〜質疑応答〜
質問者
とても素晴らしい講演、どうもありがとうございました。聞きたいことがたくさんあって、ちょっと書き出しただけで10個位あるんですけど(笑)。その中から4つ選んで、質問したいと思います。申し訳ありません。
僕、今、就職活動をしています。それで有機農業にも興味がありまして、講演会を聞かせて頂きました。@今、企業の中にも有機農業に手をつけて、ネットで販売しているところなどありますけど、企業の農業についてどのようにお考えになっているのか。A百姓暮らしをされていて、他の人を泣かせない暮らしを実践なさっているということで、確かに害は与えませんけども、それによって世の中を変えるっていうような、そういう何か効果っていうのはあるのかどうか。B話の最初のほうで進歩する必要性を感じなくなったということをおっしゃったんですけれども、それをもう少し詳しく説明していただきたい。C高度成長での昭和30年代の自給自足の農業的な農業がなくなってしまったというふうにおっしゃられましたけれども、なくなった何か理由があったからこそなくなったわけであって、その理由をどういう風に解釈しているのかお尋ねしたい。4つにわたってよろしくお願いいたします。
筧さん
@まず、企業の有機農業についてどう思うかというお話ですが、企業の有機農業は、先ほど言った4つの有機農業の意味のうちの安全性というものに特化されているわけです。だから、それ以外のものを求める場合では、企業の有機農業では成り立たない。 私は安全性というもの非常に重要だし、だから企業の有機農業を否定しません。でも、私が有機農業に求めるものは、企業の有機農業では成立しない。もっと、私にとっては自給的な暮らし、企業の有機農業っていうのはなんでもかんでも作るんじゃなくて、むしろ数品目を大量生産するというような有機農業になっていくので、だから工業社会の中で、やはりニーズにあわせた、そういう作物を作っていくっていう仕事なんですね。だから、安全性っていう点を考えれば、確かに他の農業よりいい、だから大いにやってほしいと思いますが、ただそれは有機農業を、むしろ狭い意味に限定してしまっている。もっともっと有機農業っていうのは奥が深い、もっと別な魅力がある。そういう意味では個人的に有機農業やっていかれるほうが、もっと魅力のある有機農業に進んでいけるというふうに思います。たいてい有機農家っていうは、私もそうですけど、個人的な顧客をかかえて、食べる人も作る人も同じ道を合意の上で歩むということなんですよ。私のお客さんに「私は機械もなるべく使わないでやる」と。例えばごぼうもスコップで掘るんだよ、だからごぼうは高いけどガマンしてね。そういうことを納得してもらう。つまり同じ思想を持っていただくんです。そういう魅力がありますね。だから、それはやはり、スーパーとかを経由した流通の仕方ではなかなかそういう魅力までいかない。だからいつも消費者の人達を、私は消費者っていうふうにも呼ばないんです。町の会員さんっていうふうに呼んでるんです。つまり同じ道を、ひとつの会を一緒に盛り立てて、同じ道を歩んでる人達っていうふうに考える。だから、納得ずくで、価格を一緒に決めたり、だから価格の決め方なんかもぜんぶオープンで、私が生きてくためにはこれだけ必要なんだからこれだけ出して頂戴という感じで価格を決めたりします。そういうことが出来るのは、やはり個人の有機農業の方が出来るんですね。だからそういう意味では、個人の有機農業の方に進まれることを私はおすすめしたいですね。
Aそれから、世の中を変える力になるかということですね。これはね、あまり考えたことがない。世の中を変える力になるかならないかで行動を選ぶのは政治家ですね。私はそうじゃなくて、これが真実だと思ったらそれをやるというのが、私の生き方だから、結果としてそれが誰かを変えることが出来ればありがたいし、変えることが出来なければ仕方がないし、というような思いでやってきました。
