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 □話し手 後藤 隆一先生 『人間主義経済学序説』著者
 □聞き手 山本 克郎 「小島志ネットワーク」代表幹事



 
 先駆者の思想を継承して、後藤先生は、一つの体系として人間主義経済学の完成を志してこれらえました。そこで、そのパラダイムをどう構築して、システム論を具体化されたのですか。人間主義経済学の特徴について伺います。




 三人の先駆者の思想を継承し、その体系化を目指した私の理論は、どういうものであったか。それは、小島先生の言う問題解決学であり、学際的総合学であり、高島先生のいう多面的、対立的なものの相互媒介的総合のシステム論であり、法華哲学による自覚的自己制御のシステム論であり、その目的論と手段論を考えたものです。
 人間主義経済学の哲学は、私が生涯の中で骨身にしみた法華哲学です。それは、正に偉大な相互依存的統合の哲学であるからです。またアドバイスを与えて下さったのは田村正勝先生でした。私は、小島さんと田村さんに挟まれて、戦争経験を挟んだ学生時代の師、高島善哉先生の思想に再会して「人間主義経済学序説」を完成することができました。
高島先生との再会は、「日本の社会科学は、欧米の植民地的状況から脱しなければならない」、即ち、「翻訳と解釈の時代を突破しろ」と言うことでした。翻訳文化から本当の問題解決学は生まれません。乗り越えるべき欧米近代の社会学の水準と構造とはなにかが問題でした。
 高島先生は、それを、マルクスとウェーバーとして、その相互媒介的統合として、提示されていました。それは客体と主体の論理の統合を意味し、その統合の主体は、人間の自然法であり、東洋や日本では、自然は「じねん」であったことを思え、で終っていました。
この黙示録的言葉の意味を解くことに、私の「パラダイム論」の展開が大きく係わっていたと思います。さらに、近代ヨーロッパ文明にとって、自然は野蛮に通じるもので、人間によって克服されるべきもので、この点はマルクスもウェーバーも同じです。
 人間主義経済学のパラダイムはこの点を克服しています。そこでは、自然と人間は同一の価値によって統一されており、人間は、自然の自己実現に対して最後の責任を負うという自覚的存在との認識にたつ法華経の人間学です。
 ロエブルは、第一に、パラダイム論と社会システム論を統合し、体系化を完成している。これは、私も同じです。ロエブルのパラダイムは、相互依存関係で成り立つ社会システムの中で、科学技術を用いて行う生産では私的労働生産説は当てはまらないと言っています。私的所有の根拠を否定し、実体的な経済法則を否定します。これは、法華哲学の縁起空と同じパラダイムです。
 そこから人間によって仮設されるシンボル体系である貨幣を社会的手段として創造し、目的を達成するのは、縁起仮と同じパラダイムであるシンボル貨幣論を創造します。そして、そのような手段を開発する生命的主体の論理を中道という生命の内在的原理とみる。存在の自己実現の主体は、縁起中の自覚体で、それは仏性に外なりません。此処にロエブルと私の不思議な一致が見られます。
 このような人間に内在する主体性による政治権力と経済主体を作り出すことが、人間主義経済学の人間革命、社会革命の運動であるという仮説を提起しておきます。

 ロエブルの体系は、主体の論理をパラダイム論だとするなら、それに対応する客体の論理は社会システム論です。彼の社会システムは、ミクロ経済学とマクロ経済学をサブシステムとするものです。
 ミクロ経済学とは、私的経済のことで、企業がその担い手で、独立した企業による分業と交換によって成り立つシステムです。このシステムには、長所もあるのですが、自分で解決できない矛盾も生みだします。例えば、不況や失業や貧困や病人や高齢者に対する福祉政策は、自由競争をルールとして利潤追求を建前とする企業には、負担できないことなのです。このような社会全体の立場から対処しなければならない問題に対しては、政府などの公的機関が責任を持つ。
 これをロエブルは、マクロ機関と呼びます。そして、マクロ機関には、貨幣を発行し、その必要な公的仕事をさせる。そこで、過剰となった貨幣は、インフレを起こさないように、流通課税で掬い上げる。この課税は、政府支出の財源として取るものではなく、公的必要の支出のため、過剰の貨幣が生じた結果に対して調節するためです。これは、貨幣が人間の幸福のための、自然環境の保護改善のための道具として機能する姿であり、貨幣論としては、シュンペーターの指図証券説に近い貨幣です。
 価格が上がれば、その商品が不足しているのだから、課税率を下げ、価格が下がれば、商品が過剰になった証拠だから、課税率を上げる。物価安定を税率操作の基準とするということは、商品本位制であるといえます。これは、貨幣量を商品の過不足にリンクさせるシステムとして、商品本位制が実現することになります。その上、価格が、商品の量にリンクするシステムでは、競争は、質の向上の競争によって行われるほかありません。それは、資源の浪費経済からの脱却であり、質の向上の競争になり、量より質への文化的転換となりそうです。
 ロエブルは、そのような社会システムを経済民主主義と呼んでいます。彼のミクロ経済は、市場システムと呼ばれ、彼のマクロ経済は、共同体システムと名付けられています。
私は、社会の自覚的自己制御のシステムと定義し、共同体システムという言葉を使いましたが、内容に変わりはありません。



