筧次郎氏 講演録 「本当の豊かさと自立の生き方とは〜百姓暮らしのススメ〜」
<目次> <レジュメ> <講演1> <講演2> <講演3> <質疑応答>
講演2
私がやりたかったのは、具体的に言うと昭和30年までの、つまり高度成長期前までの農家の暮らしなんですよ。そんな珍しいものでもないし、我々の親の世代、みなさんだったらお爺さんお婆さんの世代、そういう世代はごく普通にやっていた暮らしですね。ですから、私が農業に飛び込んだ時は既にそういう暮らしは失われていたんですが、その当時、二十数年前、70歳以上位の人にお願いをして、「どうか昔の農業を教えてくれ」と言って教えてもらいました。彼ら非常に喜んで教えてくれました。今は古いものはみんなだめだと思われる時代 だから、年寄りがないがしろにされている時代なんですよ。そんな中で「あなた方の生き方が一番素晴らしい、教えてください」といったもんだから、非常に親切に教えてくれました。もちろん料金もとらずに教えてくれたんですけど。私が教えてもらった人たちはもう残念ながら、みんな亡くなってしまった。今生きていらっしゃったら90代ですけど。ですから、昔の本当に自給自足的な農業の技術は、たぶん日本ではあと10年もすれば失われてしまいますね。今、現役でやっている人はほとんど持っていない。ですから、私は20年前に始まったにわか百姓ですけど、私が珍重される。なぜなら昔の技術の後継者だから(笑)。そういう時代になってしまったんですよ。鍬とか鎌の使い方もほとんどわからなくなってしまった。今の農業はほとんど鍬とか鎌も使いませんから。ほとんど全部機械で管理してしまう。そういうつまり高度成長期前の日本にあった農業、それをレジュメに3つの名前でまとめてみました。「自給農業、有機農業、生活としての農業」というふうにですね。

まず、それは自給農業でした。つまり基本的には食べるために作る、食べたいものは何でも作るということですね。私は田畑合わせて3反分から始めました。3反分というと30アールですね。そのうちだんだん自分の能力がついていきます。熟練してきますので。家内と2人でできる面積がだんだん増えていって、最終的に学園が始まる頃にはだいたい田んぼが3反、畑が6反、9反分位の規模になりました。そこで米・麦・そばからレンコンとかにいたるまでありとあらゆるもの。農産物は一切買いませんから、だから食べたいものは全部つくるということです。その年気候が悪くてできないものは食べないということですね。そういう形で生活を営んできました。ただ、どうしても現代の生活というのはお金がいります。これは世界中見渡しても、本当にお金のない自給的な暮らしをしている人たちは世界にほとんどいません。どうしてそうかというと、それも工業国が責任がありまして、工業国が工業製品を売るために。産業革命を起こして工業製品を売る前までは、実は奴隷制度みたいなのがあって奴隷労働だったんですね。でも、奴隷はお金を持っていないから工業製品を売れないんですね。そこで、産業革命を起こしたイギリスは、奴隷制度を禁止しました。何もヒューマニティで禁止するわけじゃないの。産業革命で作った大量生産された安い商品を売るためですね。つまり、奴隷じゃなくて、安い賃金をもらう賃労働者が必要なの。だからその為に、アフリカでもアジアでも植民地ではほんのわずかな金ですが、金で納めなくちゃなんない税金を課した。そうすると、完璧に自給自足で暮らしている人はお金が一銭もないからその税金を払えないんですね。そこで彼らは仕方なしにプランテーション農場だの、それから鉱山だの、そういうところへ働きに出る。つまり金を得るために。それは植民地の宗主国が強制したことなんです。そのために、彼らの自給自足の暮らしは破壊されてしまった。つまりわずかな税金なのですが、人頭税とか小屋税とか、家を建てると税金がかかる、それから一人当たりいくらの税金がある。そういうわずかな税金を課すことで、自給自足の生活を破壊したの。そして、賃金労働者をたくさんつくって、工業製品がいっぱい売れるような社会を工業国がつくった。そういう歴史がありまして、世界中に自給農業というのはないんですけど。でも、日本でも、今の第3世界も一定の部分ではそうですが、日本では昭和30年代までは完全な自給じゃないけれど、自給的な暮らしであった。確かにお金は必要なんで、換金作物といわれるものをいっぱいつくっています。私が移住した八郷町の年寄りに聞いても、ある人はお米をいっぱいつくって、ある人は養蚕をやって、ある人は栗をいっぱいつくるとか。そういう風にお金にする作物をいっぱいつくっています。だけれど、そのお金は生活を豊かにするためのものだけれど、今の暮らしと全く違うのは、お金はあればあった方がいい、だけどなくても生きていけるという暮らしをしていたの。ここが決定的に違うとこなんですね。食料でも当然海産物を買ったり、それから砂糖なんかの調味料を買ったりするのにお金がいります。それから衣類は結構機織りでつくっているんですけど、機織で作ったのを売ってしまって、別の衣類を買うというように衣類を調達することが多い。それからもちろん電気代がかかるし、教育費がかかりますし、それからかなり多いのは化学肥料を買うお金。化学肥料を買うために一生懸命働いて増産して、百姓のためになったのかなっていうのはちょっと疑問なんですけど。実は百姓じゃない人のためになったのかもしれない(笑)。つまり生産量が増えた為にですね。百姓自身は化学肥料を買って増産した分より化学肥料を買うお金の方が大きかったりしてですね。ただ、人より余計にとれるのが自慢で、一所懸命化学肥料を買って入れたりした側面がありまして、それがよかったのかどうかわからないんですけど。そういうお金がいろいろかかりましたが、たとえお金が入らなくても最低限食べていけるというような暮らしをしていました。私のところやスワラジ学園では、お米は去年一昨年つくったものを食べている。昔のやり方で、もみで貯蔵すると10年くらいはゆうに食べられる。1年間不作で何もとれなくても食べていけるように準備をしている。だから去年秋とれたばかりのお米は新穀といっておいしいですから、多少楽しみのために頂きますが、だけどほんの数回頂いたらまた古い米に戻る。そして古い米がなくなるまでずっと古い米を食べる。それは今年1年、何もとれなくても生きていけるという保障です。だからやっぱり秋に1年分米がとれると「ああ、これで来年1年も大丈夫だ」っていう安堵感がありますね。そういう生活をしています。昔の農家はみんなそうだったんです。お金がなくてもたとえ凶作であっても1年間は必ず生きていける、そういう暮らし方をしていたの。

