諏訪頼忠(すわ・よりただ) 1536〜1605

信濃諏訪氏。諏訪満隣の子。諏訪頼重の従弟にあたる。通称は小太郎。安芸守。
天文11年(1542)、惣領家の諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたのち流浪の身となったが、天文16年(1547)に諏訪上社の大祝職についた。
天正10年(1582)に本能寺の変が起こった際、その混乱に乗じて信濃国諏訪郡高島城に入って本貫地を回復。同じく、混乱を好機として信濃国に勢力を伸ばそうとする徳川家康と対抗したが、12月に家康との講和が成立してその傘下に属することとなり、翌天正11年(1583)3月に諏訪郡の本領を安堵された。
天正18年(1590)の小田原征伐ののちに致仕し、諏訪領を嫡子・頼水に譲った。その後の徳川氏の関東移封の際は家康に従って武蔵国へと移り、羽生・奈良之梨ほかで1万2千石の所領を与えられた。ついで上野国惣社に移った。
文禄の役においては肥前国名護屋に在陣。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役には江戸城の留守居役を務め、戦後には旧領の諏訪に復帰を果たした。
慶長10年(1605)8月11日、高島城に没す。70歳。