百姓暮らし」に移りますが 私は自分の営みを「農業」と言わずに「百姓暮らし」といつも言っています。ところが、百姓というのは差別語らしいんですよ。今は差別語というのが非常に厳しいらしくて、何年か前に地方のラジオニュースのコメンテーターを頼まれたんですね。その時に差別語の一覧表を手渡されて、「これを使ってもらったら困りますから、言わないでください」と。そしたらその中に「百姓」がある。何で百姓が差別語なの。私は百姓というの誇りを持って百姓と言っている。百姓というのは本来の意味は百の性。そこら中にある姓という意味で、簡単にいうと一般庶民という意味です。特権階級じゃない一般庶民だよ。僕は一般庶民だよというのを、誇りを持って言いたいわけですよ(笑)僕は特権階級じゃないよということですよ(笑)でもそれが手垢のついた言葉になっちゃったのか、「このドン百姓」なんて軽蔑する場合に言うこともありますから。それで差別語になっちゃっているわけです。私が敢えて百姓という言葉を使っているのは、農業とっていうと商業、工業と並ぶ言葉で、金儲けの仕方の違いになっちゃうんですね。簡単に言うと、テレビつくるのが工業で、キャベツつくるのが農業だよと、そういうふうになってします。でも確かに、今の農業はそういう側面があります。本当に工業化されてしまってですね、たとえば何年か前に日本農業賞というのをとった ニンジン農家の方がおられるんですよ。その方は30ヘクタールもニンジンだけをつくっている。なんと、売上が5800万円もあるんですが、機械をたくさん使って。とりわけニンジンというのは小さいときに間引かないといけないので、労力がものすごくかかるんです。その時は、人海戦術でパートの人をたくさん雇ってやるんですね。だから、人件費がものすごくかかる。なんと彼らは必要経費が5000万円かかるというんです。でも800万円残るんですね。それで、経営が優秀だということで日本農業賞をもらったんです。つまり、その農業は工業の論理なんですね。いくら元手をかけても、いくら投資しても場合によっては1億円投資しても、それ以上に儲かればいいという農業です。でも私がやりたかった、私が始めた農業はそうではない。それは一言で言えば、自然から恵みを引き出して生きていく、人間に固有の生き方というか。動物は自然から恵みを引き出して餌をとって生きていくわけで、それは人間だって同じ、自然から恵みを受けてそして食料をつくっていかないと生きられない。これはどの時代も一緒です。昔は本当にそういう自然から恵みを受けて生きていく基本的な仕事として、だからこそ第1次産業というわけですが、基本的な仕事として農業というものが自覚されていた。言葉を換えれば、自給自足的な農家の暮らしを「百姓暮らし」とよんでいます。この「百姓暮らし」は残念ながら今の日本にはありません。日本では今から50年位前の高度成長期を境にして、自給的な暮らしは完璧に失われてしまっています。最近は自給自足のブームらしくて、ブームといっても面白おかしく取り上げているだけですが。実はスワラジ学園にもテレビ局から自給自足を紹介したいと取り上げたいとくるんですが、全部お断りしています。それは興味本位だからです。私は今のブームの自給自足には2通りあると思っています。一つは「サバイバル自給自足」と私はよんでいます。とにかくお金も何もいらない、人との付き合いもない、食い物つくって私は生きていくんだという自給自足(笑)。実は若者はそういうのに憧れて僕のところに「自給自足の生活を教えてくれ」ときます。いつだったかは、夫婦でそろって赤ん坊をかかえて「自給自足の暮らしがしたいんだ」とやってきました。「でも、お金が一銭もなくては子どもさんが成長していくときに教育費もかかるし、困るよ」と言うとですね、「いや、教育は2人でやるから大丈夫です」とサバイバル型の自給自足をめざすんですね。あの、そういう自給自足は、江戸時代にもありませんよ。日本では江戸時代の昔から田舎にも貨幣は流通していました。それはむしろ人間との付き合いをしたくないという精神的な病の世界ですから、決して私が望んでいる自給自足ではない。それからもう一つ正反対の人がいます。これは中高年に多いんですけど、お金はふんだんに持っている。それで、食べ物をなんとなく自給するような雰囲気をつくって自給自足と言っている。こっちの方は「左うちわ自給自足」と呼んでいるけど(笑)。そういう人もけっこういるの。農業に関心のない時代ですから、そういう人が増えることは大いに結構だけどね。やっぱりそれで自給自足とよんでほしくないなあと、ちょっと思いますね。


 ▲UP