富田知信(とみた・とものぶ) ?〜1599

羽柴家臣。伊勢国安濃津城主。父・助知の死後、家督を継ぐ。名は信広・長家・平右衛門・一白とも。従五位下・左近将監。
幼くして織田信長に仕え、信長の死後は羽柴秀吉に属して先鋒の五奉行となる。
天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦には伊勢国神戸城を防衛し、織田信雄との和睦調整の功で秀吉から名馬「星崎」を授かったという。天正14年(1586)、秀吉の妹・朝日姫が徳川家康に嫁ぐときも、浅野長政と共に浜松随行の任にあたった。
文禄の役では1千3百の兵を率いて渡海。
文禄4年(1595)、織田信包所領没収後の安濃津城主となり、5万石を領した。うち2万石は嫡男の信高に分知。
慶長4年(1599)に隠居して水西と号す。同年10月28日に没した。京都南禅寺の瑞雲庵に葬られた。