それから自給というのは、どうしてもただつくればいいというものではない。今はお金をどんどん投資して機械をいっぱい使って自給、自給と言っているけど、機械を買うお金はどこから出たの、あるいは機械は誰がつくったのという問題もありますよね。生産手段も自給、それが非常に重要な問題です。この点、残念ながら私も妥協していて、生産手段が全く自給自足できているわけじゃない。昔だったら、一軒一軒の農家は自給していなくても、村全体で見ると、村に鍛冶屋さんだの車屋さんだの色んな生産手段をつくっているところがありまして、村全体でみると生産手段をまかなえた。そして農家の牛か馬1頭が財産の半分なんていわれていた位です。今はトラクターに何百万円、ハーベスターに何百万円とお金がかかりますよね。でも、そうではなくて、昔の農家だったらほとんどものをつくる手段も自給できていた。少なくとも村の中ではできていた。だからどんな時代がきてもなんとか生きていけるような体勢であったわけですね。私自身は実は小型トラックで運搬したり、小さな耕運機を使っていたり、またエンジン付きの草刈り機を使っていたり、工業製品を全然使わないわけじゃないんです。その3つは私の三種の神器だなんていっていますけど。それが動力付きの貴重な3種類の道具なんですけどね。ですが、ほかのところは大体伝統的な道具が今も現役で働いていて、鍬と鎌を中心にやっています。それから、私がやっている農業も有機農業ですね。有機農業ということばは今では世間に流布した言葉ですからお分かりだと思いますが、農薬や化学肥料を一切使わない農業というのが一応有機農業ということばの意味ですけど、それは必要最低の条件ですね。有機農業はいろんな人が取り組んでいますが、私も有機農業研究会というのに入っていて有機農業をやっている友達がたくさんいますが、その友達を見てみると、いろんなポリシーで有機農業に取り組んでいる。決して安全性だけじゃない。人によって色々違います。人に説明するときはだいたい4種類にまとめて説明しているんですが、一つは安全性、永続性、自立性、最後に全体性。一つひとつの言葉の意味を説明しますね。 

