三好氏の重臣で、三好長逸・三好政康・岩成友通の3人。三好長慶が没したのち、松永久秀と共に長慶の後継・三好義継の後見と称して実権を掌握した。
三人衆と久秀は幕府を傀儡政権と成すために阿波(平島)公方・足利義栄の擁立を企図し、永禄8年(1565)5月に将軍・足利義輝を暗殺した(室町御所の戦い)が、のちに三人衆と久秀は政権の主導権をめぐって分裂闘争を起こすに至った。
この対立において三人衆は足利義栄を、久秀は三好義継を擁して闘争を繰り返したが、永禄11年(1568)9月に織田信長が義輝の弟・足利義昭を推戴して上洛を果たすと義継・久秀は信長に降り、三人衆は信長と敵対することとなった。