B今度は3番目、進歩の思想ね。これは非常に難しいんだけど、やっぱり歴史的に調べてみるとね、進歩の思想っていうのはヨーロッパの近代で生まれた特別な思想なんですよ。これはね、極端なこと言うと、ヨーロッパが他の地域を全部支配して、その支配を正当化するために生み出した思想。つまり簡単に言えば、ヨーロッパの文明が一番進歩していて、その進歩を他の民族にも与えるのだから、とその支配を正当化した。だから私がやってきた言語哲学なんかでもね、19世紀の学問は比較言語学というのがあったんですが、それはいろんな国の言語を調べて、言語の構造を調べてですね、前提としてヨーロッパの言語が一番進歩している。一番立ち遅れているのは、例えばアボリジニの言語だとか(笑)、そういうふうにしてランク付けるのね。そうすると、アボリジニの言語をなんで研究するかっていうと、それはヨーロッパ原人の何万年も前の状態を調べんだという位置づけで比較言語思想があったんですよ。それは、民俗学なんかでもそうでね、みんなやっぱり進歩って言う概念が先にあって、ヨーロッパ人の文明が一番進歩している。その次はアジア人で、その次はアメリカの原住民で、その次はアフリカ人で、一番最後がオーストラリア人だみたいに(笑)そういうランク付けて、そして自分達の昔、太古の昔を研究する為に他の民族のあり方を研究すると、それは非常にホントは傲慢な姿勢なんですね。ほんのちょっと気候が違ったり、歴史が違ったりしてずれていったに過ぎないですよ。アボリジニの言語も非常に豊かに発展、発達した言語だし、ヨーロッパ人の言語も発達した言語かもしれないが、同じようなレベルなんですよ、本当は。でも、なぜそこに進歩と概念でもってランク付けようとしたかというと、ヨーロッパが他の地域を支配するのは当たり前なんだよと、他の地域も俺らのレベルまで引き上げてやるんだよという思想だったんです。それが、進歩の思想。進歩っていう概念はそこから生まれたと思います。それ以前はね、アジアにもアフリカの、アメリカのインディアンたちの思想にもね、循環とか繰り返しとかそういう思想はあるんだけど、直線的に登って行く、そういうような思想はどこにもない。これは調べてご覧になるとわかると思います。ですから、進歩思想の方こそむしろ、近代人がこう作り出した特異な思想なんだよと。ながい人間の歴史、文明の歴史の中では、むしろその近代の一部でだけいわれているような思想。それに我々はどっぷり浸かっちゃっているというふうに思います。
Cそれから、4番目の高度成長期でなぜ自給自足的な農業が失われたかっていうことですね。これは一つは工業労働者を得るために、工業の側が農村から労働力を得るためにね、そういう自給的な農業というものを否定したんですよ。大規模ないわば、専業農家とよくいうけどね、専業とか兼業とか以外にも実はその頃、明治時代からちらほら言われましたが、実は高度成長期になってから一生懸命言われた概念で、江戸時代なんかはほとんどが専業じゃなくて兼業農家なんですね。百姓っていうのが、だいたい8割くらいが百姓身分なんですけど、江戸時代の村っていうのは。でも百姓って農業、農家かっていうとそうでもない。実はほとんど兼業農家。百姓兼粉屋さんとか、百姓兼かご屋さん、百姓兼鍛冶屋さん、百姓兼大工さんというふうにね、村が全部百姓なんだけど、みんな兼業なんです。実は専業というのは、土地がいっぱいあって、兼業のことを江戸時代じゃ諸稼ぎって言ったんだけど、そういう諸稼ぎが出来ない。土地がいっぱいあって他のことで稼ぐ時間がない。そういう人達が専業農家なんです。専業というのは、本当は特殊な形態だったんですよ。むしろ兼業の方が多かった。ところがそういう形でやってる人をみんな工業労働力の方に引っ張りたかったんですよ。工業界がね。だから、専業じゃないと農家じゃないよっていうことをいろいろ宣伝して、小規模な農家はみんな辞めなさいと。小規模な農家って実は自給農業だったんですよ。農業の部分は自給農業で、自給農業プラス鍛冶屋さん、自給農業プラス桶屋さんとかだったんですよ。そういう人達をみんな辞めさせて、工場に勤めなさいと、都会に働きに来なさいという政策を高度成長期にとった。それで、自給体制というのが失われていきました。一方、専業農家はどんどんどんどん、いわゆる単作農業の方へ進んで行って、広いところで1品2品作るような、そういう農業形態に移行していった。ということが、まあ一番大きな理由だと思いますね。