 安全性というのはもちろん、食の安全。我々は食べ物というのは健康を維持するために食べるのですから、考えられる限り安全なものを手に入れるのは当然の話ですね。歴史を振り返ってみると、本当に安全なものを食べるために我々の祖先はいろんな努力をしてきたんですね。たとえば毒キノコとそうでないキノコを見分けて食べますけど、ちょっと考えればお分かりになるように毒キノコを食べてたくさんの人が死んだんですね。その人体実験の結果として、我々は今、食べられるキノコはこれだという知識を持っている。安全に食べるという知識は、私達の祖先が本当に人体実験をして苦しんだ結果なんですね。ふぐを食うなんて文化の最たるものですね。そのふぐをどういうふぐを食べたらいいか、どういうふうに調理して食ったらいいか、どこを包丁で切りつければ危なくないかということまでこと細かく、全て人体実験をしてわかってきた。たくさんの人が経験を積み重ねてわかってきた。そういうふうにして安全な物を求めてきた結果、我々の食べ物はあるんです。だから自分の食べ物に農薬をぶっかけて安全でなくするというのは、きちがいの沙汰だと私は思います。はっきり言って。危険だとわかっていて食うのは飢饉のときだけだった。飢饉のときは多少危険だとわかっていても、たとえば樫の実、どんぐりがものすごいアクがありますから、何とかしてそのアクを抜いて食う。もっと極端な話、曼珠沙華の球根まで食べたという記録があるそうですよ。曼珠沙華の球根は猛毒ですよ。ほんの数滴食うだけで死にます。そんな猛毒。それをすりおろしてデンプンにして、水にさらしてさらしてさらして食べたという記録もある。つまり、飢饉のときは食うものが一切なくなって、そしてそこまでして危険だとわかりながら食うんですよね。現代人は飽食だというけれど、実は飢饉の時代じゃないのかななぁと。つまり、危険だとわかりながら食っているからですよ。そういう異常なことをしている時代だと思いますね。だから安全性は、本当は当たり前のことだと思います。

そのほかにも有機農業にはいろいろありますたとえば永続性。田畑を農薬や化学肥料をたくさん使ってやっていますと、どうしても土地がやせていきます。そしてまず微生物がいなくなって、地力が衰えてきます。ついには何も作れない不毛の地になっていきます。そのために化学肥料じゃなくて、有機物をたくさん畑に還元してやるということが必要ですね。だからそういう永続性のある暮らしを求めて有機農業をやる、そういう人が本当に一生懸命有機農業をやろうと思うと、たとえばビニール類とかを使わない。でもビニール類を使わないと、百姓は本当に大変ですよ。苗を作るにも、草を始末するにもマルチというビニールをかけて。実は学園ではビニールを使っているんですが。「ビニール類は使わない、俺は永続性のある暮らしを求めるんだ」といってやっている人もいます。それから、私は特に自立性というものが問題だった。つまり先ほど言ったように私が百姓になった理由というのは、人を泣かせない暮らしがしたいということだったから。第3世界の人も工業国の我々もみんな自立して生きる。人に迷惑をかけないで生きるにはどうしたらいいかと。そのためにはやはり有機農業しかないというふうに思って、有機農業に取り組んできました。そういう人もいますね。

 それから、もう一つ全体性というのは、これは特に今の若い人に多いと思うんだけど、何か暮らしの一部分だけを担っていて、そして本当に自分が人間としてあるいは動物として生まれてきて、自然の中で生きていくという実感に欠けている、今の暮らし。そういう暮らしを越えて、もっと全体性、暮らしの全体、つまりこれをやれば自然の中でしっかり生きていけるんだという、そういう暮らしを手に入れたいということで有機農業に取り組んでいる人もいる。そういう人たちが一番自給性を求めますね。自給自足。むしろお金を得ないでもできるような暮らしをしたいということで。私が住んでいる八郷町というところはわりと有機農業が盛んなところです。有機農業をやっている人がたくさんいます。若者の中には暮らしの全体性を求めてやっているなと思う人が何組もいまして、そういう人は大抵山の中にいます。私はからかって山岳民族だといっているんですけど(笑)。日本の山岳民族なんていってますが。山の中では一から小屋を立てて、水は山水を引いて。そうやって一から暮らしをつくってやろうとしている。私も若いときから人生を繰り返せるなら、彼らと同じことをやりたいなと思ったりもしますけどね。そんなふうに、安全性・永続性・自立性・全体性といろんなポリシーで持って有機農業に取り組んでいる人がいます。

