足利春王丸(あしかが・はるおうまる) 1431?〜1441

第4代鎌倉公方・足利持氏の三男。母は梁田満助の女。足利義久・安王丸の弟。足利成氏の兄。
永享11年(1439)2月に永享の乱で敗れた父の持氏と長兄の義久が自害に追い込まれると、次兄の安王丸とともに下野国の日光山に逃れた。
この後も安王丸と行をともにしたと見られ、翌永享12年(1440)3月には安王丸とともに結城氏朝に迎えられて下総結城城に拠って上杉氏一派や幕府から派遣された軍勢と戦うが(結城合戦)、嘉吉元年(1441)4月に結城城が陥落。これに際して脱出を試みるも、越後国上杉氏の臣・長尾実景の軍勢に捕えられ、京都に護送される途中の5月16日に美濃国垂井の金蓮寺で安王丸とともに斬首された。享年11とされるが、享年や安王丸と春王丸の長幼についても異説がある。