 後藤先生の近代経済学批判の核心を伺ったのですが、先生はその批判に立って『人間主義経済学』を提唱され、これまでの「人間不在の科学主義に対して、人間主義の経済学」として、人間の本性を多様性の自覚的統合と捉え、人間が認識し、判断し、創造する主体である心の構造をパラダイム論に据えておられます。
 パラダイムとは何か。パラダイム論こそ今日の変革の理論にとって最も大事な問題であるという認識は、私たち二人の変わらぬ考えです。
 パラダイムとは、社会が共有する考え方の枠組みですが、それを客観化し、自覚化して、自己変革の理論にしようというのです。これに、社会システム論として経済社会の諸問題に対応して人間を主体とする問題解決のための多面的なサブシステムからなる総合システムの構築を提唱されています。



 近代経済学批判に基づいた私の「人間主義経済学」の特徴や方法論について述べてみましょう。
 未来の経済学の特徴として、人間主義経済学は、人間不在の経済学に対して人間主義経済学であり、人間を主体とする問題解決学です。客観的存在の学に対して価値的、目的論的経済学であり、抽象的一神教的、専門の学に対して現実を総合的に把握する学際的経済学です。
 人間主義とは、科学主義に対するもので、多様性の統合と、自覚的創造を人間の本性ととらえ、理論の根底に据えるものです。それは、認識、判断、創造の主体である心の構造をパラダイム論として明確にし、それに対応する社会システムを、多面的なサブシステムよりなる総合的システムとして構築し、それにより、経済社会の問題を考えいきます。
 経済学は、何らかの価値観、人間観を前提とていますが、それは、宗教や哲学から与えられるものですから、パラダイム論として、その特徴や歴史的発生の起源を明示し、自らを自覚的に位置付け、それに対応して作られる社会システム論は、仮説の有効性、有意味性を証明し、人間学と社会科学を統合する学際的な性格を持った歴史的創作物としてアート、つまり芸術に近いものです。
 その価値観、人間観は、人間における多様性の統合や自覚的対応性・創造性を持ち、多様性の中に、無機的自然の因果性と精神的人間の主体的創造性を包含しています。
 人間の主体的行動を支配する価値観は、個体的存在としての自己保存本能に対応する「利」の価値や、社会的存在としての公共性に対応する「善」の価値や、宇宙的、生命的存在としての生命愛や美的、宗教的欲求に対応する大善または究極善と呼ばれる重層的価値の秩序があります。それらは、生存にとって、不可欠のもので、変転する環境や状況に対応し、確たるたる選択の秩序が必要とされます。これによって、価値相対主義から脱する道が見出されるのです。
 既往の経済学の隠された前提であった功利主義的価値は、個体的価値の利害に当たり、社会的価値である善悪によって、それが生み出す矛盾を克服しなければなりません。利の価値を追求する社会システムは「市場システム」であり、善の価値を創造する社会システムを「共同体システム」と名付け、前者の担い手は、私的企業とし、後者の担い手は、政府などの公的機関とします。
 市場システムの価値判断は個人の自由に任せることを原則とし。共同体システムでは、何が善であるかは、社会科学的分析と民主的選択によって決定します。
 価値には、「正価値」と「反価値」があり、何を望むかという正価値は、個人的に異なり多様ですが、何を望まないという反価値は、万人に共通です。たとえば、失業とか、病気とか、環境汚染とか、戦争という反価値は、全ての人が望みません。市場システムには、このような問題の解決能力がないから共同体システムの担う分野となります。
 反価値との戦いこそ、人類が、生命共同体の意識を形成する原動力となります。たとえば、地球的規模の砂漠の緑化の問題や、化石燃料からの解放という問題等は、二十一世紀の人類共同体の共通の課題です。また、人類の苦悩は、主に心の問題であり、心の砂漠化こそ近代文明の罪であって、心の砂漠の緑化こそ、相互依存的生命共同体の目的となります。しかし、この宇宙的生命的存在としての自覚的価値の問題は、現在の政治的国家のような機関を超えた問題であり、将来、世界市民という自覚的な個人と集団のネットワークによって担われ、政治的国家に影響を与えて、国家を手段の一つとして実現してゆくと思われます。こうして、人間の究極的目的、人生の意味と秩序のコンセンサスも明らかになるでしょう。
 これらの価値観、人間観の自覚的確立は、人間性に内在する能力(仏性)の開発が必要ですが、体験による学習や教育や宗教的信仰によって触発され、開花し、気付くでしょう。私の場合、それは、牧口常三郎の「価値論」と法華経の「生命論」から学び、触発されましたが、その歴史的背景や普遍性の根拠は『蘇生の哲学』に詳論しています。