 私の場合は、昔の暮らし。昔は当然有機農業なんですね。なるべく元手をかけない農業、だから機械もなるべく使わない、化学肥料を買わない、有機肥料もお金で買うものは買わない。たとえばグワノって知ってますかね。グアノはペルーの沖の島にあるんですが、海鳥の糞が堆積したもので、ものすごく素晴らしい有機質の肥料なんです。19世紀にはヨーロッパにどんどん送り込まれた。ヨーロッパの荒廃した農地がグアノによって快復したといわれるくらい、非常に優れものの肥料なんです。今でもそれが残っていまして、私のところにも「グワノを買いませんか」と売り込みに来ますが、私は当然買いません。それは金持ち国だけができる贅沢だからです。それから、マルチは良くないといってビニールは使わない、今は紙マルチというものがあるんですね。工業製品なんだけど。それはビニールよりうんと高いんですが、いい点は環境を破壊しない。つまり紙であって、そのまま畑にすきこんでも分解してしまう。そういう優れものらしいんですけど、私はそれは使いません。工業国の人しか使えないから。つまり、そういういろんなポリシーでもって有機農業に取り組んでいるわけです。それからもう一つ、生活としての農業。機械を使わないというのは、言うは易しで、実は非常に精神的に大変なんです。片っぽでは1時間でできることを私は3日かかる。比較したらとてもできない。「あの人たちは楽だな、こっちはなんて大変なんだろう」と。比較したらとてもできないんですよ。つまり、効率が極めて悪い。スワラジ学園でもほとんど昔の農業をしています。米作りを例にすると苗代というのを昔ながらに作りまして、そこに短冊形の短冊というんですが蒔くところをつくります。泥をこねてつくりますが、そこに種を直に蒔く、そして苗取りをして一本一本手で植えていく。それから田んぼの中に這いつくばって草取りをします。もちろん人力で。そして、今度は鎌で稲刈りをします。そしてそれを昔の道具で脱穀をして、筵(むしろ)に広げて天日で乾燥させます。そういう米作りだと、計算したことがあるんですが、私と家内の労力であっても、1反分やるのに30日の労働がかかる。二人だと15日ですけど。2反分やると2人で30日かかる。それだけの労力がいります。それが今は近代化で大型のトラクターを使い、化学肥料、農薬を使い、コンバインを使いということでやると、反当り2日間の労働でできます。片っぽは30日かかる、片っぽは2日間でできる。これは効率を考えたらとてもできないですよ。金儲けだったらとてもできない。私のお米は、世間で売っている米の倍くらいの値段で買っていただくんですけど、倍で買ってもらっても労力でいえば10倍かかっているわけですから、とてもお金儲けでは絶対できません。でもそれはなんら困難ではないんですね。それは、百姓暮らしというのは暮らしの全体だからです。つまり生きる営みの全体だと我々は思っている。だから、健康に生きていければ効率は問題じゃない。何日かかるということですね。ですから、私と家内はいつもいかに楽しく働くかということに気をつけてやってきました。とても人と比較してどっちが早いかと考えたら、「あの人たちはいいな」ということになる。でも、じゃあ仕事早く終わって何やるのということですね。仕事そのものが楽しければいいわけですよ。そうすると、何日かかろうと。もちろん生きていけなきゃ困る。仕事が終わる前に冬が来て、作物ができなくなっちゃったということでは困るんですけど。そうでなければ、今米作りしかしていない農家だと、日曜しか働いてませんよ。我々は毎日毎日田んぼに出ます。でも、それが楽しければそれでいいわけですよ。だから田んぼに行くときは本当に「今日は花見弁当のような弁当を持って行こう」と。「桜の花の下で花を見ながら弁当を食おう」と。そういう生き方で田んぼの仕事をやってきた。

