結城直光(ゆうき・なおみつ) 1330?〜1395

下総国結城氏第9代当主。結城朝祐の子。結城直朝の弟。通称は八郎太郎。中務大輔・安房守。安房守護。
はじめ結城南の小塙を領したことから小塙八郎太郎と称していたが、康永2:興国4年(1343)4月、兄で結城氏当主であった直朝が常陸国関城の戦いで戦死したことを受け、家督を相続した。
文和元:正平7年(1352)閏2月に新田義興義宗兄弟が足利尊氏に対抗して上野国で挙兵した際(武蔵野合戦)、直ちに尊氏の軍に参向して苦林の合戦で戦功を挙げ、文和2:正平8年(1353)9月に尊氏が関東から京都へ帰還するに際し、先陣を仰せつかったという。
文和3:正平9年(1354)12月の京都攻防戦には尊氏の馬廻りとして警固した。
この後の帰国時期は不詳だが、延文4:正平14年(1359)10月に関東執事の畠山国清足利義詮を支援するため関東から京都へ向けて出陣した際に従軍しており、翌年4月の河内国平石城の戦いなどで戦功を挙げている。この関東軍は7月頃に長期遠征による厭戦感や内輪もめのために瓦解し、直光もこれに乗じて帰国したと思われる。
康安2(=貞治元):正平17年(1362)9月には関東(鎌倉)公方・足利基氏の命を受け、前年より伊豆国に拠って反旗を翻していた畠山国清を鎮定した。
応安元:正平23年(1368)7月には上杉憲顕に従い、再度挙兵した新田義宗らを討った。
応安2:正平24年(1369)5月までには安房守護に任じられており、至徳2:元中2年(1385)10月までの在職が確認できるが、この後に子(一説には弟)の結城基光に家督を譲ったとみられる。
応永2年(1395)1月17日死去。享年66。元徳元年(1329)生まれで享年67とする説もある。
『源威集』の著者ともいわれる。