鈴木重則(すずき・しげのり) 1547〜1589

真田家臣。主水と称す。
天正8年(1580)頃より真田氏に属し、のちに上野国利根郡の名胡桃城代となる。この名胡桃城を含む沼田領をめぐっては北条氏と真田氏の争い(沼田領問題)があり、羽柴秀吉の仲裁によって約束事ができていたが、天正17年(1589)11月頃、北条氏邦の家臣・猪俣邦憲に偽書状を見せられて城外へおびき出され、その留守中に名胡桃城を乗っ取られてしまう。重則はその不覚を恥じ、沼田の正覚寺で自刃した。
名胡桃は真田氏の墳墓の地であったこともあり、真田昌幸が事の顛末を秀吉に訴え出たことにより、これがのちに秀吉による北条氏討伐(小田原征伐)の口実の一端となったともいわれる。
重則の子・忠重(右近)は真田昌幸に引き取られた。忠重はのちに松代真田氏の重臣となり、当主・真田信幸死去の際に殉死した。