 この頃は楽しみで農業をやろうという人が結構増えているんですよね。そういう人たちは効率よくやろうとは思わないですよ。効率よく1時間で終わってしまうと困る。むしろ楽しくやるためには、朝から夕方までゆっくりやらなきゃならい。そういうふうにやっているはずですよ。ガーデニングやっている人も。私はそういうふうに百姓やってきた。毎日やりますし、熟練を要する仕事ですから最初は多少辛いですけど、でも、基本的には楽しく働くということでやってきました。どうも、今は何にでも効率を求めるなあ。これは現代人の病ですね。勉強も効率よく勉強する。効率よく勉強するということは、頭に詰め込むだけで身にならないということですよ。旅行まで効率よくやると言っていますよ。効率よく旅行するというのは、たくさん見てくるという話ですけど、早回しのテレビを見ているような感じで。私はそれ本当に旅行したの?と言いたくなるような感じですよ。人生全体は効率を求める人は誰もいないんですよ。本当はね。効率よく生きて効率よく死のうなんて人は誰もいないんですよ。早く死んでください(笑)人生はエネルギーの無駄ですから。効率よく死んで生きないのが一番いい。人生はっていう時はわかるんだけど、日ごろの生活はどうしてわからなくなっちゃうのかねえ。やはり効率というものをもう一度考えてみた方がいいんじゃないでしょうかね。

 そこにも書いてあるんだけど、効率と能率は違うんだと。私は学園生にも「能率よくやることは一生懸命考えろと。だけど、効率は求めなくてもなくてもいい」と言っています。効率というのは、辞書を引くとわかるんですが、工業社会の概念。工業になってからの言葉です。一定の商品をいかに少ないエネルギーで産出するかと書いてあります。効率がいいということは少ないエネルギーで産出できる。それは競争に打ち勝つために、コストを下げるために、効率というのは非常に重要な概念になるわけですよ。しかし工業社会でない場合、効率は不要ですよ。

片っぽで能率というのがあるんですね。これは辞書を引くと昔からある概念で、仕事のはかどり方と書いてあるんです。むしろ昔は、能率は非常によかった熟練すればするほど能率はよくなるから。例えば、田植えにしろ、稲刈りにせよ、あるいは草取りにせよ。ここで言うのもなんですが、学園生と比べると私は3倍から4倍はできますよ、一人で。それは能率よいやり方を知っているから。能率よいやり方を身体が覚えている。それは熟練を要するんです。そのためには5年も10年もかかるんですけど、だんだんだんだん能率がよくなる。そうすると仕事が楽しくなる、労働が喜びになる。そういうものなんです。だから、能率は追求しなくちゃいかんと思います。能率よくやることは、百姓の暮らしだけじゃなくて、どんな仕事にも能率よくやるうまいやり方というのがあると思うんですね。そのことは重要なんですけど、それは効率とは別なんだということです。

 そういう百姓暮らし、自給的な暮らし、自給農業、それから化学肥料や農薬を使わない、私の場合は機械もなるべく使わない有機農業、そして効率が問題じゃない生活としての農業、生き方であるということ。そういう農業をずっとやってきました。

 次に3番目にいきますが、農から受けた恩恵。ひと昔前の高度成長期前の農家の暮らしをめざしたんです。ですから当然、それは貧しいものだと覚悟して始めました。頭の中で覚悟したんで、実際やってみる本当大変なんですね。はじめのうちは本当に泣きたくなるほど大変だった。なんで大変かというと、まずお金が入らない。正確に言うと、今もあまりお金は入らないんですよ。でも今は大変じゃない。何が大変かというと、お金が入らないことが大変なんじゃなくて、お金がなくてもいい暮らしができないことが大変なんですね。私、百姓の前は京都の街中に住んでいましたので、お金がたくさんいる。
無駄なお金もいっぱい使ってたわけです。夜になるとやっぱりネオンサインが恋しかったりしますから(笑)。だから、ちょっと一杯飲み屋さんに飲みに行ったりとか、そういうこともやってましたし。まあ、そういうことやってるとお金がいくらあっても足りないくらいかかりますよね。で、百姓暮らしやるぞーっと思ってもね、やっぱりネオンサインが恋しかったりします、最初は(笑)。それでお金がかかるんですね。なのに、お金が入らない。それで、辛いなあっていう話になるわけです(笑)。でも、だんだんだんだん、そんなところへ行きたいとも思わなくなってきます。そして、お金が必要でなくなる。まあ、衣類なんかもね、最初はかっこつけて着ていましたけど、ネクタイなんかは今は一本も持ってない。全部捨てました。ネクタイ締めるとどうしてもワイシャツいるしね(笑)。だからそういうのは全部捨てちゃう。必要な衣類だけでいく。そうすると、人から貰うものもあるし、ほとんど買わないですんだりします。そして、お金がほとんどなくても、自信が持てるっていいますかね。ついお金がないと、惨めだーっと思ってしまう。だけど、お金がなくても俺は生きていけるんだぞ、という自信が出来てくると堂々としてくる(笑)。そういうふうに変わっていくわけですよね。それで辛いと思わなくなりました。