 問題解決学とは、人間不在の科学技術文明と資本主義経済が、自然環境を破壊し、文明的危機によるとの問題意識によって、その解決の方法を求める学問と捉えています。私は、この問題の所在をシュマッハーから体系的に学び、その解決方法の具体的方法は、ロエブルから学びました。さらに、問題解決には、地球的生態系の保全が肝要であり、共存と循環のシステムを創造することが人類の責任だという認識を小島慶三から学んだのです。
 貨幣的欲望以外に目的を持たない現代社会の経済学に対して、目的論的経済学は、個人の次元でも、社会の次元でも、それを超えるものとしての遠大で究極的な目的を持った経済社会の理論を構想しましたが、遠大で究極的目的がない限り、近小で目先の目的では、有効で安定した手段を開発できません。目的論的経済学が、遠大で究極的目的を提示し、それを実現しうる方法を開発するのは、生命共同体の本来の目的であり、人類の究極的自己実現を意味するもので、シューマッハーのいう全体人間(whole man)も、同じような概念です。これを法華経では仏になることと表現しますが、その仏とは、全体観にたった自覚者を意味しています。
 
 学際的経済学とは、現代が噴出している多様な問題に対するため、多様な専門分野の知識を動員して、主体的に、創造的に、問題解決のための理論的体系をつくることです。私は、それら問題を整理して、貨幣的矛盾と、実物的矛盾、人間的矛盾に分け、それらに対応するシステムと方法を創造し、総合的問題解決学を考えようとしています。
貨幣的矛盾というのは、倒産や失業という問題を解決する方法として登場したケインズ的貨幣システムが、国家の膨大な借金と環境の破壊を生み出し、金余り、もの余りの成熟経済の中で、景気政策としても福祉や環境対策としても、機能不全に陥っていることです。これに対して、私は、貨幣を政策の道具とし、触媒とするロエブル的貨幣論によって、それを乗り越えようと考えています。
 実物的矛盾というのは、今日の市場システムが、自然を破壊し、人間を押圧して、生存の危機を生み出していることですこれまで、貨幣的矛盾と実物的矛盾を解決する方法は対立していました。たとえば、失業対策としての経済成長は、エネルギー問題や環境問題にはマイナス要因でした。文明的危機の問題は、「エネルギー」と「水」と「緑」の問題に収斂されますが、人間の欲望と虚栄は、許されがたい生命共同体に対する犯罪になってきています。人間主義経済学は、地球科学と生物学と共働した道徳科学であり、社会技術としての貨幣論の構築を目指しています。
 人間的矛盾というのは、唯物的、貨幣的競争を原理とする市場経済が、人間疎外を生み、道徳の崩壊をもたらしていることを意味します。日本では、三万人以上の自殺者を毎年生み出しています。そして、驚くような少年犯罪、凶悪犯罪、経済犯罪が毎日のようにニュースになっています。
 それは、家庭という基本的生命共同体の崩壊を告げ、社会システムが機能不全になっていることを物語っています。それは、人間不在の企業文化による押圧の結果であり、このような社会システムは、既に存続の価値を失ったものというべきです。
これに対応できるものは何か。それは、教育の問題ですが、単なる学校教育の問題ではありません。人間とはなにかの根本的問題に答える宗教、哲学が欠くことはできないと思います。私は、それを人間観のパラダイム論として、この学際的理論の中に組み込もうと考え、人間を主体とする、人間のための理論として、多面的知識の体系を統合しようとするのです。
 これが、私の人間主義経済学の構造であり、方法です。


第五回対談に続く)
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