質問者
私は八百屋なんです。有機農家と、無農薬無化学肥料で作っている農家と付き合っています。いわゆる有機認証を取る農家が、多分今減ってるような状態です。わたしがとってる農家でも、有機認証を結構毛嫌いする人が多いんですけども、それはいろいろ問題があるとは思うんですけども、先生のところはそういう有機認証について、ご自分のところでどう取り組んでおられるのか。それと、今後どういうふうになっていけばいいと思われますか。
筧さん
私は、有機農業研究会というのにずっと入ってまして、有機認証の問題が起こったときに、一番先頭に立って反対してきました。ずっと、有機認証制度に反対してきた。でも、力及ばず、認証制度は出来ちゃいました。それはどうしてかというと、認証制度というのは先ほど言ったように、有機農業の意味を狭めてしまう、単なる安全性だけにしてしまう。だから反対してきたんです。実は認証制度っていうのは、アメリカの圧力で出来たものです。アメリカでは、農産物を日本にどんどん売り込みたいのですね。だけど、日本の有機農業って言うのは一般の八百屋さんやスーパーになかなか出回らないで、それまではみんな私がやってるような、いわゆる「提携」っていいますが、消費者の人と直接約束をして、直接そこへ運んでいって取引をするような、そういう形態でずっとやってきたんですね。アメリカでは自分のところの、一般の作物もそうなんですが有機農産物も売りたい。アメリカでは認証制度っていうのがもちろんあるんです。日本に認証制度を作らせることによって、アメリカの認証制度も、日本の認証制度も同じ認証制度で、だから、オーガニックのマークがあれば同じもんだっていうふうに認めさせる。そうすることによって有機農産物を一般の市場に引き出すと共に、アメリカの有機農産物を売れるようにする。そういう形で実は農水省に圧力がかかっていて、そして認証制度っていうのが出来たんですよ。ところが我々から見ますとですね、我々は普通、法律でもって認められるか、認められないかというより前に、個人個人の信頼関係です。例えば私は消費者の人にね、なんて言うかっていうと「私が信用できれば買ってください」と、そう言うんですね(笑)。というのは、作物の一個一個の農薬の残量なんてとても調べられませんよ。ただ農家が農薬使ってるかどうかなんて、農家調べに行って農薬の瓶があっても、それは使ってませんよといわれればそれまでで、決してわかりません。実際には認証制度というのは、帳簿上の書類上の申請だけで、つまり書類上の申請許可とお金がかかる。要するに、大規模に流通したいところや、不特定多数の人に売りたい場合は、認証制度って割と意味があるんですね。だけどそうでない場合は、複雑な書類を出さなければいけない、お金も払わなくちゃいけない、何もメリットもないんですよ。むしろ、日本の有機農業がずっと進んできたように、私は信頼関係で、よく顔の見える関係なんていいますけど。つまり、私が作ったもの。それから、どうぞ畑に来て見に来てください、畑に来て私と一緒に畑仕事をしてみてください、こうやって作ってるんですよということがわかった上で、取引をする。それが私は非常に重要な運動だと思ってるんです。だから、認証制度に反対してきました。それで、私はね、八百屋さんもそういう形で本当は出来ると思うんですよ。八百屋さんが、俺はこの農家を信頼してるんだよと、お客さんこの農家おすすめだから買って頂戴よと、そういう感性ですよ。それは認証という法律的な紙っぺらとは全然比較にならないほど信頼できるものだと、私は思う。そういうものが失われていって、法律に肩代わりさせるってことは、やっぱり法律というのは必要最低限のものしか守らないんです。もっともっと奥深い意味をみんな切り捨てていっちゃうんです。そのことが問題だと思ってるんですね。