それから、もう一つ、お金が入らないってことと関係してるんだけど、作物が出来ない。これは、一つは下手だから。皆さんの中で、農業をやってみようと思う人がいるかもしれないが、まず最初は出来ません。それは覚悟してやったほうがいい。最初私はね、老人に習いながら、隣のものを見ながら、やるんですね。そういうのを田舎では、隣百姓っていうんだけど、隣のものを見ながら作る。それはまず上手く出来ません。どうしてかっていうと、時期がいつも遅れるから。隣がやってるな、じゃあ俺も急いで用意してやろうって思ってやるわけだから(笑)、必ず遅れるんですよ。で、遅れても出来るものもありますけど、大抵は時期が遅れるからよく出来ない。そういうことになります。それからもう一つやっぱり、教わるっていっても、本当に懇切丁寧に手取り足取り教えてくれるわけじゃないから、思わぬ失敗をいっぱいしますね。そういうことで、作物がよく出来ない。だから、最初から有機農業やって、最初から顧客をかかえて、いっぱい野菜作って売って生活するぞと思うのは、やっぱりちょっとそれは甘い。どんなに早くても3年くらいかかりますし、私の場合なんかは、5年はかかりましたね。作物をちゃんと売って、生きていけるようになるまで。だからその間、どうやってお金が入んないでも、あるいはアルバイトをしながらでも、生きて行くことが出来るかっていうことを、ちゃんと考えて計画をたててやらないと、思わぬ挫折が待っているかもしれない。

それからもう一つは、重労働に身体が慣れないということですね。これはね、ちょっと言葉で言ってもわからないことですが、鍬とか鎌とかを使うときに、始めはどうしてもね、いらないところに力がいくんですね。だからしんどい。どうしてもこう仕事がはかどらないし、体力的にも疲れる。でもある時ふっとね、鍬とか鎌が自分の手足のように動いてくれる瞬間がある。これは、本当に悟りのようなもので、ある時ふっと、楽になる。それからはずっと楽です。そうなるのに、一生懸命やっても、おそらく5年はかかるでしょう。それまでが大変なんですね。そうなっちゃえばしめたもんで、あとは何の苦もなくできます。最初始めたころはね、鍬で稲を立てたり、あるいは土を寄せたりっていうことをしますが、20mほどの畝だったら、2、3本やるともうふーふー言って、休んでました。今はまあ、やれって言えばいつまででも出来ます。そういうふうに、なるんですよ。うーん、まあ、なるって言う以外にない。これは、しかも1年や2年ではならない。やっぱり5年くらいかかります。だんだん5年経ち10年経つうちにですね、苦しさがだんだん消えてきて、実は、自分らの暮らしはひょっとすると豊かかもしれない、というふうに思うようになった。

