諏訪氏一族。高遠継宗の子。信濃国伊那郡高遠城主。
天文11年(1542)7月、甲斐国の武田信玄が諏訪一族の惣領・諏訪頼重を攻めた際、信玄と諏訪郡を分割支配するという密約を結び、連合して上原城・桑原城を攻めた(桑原城の戦い)。
この戦勝によって諏訪郡の宮川より西の地域を領有したが、さらに諏訪郡全域の掌握を目論み、諏訪上社禰宜の矢島満清や福与城主・藤沢頼親と結んで9月10日に武田方の上原城を陥れたが、25日には宮川の合戦で頼重の遺児・寅王を推戴した武田方の反撃を受けて高遠城に敗走、諏訪領を失った。
その後も数度に亘って諏訪郡への侵入を企てたが、天文14年(1545)4月17日に武田勢の侵攻を受けて高遠城を逐われた(高遠城の戦い)。その後は藤沢頼親を頼って福与城に在ったが、ここも武田勢に攻められ、6月11日に頼親とともに降伏した(福与城の戦い:その2)。
その後は武田氏に服属して高遠での居住を許されていたらしいが、再び不和となったようで、天文21年(1552)1月27日に甲府で自害させられた(没日を8月16日とする史料もある)。