だから私は今も、認証制度なんかいらないよというふうに思ってます。かえって消費者とのひとりひとりとの関係を大事にしたいし、八百屋さんとの関係を大事にしたいというふうに思ってます。そういうふうに流通が出来ないのかなっていつも考えるんですね。私の会はスワデジの会といいます。スワデジってガンジーさんの言葉ですけど、国産品愛用という言葉です。とにかく食い物だけでも国産品を愛用して国産品でやっていこうよと。国産品でやっていくというのは大変ですよ。マーケット行ったらみんな外国製の製品ですからね。野菜から魚から肉から。でも国産品で何とかやっていこうっていう運動をしています。私は野菜に値段をぜんぜんつけない。採れた時はたくさんあります。採れないときは少ししかないけどガマンしてくださいと。毎月同じ会費を頂きます。これは野菜の値段じゃなくて、私達がやってることを共鳴してくれるなら一緒に同じ思想で食い物を食って生きてくださいというお願いをして、会員を募っているんです。野菜の値段ではない。そういう運動には有機認証制度ではとても出来ないんです。だからそこら辺で、認証制度に反対してきたんですが、残念ながら認証制度が出来てしまって。これからはね、アメリカ型になりますね。アメリカでは、やはり認証制度がもう前からあって、認証団体がいろいろありまして、よく日本でも生協がいっぱいあると、あっちの生協はシビアだけどこっちの生協はいい加減だから、こっちの生協の方が信頼できるよとか言ってるでしょ。それと同じように、今度は認証制度がこっちの認証団体はいいかげんだけどこっちの認証団体はシビアだからこっちの認証団体に認証受けたとこじゃないとダメだよとか、そういう形になっていきますね。世の中そうなっていくでしょうが、私は違う道を歩みたいと自分では思ってます。
質問者
実はちょうど昨日今日で、日本有機農業研究会の総会日程がありまして、昨日行ってたんですけれども、そういうところに行っても、有機農業で暮らしてらっしゃる方が、今畑がないと言われてるんですね。そういった方を応援するということが、私たち、普通に都市で暮らしている人達で出来ることだと思うんですけども、もっとみんなが農業を暮らしにとりいれて、作物を育てて自分で食べるという経験ができたらいいなと思うんですが、実際に農家以外の人は農業に手を出せない状態になっていて、なかなかそういうことができない。もちろんみんなが兼業なり専業なりの農家、自給農家になっていければ私もいいと思うんですけど、それがなかなか出来ない中で、どうしたら今一番いいいと思いますか。
筧さん
おっしゃるようにね、理想というか、これは単なる理想でしかないかもしれないが、私の理想は、みんなが百姓をやりながら兼業をやっていくような、兼業社会。誰もが自分の食い物を作りながら一方で、百姓兼お医者さん、百姓兼学校の先生、百姓兼何屋さんと、みんなそういう社会を作って行く。これはね、モデルが無いわけじゃなくて、先ほども言いましたが、江戸時代の日本の農村は、その重要なモデルになると思います。そういうのが望ましいんですけど、まぁ、ならないでしょうね。少なくとも私が生きている間、あるいはみなさんの代にはならないと思う。じゃぁ、やっぱ次善の策っていうかな。その時には、やはりそういう方向性、そういう志をもっている人達を、みんなで思想を共有して出来ることを、こう引き受けて行く。だから、食べることも、やっぱそういう人達から買って食べるっていうことだけでもね、重要だと思います。自給のものを作るよりね、食べること、まず大変なんですよ。なんで今そういう、だんだん顧客がいなくなっちゃったかっていうとね、昔はね、みんなガマンして食べたんですよ。それは、その採れたものだけでガマンして食べた。本当にね、なすがふんだんに採れるときはなすが何十個も一週間に入ってくる。それをね、一生懸命食べたんだ。そういう人が今いなくなっちゃった。何でかっていうとね、これは料理をしなくなったっていう根本的な問題もありますけどね、発想がね、逆になっちゃってるんですね。今は、何か食べたいものを決めます。