豊かさをですね、普通は消費財の多さ、石油エネルギーに還元して、どれだけ豊かな国はどれだけの石油を使ってるかみたいな、そういう数字まで今は出てる。つまり、消費財の多さっていうふうに定義すればで、私の暮らしは相変わらず貧しい。私のところへはね、毎年アフリカの人達が、1日2日研修に来ます。それは、筑波に国際協力事業団という青年協力隊を送ってるところがあって、その国際協力事業団で、逆にアフリカから研修生を呼んで、そして、稲作やいろんなコースを作って、そして半年間くらい研修させるんですね。実は研修といっても、それは本当に農業を教えるっていうよりは来る人みんな、農水省とかの官僚なんです。それで、日本の豊かな暮らしを体験して、そういう工業国の価値観を植えつけられて、そして、悪く言うと工業国の手先になるために来るんだけれど(笑)。そして、彼らは日本からお土産をいっぱい買って、帰って行きます。そのJICAに勤めてる私の友人が、そんなのいくら教えても彼らのためにならないと、筧さんの古い農業が彼らのためには一番なるって言ってですね、私のところへ研修に実際来させるんですね。そうするとね、彼らが何言うかっていうと、本当にびっくりする。日本にもこんな貧しい暮らしをしてる人がいるのか(会場笑)。このうちにはテレビもないじゃないか、と言うんですよ(笑)。私が小型の小さいラジオを持っていたら、始め携帯だと思って、「これ携帯ですか、貸してください」って言った。「なに携帯じゃない、これラジオじゃないの」とか言ってね、驚くんですけどね(笑)。ことほど左様に、私の暮らしは物で比べたら、本当にアフリカの彼らより貧しい。多分、官僚の彼らは、私よりよっぽど豊かな暮らしをしてます。でも、実は工業製品というのはですね、なくても何の不自由もないってことが、20年やってきてわかりました。これは本当に極端な言い方だけど、私は、物、品物、物質、物っていうのは、人間が健康に生きるために必要なのであって、それ以外は要らない。むしろないほうがいい、というふうにだんだん思うようになった。健康に生きるためだとね、例えば、ストーブとかクーラーとか、ない方が健康ですよ。実は今年はね、ものすごく寒いんですよね。八郷で零下8度にもなった、朝。でね、日頃私どもはコタツだけなんですよ。ストーブがない。いつも着膨れてるんですね。だから、部屋の中で「はあーっ」てやると息が真っ白ですからね。でも今年は耐え難くてね。実は古い石油ストーブを引っ張り出して、実は焚きました。寒い日にね。だけど日頃は、ストーブなしです。ましてや暖房なんかありません。それからクーラーもありません。それはでもなんでそうかっていうと、その方が健康だからです。私、百姓になってからね、1回風邪ひいた記憶があるが、それは何年に風邪ひいたかもう忘れてしまった。百姓になる前、京都にいるころはね、結構病弱なほうで、毎冬風邪ですよ、風邪。風邪をずっとひいてるような、そんな生活でした。だけど、百姓になってからは、なんといつ風邪ひいたかなーっと思うくらい、風邪をひかない。これはなぜかっていうと、クーラーとストーブがないからです。僕はこの部屋、割と耐え難い。暑くて。それはね、やっぱりなんで風邪ひくかって言うと、外気と部屋の中との空気の温度差が激しいから。でもどうしても外へ行ったり来たりしたりするでしょう。それで、肺とかが順応しない、その温度の急激な変化に。でも我が家はね、足とか手はあぶりますが、ほとんど外気と同じ空気を吸ってるんです。と、いつも同じ状態で肺がいられる。これは風邪をひかない秘訣なんです。クーラーも同じです。それから、私はテレビなんかも本当にないほうがいいと思いますね。皆さんは、例えば、月が綺麗だなとか、あるいは、虫の声がいい声で鳴いてるなとか、多分あんまり経験してらっしゃらないと思う。テレビがあるから。どなたもちらーっとね、今日は満月だ、いい月だなっていうのはあるんですよ。でもその月をずーっと隅々まで、例えば10分間見たことありますか。大抵の人はないって言う。虫の声だって今日はコオロギが鳴いてるな、までは誰でもわかる。でも虫の声を10分間ずっと聞いたことありますかっていうと、大抵無い。それは、テレビがあるからですよ。で、テレビがないと、なんと夜の時間が長いか。で、その夜の時間は、読書の時間であったり、それから、月を鑑賞する時間であったり、虫を聞く時間であったり。実は僕自身がね、あー月ってこんなもんかって、月を初めてテレビを捨ててから見ました。虫の声もテレビを捨ててから聞きました。これはちょっと聞こえると、聞くは違う。だから、テレビから得る情報ももちろんあるでしょうけど、何かを得るってことは何かを捨てることであるということですよね。両方得ることではない。だからよほど注意深く、どっちがいいか選択した方がいい。テレビがなくても何の不自由もないし、何の不都合もないってことは、私が20年間の暮らしから保証します(笑)。そういう感じですね。


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