そしてマーケットに買いに行きます。ね?必要な材料を全部。だから料理を教える人もみんなレシピが全部、必要な材料が何と何とが何グラムでって感じで全部書いてあって。それを買ってきて作ると。そういう形になってるでしょう?でも、そんなものね、旬の料理なんていう講座だってね、揃いませんよ。私のうちではね、トマトとレタスのサラダって食ったことほとんどない。去年ね、珍しく食えた。それはね、レタスが終わってからトマトが出来るんです。だからトマトとレタスは組み合わさらない。ところがたまたま去年はね、レタスがずーと生き残ってたの。で、「あ!トマトとレタスが組み合わさったよ」って家内が言ってたけどね(笑)。でも、旬の料理とかいうのでは、トマトとレタスのサラダなんてごく当たり前に出てくるんですよ。つまり自給農業を支えるってことは、ある食べ物で料理を考えるっていうことなんだよ。だからそれが出来ないと、買うことも出来ないでしょ。買って食ってるってことも。よく買ってた会員さんが止めちゃうのは、その発想の転換が出来ないためです。来たものが予定してたものと違うから、またスーパーに買いに行って、来たものは余っちゃって捨てちゃった。そういう結果になるんですね。そうすると、「あーこんな会やっててもしゃーないわ」という話になってくるんです。そうじゃなくて発想の転換をして、来たものだけで何を工夫して食おうかっていうね。だからうちの家内なんかは、なすだけのカレーはあるわ、もういろんなものがありますよ。京菜のしゃぶしゃぶなんて、京菜と油揚げしかないんですからね(笑)。それで、しゃぶしゃぶだなんて食べるんですけどね。そういう、あるものでやっていくっていう発想の転換がないと、食べることも出来ない。是非まずそういうところから、それが自分の身体のためにもなるし、健康のためにもなるわけですから。そういうふうにして、なんか自給は出来ないけど、自給的な暮らしを、自給的な食生活をやっていかれる。そして、もう一歩先へ進んだら家庭菜園をやっていただく。ということから始めて、遠い将来かもしれないけどそういう自立的な農業社会みたいなものに戻りたいな、というのが想いですね。まぁ、一歩一歩やっていく以外にないんじゃないかと、思いますけどね。
質問者
筧さん、ありがとうございました。聞きたいことはたくさんあったんですけど、一つだけお願いします。今、遺伝子操作しているものも多いと思うんですけども、種や苗についてはどう思われますか。
筧さん
種の問題って非常に難しいんですね。私も100パーセント自給してるわけではないですね。基本的に言うと、種を買うとお金がたくさんかかってとてもやっていけないのが自給者だと。それは、例えばお米であるとか、あるいはイモ類であるとか、豆であるとか。例えばさといもの種なんていうのは、さといもは種芋だけども、コンテナに3杯ほど蒔きますね。それ、買ったら何万円もします。ですからそれは買っていられないので、毎年大切に種を更新してやります。でも、例えば1袋200円の種を、種取りをやるっていうのは大変な手間であってですね。しかも交配しないでするっていうのは、隔離して作るとか、そういう工夫が必要なんですね。出来る限り種取りやりますが、たまに私たちも失敗します。何年か前にスイカを作ったら、すんごい変なスイカが出来ましたね。でっかくてゆがんでるんですよ。中割って見たら、スカスカになってるの。どうしてかっていうとね、大玉と小玉が交配しちゃったの。大玉と小玉(笑)。そうするとそんなんなるんですよ。どうしてわかったかって言うと、小玉スイカは黄色いのを作ってたの。そしたらそれはね、黄色と赤が混じったようになってたの(笑)。これは、味はそんなに悪くなかったんだけど、とても商品価値はないですね(笑)。そういう種取りってね、やっぱりうっかりすると交配してしまって、とても大変なんですよ。私はやっぱり、遺伝子操作なんかもしない、ちゃんとした種屋さんをむしろ育てていくべきだと思ってるの、社会全体としては。個人個人はやはり出来るものはする。そして、特にしなきゃお金がいっぱいかかるようなのは、きちっとやっていく。それでいいんじゃないかなと思うんですね。本当に、昭和30年代の昔の農家でもね、実は種屋さんが春やってきてね。農家お金あまり持ってないから、春はね、種だけおいてくんです。出来秋って言いまして、秋になると作物が採れてお金入りますね。その時に種屋さんにお金を払う。そういうシステムがうまーく出来ていて、種やさんから大体種を買っていた。それは特殊な種は。今言ったように、いろんな種類を作るから、色んなものを全部種取りやっていたんじゃ大変なので、だから、これだけは重要っていうものは自分とこで種取りをやって、あと特殊なものは種やさんから手に入れると。しかし、今はやっぱり、種屋さんそのものが育てられていないからね。だから、本当に遺伝子組み換えとかをやらない、ちゃんとした種屋さんをみんなが支えて行く、やっぱりそれは農家を支えて行くのと同じで、そういう運動の方が私は種取り運動よりも重要だと思ってるの。なかなか難しいんですけどね。というのは種取りはね、80種類も90種類もあって、よほど好きな、趣味的な人じゃないと出来ません。大変で。まあ、遺伝子組み換えはもちろん反対ですし、非常に大変な問題だと思うんで、遺伝子組み換えでない種は、遺伝子組み換えの可能性があったら全部排除はしてますけど。
質問者
どうもありがとうございました。非常に感銘を受けるようなお話でした。いわゆる今、成功哲学という本が出回っていまして、そういう本を買う人が結構いるんです。世の中には勝ち組と負け組みが存在すると、それはもうしょうがないこととして、じゃあなたは勝ち組になるためにこういうことをしなさいみたいな、そういう本が多いと思うんですね。そもそも、勝ち組とか負け組みとかある社会って言うのが問題なんじゃないかっていうところに行き着くと思います。今、経済問題や環境問題が行き詰って、そういう勝ち組になるためにどうしたらいいかという思想そのものが限界に達して来てると思うんですね。これから、新たに広まってくるような思想が出てくるんじゃないかなって、私は感じてるんですけども、もしそういうものが出てくるとすれば、先生はどのようなものがこれから出てくるのか、またそういうものが、理想とするものがもし出てくるとすれば、そういうものはどういうものなのかなっていうのを教えていただきたい。よろしくお願いします。
筧さん
それは難しい問題ですね(笑)。私の思想と言いたいとこだけど(笑)。まずね、工業社会全体を問うような思想というのがないと、やっぱり環境問題とかは非常に、ずっとブームになってきましたけど、環境問題だけをいわゆる経済生活から切り離して、成り立たないわけですね。だから、環境問題を根本から考えようと思ったら、やっぱり南北問題みたいなものをどうしても考えざるを得ないわけですよ。だから、そういうトータルに考えて行くような思想みたいなのがどうしても必要になってくると思います。で、その場合は、やはり、工業を否定するという思想ではないと思いますが、しかし、少なくとも、工業国だけが豊かさが突出してるような、そういう社会は見直さなくちゃいけないっていうところに必ず行き着くというふうに思いますね。それはどうしてかと言うとね、精神的な問題ですよ。ヨーロッパも日本も、工業国に生きていく人達、生きている人達の精神の方が、むしろ病んできている。そういう反省から、多分、起こってくると思います。むしろ、奪われている方が豊かな心を持っている。そういう反省が、ヨーロッパでも日本でも起こっていますね。そこら辺が、だんだん拡大して行くんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。工業社会は、環境問題で破壊され行き詰るか、エネルギーの問題で行き詰るかとかいろいろいわれますね。だけど、私は最終的に、精神的な破壊の問題で行き詰るというのが私の考え方だけどね。いいでしょうか。
質問者
ありがとうございます。
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